さもゆ
2024-12-10 01:28:13
11699文字
Public BBB
 

【腐界】ぼくのテディベア2

仲良い上司二人が少年にテディベアあげた話の続き。
この小説を楽しめる人…恋心が明確に描写されてないのが好きな人。副官がボスを応援するのが好きな人。
この小説を楽しめない人…熊にトラウマがある人。ぬいぐるみが動くことに異様に恐怖を感じる人。

2021.6.25 たまごのお粥pixiv投稿作品

 またもやレオの家が弾け飛んだときテディベアのルーズベルトは絶対に許すものかと犯人を探しだし自身のはらわたで絞め落した。
 ルーズベルトとは自分の持ち主、背丈が同じくらいかそれより少し小さな青年であるレオナルドがつけてくれた名前であり、出会った日に贈られたオレンジリボンとともに大層気に入っているもののひとつである。
 ルーズベルトはレオが大好きだった。厳つい赤髪の男と胡散くさい黒髪の男に買われたときは一時どうなるか気に食わなかったらさっさと逃げようそしてまた買われるのを待つか野生に戻ろうと思っていたのに、自分は上等なプレゼントだったらしく、贈られたレオは一心にルーズベルトを愛してくれた。それから、狭い部屋のベッド上、そこはルーズベルトの大切な家になった。
 しかし家は無情にも大破した。何てことはない、上空で繰り広げられた鳥類型異界人のテロ行為によるものだ。幸いにも昼間の事件であり、レオは巻き込まれることはなかったが、ルーズベルトはこの癒しの宝箱を壊された腹いせに、はらわたで鳥類型異界人を引きずり落とし首も落とした。HLPDが来たころには、全ては地面で丸く収まっていた。

 ルーズベルトはただただ心配だった。
 自分を抱いて眠っていた持ち主のレオは、果たして今夜、安らかな眠りにつけるのだろうか?
 HLPDに回収されながら、テディベアのルーズベルトはひたすらにレオの身を案じていた。

 





「そんな」
 
 そう呟いたきり言葉が出てこないようだった。おっとこれは想定外、スティーブンは思って続けようとしていた書類仕事の手を止めた。デスク前で顔色を悪くしているレオにあー、と慰めにしては随分な声を出す。「もう慣れたもんだと。平気か?」我ながら狡賢い質問だ。大抵こういうとき、彼は平気じゃなくとも平気ですと返すのが分かっている。

 しかし本当に珍しいことに、今回ばかりは、彼の虚勢も張られないようだった。レオは青い顔のまま口を開いた。平気です、とも平気じゃないです、とも言わずに、ぽつりと単語を落とす。
「ルーズベルトは、」
……あー、あのテディベア」記憶に新しい。数か月前にクラウスとともにこの少年にプレゼントした、ダークブラウンの熊のぬいぐるみ。名前をつけたと嬉々として報告してきたとき、クラウスと顔を見合わせたものだった。「くま大統領くんも、まあ、同じ末路だろうな」
「そんな。灰微塵に?」
「灰微塵か、粉微塵か、微塵切りにされてるかは分からないが。ニュース見るか? きみの家、とにかくバラバラだぞ」
「むごすぎる」
「そうだな。きみの住居運のなさは惨いに尽きる」
「いやいまのはスティーブンさんのあっ何でもないす。じゃあ、はい、しばらく……また事務所に寝泊まりします」
「ああ。設備は好きに使ってくれ。新しいアパートが見つからないようだったら、早めに知らせるように。むしろ最初から頼んでもいいんだぞ」
「いえ、そこは。なるべく自分で。いい部屋を見つけてもらって、そんでまた大破したらショックでかいんで。お心遣いありがとうございます。ははは」
 自虐的な笑いを浮かべたレオは、とぼとぼと待機場所であるソファに戻っていく。ここにクラウスがいたらなあと困った気持ちでその背中を見送ったが、彼はいま執事とともに外に出てしまっているし、ザップやツェッドにも力技が必要な任務を任せてしまっている。出勤後『どうやらきみの家がまたなくなったらしい。しかもテロ行為、HLPDが調査している間は立ち入らない方がいい』と言われた憐れな少年を慰める者はこの場に一人もいなかった。
 彼が突然の不運に見舞われることは今に始まったことじゃないし、事前に防ぐことはできなくとも事後手当ての効率的な進め方はどんどん改善していっているのだが、しかし困ったなとスティーブンは再開した書類作業の合間に思った。万年筆の背でこめかみに近い傷痕を掻く。少年はぬいぐるみがないと眠れないんじゃなかったか? 

 彼はいたくルーズベルトを気に入っていた。贈ったクラウスがちょっと微妙な顔をするほどに。

 スティーブンの口元付近の傷痕がひくりと歪む。癖で鼻を押さえたが、鼻水も、笑いで生じる吐息も我慢できていた。さてどうしよう。少年に睡眠をとらせるために、ルーズベルトと似たような新しいぬいぐるみを贈るのが解決策にならないことだけは明白だった。彼はそれを素直に受け取らない。

 鼻を押さえた手の下、益々傷が引きつっていく。思い浮かんだ効率的な事後手当ては、スティーブンにしては珍しく純粋に喜楽に満ちていた。いや、ボスと少年に限っては大して珍しいことではなかったかもしれない。



「またレオナルドくんの家が」

 と言ったきりショックを受けた顔つきで胃を押さえてしまったボスを前に、スティーブンは必死で笑いを堪えなければならなかった。年齢も図体も立場も違うのに、たまにこの男は、十九歳の少年と瓜二つの反応をする。
 夕刻、事務所に戻ってきたクラウスにレオの状況を告げると、そうやって押し黙った彼は気遣わしげに水槽部屋のある方角へと目を向けた。少年はいま任務から戻ってきたツェッドのもとにいる。ザップはひとしきりレオの不運を野次ると報告書もそこそこに愛人のもとへ飛んで行ったため、このまま何事もなければ就寝時刻まで後輩の部屋にいるだろう。スティーブンは腰かけていた執務室のソファから身を乗り出し、向かいに座るクラウスの意識を戻した。
「なあクラウス、とてもかわいそうだと思わないか」
「ああ。なぜ彼ばかりこんな目に」
「今夜は眠れないんじゃないかな。いかに少年が図太くとも」
「ああ。……ああ、それに彼はぬいぐるみがないと、」この数か月の間で、レオが入院沙汰になったこともある。そのときだって皆が出払った隙にこそっと“僕の家からルーズベルト持ってきてくれませんか”と申し訳なさそうに頼まれたことがあった。ぬいぐるみを抱いていないと眠りが浅いのは、きっといまも健在だろう。「早急に新しいものを贈ろうか」
「クラウス。少年が素直に受け取ると思うか? あれは初回限りのもんだろう」
「む。確かに」
「俺たちが優先すべきはあいつが新たな家を見つけるまで、ここで安眠できる夜を用意することだ。違うか?」
「その通りだが、どうやって?」
「なあきみ、きみはどこでも眠れるよな」
「知っての通りだ。寝つきは凄まじくいい」
「ねえギルベルトさん、数日の間クラウスが邸に戻らないのはご迷惑でしょうか」
 急に水を向けられた掃除中の執事は、朗らかに笑って首を振った。「とんでもない。この街ではよくあることですから」クラウスがスティーブンへと首を戻す。「スティーブン、何か妙なことを言い出す気ではないかね」

「俺はいまから妙案 ・・を口にするぞクラウス」
 
 スティーブンはにやりと笑った。
「きみが初代テディベアの力を発揮すればいいんだ」



 ライブラの副官はクラウスをからかうのに一番長けている、という事実を再認識して自分はもしやからかわれただけなのではないだろうかと気づいたのは、仮眠室の扉をノックする直前だった。
 大抵のからかいに愚直さで返しそのからかいが破綻するのがクラウスの鉄壁な性質だったが、スティーブンに関して言うと、彼が本気で愉快さを見出してしまうと自分はこうしてギリギリになるまでそれに気づかず、気づいたところで後戻りできない場所まで来ているのが多かった。彼はある種、プロスフェアーより堅実な狡猾さを持っている。そしてその狡猾さは、からかうための手段とは言え、決してクラウスを貶めるようなことがないのも事実だった。
 つまり、絶妙な揶揄ということだ。

 ここで仮眠室の扉をノックせずに戻るのは簡単だったが、その簡単なことがクラウスにはできない。なぜなら、この扉の奥にいるレオナルド少年が、探らなくとも分かるほどに起きているからだ。もう結社内の明かりは主要箇所以外落ちている。彼の睡眠を案じていたし、たとえスティーブンがさもレオのためと言わんばかりに「何もおかしなことじゃない。きみに抱きついてぐっすりしていた姿を忘れたか? かわいそうにな、今夜レオはああやって眠れないかもしれない」と嘆いてみせたのに大きく頷いたのは誰であろう自分であったし、スティーブンの思惑に気づいた今でもその考えが変わらないのも自分だった。クラウスはそのままにドアをノックした。

 気配が近づき、ドアが開く。
 顔を覗かせたレオは予想していたあたりにひとの頭がなかったことからか、随分見上げて口をあんぐりした。「クラウスさん」
「レオ。夜分遅くにすまない」
「ど、どうしてここに? てっきり、ツェッドさんかと」
「いくら結社内とは言え、確かめもせずに扉を開けるのは良くない」
「あ、ごめんなさい。リテイクしましょうか」
「今度はそうしてくれ」今度もこのようなことがあるのかは分からなかったが。「入っても?」
「えっ? あ、はい。どぞっす」
 レオは困惑したようだったが、何の疑いもなしに扉を大きく開けた。クラウスはそれにまた少し、自分からそう仕向けたくせに不注意だなと思いつつ、広くはない仮眠室に入った。仮眠室のベッドはどんな体格の人間が眠ってもいいように大きくできている。そのため、二人も入れば窮屈に感じた。ベッドの毛布はぐちゃぐちゃになって落ちかけている。
「ええと、クラウスさん」レオが扉を閉めて向き直った。「どうしたんすか? 仕事終わって、帰られたんじゃ。おれ、挨拶しましたよね? あっもしかして、夜勤ですか? 僕の目要ります?」
「いいや、レオ」クラウスはどう言ったものかと胃のあたりを撫でた。「さすがに、寝間着姿では働かないよ。必要に迫られればするがね」
 レオはクラウスのパジャマ姿と、自分の伸びきったTシャツと半ズボン姿――寝泊まりするための用意は誰もがライブラに常備している。レオはそれに加えて特に重要な物は職場に預けていた。たとえばベッド脇に置いてある携帯ゲーム機――を見て頷く。「そうっすよね。このカッコですることって言ったら、ゲームか、惰性か、何もしないか……
「眠れないのかね」
……や、やっぱりそう来るんすね?」
「予測していたか」
「だって、パジャマは、寝るための服っすよ。でもちょっと待ってください、ぬいぐるみの件で……俺が眠れんのを案じてくれたとして……何でクラウスさんがいらっしゃるんすか?」
「抱き枕になるために」
 クラウスはとことん物を包んで言うのが不得手だった。
「きみに安眠を届けにきた。……自惚れの強い言い方かもしれないが。私はきみのテディベアになれないだろうか?」
 おああ、レオが唸りとも悲鳴ともつかぬ声を上げる。「今の発言は、どうかと思うっすよ。さすがに。俺に言うのが勿体ない」
「問題ないように思う。きみ相手にしか言えない台詞だ」未だに、クラウスをテディベアと見間違えたレオの感性はどこかおかしいと思っている。
「うわあ」レオはまた声を上げた。「あぶねえ。危うく紳士さにときめくところだった。やっぱ紳士って強え」ひとり言にしては明瞭に呟くと、遅れて顔を朱にした。「ちょっとまずくないすか? 俺もう、十九歳っすよ。なのに……しかも職場のボスを抱き枕になんて、不敬罪で取っ捕まったりしません?」
「そんな罪はない」
「でも、ひとりで……眠れます」
「こんな時間まで起きていたのに?」
……
 あともう一押しか、クラウスは思った。スティーブンの間違えるんじゃないぞという念を押す幻聴が聞こえる。

「レオ。私もそろそろ眠りたい」

 少年が見上げたままぐっと顎を引いた。クラウスは引かずに推して参った。

「いま眠らなければ明日に支障が出てしまう。きみも、そして私もだ。眠らないのかね」

……ね、」
 レオは逡巡ののち、観念して肩を落とした。「眠ります。……寝相悪くても、勘弁してくださいね」

「構わない。私はすこぶる寝つきがいいので」

 そう言った通りクラウスは、たとえ自分が眠れるほど大きいと言えど二人横たわればぎゅうぎゅうになってしまうベッドでレオナルドにぎゅうぎゅうに抱きつかれても目を閉じれば三分で寝入ったし(本来なら三十秒で寝られるはずなのだが、さすがに普段ない状況に緊張したのかもしれない)それを見たレオも先ほどまで毛布を抱いてもぞもぞしていたのが嘘のようにぬいぐるみ代わりのボスにひっついてぐっすり寝入った。


 朝、先に目が覚めたのは当然ながらクラウスだ。
 自分が初代テディベアの力を遺憾なく発揮したことを認めて、さてどうやってレオを起こさずに身を起こそうか思案する。仰向けのクラウスの脇にぴとりと張りつき、片足を腰に回してぐうぐう寝ているレオが起きる様子はないが、こうも抱きつかれていては身を捩ろうという気もそぞろだった。出勤する手間が省けているから、もう少し寝ていても充分始業には間に合うだろうが、二度寝をする気分でもない。
 レオの体温は自分より低く、ちょうどいい。戦闘になればつい吹っ飛ばしてしまう細い体躯だが、案外肉付きはあるし、骨がしっかりしているのが分かる。けれどもまあ自分にとってはやはり細く小さいので、寝ている間に踏み潰さなくて良かった、とクラウスはぼんやり思った。
 ひとり邸宅に帰らせたギルベルトがやって来るまでも、まだ時間がある。朝食はレオも一緒に摂るとして、何か食べたいものはあるだろうか。紅茶はどれがいいだろう。そういえば、彼は髭は剃るんだろうか? クラウスはそこまで考えて、自分が随分わくわくしていることに気づいた。あんまり良くないだろう。この部下は家をなくし、途方に暮れているのに。

 レオが起きるまでずっとそうして待っていたクラウスは、昨日までレオに抱かれて眠る熊のぬいぐるみを思って、ほんの少し、羨望の念さえ抱いてしまった。







 HLPDの警部補はスティーブンのことをテディベアの残骸を使って何かやらかそうと企んでいる珍妙な男だと勘違いしたかもしれない。
 仕事以外で決してかけない電話相手との通話を切ったスティーブンは、そんなふうに勘違いされた可能性について、少々頭を抱えそうになった。次会ったときに何を言われるか分かったもんじゃないからだ。

「レオ。くま大統領のことなんだが」

 げんなりしてしまう想像をおくびにも出さず執務室に戻ったスティーブンは、レオしかいないことを認めてから声をかけた。案の定レオは机に広げて整理していた書類の手を止め、傍まで来たスティーブンを勢いよく見上げる。「ルーズベルトがどうかしたんですか」
「うん。テロ被害のものとして大体の残骸が警察に押収されたんだが。ああ、犯人の鳥類型異界人の尾羽からも有毒物質が出ていてね、それが中々濃いってんで、だから様子を見に行ったりするんじゃないぞ。加えてあそこにライブラの構成員が住んでたってことを知られるのも厄介だ」だからそうは悟られないように熊のぬいぐるみのことを訊ねたら、うっかりスティーブンが変人扱いされるか否やになっている。あの警部補にとったらライブラなど紛れもなく変人の集まりなんだろうが、妙な誤解をされるのは御免だ。
「それ以上悪い報せ聞きたくないっす。ルーズベルト、戻ってこないんでしょう」
 レオが悲しそうに言った。
「戻って来るさ」
 スティーブンは眉尻を下げる。
「溶けて、焦げて、手足がちぎれてて、腹の綿なんかが出てるぐちゃぐちゃな有り様のルーズベルトなら。ちゃんとな」 
「スティーブンさん」レオは悲痛な声を上げた。“どうしてそんな言い方をするんですか” へにょへにょになった糸目で見上げられるが、そんな言い方しか事実を表せられないんだから仕方ない。スティーブンが眉を下げたまま言う。「三日後なら、毒性も切れてる。そのルーズベルトを受け取ることもできるが、どうする」
「スティーブンさん」
 今度の呼び方は答えそのものに聞こえた。念のため、つけ加える。「保管期間が過ぎたら、焼却処分になるんだと」
 
……HLって、人形供養みたいなのができるとこ、ありますかね」

「探そう。決まりだな。三日以内にきみの新居が見つからないようであれば、ここに届くよう手配しとくよ」
「ありがとうございます」
 レオがようやく表情の強張りを解き、そのタイミングで、スティーブンは自分にとっての本題を飄々と流した。

「供養したら、きみ、新しいぬいぐるみ自分で買うだろ? それまでは、存分にクラウスをテディベアにするといい。あんな大きくて頑丈なぬいぐるみ、きっとないからな」

 スティーブンの想像通りの奇声を上げて、スティーブンの想像通りにソファに突っ伏し、スティーブンの想像通りに悶えたレオは、スティーブンを大層満足させた。複雑なものを好むと思われがちだが、本当は単純なやつが面白くて好きだ。

 今朝、いつもより少し早い時間に出勤した折、どこか楽しそうにしているクラウスと居た堪れなさそうに始業を待つレオを見て、これは軽くからかってやらねばとずっと練っていたことをようやく発散できたのだ。レオが座面に突っ伏して丸まっていることをいいことに、スティーブンは盛大に笑い声を上げた。自分は中々に良いお節介を焼いたのかもしれない。……ほとんど楽しみたいがためだったが。



 そして今夜もレオは結社のボスを抱き枕にして眠ったし、ボスもレオにくっつかれて眠った。少年の抱き心地はどう、と副官に誤解を生みかねない問いをされたけれど、ボスは少し黙ってやはり正直に答えていた。“どうと言われても。抱いてないので分からない”“は? 抱き枕になってるんだろ?”“抱き枕になっているだけだ。私は抱いていない”“……いっそ憐れになってきた”“でも彼は軽いよ、スティーブン。私が少し動いただけで、ベッドから落ちそうな気さえする”“そりゃーお前、気がするってだけだろう。ちょっと動いてみろよ、岩みたいに眠ってないでさ”“テディベアは動かないものだ”“これだからクソ真面目は”次の日も、その次の日もレオはボスを抱き枕にして眠ったし、ボスもレオに抱き枕にされて眠った。おおよそ平和な夜である。



 そんなふうに三回眠って、三日が経った。

 ルーズベルトが届けられる日だ。



 ライブラにも事務員さんというものがいて、大抵の荷物はそこを通って届けられるべき部署に届けられる。偽の所在地、偽の宛先、偽の差出人でも安心安全絶対確実に。ルーズベルトが詰められた段ボールはそうやってHLPD署からライブラへと来て、朝一で執務室に送られた。普段あまり関わりのないこの組織の副官から、事前に、こういう荷物が来たらなるべく早く届けてくれないか、と頼まれていたので彼らの仕事は迅速そのものだった。



「起きたかね」

 一緒に寝るのも四回目ともなればレオは持ち前の順応性と図々しさと無邪気さでクラウスの柔らかな胸の筋肉にしがみついた格好で目覚めるようになっていた。寝る前は確かに毛布を被ってクラウスの腕に抱きつき目を閉じていたのに、起きたら毛布は蹴落とされレオがクラウスの短い毛布となってごろついている。クラウスより遅れて目覚め、眼鏡のない緑の瞳と、自分がしがみついている胸を猫のように手で踏み確かめたレオは、そのままごろりとベッドから転がり落ちた。
「レオ」
……すんませんすんません」
「いや。よく眠れたようで何より」
「すんませんすんません」
 それなりに居た堪れなさと羞恥は感じているのかひとしきり謝り転がるレオを、クラウスは別にいいのになと思いつつ見守る。自分の腕のなかで(もちろん、抱きしめてはいないけれど)安眠するレオナルドはなんだかとても素敵なものに感じられたし――この少年が素敵じゃないときの方が少ない――このまま彼の家が決まらなければいっそ自分の屋敷に招こうかと思ったほどだ。迷って、そうやって口を開こうとする前に、立ち直ったレオがじゃあ身支度しましょうかと言った。クラウスは言葉を飲み込んで頷くだけに留めた。

 いつもの服に着替えて顔も洗って、それから今日はギルベルトが屋敷での所用を済ませて出勤してくるため朝食はレオとクラウス二人で摂る予定になっている、何食べましょうね、まだ時間あるから買いに行くのもありですね、一応キッチン見ますかと話しながら執務室の扉を潜ると、昨日退勤時まではなかった段ボールがテーブルの上に乗っているのを認めた。あっ! レオが声を上げて駆け寄る。
「スティーブンさんが言ってた、ルーズベルトかも……
 
 クラウスも後に続き、レオの上から段ボールを見下ろした。そのようだ、と答える。押されている判は正式な秘匿ルートを通って検閲を合格したことを表している。
「あんまりひどい姿になってたら、どうしましょう」
……レオ」
「ほんと自分でもどうかと思うんすけど、すっげー大切にしてたのに。っつか絶対、」段ボールを見つめる。「ひどい姿になってる。だってルーズベルト、こんな低い箱に入る図体じゃない」確かに、あのテディベアはレオと同じくらいの背丈だったのに、テーブルに乗っても、レオの背に届いていない。
 しょんぼりしているつむじを見下ろすクラウスは、自分たちが贈ったテディベアをとても可愛がっていた事実を再認識し胸があたたかくなると同時、やはり胃も痛んだ。
 
 哀れに思って、とか。
 そういうことでもあるが、そういうことだけじゃなく。

 クラウスの口が知らずと開く。そのまま、レオ、と段ボールに手を伸ばしていた少年を呼び止めた。律儀なレオがくるりと振り返るより、その伸ばされた手をクラウスが上から掴んでしまう方が早かった。急に自分の上に大きな赤毛の影が落ちてきたことにレオは驚き、そしてクラウスも自分の行動の起因がいまいち分からず、中途半端に腰を曲げたまま面食らって硬直した。「クラウスさん?」何と言ったらいいか、何を言いたかったのか、そうだ、先ほども思ったこと――だって新たな家が見つかれば彼は自分でまた新しいぬいぐるみを買うかもしれない――クラウスの口から不安がついて出る。

 “ルーズベルトとお別れをしたら、私ともお別れなのか”

 それの最初の一音がついて出た瞬間、段ボールの蓋が弾け飛び悲鳴に関しては反射神経抜群のレオがいち早く悲鳴を上げた。
 
 ひぎゃあ! と叫んだレオを掴んでいた手で横に吹っ飛ばしたクラウスは、段ボールから飛びかかってきた何かを拳で受け止め弾き飛ばす。視界にオレンジ色が翻り腕がビリリと痺れる。それは攻撃されている、というのがハッキリ分かる敵意だった。あの段ボールは正式な手順を踏んでここに届けられている。だとすると、随分厄介な相手かもしれない。
 クラウスはそれを侵入者と見なした。間を置かず再度飛びかかってきた物体に一度大きく拳を叩きこもうと構えたところで、ソファに縋りつくレオがまた大声を上げた。

「やめてクラウスさんッボコらないでェ!!!」

 ぴた、振り上げていた拳が止まる。あ、とレオがドミノの最後を崩したような声を漏らし、そして、何の構えも取らなかったクラウスの巨躯は執務室の外まで吹っ飛ばされた。



 いつもより少し早い時間に出勤したスティーブンは、さてどうやってあの少年の安眠をこれからもボスに任せられるようにするか、何か面白い考えはないか、どうすれば長くのんびり楽しめるかを思案しながら廊下を進んでいた。
 執務室のドアノブを掴んだとき、まだ少年とボスしかいないはずの執務室が騒々しく感じ、本来ならすぐさま開けるはずのドアから火傷したように身を引く。スティーブンの反射的な危機察知能力は正しく機能し、間髪容れずにドアが蝶番を折りながら開いた。赤毛の大男が廊下の壁まで吹っ飛んできて、スティーブンの後ろで重厚なドアが片方ゴトリと落ちる。かろうじて、まだくっついてはいるようだ。
「クラウス!? 敵襲か?」
 通勤鞄を放り、膝をつくボスのそばに駆け寄って背中に手をやったスティーブンは、半壊した扉を睨みながら踵に力をこめるものの、それにしては次の攻撃が来ないなと訝しんだ。それどころか、扉が開く際に肌をなぶった敵意も、掻き消えている。
「スティーブン」
 クラウスも困惑して言った。

「我々が彼に贈ったテディベア、あれは動くのか?」






 レオナルドがホラー映画に出てくるようなぬいぐるみの残骸を抱きしめおいおい泣いている。
 ダークブラウンの毛はむしられ、ボタンの目は飛び出し、腹からなぜか血に染まったように汚れた綿が流れ落ち、手は裂け足は片方ちぎれている。ところどころ焼け焦げ、溶け、異臭を放つ体積の減ったそれを、レオは厭わず腕に抱えてどうして俺のルーズベルトがこんな目にと泣きぐずっていた。
「ひどい、ひどすぎる。立派なテディベアだったのに。ルーズベルトが何をしたってんですか」
「何もしてなくてもそーなるのがこの街だろ」
「うわあ゛ああ゛あ理不尽゛」
「お前はそれをよーく知ってるはずだ」
「うわあ゛ああ゛あん゛」
「す、スティーブン」
 にこにことレオに追い打ちをかけていた副官は、隣に座るボスから困り果てた声音で呼ばれ、ようやく肩を竦めた。彼は時折、クラウスには決して真似できない、ひとを謀るような意地の悪いことを言うことがあったが、レオに対しては純粋に意地の悪いことを言っているように聞こえた。つまり純粋に、楽しんでいる。
「まあ僕らがそれを普通のぬいぐるみだと思って買ったのが、原因といえば原因だけど」
 めそめそ泣くレオはそう言われて、いまは動いていないテディベアを抱き直した。

 クラウスとスティーブンがぬいぐるみがないと眠りにくい部下の少年にやったテディベアは、調べたところによると、“贈り主の願いを叶え、持ち主を守る”少々魔法具じみた代物だったらしく、店頭で「おまじないテディベア」というポップを見てもまあ単なるキャッチコピーだろうと大して気にも留めずに選んだ大人たちは、さすがHL、幼児向けの幼児心をくすぐるおまじないも本当に現実になってしまうのを、すっかり失念していた。

 ずたぼろのテディベアがずたぼろの体を押してクラウスに攻撃したのは、ひとえにそれが理由だった。クラウスとスティーブンが執務室に入ったとき、ちぎれた片足で必死に床をのたうちクラウスを追おうとするぬいぐるみを、レオは必死に止めていた。……その際にボタンの目は片方完全に取れたところで、レオが激しく泣いた。
 動かなくなったぬいぐるみを抱き抱えて泣くレオを何とかソファに誘導したものの、こうしてルーズベルトの首に引っ掛かったオレンジリボンを指先で弄っては今尚しゃくり上げている。クラウスはほとほと弱り果てて言った。
「すまない。私はレオの眠りを守れるようにと、願ったつもりだったのだが」
「僕は少年に悪さする輩を、代わりにぶちのめしてくれたら有り難いのになと」
……スティーブン」
「すまん」素直に謝る。「十中八九、僕の過激さが原因だな、こりゃ。願うくらいならいいかと。しかしお前に盾つかんようにも願っとくべきだった」そこは反省点ではないだろう、クラウスが珍しく突っ込もうとしたところ、濃紺の瞳がぱちと瞬きした。「あれ、待てよ、きみ。っつーことは少年に悪さしようとしてたのか?」
 ぐむっと押し黙ったクラウスは、普段星のひとつさえ瞬かない夜闇の瞳に光が散ったのを目の当たりにし胃を押さえた。ず、彼もおもむろに押さえた鼻を啜る。「おいおい、何そんな楽しそうなことを。邪魔しないから面白がらせてくれ。どんな悪さ?」

 すんすん泣いているレオが置いてけぼりにされながらも、ボスと副官のやり取りを聞いている。クラウスは痛む胃を押さえ唸るように観念した。

……これからも、私はテディベアにはなれないか、と。交渉しようと」
 
 自分の不可解な感情を選びに選んで発した台詞に、隣の副官は何だそんなことテディベアだけで満足するなよクラウス、とこれまた不可解なことを言い、目の前のレオはいやそれはちょっとと返した。

「クラウスさんにいつまでも仮眠室使わせんの申し訳ないっすから」

 それならば、と。クラウスはまた自分の口が勝手に動くのを感じた。クラウスの家に住んでもらえば解決するのではないか?

 生憎、自分の持ち主を盗られると思った死にかけテディベアがまた暴れ、やはり口にすることはできなかったけれども。