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さもゆ
2024-11-15 00:12:28
32883文字
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BF
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【BF】アレックス+英二
アニメ映画みたいに本編とは繋がってない事件性のある話が読みてえって方向け。
2019.2.18 たまごのお粥pixiv投稿作品
1
2
恐らく日本製の車のトランクから、足首がはみ出ている。
黒光りする車体とは正反対の、真っ白い足首に白い靴下を履いた足は、小さく、そしてゆらゆら動いていた。僅かな隙間を縫うようにして、ぷらぷら揺れている。
英二は暫しぎょっとして、それから周りの様子を確認した。
背の高い建物に囲まれたこの大通り、行き交う人々は皆、誰もその車になど注目していない。眼前か、地面か、携帯か、隣をゆく者との会話か、店の看板などに視線をくれている。英二だけがそれに気づいていた。
引き寄せられるように車に近づく。道を挟んだ向かい側に停車されていたので、走行車が途切れた今だと思ったのだ。
しかし、ぐいと肩を掴まれ引き留められ、焦り声が上から降ってきた。
「おいおい待て待て、どこ行くつもりだ」
「アレックス」
自分でも驚くほど妙に熱心に向けていた意識を、背後の青年にやろうとするも、視線はあの車から離せなかった。自分が少し外を歩きたいと言ったがために付き合わされた彼に申し訳ないと思いつつ、なんだかこれからもっと申し訳ないことになりそうな予感を抱え、無意識に先に謝っておく。「ごめん」それを無断でどこか歩き去って行こうとしたことへの謝罪だと受け取ったアレックスが、「いや、でもあんまり離れんなよ」と英二から手を離した。英二は考えもせずこっくり頷いておく。
「あのさ、最近ニュースでよく見るんだけど」
「なんだ?」
「連続女児誘拐事件」
「ああ、
……
ああ? なんで今その話を持ち出すんだよ」
「今アメリカでそういう事件が起こってるから、過敏になり過ぎてんじゃないかと言われればそれまでなんだけど」
「おい」
「あれって子供の足じゃないか?」
英二は密やかに、しかし平素より低く言うと、人差し指をすっと持ち上げ向けた。
アレックスが人差し指の示すものへと視線を辿らせる。
別に今すぐ駆け出すつもりはなかったのだが、彼の目にはそう見えたのか、先ほどよりも強い力で肩を掴まれた。
「考え過ぎだ」アレックスが言う。「ガキってトランクが大好きなんだよ」それはよく分からない。
でも確かに考え過ぎだろう。これが日本にいた頃なら、たぶん気にも留めなかった。トランクや窓から体を突き出す子供はしょっちゅうだし、それを諫める親の光景はよくある。けれど自分はアメリカに来て、多少は感性が磨かれたつもりだ。考え過ぎている? 違う。考えずに、ただそう思ったんだ。
「分かった」英二は答えた。「ちょっとだけ運転席覗いてみよう」なんも分かってねえじゃねーか、アレックスが気配だけで言ってくる。
しかしまあ、覗いて何もなければいいのだと判断か諦念を持ったのか、英二のお守りを言いつけられている彼は握ったままだった肩をぽんと叩いた。
「ちょっとだけだぞ。どうせ親が、『まあうちの子ったら、またそんなことして!』って言って終わりだ」
どこぞのマダムを真似した声音は妙ちきりんで、英二は少し笑ってしまった。
ところがその妙ちきりんな予想の通りにはならず、車まであと数メートルという地点で、トランクに近づく男がいた。
男はなんの焦りも怒りも呆れもない動作で、はみ出た足を押し込むと、トランクをぴったり閉じてしまう。
「あっ」
英二の思わず上げた声を、この雑踏の中耳にしたのか、男が緩慢に振り返った。
一瞬、目と目が合う。キャスケット帽の下にある目は、青かった。
反射的に会釈した自分とは裏腹に、男はなんの反応もなく回り込み、運転席に乗り込んだ。エンジン音。ウィンカーの明滅。そして車は走り去って行った。
「
……
アレックス」
「なんだ」
「あれがもし誘拐現場で、これがサスペンスなら、僕は確実に顔を覚えられた」
「
…………
英語勉強のためだからって、映画の見過ぎだぜ」
それから、アレックスは呆れとほんの僅かな警戒で、とりあえずといったふうに訊いた。
「お前はあいつの顔覚えたか?」
英二は頷く。
あれがもし誘拐現場で、これがサスペンスで、向こうがこっちの顔を覚えていたとしたならば、考えたくもないがもしもの何かの時のため、いつでもあの姿を思い出せるようにしておくべきだった。
後日、連続女児誘拐の新たな被害者かもしれない女児が、英二の住む高級マンションの巨大テレビに映ることとなる。
もしもの何かは、案外すぐそこまで迫っていた。
Their house is
「誘拐された場合って、何されるんだろう」
ひとり言のように呟いたそれが、失言だったと気づいた時には遅かった。
目の前でサラダのフォーク片手に新聞を読んでいたアッシュが、まるで無知な幼子を見るような、あるいは呆けた老人を見るような眼差しをこちらに向けてきている。
「違うよ」
英二は慌てて、何も詰られていないが言い加えた。
「そうじゃない、ちゃんと分かってるつもりだ。殺されたり、売られたり、
……
乱暴されたりするかもしれないってことは、分かってるよ」
そういうことが、自分の手の届く範囲の人間に起こり得ることを、ここに来てから嫌というほどきちんと理解させられた。もうテレビの中だけの話じゃないことも承知だ。「だから、つまり」英二はアッシュの持つ新聞に目線をやった。
「攫われた女の子たちは、今、どこで
――
大丈夫かな」
しまった。
これじゃ最初と何も変わらない。平和ボケして甘ったれた、ともすれば軽蔑さえされそうな発言だ。本音ではあるが、最も言いたいことではなかった。自分が言いたかったことは、つまり、
――
先日アレックスとともに偶然見たあの光景は、果たしてその新聞に載っている事件と何かしら関係があるのではないか、という
――
駄目だ。会話下手にもほどがある。そもそも自分はアッシュにあのことを伝えていなかった。しかし言ったところで何になるのだろう? お前はまたお前に関係のないことに首を突っ込むのか、と小馬鹿にされそうである。
黙り込んだ英二に、眉を顰めたアッシュが新聞に目を落としながら、口を開いた。
「連続女児誘拐、ね。身代金目当てじゃなけりゃ、まあ殺すか、犯すか、監禁か、売るか、育てるか、食うか。どれかだろうな」
「
…………
」
「んな顔するなよ。前半三つが一般的かな」
……
一般的な誘拐とはなんだろう。「犯人が女だったら育てる可能性は高いだろうな」
「
……
食うって何」
「マイアミゾンビ事件、聞くか? それとも開拓時代のドナー隊の話?」
「いや、いい。やめとく。聞かない」
「賢明なこった。けどこの二十一世紀、アメリカ人はハンバーガーが大好きだからな。わざわざ人間捕まえて食うなんて奴、極少数だろ」
ゼロとは言わないんだね。英二は頭が痛くなった。カニバリズムという単語は知っている。やむを得ず人の肉を食べなければならなくなった人間が、世界中の歴史にあることも。そうしてもしかしたら今もどこかでその嗜好の人間はいて、苦悩しているか楽しんでいるかの生活を送っているかもしれないことも。人間じゃない、とは言わないけれど。本物を見たことがないから断言できないが、恐らく受け入れることはできないだろう。食人者を。「
……
その子たち、大丈夫かな」いよいよもって不安になってくる。
アッシュは溜め息を吐き、頬杖をついた。
「アメリカじゃ誘拐失踪家出は日常茶飯事だぜ。日本は違うのか?」
「ううん、
……
毎日のようにそんな届け出は送られてると思うよ」
「なら気に病むなよ。行方不明者の数だけ心配する気か? 胃が穴だらけになるぞ」
「
……
そうだけど」
そうなんだけど。
日本でこういうニュースが出た時、今までの自分はどうしていたっけ。
テレビや新聞を見て、誰かと案じる言葉をかけ合って、それでおしまいだったはずだ。
でもだって、あの黒い車のトランクの中身。あれを見た五日後である今日、新たな被害者らしい女の子の笑顔の写真が、その新聞からこっちを見ているのだ。
「
…………
アッシュ」
英二はちらりとアッシュを窺うように見つめた。
「ん?」
緑の瞳とかち合う。ああ、やっぱり。
英二はここ数日、アッシュが隠しているつもりもなくただ普通に日常的な振舞いをしている陰で、本当は物凄く、疲れていることを知っていた。本人は気づいていない。気づかない振りでもなんでもなく、本当に平気だと思っているのだ。何せ彼にとっては平気にしておかないと死活問題であるだろうから。最近、いつも血のにおいを漂わせて帰ってくる。この間など白い手首に赤い痣が覗いていた。夜も魘されて飛び起きる頻度が多い。
彼は疲れている。昼過ぎの陽光を浴びる緑色の瞳は綺麗だけれど、英二にはどうしてもくすんで見えた。
「今日は、出かけたり、するの」
「ん、
……
ああ、また夜に出る。夕飯はいらない」
「そっか」
何か軽いものでも作っておこう。
「なるべく早く帰ってきてくれよ」
ここがアッシュの帰る場所なんだから。
「きみのせいで怖くて眠れないかもしれないからね」
何も訊かないよ。
きみが気づきたくないものは、そのままでもいい。でも、それでもどうしようもなくなって、きみがあんまり動けなくなってしまったら、その時は無理やりにでも休ませて、安らかな睡眠をとって貰わないと。自分はそのために、アッシュのいない夜を待っていよう。彼の家は、ここなのだ。
「
……
分かった。怖がりなオニイチャンのために、仕方ねえから早く帰ってきてやる」
アッシュは微笑を浮かべた。
攫われたあの子たちは。
英二は胸に氷でも突き刺された心地になった。
あの子たちが帰る場所も、紛れもなく正しく玄関扉を開けられるのを、待っているはずだ。
三人目の被害者の女の子、マージの最後の足取りがちょうどあの時英二たちがいた場所の近くで、そして車のトランクからはみ出る小さな足を見たという目撃証言が上がったのは、翌日のことだった。
「アレックス」
「そんな目で見るな、英二」
「でも、あれは、やっぱり、僕
……
何かもっと」
一緒に新聞を覗いていたアレックスは、隣で蒼白になっている英二を宥めすかすように言う。
「そうだな、もしかしたら、もっと早く着けてりゃ止めることはできたかもしれない。かもしれないってだけだ。お前のせいじゃねえよ」
「でも
……
」
そして焦りを多分に含んだ声で訊かれた。
「お前、あの男の顔まだ覚えてるか?」
「
…………
覚えてないよ」
「目の色はブラウンだったっけ」
「違う、青だ。ブラウンは髪だ。帽子からちょっと出てた」
「
…………
」「
…………
」「それを警察に匿名で知らせることはできる」「そうか、そうだ。そうするよ」「そんでこのことをアッシュに言え」英二は携帯を取り出したまま固まった。「な、なんで?」「なんでもだ」「万が一があるって? 万が一、誘拐犯が僕のとこに来るかもしれないから?」じっとアレックスの目を見上げれば、自分の大きな黒目にたじろぐこともなく見つめ返され、視線だけで「そうだ」と肯定された。
ケトルが湯を沸かせた音を発した。
心配性だな、分かったよ。
じゃあ、きみがアッシュとの報告が終わったあとで、ちゃんと言っとくね。
伝えるから、アレックスもそんな顔しなくていいよ。
そのどれかの一文を言おうとした口は、喉のところで何かが詰まった感覚により「う、うん、分かった」としか言えなかった。分かってない。自分はこのことを彼に伝えないつもりだ。「ほんとに分かってるか?」「分かってるさ。僕が自分の口から言う。だからアレックスは安心して、アッシュに言われたこと手伝ってあげてよ。もうすぐ起きてくるだろうし」今度はすらすら言葉が出た。この時、言っている最中、確かに自分はアッシュに言うことを真実としていた。もしもの何かが起こった時、真っ先に面倒事を片付けるため迷惑を被るのはアッシュやリンクスメンバーで、だったらやはり事前に報告しておくのがいいだろうと思ったからだった。
アレックスがほっとしたように笑う。英二も頷いてみせた。
ケトルを取りに行く。マグカップを三つ用意した。湯を注ぐ。
いや、と英二は内心さっき縦に振ったばかりの首を横に振った。
言わない。言わないだろう。言ったらどうなるか目に見えてる。明確に想像できる。まず盛大に顔を顰め、それから暫く(誘拐犯が捕まるまでだろうか。そうに違いない)外に出るなと言い渡し、アレックスやコングやボーンズに英二のお守り(護衛)強化を命令する。それって、もしもの何かが起こらなかった場合とんだ過剰防衛じゃないか? ただでさえ劇薬事情とここにいるしかできない自分のことで、みんな疲れているのに?
万が一なんて。もしもの何かなんて。
起こらない。起こらせない。
粉末を入れ出来上がったコーヒーをテーブルに置くと、礼を言ったアレックスににこりと笑いかけ、アッシュを起こすべく寝室に向かった。
「アッシュ、起きろよ。アレックスが待ってる」
くるまった毛布の塊を遠慮なく叩く。昨夜は、結局日付が変わり数時間経って帰ってきた。用意しておいた軽食(おにぎり、具はツナマヨ)は朝起きたらすっかりなくなっていたので、食欲がないわけじゃないことには安心する。
「僕だって寝かせといてやりたいけど、起こせって言ったのはきみだから、なっ」
睡眠中の人間のどこにそんな力があるのか。
渾身の力で毛布を引っぺがし、猫のように体を丸めているアッシュの頬をぺちぺち叩く。身動ぎ、煩わしそうに手首を掴まれた。「やっと起きた?」金髪のかかっている目が開いているのか確かめようと顔を近づけた。
手首を掴んでいた手が、彷徨うように伸び、英二の頬に当てられる。「ん?」その手を自然な流れで自分の手で包み、目にかかる金髪を払う。重そうな瞼は半分ほど開いていたが焦点は定まっていなかった。「アッシュ」こういう時、自分はこの年下を思い切り甘やかしてやりたくなる。意識が覚醒するまで傍にいて、彼のぼんやり寝起き顔を眺めて、バチッと目が合ったら「おはよう」と得意気に笑ってみせる。きみの寝顔をひとり占めしてたんだぜとその辺の人間に無差別に、本人にも自慢したくなる。なんだろうなあこの気持ち。きみってほんとはよっぽど可愛い人間なんじゃないか?
「アッシュ、起きて」
「う
……
」
ところがバチッと目が合った瞬間、信じられないものでも見るような目で、自分の伸ばした英二に包まれている手を見つめ、これまた猫のような速さで引き抜くと体ごと離れられた。
「
……
お前、やっぱソッチの気が」
「いやどう考えても今のはきみからだったろ」
うーん。
可愛くない!
「僕はこっちのドーナツの方がいいと思う」
「そうか? こっちのが派手でいいだろ」
「それはちょっと蛍光カラーがすぎるよ
……
」
店外のショーウィンドゥに並ぶドーナツはどれもカラフルで、英二は悩みに悩んでいた。自分とアレックスと、今は日用品を買いに行ってくれているボーンズとコング、そして最近は日中も出かけたまま夜中に帰ってくるアッシュ、計五人分のドーナツをどれにするか。
「アッシュのは甘くないやつがいいよね。ボーンズとコングは美味しそうなやつって言ってたな
……
どれも美味しそうではあるけど」
「
……
英二お前、あのこと言ったか?」
「僕はこのチョコのが
――
いや、しまった、言ってない」
「は?」
「洗剤も買ってきてってコングたちに言うの忘れてた」
「ああ、それならメモに書き足しといた」
「えっ、ほんと? 助かるよ、ありがとう!」
良かった、さすがに洗剤は水で薄めたくなかったんだ。ほっとして笑うと、傍から見ればすっかり一緒に暮らしているようなアレックスは、「そうじゃねえ」英二を胡散臭そうに見つめた。
「昨日自分から言うって言ってただろ。ちゃんとアッシュに伝えたか?」
英二は努めて明るく、蛍光パープル色の毒々しいドーナツを指差した。「これ凄くないっ? 真っ先に人を襲ってきそうなタイプのドーナツだよね!」アレックスがジト目で見てきている。
この場合。
言ったと言えば何故こうして部屋の外に出られているのか疑問に思われるだろう。嘘だとばれる。
言ってないと言えば、親愛なるボスにアレックスの口から伝えられ、あとは自分の想像通りに事が運ぶだろう。今日から暫く外に出られまい。というか完全にこの男は、英二が誘拐犯かもしれない人間の顔を見たことを、アッシュに報告していないと確信しているに決まっている。
英二は指先を弄り、ちらりと隣を見上げた。
「あのさ、お気づきの通り、言ってないんだ」
「
……
だよな」
アレックスは盛大に溜め息を吐いた。
「言ってたら外出許可をあいつが出すわけねえもんな」
「僕もそう思う
……
」
「だから言わないのか?」
違うよ。英二は首を振った。「最近さ、アッシュのやつ、疲れてると思わない? なんかさ、心身ともに参ってそうで
……
あんまり心配の種を増やしたくないんだよ」アレックスが唸った。彼の言いたいことは分かっている。
言ったら心配事は確かに増える。言わなかったら、何かが起こった時に結局それ以上の負債をアッシュは追うことになる。何も起こらなければいいが、その保証はない。どちらの選択がアッシュと英二のためになるか、本気で考えているふうだった。
「
……
言う、べきだろ」
アレックスの答えはやはりそっちだった。
「言うべきだ。あいつはお前を大事に思ってる。大事な奴のことは、なんでも知っていたいだろ」
そんな恋人同士の相手に向けるようなことを言われても。
分かっている。ちゃんと、きちんと、正しく、充分に、分かっている。自分がアッシュの立場なら、そんな怪しいことは一刻も早く教えて欲しいだろう。
……
アッシュの立場なら? 英二を思っての隠し事だらけの彼の立場なら、むしろ自分の判断はとてもアッシュらしいんじゃないのか? こっちだって、大事な奴が抱えているものは知っていたいのに。
「嫌だ、言わない」
半ば意地だった。子供くさく、アレックスを困らせる七面倒な思考回路だった。「お前なあ、」アレックスが英二の腕を掴んで体ごと向き直させる。先に制す勢いで英二が口を開いた。
「アレックスたちに迷惑をかけてるのは申し訳ないと思ってる。でもこれ以上はない。本当だよ。不安なら、誘拐犯が捕まるまで、もう部屋から出ないようにする。だからお願いだよアレックス、アッシュには何も言わないで」
「英二、けどな」
「お願い。頼むよ」
腕を掴んでいる手を握り込み懇願すると、アレックスは思い切り顔を顰め(それはどことなくアッシュに似ていた)、何事かを言おうとした口を真一文字に引き結び、宙を睨みつけてから、やがてがっくりと項垂れた。「分かった。部屋から出ない、なるべくだ。俺だって本気で誘拐犯がお前に接触するんじゃねえかとか思ってるわけじゃないんだ。そういう可能性があるかもで、お前は弱いから。万が一があったらアッシュが
……
どうなるか分からねえ。心底不安だ」「
……
アレックス」「けど、そう、よくよく考えりゃお前は十九だろ、俺までが過保護になるなんてどうかしてる。お前がいいように動け」「アレックス!」「ただし何かあったら
――
何かがありそうだったら、すぐにアッシュか、俺たちに言え。約束だぜ英二。これが守れるなら俺からは何も言わねえよ」「約束する! 絶対だ!」英二は握る手をぶんぶん振り回し、もしもなど絶対にないが、もしも、この妥協してくれた約束を破ってしまった時は、アッシュの怒りの矛先を自分だけに向けさせようと決心した。間違ってもこの心優しいアレックスが責められてはいけない。
「あいつら何やってんだ?」
「さあ」
ドーナツ屋の前で嬉々として手を握り振っている英二と、振り回されているアレックスを、買い物を終え袋を提げたボーンズとコングが訝しそうに、首を傾げて見ていた。
三歳のキャロライナ・アビー。
同じく三歳のアマンダ・ハリス。
四歳のマージ・エリオット。
三人の共通点は大人に守られてしかるべき女児であることと、アメリカに住んでいたこと、白人で髪色が赤に近い茶髪だということだった。そして、誘拐だと断定できるのが、二人目のアマンダが攫われるところを親が見ていたからだ。一瞬だったらしい。ほんの一瞬、目を離し、そして幼い娘に視線を戻せば無理やり車に乗せられているところだった。その時の母親の心境は計り知れない。今も底のない悲しみと怒りのままいるのだろう。それから、警察の調べにより一人目のキャロライナに繋がり、三人目のマージとも繋がったというわけだ。
連日流れるニュースを見る度に英二は暗い気持ちに襲われた。
今頃誘拐犯はどうしているだろうか。焦っている? 後悔している? それとも高笑い? 人を攫うような人間のことなど理解できるはずもないが、三人も攫っておいて悔いているなら、それはそれでどこかが欠落しているに違いなく、犯人がどうしていてもゾッとした。
その犯人らしい男の容姿が特定されたのは、英二が匿名で警察に電話をかけた数日、アレックスと約束して三日後だった。
他にもあったのだろう目撃情報を総括すると、やはり青い目に茶髪、痩身の男ということである。『アレックス』これが分かった際、英二はすぐに彼へメールを打った。『犯人の見た目はもうニュースになってるんだ。わざわざ僕だけを探して口封じする必要がなくなった。もう何も起こらないよ』返信は遅かった。『確かに』そして言われた。『そいつの頭が狂ってなけりゃな。まだ警戒してろ』これはただ彼が心配性なだけか、それとも一般人とギャングの差か、英二の巻き込まれ体質を案じてか、全部からかもしれなかった。狂ってなければ。そうだ。幼い子供を連れ去る奴なのだ。普通なわけがない。
「また見てんのか」
後ろから伸ばされた手にテレビのリモコンを取られ、音量を上げられる。ニュースキャスターが沈痛な面持ちで事件の概要を話しているところだった。
振り返ると、上半身裸のアッシュが立っている。
「うわ、またきみは服も着ないで」
「下は穿いてるだろ」
「僕が同じ格好で出たらぶつぶつ言うくせに
……
あっ、髪も拭いてないな!? もー風邪引いたらどうすんだよ、ちゃんと拭けよな」
翡翠の目はテレビに向けられ、ああと生返事を返されたために英二はソファの背凭れから身を乗り出し、これ以上床に水滴を作らせるわけにはいかないと、肩にかかるタオルを取ろうと手を伸ばした。「あっ」ぐらりと体が傾く。ちょっと待って僕ってまだ若いよね? 信じられない鈍臭さに自分が驚愕し、そのまま落っこちるかに思われたが、ぐいと二の腕を掴まれ引き上げられた。英二を受け止めた風呂上がりの彼の体はしっとり濡れ、温かかった。「
……
何遊んでんの、オニイチャン。びっくりだよ」「僕が一番びっくりしてる。き、きみのせい」「責任転嫁が過ぎる」「きみの髪を拭こうと」「なるほど」英二を座らせると、回り込んだアッシュは隣に座り、濡れそぼった金髪頭を差し出してくる。「よろしくお願いしますよ、ミスター英二」「
……
ご承知致しました、お客さん」ぐりぐりと撫で回すように拭いてやった。乱れに乱れまくった金髪と文句を並べるアッシュを見て、へへっと笑う。どんなもんだい。
――
その辺を歩くニューヨーク人なら決して手が出せない高級マンションを、見上げている男がいる。
中にいる人物が見えるでもないのに、遥か頭上にある窓を見つめ、思案顔を浮かべているその男は、ブラウンの髪と目だった。
アレックスはちらりと男に目をやり、無意識的にそうじゃないかと疑っていたあの誘拐犯と違う顔だと分かると、内心舌打ちしながらマンションの玄関扉を開ける。
なんだろう。
なんなのだろう、この嫌な予感は。
ただ、現在世間を騒がしている連続女児誘拐犯かもしれない姿を、英二が一瞬見たというだけの話だ。
それをどうしてこんなに不安がっているのだろう。
英二は別にトラブルメーカーというわけではない。むしろ彼がトラブルに巻き込まれたとこちらを訴えていい立場だ。しかし泣いて逃げ出しもせず、罵りもせず、自分からアッシュの傍におり、リンクス全員と友人のように接し、身を案じてくれている。弱く、明るく、優しい人間だった。
だからか。だから、落ちている小石に躓いて思わぬ怪我を負わないよう、自分は過剰な対応をしているのか。
アレックスは顰め面を作った。何を心配に思う必要があるだろう。あいつの隣は、隣どころか上下左右斜め、どこから何が来ても我らがボスがその安全を守るだろう。最近、どうにも、英二が言うには、疲れているらしいけれども(アレックスたちにはいつもと変わらず鋭く賢く強く、人を動かせられる信頼を一心に受けた最強のボスに見えたが)、アッシュにかかれば英二が躓く前に気づき回避するに違いないのだ。
大丈夫だ。
アレックスが思い込もうとしている大丈夫な予想は、こののち尽く覆されむしろ当初思っていた通りの悪い方向に向かうのだが、今はそれを知る由もなかったのである。
そうして使い道はないと信じたいものがポケットに入っているのを確認すると、ドアマンに愛想笑いを浮かべ、エレベーターに乗り込んだ。
「使わなくて済むに越したことはねえんだ。機会はないさ。一応だ。これをお前が持っとくことで俺は安心できる、たぶんな。使い方は金属部分を相手に押しつけて、このスイッチを押す。相手が動かなくなるまで離すなよ。死にはしないから」
「わ、わか、分かった」
「
……
ほんとか?」
「ほんとさ。分かってる。了解した」
アレックスから渡されたものは、手の小指ほどの長さと太さで、金属部分の出っ張りがある小筒だった。スタンガンだ。よくテレビドラマで出てくる電動カミソリのような厳つさはなく、シャー芯入れにでも間違えそうなビジュアルで、しかし威力は申し分なく女性が護身用で持ち歩いていたりするらしい。銃に加え電撃まで携帯するとはこの国の人間は自衛力の塊だと思う。自分の身は自分で守る。英二が何より身に着けるべきものだった。
スタンガンをジーンズのポケットに入れる。部屋の扉を開けて早々こう言ってきたということは、彼は相当疑心を持っているのかもしれない。英二は力強く頷いた。
「肌身離さず持ってる。
……
と言っても、出かける用事はないんだ。この間買い溜めしたし、アッシュも出かけっぱなしだし、きみの言う通り使う時は来ないよ」
「そうだろうな。
……
アッシュは?」
「今日は朝から出てる。何か訊いてたりする?」
「いや、何も」
それが嘘か本当か区別がつかず、英二は諦めて笑い、今日のお守り役であるアレックスをせめて休息させようと、ソファに勧めた。
尻ポケットにある感触を確かめる。
うん。
使うことなんてない。
その紙は一体いつから英二のことを待っていたのだろうか? 少なくとも、英二以外は誰も気にしないエントランスホールの郵便受けを三日ぶりに開けたのだから、もしかするとその間ずっと待っていたのかもしれなかった。新聞は必要がある時だけ買っているし、手紙を送ってくれる相手もいない。いつも空だと分かっている箱を開けるのだが、その日は違ったのだ。
チラシか何かかと思ったが、そうではない。真っ白いカードに、黒く英語が書かれたものが入っている。手に取り、そこに立ち尽くした。
“マージを攫い、君に会った場所で待ってる”
“誰かに言ったら、あらゆる保障はないものとされる”
「嘘だろ」
唐突な現実味のなさに唖然とし、急展開に思考が必死に追いつこうと巡り出した。なんだこれは。マージとは三人目の被害者の女の子で、自分が見たトランクから足をはみ出していた子のことで、ということは自分と会ったと言うこの差出人は茶髪青眼の誘拐男というわけで、その男が英二を待っているなどと宣っている。極秘に会いに来いと。あらゆる保障? 幼い女の子達の命。英二や、部屋番号も割られているなら同居人や周囲の人間の安全。新たに狙われるかもしれない子供。しかも、まさか、英二だけがこのポストを開けることを知っていたとしたら、自分は観察されていたことになる。
――
もしもが来てしまった。万が一が。
……
なんでだ? どういう理由で? 見当もつかない。あの時、気づかないうちに犯人へと繋がる重大な証拠を見てしまっていたとか? 車は乗り捨てられていたと言うからナンバーは関係ない。それこそドラマや映画の見過ぎだ。こんなメッセージが届く理由はなんだ。
「くそ
……
」
もしもの何かは、どうしていつもこういう時にしか起こらないのだろう。英二はずっと夢のような“もしも”を望んでいるのに、正反対の悪い可能性しか出てこず、そして自分はそれを完璧に回避し解決する術を持たないのだ。
会いに行くしかない。本当に? 言う通りにして、自分に何ができるって言うんだ? 警察は駄目だ。公的機関に助けを呼ぶのは、このマンションに隠れ住んでいる自分たちには不利すぎる。アッシュには言えない。今も出かけていて、きっと自分を押し殺しすぎて麻痺している心を駆使しているはずだから。彼の負担に、これ以上なりたくない。自分で、自分だけで、なんとかしなければ。そもそも誰かの悪戯ということもあるだろう。
「おーい英二」
「よう、今日も来たぜ。どした?」
「あ
……
」
エントランスを抜けてやって来たのは、コングとボーンズ、アレックスだった。英二はさり気ない動きでカードをポストに戻しながら、「今日は三人で来てくれたんだね、お茶にしよう」エレベーターに向かう。アレックスと視線が合わさった。あ、やばい。
彼の目が眇められていて、英二の動揺を見透かしているように思えた。
彼はリンクスのナンバー2、アッシュの片腕なのだ。
「ポストの、持ってこなくて良かったのか?」
キッチンでお湯が沸くのを待っている間、後ろから声をかけてきたアレックスに肩を跳ねさせなかったのは我ながら上出来だと思う。
「ああ、うん、いらないチラシだったよ。ああいうのはまとめて捨てたいから」
「ふうん」
「ええと、そうだ、おやつも欲しいよね、この間買ったクッキーがあったな」
「お前って誰かの理想のママになれると思うぜ」
「なんだいそれ、じゃあ僕は大きな子供を四人も持って大変だなあ」
「それアッシュも数えたのか?」
「当たり前だろ、あいつ長男かな、いや末っ子?」
「お前だけだよ、んなこと言えんの
……
」
アレックスは微妙な顔で笑い、冷蔵庫に寄りかかった。「あれから、何もないな?」ついさっきあったよ。英二は振り向き、笑顔のまま口を開け、
――
閉じた。「英二?」数秒間迷った。アレックスに報告するか、しないか。したらどうなるだろう。あらゆる保障が、なくなる。
「お茶っぱ、買い忘れてた」
「何?」
「緑茶だよ、グリーンティー。日本人の必需品さ! コーヒーばっかりで飽きてたから、買おう買おうって思ってたんだけどな、つい。僕、下のスーパーで買って来るよ」
「
…………
」
目に見えて渋面になったアレックスは、着いて行くと言いそうだった。英二はリビングでくつろいでいるボーンズとコングを見、それからこそこそとポケットからスタンガンを取り出し、これを送った本人にひっそり囁いた。
「大丈夫、ちょっと行ってすぐ戻ってくるだけだし、外には出ない。これもあるしね。きみも過剰防衛だって思ってるだろ? 僕は十九歳だぜ。九歳じゃない」
「
……
全くもってその通りだ」
アレックスはがしがし頭をかき、「俺は何を不安がってんだろうな
……
」ぼやくと、英二の背中を叩いた。「行ってこい。グリーンティーでもなんでも買ってこいよ」英二はあははと笑いながらすぐ戻るよと頷き、ボーンズとコングにも言葉を交わしてから部屋を出た。
ごめんアレックス。
僕は今からきみとの約束を破る。
恐らく日本製の白い車が、人の行き交う歩道の傍になんの不自然さもなく停車している。
太陽光を眩しく反射しているその車体に、もたれかかっている男が一人いた。
英二は横断歩道の手前で止まる。赤だったからだ。もちろん青になったら、進む。尻ポケットの中を確認した。大丈夫、入ってる。
相手が何を考えて自分を呼び出したのかはサッパリで、何を言われても自分は上手く対応できないだろうことは重々承知だったが、三人だ。三人もの少女の命が、自分が大人しく従うことで無事になるかもしれない。
信号が青に変わる。周囲の人間に溶け込むようにして歩く。ちょうど、あの時、車に近づいた男のため立ち止まったのと同じ場所で、足を止めた。
白い車の男が振り返る。
コートにスーツ。茶髪に
――
「あんた、
……
誰だ?」
――
髪と同じ、ブラウンの瞳。
英二が覚えている誘拐犯の顔とは異なっていた。あの男は青い目だった。鼻の高さも、頬の丸みも違う。
「来てくれたんだ」
全く知らない男が、歯を見せて笑った。
「そういえば英二のやつ、何買いに行ったんだ?」
三人分のコーヒーが乗るテーブルの前で、だらだらとテレビのチャンネルを変えていたボーンズがアレックスを振り向いた。
「グリーンティーだと。日本人の必需品とかなんとか」
「グリーンティー?」
隣に座るコングが首を傾げ、ボーンズと顔を見合わせた。なんだ。その嫌な予感のする仕草は。
「グリーンティーなら、確か
……
」
「この間買ったはずだぜ。覚えてる。もうなくなったのか?」
二人が言った。テレビではワイドショーが始まり、世を賑わす誘拐犯について司会者がユーモア混じりの毒を吐いていた。アレックスは立ち上がり、キッチンに突き入ると英二が普段茶葉類を閉まっている戸棚をぶち開けた。コーヒーに、あまり出さない紅茶、円筒形の緑色の筒──明らかにアメリカ製じゃないデザイン。いつぞやアッシュに日本の小物が売っている店に連れて行って貰ったんだと、嬉しそうに語っていた時の。
筒を手に取る。蓋を開けた。嗅ぎ慣れない柔らかなにおいがした。
中には、数回分はあるだろう、緑色の茶葉が入っていた。
「あいつ!」
アレックスは部屋を飛び出した。
どうやら自分はあの日本人に対しての認識を改めなければならないらしい。弱く、明るく、優しい。これは誰に訊いても返ってくる印象だったが、アレックスたちが考える弱さの分類とは違ったのだ。あいつは銃を持たせても弱いし、英語の口喧嘩をさせても弱い。だから自分と交わした約束は絶対に破らないだろうと思った。そもそも約策を破らないタイプの真面目な人間だと。違う。弱いから破らないんじゃない。見ず知らずのガキのために約束を反故にできる強さがあったんだ。ちくしょう屁理屈だ。しかし奥村英二とはそういう人間らしかった。
ポストに入っていたカードを握り潰し、アレックスは追いついてきたコングとボーンズに構うのも惜しいと駆け出す。
どうして俺は自分の勘を信じなかったんだ! それがあんまりにも悔しかった。事態は悪い方向に向かっている。
「ポストに手紙を入れたのは一昨日だった。忙しかったの?」
「
……
ハウスキーパーなもので」
言葉を、慎重に選ばなければならない。
アッシュ・リンクスとともに暮らしていることは隠さなければ。設定があるんだ、ちゃんと。こういう時のための。別に誰かと打ち合わせしたわけではないけれど、見ず知らずの人間たちには自分は金髪緑目の青年の、親しい家事代行者なのだ。あながち間違っていないのが有り難い。嘘やハッタリが得意な人間じゃないことは自分が一番よく分かっている。
にこにこしている男へ一歩にじり寄った。人も車もあるこの場所で、お互い下手なことはできないはずだ。
「あんたが、女の子たちを、攫ったのか」
英二の声は最小限だったが、男はにっこり笑って肯定した。
「
……
でも、僕は、あんたを知らないよ」
あの時、目が合った人間は、この男じゃなかった。
「でも俺は、きみを知ってるよ」
「
…………
」
「それに俺は、キャロライナも、アマンダも、マージも、今どこにいるか知ってる」
低く落ち着いた、聞き取りやすい声だった。笑みの形は穏やかで、目尻がきゅっと細まっている。それ故に不気味だった。この若い男は自身の言葉の通り、誘拐犯なのかどうか。
「僕を呼び出した理由が知りたい」
「そんなのは簡単さ」
「簡単だったら訊いてない」
「俺がきみを欲しいと思ったからだ」
「難しすぎるだろ」
これがコメディだったら、自分の返しは完璧だったろう。反射的に答えてしまってから、言われたことをサラサラのスープ状になるまで咀嚼し、飲み込み、飲み込み切れずに吐き出した。「僕を欲しいと思った?」どういう意味なのだ。
「俺さ、日本が好きで
……
」
男が恥ずかしそうに車のボディを撫でる。「だから、日本人の子供でもいいんじゃないかって、言ったんだけど」残念そうに首を振り、「あいつは赤毛が好きなんだよ、ほんとはね。でも赤毛って少ないだろ? 妥協したんだ」男は英二を見た。「そのポケット、何が入ってるの?」
理解が追いつかなかった。脈絡のない話のせいで、何を言われたか判断できず、そしてその話をしている間、自分がずっと無意識にジーンズの尻ポケットを押さえていたことを遅れて知らされた。男が友人に向ける動作で英二の前まで歩み寄ってくる。「大事なもの?」頭一つ分背の高い男が、膝を屈し目線を合わせ、首を傾けた。自分より色素の薄い茶色の瞳を正面から見つめ返し、英二は息を呑む。まともじゃない。それは重大なことだった。まともじゃない人間に、こちらの理屈は通らない。
英二はポケットから手を出し、男の前に差し出す。
「スマホか」
掌に乗る端末を、仕方ないなあというふうに男は笑い、「俺も持ってるよ、見る?」コートの内ポケットから黒いスマホを取り出した。何か操作をしたかと思うと、画面を向けられる。
それは、あの三人の少女たちの、怯えた眼差しをこちらに向ける写真だった。
男がにっこり笑った。
「一緒に来てくれる?」
車の後部座席に乗り込んだ英二は、運転席でシートベルトを締める男を睨みつける。
「こんな往来で人を攫うなんて、どうかしてるよ」
「合意のもとだろ?」
心外そうに振り返られた。
合意させられたんだ。英二は唇を噛み締めた。
アッシュと英二が持っている携帯は、マックスが買ったものだった。正確には、アッシュの金で、マックスに買いに行かせた、だが。英二は携帯を新しくしてもカバーにあの鳥のキャラクターをつけたがった。
羽を広げ、仁王立ちし、斜め上に視線を固定したノリノリ鳥。
常日頃から、なんて人を舐め腐った態度をしているのだろうと思っていた鳥が、今は確実にアレックスを馬鹿にして見ていた。
蹴飛ばされたように落ちていたスマホを拾う。ここはあの場所だった。もしもの何かが起こるかもしれないと予感した場所。自分はなんて馬鹿なのだ。
全力疾走したせいだけではない暴れる心臓をそのままに、アレックスは自分の携帯で電話をかけた。4コール目、ぷつりと通話が繋がる。怒鳴る勢いだったがなんとか激情を押し殺した。
「アッシュ! すまねえ、俺のことはあとで撃ち殺していいから今だけは冷静に聞いてくれ。
――
英二が攫われた」
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