さもゆ
2024-12-10 00:44:40
9440文字
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【腐界】ぼくのテディベア

仲良い上司二人が少年にテディベアあげるだけの話です…。
続き→ぼくのテディベア2

2021.1.7 たまごのお粥pixiv投稿作品

 そういう趣味だったわけじゃないけれど。
 なぜか、というかまあ、生活がまるっと変わってしまえば趣味嗜好が変わってしまうのも頷けるだろう。ゲームが好きなのは変わらなかった。食に関して大雑把なのも変わらなかった。ただ……そう、眠る時が少し、変わってしまっただけだ。明日もちゃんと生きて目が覚めるかどうかを、意識が落ちる直前まで心配するようになった、それが一番の原因だと思う。
 たまたまバイト先から貰った、ピザと蟹を掛け合わせたような縦長のぬいぐるみ。
 を、抱いて眠ったら、ちょっと不安が紛れた。HLに来てから縮こまって眠るのが癖になりかけていた体勢が、ぬいぐるみを腕に抱いて足の間に挟めばなんだか息もしやすくなって伸び伸びとした寝相に変わって、朝起きた時も劇的にホッとした。抱き枕なんて、したことなかったのに。一人暮らしで物も少ないからと腹の足しにもならないこの不細工なぬいぐるみを貰ってきたけれど、案外良かったのかもしれない、とその時は思ったりした。ここまでは、別段、趣味が変わっただの嗜好が変わっただのと言われはしないだろうが、ここからだ。
 ザップが愛人から貰ったと言うキリンのぬいぐるみを要らないからと寄越してくれた。
 ライブラの飲み会の景品で大きなサメのぬいぐるみを手に入れた。
 ピザの配達先でこれ捨てといてくれとちょっとほつれた犬のぬいぐるみを預かった。(まだ可愛げのある見た目をしていたから部屋に持って帰ろうかと思って、すぐにハッとした。知らない相手から渡されたものを持ち帰るなんて! 十二分に迷ってからゴミの日に捨てた)
 ここらへんでレオは、そういう趣味だったわけじゃないんだけどな、と自分の変化にようやっと気がついた。

 貰ったぬいぐるみをベッド脇に置いて、日替わりで抱いて眠る理由。それは安心するからなのと、――単純にぬいぐるみが好きだからなのだ、と。

 レオナルド・ウォッチ十九歳。
 ぬいぐるみを好きになる。



 ぬいぐるみを好きになるのに男なのにとか女じゃないのにとかは関係がない。

 そんなのはなんでもありなHLだけでなく、世界中どこを探したってそんな些末なことで差別化を図る輩はいないだろう(とレオ自身は思っているが、もちろん、そんな些末なことで差別化を図ってくる人間が世界中にいることも、レオはきちんと分かっている。価値観は人の数だけ存在するのだ)が、やはりというかなんというか、自分から「ぬいぐるみが好きです」とは言いづらいらしかった。
 らしいというのは、「ぬいぐるみが好きなんですか?」と訊かれたことがないので実際答えるのにどういう心情が前面に出てくるか分からなかったからであり、予想するに彼はハキハキと「はい好きです」とは答えないだろうと思ったからである。
 おそらく恥ずかしいんだろう。彼は自分のことを客観的にそう見た。
 どんな年齢でどんな性別の者が、何を好きになろうと他人の迷惑や犯罪にならなければなんでもいいんだろうが、それはそれとして、何に羞恥を感じるかもひとそれぞれのはずだ。

 ……普段から子どもっぽく見られる俺が、ぬいぐるみを抱いて眠っていると知られるのは、ちょっとやっぱり、かなり、恥ずかしい。

 できればミシェーラにも知られたくない。

 レオはこれを秘密の花園ならぬ秘密のおもちゃ箱と名づけた。おもちゃ箱の持ち主しか開けてはならない、許可がなければ誰も見てはならない、自分だけの子どもっぽい秘密だ。大人でも子どもでも、きっと誰だって持っている。大したものではないが、胸があらゆる意味でドキドキする、そんな秘密のおもちゃ箱。そこにはレオの好きになったぬいぐるみが三体いる。

 ピザ蟹と、ピンクのキリンと、緑のサメ。

 いつでも引っ越せるよう最低限の物しかない狭苦しい部屋のベッド脇、秘密のおもちゃ箱の中身であるぬいぐるみを一つ手に取っては、レオはぐっすりと夜を越していた。
 秘密の共有者は、音速猿のソニックだけだった。彼は既に秘密のおもちゃ箱を覗き見、そして好きに扱える許可を貰っている。ピザ蟹が特に気に入っているらしく、レオがほかの二体のどちらかを抱き枕にしたら、ピザ蟹の背中のピザを寝床にすることもあった。

 そんな生活がひと月、ふた月、み月と過ぎ去るとおもちゃ箱の中身に慣れ、もうひとつ増やしてもいいかもしれないと思い始めるものである。
 レオの最近の日課は、空いた時間におもちゃ屋や雑貨屋を回ることだった。


 十九歳男子が抱っこできるほどの大きさとなると思いのほか値が張る。

 何件も店を回って気づいたのはそういうことだった。手乗りサイズやキーホルダーなら気軽に買えそうなかわいいものもあったが、レオは抱き枕としてぬいぐるみが欲しいので、最低限、両腕で抱けるものが良かったのだ。人を食ったりせず呪物でもなく愚痴も言わない、ただの人間用の大きめのぬいぐるみ、これが中々高かった。
 流行の曲がかかっている人類用の雑貨店で、ちょっといいなと思ったぬいぐるみも、値札を確認していくうちに「いま買わなくっても……家に三体もいるもんな……」と迷った末に踵を返すという優柔不断を繰り返させていた。そう、べつにものすごく欲しいってわけじゃない。だってもうぬいぐるみが三つもあるんだから……それ以上は本当はいらないんじゃないのか?
 レオは初めて物欲の対象となっているぬいぐるみに対して、随分慎重に向き合っていた。それに、いくら全て貰い物と言えど、ぬいぐるみの値が張るのを知ってしまったら今ある三体を大事にしようという気持ちも深くなる。だから、ほんとに、わざわざ買わなくても……
 そうだ。ウン。今まで通り、今あるものを大事にしていこう。そうしよう。よく考えれば、そんなに欲しくないかもしれない、そのうち発売されるはずのゲームソフトの方が、よっぽど。
 でもなあ。
 
 そうやってずっとウダウダ考えていたのが良くなかったのだろう。

 レオの家は何度目かの喪失を迎えた。もちろん出迎えたくはなかったのだが、厄災はスキップして無差別にアパートを破壊していった。インターホンの代わりに火炎放射器を食らったようなものだ。レオの家は酔っ払った異界人の鼻歌のせいで消し炭になった。

 好きになったぬいぐるみなど跡形も残らない。……灰微塵にはなったが。





「レオナルド?」
 
 クラウスはびっくりした。朝いちばん、事務所に出勤したと思ったのに、執務室のソファで誰より早くレオナルドが寝転がっていたからだ。
 寝転がっているというよりは、ソファの上で蹲っている。手足を短く折り畳んで、猫のように丸まっている。癖毛が常以上にぴょこぴょこと跳ね飛び、それだけでなく服も煤けているようだった。漂う香りは焦げたもの。
 傍らには荷物のひとつもない。
「坊ちゃま」
 スマホを操作していたギルベルトが気遣わしげに言った。「どうやら、レオナルドさんの家が、昨夜」その先は言葉にしてもらわなくとも想像に容易かった。燃えたか、爆発したか。既に諸々の手続きを始めているのだろう優秀な執事に惨事のことは任せて、クラウスはそっとレオのそばに跪いた。
「レオ、大丈夫かね。怪我は?」――どうして仮眠室や、ツェッドの部屋に行かなかったのだろう。彼が住まいを不当に理不尽に追い出されるのはこれで何回目だったか、とにかくそういう時は、すぐに事務所に世話になりに来て、ツェッドが加入してからは彼の部屋のソファで寝ているようだったのに。
 むずり、暗い色の癖毛頭が持ち上がって糸目を露わにさせた。
 目の端には涙の跡が乾いて皮膚を突っ張らせている。
 顔色も悪い。一晩寝ていないのがありありと分かった。
 これは相当、落ち込んでいる。昨日のレオが昼はライブラ、夜はバイトだと言っていたことを思い出し、一日疲れて帰ったら家がなくなっていた時の彼の心情を慮ったクラウスは、注意深くこの不運な部下へと手を伸ばした。
「レオ。せめてベッドで眠りなさい。このままでは体に良くない」
「ぼ……
 ひび割れた唇が何事かを紡ごうと開き、クラウスの伸ばした手をぎゅうと掴んだ。
 体温が低めのかさかさした小さな手が、そのまま、クラウスの腕に抱き縋る。

「ぼくの、ぼくのかわいい、熊さん」

 マイスウィート・テディベア。

 八割がた夢見心地。
 妙に子供っぽく、舌足らずにそう言った彼は、残りの二割もやがて完全に夢に満たされたらしい。クラウスの腕に抱きついたまま、くうくう寝息を立て始めた。クラウスは眼鏡越しの光景を見届けて、ぱちりと瞬きをした。
 
 ぼくのかわいい熊さん。

……私がかっ?」
 珍しく、上擦った頓狂な声が紳士の喉から飛び出した。

  

「ウワッびっくりした。どうしたんだい、それ」
「彼の家が……
「OK」スティーブンは眉を下げて手を払った。“災難だったな”レオナルドの家がなくなるのにも、そろそろ慣れてくる故のあしらい方だ。
 いつもの時間に出勤してきたスティーブンは、鞄をデスクに置くと、すかさずコーヒーを差し入れてくれたギルベルトに丁寧に礼を言い、一息つく。それから、デスク前に立ったまま「慰めてる途中にでも寝落ちたのか?」と顎をしゃくった。
 顎で示されたレオナルドは、ソファに座ったクラウスの胴に抱きつき、膝枕ですやすや眠っている。
 クラウスはあれから何とか体勢を変えたはいいものの、気持ちよさげに眠ったまま起きないレオナルドを気遣い、ひっそりとソファに身を預けていた。
「いや、声をかけたらこうなった」
「不思議だなあ。少年が九歳くらいに見える。むしろ宗教画か?」
「スティーブン、昨夜はよく眠れたかね」
「七時間は寝たよ。ぐっすり」
 では目がおかしくなったわけではないようだ、クラウスは大真面目に思った。
 しかしまあ、彼の言いたいことも、なんとなく分かる。普段、自分たちより身長が低いとは言え、レオはあまりに普通に健全で元気でたまにひどく落ち込み、そうやってあちこち駆け回る青少年だったため、こうして寝られると十代の幼さがハッとするほど際立つのだった。血生臭い戦闘員からすると、無防備な寝姿ほど堪らないものはない。ひとを殴り殺す強さを持つボスと、決してひとを傷つけない強さを持つ少年、そりゃ宗教画にも見えるだろう。
「レオがここに来たのは昨夜、日付が変わる前だ」アムギーネの稼働記録がそう示していた。「私が来た時には夢現で、ぼんやりしていた」そう。だからだと思う。疲労困憊で意識が朦朧としていたんだろう。人間は極限状態になると意味のない譫言を放ったりする。「なあスティーブン、私はそんなに熊に似ているだろうか」
「なんだ急に。熊?」訝しんだ副官は歩み寄ってくると、斜め前にある一人掛けソファに腰かけた。「動物にたとえるなら、そうかもね。種類によるんじゃないか」
「テディベア」
「何って?」
「テディベアだ。種類はテディベア。しかもかわいい。“スウィート”」
……あー、ちょっと待ってそれって図鑑に載ってる? 生憎僕は動物学者じゃないから、調べてみないと、きみに似てるかどうか……あーちょっと……駄目だな」
 スティーブンは鼻を押さえた。濃紺の垂れ目は心なしか、更に垂れている気がする。
「駄目だ冷静にいようと頑張ったんだけど。無理らしい。笑い転げたいな」
「レオが起きてしまう」
「分かった分かった、OK、OKだよ」ず、と顔に当てた手から鼻を啜る音がする。スティーブンは昔から、笑いを堪えようとしたり体温や脈拍が急激に上がったりすると、真っ先に鼻が緩む体質だった。もちろん、気が緩んでいる時にしか発症しないし、実際には鼻水が出ているかどうかも怪しいが、クラウスがよく見る癖である。
 クラウスもつい、つられて口許が緩んだ。自分でもおかしなことを訊いた自覚があるし、おかしな会話をした感覚がある。膝元のレオが起きていたら震えあがりそうな笑みをすぐに引っ込めて、鼻の下を押さえているスティーブンに言った。
「寝惚けていたんだろう、レオが私のことを『マイスウィート・テディベア』と。彼はテディベアが好きだったのかな。知らなかった」
「へえ。ちょっと待ってな。鼻水が止まらない」
「ティッシュを取ろうか」
「動けないだろう。俺が取る。あっすみませんギルベルトさん……」席を立つまでもなく、すっと横から手渡されたティッシュ箱を抱え座り直したスティーブンは、鼻をかんで傍らのゴミ箱に捨てると「こりゃたまげた」と笑った。「台詞と恰好が完全にカップルだ。寝惚けて? きみを? テディベア? あはは、リボンは貰ってないの?」
「スティーブン」
 クラウスも癖で、大して痛みを発していない胃を守るように巨躯を縮めた。レオナルドの頬がクラウスの腹筋で潰れる。「からかわないでくれ。私はそんなかわいいものじゃない」
「レオにはそう見えたんだろう。かわいいテディベア。あはは、あー。いいんじゃないかな」
「レオも寝不足で目が霞んでいたに違いない」
「ジョークか? ま、そーいうこともあるだろうな」神々の義眼は脳と直結しているし、夢現の幻も見たりするだろう。「しかし意外だな。僕もこいつが熊のぬいぐるみを好きだとは思わなかった。食とゲーム以外に趣味はないのかと、てっきり」
「私もだ。……そういえば、以前、飲み会でぬいぐるみを貰っていた」
「どんな? テディベア?」
「いや、魚に似ていたと思う。緑色の……何か」
「緑色の何かの魚か」
 スティーブンはポケットから端末を取り出すと、何やら操作し始めた。まさか魚の種類でも検索しているのかと思ったら、「ああ」と合点がいったように頷く。
「何か発見を?」
「うん。これは発見だ。いま少年のGPSの履歴を見ていたんだけれど」
「ぷ、プライバシーが」
「緊急事態だ、構わんだろう」とは言いつつ、完全に面白がっている声音だった。「レオの新居が決まったら、ぬいぐるみのひとつでも贈ったらどうかな。でかいテディベアをさ」
「そんなにぬいぐるみが好きなのかね」
「たぶん。ここずっと、何件も雑貨屋なんかを回ってる。きみを見間違えたんだ、よっぽどだろう。ところでクラウス」
 端末から顔と手を上げ、人差し指をボスの下腹と膝の間に向けた。
「きみのかわいい持ち主が圧死しそうだぞ」
 ……そういうことはもっと早く言ってほしい。


 目覚めたレオナルドは顔の怖いボスに自分が何を言ったのか覚えてないようだった。スティーブンが完全に傍観を楽しんでいるのをひしひしと感じながら、スーツ汚してないですか俺、大丈夫ですかと慌てているレオを、クラウスは落ち着いて宥めていった。朝のちょっとした平和な出来事は平和に終わり、家をなくした少年は前例通り、事務所にしばらく寝泊まりすることが決定した。

 
 中々条件の良い物件が見つからず、三日が過ぎ、四日目になったあたりでスティーブンが笑んだ。

 この笑みは楽しいからとか面白いからとか、そういう前向きな笑みではなく、怒りの手前、何かを案じる気持ちの表れであることを知っているクラウスは、胃が痛くなる思いがした。なぜなら、自分も案じているからだ。

 事務所で寝泊まりしているレオナルド・ウォッチの顔色が悪い。
 
 目の下に隈ができていることから、原因は寝不足だろうと判断している。彼のバイトはそう遅くまでかからないし、ツェッドの言では寝る前にツェッドと少しお喋りをしたり遊んだりはするものの、日付が変わる前には仮眠室に行くそうで、ザップに夜遊びにつき合わされているわけでもない。GPSも、夜中は大人しく事務所内を示している。ならばなぜ隈ができるのか? 寝ていないからにほかならない。

 一日目も二日目も三日目も、クラウスが事務所に出勤すると既に起き出していたレオが人懐こい笑みで出迎えてくれていた。次にスティーブンが出勤しても同じ反応。よく眠れたかい、質問に、はい、と答えられる。そうして四日目。クラウスが執務室を訪れると、少年はぼうっとした様子でソファに座っており、反応も鈍かった。続いてスティーブンの出勤。少年、昨日はよく眠れたかい。はい。笑み。

「いま『はい』と言ったか?」

 クラウスがどう表情筋を駆使してもできない笑みを浮かべたスティーブンは、通勤鞄をテーブルに置き、クラウスとレオの横、つまりレオを真ん中に挟む形でソファに座った。斜めや正面ではないのは意図的な圧迫だろう。親密感と合わさり、正面から問い質すよりも効果が出る場合がある。
「もう一度訊くよ。昨日は……いや、この四日間、満足に眠れているのか? 少年」
……
 ここではいと答えるほど、ぼんやりはしていないようだった。「まずい」と顔いっぱいで表現した大変素直な部下は、助けを求めるようにクラウスを見てくる。
 だが見上げた先も結局、クラウスの心配顔だったので観念したのだろう、レオは「いいえ」と答えた。
「その、じ、実はあんまり……眠れてなくって。仕事に支障をきたす前に、はい、なんとかしようとは……
「何か不安事? それとも悪夢? 仮眠室は寒いかい」
「全然! 仮眠室めっちゃ快適っす! ネット回線いいし。あっ、ゲームとか夜更かしで寝れてないわけじゃないですよ、断じて! そもゲーム自体だって灰になっ……灰に……へへ」
 めっそり。泣きかけたのを奇妙な笑いで誤魔化すのは彼の癖だった。
 クラウスは明確に胃が痛くなった。たぶんだが、大声を上げて泣かれた方がマシだと思っている。クラウスも、そしておそらくスティーブンも。しかしこういう時、それをおくびにも出さないのが副官だ。
「夜更かしのお供もないのに、なぜ寝不足に? きみにいざという時倒れられると困る」
……笑いませんか」
 覚悟を決めた言い方だった。クラウスとスティーブンは顔を見合わせ、崖に挟まれている谷のようなレオナルドを見下ろした。「笑わないよ」「誓おう」

 レオはぎゅっと更に身を縮めて呟いた。

「どうやらぬいぐるみを抱いてないと眠れないらしいんです、俺。ちょっとは眠れるけど。でも浅くて。落ち着かなくて」
 早口で続ける。
「でかめの気に入ってたぬいぐるみ、全部灰になっちゃったんす。新しいの買おうかずっと迷ってたのが罪だったんすかね、ぬいぐるみの神に見放されたのかも……すいません。家見つかったら、もう迷わず買って、大事にして、即ぐっすりグンナイするので……

 頭頂部と毛先で暗色の色味が違うつむじを見下ろしていた二人の頭の中では、四日前の平和な朝の出来事が思い起こされ、再度、濃紺と浅緑の視線を交わし合った。“スウィート・テディベアになってやったら?”“私はぬいぐるみではない”“大真面目に返すなよ。笑っちまうだろ”
「やっぱり、おかしいですよね。笑ってください」
 まさか義眼は視線に含まれた言葉も読み取るのか、それはないだろうが、げほん、スティーブンは咳払いをした。
「いや、全然。それ自体は、全然、おかしくないさ」
「それ自体?」
「えーと、ぬいぐるみが好きなんだろ? いいじゃないか。かわいいもんだ」
「子どもっぽくないすか?」
「大人になったら、子どもにはなれない。ぽいところは残してなんぼだと思うけどね。それに、大人でもぬいぐるみ好きなやつはいるだろ。なあクラウス」
「ああ。何かを好きになるのに年齢は関係ない」
……そっかあ。そうですよね」レオはほっとしたように息を吐いた。
 この告白に当人にしか分からない緊張や不安をもたらしたらしいレオは、強張っていた体を揉み解し脱力すると、両目を擦って欠伸を噛み殺した。「すんません、一気に眠気が……
 傾きかけた体を、スティーブンがさり気なく、クラウスの方へと押しやった。
「何もなければ、ブリーフィングの時間を少し遅らせてやるから、それまで仮眠するといい」
 にっこり。俯いて目をしょぼつかせていたレオは気づかなかっただろうが、クラウスはしかと自分の右腕(右脚とも言う)であり組織のアンダーボスであり一個人の友人である男、スティーブンの頬の傷が思い切り楽しそうに歪んだのに気がついた。
「でもおれ、何か抱いてないと……ぬいぐるみ挟んでないと、たぶんすぐ起きちゃうんです……
「心配ない。少年はどんなぬいぐるみが好きなんだ、ん? 教えてごらん」
 ぱしぱし、瞬くまつ毛の間を縫って、青い光がほのかに漏れる。むにゃりにゃり、呂律の怪しい舌が素直に答えていく。
「腕と、足で抱きつけるほど……おっきなやつで、そんで、かわいいのが好きっす」
「でっかいテディベアとかはどう。しかも、ぬくいぜ」
「さいこう」
 ――服越しでも、隣で密着すればクラウスの体温の高さを知るだろう。まどろみに身を任せかけているレオにとってそれはあんまり安眠材料だった。うとうととクラウスの腕に擦り寄り、体重を預けていく。
 クラウスはここで動いたり喋ったりしてはならない、と強く思った。思ったものの、これからスティーブンが言うであろう言葉を遮りたくて仕方なくもあった。端的に言えば、恥ずかしかったのだ。物理的に甘えてくるような素振りでくっついてくるレオも、それをなんだか穏やかに楽しんでいるらしいスティーブンにも、黙ってくっつかれているしかない自分にも、全てが気恥ずかしく、照れくさかった。これは慣れない触れ合いだろう、そんなようなことも思う。
「レオナルド、俺たちからきみにテディベアをやろう。きみよりでかくて、簡単に潰れなくて、頑丈。ぬくい。あと紅茶と若葉のいいにおいがする。強面だけど、きっときみは気に入る」
「ほんとっすか……? どこに……?」
「もう抱きしめてるだろ」
 レオは閉じたまつ毛を震わせると、ぼんやりとクラウスを見上げて、ほんとだ、と呟いた。
 抱きつき、眠る調子で言う。

「ぼくのかわいい熊さんだ」
 
 クラウスの耳たぶが赤毛との境目をなくすほど赤くなり、スティーブンは音もなく爆笑し鼻を押さえた。


 



 それからレオナルドの新居はすぐに決まり、上司二人から引っ越し祝いとしてレオの背丈ほどはある一匹のテディベアを貰った。
 おそろしく高価な贈り物だと義眼を使わなくとも分かったが、嬉しいという気持ちが上回りすぎて断ることはできなかった。だってとても、抱き枕に特化したかわいいぬいぐるみだったからだ。レオだけのテディベア。二人の目の前で堪え切れずぎゅうと抱きついたら、なぜか胃を押さえるクラウスと鼻を押さえるスティーブンに不思議な会話を成されたけれど、レオはとびきりの笑顔でお礼を叫んでいた。(「残念がるなよ、クラウス。初代テディベアはきみだよ」「私は人間だ。それに残念がってもいない」「やめろよ。笑っちまうって」)
 レオのベッド脇は秘密のおもちゃ箱ではなくなってしまったが、その代わり、大きな熊のぬいぐるみがひとつ、部屋の扉が開けられるのを待っている。
 レオはこれを、癒しの宝箱と名づけた。