うよ
2024-11-13 23:24:06
4821文字
Public サブドムスモロ
 

サブドムスモロ~半年前~

サブ🚬×ドム🐯
2024/1インテで発行した「転がる夢も」の半年前のそれぞれ。2024/6JBFでひみつ無配だったものです。
1P🐯視点、2P🚬視点

Side~L~

タクシーを断るのは苦労する。学会やよその病院へ出かけた際、よく手配されるのだが、ローは乗ることができない。理由を説明するにはまわりに気を遣わせる内容なので、たいてい「車酔いがひどくて」と言っている。電車は大丈夫、新幹線、飛行機も。バスはぎりぎりのところ。その辺の線引きは自分できちんと向き合えてはいない。タクシーは難しい。自家用車は持っていないし、知人の送迎も基本的に断る。車は人を殺す乗り物だ。運転免許の教本にも、交通安全教室の資料にも書かれている、当たり前のことだ。
他院での症例学習会に参加して、ローは北部総合病院に戻った。駅のタクシー乗り場で科長と別れ、ひとりで歩いた。勤め先の向かい、マンション群に植えられた桜がそろそろとつぼみを膨らませているのを眺め、院内へ入る。金曜はケア外来だが、学生時代の恩師が講師だったため、どうしても行きたかった。定年を迎え、完全に引退することを宣言していた先生の、現役最後の話だった。
午後からはみっちりとケア外来の予約が詰まっている。栄養補助食品のバーとゼリー、おにぎりと珈琲を買って着替える。役割行動療法は体力も気力も必要だ。
PHSの電源を入れるなりそれは鳴った。外来看護師からだった。
金曜の外来担当はレジデントの医師。彼はSubだ。初診のDom患者が待合で大きな声を出しているらしい。オンコールのマルコは急患にあたっており、ロビンは病棟対応中。今日のケア外来のリストを思い出し苦い顔になる。午後イチの予約はSubの十代女性。あまり待たせたくはない患者だった。二階に遅れる連絡を入れ、一階の外来へ向かう。受付カウンターで怒鳴り散らす患者に、事務職員が毅然と説明を繰り返していた。横に看護師もひとり付いて落ち着かせようとしているが、ぴり、とGlareの気配がする。ローは看護師と患者を挟むような位置に立った。
不満をぶつけたいだけの患者なら、男性医師が出て来ると静かになることが多い。小さな愚痴から大きなクレームまで日々表に立って受けている女性職員のことを思うと苦々しい。
薬を変えたくないと喚く男にGlareを引っ込めるよう促すと、プレイをさせろと声を荒げた。Glareは多くの人がいる場所で出していいものではないし、プレイはそれをおさめるためだけに行われるのではない。説明するも患者の主張は一方的だ。Subの患者は看護師が隣の科の待合へ誘導してくれている。Glareを頻繁に出すことはDomの健康にもよくない。急激なホルモン値の変化を繰り返せば体のミネラルバランスを崩し、他の疾患を引き起こす。本当は理解に至るまで説明を続けて治療を受けてもらう方がいいが、男は聞き入れられないとわかると乱暴に立ち去った。
スタッフがみな肩を降ろす。診察室ではレジデントが安堵の表情を浮かべていた。Domの患者がGlareを出し始めたら、経験の浅いSubの医師は一度距離を置く、がセオリーだ。マルコのようなベテラン医師でなければ、診療を続けられなくなることもある。正しい判断だった。受付職員と看護師に礼を言って、院内の運営を担う部署に連絡を入れる。紹介元へのフォローを行い、もし治療を受ける気になった患者がまた来院したとき、スムーズに診療を進めるためだ。

相談室のある二階へ上がると待合室で件の女性が泣きながら座っていた。今日の最初の患者だ。人の目があるにも関わらず不満を全身で表していた。手早くカルテのパソコンを立ち上げ、椅子の位置、ソファとの距離、使う予定の道具を確かめ、患者を通す。
「待たせてすまない」
「先生お詫びに今日のケア一時間にして」
「そういうわけにはいかない」
「Domの対応してたんでしょ、あんな奴、先生のGlareでやっつければいいのに」
少し幼い話し方をする患者は、三年ほど精神科との併診だ。そちらの疾患が悪くなると拒食に傾いたり、バランスを取るのが難しい。
「Glareは人をやっつけるためのものじゃない」
「はいはい。ねぇ先生、すごく待ったから、今日はリワードで撫でてよ」
「接触は行動療法ではやらない」
「上手にkneelするからいいじゃん、なんでよ。先生私のこと大事じゃないんだ」
「何度も言うが、ここでのケアは決められた手順で行う。患者の治療過程はとても大事だ。触ってほしいという欲求はSubとしてあるかもしれないが、上手に付き合えるように薬も飲んでもらってる」
女性は唇をとがらせてしばし黙った。不満があると相手の行動をコントロールしようとするのは併存疾患からきている。生まれ持ったSub性と性的な虐待を結び付けられていた患者は、ローが前任医師から引き継いだばかりの頃、急に怒って叫び出したり、Domの恋人をつくっては暴力を受けたりと、安定が難しかった。今も、隠す気のない左の上腕にリストカットの筋が幾重にも残る。現在は薬が合っていることと、精神科での地道なコミュニケーション、そして社会的支援により落ち着いている。ところどころで現れる疾患特有の言動に、丁寧な説明を繰り返しながらケア外来を続けている。
「わかりましたー。先生のコマンドやると調子いいから。ちゃんとやります」
まだ口を尖らせて足を組んだままでいるものの、多少は気が済んだらしい。ローは時計とカルテをちらりと見て、今日のコマンドを決めた。

最後の患者が出るとローは椅子に沈み込んだ。買ったままのビニール袋は何も手をつけられていない。空腹はとっくに通り越して、胃袋は沈黙を貫いている。通知の点滅をするスマートフォンを開くと、ペンギンから「シーズンラスト鍋」とメッセージが入っていた。そういえば先週、メバルも鍋にできるらしいんですよ、とか言っていた気がする。苦みのある春菊の香りがうつった出汁の中を少し皮の反った魚が煮える。想像するだけで美味そうだ。魚をさばくのはシャチ。手先が器用な幼馴染は、釣りに行った先で見知らぬ人から教わったのだそうだ。新しい通知音が「早く帰らないとなくなるよ」とローを急かす。重度の空腹を訴え始めた重い体を椅子から引き剥がし、コンビニの袋をそのまま提げて相談室を閉める。真冬に比べて日が長くなってはきたが、まだ外は冷えるだろう。それでも春は、比較的体調が上向く。ローはリュックを背負い、昼にも見た桜のつぼみをまた眺めながら、家への道を歩いた。