三角リョヲヘイ
2024-11-03 15:25:58
20152文字
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月に鎮め/本編小説、第二話

ねこいじめの話

※特定の生き物に対する暴力的で残酷な表現があります。題名から察せられる通り、助かる猫と助からない猫がいます。申し訳ありません。

第二話
ねこいじめの話


羅乃目らのめ……紅族。第十九代統領
黒骸くろむくろ……紅族。羅乃目の許婚
羅神らじん……羅乃目に憑いている黒い狼の憑守つきかみ
雨庸うよう……黒骸に憑いている白い大蛇の憑守
鎌苅トキ時かまかりときじ……憑守が見える、食事処伊呂波しょくじどころいろは二代目店主
天河良あまかわりょう……通称「死神」。伊呂波のケツ持ちをしている彫り師





 近頃、東町をにわかに騒がせている事件があるそうだ。とは言っても人間たちの間では、事件という禍々しい単語を引っ張り出してくる必要もない程度のものという認識らしい。自身には決して降りかからないであろうその不幸の数々は、所詮は日々の生活の賑やかしでしかない。
 その瓦版を読んだうちの何人かは胸を痛め、また何人かは読んだことも忘れ、また何人かは絶対的な他の不幸に内心ほくそ笑む。この構図は人間に限ったものではない。生き物とは総じて卑しく矮小で、弱者を虐げなければ己の存在さえ確かめられない。弱く弱く脆い。多かれ少なかれ生き物とはそうやって営みを続けている。踏みつけ、踏みつけられ、恨み恨まれ繰り返し、時には結託する。抜け出すことのできない業の輪を、高みの見物を求め自分だけは一抜けしようと必死にその場で走り続けている。
 この乱暴で根拠のない決めつけに、腹を立てる者もいるだろう。だが千を過ぎてから年を数えるのをやめた長命が言っているのだ、少なくとも経験則としてはかなり信憑性が伴っていると判断しても差し支えあるまい。人間が紅族にした事が私に挙げられる最たる例だ。結託して寄ってたかって弱いものいじめはさぞ楽しかったであろう。
 まあ退屈な決めつけの話は早々に切り上げよう、私情を挟んで話もやや逸れた。これに関してのみ謝罪する。
 この先は、ひとつ胸に刻んでから読み進めてもらおう。他者を斬る時は自分も斬られる覚悟を持ち、他者を殴る時は殴られる覚悟を持ち、弱いものいじめをした者は、同じことをされる覚悟を持たなければならないということを。
 

     *

 
 食事処伊呂波の朝は遅い。
 蜜の夜見世に合わせて暮れ六つに開店し、おおよそ九つ頃に(夜十八〜二十四時)閉店するこの小さな飯屋の朝は、当然遅い。
 すっかり太陽が昇りきった空の下、めいいっぱい息を吸うとまだ肺の底にツンと冷気を感じる季節。世界が蠢く春の手前。羅乃目は身支度を整えると、元物置きだった簡素な作りの掘立て小屋を出て中庭とも呼べない小さな空間を飛ぶような大股三歩で渡りきった。洗濯物を干せばそれを縫うように歩くかしゃがむかしないと通れない、手入れはされているのにどこかぼやけていて、こぢんまりとした場所。
「トキさんおはよ」
 そんな申し訳程度の中庭を隔てた先には店舗兼母屋があり、店主兼大家の鎌苅トキ時が住んでいる。今は広めに設計された土間でぬか床を丁寧に混ぜていた。
「おう、おはようさん」
 手についたぬかが額につかないように、肘付近で器用に垂れた前髪を直しながら顔を上げる。きれいなままの左手で前髪を直したらいいのに、とは言わない優しさを羅乃目は持ち合わせている。教育の賜物だ。
 人のよさそうに微笑むトキ時の背後には暖簾がかかっている。あの先が食事処伊呂波で、手前の細く急な階段を登った二階がトキ時の生活空間だ。土間と店舗は下足のまま行き来ができる構造になっており、階段の手前で履き物を脱いで上がる仕様になっている。他の町と違って居住区がない西町には屋敷や長屋の類が存在せず、多少違いはあれど大抵はこのように店舗と家を兼ねた少々特殊な構造の建築物で構成されている。
「黒はまだ寝てるのか?」
「わっちが言っても全然起きられなかったから、そろそろ雨庸が大騒ぎして起こすでやんすよ」
「あーまあ、うん、よし、じゃあ飯の支度するか」
 汚れた手を拭き、たすき掛けして既に存在しない袖をまくりながらトキ時が暖簾に手をかける。
「雨庸の声が他の人には聞こえないのが救いかな」心の声か口から出すつもりの言葉だったのか判断しにくい抑揚と大きさでつぶやくと、渋い感情の滲む表情で暖簾をくぐっていった。
「諦めろ。そのうちに慣れる」
「そうでやんすよ」
 トキ時は雨庸の空気を震わせるほど大きな声が苦手な様子であった。これは怖がるトキ時を面白がっておどかしからかう雨庸に問題がある。雨庸としては、自分を認知してくれる存在が増えたことが嬉しくてたまらないだけらしいが……
「俺は羅神の存在にもまだ慣れてないんだけどな」毛の黒い狼を見下ろしながらトキ時は控えめに唇を尖らせている。羅神がちらりと顔を向ければたちまちに目を逸らし、居心地が悪そうに視線を泳がせた。「聞こえて見えてそこにいるのに触れないなんて俺にとってはありえないんだ。霊感なんてもちろんない。見た目が動物だけど言葉だって通じる。これはそうそう慣れないって」
「私のことは気にするな、お前たち人間にとって私は存在しない。我々を蔑み忌み嫌い、排除したのはそちらだからな。今さら認識されようとも思わん。それは慣れなくていい」
「うう、棘があるなあ。べつに俺が忌み嫌って排除したわけじゃないか」
「起きろっつってんだよオメェー!! オイ! 朝だ!! オレ様の美声で目覚めろ!! ッオイ! おはようござい!!」
……
 トキ時の言葉に被さって、掘立て小屋から品のない大声が聞こえる。雨庸が寝起きの悪い黒骸を全力で起こしている声だ。これが毎日ご近所に聞こえていたらあまりの騒音に苦情が相次ぐことは想像に難くない。
 口元はほんのり笑っているが眉は力無く垂れている。困った笑顔の模範回答に、まだまだ慣れそうにないなと書いてあった。
 

「よう。やってる?」
「よう、まーだだ。知ってるだろ」
「知ってる知ってる。でも、やってる? で暖簾をくぐるのは様式美だからー。まだ暖簾掛かってないけど」
 準備中でも開けっぱなしになりがちな伊呂波の戸から天河良が顔を覗かせ、トキ時は笑顔で迎え入れた。
「今日はずいぶん早いな。なんか食ってくか?」
「んーん、今日は仕事前に時間あったから寄っただけ。あとはまあ」良は一度ここで言葉を切った。「新顔の様子を見に」
 明らかに警戒を含んだ切れ長の三白眼は、羅乃目と黒骸をわざとらしく瞬きを挟んで順繰りに捉えた。全く他人を警戒しない主の代わりに全てを警戒している忠実な番犬のようだ。改めてそういう目で見れば、この筋骨隆々な体を彫り物で飾ったうえに着物をはだけてガラの悪さを強調して歩いている死神様も、途端に可愛いものに感じてくる。だがいささかこれは幻想の度合いが高い、実際には単なるヤクザ者にしか見えないのだから。
「仕事ってなんでやんすか?」
「俺はこの店のケツ持ちしてる死神様だけど、本業は腕のいーい彫り師だからな。今日は出張で大黒組んとこ」
「彫り師だったでやんすか!」
「おうよ」
「うえ、わざわざあんなとこ行くのか」
「あんなとか言うなって。老舗の結構なやり手だぜ?お堅くて格式を重んじるから堅気の目にはやたらとおっかなく見えるだろうけどさ。最近じゃあ杉下の小悪党共も傘下にくだったって聞いたし、若い半端な荒くれを積極的に取り込んできっちり仕込んでるから、むしろ治安維持に一役買ってるくらい。あと先月大竹と三嶋の野郎共がごちゃごちゃやり合ってるとこへ仲裁に入って手打ちに持ち込ませたのも大黒だからな、俺に言わせればいいとこ」
「へえ、わからねえもんだな」
 太都への新入りを完全に置いてけぼりにする会話
で盛り上がりつつも、トキ時はふたりに気を使うような視線を送ってきた。後で少し掘り下げた説明をしてくれるつもりかもしれない。置いてけぼりにするのは本心ではない、といったそぶりにも受け取れる。
 北町はもちろんのこと、ここ西町や東町の一部でもいわゆる極道者が幅を利かせている。こういった勢力図は西町で暮らせば嫌でも刷り込まれていくし、なんだったら全く関わりを持たずに生活するのは少々無理がある。西町にひしめくあらゆる店の後ろには、大抵怖いお兄さんがついているからだ。
「いやでも俺は怖い。お近づきにはなりたくない」
「死神の親友なのに弱気〜」
「俺は天河良の親友なんだ」
「ふふん」トキ時の言葉で満足げな角度になった口角を直後わかりやすく歪めて、こう続けた。「でも今回はあんまり乗り気じゃねえんだ、下手こいた奴の見せしめみたいなもんだから。つまんねえ仕事。ったく俺に下絵から全部任せてくれれば最高のもんにしてやるのによ。さらの構成員でも紹介してほしいもんだ、どうせまた増えただろうに」
 さらの構成員とは、おそらくなにも彫り物がない構成員を指しているのだろう。彼の口ぶりから、彫り師という仕事に確かな自信と情熱を持っていることは十分に察せられる。腕がいいというのもおそらく自称ではない。
「その中に道具が?」
 良の足元には四隅を黒い鉄飾りで補強された木箱が置いてあった。使い込まれて鮮やかさを失いつつも、代わりに風格を手に入れ始めているそれは一見すると立派な薬箱に見える。素人目からでは丁度いい塩梅の薬箱を仕事道具入れとして流用しているのか、本来の正しい使い方なのかの判断がつかない。
「そ。これが商売道具。あんたもなにか入れたくなったら相談しな。華やかな絵をお望みなら、俺が太都で一番腕がいい」
「ええ。その気になったらあなたに相談しますね」
 全くその気になるつもりのないのに丁寧に紡がれる黒骸の言葉は、なんとも皮肉っぽく響いた。興味がねえなら話しかけてくるなと言いたげな顔で不敵に笑いながらふたりの視線ががちりと合うと、淀み始めた空気にいたたまれなくなった店主が話題の間に滑り込んでくる。
「断らないのか? その、そういうつまらない仕事」
「つまんねえったって別に断る理由もないし、普段から大黒組には贔屓にしてもらってるからな。今日だってついでに誰か紹介してくれそうな気はしてる。まあなんてったってこういう仕事は普通の施術よりかなり色をつけてくれっから、正直がぽがぽなの」
「はは、ちゃっかりしてるな」
「当然〜だから帰りに飯食いに来る!」
「金いらねえのに」
「じゃあ土産でも買ってこようかな。まあ楽しみにしててよ、行ってきまー」
 こうして新顔ふたりに見向きもせず、良は片手をひらひらさせながら店を後にした。
「わっちら嫌われてるでやんすね」
 完全に良の気配が消えた頃、羅乃目が思ったことを思った通りに口にした。それに対して不快を表しているというよりは、受け取った事実を共有して認識に差異がないか確認を求めているような口調だ。
「初めて会った時もなかなか厳しい評価でしたね。今日もわざわざ釘を刺しに来たのでしょう? 自分のいない間に変なことをするな、と」
「ああ、いや、ごめん。俺のせいだ」申し訳なさそうに力無く続ける「ほら、うーん。俺は人を疑ってかかったりしないから、こう、騙されてたりつけ込まれて利用されてないかって……多分思ってるんだ、あいつ。俺はそういうろくでもないのに巻き込まれやすいみたいでさ」
 小さく唸って体を捻り、眉間に皺を寄せながら懸命に言葉を選ぶ姿は、どこからどう見てもお人好しそのものだ。なんとか角を立てないように、でも状況の説明の為には事実を伝えなければならない……ここから察するに過去に「ろくでもないのに巻き込まれた」のだろう。経験を踏まえての包み隠さぬ警戒心なのだと思えば、やはり死神様はなかなか友人思いでいい奴の可能性が高い。
「俺たちがあなたを騙してつけ込んで利用している可能性は考えていないのですか?」
「んー、どうなんだろうな。でも大丈夫だろ? 俺も店に人手が増えると助かるからな。そうだ、騙す時は言ってくれ! なんてな! わはは!」
……あなたのそういうところが、あの人は心配なんでしょうね。自覚があるのに改めないところも。俺たちの得体が知れないのは事実でしょう?」
 人を疑うことを放棄しているようにも思えるトキ時の態度に、つられて毒気を抜かれる者と腹を立てる者の両方が存在するだろう。黒骸は少し後者寄り、といった雰囲気だ。
 試すような言葉ばかりを選んでいる黒骸のもとへ、トキ時はゆったりとした歩調で二歩近づくと、
「黒骸!」
 勢いよく指をさして名前を叫びだした。
 突然なにが始まったのか状況が飲み込めない黒骸はただ目を瞬かせている。
 そんな姿を気にもしないで「雨庸!」「羅乃目!」「羅神!」と、残りの面々も大声で名前を呼びながら指をさしていき、最後に「……人を指さしちゃ駄目だな」と独言で締めくくった。
「名前がわかってる、今はこれで十分だろ? 他のことはこれから教えてくれよ。ほら、味噌買いに行くから手伝ってくれ。あとはなんだ、色々! 荷物持ちしてもらうからな」
 ニッと笑いながらたすき掛けを解き、いそいそと出かける準備をするように促す。
「ほらほら行くぞ!」
 伊呂波に住み込みで働く提案をしてきた時にも感じたが、この男は気が弱い割には妙に押しが強いところもある。笑顔でぐいぐい畳み掛けてくるとでも表現すればいいのだろうか。案外根の部分は頑固なのかもしれない。
 

 その晩、良は伊呂波へ再登場した。既に酒が入っている顔色で土産が入った風呂敷を左手の人差し指に引っかけ、ご機嫌に鼻歌など歌っている。
 とは言えこの再登場、伊呂波の営業終了直後の時間である。営業終了後にご機嫌に登場するほろ酔いの男……通常の思考回路であれば、迷惑のひとことで片付けられる。だがそれを許されるのがトキ時と良の関係性だ。「なんだ、結局来ないのかと思ってたぞ」「心配した?」「心配はしてないな」「えー? ひどーい」などと笑いながら、片付けたばかりの客席へ良を促す。
「俺もかなり反省してるわけ、ちょーっと大人げなかったなーって。俺らは出会ってまだ数日じゃん? 相互理解で親睦を深める場を設けるのは必然っしょ。明日定休日なの知ってっから」
 急遽始まる宴会に備えて、トキ時は一度土間の方へ引っ込んだ。
「明日休みだから、いつにも増してこの時間は何にもないぞー? さすがに今から作る元気もない!」
 料理をする体力気力を営業時間で使い果たしたトキ時は、それでも自慢のぬか漬けを綺麗に盛り付けて戻ってきた。
「俺も腹減ってる訳じゃないから、これでちまちまやろうぜ」
「佃煮か?」
「そう、東町にある問屋の。海辺にある店と提携してるから、ここいらじゃあ珍しく魚介類の佃煮が食べられる! 俺おすすめの一品〜」
 両手で包むように持ち上げた佃煮を楽しげに顔の横へ添えて、何故かうっとりと瞳を閉じている。佃煮に頬ずりする男の完成だ。やはり多少は酔いの影響で陽気さが割り増しになっている様子である。
「これなんでやんすか?」
「ああ、大黒んとこで話題に上がってな、返しそびれて貰って来ちゃった」
 土産を入れていた風呂敷から、しわの寄った瓦版が五枚ほど存在を主張していた。
「見して」
「どーぞ」
 羅乃目は受け取った瓦版を日付け順に並び替えようと、軽く表面を目で追った。少し離れた壁際で伏せの体勢になっていた羅神が「見せてだろうが」と言葉づかいに苦言を呈したが、人前で反応する訳にはいかないという以前に、耳に届いていない様子だ。
 羅乃目が険しい顔で瓦版を眺める中、「店のケツを持つ。文化としては理解していますが、普通はいわゆる裏社会的な組織がつくのでは? 個人でまかなえるほど、あなたに力が?」「なに、聞いちゃう?」と、相互理解の為に会話が進められている。
「先代の頃は、いわゆるヤクザの組がケツ持ちしてたんだ。俺に代変わりした時にまあ色々あって」
「その組潰して。んで後任が俺」
……組を潰して? 貴方は何者なんですか」
「俺は泣く子も黙る死神様。結構有名人よ? 本業は彫り師だけどな」
「『この店は死神がケツ持ってる』っていう言葉だけで、かなり効果があるんだ。こいつもよく店に顔を出してくれるから、それが俺のでまかせじゃないことは周知できてるからな」
「ひとまずは『死神』という通り名がつくほど、貴方はこの辺りで影響力がある人物、ということはわかりました」
「でもぶっちゃけた話、俺が出張ってくるのを狙って、あえてここで馬鹿やる奴とかが厄介。どうしたって対応が後手後手になるから図らずともトキ時を危ない目に遭わせることになっちまう」
「なるほど、それなら俺が間に入れますよ。今後はご心配なく」
「なに、腕っぷしに自信あり?」
「ええ、その辺の人間にはまず負けません」
「なんで!!」
 まずまず順調な滑り出しに思えた相互理解は、羅乃目の怒りの声でぶつりと中断されてしまう。
「なんでこんなひどいことするでやんすか?!」
……俺はそいつじゃないから理由なんて知らないけど?」
 羅乃目は向かいにいる良に疑問をぶつけていた。その怒りのやり場がわからず怒鳴って肩を震わせている姿を見て、良はだらけていた居ずまいを正してやや前傾姿勢になり、正面から目を見て諭すような口調になった。
「わかる訳ないっしょ、こんなことする奴の思考回路。想像するだけ無駄、やめな」
 黒骸はゆるんだ彼女の手元から瓦版をするりと抜き取り目を通している。
「なんの事件なんだ?」
「東町に、猫をバラして殺して、その辺に死骸を撒いてる奴がいるんだってさ。どどんと瓦版になってるのが五件。発覚してない分もあるだろうって推測。奉行所は、こいつが猫で満足出来なくなって人間に手を出すようになりかねないから警戒してはいるみたいだけど、まだしょっぴこうとはしてない。ハナから人間に手を出さないあたりが東町の事件っぽいよな、人間バラすなんてこっちじゃ日常茶飯事だっての」
 内容を把握している良が、感想をつけ足しながら概要を話した。
「人間は駄目だけど猫はいいでやんすか? 人間と猫は違うんでやんすか?」
……なにを基準に持ってくるか、かな。お前みたいに猫が好きな奴も嫌いな奴もいる、同じように人間が好きな奴も嫌いな奴もいる。どっちを好きな奴が多いか、はあるかもな。でも突き詰めれば、多分それだけのこと」
……
「怒んなって。俺は楽しく話をしに来たんだから」
……わっち、もう眠いから寝るでやんす」
 むくれ面の羅乃目は離脱宣言をすると立ち上がり、隣にいる黒骸の袖を引っ張ろうとして手を出したが、やめて引っ込めた。
「ん。俺今度は昼間に来るから、また話そ」
「これわっちにちょうだい」
「いいよ。それ東町の方で売ってる瓦版だからこの辺だと続報が出ても手に入らないけど、出たら手に入れとく?」
「大丈夫、自分でできるでやんす」
「わかった」
……わっち、猫だけじゃなくて動物はみんな好きでやんす」
「教えてくれてありがと。俺も動物好き」


「昨日はあの後どうだったでやんすか?」
「どう……そうだね、相互理解とは言わなくとも相手を知ることは必要なこと、かな。結果としては悪くなかったよ。期間はともかくとして、ここで厄介になるなら周囲の人間とある程度は親密さを装う必要はある。下手に拒絶して浮くべきじゃない」
「ふうん」
「知ることと、仲良くなったかどうか、そして今後なるかどうかは別問題だよ。俺たちは人間を見に来ただけなんだから」黒骸はすらすらと淀みなく語る。「羅乃目は今のところ、あのふたりをどう思ってるの?」
「少なくとも嫌いじゃないでやんす」羅乃目は即答した。「トキさんは結構いい人間だなって思う、死神も嫌な奴ではなさそう」
……そう。それはよかった」
 窓のない元物置きの掘立て小屋は、陽の高い時間帯でも薄暗い。玄関の障子から薄ぼんやりとした陽を感じるが、陽の光が空気中のちりに反射してきらきらする、なんて表現とは程遠い。淡い輪郭の空間と相まって、ふたりの会話はよからぬ企てのようにひそひそと流れる。
「オイ!! 真面目な話してっとこ悪いんだけどよ! こいつァどうすんだよ!」
 雨庸が勢いよく羅乃目と黒骸の間に滑り込んできた。羅乃目にとって雨庸は実体がないが、黒骸には物理として存在している。どうやら鼻先をぶつけられたらしい。上品に指をそろえた左手で鼻を押さえて恨めしそうな目をしている。「もう!」
 雨庸が「こいつ」と言っているのは、実は先ほどからずっと羅乃目のだらり帯の端をたしたしと叩きながら遊んでいる茶と黒の混ざった子猫だ。
「雨庸に言われなくてももう行くでやんすー」羅乃目は子猫を抱き抱えると鼻先を合わせた。「仇討ちでやんすよ、気合い入れて」
「ニャーン」
 
「トキさーん! この子お母さんとはぐれちゃったって。だから探してあげることにしたでやんす!」

 遡ること数刻前。
 羅乃目はひとり昼前から東町へ来ていた。
 行きしなに古本屋でタダ同然で手に入れた東町の地図へ(店主曰く、情報として少々古いらしいが区画は大きく変化していないとのこと。隅に拙い字体で記名がされている)、瓦版に記載されていた死骸の散布現場を全て記し終えたところだ。
「全部こっからここまでの範囲内。近いでやんす」
 まだ土地勘がない羅乃目は通りの名前もわからないまま、指で地図を四角くなぞった。
「策があってここに来たんだろうな?」
「こういうのは聞き込みが定番でやんすよ。一度全箇所回ってご近所さんに話を聞いてみよう」
 羅乃目は野外屋内問わずどこにいても方角がわかるという野生の勘のようなものがある。最初の目的地を現在地から南東の方角に定めて歩き出す。
「お前はこの件をどう見ている」
「どう?」
「単に世間の耳目を騒がせたいだけなのか、目的を持った犯行なのか。己より弱い存在を標的にするのはいつの時代どの生き物でもある。だがそう難しい手口でもない故に、瓦版が出回っている以上は模倣犯の存在も否定できまい。猫で満足できずに次は人間に手を出す可能性もある。聞き込みはいいが、奴らは人間の人相を細かく視認して分類化できているわけではないのだぞ」
「もしわっちがこいつで世間を騒がせたいだけだったら、五回も瓦版になっている間にどんどん標的を大きくしていく。もっと凄いこともできるぞ、もっと騒いでくれって。猫だけじゃ飽きられて瓦版にしてもらえなくなる可能性の方が高い。そういう奴は見向きもされなくなるのが嫌でやんしょ? なのに発覚してない分もあるって推測されてるくらいには犯行を重ねてる。だからきっと、こいつは自分より弱い存在をただ狙ってるだけでやんす。勝手に騒がれているだけで世間の動きはどうでもいいから、まず人間に手を出すようなことはしない」
「ほう。思考しているな」
「どんなに馬鹿な人間でもここまではちゃんと気付いてると思う。何度も瓦版にして大々的に取り上げている理由は、単に他にいい記事になるものがなかったから、あと『東町にこんなに危ない奴が彷徨いています、今後は人間にも手を出すようになるかもしれないから、みんなでしっかり防犯意識を持ちましょう』っていう呼びかけみたいな、きっとそういう意味でやってるだけだと思う。人間に手を出していない以上は捕まえる気がないから、いいように使わせてもらってる、というか、なんか、そんなの。あと全部同一犯の単独犯」
「理由は」
「勘!」
「勘か」
 呆れているというより、妙に感心しているような口調でおうむ返しをして一旦話を締めくくられた。
「防犯意識の呼びかけ以外に、単に己の身に降りかからない不幸を共有して楽しんでいるだけの可能性もある」という予想は羅神の口の中だけで終わらせた。
 到着した最初の目的地は、一番最初に瓦版になった件の現場だ。東町の中でも比較的賑やかな商店の通りから一本入った路地。この道が次の大通りと垂直に交わるまでの約十間(約十八メートル)の間に、ばらばらにされた死骸が撒かれていたという。当然既に回収済みで、どこにどうやって落ちていたなどの正確な情報はわからない。
「人間は人間に手を出さないと捕まえないって言うなら、猫に手を出した奴はわっちが捕まえる」
 調査開始だ。
 まずは路地を二三回くまなく観察しながら往復する。なるほど、昼間でこの人気の無さであれば夜はなおのこと人目を掻い潜れるだろう。なにか事を起こすには絶好の場所だ。
「勘でやんすけど、どこかでばらばらにしたものを風呂敷か何かで包んで持ってきて、歩きながら撒いて素知らぬ顔で大通りに出てるんだと思う。ここには人気がないけど大通りには近い、不審な物音をたてて覗き込まれたら身を隠す場所がない」
……
「そろそろ聞き込みしないと」
 羅乃目は終始真顔で静かに淡々としている。羅乃目は怒れば怒るほど真顔で静かになっていくことを羅神はよく知っていた。大声で当たり散らしている段階の方がまだなだめようがある。
「あ、猫だ。ねーこねこねこねーこー」
 突然普段の声色に戻った羅乃目は軽やかな足取りで猫へ近づいていく。猫の方も歓迎体制でその場でニャアニャア鳴いている。野良らしい毛並みではあるが体躯はしっかりとしたオス猫だ。
「わっちが話すとちょっとあれでやんすね。あとは羅神に任せるでやんす」
 紅族はもれなく動物と会話ができる。人間が人間同士で会話するのと同じだ。紅族は動物と会話ができる。ただそれだけのこと。羅乃目が口にしていた聞き込みという言葉も、最初から動物たちへの聞き込みを表していた。彼女彼らは、人間とはまた違った角度から物事をみており、場合によっては人間よりも仔細を知り得ている。
「かわいーでやんすね、このこの」
 羅乃目は猫の額を撫で回して可愛がり、その場に止まっても不自然ではない絵を作り出した。どこかへの近道なのか、大通りからこの路地へとひとりの婦人が入ってきて「あら、お可愛らしいこと」と微笑んで横を通り過ぎていった。作戦は成功だ。
 動物たちの地域社会は人間たちが認識しているよりもはるかに基盤のしっかりとしたもので、規律を守って円滑に運営されている。わかりやすい例を出そう、猫の集会だ。あれは本当に集会を行っている。あそこまで人間にわかりやすいものではないが、野生の鳥も野犬もネズミも地域社会を構成して生活している。野生にも野生なりの秩序というものが存在するのだ。
「ほう、では協力してくれるのだな」
 人間社会でも往々にしてあるように、そういった地域社会からはみ出すものは少なからずいる。好き好んで突っぱねているもの、圧倒的弱者故にそこに入れないもの、理由は人間と変わらず様々だ。そういったはみ出しものが、悲惨な目に遭いやすい構図は生きとし生けるもの、変わらない。
「案内は嬉しいが目立つ行動は避けたい。ああ、そうだ」
 動物と紅族は友好関係かつ協力関係にある。事実、紅族の里では家畜としてではなく隣人、友として動物たちと生活を共にしていた。動物がどの様にして人間と紅族を見分けているのか明確にはわかってはいないが、遺伝子に刻まれているとでも仮定しておこう。彼女彼らは互いに助け合い協力して生きていくものなのだと、その血に刻まれている。
「助かった。では待っていればよいか?理解した」
 初手で大当たりを引いたようだ。羅乃目は自覚を持つほどに勘も運もいい。持ち得た使えるものはいくらでも、おおいに使っていくべきだ。
 オス猫は羅乃目の手をするりと抜けるとひと鳴きし、大通りへ向かって背を向けた。
「じゃあ、あっちのお茶屋さんでやんすね。休憩して待ってるでやんす」
 オス猫の言うことには。
 人間界の瓦版を賑わせている猫虐殺の事件は猫社会を震撼させており、彼らも対応に奔走している最中だという。親分格でもないのに責任感の強い彼は、地域社会からはみ出してしまって情報が行き届いていない仲間へ、一匹でも多くの仲間へ注意喚起をするべく町中を奔走していたのだ。
 彼が知り得ている被害は八匹。そのほとんどが地域社会からはみ出したもの。だが人間はわざわざそんな猫を狙ったりはできない。つまりは注意喚起をしていながら、知らずに危険と睨まれている場所へ赴いてしまうものが被害に遭っている。
 野良猫に食事を与えている人間がいる。羅乃目よりも大きさがなく頭に棒をさしているという話から女と仮定してよさそうだ。その女のところへ行った猫が、翌朝無惨な姿で道に撒かれているという。どう考えてもその女が怪しい。
 彼はそこから生きて戻ってきた一匹を保護しており、この後会わせてくれる段取りになっている。
 調査開始からこの運のよさ、何かで帳尻合わせによくないことも起きそうだ。
「いらっしゃい。なににする?」
「おしることお茶ください!」
 彼に待ち合わせで指定された近場の小さな茶屋は看板娘はおらず、笑い皺が深く刻まれた品のいい老婆が切り盛りしていた。時間帯が悪いのか場所が悪いのか他に客はおらず、老婆は話し相手を求めている様子だった。
「最近ね、近くの路地でばらばらの猫が見つかったの。怖いわよねえ、誰がそんな怖いことするのかしら。他にも何件も起きてるらしいの、いやだわ」
 手早く注文の品を用意した老婆は、さも当然と言わんばかりにそのまま羅乃目の隣に座って勝手に話し出した。
「なんだかね、瓦版にもなっちゃったのよ、おおごとでしょう?」
「わっちもそれ知ってるでやんすよ」
「やっぱり有名な話なのね。もうね、起きたばかりの頃はそれはそれはこの辺りはみんな大騒ぎだったのよ、瓦版で知って、わざわざ見にくる人までいたの、でも最近はめっきり。それも嫌な話でしょう? あたしったらもうずうっと怖いのに、もう終わりなんですって。嫌だわ。どうしてそんな怖いことするのかしら。猫にね、ひどい事するのよ、嫌だわ。信じられないの。瓦版もね、猫で満足できなくなって人にも手を出すかもしれないだなんていうの、だったらもう捕まえてくれたらいいのに、嫌だわ。怖いのよ。どうしてそんなことするのかしら」
 老婆は聞いてもいないのに、何度も同じ内容を繰り返した。
 それを聞いたり聞かなかったりして、羅乃目は何てことなさそうにおしるこを食べている。
 距離で言えば先ほどの路地とこの茶屋は確かに近い。頼れる存在が離れて暮らしていれば些細なことでも心細くなるだろう。その老婆の心細さ全てを「鬱陶しい」と一蹴してしまうような感性を羅乃目は持っていない。だが優しいのではない、根本的に興味がないのだ。
「おしるこのおかわりと、あとお団子くださーい」
 話の腰をばきばきに折りながら、羅乃目は追加注文を入れる。「あら! よく食べるのね〜おまけしちゃおうかしら、美味しい? よかったわ〜うふふ」ばきばきに折られた腰を物ともせず、同じ調子のまま老婆は一度席を立った。店員が席を立つというのも、なんともおかしな話だ。
 羅乃目は通りをぼんやり眺めている。大抵の勤め先もそろそろ昼飯時だろうか、心なしか人通りが増えたように感じる。この茶屋も別の客が入ればあの老婆から解放されるかもしれないという儚い期待を抱いて、視線を手元に戻した。
「はいおまちどうさま。これ商品じゃないんだけどね、あたしの好きなお煎餅なの、おまけでつけちゃうわ。甘いのとしょっぱいのはね、交互にずうっと食べていられるのよ」
「あら、可愛い先客がいたのね、こんにちは」
 羅乃目は前後から同時に話しかけられて一度固まった。
「おあ、え、おせんべこんにちは」
「あはは、ごめんなさい急に話しかけて。こんにちは」
「いらっしゃい。そろそろ来る頃だと思ってたの、あわぜんざいでいい?」
「うん、お願いしまーす」
 話しかけてきた女はどうやらここの常連らしい。迷いなく羅乃目の隣に腰掛けてきた。誰にも聞こえないのをいいことに、羅神が「目論見が外れたな」と哀れそうに言っている。
「珍しいね、この辺りで見かけない子。ここは初めて?」
 羅乃目より大きくなくて、頭に棒をさした女だ。とはいってもそんな特徴の人物は東町にごまんといる。先ほどの老婆だって同じ特徴だ。
「最近太都に来たでやんす」
「出稼ぎさん?」
「うーん、たぶん」
 せっかくのおかわりおしるこを冷めないうちに食べたい羅乃目と、だらだら話す女のごくごく小さな攻防戦が始まっていた。この女の悪いところは老婆のように一方的に話して満足せず、逐一反応を求めたり回答を必要とする会話をしてくるところだ。そして自分のあわぜんざいが来たというのに、このお喋りをやめようとしないところだ。
 不覚にもひとりで一方的に話す老婆と、反応を求めてくる女に挟まれてしまった。羅神は羅乃目の前におすわりの体制を取り、これ以上ないくらいに可哀想な目で見ている。
「ああ、うん」
「いや別に」
「あーうーん」
 今日の運のよさの反動はこれだったんだと渋い気持ちになりながらもなんとか煎餅にたどり着いた羅乃目は、おせんべ噛んでいるので喋れないでやんすーという態度で城壁を構築することに成功した。今までにないくらい小さなひと口で大切に煎餅を食べている。羅神は誰にも聞こえないのをいいことに「やれば出来るのだから、いつもそのくらい行儀よく食べろ」と言っている。
 大事なおせんべがあとひと口で終わってしまう。このまま流れるようにお茶に入ろう。と頬に書いてある。
 絶望の淵にいる羅乃目に希望の光が舞い降りた。
「ニャア」
 待ち合わせをしていたオス猫がやって来たのだ。羅乃目は危うくここにいる目的を忘れてしまうところだった。救いのないこの世に救いを感じている。この世もこのくらい単純な構造だったらどれだけよかったか。
 いち早く気づいた羅神が近寄って話をしに行った。どうやらオス猫は子猫を連れて来たようだ。
「あ! 猫ちゃーん」
 おせんべ城壁を構築している羅乃目よりも早く、お喋りな女が猫に反応する。ぱっと立ち上がると駆け寄ろうとしたが、驚いた子猫は物陰に隠れるように道を戻ってしまった。
「あーあ驚かせちゃった。猫ちゃん久々に見たのにな」残念そうに座り直す女はこう続ける。「私、野良猫に餌あげちゃうくらいに猫が好きなの。いっそのこと飼ってみるのもありかなって、可愛くていい子だったら連れて帰っちゃおうと思ったんだけど」
……そうでやんすか」
「最近、この辺で猫に酷いことする事件があるでしょう? それのせいかな、あんまり猫ちゃんが集まってくれなくなっちゃった」
「ふうん。あー、じゃあわっちはそろそろ行くでやんす!」
 なんとか茶屋を出られた羅乃目は、通りの影まで来て猫たちと合流する。既にオス猫の姿はなく、羅神の足元に子猫だけがいた。
「わー子猫だ! 可愛いから抱っこしちゃお」
 少々わざとらしい台詞を吐くと子猫を抱きかかえて足早にその場を離れる。
「ようやく解放されてよかったな」
「あいつだ、犯人」
「?」
「あいつが猫に酷いことしてる人間」
 

「単なる勘でやんすよ、でも多分間違いない。瓦版の日付を見て思ってたけど、最初は二三日に一度は起きていたのにここ五日は事が起こってないでやんす。それは猫たちに情報が回って近づかなくなったから。あいつは獲物に飢えている」
 オス猫が連れて来た子猫は、瓦版でいうと四件目の事件で被害に遭った猫の子どもだという。直前何かを察知した母猫は子猫だけを逃したが、そのまま帰らぬ猫となったというわけだ。事情を知った親分気質のオス猫が引き取って面倒を見ることになったらしい。だがもう五日も被害が出ていないのは、あのオス猫が走り回って周知しているお陰もあるだろう。功労賞ものだ。
「あいつはわっちに話しかけてくる時、自分が気持ちよくなるような質問ばかりをしてきてた。勤め先がどうとか給金がどうとか着物の質がどうとか、そんな感じの、それでそっちから聞いておいて"あらそうなの、私はね"って自分の話をたくさんしてくる。少なくとも初対面でたまたま同席した相手にする話じゃないでやんすよ。あいつは優越感を感じたいんだ。綺麗な格好して丁寧に話してたけど、あいつは自分より下の相手を探している」
「なんだ、案外きちんとあの女の話を聞いていたんだな」
 羅神は全く別の方向で羅乃目を評価した。聞いていないものだとばかり思い込んでいたのだ。話を聞いていないふりをして実は聞いている、は特技に入るのだろうか。
「人間に手を出さないからしょっぴかれてないだけで、奉行所もあいつに目をつけてる可能性があるでやんすね。わかりやすすぎる。泳がされてるとも気づかない愚かな人間かもしれない。あいつが下手を打って人間に捕まる前にわっちが捕まえないと」
「そこまで確信めいたものがあるなら、こいつの話を聞く必要はなかったな」
「そんなことないでやんすよ。あそこにこの子たちが来てくれたから感じられた違和感もあるでやんす!それに、ちょっと危ないけど手伝ってほしいこともあるでやんすよ」
 羅乃目は腕の中の子猫をわさわさ撫でまわした。子猫も満更ではない様子でうなうな言っている。
「今夜動く。その前に準備するでやんす!」
 そこからの行動が早かった。
 まずは子猫を抱えて一度山に入り、住民たちに事情を話して仲間を集めてもらう。そして子猫を残して(羅神にも残ってもらった)ひとり山を降りると、駆け足で古着屋へ向かって当たり障りのない子ども用の着物とへこ帯を買い、またとんぼ返りで山に戻って来た。そこですかさず古着屋で買った二点を土で汚してくたびれさせる。途中で拾った大きめのぼろ布も役に立ちそうだ。
 簡単に山と町を往復しているが、色々突っ切っても片道で五里(約二十キロメートル)ほどの距離がある。羅乃目だからこそできる芸当だ。山を愛する羅乃目はその見た目の華奢さからは想像できないほど足腰が相当に強い。本人は体力があまりないと言っているが、それはいつも隣にいる黒骸の体力があり過ぎるせいで自分の体力が霞んで見えるだけである。
 こうして準備をした物を山に隠して、子猫を連れて伊呂波まで帰ってきた、というわけだ。
「お前には危ないことをお願いして、ごめんねって思ってるでやんす」
「んな」
「大丈夫でやんすか? んふふ、結構乗り気でやんすね。任せて、絶対わっちが守るでやんすよ」
 羅乃目はまず伊呂波から山へ向かい、隠していた着物に着替える。あえて子ども用を買ったので、おはしょり無しでも丈が足りず両のふくらはぎを大きく露出するような着こなしになっている。そこにへこ帯を巻いてとびきり可愛らしい結び方をして大きさを出した。髪の毛はなびかないようにきつく編み込むと、頭へぐるぐると巻きつけて乱れないようにまとめる。愛用している朱い一本下駄はもちろん脱いで裸足だ。最後に頭からぼろ布を被って顔付近を隠す。
 変装の完成である。
「よし、行くでやんすよ」
 子猫の記憶と羅乃目の覚えた匂いを辿って、昼間に会った女の住むと思われる東町の長屋までやって来た。なんの変哲もない長屋だ、内容は聞き取れないが、ぼんやりと団らんの声らしきものも聞こえてくる。長屋木戸は閉まっているが、この囲われた中で野良猫を待っているなんて馬鹿げた話はないだろう。この外で野良猫へ餌を与えていたはずだ。
「中にいた、ここが住処なのは間違いない。問題は今日出て来てくれるかどうかだ」
「あいつは絶対に出てくる。昼間に久々に猫を見て我慢ができなくなってるはず」羅乃目の懐で子猫がもぞもぞしている。「しーでやんす」
 長時間待つことを覚悟していたが、女は一刻もせずに静かに長屋木戸から出てきた。少し辺りを警戒している様子は見せたが、そそくさと歩き出す。
「うーん事が順調に運びすぎて怖いでやんすね。誘われてる? 罠かな」羅乃目は警戒心から躊躇いを見せ、顎に指を添えて考える姿勢になった。「でも好機は逃せない。行こう」
 目だけで合図すると、女よりもずっと静かに羅乃目は後をつけていった。
 女は思ったよりも長屋の近場で猫へ餌を与えていたようだ。捕まえた猫を連れ帰る手間を減らそうとしていたのなら、暗い場所とはいえこの距離の近さはなかなかに杜撰なものに感じる。
 しゃがみ込んで餌を用意したようだ、鰹節の匂いが流れてきた。
「よし、お願い。絶対守るでやんす」
「にゃ」
 つい先ほどまで眠そうにしていた子猫が勇ましく(だが小さく)鳴き声をあげると、女のもとへ歩いて行った。羅乃目もほんの少し間を置いて反対側から回り込む。  
「あっ……猫ちゃん、猫ちゃんだ。わー久々に会えた、嬉しい」
 暗がりから女の声が聞こえる。子猫は問題なく目的地へたどり着いたらしい。羅乃目は細心の注意を払って気配を消し、子猫に夢中になっている女の背後へ近づいた。
「ああ、ふふ。嬉しいな、久々なんだもん。お前お腹空いてるの? もう、可愛いんだから」猫を可愛がっているだけの言葉が聞こえてくる。「誰も取らないからたくさんお食べ、最後のご飯なんだから」
 女は鰹節を食べる子猫を、袖に隠していた角材で殴りつけようと振りかぶった。
「見ぃーつけた」
 女が角材を振り下ろすより早く、羅乃目は女の後頭部を蹴り飛ばす。

 
 女が目を覚ました時、場所は東町からどこかの山奥へ移っていた。手足を縛って羅乃目が肩に担いで走ってきた、と言えば状況は伝わるだろうか。
「一応確認は取ろうと思ってたんだ。お前が猫に酷いことをしてた張本人?」
 突然降りかかってきた災厄に女は大声で喚いている。あんたは誰だ、なんだ、ここはどこだ、誰か助けて、という様な内容ばかりを繰り返しわめいて羅乃目の質問には答えなかった。
「どんなに騒いでも誰も来ない。あと冤罪だったら謝んないといけないから、早く答えろ」
 それでも女の態度は変わらなかった冤罪? 猫? なんのこと? 私には関係ない助けろ、お前は死ね、である。
 埒があかないと判断した羅乃目は、地面に座っている体勢だった女の額を指でこづいて後ろに倒すと、投げ出された足の右脛を思い切り踏み抜いて骨を折った。
「お前が猫に酷いことしてた張本人?」
 女は痛みで一層大きな声をあげたが、しばらくのたうち回った後に観念したように一連の事件は自分の仕業だと語り始めた。
 でも仕方ない、勤め先のあの女が。
 耐えられない気が狂いそうな日常のせいで。
 痛みと恐怖で原型がわからなくなるくらい顔を歪めながら、女は昼間のように自分語りを始めた。
 全くもって大した話ではない。日々の生活で積もり積もった鬱憤や、勤め先のそりが合わない同僚や上司への苛立ちを、自分より弱い存在で発散していただけの話を大層自分を美化し被害者面をして懸命に語っているだけだ。本当は猫が好きだったらしいが、その自由な姿と拳ほどしかない小さな頭を見ていたら沸々と残酷な自分が出てくるようになってしまったとか、なんとか。ばらした後の処理に困って撒いたら噂話を聞いた勤め先の女も怖がってまあ楽しくて楽しくて、とかなんとか。あまりに長く語るので、羅乃目は今度こそ話の後半をあまり聞いていなかった。
「理由はどうでもいい。結果として猫に酷いことしてきた事実さえわかれば。さて、これから同じ思いをしてもらう」
 己の罪を語り尽くして許されると思ったのか、女はこの台詞でまたひどく動揺して泣き喚き始めた。いくら人里離れた山奥まで連れて来たとはいえ、単純に耳障り以外の何物でもない。
「もう話はいらない、うるさいな」
 今度は喉を踏みつけて潰した。女の口からはもう、言葉にならない言葉しか出てこなくなった。
「みんな出ておいで」
 羅乃目が茂みに向かって合図をすると、狐、狸、熊、狼、などなど……あらゆる獣たちが姿を現した。
「みんな人間に恨みがある子たち。人間側だけが搾取できるなんて思い上がるなよ。やったらやり返される。そんなこと誰だって知ってる。だからお前も今からやり返される。この子たちの恨みと鬱憤を晴らす為に」羅乃目は体の前で五指を合わせた。「お前が弱者になる時間だ」
 そこから先は詳細を語る必要もないだろう。「みんなーばらばらにはするけど、肉一片たりとも食べちゃだめでやんすよ。ばっちいから」羅乃目の間の抜けたような調子の台詞が一度挟まれただけで、言葉にするのも躊躇われるような光景が広がっている。協力してくれた可愛らしい子猫でさえ、今は牙と爪を剥き出しにして肉塊へ攻撃を仕掛けている。時折り羅乃目も参加した。この空間には人間に恨みがある獣しか存在していない。
 いつ絶命したのか定かではないが、既に肉片と化したそれは地面に血を吸わせながらその辺に散らばっている。最早原型が人間だったとも想像できない大きさだ。そのうち山の栄養にでもなるだろうか、雨風が砕いてくれるだろうか、虫が処理してくれるだろうか。
「人間はわっちらに酷いことをした。だからわっちらも人間に酷いことをして、いいんだ」


 二日後の昼間に、良が伊呂波を訪れた。
 トキ時に飯をたかりながらなんて事はない世間話をしている。先日の相互理解の宴会は一定の効果を発揮しているらしく、黒骸を含めた男性陣の雰囲気はかなり角が取れている印象だ。
「羅乃目、この前の件自分でできるって言ってたけどさ、俺の方でも気にして探ってみたんだ」
「うん」
 良は件の猫事件を指している。
「最後に瓦版になってからもう起きてないみたい」
「ほんとでやんすか?!」
「おう」
 満面の笑みで喜ぶ羅乃目を見て良も頬を緩ませる。そいつを肉片に変えた獣だとも知らずに。羅乃目も案外役者である。
「んでどうも、その件関係の噂が広まっててよ」
「噂? 標的を猫から別に変えたとかって話か?」
 物騒なことは起きないなら起きない方が圧倒的にいい派のトキ時が、心配そうな声色で入ってきた。
「いや。奉行所はまともに取り合ってる雰囲気じゃなかったからな、そこまで掴んでたとは思えねえけど、正直なところ『あいつがやってるんじゃないか』程度の噂は近隣でまことしやかに囁かれてたらしい。言動が、ほら、ちょっとアレな感じ? わかりやすく危ない奴とかだったのかも、そこまでは知らねえけど」良は自分の側頭部を人差し指でとんとんと突きながら話を進める。「んでそいつがさ、行方不明になったんだと。ご近所さんは口を揃えて『猫の呪いだ』なんて騒いでるわけ。まあ結局はそいつがやってたって確証はないから、行方不明と共に真相は闇の中」
……周りの奴らは、確信はなかったとしても薄々勘付きながらそいつを野放しにしてたんでやんすね。馬鹿な人間ばっかり」
「そいつらはきっと、猫より人間の方が好きだったんだろうな」
「わっち馬鹿な人間は嫌いでやんす」
「あーじゃあ俺のことは好きになっちゃうだろうなー俺ってば頭いいから」
 数日前のように段々と目が座ってきた羅乃目を見て、良がわざとふざけた言葉を並べて空気を和ませてきた。にこにこ笑いながら首を傾げて羅乃目を見つめている。
「わっちは!」
 その言葉を受けた羅乃目は、ここで言葉を切りつつ少し離れた場所にいた黒骸の元へとてとて走って行った。走ると言っても二歩三歩。
「黒が好きでやんす!!」
 脇腹に抱きつきながら、何故かきりりとした表情で良を見つめ返す。抱きつかれた黒骸は特に何も言わずに微笑んでいた。
「あーあフラれちゃった。トキちゃあーん慰めてえー」
「嫌だ」
「いけずぅ!」
 大笑いしながら両手を目の下に添えて泣き真似の格好をしている。
「でもさ羅乃目。ちょっと真面目な話」
「なんでやんすか」
 どうやら羅乃目は黒骸に抱きついた体勢を崩さないまま話を続ける様子だ。
「今の羅乃目みたいに人にはそれぞれ優先順位があるわけ。羅乃目は俺より黒が好き、それはわかった。じゃあ黒より猫が好き?」
……難しい話でやんす」
「そう。俺も動物は好きだけど、猫よりもずっとトキ時の方が大事。絶対的にトキ時の方が大切。どっちか選べって言われたら迷わずトキ時を選ぶ」
……
 無言で黒骸の脇腹へめり込み始めた羅乃目の頭を、黒骸が優しく撫でている。
「間違ったことは当然間違ってる。でも優先順位が違う他人を咎めることはできない。それとこれとは全く別の問題」
……
「わかれとは言わねえさ、でも知っておくと少しだけ自分の為にもなる」
……うん」


      *

 
 こうして、ねこいじめの話は幕を閉じた。
 思い返せば茶屋の老婆も、店の常連が猫に酷いことをしている当人だと薄々気が付いていたのかもしれない。毎日笑顔で来る女が少し先の道でなんて怖いことをしていたのだろうと、怯えていたのかもしれない。女の話を聞かなくて済むように、一方的に話し続けていたのかもしれない。
 まあ全て憶測の域を出ない話だ。
 見えてくる結果が全てとまでは言い切らないが、他人の事情は全てを把握することはできないし、する必要もない。想像するに値する相手でないならなおさらだ。
 だがもうこの様な事件は起きないだろう、猫をいじめたら猫の呪いが起きると。弱いものいじめをした者は、同じことをされる覚悟を持たなければならないということを、人間が忘れない限りは。
 




次話

第三話、感情的で退屈な話の話