たっぷり一時間くらいは眠っただろうか。
次に目を覚ましたとき、そのひとがさっきの僕と同じことをしていた。
「
……お、起きた」
なんて言ってきたので、僕はさっきのそのひとと全く問いを繰り返す。
「何してるんです?」
「金色の、数えてた。ホントに同じなんだなァ」
分かりきったことを確かめて、一体何がしたいのか?
――きっと、『同じ』ってことを感じて安心したかったんじゃないだろうか。さっきの僕がそうだったってことは、きっとそのひとも同じはず。
「そりゃそうでしょう
……同じ体、なんですから」
「分かってるけどサ、あらためて実感したかっただけ」
「ふふ、ですよね」
言う間でもないことを言葉にするのも、ただただ心地良いからだ。他の誰か相手では絶対に有り得ない、『その手に全部預けて大丈夫』って信頼みたいなものが、勝手に心も体も緩ませる。
僕の髪を放したそのひとは、少しだけ体を離して尋ねてきた。
「今日はどうしよっか。もう少し寝る?」
「ん、
……それより、」
離れてしまったのが少しさみしい、やっぱり餓えてる、と感じた体の実感を追うように、そのひとの唇を軽くついばんでみる。欲しいのはこっち、という意志が伝わったのか、優しい声音が応えてくれた。
「今日はこっちが先か。いいヨ」
いつもの通り、そのひとは白い髪を引っ込めた。
同時に、昨夜その人の手で着せられていた青い学童服が、僕の体からそっと剥ぎ取られる。そのひとも寝間着を全部脱ぎ捨てて、抱きしめてくれた。素肌の温度も、相変わらず全く同じ。
背中を包んでくれる手のひらと、額から鼻先へ触れる唇と。そのひとはいつだって優しくて、絶対に僕を傷つけようとはしない。背中の手が離れて、代わりに僕の髪全体を長い指が梳いていく。
「
……懐かしいナ」
「この髪だった頃に戻りたい、ですか?」
「そう、だな
……微妙だなァ。戻っても、繰り返す気しかしないし。第一、戻っちまったらお前を抱いてやれないヨ」
少しだけ冗談めいた声音で笑って、そのひとが僕を抱えて半身を起こした。そのひとの胸に背を預けるこの姿勢が、僕はとても好きだって
……分かってるんだろう。だって『同じ』なんだから。
耳元に吐息の気配が近づく。柔らかい感触が縁をたどると、それだけで僕の体はぴくりと跳ねた。
「
……かわいい」
甘い笑みを含んだ声。過去の自分そのものの姿にそう言ってる胸中だけは、僕にはどう頑張っても分からないけど
……声音の甘さと、下腹を探る手がきもちよくて、僕の喉からも甘い音が鳴る
――元の世界の皆には絶対に言えない、知られたくもない、ないしょ話のような交わりが、今日もまた繰り返される。
ひたすら気持ちいいだけの時間が過ぎて、一度に食べて大丈夫な分だけギリギリ一杯食べつくして、どろどろになってしまった体をシャワーで洗われて。
体を預けて大丈夫だって確信してしまってから、僕はずっと甘えっぱなしだった。それでそのひとも喜んでいるんだからいいだろうって言い訳してるけど、こんな自堕落は生まれて初めてで、やっぱり少しだけ、後ろめたいような気持ちもある。
お義父さんが知ったら、怒鳴る程度じゃ済まないだろう。
でも、だったら、僕を一発ぶん殴る為でいいから、生き返ってくれないだろうか。今、僕の髪をドライヤーで乾かしているそのひとも、きっと同じことを考えているだろう。心に負うものが重すぎて、本来生きるべき場所に背を向けて、二人で閉じこもってお互いをなぐさめているだけなんて、
……どう考えたって良いことじゃないんだ。
だけど今の僕に、自分の願いの為に戦う力は、まだ戻っていなかった。元の世界の重圧の中で息ができるかといえば
――随分、心もとない。
万年床らしき布団の上に座ったまま、僕はドライヤーのごうごうという音と、そのひとの優しい手に髪を預けて目を閉じる。何かとても、凪いだ気持ちだ。
「
……こんなモンかな」
やがて、ぱちんとちいさな音がした。そのひとがドライヤーを切った音。そこを境目にして、辺りには静寂が戻ってくる。最後に軽くくしを通しておしまい、というのもいつも通りだったけど
――
「なァ、せっかくだし、髪編んでいい?」
「え?」
「考えてみたら、その長さから縮められないのって、だいぶ動きづらいよナって。今更だけど」
「別に、そんなに気にしてないですけど」
人間と違って、幽霊族の髪は武器でもある。結ったりしたら、髪の毛針を打つときにワンテンポ遅れが
……と考えたけど、今の僕はそもそも戦える状態じゃないし、と思えば。
「まあ
……やりたかったら、どうぞ」
「じゃア早速、と」
白い髪が棚に伸びる。鞭に似たその先がつかみ出したのは、とても丈夫そうなヘアゴムだ。新品ではないようだけど、そのひとが使ったていたものだろうか?
「髪、伸ばしてたこと、あったんですか?」
「うん、状況によってはネ。変装に元手が要らないって便利だよナ」
言いながら、何やら僕の髪をごそごそやっているのは分かるけど、当然ながら僕は見えない。でも指先の動きに迷いがないのは分かる。美容師見習いという自称を怪しまれない為に身につけた技術、なんだろう。
大人しく、されるがままになっておく。
「やっぱり、なァ。人間の髪じゃないナ」
「何が違うんですか?」
「一番は霊力だけど
……あと何だろ、生きてる感っていうか。中身が張り詰めてる感じ? 見た目はよーく似てるけど、別の生き物だなって触ると分かるヨ」
よく考えたら、僕は人間の髪にマトモに触れたことがない。それこそ、本当に小さかったときに、お義父さんの髪を引っ張ったくらいしか。
「そうそう、前に、バイトの付き合いで、美容室のカットモデルに連れてかれたことあってサ。地毛がバレてちょっとあわてたことあるヨ
……生まれつきそういう体質で、普段は染めてるってことにしてるんですーって言ったんだけど、やっぱりちょっと怪しまれちゃってネ」
「でも、人間に有り得ない色じゃないでしょう? 白髪って
……」
「色はそうなんだけど、やっぱり人間の白髪とは、何か感触が違うらしくてサ。霊力を一時的に髪から抜いて、はさみ通るようにしたけど、何と言うか素材がごまかせなくて
……きれいですねーこういうタイプの髪初めて見ましたーとか言われたけど、ヒヤヒヤものだったネ」
「触ると分かるんでしょうね、鋭いタチの人間なら余計に」
「そうそう。あと切って床に落ちた髪も、後始末大丈夫かなァって心配になったし
……霊力抜いてたお陰で大丈夫だったけど。でも僕ァそのあと一週間くらい、微妙に調子出なくて困ったヨ。髪の毛針の間合いがさァ」
「あーそうですよね、切った分だけ力の入れ方が変わっちゃうから
……」
幽霊族が一人で街で暮らすとなると、そういうところも考えなくちゃいけないのか
……と思ううちにも、そのひとの指は迷いなく進んでいく。動きからして、僕の後ろ髪をまとめて全部、三つ編みにしているらしい。
「霊力の流れを読める奴が、流れにそって切ってくれるんだったら、そんなに支障ないけど。人間の美容師だとそれ、できる奴とできない奴いるから」
「できる人間もいるんですか?」
「いる、少ないけど。五人に一人くらいかナ、無意識に合った形で切ってくれる奴がいるんだ。手の霊力を見ると分かるヨ、特に指先の霊力の動きが繊細な奴は、普通にカットも上手い」
「へー
……そうなんですね、知らなかった」
森で暮らしていたら、知りようのない話だ。
一応、僕が本当に小さかった頃に、お義父さんに連れられて床屋に行ったことはある。でもお義父さんの家を離れてからは、人間に髪を切られたことは一度もない。そもそも、今の僕みたいなことがない限り、髪の長さは自由に変えられる。だから敢えて切る必要は、そんなにない。
「美容師見習いを詐称してるからネ、それなりに観察した結果サ。
……よし、こんなんで、と」
僕の髪を端まで結い終わって、ヘアゴムで留めたそのひとは、とても満足そうにうなづいた。楽しかったんならいいけど、僕は首回りの風通しが変わって、ちょっとだけ落ち着かない。
「リボン、どれにする?」
気がつけば、そのひとの手元には三本のリボンがあった。どう見ても髪用じゃなくて、お菓子のラッピング用だと思うんだけど
――目に鮮やかな赤紫の一本と、つやつやと光沢のある青に水色のラインが入ったものと、白に銀のラメを散らしたもの。幅は全部一緒で、2cmあるかないか、くらいだ。
「いや別に、何でも
……ああ、けど」
三秒だけ考えて、僕は白いのを選んだ。正直どれでも大差ない気はしたけど、今の僕が一番身につけておきたい色は、白に銀を足したその色だと思ったから。
「ん」
そのひとは少しだけ照れたように笑った。
別に何も言わなくても、分かったんだろう。僕が選んだその一本は、そのひとの髪の色に一番近い、って。
僕の後ろ髪をまとめた三つ編みの先、ヘアゴムの上にリボンを巻いて、そのひとは小さく呟いた。
「ここにいる間は、僕が守るから」
髪を結うとは、武器を一つ封じるのに近い行いだ。
それが分かっているからこその一言だと理解して、何かくすぐったいような気持ちになって
――でも結局僕の口から出たのは、あまりにも単純な一言だった。
「
……うん。ありがとう」
窓の外は、相変わらずの曇り空。ほどけないよう、慎重に髪を動かして確かめた三つ編みの先
――揺れる白と銀色は確かに、そのひとの色にそっくりだった。
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波箱
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