ぷの
2024-10-27 10:22:49
3337文字
Public レイチュリ ※ベ限
 

ゆだねる猫とキャッチボールしたい犬

レイチュリの小話を2本まとめたものです。
P1 - ゆだねる猫とキャッチボールしたい犬
P2 - 貢ぎたい猫と仕留めたい犬

【貢ぎたい猫と仕留めたい犬】

「はい、教授にお土産」
 いつからか、アベンチュリンが遠方の出張から戻った後に会うと、土産を渡されるようになった。変わった組成の石、レア金属の塊、紙の稀覯本、絶滅したとされる植物の種、謎の現地食材を使ったレシピのメモ、などなどエトセトラ。
 今回の土産は、現地で教わった歌だという。送られてきた録画データを再生すると、小さな子ども数人がでこぼこしたハーモニーで歌っている映像が始まった。文字の読み方を覚える歌と、一文字ずつ順番に頭文字にした単語を羅列する歌だそうだ。その類いの歌はあまたの言語で見られる。それでもレイシオの興味を引いたのは、共感覚ビーコンのデータベースに登録されていない言語だったからだ。
「君も歌えるのか?」
「もちろん。耳にタコができるくらい聴いたし、一緒に歌ったからね」
 横でレイシオの端末を覗き込んでいるアベンチュリンは、完璧に歌えると胸を張った。その自信のとおり、難しい発音をものともせず、歌の一部分を弾むように軽々と口ずさんだ。映像で歌う子どもたちの中に並んで座っている絵が見えそうなほど楽しげに。
「単純なメロディだろう。伴奏に使う楽器は陶器の器なんだ。大きさや形を変えて作った器が六個で一セット、それを木の棒で叩いて鳴らす。残念ながら村の外に持ち出し禁止でお土産にはできなかったけど、最後に撮ってるよ」
 アベンチュリンはメモ用紙とペンを手に取り、一枚目の紙に初めて見る文字と発音記号を書いた。これが一曲目。二枚目の紙にはそれらで綴った読めない単語を並べ、その下に発音記号を、さらにその下に単語の意味を書き込んだ。これは二曲目だ。
「よく覚えたな」
「大雨が続いて土砂崩れで橋が落ちちゃってさ。しばらく村に足止めをくらったから、暇潰しに子守りがてら教えてもらった」
 滞在していた村は通信圏外。働かざる者食うべからずで肩身が狭いし、とにかく退屈だったよとアベンチュリンは笑った。
「この村は近くの町と交易をして生計を立てている。商売のために小さい頃から読み書き計算を叩き込まれてて、交易で使う現地語は共感覚ビーコンで翻訳されるから彼らと話せた。十歳になる子はみんな暗算もお手のものだったよ。録画してきた言葉は交易用じゃなく、自分達の民族の祭事のために伝えてるんだって。外の人間の僕に教えていいのかと訊いたら、覚えたところで外じゃ使い道がないって言われた。そのとおりだ」
 最後に付け加えられた一言で、この限られたところでしか使われない言葉を、故郷の消えた民族の言葉と重ね合わせているとわかった。もうたった一人しか使えない、消えていく運命の言葉。
「『ありがとう』」
「気に入ってくれてよかった……えっ?」
 アベンチュリンが目を見開いて、レイシオを見上げる。
「もう一回」
「ありがとう」
「違う! 頼むから、もう一回言ってくれ」
 レイシオの袖を掴んで、真剣な顔で見つめてくる。それはとても珍しいアベンチュリンの懇願だった。何かを誰かから貰おうとせず、与えられないなら粘らずに諦めるか、搦手を使って差し出させる。そんな彼のやり方を崩すことができて、レイシオは言い知れないほどの喜びを感じた。
 耳を澄ませているアベンチュリンに向かって、もう一度かの言葉で告げた。レイシオの言葉が共感覚ビーコンを介さずに、夕暮れの魔法の色をした瞳の奥に染み込んでいくのが見て取れた。
……よく覚えたね」
「サンプルは君だ」
「そっか、すごいや。君の知識欲のおかげでいい思いをしたな」
 はにかんだ可愛らしい笑顔ですっとぼけた感想を言われて、レイシオは自分の努力が一歩足りなかったことを悟った。
「はっきりと言っておく、覚えたのは君に聞かせるためだ。他では使わない。これでわかるか?」
 映像から現地の楽器の演奏が流れてくる。歌の伴奏ではなく、祭事で奏でる曲のようだ。複数人で叩く複雑なリズムはカラカラチリチリと人の心を追い立てて逸らせる。大人の歌声がそこに伴奏のように重ねられて、不思議な響きで体の内側を揺さぶる。
「そうなんだ、ふうん」
 今度こそ染み込んだレイシオの真意によってアベンチュリンの瞳はとろりと潤み、伏せた目蓋に半分隠された。目尻が朱に染まる。レイシオはそこに触れたい衝動を抑えた。触れるだけで止まれない気がしたからだ。
「わかればいい」
「教授には敵わないな」
 それはこちらの台詞だとレイシオは思ったが、まだ保たなければならない体裁のため、口には出さなかった。