三角リョヲヘイ
2024-11-13 15:06:31
13639文字
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月に鎮め/本編小説、第一話

出会いの話

全てがここから始まる、四人の出会いの話。

第一話
出会いの話




 遡ること、人類と神の距離が今よりも近かった時代。この国の絶対神にまつろわぬ獣の神がいた。伝承によればどうやら死に際に魂と引き換えに願いを叶えてくれるらしい。その異端さから邪神と呼ばれ、人類の信仰対象から外されることになる。
 しかし輪廻転生から外れてもなお叶えたい願いのある者が縋る最後の砦となり、秘密裏に信仰され続けていた。
 嗚呼、死に際に神へ魂を渡せば願いが叶う!
 どうかどうか!
 お願いします!
 いや待てよ、死んでから願いが叶っても見届けられないと意味がないのでは?
 神は居ないのか?
 我らの救いはどこに?
 嗚呼せめて生きているうちにお会いできれば
 そうだ予め魂をお渡しする契りを結べば
 そうか願いを見届けられるのでは──?
 どこまでも欲深き者たちは長き時間と多大な犠牲を払い、遂に獣の神を呼び寄せることに成功する。
 神はおられる!
 今ここに!
 この魂を!
 神に捧げます!
 どうか願いを!
 儀式に使った大量の血に塗れ、どちらが邪神かと見紛う姿の哀れな生き物。
 この件が原因で神界を追われた邪神と人類の輪から外れてしまった哀れな生き物は、未来永劫神からも人間からも迫害されて生きる道を歩むこととなる。
 憑守つきかみ紅族くれないぞくの誕生である。
 これから更に気が遠くなる年月を経て、憑守と紅族の関係や存在そのものは変化していく。今では大量の血を使った儀式も不要、紅族として生まれてくる赤子は憑守と契りを結んでこの世に生を受ける。その生にのし掛かる業を知りもせずに、己が最も幸せだと信じて。
 元神と共に生まれ人間の持ち得ない力を持つ者たち、なんと人智を超えた存在であろうか。得体が知れないものは総じて畏怖の対象になりやすい。人間の歴史は紅族迫害の歴史でもある。敵対ではない、人間からの一方的な差別と迫害。雪深く侘しく険しい僻地に追いやられた紅族は年々数を減らし、遂に十二年前に人間によって滅ぼされその歴史に幕を閉じる。
 たったふたりの子どもを残して。
 
 物語の舞台であるここは太都だいと。この国を二分した東側を統治する漁倉あさくら幕府のお膝元。険しい山に囲まれた盆地であり、東西南北の名を冠する町で構成されている。
 前置きはこんなものでいいだろう。
 他は追い追い。
 先は長い。


     *


 これは悲劇ではない。
 だが喜劇でもない。
 時間という不可逆なものに押し流され、過去に戻れない者たちの後悔と再生の物語。
 見つからない答えを探しながら、それでも生きていかねばならない者たちの物語。
 さあお立ち合い、幕が上がるよ。
 さあ生きましょう、どうぞご一緒に。


     *


 太陽が傾きを保持する努力を諦めて、その姿を山の向こうに横たえようとしているぎりぎりの時間。太都を囲む山の山頂に影がふたつ。
「あれが太都でやんすか」
「そうだよ」
 逢魔が時が辺りを包めば見下ろす都に灯りがぽつりぽつり。点と点はあっという間に線になり面になり盆地を彩った。人間のいるところいないところ、上から見下ろす営みはどこか別世界のような、はたまた女児の玩具のようにも見える。
「なんにせよ宿は太都で見つけたいね。行こうか」
「わっちはご飯が食べたいでやんす」
 影の主はひと組の男女。男女といっても青年と少女だ。山で心中する者でももう少し装備を整えてやって来そうなほどに軽装。肩に荷は掛けているが笠は無く、共に黒い着物と下駄の姿。少女に至っては朱い一本下駄を履いている。仮に修験者だったとしても、山で見かけるには異様な風貌であることに変わりはない。
「羅乃目はなにが食べたい?」
「んと、大根をしみしみに煮たやつの気分でやんす。黒は?」
「そうだね、俺は天ぷらかな」
 羅乃目らのめと呼ばれた少女は、その薄墨色の長い髪を細く揺らしながら一本下駄で器用に岩と岩を飛んで移動している。彼女こそが紅族の生き残り、紅族第十九代統領である。
 後を追うように大股で歩く長身痩躯白髪の青年が黒骸くろむくろ。彼も紅族の生き残りであり、羅乃目の許婚である。
 開けた山道ではなくいかにもな獣道を突き進んでいく。
「このまま山を降りてどうする。要所の関所はいくらでも抜け道を通れるが、太都直前の関所は流石に抜け道はなかっただろう」
「バッカおめえ、関所を破って参るんだろうがよ! 派手にいこうぜ!」
 突然話に入ってきた二匹の獣、黒い狼と白い大蛇がふたりの憑守だ。
 硬い話し方をする黒い狼が羅乃目の憑守、羅神らじん
 大きな口を開いて大きな声で騒ぎ立てている白い大蛇が黒骸の憑守、雨庸うよう
「そんなことしないでやんすよ。関所通んないもん。正々堂々不法侵入不法滞在でやんす」
「太都の北側は山が険しすぎる分手薄なんだ、そもそも入り口としての役割を持つ関所は南と東側にしかないよ。どうやらこちら側は無法地帯らしい。だから何が起きても有耶無耶にできるんじゃないかと思って」
「つまりは無計画か」
「いやいやまさか。脛に傷がある輩はみんなこの北側から太都に入るらしいから諸先輩方を倣おうって計画。成功率は高くないって噂だけど人間にできて俺たちにできない訳ないよ。大丈夫、目立つのは避けたいから穏便にいくよ、穏便にね」
 その後あくまでも穏便に穏便にことを運び、筋書き通りに太都へと入り込んだ。途中で「だから成功率は高くないのか」と合点がいく出来事があったが、穏便に済まないかもしれないと少々の冷や汗をかいただけで大したことではなかった。特筆するまでもないので追い追い機会があれば触れよう。ふたりは足早に人通りの多い場所まで素早く出ると、その中へするりと紛れ込む。ある程度までは人の流れに沿って歩いていくことにした。町中へ入ってしまえば山では異様だった軽装が功をなす。
 どんどん賑やかな場所へ流されて来た。太都の大まかな地図は頭に入れて来ている、おおよその現在地は西町といったところであろう。
 いや、実のところ地図を頭に入れていなくとも現在地はすぐに分かる。この冬の終わりとは思えないむせかえる熱気、狂気にも似た色香を求める欲と執念、行きすぎて腐臭のような気を放つ芳しい香、香、香。夜鷹が今宵の餌を探して飛び交う。私娼館の女が飯はどうかと甘えた声で旦那の袖を引く。提灯行燈の灯りはここまで暴力的だっただろうか、目潰しのように瞬き逆光で人々の顔を黒く縁取れば、面などなくとも道ゆく者の顔など誰も気にも留めない。ここは太都の大歓楽街、西町。
 男女が連れ立って歩いている絵が溢れかえったこの場所は、ふたりの存在を混ぜて伸ばして薄くするのにうってつけであった。
「オイ見ろよ! あの橋を渡ると、もっとやべえとこみてえだな!」
 雨庸が元気よく体をくねらせながら鼻先で前方を指す。幅広の堀にぐるりと囲まれ、まるで突然小島が現れたかのような光景が広がっている。
「遊廓か。さしずめあちらはお上公認、こちらは名目上は非公認の場といったところか」羅神は呆れた様子で視線を外した。「人間はたいそう暇を持て余しているように見受けられる」
「オレは知ってるぜ! こういうのを岡場所っつうんだよ!」
「そうかそうかよかったな」
 全く見当違いな返しで雨庸の知識披露をかわした羅神は羅乃目を見上げる。彼女は少しここの雰囲気に当てられている様子が見受けられた。
「ここからどうする。私としては宿泊拒否の宿しか見当たらんぞ」
「お腹空いたでやんす。もうへよへよ」
「この辺りはごはん屋さんじゃないね」
「色んな匂いでごはん追えないでやんすよ。ちょっと静かなところに行って立て直したいでやんす」
「お堀から離れよう。どう考えてもあそこがこの町の中心地だ」
「うー、わっちのご飯はどこでやんすかー」
 台詞だけ聞けば可愛く泣きべその真似をしているのかと錯覚するかもしれないが、実際には踵を返してしわしわの顔をしながら疾走している。とてもじゃないが肩に手を添えて慰めてやることなんて出来やしない。あと彼女は元気な様だ。雰囲気に当てられたというよりも空腹で萎れていただけなのだろう。
「待って羅乃目」
 慌てて後を追う黒骸は、まるで女に捨てられまいと縋る男のようにも見えるかもしれない。より一層ふたりの存在が薄まって背景に溶け込んできた。
「闇雲に探すより、羅乃目の運と勘に任せた方が賢明だな」
 羅乃目の後を追いながら涼しい顔で羅神が駆けている。羅乃目に憑いて早十七年、慣れたものだ。雨庸はと言うと、早々に黒骸に巻きついて自力で追うことを諦めている。
 人の流れをものともせず誰にもぶつからずにするする走っていく羅乃目はまるで忍か何かのようだが、忍ぶつもりのない羅乃目は少々目立っている。結った髪をなびかせて一本下駄でずんずんと進んで行く。それを追う黒骸も少々目立ってはいた。どんなに人混みであろうとも大蛇を体に巻き付けて駆けていく男がいれば嫌でも目立つ、しかし誰もその点は気にも留めていない。周囲からの視線は「女に捨てられちゃったのか……」というような憐憫と嘲笑を少しだけ含んだ微笑みに近い。
 見えていないのだ、憑守が。
 まがりなりにも元神に分類される憑守は人間に視認できない。声も聞こえない。紅族と共にある忌むべき存在であると言い伝えられているが、人間はそれが何かを全く理解してない。見えず聞こえずで理解のしようがないのだから。伝説は尾びれ背びれをつけた新しい伝説を呼び、不明は畏怖と差別を生んだ。
 人間にも霊感を持ち、いわゆる霊感商法で財をなす者もいるだろう。だが神と霊とでは格が違う。住むべき分類と世界が違う。そういった確実になにかを備えている者にも掴める存在ではないのだ。
「あ! こっち!」
 ふいに羅乃目が先頭から声を上げる。真っ直ぐに伸ばされた右の人差し指は大通りを外れる道を指している。どうやら食事の匂いを察知したようだ。太都に入ってから一番の笑顔を見せて後続を待っていた。
「早く! 背中くっついちゃう!」
 今度は黒骸の手を掴んで走り出した。速度は先ほどよりも落としてある。羅乃目の鼻を頼りに進めば、岡場所とはまた少し雰囲気が変わり、なにやら小間物屋や古着屋などの店舗が増えてきた。
 女への贈り物や貢ぎ物に小間物屋は重宝するだろうし、古着屋は貢がれて持て余した反物などを手放すのに最適だ。そういう客層が品物を手放せば、他所の町とは違ってここの古着屋なら流行最先端の着物が手に入るだろう。目の肥えた女をうならせる品を扱う小間物屋と充実した古着屋の品揃えを求め、色欲とは別の目的で若い娘が集まって来そうだ。そしてその若い娘に目をつけた悪い大人が……西町は実に美しい循環の輪で成り立っている。
「お嬢ちゃん、綺麗な着物が入ってるよ」
 古着屋の呼び込みを無視して羅乃目はご飯まで一直線。そうそう小間物屋も古着屋も深夜に平気で営業していて、見た限りでは客の入りも上々。西町自体が昼夜逆転した場所なのだろう。
 まだ走る、羅乃目は歩をゆるめずにまだまだ突き進む。これだけ遠い場所からの匂いを察知して辿っているのだから大したものだ。
「オイオイまだ走るのかよ、オメエ腹減ったって言うわりに元気じゃねーか」
「限界! もう限界でやんす!」
「あとどのくらい?」
「この辺りからごはん屋さんぽいけど、うーん」
 また店の雰囲気が変わってきている。羅乃目いわく食事ができる店が増えてきているらしい。でも何故か不満気だ。もじもじと黒骸と繋いだ手を振り回しながら呟いた。
「一番美味しそうな匂いが、もっとずっと向こう」
「そっか」
 どうやら鼻と心をくすぐる匂いはまだまだ先にあるらしい。ここまできたらそこまで行こうという感情と、まあこの辺りで手を打つのもありかもしれないという妥協の感情が左右から脳裏に迫ってくる。
「わかった、おんぶしてあげるから案内して。俺はまだ元気だから任せてよ。羅乃目の背中がくっついたら大変だ」
 黒骸の提案に名実ともに飛びついた羅乃目は、大きな背中にひっついて嬉しそうだ。
 ずいぶんと中心地であろうお堀から遠ざかってきた。この辺りはたしかに飯屋が多いらしい、往来からぐっと人が減り、ひしめく飯屋からは灯りと楽しげな声が漏れてくる。
 羅乃目はそれでもまだ先をご所望だ。
「オーイ、どんどん侘しい雰囲気になってきたぞー? いいのか?! こっちか?! このままだとまた北町に入っちまうんじゃねえのか?!」
 黒骸を羅乃目に取られた雨庸は流れるような速さで地面を這っていた。
「まだ西町だと思うよ」
「もうちょっと、もうすぐそこ!」
 ここまでくると羅乃目の鼻はいいと言うよりも執念深いと表現したくなる。よくもまああの距離から察知したものだ。よほど気に入った匂いがするのだろう。いや料理ならば香りだろうか。
「あれ! あそこ!」
 やっとの思いでご指名の店前までたどり着くと、黒骸がおろそうとする前に羅乃目はぴょんと背中から飛び降りた。まるで踊るような可憐さで店の戸に手をかける。
「あ」
 羅乃目があることに気がつく。
「暖簾、ない……
 そう、つまりこの店は閉店してしまっている。
「あ、のれん……へい、へいてん……?」
 この世の終わりを写した大きな瞳が、まん丸に見開かれたままゆっくりと黒骸を向いた。
「ご、ごはん……
「仕方ないよ羅乃目、少し戻って開いてるお店を探そう」
「ここ、ここがよかったでやんす! だって一番いい匂いがしたから!」羅乃目は閉ざされた戸にしがみついて叶わないわがままを言っている。
 確かに周囲にはまだ料理の香りが漂っていたし、戸の奥から灯りが漏れている。閉店したのはつい今しがたかもしれない。
「ほら、駄目だよ立って。いい子だから」
「だめじゃないでやんす!」
「駄目だよ。こうしている間に他のお店も閉まっちゃうかもしれないよ」
「閉まらない!」
「もう、早く戻ろう?」
「絶対ここが一番だった!」
「うんうん明日また来よう。背中くっついちゃうんでしょう? お腹ぺこぺこならきっと他のところも美味しいよ」
「だってここだったでやんす! ううー!」
 一周まわった空腹のせいか少し羅乃目の様子がおかしくなってきた。威嚇めいた音が喉から出た時、不意に戸が開く。
「あの、あまり物で申し訳ないけどまだ料理が少し残ってるんだ。簡単なものなら新しく作れるし。見ての通り閉店してるけど。その、よかったら寄ってってくれよ」
「いいんでやんすか!!」
「いいよ。あまりに賑やかだったから聞こえちまってさ、腹ぺこなんだろ? 飯屋は腹減ってる人に飯出すのが仕事だからな。こんな西町の外れまで来てくれたことだし、無下にはできないよ」
「わーい!!」
「ありがとうございます、すみません」
「ありがとございます!!」
 羅乃目があまりにも騒ぐので店主が何事かと中から聞き耳を立てていて、哀れに思ったのか出てきてくれたのだ。
 出てきた店主はまだ若そうだ、青年と呼べる年齢層。人のよさそうな太い眉毛をなだらかに下げ、瞳はぱっちりとしつつも優しい印象で、少し大きな鼻と口をしている。この青年は似顔絵が描きやすい顔かもしれない。
「片付けの途中で申し訳ないけど、まあ好きな卓に座ってくれよ」
「おじゃまします!!」
「本当にありがとうございます」
「よかったな羅乃目。行儀よくするんだぞ」
「ここまで来た甲斐があったじゃねえか!! いい人間だな! いっちょツラでもしっかりと拝んでおいてやるか」
「ッきゃーーーーーー!!!!!!」
 雨庸が覗き込もうと大きな口で近づいた途端、とんでもない悲鳴をあげて店主が後ろへ倒れた。起き上がってこない。
「えっ、あの?」
「ンだよ気絶してんぞこいつ」
「わっちのごはんは?!」
「待て、この男なにに対して悲鳴をあげていた?」
 そうだ、この男はなにに対して悲鳴をあげて気絶した?「うわあ」でも「ぎゃあ」でもなく「ッきゃーーーーーー!!!!!!」とあられもない叫びをあげる程のことはなんだった?
……雨庸を見たから……?」
「オレ様が見えるってのか? 嘘だろ? 人間なんかに? ありえねえだろ」
 前代未聞の事態に空腹も忘れ……とはいかない。そうはならない。
「ちょっと! もう! 雨庸も羅神もあっち行ってて!! 外にいて!! ごはん食べるでやんすから! 考えるのはそれから!」羅乃目は店主に駆け寄って揺り起こそうと肩に手をかける。「あっち! あっち行って!! 早く!!」
 羅乃目の剣幕に押されて憑守たちはすこすごと戸をすり抜けて外へ出た。
「大丈夫でやんすか?」
……ハッ?!」
 肩を揺すって頬を軽く叩くと店主は目を覚ました。
「蛇!!……え、あれ? なんだ、俺なんか……?」
 開口一番に蛇と発している時点でもう完全に判明してしまった。黒骸はこっそり眉をひそめて苦い顔をする。
「どしたでやんすか?」
「あれ? いや……大丈夫、です疲れてるのかな? お見苦しいところを」すみません、と続く部分を言葉には出さず、ぺこぺこしながら立ち上がった。「えっと、おふたり、ですよね?」
「ふたりでやんす!」
「はい! よし! えっと……用意します出せるか分からないけど何かご希望は?」
 仕切り直した店主はてきぱきと働き始めた。まだ混乱しているのか、出会った時と少し口調が変わっている。
 営業中の残り物だというおかずの中に、しみしみに煮たやつではないものの大根を炊いてみそをかけてある品があった。羅乃目はもう大喜びでお礼を言いながらかぶりつく。あと煮豆が少しと高野豆腐が少し。あまり物は自分で食べてしまうつもりだったからご一緒させてくれ、と店主も加わった。三人で少しずつ分け合った米は冷えていたが、漬け物と汁物は新しく用意してくれたものだ。
「美味しい!! よかった! 間違いないでやんす! 来てよかった! ありがとございます!!」
「そこまで言ってもらえると俺も嬉しいよ」
 お腹が溜まってきた羅乃目はみるみる機嫌がよくなってきた。太都に来てからの一番いい笑顔度を更新し続けている。
「太都の人じゃなさそうだな、いつ来たんだ? 観光?」
「さっき来たでやんす、さっきよりはちょっと前だけど。とにかくお腹空いたからごはん食べたかったんでやんす」
「じゃあ最初にここへ来てくれたのか。光栄だな」
 黒骸は羅乃目と店主の会話をにこやかに聞いている。表情こそは柔らかかったが先ほどの件が腹に居座っているらしい、箸の進みが若干遅い。神経を集中させているような警戒しているような目を時折りしては、ふと我に返るのか瞬きをしながらそれを元に戻す。
「宿はどうするんだ? 西町もこの辺りだと宿屋はないぞ。蜜の方に戻れば別だけど……
「蜜?」
「ああごめん遊廓のことだよ。町の中心にどかんとあるから西町全体を花に見立ててあそこを蜜って呼ぶんだ。つまりこっちの方は花びらってこと」
 店主は両手首部分を合わせて、手のひらと指をぱっと開いた。花を表そうとしているのだと受け取れるが、ここから謎の力を解き放とうとしていると言われても頷ける。でもきっと花だ。
「もど、るー?」
 羅神が見ていないのをいいことに、羅乃目はおかずを口に運んだ箸の先をほんのり咥えたまま黒骸を見やる。
「どうしようか。あの辺りの宿も無いよりはましかなと思ってるけど」
 これに関しては黒骸も困っている様子だ。本当は遠慮したい、きっと羅神も嫌がるだろう。飯屋探しを西町で完結させずに東町まで出てしまえばまだなんとかなったかもしれないが。
「気合い入れて今から東町まで行っても、この時間だとどこも受け付けてもらえないだろうからなあ」
「まあ、そうですよね」
「夜にこんなに元気なのは太都でも西町だけだからな。店によっては交代制で丸一日中営業してるところもあるくらいだ」
「すごい。それで採算が取れるくらいに繁盛しているってことですよね。やはり人が集まる場所は違いますね」
 ふたりの会話を目で追いかけながら羅乃目が最後の高野豆腐を口に入れた。完食である。
「んで、寝るとこどうしよ」
「寝床探しが難航するようならうち泊まってくか?」
「いいんでやんすか?」
「物置きに使ってた掘立て小屋を改装してさ、昔。俺もそこで生活してたことあるし、人に貸してたこともある。広くはないけど一晩寝るだけなら十分じゃないかと思う。それに使ってない間も定期的に掃除してるから絶望的な汚さではないぞ」
「いえ、でもそこまで甘えるわけには」
「まあ最初にうちに寄ってくれた縁だ。美味しそうに食べてくれたしな。むしろこっちからのお礼みたいなもんだと思ってくれていい」
 黒骸は躊躇うように返答に困っていたが、羅乃目は乗り気に見える。
「じゃあよろしくお願いします!!」
 美味しいご飯で腹が膨れて今夜寝る場所にも困らずに済んだ、羅乃目の執念深い鼻は大活躍をみせたと言っても過言ではないだろう。
「オーイ、今日はここで寝んのか? もういいか?」
「!!!!!」
「あっちょっと雨庸」
 黒骸は声に出すことを一瞬迷ったが、明らかに店主が雨庸に気付いて顔面蒼白になっているので隠す必要はないと判断した。というかもう隠せない、隠せていない。
「ゆ……夢じゃなかった?!!!! へ、へび! 喋ってる!! でか! は?」
 今度は気絶しなかったが、口をぱくぱくさせながら確実に雨庸を指差している。椅子に座っているから分からないだけで、おそらく腰を抜かしている。
「もう隠せないというか無駄か……羅神も出てきちゃっていいんじゃないかな」
 黒骸に呼ばれて、羅神は控えめな態度で鼻先からするりと戸をすり抜けてきた。
「まさか人間に我々が見えているとはな」
……幽霊ってこんなにはっきりしたもんなのか?! 俺は霊感なんてないのに! 嘘だろ! せめて白い着物で髪の長い女の霊とかにしてくれよ! うらめしや〜って言ってくれ!」
 店主は案外冷静なのかそうでないのか判断に困る慌て方をしながら、文字通り頭を抱えている。
「バッキャーロー! オレ様が幽霊なんかなわけねえだろうが! 憑守様舐めんな!!」
 幽霊と言われた雨庸の自尊心に傷がついたのか、威勢よく否定している。黒骸は「なんでそれ言っちゃうかな……」と口の中で呟きながら渋い顔で眉間を押さえた。
「つきかみ……?」
「おうよ! オレ様は憑守様よ! その辺の幽霊と一緒にしてもらっちゃあ困るってもんよ!」
「雨庸もう黙って」
「つきかみって、聞いたことあるぞ」店主は記憶を探るような表情になった。「ずっと前……寺子屋、寺子屋で習った……確か紅族と一緒にいる、邪神?」
「邪神たぁーまあひでえ言い様だ」
「雨庸黙って喋りすぎてる」
 雨庸を遮って黒骸が前に出る。そのまま椅子から立ち上がれずにいる店主の前まで来ると上から両肩を押さえつけて動きを封じた。
「すみせん。まさか憑守が見える人間がいるだなんて思いもよらなかったもので。紅族が生き残っているだなんて人間に知られたらどうなることか、容易に見当がつきますよね。巻き込んでしまう形で申し訳ありませんが、知られた以上は生かしておくわけにはいきません」黒骸の両手がなんの躊躇いもなく店主の首にかかろうとしている、その時。
「待った!! 待った待った待って!! 俺は別によくわからねえし! わかってねえし! なにより絶対死にたくない! なんかあれだろ? 誰にも言わなければいいんだろ? 言わない!! 絶対! 墓まで持ってく!! 絶対言わないから!」
 自身に降りかかってきた災厄を理解した店主が慌てふためき命乞いをしている。首に半分かけられた黒骸の手を掴んで、まさに必死の形相。
「人間の口約束を誰が信じると?」
「信じてくれよ! 嘘ついてどうすんだよ!」
「嘘をついたら命拾いできるじゃないですか。この場の嘘はかなり重要なのでは?」
「俺は嘘が下手なんだ!」
「そのようなことを俺に言われましても……
「くだらない話をしている間にとっとと済ませればいいだろう。人間相手に無駄なことをするな」
「ああ、じゃあそういうことですので。ご飯は本当に美味しかったです。ご馳走様でした」
 両者一歩も引かない一方的な命の駆け引きは、羅神の言葉で強制的に幕を閉じた。
 黒骸の指に力が入るその刹那。
「待って」
 ずっと黙っていた羅乃目が声を上げた。指から力が抜ける。
「どうして止めるの?」
「どうやって証明するつもりでやんすか? 絶対にわっちらのことを誰にも言わないって」
 羅乃目は黒骸からの問いに答えず、店主に向かって話しかけている。
 寿命が延びた店主は真っ青を通り越して真っ白な顔で羅乃目に向かって叫ぶ。
「監視とか! すればいいだろ! 俺が間違いなく誰かにこれを言ったってなったら! 嘘をついたなら殺されてもいい! でも俺は絶対に誰にも言わないから! 殺されない!」
「監視でやんすか」
「そうだ、見てればいいだろ。俺が誰にも言わないかどうか……」真っ白だったはずの顔色に少し色が戻った。店主は何かに気付いたような表情をする。「そうだ、近くで見ていればいいんだ! ずっと! そうだよ、うちで働かないか?」
「へ?」
 命乞いが急展開して仕事の勧誘に姿を変えてしまった。置いてけぼりになっている紅族のふたりは呆気にとられて店主を眺めている。
「そうだ丁度いい! 俺も店に人手が欲しかったんだ! さっき言った掘立て小屋に住んでいいからさ! 住み込み! どうだ? 少しだけど給金も出すぞ」
……自分が何を言っているかわかっているのですか?」
「もちろん。ずっととか言っちまったけど、いつまで太都に居るんだ? というか何しに来たんだ? やっぱ観光?」
「人間、を見に来たでやんす、たくさん居る場所に来た方がいいかと思って。えと、あと、とりあえず気が済むまでいる、でやんす」
 ついさっきまで顔面蒼白で命乞いをしていた人間の元気さに圧倒されて、羅乃目がたじろいでいる。
「そうかそうか、まあひとまずは気が済むまでの契約ってことで。よし、まとめると! 俺は店に人手が欲しい、ふたりは俺が秘密を口外しないか監視したい、なら一緒に暮らせばいい。しかも店を手伝ってくれれば給金も出る! それに秘密を守るなら事情を知ってる第三者がいた方が楽な時もあるからな、口裏合わせられるし適当に誤魔化したりもしてやれるぞ。俺は絶対に言わないから絶対に殺されないしな! どうだ? お互い幸せしかないだろ?」
 店主は自分の言葉の途中で「え、天才か我ながらいいこと思いつけてるぞ」と言いそうな顔をしながら話していた。
「嘘へたなのに口裏合わせたり誤魔化したりできるでやんすか?」
「っあーそうだ、そうだ、そうだな……ごめん」
 羅乃目からの指摘を受け店主は時期を過ぎた花なように萎れてしまったが、最後に力強くこう付け足した。
……でも飯もつける!」
「よろしくお願いします!!」
「ちょっと羅乃目!」
 命乞いからの勧誘は並行線を辿るかと思われたが、最後のひと押しが完全に羅乃目を打ち破った。既に彼女の目から敵意は消えている。
「待ってよ羅乃目、本気で言ってる?」
「本気も本気でやんすよ。現状これが一番いい選択肢でやんす」
「生かしておいていいことがあると思うの?」
「あるでやんすよ、美味しいごはんが食べられる!」
 もうその気になってしまった羅乃目は止められそうもない。黒骸はいくらでも言いたいことが出てきそうな口を一旦閉ざし、長く息を吐いた。
「統領が、そう決めたのなら」
 羅乃目を真っ直ぐ見据えて静かに言い切った。これ以上は意見しないという意思表示だ。
「話はまとまったか? じゃあ自己紹介しないとな。俺は鎌苅トキ時かまかりときじ、よろしくな」
「わっちは羅乃目、こっちは羅神」
「うむ」
「俺は黒骸です。こちらは雨庸」
「ヨロシクなー! 人間!」
 まるで御伽話のような展開で太都初日は終了した。最後は全員勢いで駆け抜けてしまったが、どう考えても終着地点がおかしい。
 トキ時が変な気を起こさないかと羅神と雨庸を見張りに出していたが、あの男は命乞いの疲れが出たのかあっという間に眠りに落ちて朝まで起きずに熟睡していた。


 そして陽が昇る。
 どうにも気まずさといたたまれなさを感じて若干ぎこちない雰囲気を持ちつつ、三人は顔を合わせた。昨晩はああ言ったものの実際はどうしていこうかなという思案をしている様子だ。
「とりあえず飯、食うか?」
 トキ時の音頭でもそもそと動き出すと、早い時間から炊いてくれていた米と汁物を用意してくれた。
「昨日のお漬け物美味しかったでやんす」
「本当か? 俺が手塩にかけて育てたぬか漬けだ。よーし切ってきてやろう」
 自慢の漬け物だったのか、羅乃目に褒められたトキ時は嬉しそうに土間へと引っ込んだ。
「いい人間でやんす……
「羅乃目はその判断基準を改めた方がいいよ」
「でもちょっと思うでやんすよ。人間ってこんなにたくさんいるんだから、ひとりくらいいい人間いないと均衡が取れないなって」
「どうだろうね」
 漬け物を待つ間、ほんの少し重くなる空気。そんなこととはつゆ知らず、土間の奥からは小気味いい鼻歌が聞こえてくる。
「トキ時ーなんか食わせて」
 営業中でもないのに勢いよく戸が開き、男が現れた。
「なに、客? こんな時間に」
 確実に自分にも返ってくるだろう台詞を吐きながら、無遠慮に店内へと入ってくる。
 鍛え上げられた肉体とそこへ施された彫り物を惜しげもなく披露するかのように大きく着崩した着物をだらしなく纏い、長い前髪とざんばらの髪の毛で、顔の右半分を包帯で覆い、前髪の隙間からのぞく切れ長の三白眼の下には濃い隈をたたえ、露出されている顔面部分にも彫り物が入っている。とにかく追加で付与された特徴が多すぎて、この男の素顔の印象が全く掴めない。
「お、なんだ飯か?」
「うんそう。なんか食わせて」
 男が羅乃目たちを通り過ぎようとした時、奥からトキ時が戻ってきた。
「丁度俺たちも食ってたんだ、加わってけよ」
「俺たち。って、こいつら客じゃないの?」
「新しい従業員、住み込みの。お前も人手増やせって言ってたろ?」
「は?」
「羅乃目と、黒骸だ」
 トキ時はそれぞれ手のひらでふたりを指し示した。指をささないようにしたらしい。
「は? 待てよ、俺昨日の夕方に顔出したよな? んで今日の昼に来てんだよ。夜しかねえんだよ昨日の夜しか! なんでふたりも新顔入ってんだよ! しかも住み込み? つか俺に言えって、なんで勝手に入れてんの」
「なんでお前に言わないといけないんだよ」
「言うだろ!」
 この男の正体はわからないが、気持ちは正直なところ痛いほどわかる。なんなら三人だって状況をしっかり掴めているとは言い難い。かといって命乞いからの勧誘だなんて言えないだろう。
「いいんだ! 新しい従業員! よろしくな! 羅乃目と黒骸!」
 トキ時はなんとか一回会話を終わらせようと、今一度ふたりの名前を紹介して席に座った。
「そっちは誰でやんすか」
 やや控えめに羅乃目が男に声をかける。雇い入れる従業員について口を出してくるのだから、店に関係がある人物には間違いなさそうだ。
「俺は天河良あまかわりょう、人呼んで『死神』。この店のケツ持ちしてる」
「そんでもって俺の親友な」
 立ったまま簡単すぎる自己紹介をした男に、トキ時が一言付け加える。
「お前らなに考えてる、よそ者だろ? なんでこんな店で住み込み従業員決め込んでんだ」
「美味しいごはんに釣られたでやんす」
「飯が美味い、ね。そいつは同意だが説明になってない。なにを考えてる。なんなんだお前らは」
「なんなんだ、と言われましても」
「言えねえ事情でもあるってか?」
「そんな大層なもの持ち合わせていませんよ」
……
 明確な敵意を持って言葉を投げつけてくる良は、立ったまま視線だけでふたりを交互に見下ろしている。トキ時がいたたまれなさそうに唇をきつく閉じていた。そんなこと言うなよ、と頬には書いてあるが、喉でつかえてその先まで出てこないようだ。
 しばし沈黙を決め込んだ両陣営であったが、良が口を開く。
……悪いなトキ時、俺やっぱり飯いいや」
「あえ、おい」
 踵を返した良は片手をひらひらさせながら店を出て行ってしまった。
 四人から三人になった店内で、三人も少し昨晩の己を見つめ直しているのかもしれない。最善の選択肢の"最善"が、継続的であるとは限らないのだ。あの時の最善は今日の最善とは言い切れない。
「冷める前に食べてしまえ」
 見かねた羅神が声をかけた。
 冷めているより温かい食事の方が、きっと美味しい。
 

     *


 かくして、こうして出会ってしまった四人の若者。役者が揃い、歯車が回り出す……というのは大袈裟すぎる。歯車などとうの昔からそこでくるくる回っている、歯車は回り続けている。そのからくりで幕の上げ下げをしているだけに過ぎない。
 そう、幕が上がった。
 幕が上がったのだ。




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