ぷの
2024-10-25 20:45:57
4259文字
Public レイチュリ
 

上の空な潜水士の給仕係

🛁の口に食べ物を運ぶ🦚の話。
P1 - 給仕係
P2 - 上の空な潜水士

【給仕係】

 最初はクッキーだった。美味しいから食べてほしいなと思って、なんとなくレイシオの口元に持っていった。香りにそそられたのか大きな口がパカッと開いたので、そっと中にクッキーを置いた。レイシオはタブレットに向かってペンを動かしながら、もぐもぐと咀嚼して飲み込んだ。アベンチュリンの方はちらりとも見ない。
 今度はチョコのかかったプレッツェルを一口サイズに割って、口元に持っていった。また自動ドアのように口が開いたので、そっと置いた。もぐもく、ごくん。
 お菓子だけでは喉が渇くだろうと、アイスコーヒーを近づけてストローの先を口元に差し出したら、ちゃんと吸い込んだ。
 え、なにこれ、すごく楽しい。
 一度もこちらを見ないのがとてもいい。目線はずっと画面の上で、手元はずっとペンを動かし、アベンチュリンにはさっぱりわからない数式と図を書いている。頭の中の宇宙で生まれては消えていく星たちの記録が刻まれていく。その神秘的な作業に荷担した気になれるなんて、とても特別なことじゃないかな。レイシオの研究室に手土産を持って遊びに来たアベンチュリンは、恋人が挨拶への返事どころか目線一つくれないというのに、充足感を得ていた。
 邪魔にならないタイミングを見計らいながら、持ってきたコーヒーとお菓子がなくなるまでレイシオの口に運び続けた。アベンチュリン自身は一口も食べなかった。このコーヒーは今日何杯目だろう。おかわりを買ってきて飲ませ続けても問題ないだろうか、血中カフェイン濃度が外から見てわかればいいのにな。そんなことを考えながら、ゴミをまとめて静かに部屋を出た。
 今度はお菓子だけじゃなく軽食も調達しよう。足取り軽く大学を出て、検索して見つけた店をいくつかはしごした。一口大にできて、固すぎず、こぼさず綺麗に口に運べて、噛みやすく、歯にくっついたり喉に詰まったりしないもの。飲み物は水とコーヒーくらいか。匂いから何の食べ物か想像できるのも大切だ。予想外の味や食感は思考の邪魔になる。慣れ親しんでいて、無意識に口に入れても安全だと思えるもの。
 あれこれ買い込んでレイシオの部屋に戻ると、幸いなことにまだ集中は続いていた。トイレは平気なんだろうか。限界を迎えたらさすがにそっちが優先になるか。
 ふたたび、至福の給仕タイムが始まった。手袋を外して手を洗ってきたアベンチュリンに死角はない。うっかりこぼしてもどんとこいである。これはもう給餌というべきかもしれない。繰り返すうちに、欲しくなるとレイシオから口を開くようになった。催促してくれるならやりやすい。何を欲しがっているかを見極めるのが、給仕係の腕の見せ所である。
 そうして手玉を撃ち尽くしたアベンチュリンは、大きな達成感に包まれた。こんなに清々しいことはそうそうない。レイシオは一度たりともアベンチュリンが口に運ぶものを拒否しなかった。そして、一度もこちらを見なかった。
 さて、そろそろ帰らなければならない時間である。デスクの上の付箋を拝借して、アベンチュリンが来たことと、勝手に給仕したことを書き残した。食べさせたものの一覧はレシートをプリントアウトして添えた。
 それじゃ、またね。帰りの挨拶は心の中だけで告げた。うーん、それだけじゃ寂しいか。片手の手袋を着け終えたところで、ふと思いついた。自分の唇に人差し指を当て、それでレイシオの唇にそっと触れる。よし、反応無し。もう片方の手袋も着けて、部屋を出た。集中が切れたときの反応を見たい気持ちはあるけれど、時間切れだった。
 まあそれはまたの機会にでも。与えるだけの日というのも、存外悪くない。