【hero's script】

シナリオネタバレなし

深夜に考え事をするヒロ



 自分は成り損ないだったのだろうと、子どもたちを寝かしつけた夜にヒロは思った。深夜の二時過ぎ。蛇口を捻って出した水で満ちたコップを片手に、ぼんやりと暗い空を眺める。真っ黒な雲に隠されて、今夜は星も月も見えない。

 ずっと、英雄を演じられると思っていた。それこそ死ぬまでこの役を徹底して、墓の先までこの詐称を抱えるつもりだった。誰にも、自分にも感じさせないよう仕舞っていた欺瞞。禁忌の果実は身の内側で熟して、喰まれる時を待っていた。


 ふと、コップの水面を覗いて思い出す。何時ぞや知人の(決して友人ではない)男が告げた、己の死骸が背後を満たしている話。同じ川は二度と流れず、同じ人間は二度と存在しない。不変のモノは希少で異常、それが人類という種族なら尚更。人の心は移ろいゆくものだし、人の肉とはいつか腐るもの。この世はそういう理なのだ、という論説。

 ならばきっと、この苦痛は代償なのだ。真理を無視して英雄を騙り続けた、大罪人に相応しい罰。過去の道に、人間のヒロが転がっている確信。それは最期まで悲鳴を呑み、失意のまま倒れ伏してきた。英雄はそれらに気付かぬ演技をして、無意味にひた走った。


 英雄の瞳で、十字架が揺らぐ。根幹の喪失へのカウントダウン、しかし恐怖はない。保持してきた自我は、むしろ消滅を受け入れている。待ち侘びたように浮き立つ心。
 こんなにも限界を超えているのに、ヒロはまだ英雄であることを止めない。ここで無責任に何もかもを放り出せるなら、彼はとっくの昔に万象を諦め首を吊っていただろう。

 残された時間は少ない。勝手に英雄の塗装が剥がれるより先に、土の下で腐る必要がある。けれど、生物として当然の生存本能と幸福への渇望が邪魔をする。一刻も早く人生を終わらせる準備をしなければならないのに、肉と骨は上手く動いてくれない。


「(誰かに頼る、か)」


 親愛なる友人の言葉に、そんな意味合いのものが含まれていた。彼らに一度相談する、というのも良いだろうか。いや、あちらの二人には話せない。話してはならない。彼は最愛だけを愛して、彼は自分を英雄だと慕っている。それに、二人には既に子がいる。これ以上の負担はかけられない。
 なら、自称口下手な医者に頼もうか。彼も忙しい身ではある故、すぐにとはいかないだろうが。自分の空いている日は、相談する具体的な内容は、詫びの品は……


「(────今日はやめよう。疲れた)」


 もはや飲む気の失せた水を、結末を望む思考と共にシンクへ放棄する。ここの所、毎晩こうして何かを諦めている。誰に言われたわけでもないが、ヒロはそうするべきだと知っている。無意味で無作為な努力など、他人に迷惑をかける前に打ち切るべきことだと何かが告げている。きっとそれは優しい神様なのだろうと、無茶苦茶な事を脳裏に浮かべて。

 さらさらと流れる液体は、僅かに十字架を反射して捻れる。歪んだヒロの顔は、まるで自らを嘲笑っているかのようだった。