「
……僕は忘れないよ、絶対に」
眠りに落ちる前、小さく呟いた声はきっと君には届いていない。
それでも僕はそれを決して忘れないと心に誓う。
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激しい動悸と息苦しさを覚えて俺は飛び起きた。
目覚めたのは寂れた廃墟の中。寝床はかき集めた材料で設えた簡素なものだ。
割れた窓から見える世界は、相変わらず酷く荒廃している。
アスファルトの剥げたかつて大通りには、人影など全くない。
瓦礫の山が近くに遠くにいくつも積みあげられているばかりだ。
どこかから廃材が小さく軋む音が聞こえた。
酷い
——夢を見た。
夢に描かれたのはとある何でもない一日の思い出。
破滅の未来など微塵も感じさせないほど平和で活気づいた街には人々の笑顔があふれている。
穏やかで、賑やかで、平凡で
――故に残酷な夢。
そこで俺はいつものように仲間たちに囲まれていた。
……いや、彼らを俺の仲間と呼んでいいものか。
彼らは俺の友であり、だが決して俺を知ることはない。
俺は
——
俺は、彼らの友である『不動遊星』、その全てを複製した紛い物に過ぎないのだから。
「
——またあの夢、かい?」
薄暗い部屋の中で声がした。
「
……すまない、起こしてしまったか」
「いや、いいよ。僕も寝つけなかったからね」
そう言いながら、傍に寝ていた長身の男が身を起こす。
割れた窓から差し込む月明かりに照らされた、穏やかな表情の男。
俺の"現在の"友人であるジョニーだ。
「後悔、してるのかい?」
その問いになんと答えればいいのか。俺には分からなかった。
自分を捨て、過去の英雄たる男の姿を映す生きた鏡になることを選んだのは間違いなく俺自身だ。
覚悟はしていた、はずだった。あの頃はまさかこんな些細なことがこんなにも心を掻き乱すなんて考えてもいなかった。
俺の"記憶"として時折現れる夢。それは俺に刻み付けた『不動遊星』のデータから構築された幻想だ。
共に育ってきた幼馴染も、心を通わせた女性も、慕ってくれた若者たちも、すべては遙か遠い昔に失われている。
そのうえ、どんなに彼らへの思いは募れども、彼らの中心にいる男は『不動遊星』だ。それは俺であり、俺ではない。
自らの記憶。だが体験したことのない思い出。それはどんなに求めても決して手が届くことはない。
人生をかけたはずの覚悟が、たったそれだけのことで揺らいでしまうとは。
人類を救うというのはただの傲慢だったのだろうか?
何も言えずにぼんやりと思考を巡らせていると、ふいにジョニーが口を開いた。
「ひとつ、提案があるんだけど」
「なんだ?」
「遊星、君は『不動遊星』として生きるために自分の存在を捨てたんだったよね」
「
……ああ」
「僕は確かに"過去の英雄としての不動遊星"に憧れてはいた。そして、僕を救ってくれた君の力になりたいとも思った。だけど僕は
…僕は"過去の英雄"の友達じゃない。君の、今ここにいる"不動遊星として生きることを選んだ男"の友達なんだよ」
「
……」
「君は、君だ。葛藤はあるだろうけど、君の選択を恥じることも思い悩むこともない。少なくとも僕らに対しては、ね」
「ジョニー
……何が言いたい?」
「単刀直入に言うとね、僕や信頼できる仲間の前でくらい"不動遊星じゃない本当の君"でいてもいいんじゃないかな」
「何を
……」
「君は、君だ。遊星、いや
……」
「『ブルーノ』」
「!」
懐かしい響きだった。
もう、長いこと忘れていた響きだった。
「
……知っていたのか? 俺の、本当の名を
……」
「すまない。君の持っていた紙の写真を見た」
「ああ、あれか」
彼が言うのはあの写真だろう。
俺がまだ不動遊星になる前の、俺の姿を記録した唯一の写真。
データではなくあえて紙にプリントアウトした、ずっと持ち歩いている間にすっかりくたびれてしまったそれだ。
過去の持ち物は全て処分したが、それだけは捨てられなかった。
誓いを立てるようにわざわざ昔の名前まで記して
……
無様だな。自分を捨てる覚悟をしたというのに。
「だから教えてくれ、ブルーノ。君自身のこと。不動遊星なんかじゃない、あの写真に写っていた僕の友達のことを」
「ジョニー。君の言葉は嬉しい。だが
……」
「だが
……俺は『不動遊星』だ。『ブルーノ』という人間はもうこの世に存在しない」
そう言い切ったが、この言葉はあまり正確ではない。
存在しないのではなく、存在してはいけないのだ。この道を選択してしまった以上。
不動遊星の全てを自らに刻み込んだ弊害なのか、かつての自分自身を思い出そうとしても記憶は写真と同じくらいくたびれてしまっていた。
掴もうとしても掴めないほどに薄れたそれは、もはや自分の記憶とは呼べない代物に成り果てていた。
それこそあの悪夢の方がよほど鮮明なほどに。
……俺は、もう引返すことなどできない。
そしてそんな話をこんなにどうしようもない俺の、心優しい友人に伝えることなど出来はしない。
「いや、そんな
……ブルーノ!」
「遊星だ」
「ブル
……」
「遊星だと言っているだろう!」
つい声を荒らげてしまい、ハッとする。
「
……」
ジョニーはただ黙っていた。月が陰り、その表情は見えない。
俺にはあえてそれを見ようという勇気もなかった。
「俺は
……この時代に蘇り、この時代を生きる『不動遊星』だ」
それ以外の存在には、もう、なることができない。
しばしの沈黙が部屋に満ちた。
「
……すまない」
沈黙を破ったのはジョニーの絞り出すような声の
……謝罪だった。
「
……いや、気にしないでくれ。俺の方こそ心配をかけた」
なんとか笑顔を作って返したつもりだが、これは笑顔に見えていただろうか?
「じゃあ、お休み、ジョニー」
「お休み
……遊星」
静寂の中でまた、どこからか廃材が軋む音が聞こえた。
そして、俺は眠りについた。
その日を境に、俺は悪夢を見ることはなくなった。
正確には、もうあの夢を見ても悪夢だとうなされることはなくなった。
当然だ。俺は『不動遊星』なのだから。
ジョニーは、まるであの夜の会話はなかったかのように、これまでと変わらずに俺と接してくれていた。
世界を救うという大それた野望に休む暇はなく、忙殺されているうちに例の写真はどこかへ行ってしまった。
俺の中の、かつて俺だった『ブルーノ』という男の記憶や存在と共に。
——数十年後
——
(アンチノミー、アポリア分割体の双方の記憶には制限を掛けていた。シンクロ召喚の是非に意見を違える双方の衝突は想定内ではあるが
……)
Z-ONE
——人類最後の一人となった彼の眼前のモニターには、昨夜デッドヒートを繰り広げたアンチノミーとプラシドの記録映像が映っていた。
アンチノミーが海に投げ出されるまでを確認し、Z-ONEは渋い表情を浮かべていた。
イリアステルの末端が各所に配置している記録装置から得た情報によれば、アンチノミーは現在、セキュリティに保護されている。
今日の早朝、一般人に擬態した姿で浜辺に打ち上げられていたのが発見されたそうだ。
事故の影響か、運の悪いことにアンチノミーの記憶領域には障害が出ているらしい。
もしも不都合があればアンチノミーごとこの世界を切り捨てるまで、だ。どうせあれは紛い物なのだから。
(
……とはいえ、余裕のない中であまり資材を無駄にしたくもない。大きな支障を来たすことがなければこのまま計画を続行したいところだが
……)
モニターを現在の映像に切り替える。映っているのは病室の光景だ。
意識を取り戻したアンチノミーの視聴覚情報にアクセスしたのだが、どうやら今はセキュリティの人間と会話中らしい。
マイクを通じて、会話の一部がZ-ONEにも届く。
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「まさか記憶喪失とはなぁ。何か少しでも覚えていることはねぇのか?」
「覚えていること
……いえ、何も
……」
「せめて名前くらいわかりゃあ、身元特定のヒントにもなるんだが
……」
「
……名前? 名前
——大事な
……名前
……忘れちゃいけない
……あ、」
「『ブルーノ』?」
「ブルーノ? それがお前さんの名前か?」
「
……いえ、それもわからないですけど
……なんだか大事な名前のような気がして
……」
「そうか
……仕方ねぇ、なら便宜上そう呼ばせてもらうことにしよう。ブルーノ」
「
……はい!」
**********************************
一瞬、Z-ONEは奇妙な懐かしさを覚えた。
長く孤独な戦いを越えてきたZ-ONEはもう、かつての自分のことをほとんど記憶に留めていない。
特に名前や容姿のことは彼自身が捨て去ろうと努めたことも相まって、自身で記憶に鍵をかけてしまっていた。
Z-ONEは気づいていなかった。
アンチノミーに仮の姿を用意するときに、無意識のうちにかつての自身にほんの少しだけ似たシルエットになっていたことに。
彼に懐かしさもたらしたのは自身がとうに忘れてしまったはずの彼自身の名前だということに。
いつの間にかモニターの向こうの会話は終了していた。
大柄なセキュリティの男はアンチノミーを知人
——おそらくは不動遊星に預けるつもりでいるらしいことも話していた。
(
……予定とは少し異なるが都合はいいのかもしれない。アンチノミーはこのまま不動遊星の傍に置いて、時機を待つことにしよう)
モニターに背を向け、たった一人の空間でZ-ONEは次の計画のための準備に戻る。
もう時間もあまり残されていない。休む暇などはなく孤独で絶望的な戦いは続く。
しかし今、その胸の内に宿るのは、ほんの少しだけ満たされたような不思議な安堵感だった。
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「『ブルーノ』
……僕は忘れないよ、絶対に」
それは、自らの存在を投げ打ってでも世界を救おうとする男の名前だ。
僕は君の信念を尊重しよう。
だから、これからも変わらず君に接していくけれど、君の本当の名も決して忘れない。
"不動遊星である君"の友であり"不動遊星ではない君"の友として。
まるで二律背反だな
——と声には出さずに小さく笑って、僕は眠りについた。
静寂の中でまた、どこからか廃材が軋む音が聞こえた。
Next:あとがき
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