さもゆ
2024-12-06 15:21:36
23448文字
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【ザプレオ】炎の腕

子ども時代の少年みたいなの(捏造過多)が出てくる話。
メインはザプレオです。氷の部屋の同軸なのでステクラも薄っすらあります。こちらを読んでいないと分からないところがあります。

2020.12.11 たまごのお粥pixiv投稿作品

 赤々と燃えている暖炉の火になんだかとても魅せられて。
 指で掴んでみたいと、思わず手を、燃える火に突き込んでいた。



炎の腕




 小さなレオナルド・ウォッチが泣いている。
 レオナルド・ウォッチはもともと小さいやつであるが、いまザップの視界で泣いているのはそのレオナルド・ウォッチよりも更に小さいやつだった。小さいというより。――幼い。
「ンだよ陰毛、今度はおめえがかかったんか」
 通勤の足にされたせいでザップと共にライブラの扉を潜った本来非番の、普通に小さい方のレオナルドが、そう言ったザップの隣で息を呑む気配がした。

 二人して足を踏み入れた執務室、談話スペースのソファで、糸目の少年がめそめそと密集したまつ毛を濡らしている。隣に座るツェッドがそっと頬にハンカチを押し当てている。

 既に周りに集まっていた大人たちが一斉にザップの隣、ライブラの構成員であるレオナルドに視線を向ける。ザップも倣うように隣を見下ろした。
「三、四歳くらいか? あれ。今と変わんなくね?」
「いやあれは……六歳ぐらいじゃないすかね。はっ倒しますよ」
 よく見てくださいよ、目ん玉大丈夫すか。生意気なことを抜かす後輩を、いつまでもそこに佇むわけにもいかないので足を進めながら小突き言う。一番大丈夫じゃねえ目ん玉してるくせに、ひとの目ん玉心配してんじゃねーよ。心配したんじゃないです、馬鹿にしたんです。あー? かち割るぞ。それに俺はおめえの陰毛が今と変わんねえって言ったんだよ。せめて頭つけてくださいよ! 子どもの前で陰毛とかやめて! カマトトぶってんなよレオナルドくん、それともあれか? あんくらいの歳じゃまだ生えてねーってか? ……更に開きかけたレオナルドの口から反論が飛ぶ前に、ぴしゃりと制止がソファから飛んできた。
「そこまでだお前たち」
 レオナルドにそっくりな泣いている子どもの前で、膝を折って様子を窺っていたスターフェイズが、立ち上がりつつ言った。
「僕らが事務所に来たときには、既にこの子が泣いていてね。少年本人かとも思ったが、まあ、この間と同じ現象と結びつけるのが手っ取り早いだろう」
 この間、を思い出したのか、子どもの傍に恐る恐る寄ったレオナルドが音もなく硬直した。
 つい一週間ほど前、事務所にはスターフェイズとそっくりな子どもが部屋を氷漬けにしていた。HLで最近流行の現象、幼少時代の自分とそっくりな存在が現れて、子どものときに叶えられなかった願いを叶えてもらいにくるそれは、ザップとレオナルドが関与しない間に解決していた。子どもが現れた次の日にはもう子どもの存在はなく、ライブラ番頭のスターフェイズが、いつも通りデスクで仕事をしていて、おそらく願い事を叶えることに尽力したであろうクラウスもいつも通り穏やかに過ごしていたので、若者たちは必要以上に事を訊きだそうとはしなかったのだ。ただ、あの冷たく無愛想で凶暴な子どものスターフェイズは、一体何を望んで叶えられないままああして大人になったのだろう、そういう会話を昼時に若者三人で交わした程度の、それくらいの事件である。
「チェインに追加で調べてもらった情報によると、いま特に流行っているだけで現象自体は前々からちらほら確認されていたらしい。やっぱり謎が多くてな。子どもは何なのか、どこから来たのか、害はないのか。まあ、害がないから放っとかれてるんだろうが。謎は謎のまま、HLの七不思議ぐらいにでも思っときゃいいさ」
 七つぐらいで収まる不思議じゃないでしょう、ここ。レオナルドが冷静にぼそりと突っ込む。
 スターフェイズは違いないと頷き、がりがりと癖毛を掻きつつ続ける。
「解決方法が分かっているだけマシだろう? で、だ。この子どもを認めてからいまのいままで、僕たちはなんとか懐柔しようとした」
「懐柔」
「きみのことだからまずは食事でも与えときゃ泣き止むくらいはするんじゃなかろうかと。菓子やジュースまで」
 見れば、テーブルの上にはギルベルト手製のクッキーやサンドイッチまで乗っている。
「でも、駄目だった」スターフェイズは悲しそうに言った。「菓子は望みのものじゃないらしい」
「言い方」レオナルドが目を剥いて果敢にも抗議した。「めっちゃ馬鹿な子ども時代だったと思われてます?」
「普通の子ども時代だったんじゃないかとは思ってるよ」
 それはザップも思っている。少なくとも、襤褸切れを纏い血だらけになりながら刃を振るっていたスターフェイズや、思い出したくもない自分の記憶の中の子ども時代とは、かけ離れた印象がある。そして実際、その印象通りだろう。
「菓子は嫌いか?」
「いえ、好きっすけど」
「でも食わないんだ」
 ザップは先ほどのスターフェイズの悲しそうな態度は演技だろうと思っていたが、そうでもないのかもしれないと妙に苦笑しそうになった。案外と、途方に暮れているらしい。この氷の男が。
「旦那は何してるんです」
 子どもから一番離れたソファに腰かけ、そわそわと汗を飛ばしているボスを見て訊くと、彼は子どもを気にかけながら控えめに低音を紡いだ。
「その、怖がられてしまって。どうにも私では」
「すんません」レオナルドが即座に謝った。
「いいや、致し方ないことだ。よくあることだよ、どうか気にしないでほしい」
「いや、違うんす。俺、特にチビだったから。あんまり大きな人はそれだけでちょっとやっぱ怖くて……いまは違いますからね! 俺ほんとクラウスさんにマジでめちゃくちゃ懐いてますからね!」
「む。ありがとう」嬉しそうに微笑んだ顔はやはり牙が目立って恐ろしいが。
 なるほど。ザップは冷静に次の案を口にした。
「姐さん呼べばいいじゃないっすか。一番任せられるでしょ、こーいうの」
 だよなあ、同意したスターフェイズがしかし言う。「彼女はいま別件で駆り出されてる。帰ってくるのは五日後だ」なるほど。ザップはまた思った。こりゃ途方に暮れるわけだ。
 子どもはこのやり取りの間もずっとしくしくめそめそ泣いている。十九歳のレオナルド・ウォッチよりも柔らかそうな癖毛を濡れた目尻に張りつかせて、小さな糸目から涙を流し続けている。まろい頬は赤く擦れ、ぽつりとついている鼻からは鼻水が出ており、隣に座るツェッドがティッシュで拭ってやっていた。
「で、魚類は何してンだ」
「涙を拭っています」
「見りゃ分かる」
「じゃあ訊かないでください」
「効果あるんか、それ」
「ないです」新しいティッシュを抜き取りながらきっぱり言い放った。足元のゴミ箱には濡れそぼったティッシュが小山になっている。「ですが、このままじゃ、水分が全部飛んでいってしまいそうでしょう」真剣だった。「こんなに小さいのに、こんなに泣いて。レオくんはよく泣く子ですけど、これじゃあ、萎んでしまいますよ」
 ザップの隣のレオナルドがうぐりと唸った。「なんだこの、とんでもねえ羞恥心。ツェッドさん、大丈夫ですよ。小さい子はいつだって泣く生き物なんす。放っといたって死にませんし、萎みませんよ」泣いている子どもが自分そっくりだからか、存外雑な声かけである。
「でも、何に泣いているんでしょうか。レオくん、心当たりは?」
「え? いや、そりゃ、子どものころに望んだものが、叶えられていないから、じゃないんですか」
「レオくんが望んで、いまも叶えられていないこととは?」
 ツェッドの質問に、その場の誰もが思い当たった節に表情を硬くした。
 ああ。ザップは今度こそ、本気で理解した。これは厄介だ。
 この後輩が、むかしに望んで、いまも望み続けていることと言えば、誰もが知っている。ひとつしかない。

「それは違うと思うよ」

 ザップの頭に衝撃が圧し掛かり、そのまま床に倒れ伏した。重くはないが頭に乗せるにしては軽くもない体重のチェインが、いつも通り、突然現れ銀髪をぐりぐりと踏み躙る。「てめェこの犬女」ザップは勢いよく振り払いながら上体を起こした。「そこに直りやがれ、今日こそは叩っ切る」慣れた脅迫に、チェインは涼しい顔して床に降り立ち、自分とほぼ同じ身長のレオナルドと(ただし彼女の靴底は暗器でも入っていそうなほどに厚い。レオナルドは知らないだろうが、実際は彼女の方が低いのだ)並んでその顔を覗き見た。
「ミシェーラちゃんのことなら、違うと思う。実際よく似た境遇の人が同じ現象に遇ってさ、話し聞きに行ったんだ。その人はお兄さんの耳をずっと治したいと願ってたんだけど。子どものために叶えた願いは、全然違うものだった。たぶん、他人のためじゃなくて、自分のためだけの望み事だよ。どう? レオ。何が欲しかったの?」
 心なしか、彼女の大きな紫紺の瞳が興味深げに煌めいている。
 全員が耳を澄ませているふうでもあった。みんな興味があるのだ。自分のせいとはいえ、単身この魔都HLに乗り込み、妹のために生活費を切り盛りし、戦えないくせにライブラで己の役割を精一杯こなそうとしている少年が、他人のためではなく、自分のために、何を望んでいたのか。
 全員から視線を受けたレオナルドは泣いている子どもに視線を移し、それから床に座るザップに目をやった。ザップは首こそ傾げなかったものの、あ? と思った。糸目はすぐに足元に逸らされる。
「わ、分かんないす」
 また全員が、これは嘘を吐いている、と分かった。それほどまでに分かりやすく、おそらくレオナルド本人も気づいて言っているだろう。自分は嘘を吐いていますと表情と揺れる手足で表した上で続けた。
「けど、たぶん、大丈夫です。あの、そいつ消す方法は、あの……誰かがそばにいてくれたら、そのうち消えていると思います。はい。なんで、俺があの、一緒にいるんで。今日休みだし。皆さん通常業務に戻ってください。どうぞ構わないでください……
 






 そばにいると言ったレオナルドは言葉通り、ソファに座ってただ子どものそばにいた。
 泣いている糸目をあやし、もう泣くなよと困り笑いを浮かべ、俺って俺が思ってる以上に泣き虫だったのかなあと小さな肩を叩いている。
 ザップはそれを奇妙な光景だと思って眺めていた。むしろ、薄ら寒くもある。どうしてそう思うのかはひとえに自分の何より信じられる本能がそう感じているからというほかないが、あの後輩はたとえ自分によく似ていたとしても、小さな子ども相手にああいうふうに接する輩だっただろうかと訝ったのだ。ああもわざとらしく、ぎこちない親切心を醸し出すようなやつだったか? 違う。
「ザップ。話聞いてるか」
 トン、スターフェイズがデスクを指で叩いて意識を向けさせた。
 ザップは鷹揚に頷いて見せた。
「聞いてましたよ。デノルバファミリーがやらしい動きしてんでしょう。で、俺とこいつが見張りに行く」共に呼びつけられたツェッドを指差す。
「うん。前半は聞いてたようだな」スターフェイズがやれやれと首を竦める。「見張りはツェッドだけだ。お前は事務所待機」
「は? なんでっすか」
「その方がいいだろうと判断したからだ。僕と、クラウスが。異論は?」
 有無は言わせない笑みを向けられてしまえば、ザップに異論を唱えることなど不可能に決まっている。イエッサー、仏頂面で頷いた。
 ツェッドがそれでは行ってきますと丁寧に言い、レオナルドにも声をかけてから執務室を出て行く。行ってらっしゃい、ツェッドさん。お気をつけて。姿が見えなくなるまで手を振っていたレオナルドが、また子どもに意識を戻す。
 それからザップもつまらなく怠い足を引きずってソファに戻ろうとすると、スターフェイズが見計らったかのようにザップと呼んだ。囁きに近いが、低い声音だ。
「はい?」
「お前の仕事は別にある。少年を見ていてほしい」
 珍しく、直截的な言い方。
 レオナルドに聞こえないように潜められた声に気づき、ザップは顔をしかめた。
「どっちのっすか」
「どっちもだ。俺からすりゃ、十代も六歳も少年には変わらん。どっちも子どもだろう」
「マジっすか」俺も三十代になればそんな感覚が備わるんだろうか。あ、でも、十九でも六でも陰毛頭は陰毛頭だけれど。「理由は?」
「十代は世界的に見ても子どもっていう認識が強いだろ。まだ体だって育ち切ってない。そこに理由が必要か?」
「そうじゃなくて。何歳をガキだと思うかの理由を訊いたんじゃなくてですね」
「ああ」スターフェイズは普段何を考えているか分からない濃紺の瞳を瞬かせた。この上司は、時折、こういうところがある。「見張りの理由か。クラウスとも話したんだが」
 反対側、デスクで仕事をしているクラウスに目を向け、頷き合ってからザップを見上げて言う。
「俺は少年を信頼しているが、あいつの全てを理解しているわけじゃない」
……はあ」いまいち分からない。「そんなん誰だってそうじゃないっすか?」
「あいつは俺の出来損ないに臆せず跪いたが」出来損ない――子どものスターフェイズ。「自分自身に対しても、そうするとは限らないよ」
 ザップはようやくスターフェイズが何を危惧しているのかを察した。「あいつがガキ殺そうって? アンタみたいにっすか? 有り得ねェでしょ」
「言っただろ。全てを理解しているわけじゃない。むしろ俺はレオナルドのことをよく分かっていないんだ。育ってきた環境が違いすぎる。お前もそうだろ?」
「それは、」
「けど、お前は俺より遥かに少年のことを理解している。気のせいか? あいつ、何か隠しているだろう。そこに暴力性がないとは言い切れないんだよ。こと自分自身に関してなら」
……」ザップは押し黙った。背後で子どもの泣き声がする。泣くなよ、という声も。声だけだ。まるで積極性のない、表面だけの慰め。「……まあ。何か隠してるっつーのは、間違いないと思いますケド」レオナルドは何かを隠している。
 何かではなく。子どもの望みだ。皆それに勘づいている。
「スターフェイズさんみたいに、自分が何を望んでたか、分かってない感じではねーでしょうね。ありゃ」
「俺だって一応分かってたさ。ただ間違ってただけで」
「何を叶えてもらったんです」
「子どもらしいこと」
「ママのおっぱい吸いたーいとか?」
「それは生存本能だろ」
 すげなく答えたスターフェイズは椅子の背もたれに体重をかけた。「クラウスが言ってたんだが。子どもってのは案外、みんな似たようなもんなのかもしれん」
「本気で言ってます? あのなよっちい陰毛チビと? 血だらけ凶悪小僧スティーブンさんが? 少なくとも俺ァあんなんじゃなかったっすよ。血だらけなのはアンタとお揃いでしたけどね」
「嫌なお揃いだ。そうじゃなくてだな。つまり、子どもは大体、寂しがりなんじゃないかってことだ」
……あのレオの膝を凍らしかけた凶悪小僧、寂しがってたんすか」
「お前結構アレ根に持ってるな? 俺じゃないけど。悪いと思ってるよ」
「旦那に寂しさ埋めてもらったんすか」
「言い方が嫌だな。子どもらしくな。当時の自分を分析すれば、確かに僕はあのころ、寂しいという感情が根底にあったような気がする。それをクラウスは気づかさせてくれた。いいやつだよ、ほんと」
「その称賛あとどれくらい続きます?」
「お望みとあらばいくらでも。時間のある時に」
 うへえ、ザップは舌を出す。スターフェイズは肩を竦めて話を戻した。
「レオは言っただろう。あの子どもが『そばに誰かいれば、そのうち消える』と。そのままの意味なら、誰かそばにいてほしい、ってのがあの子の叶えられなかった望みだ」
「そうっすね」
「そこに寂しさを見出すのは、俺やお前みたいに血塗れの子ども時代を送ってたって容易だろ。でも、彼は何かを隠している。子どもの本当の望みを。言えないということは、それ相応の望みってことだ。分かるか? 俺たちはあの子が何を仕出かすか予測できないんだ」
「だから見張ってろっつーことっスか」
 夜色の瞳を受け、ザップは月の瞳を眇めた。全体的に暗色の上司は疑い深く、用心深い。常に最悪な事態の更に深く、一筋の光も届かないような絶望に備えている。この配分は妥当と言えた。
 それに、ザップとてレオナルドのことを気にかけていないわけじゃない。気にしているか気にしていないかで言えばかなり気にしている。度胸もあるし、わりかし可愛げのある後輩で、自己犠牲を惜しまないところはメリットでもデメリットでもある。そんな後輩が、子どものころ、何を心から望んでいたのか。
 めちゃくちゃに気になる。
 それに、ひとの願いを探して叶えなければならない状況は億劫だが、面白そうでもある。
「分かりましたよ」
 ザップは答えたものの、見た目だけは怠そうに肩を丸めた。「つまり、今まで通り、俺の仕事はあいつの護衛ってことでしょ。ンなもん余裕っすわ。任せてください」
 スターフェイズは薄ら笑いを浮かべて言った。「護衛が必要な事態に、ならなきゃいいけどな」
 
 

「何話してたんすか?」
「スターフェイズさんがどれだけ旦那を好きかって話」
「え? 惚気られてたんすか?」
「やっぱお前もそう思うよな」
「まあ」三人掛けのソファ、隣にドカリと腰を下ろしたザップから、デスクのスターフェイズとクラウスに視線を移す。「あの二人は、なんか、特別って感じがします。惚気って表現がぴったし」
 それはライブラ内の周知の事実である。一週間前のスターフェイズの子ども事件で、より深くそう感じさせてくる。あの二人はお互いが「特別」だ。クラウスは公平で清廉潔白のように見えるが、その実誰かのためなら天秤を傾けることを厭わないし、血にだって染まる。人間らしい人間。決して神や悪徒にはならない。スターフェイズさんが守りたがるわけだ、ザップは思った。あの二人は光と闇なのだ。決して切り離せはしない。何せどこぞの神が言ったのだから、光あれと。それから、闇とに分けられた。
「そんで」
 ザップはレオナルド越しに子どもを顎でしゃくった。「まだ泣いてんのかよ、チビ陰毛頭は」
「陰毛頭じゃないっす」レオナルドが糸目をむっとさせる。「このころの僕の癖毛はね、まだふわふわですよ」
「陰毛にふわふわもごわごわもあるか。お前ったらアレな、マジでガキのころから変わんねえのな。そんなだったんか、六歳のとき」
 めそめそ、しくしく。幼いレオナルドはソファに大人しく座っているものの、相変わらず涙を零していた。ひっく、時折嗚咽が混じり、オレンジ色のパーカーを着ている小さな肩を揺らしていた。胸元は完全に伝い落ちた涙で濡れそぼり、裾の余っている長ズボンの太腿部分は小さな手がぎゅうと握っているせいで皺ついている。中々憐れな泣き姿だ。
「見た目はこんなだったと思いますけど」
 レオナルドはやっぱり、焦るでもなく慰めるでもなく、変に他人行儀に言った。
「でも、ここまで泣き虫じゃなかったっすよ。ほんとに」
「じゃあなんで泣いてんだ、そいつ」
「さあ。だから、叶えられてないからでしょ」
「何を?」
……ザップさん」観念したように声を落とす。「みんなが分かってることを、俺は分かっています。みんな、僕が嘘を吐いているって思ってるでしょう。こいつがなぜ泣いているのか、何を欲してるのか、俺が全部分かってるって気づいてる」クラウスやスターフェイズにも聞こえる声量で言う。「すみません。まだ。まだ確証はないんす。でも本当に、これだけは。こいつは皆さんが気にかけるほどのやつじゃないんですよ。大丈夫です。俺が見てますから。俺だけが……
 糸目を縁取るまつ毛が震えた。
「見てますから、ちゃんと。俺のことは、俺が一番よく知ってるんです」
 少し開いた瞼の隙間から、青い閃光が迸る。レオナルドが、レオナルドを知ることとなった代償、最低最悪、罪の証である神々の義眼。
 そう言えば、とザップは後輩の台詞を深読みするなどという面倒なことはせず、意識を子どもに逸らした。
 こいつの目玉はどうなっているのだろう。
 なぜか知る気にはなれなかった。なぜかも何も。だってこの子どもはレオナルドであってレオナルドではないからだ。偽物の、本当の目玉は、結局は偽物だ。
「なんでもいいけどよ」
 ザップは懐から葉巻とジッポを取り出した。
「そいつ泣き止ませろや。んで、ちょっと連れ出せ。俺に喫煙させろ」
 葉巻の吸い口を血法で切り落とし、ジッポを手の中で弄ぶ。いや、アンタが出てったらいいでしょ、そういうツッコミを容易く予想したザップは、しかし、予想に反して何も言ってこないレオナルドを意外に思って顔を向けた。
 軽く目を見張る。……お前、なんだよ、その顔。
 さっきまでへらりと笑ってさえいたレオナルドは、唇を真一文字に引き結んで顔色を悪くしている。
……おい、」
 どーした。訊こうとしたとき、その向こうから、涙に濡れた高めの声が飛んできた。

「それ、ライター?」
  
 レオナルドがハッとして後ろを振り返る。ザップはその身体をソファの背もたれに押しつけて彼の隣に身を乗り出した。
 あんなに泣いていた子どもが、涙を引っ込め、赤い鼻をぐずつかせながら、ザップを見ていた。
 正しくは、手に持つジッポを、だ。

「お前喋れんのか」
「うん」子どもは素直に頷いた。落ちきっていなかった左目の雫が、ぽろりと零れて終わる。「あのね、それ、ライター?」
 ザップは押しのけていたレオナルドが抵抗しようとするのを難なく血法で封じ込め、ギャーギャー喚く口までを覆った。なんだよお前、いまでもガキの声出せるんじゃねェの。それくらい、子どもの声はいまのレオナルドとよく似ている。もとが高い。
「おうよ。ジッポライター。手入れがちと面倒だがいい火が点くぜ」
「火がつくの?」
「そりゃな。見たことねェか?」
「ううん。あるよ」子どもは濡れたまつ毛を煌めかせて首を振る。糸目は鈍色に光るジッポに釘付けだった。「でも、見てみたい」
 おいおい、ザップは思った。まさかおめー、願いっつーのは煙草を喫ってみたかったとかじゃねェだろうな。
 酒も薬も煙も、体に悪いとかでよく小言を漏らしてくるくせに? ……まあいいだろう。子どもの要望はどうせ叶えなければならないのだし、こいつは普通の生身の人間ではないのだろうし。
「いいぜ。ジッポの火はな、ほかのに比べて強いんだ。揺らぎにくい。音もいいし。よく見て、よく聞けよ」
 そうしてザップが軽快に蓋を開けようとしたら。
 視界が回ってソファに引っ繰り返った。
 常に指のかさぶたに爪を立てるだけで伸びる血法が、力なく体に戻る。ザップの両目を掻き回し拘束を解いた張本人、レオナルドが駄目ですと叫んだ。
「絶対にやめてください!」
「てンめェ……喫煙させたくねェからって目玉回すかフツー……おえ」
「は? き、喫煙?」
「あ?」
 なんとか身を起こして、立ち上がってまで息巻いている糸目を見上げると、レオナルドはしまった、という顔をした。「そ……そうです、煙草なんて体に悪い。俺喫ってみたいなんて、一度も思ったことないっすよ。それは外れです」
「おい、」
「とにかく、子どもの前で煙草禁止。薬も酒も自重してください。下品なことも駄目っすからね」
「レオ、おい」
「けどさすがザップさんっすね、見てくださいよ、ほら、泣き止んでる。アンタ結構子どもの扱いうまいですよね」
「おい、レオナルド。おい」
「な、」一度唇を舐めて湿らす。「なんすか、ザップさん」
「なんなのお前。何を怯えてんだ」
「おびえ……てなんか、ないですよ、俺」
「鏡見てから言え。それとも、」手を伸ばして存外男の骨格をしている頬を鷲掴む。血の気が失せている。冷たい。「この熱さに気づいてから戯言抜かせ。怯えてない? どこがだ。顔面蒼白なくせしやがって」
「それは、ザップさん体温高いから」
 もう片方の手で尻ポケットを探り、吸血鬼対策の小さな鏡を突きつける。「見たかよ? どうだ」
……顔面蒼白です」
「だろ」
 鏡を仕舞い、手も離した。レオナルドは脱力してソファに座り直す。子どもは泣き止んでいたが、笑ってもいなかった。いまのレオナルドと同じように、不安そうな顔してまた大人しく縮こまっている。レオナルドが長く溜め息を吐き出した。「……とにかく。火を、点けないでください。お願いします。怯えてるんです、俺」
「何に。火に?」思いのほか素っ頓狂な声が出た。確かに、いまのやり取りを鑑みると、喫煙ではなくジッポの火に重点が置かれている。「野生動物でもあるまいし。お前火が怖かったのか? はァ? いまも?」
「そ、……そういうわけじゃ。火が怖かったら、ザップさんの隣にはいません」
「そーいうわけじゃねェんなら、どーいうわけだ」
「い、言いたくないっす」
 亀のように首を引っ込め俯いた。
 ザップが更に言葉を重ねようとしたところで、パンと手を打ち鳴らす音が場の空気を変えてしまう。乾いた音を生んだのは、いつの間にかそばに佇んでいた優秀な執事、ギルベルトだった。
 包帯の巻かれた顔で柔和に微笑む。
「せっかく泣き止まれたのです。お茶にしましょう、お三方」
 子どもが糸目を瞬かせて、一寸の後、ようやく嬉しそうに笑った。
 

 
 小さな手がフォークを使ってケーキを食べるのを、レオナルドは注意深く見つめていた。すっかり顔を洗って涙を引っ込めた子どもが、ぱくり、美味しそうにショートケーキを頬張る。それを見届けたあと、レオナルドもホッと息を吐いてサンドイッチを口に運んでいた。
 その様を見ていたザップは何回目かのなんだお前、というようなことをまた思う。この後輩は子どもに興味がないのではと思っていたが、どうやらそれは間違っていて、何やら不安がっているという認識の方が正しいように思われた。不安がっているというよりは、やはり、何か怯えているらしい。
 こいつのこういう怯え方はひどく分かりづらい。普段はギャーギャー泣くか喚くか震えるかするくせに、本当に時々、ただじっと耐え抜いてやり過ごす。ザップはそれで一度、彼の吹き飛ばされた指を見たことがあった。
「サンドイッチ美味い。ザップさんのせいで朝飯食いっぱぐれてたんです。ギルベルトさん、ありがとうございます!」
 スターフェイズやクラウスのデスクに軽めのお茶菓子を用意していたギルベルトは、にっこり笑って一礼を返した。その際、ザップとクラウスの視線がかち合う。ボスはずっとこちらの様子を気にしていたのだろう、新緑の瞳は一心に案じているものだった。次いでスターフェイズを見る。青みがかった黒目はデスク仕事に向いていたが、意識はボスと同じくこちらに向けられているのが分かった。レオナルドは気づいていないが、よほどこの秘蔵っ子を気にかけている気配だ。赤毛の偉丈夫と傷顔の伊達男、組織の二大頭がすっかり保護者の立ち位置とは笑える。
「ザップさん食べないんすか?」
「バカ食うに決まってんだろ。おら寄越せ献上しろ差し出せ」
「それ俺の分! やだぁこっちから取ってください!」
「どっから取ろうが俺のもんは俺のもんだろ」
「ぼくはお兄さんのもんなの?」
「ふっざけんでください食べ物はねえ皆平等に分け合うべきだって俺の信ずる食神様が――何だって?」
「ぼくはお兄さんのもんなの?」
「あっコラ待て、おい」レオナルドの制止を気にせず、ソファの後ろを回り込んでザップの膝元に来た子どもは、糸目をにこにこさせていた。「ザップさん」なぜかレオナルドが硬く呼んでくるも、ザップは目玉を掻き回してくる後輩よりよほど無害な子どもに向き合った。
 ふくふくした唇の端に生クリームがついている様はまさしく幼気な子どもである。
 ザップはそれを親指でごしりと拭ってやり、「そーだよ」と特に驕るでもなく言ってやった。
「俺はお前より先輩なの。だからお前は須らく俺のもんなんだよ」
「嘘言わねーでください!!」レオナルドが悲鳴を上げる。「そんな先輩はイヤだ第一位!!」
「ぼくはあなたのもん?」
「そーだって」まあ実際、こいつを間違いで拾って連れて来たのは、俺なんだから。拾い主的にはこの主張は合っているはずだ。
「そっかあ」
 子どもはくふくふと糸目で笑った。
「じゃあ、そばにいてくれる?」
「お? おー。いてやる」ザップはそう答えれば、もしかしたら、子どもが消えるかもしれないという打算を含めて頷いた。
「ぼくのこと、見ていてくれる?」
「見て? おう。ガキは見てなきゃ死んじまう生きもんだろ。見ててやる。まつ毛の本数だって数えてやろーか」
 くふくふくふ。子どもは頬と唇をもぞつかせ、我慢しきれないようにぎゅうとザップに抱きついてきた。
「ぼくお兄さんだいすき」
 ザップは隣のレオナルドを見た。ソファの上で逆エビになって悶え苦しんでいる。おもしろ。
 そしてまた子どもを見下ろした。
……おい。消えねーんだけど。願い叶えりゃ消えるんじゃねェのかよ」
……知らねーっすよォ……
「しっかしお前。大丈夫か? 妹いんだよな? いまも充分バカ素直だがガキのころコレってやべーだろ。総誘拐数なんぼ?」
「誘拐はされたことねーっす……それに、実際はそれより生意気でしたよ、ちゃんと……
 誘拐“は”。
「ほーん」
 前半は置いといて。後半、ということは、この子どもはそれだけ欲に素直にできているということだ。そばにいてほしい。見ていてほしい。それはレオナルドも分かっていた要求だ。いよいよスターフェイズの考えが正しいような気がしてくる。子どもは大体、寂しがり。
 けれど、レオナルドが。他人の家庭にとやかく言う権利はないが、レオナルドの家庭で、その性質はちぐはぐなものを感じる。そばにいてほしい? 見ていてほしい? 寂しいから? 揃った両親と、妹と助け合って生きてきた一端を、指が吹き飛ばされた件、ガミモヅ事件のときに強烈なまでに思い知らされた。到底、寂しい子ども時代など送っているようには見えない。
 とは言っても、ザップには、普通の家庭がどういうものかよく知りはしないので断言できないけれど。
 抱きついたままの子どもを引き剥がし、膝の上に座らせる。レオナルドから痛いほどの視線に刺されながら、真正面から謎多き子どもを検分した。子どもはふにふに笑っている。
「お前、寂しいの?」
 ザップが訊くと、子どもは素直に頷いた。
「うん。さびしい」
「やめてください」
「なんで? 六歳のレオナルド・ウォッチくんはなんで寂しかったわけ?」
「あのね、ぼくにはね、妹がいるんだけど、」
「ザップさん!!」
「黙ってろレオ」
 掴んできた腕を掴み返す。「何を隠したいか知りゃしねーが、今更だろ。お前、その目を見られること以上に恥ずかしいことなんてあるのかよ」
 酷な言い方だったが、レオナルドはそれでぐっと押し黙った。「……ありません」観念して座り直す。
 子どもに続きを促すと、当時のレオナルドが抱えていたらしい心情をたどたどしく語った。
「あのね、ぼくにはね、妹がいるんだ。足が不自由でね、まだ小さいから、体も弱いの。ぼくはね、妹のこと、かわいいって思うよ。守らなきゃって。でも、やっぱり、寂しいんだ。父さんも母さんも学校の行事には来てくれないし、妹に付きっきりだし、ぼくのこと、見てなくても大丈夫って思ってるみたい。そんなこと、ないのに。見てほしいもの、いっぱいあったのに。つまんなくて、すごくさびしかった」
 レオナルドが唇を噛み締める。
 ……腑に落ちかけた。レオナルドがなぜこの子どもを自分が見てそばにいると言ったくせに、積極性に欠けたのか。それはつまり、罪悪感や嫌悪によるものが大きいのだろう。彼は妹を一番に考え、行動し、そしてそれを周りも信じている。純然たる事実だ。レオナルド・ウォッチはミシェーラ・ウォッチを何よりも守りたい。
 けれど子どものころ、それもまだ十にも満たないうちに、それを一番に考え遂行し続けるなど無理な話である。子どもじみた寂しさや悲しみ、苛立ちなどはあって当然。別段、断罪するべきことではない。話を聞けば、それこそが普通の家庭だろうとザップもスターフェイズもクラウスも納得できる。
 腑に落ちかけたが、まだ落ちきってはいない。
 ここまで怯える必要は? 火を厭ったのはなぜだ?
「でもね、妹が見てくれたの」
 子どもが言った。
「寂しかったけど、ミシェーラが大きくなってからは、ミシェーラが一番ぼくのこと見てくれたよ。そばにいてくれたし、兄妹喧嘩なんてしょっちゅうだったけど、楽しかった。ぼくはやっぱり妹が大好きなんだ」
 だから、と悪戯っ子のように続ける。
「これは一番の願いじゃない。だってもう叶ってる願いだもの。さびしくない。ぼくはまだ消えてあげられない。残念だったね、白髪のお兄さん」
 ザップと顔色の悪いレオナルドは顔を見合わせた。
 意思疎通。アイコンタクト。“いいよな?”“もちろんです”「斗流血法――」ザップの指から赤い血とレオナルドの目から青い閃光が迸る。
 一次的に徒党を組んで生意気な子どもをふん縛ろうとした二人に、刹那、足と拳が飛んできた。



「いいかね、レオナルドくん。いかにきみ自身に似ていようと、生身でなかろうと、子どもに乱暴を働くのは良くない」
「はいクラウスさん」
「分かるぜザップ。クソ生意気なガキを見るとつい手や足が出そうになるのは。けど相手は本物じゃなくとも少年だ。加減しろ」
「アンタが言うんすかスターフェイズさん! こいつの膝凍らせたくせにィ! っつーかアンタは俺以上にバリバリの殺意向けて足技かけてたっしょチビスタフェさんによォ!」
「俺はいーんだよ。自分自身に似たガキなんだから。少年の膝は本当にすまんかったと思ってるって。俺じゃないけど。ごめんなレオ」
「えっ? いや、僕ほんとあれ全然気にしてないっすよ」
「気にしてないのが余計心にくるんだ。今度何か奢らせてくれ」
「や、やったあ。エッほんとに? 九丁目のこんこんちきストリートにできたパン屋さん行きたいっす」
「あの化かされ通りか。確かに少年ひとりじゃいいカモだ。いいよ、奢る」
「やったー!」
「レオナルドくん、私もご一緒しても?」
「もちろんっす! いつ行きます?」
「何ほのぼのしてんすかァ! 俺は!? ……いやンなこたァどーでもいいんすよ! このガキ! クソチビ陰毛頭、ぜんっぜんワケ分かんねェんすけど!? 謎解きとかは魚類にやらせましょーや。で、俺はデノルバファミリーを木端微塵にしに行く。適材適所です」
「でもお前、おチビくんに大好きって言われてたろ。そばにいてやれよ。適材適所だ」
「私もその方がいいと思う。彼はきみに懐いている」
「ハァアァアアン? っつったってねェ旦那、」
「うん。ぼく白髪のお兄さんだいすき」
「ウワアァアアアァ」
「だっれっが白髪だ! 気高い銀髪だわ! よく見ろや俺の頭は老けてっか!?」
「ううん。雪みたいできれい」
「ギャアァアァアァ」
「ウ゛ェッ吐き気が」
……阿鼻叫喚だな」
  
 子どもがあけすけな好意を振り撒くたびにレオナルドが床をのたくり、ザップが吐く真似をして居心地悪そうにしているのを、スターフェイズは顔には出さないがなんて面白いことになっているんだろうと思って眺め見下ろした。大分、面白いことになっている。自分にそっくりな子どもが出てきたときには殺意と敵意しか湧かなかったが、他人のこととなるとこんなにも面白い。だが当初の懸念を拭えたわけではない。
 血凍道で軽く縛めソファに拘束しているザップの横に臆せず座している子どもは、スターフェイズが最初見たあの泣き顔と変わらず、何を考えているのかちっとも分からなかった。いまはにこにこと機嫌よさそうにしているが、およそ血の通った人間らしさがない。自分のときは、子ども時代が子ども時代だったので、どんなに血の通ってなさが露呈しようがこれは自分だと思えたけれど、レオナルドだとそうはならない。自分たちの知っているレオナルド・ウォッチと幼少の姿を借りたこの子どもは全くの別物だと悪寒にも似たようなものを這い上がらせてくる。
 クラウスがあれに優しく接せたのが嘘みたいだ。スターフェイズは子どもへの警戒を内心高めていた。
 そして、この子どもを一番警戒しているのが、意外にも、レオナルド本人なのだ。
 やり取りを静観しているときにそれはよく分かった。速い鼓動。著しい冷や汗。瞬きの多い目。声の詰まり。会話内容。それはザップも気づいているだろう。彼は何をそんなに怯えているのか?
「少年」
 床に丸まり、どんな羞恥プレイを強いられてんだ俺はとめそめそしくしく泣いている部下を靴先で軽く小突くと、彼はころりとスターフェイズを見上げた。「なんですか、スティーブンさん」
「この子ども、そんなに怖いのか」
……
「僕のあの血みどろ凍傷クソ小僧よりも?」
 クラウスがスティーブン、と窘める。分かってるよクラウス。あれから、何度も説かれたが、それでも俺はあのガキをクソガキだと思ってるんだ。この認識は悪いけど変えられそうにない。
「スティーブンさんのは、」一週間前の出来事を容易に思い出したのか、素早く頷く。「確かにめちゃくちゃ怖かったっすけど。笑いながら、膝凍らせてきましたし」
「きみも案外根に持ってるな?」
「へへ、便乗っす。ほんとに、全然。パン屋でチャラにしてくれるんでしょ? 楽しみっす。……ええと、それで、でも、スティーブンさんのは……見た目から怖いのが分かってたじゃないですか。血だらけで、傷まみれで、しかもスティーブンさんとクラウスさんが喧嘩してるそばで、暗闇みたいに蹲ってて」
「それは、」怖いというより、子どもへの心配だろう。
「けど、俺のは」
 ザップの隣でにこにこと糸目を柔めている子どもへと目をやる。同じ糸目でも、レオナルドの方が遥かに感情豊かだ。
「普通の子なんすよ。普通とか異常とか、考えるとよく分かんなくなるけど。でも、普通の子だって、普通に恐ろしい。聞いたでしょ、僕はあのくらいのころ、ミシェーラがまだ二、三歳のころ、寂しくて寂しくて仕方がなかったんです。誰かに、見ていてほしかった。意識を向けてほしかった。確かに、親や俺がミシェーラの足のことで、上手いつき合い方が分かるまでは、俺はそーいうクソガキでした、ちゃんと。聖人君子ばりの心ばかり、妹に向けてきたわけじゃないんです」
……普通のことだろう、そんなのは」
「そうです」
 いま、レオナルドの細い目は、明らかに怖がっていた。瞼が痙攣し、密集したまつ毛が震えている。隙間から彼が最も忌み恐れている義眼の光がちかちかと溢れた。 
「だから、俺は。だから。それで……

 何事かを紡ごうとした震えるレオナルドの唇は、しかし、鳴り響いた着信音によってぴたりと閉ざされてしまった。音の出所は自分の端末、表示の名は――「ツェッドからだ」

 黙って聞いていたザップが楽しげにニヤリと笑った。 
「護衛が必要な事態じゃないっすかね、スターフェイズさん」

 
 




 ツェッドが見張っていたそばで急遽始まったデノルバファミリーと無死角集団との抗争は、ライブラの戦闘員と非番のレオナルドまでが駆り出される激戦となった。何せ無死角集団の方はその名の通り死角がなく、おまけに魔術蛾の大群まで混ざり、義眼による視界操作が必須の現場となったからだ。
 拳で吹き飛ばされる無法者どもに、氷で閉じ込められる死角のない輩、風で巻き上げられる蛾の大群、その全てを焼き払う炎、転送される視界。
 ザップの背には子どもが血法で巻きつけられていた。それを見たツェッドはあなた子どもをこんなところに連れてきてどうするつもりなんですかとえらく憤慨していたが、ザップは端的に、うるせーと黙らせた。誰もが分かっていることだ。
 普段、戦闘員ではないレオナルド・ウォッチを庇いながら最大限戦えるザップが、背中に小さな子どもを乗せて同じことができないなんて、あるわけがない。
 事実、その通りだった。子どもはライブラを出るときに「邪魔をしないから」「ぼくも連れていって」「お兄さんのそばがいい」「お願い」とこちらが子どもの望みを叶えなければいけない状況に上手く取り入る形でザップの背を陣取り、邪魔をしないと言った通り、大人しく負ぶわれていた。それに悲鳴を上げ断固拒否をレオナルドは示したが、一刻も早く現場に向かわなければならなかったので、その悲鳴は揉み消された。しかしレオナルドを少し離れたギルベルトの車に残し、既に始まっている戦闘に嬉々として飛び込んで行くザップのジャケットを、彼は掴んで呼んだ。
「ザップさん」
 それ以上言葉が出てこない様子だった。ザップの背中で、子どもがぎゅうとしがみついてくる。
 ザップも何も言わなかった。だって彼が何を言いたいのか、言えないのか、ひとつも分からなかったからだ。代わりに、不安そうに引きつっている頬を引っ張り、痛がったところで離してやった。ジャケットからも手が離れる。それから数秒、視線を交わして、ザップは戦闘に身を投じに行ったのである。

「うわぁ」
 血刃で斬り捨て、炎で焼くたび、子どもは感嘆の声を上げた。背中ごと振り回されることにも血飛沫が舞うことにも恐れない様子はやはりレオナルドからはかけ離れている。
 背中の重みは寒々しいものだった。
「お前さ、」
 ガキを乗せているからと目をつけてくる輩を片っ端から斬り捨てていく。
「一体、何を望んでんの。オニーサンに言ってみ? いまなら邪魔者もいねーしよ」
 襲いかかってくる敵より、肝心なことを隠したがるレオナルドの方が、よっぽどいまのザップにとって可愛げのない邪魔者だった。
「それはね、駄目なんだ」
「なんで」
「ぼくたち、そーいう存在だから」
「便利な言葉で片づけやがって。この間のチビ番頭とお友だちか? お?」
「彼ね、楽しそうだったね。ぼくたちはみんなもとは一緒だから、分かるんだ。いいなあって思ったよ。早くぼくの願いも叶えてほしい」
「だぁらその願い事が分かんねェんだっつの」
 血糸を周囲に張り巡らし、その輪から飛んで抜け出る。ジッポの蓋の開く音がキンと高く鳴り、業火が走った。「――七獄」瞬きより速く炎が煌めき膨れ上がる。敵の悲鳴は全て爆発に飲まれた。
……わぁ」
 また、子どもが感嘆の声を上げる。きれい。ザップの髪で隠れた耳にそんな言葉が聞こえた。「……ヒント、あげる」
 ザップは首を後ろへ向けた。
「あのね、本人が叶えられるような願いだったら、ぼくたちはわざわざ姿を現さないよ」
 スターフェイズの言葉が脳裏に蘇る。彼は自分の子どものころの願いを分かってはいたが、それは深層心理には届いていなかったらしい。
……レオも勘違いしてるって?」
「勘違いというより、レオナルド あのひとは、馬鹿なんだ」
 おいレオ。自分そっくりのガキに馬鹿呼ばわりされんのってどんな気分?
「あのひとはね、分かってる。子どものころ、何を考え、何を望み、何をしたか。何を叶えることができなかったか。逆に、何が叶ったか。……軽くトラウマになってるみたい。だから、恐れてる。あのひとはぼくの望みを分かっているけど、叶え方を悪いふうに捉えてるんだ。彼は、間違ってる」
「何を。叶え方を?」
「そう」
 お兄さん、炎のおにいさん。子どもが呼びながら、煌々と燃える炎に照らされ鈍く光る銀髪を引っ張った。
「ぼくを、見ていて。そばにいて。そうしたら……
 願いが叶って、ぼくは消えて、おしまいになるから。

 ザップさん、と仕事を終えたのか車からレオナルドが駆けてくる。
 ザップに負ぶわれ炎の近くにいる子どもを、彼はなぜか、やはり、怯えた眼差しで見つめていた。




 

 
 結局、争いの全てが終わったのは夜も更けたころだった。
 燻ぶる火の残骸やHLPD車のライト、電灯の明かりを白く反射する霧に紛れて、ライブラの構成員たちはそれぞれ撤退した。現地解散、報告者や始末書はまた明日というわけだ。
 レオナルドは子どもを伴って自分のおんぼろアパートに帰りたがったが、スターフェイズとクラウスがそれを許さなかった。上司二人は子どもを子ども扱いしてはいるものの、得体の知れない存在であることをきちんと危惧している。戦闘能力のない部下と二人きりにしておくことはとてもじゃないが了承できない。じゃあ、とレオナルドが言う。事務所に一緒に泊まります。何かあったらツェッドさんがいるし、それなら安心ですよね。ああ、それなら、と保護者二人は頷いた。
 ザップは戦闘を終え、その三人のやり取りを見届けてから女のところへ向かった。長めの戦闘でどうにも昂っていたし、シャワーを浴びて柔らかな体を抱きしめたかった。その通りに行動を起こし、愛人の甘いにおいのする髪に鼻を埋めながらベッドに寝転がって、少し眠った。二時間くらいだ。そして、パチリと目を覚ました。
 抱きしめ寝息を立てている彼女を起こさないようにベッドを降り、部屋を出て血法で鍵を締める。
 こういうことはよくある。眠るためだけに訪れて、目覚めたら出て行く。
 今回は意図的に目覚めたけれど。

 ザップはライブラに向かった。

 

 いかに秘密結社でもひとのいない場所を照らし続けるなんて電力の無駄遣いはしない。アムギーネを下り、目的の部屋まで行く道のりは、真っ暗闇と言っていいほどだった。もう何度も歩いている廊下だ、わざわざ明かりを手動で点けることもなく、ザップは大股で進んでいく。
 仮眠室の連なった廊下、全ての扉は閉じ、いくつか光が漏れ出ていた。気配を探る。目当てはド素人のガキと気配を消すこともしないチビ助だった。三つ先の部屋に、彼らはいた。
 ノックもせずに扉を開く。

「よォ、こんばんはクソ後輩。夜更かしは体によくねェぜ」

「ザ、」
 明かりの点いていない室内、ベッド前に跪いていたレオナルドが、見開いた義眼をこちらに向けた。「ザップさん、なんで」
 その手には燭台が握られていた。仮眠室に一本は置かれているものだ。丈夫で長持ち、いざというときの武器にもなる。きっちり火が点いている蝋燭は、半分以上、溶けていた。いつから握っていたままなのか、きっと一時間以上は経っているだろう。橙と青光りが混ざり合って影との輪郭を濃くしている。
 蒼白の顔に汗を滲ませているレオナルドの正面、ベッドには子どもが健やかな寝息を立てて眠っている。ザップは部屋の中に入り、ドアを後ろ手に閉め切った。
「何してんの、お前」
「こ、こっちの台詞です。なんでここに。愛人さんとこ行ったんじゃ」
「行ったよ。でも別に約束してたわけじゃねェ。先約を優先すんのは当たり前だろ」
「先約?」
「そいつ。そばにいてくださいザップ様~ってよ」
 レオナルドは明らかに絶句したのち、眉を寄せた。「お、俺が、『居てください』って言ったときは、居てくんなかったのに」
「的確に抉ってきやがる。どうした?」
「で、出てってください。おれ、寝ます。寝ますから」
「その危ねェもんこっちに寄越したらな」
「ただの蝋燭でしょ」
「ただの蝋燭握って何してんだっつの、お前はさ」
……」傾き、溶けた蝋がぼたりと床に落ちる。レオナルドは泣きそうな顔をした。「だって、燃やさないと」
「そのガキを?」
「はい」
 今度はザップが眉間に皺を刻む番だった。
「似つかわしくねェこと言うなよ。燃やす? お前が? なんで」
「それが、願いを……叶える方法だから」
……それ間違ってんぞ」
「そんなわけない、だって俺、」

「間違ってるよ」
 子どもがむくりと起き上がって言った。「間違ってる」

「お、起きてたの」
 義眼が二度瞬く。子どもは糸目を困らせて頷いた。
「実は、眠るって概念がないんだ」
「狸寝入り上手かったぜ、チビ助」
「体がしびしびする」小さな肩をぐるりと回して解している。
 レオナルドは愕然としていたが、また情けなく泣きそうに口を開いた。「グルだったんですか、ザップさんと、この子」
「なるほど、悪いふうに考えてんな? ちげーよ。たまたまだわ。ただ、てめェが何か仕出かすつもりなら、そろそろなんじゃねーかって来ただけだ」
「なんだよそれぇ……野生の勘すごすぎじゃんかぁ。一生叶わない……
 尻もちをついて脱力したレオナルドのそばに歩み寄り、握られた手から燭台を引っ手繰る。血法で本来の置き場所、サイドテーブルの隅に追いやると、俯く暗い髪色の頭を半ば強引に上げさせた。
「でだ、可愛いレオナルドチャン。いい加減教えてくれてもいーだろ、武器を殺人道具として使わねえオメーが、なんで灯具なんてなよっちいモンでガキ燃やそうとしてんだ。っつか蝋燭じゃ燃えるものなんざ限られてる。油撒かねえと無理」
「ううううるさいっ俺だって蝋燭はねェかなって思いましたよ! でも俺なりに一大決心してッ燃やして、やろうと……
 ザップは黙って糸目を見下ろした。すると蝋燭の照明範囲ギリギリで照らされている月の瞳が、黄金色にちりちりと輝いて、レオナルドを勝手に観念する気にさせたらしい。顔色の悪いまま、今朝からずっと堰き止めていたものを、つっかえつっかえ、吐き出していく。

「俺……子どものころ、すごく、寂しかったんです。両親はミシェーラに付きっきりで、ミシェーラはまだ泣くか寝るか食べるかしかできなくて、遠い病院まで行くなかを家で僕ひとり、留守番とかしょっちゅうでした」

「ああ」
 窺うように見上げてきたので、相槌を打ってやると、いくらか安堵したように続ける。

「でも、ミシェーラがちょっと大きくなってからは、寂しいなんてこと、一切なかった。彼女は、僕を、見てくれたし、僕も彼女を守ってやりたかった」――レオナルドを見てくれた妹の目は、兄のせいで見えなくなった。噛み締めた唇の歯型は、懺悔の印のように深く刻まれる。へこみが治りきる前に、けど、と言う。「……けど、その前。俺がまだ、寂しくて寂しくて堪らなかったころ。一度だけ。一度だけ……

 空より禍々しく澄み渡る青い光が、ザップを照らした。

「暖炉に、指を、突っ込んだんです。火が熱いってことは分かってた。火傷するかもしれないってことも。でも俺は、それをちゃんと分かった上で、燃える炎に右手を入れた。……構ってもらえるかもと、思って」

 六歳の小さなレオナルド・ウォッチが、冬の季節、暖かに燃える暖炉に指を差し入れる姿を想像してみる。
 部屋には足の動かない妹と、その妹を構い手助けする親。
 
「僕はびっくりしました。よく分からなかった。薪を焦がす赤と橙、黄色に白。その色を全部掴んでやろうと手を入れた、でもその瞬間の記憶がなくって。次には痛いって泣いてる僕と、びっくりして泣いてるミシェーラと、激怒しながら右手を急いで水に浸けてくれた母さんしか覚えてません。親父は家の前まで車を回してくれた。全治二週間。痕もないです」

 容易く想像できてしまった一家の、紛れもなくウォッチ家にとっては事件と言っていいほどの情景が、頭のなかで徐々に霧がかっていくのをザップは感じた。自分にとっては、所詮、スクリーンの向こう、ファンタジーが尽く現実となるこのHLよりも、映画みたいな出来事だ。

……んで、」
 まさかレオナルドはそのひどく子どもらしい過去についてザップに断罪されたいわけではないだろう、まだ聞かされていない答えを促した。
「ガキのお前が右手火傷したんと、このガキ燃やそうと長いこと蝋燭握ってだらだら怯えてたのと、なんの関係があンだよ。別に焼身自殺したかったわけじゃねえんだろ? しかも、『構われたかった』っつー願いも、叶ってねーか、それ」

「ぼくの、願いは」
 こっくり頷き、舌が縺れるのか、一旦口を閉ざし、開く。
……『炎が欲しい』」

「正解!」子どもが声を上げた。「なーんだ、やっぱり、ちゃんと分かってるんだね。燃やされちゃうかと思ってドキドキした」

……燃やそうと、思ってたよ。だってそうでもしなきゃ、炎が欲しいなんていう望み、叶えられないじゃないか」

「は?」
 ザップは何拍か遅れて間抜けた面を晒した。「何? ちょい待て、……いやサッパリ分かんねェ。いまの昔話とどう繋がれば『炎が欲しい』っちゅー望みが出てくるんだよ、意味分かんね。だってオメー、火に手ェ突っ込んで痛い目に遭ったんだろ? は? まさか……お前本格的にマゾヒ」

「違います」

「じゃあ何だってんだ」

……手を突っ込んだときのことは、よく、覚えてません。痛いって泣いてたから、めちゃくちゃ痛かったんだと思います」

「そりゃそーだわな」ザップとてカグツチをこの身に宿すまでは火傷で死にかけることなどザラだった。

「でも、それよりもっと、強烈に覚えてることが、感じたことがあって……。僕は構われたい、見ていてほしいと思って、自傷行為にも似たことを仕出かした。燃える暖炉に手を突っ込んだ。突っ込む前、手が炎に届く前、熱が皮膚を舐める直前、僕は強く……この炎を掴んでみたいと思った。綺麗だったんです。あの一瞬、僕は確かに寂しさを忘れました。目を奪われて、心から欲しいと思って……

 で、火傷を負って母さんからしこたま怒られました。
 レオナルドはそう言って口を閉ざした。

 ザップは考えることを放棄した。どうにも、レオナルドの行動理念がよく分からないままであり、そこを理解しようとするのはあんまり自分たちの過ごしてきた時間が違い過ぎることに気づいたからだ。ただ、六歳のレオナルド・ウォッチが寂しさのあまりわざと怪我をするような真似をして、そしてそのとき、炎の美しさに魅入られたことのみを、事実として受け止めれば良かった。ほかをとやかく言う筋合いはない。
「それがいまも叶ってないから、ガキが現れてまだ消えてねーってことか」
 数歩歩み寄り、ベッドの上、子どもの隣に腰かける。
 子どもはうんと頷いた。
「どう? レオナルド・ウォッチったら、馬鹿なひとでしょ?」
「ンなことは出会ったときから知ってる」
「おい」レオナルドは泣き声を上げた。「それ言うなら、僕をジョニー・ランディスと間違えたザップさんだって、ばかですからね……
「この部屋バカしかいねェな。でも一番のバカはお前だよ」
 ザップはぐいと子どもに腕をかけて引き寄せた。「えっ」糸目のまつ毛が驚きで震える。目は開かないのかもしれない、と思った。
「炎が欲しいっつー願いも、もう叶ってんだろ」
「えっ?」
 今度はレオナルドが床に座り込んだまま糸目の間に皺を寄せた。「んな馬鹿な。俺はたとえHLでも火を手にするなんてことは、一度も――

「言っただろ、俺のもんは俺のもんだって」

 血流操作をして体温を上げた。腕のなかの子どもがびくりと一瞬、硬直するも、すぐにその熱さに身を委ねて息を吐いた。レオナルド曰くのふわふわの癖毛を撫で擦ってやりながら、ザップは言う。

「よく聞けチビナルドくん。俺の血には炎が宿ってる。火の神、カグツチのな。この世のどんな火よりも苛烈で凶暴、優しさの欠片もねェ。おめーも見ただろ?」

「うん。綺麗だった。とっても」

「見る目があんな。あの火は俺のもんだ。俺が血反吐撒き散らしながら、必死で手に入れた。文字通り必ず死んだ」
 いや生きてるでしょ、レオナルドのツッコミ。
「そんでだ、偶然たまたま不運にも、俺はレオナルド・ウォッチをこの手で拾っちまったわけよ。拾いたくて拾ったわけじゃねェ、ただこいつが情けなくも俺に縋りついて連れてってくださいっつーからな、致し方なく拾ったわけ」
 いやいやアレ普通に僕のこと捨てようとしてましたよね、賭けの対象にしてましたよね、ぶつくさ。
「どういうことか分かるか? つまりだ。お前の欲しがった炎も、お前自身も、全ては俺のもんだってことだ。裏を返せば、お前はいつでも火とそばにいるってことになる。お分かり?」
 ……
「いや分かんねーよッ!?」レオナルドがとうとう叫んだ。
 ザップは歯向かってきそうな後輩の顔を足で踏んづけ、子どもの小さい手にジッポを握らせた。
「もうお前の願いは叶ってるだろ。炎の腕に抱き込まれるご感想は?」

 子どもが至極ご満悦に頬を緩めて、ジッポを手の中で弄った。
「最高! ありがとう、炎のお兄さん」

 そして蝋燭の明かりが揺らめく隙もなく。
 子どもはザップの腕のなかから忽然と消え去った。
 ジッポが床に落ち、金属音が鳴った。
 
 存外あっけない謎解きの達成感に、顔を踏みつけていた足をどかし、で? とザップはニヤリと笑う。

「十九歳のレオナルド・ウォッチくんも抱きしめてやろーか、炎のお兄さんが」

 レオナルドはジッポを拾い、ぐしぐしと顔を拭うとワッと叫んだ。

「うるせー! 燃えちまえ! いっそのこと燃やしてくれ俺を! 燃やせぇえ!」
 
 その顔は真っ赤に染まっている。蝋燭の火よりも赤く。炎そのものみたいに、熱そうに。
 ザップは丸ごと自分のものである後輩を、その腕を伸ばして掴み寄せてやった。