薙屋のと
2024-11-27 17:52:40
1388文字
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冬の歌

もしくは芽吹の歌と温度の話

 ベッドの縁に腰掛けたミスルンの薄く開いた唇から、微かな旋律が溢れて室内に響く。よく言えば詩的な、悪く言えば回りくどいエルフの言葉で紡がれるそれは、カブルーが聴き取った限りではどうやら冬の歌のようだった。
 木枯らしが運ぶ冷たい空気、吐き出した白い吐息、葉の落ちた紅葉樹、その葉を踏む音だけがしんとした辺りに響いて、その肌寒さに恋した人の体温が恋しくなる。
 もの静かで寂しい冬の、叶わぬ恋の歌だった。
「綺麗な旋律ですけど、恋人の前で歌うのはいただけませんね」
 もしかして、寂しい思いをさせてますか?
 カブルーはベッドから起き上がると、ミスルンのすっかり冷えてしまった身体を抱き寄せて心地良い毛布の中に招き入れた。その余りの冷たさに、カブルーのハリのある褐色の肌がぞわりと粟立つ。熱を求める欲の無い恋人を温めてやろうと抱いた腕に力を込め、真っ白な頬を撫でた。細くて柔らかな銀糸の髪の向こう、真っ黒な瞳が瞬いた。
「昔、スルスハが舞台で歌っていた」
 それはこの人の、かつての想い人の名前だ。
 恋人との逢瀬中に、想い人から教わった寂しい恋の歌を口ずさむなんて。いただけないことこの上ない。余りのマナーの悪さを責めるよりも先に、思わず苦笑が溢れてしまった。いっそずっと歳下らしく、甘えて拗ねて見せるのもありだったかもしれない。
「好きな劇だったんですか?」
「劇の内容はどうでも良かったように思う。ただ、彼女を呼び寄せる口実が欲しかった」
 だから舞台の後、さっきの劇中の歌を教えてほしいと頼んだ。カナリア隊に配属された後、一人の夜によく口ずさんでいた。それを思い出した。
 そう告げるミスルンの細く柔らかな銀糸の髪を指に絡め、カブルーは自分が生まれるもっと前の、若く完璧な青年だった頃のミスルンの事を考えていた。
 暗く狭い船内で、ランプの灯りに照らされた相貌が遠い何処かに想いを馳せながら、寂しい恋の歌を奏でている。瞼の裏に、舞台で光を浴び情熱的な愛を語る美しき想い人を描きながら。遠くに波の音がさざめく冬の海。静謐な夜に響く、誰も聴く者の居ない――聴かせる事のない、囁くようなか細い歌声。
 それはなんて寂しくて、寒い世界だったことだろう。
 カブルーは体温を移してぬるくなった白い肌を搔き抱いた。暗く肌寒い迷宮で、彼の足を揉んだ事を思い出す。自分よりずっと細くて、冷たく凝り固まった真っ白で傷跡だらけの四肢。
「ミスルンさん、俺もあなたに歌を教えたいです。おぼえてくれますか?」
「うん」
「まあうろ覚えなんですけどね、好きな歌だったんですよ」
「うん」
 あたたかな毛布に二人で包まりながら、カブルーは記憶を辿り優しい母の声を思い出す。洗濯をしながら、料理をしながら、幼いカブルーを寝かし付けながら。とん、とん、と緩やかなリズムに合わせてミスルンの背を撫でる。すっかりと温まったその身体がカブルーの胸に猫のように擦り寄ってくる。このまま彼が眠ってしまうなら、それでも良いと思った。毛足の長いなめらかな毛布は居心地が良くて、きっと土の中で微睡む種もこんな気持ちなのかもしれない。寒くて厳しい季節は、あたたかな毛布に包まって幸せな思い出と体温を分けながら過ごそう。やがて巡り来るその季節の前に、彼に教え込んでしまおう。
 それはウタヤの、芽吹きの春の歌だった。