柚子子
2024-10-25 18:20:56
13248文字
Public ベリーベリー
 
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二度目ックスにいたるまで(+8)

爆豪長編『ベリーベリー』の番外編。本編終盤の結婚後のお話です。ノーセックス。

苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字 俺と苗字が籍を入れて数週間。ようやくのことで引っ越しが終わり、苗字と暮らすようになって五日目。
 まだ新居と呼べる自宅に戻った俺は、真っ暗な寝室のベッドで完全に寝こけている苗字を、じっと無言で見下ろした。
 時刻は二十一時半。学生時代ならばともかく、社会人になってからは起きていることのほうが多い時間だ。宵っ張りの人間でなくとも、大多数の人間はまだ起きている頃合。まだまだ宵の口、夜はこれからという時刻。
 にもかかわらず、ぐうすか寝こけている目の前の女。戸籍上、俺の妻になったやつ。
 こいつ、まじで結婚した自覚あんのか……
 むかつくほどに健やかな苗字の寝顔を見て、俺は胸中でつぶやいた。
 苗字と暮らして五日になるが、今のところ、一夜たりともそういう空気になっていない。ここしばらく苗字の仕事が異様に忙しく、苗字は自宅にもほとんど寝に帰ってくるだけだった。会話らしい会話も、おかげでほとんど交わしていない。
 俺より忙しいとかどんだけだよ、つーかそんなタイミングで引っ越しを強行すんな、と思わないでもなかったが、苗字の仕事が時期によっては殺人的に忙しくなることは、同居開始前にすでに聞かされ知っている。忙しいからこそ、実家より会社に近い場所に拠点がほしかったという本音も、聞かされてはいないが想像がついた。
 気持ちは分かる。だからまあ、それについては特に不満はない。
 その忙しさのピークが終わったのが昨日。
 そして今日、ようやく一息ついたと聞いて帰宅したところの、これだ。溜まった疲労と睡眠負債を返済するかのように、こんな早いうちからぐうぐう寝ている苗字に、俺は口のなかで小さく舌打ちした。
 俺だってなにも、この五日でそういうことをしたかった、というわけではない。今日だって、疲れてんなら好きなだけ勝手に寝とけと思っている。止めるつもりも理由もない。
 ただ、こいつの態度を見たところ、まじでまったく、一切、今夜に限らずその気がなさそうなのだ。仕事が忙しいとか関係ない。たとえ仕事にゆとりがあろうとも、まったくそういう空気にならなさそうなところが、目下の俺の、というか根暗の問題だった。
 もともと、俺と苗字とのあいだの空気が甘ったるくなることは少ない。高校時代、それこそ付き合ってすぐの頃には、たしかに何度かそういう雰囲気になったこともあった。が、なんだかんだでタイミングを逸した結果、その後はぱたりとそういうこともなくなった。
 その空気を、結婚した今も引きずっている。
 同居が始まる前だって、しようと思えばホテルでもどこでもできたはずだ。籍は入れているのだから、俺たちが何をしようが誰にも咎められることはない。
 それでも、一度も、まったく何も起きなかった。会えばいつも必要事項を話し合い、飯を食い、どうでもいい話をして解散した。高校の頃の付き合いと、まるきり何も変わっていない。そして今もその状況は続いている。
 恥を捨てて言うのなら、俺は完全に、二度目のタイミングを見失っている。
 ベッドで布団にくるまった苗字が、もぞもぞと寝返りともつかない身じろぎをする。常夜灯がついているから、室内はまったくの暗闇ではない。しばらくそのまま苗字を眺めていると、やがて苗字がゆっくりと瞼を開き、眠たげな重たいまばたきを、二度三度と繰り返した。
 薄い闇の中で、苗字がぼんやりと俺を見る。
「あー、爆豪くん。帰ったの?……おかえり」
 半分寝ているような舌足らずな声。「おー」と俺は適当な返事をする。
 昔は知らなかったが、こいつは結構寝起きが悪い。こうして起こせば話をすることはできるが、それを翌朝まで覚えていることはまったくない。
 うつらうつらした苗字は、一度上げかけた頭をすぐに枕に戻し、
「おつかれ。おやすみ……
 そう言って、ソッコーふたたび寝落ちした。
 こいつ……。もうちょっとこう、なんかねえのかよ。てめえの男が帰ってきてんだが?
 納得できない思いを抱えつつ、しかしここで苗字を叩き起こすわけにもいかない。仕方がないからシャワーに行って歯磨きを済ませ、俺もベッドに入った。隣ではすでに熟睡に入った苗字が、悩みも何もなさそうな呑気な顔で寝入っている。
 結婚して秒でレスとかふざけんな。
 アホの鼻をつまんで数秒窒息させてから、俺も布団にもぐりこんだ。

 苗字に対し、俺はセックスにかぎらず、基本的には何かを無理強いしようと思っていない。が、ことセックスにかんしては輪をかけて無理強いを厭う結果、ほぼ及び腰のような体たらくになっている。
 再会した晩にがっついて、苗字を泣かせた引け目は今も感じている。嫌な思い出として残った、というほどではないにせよ、完璧に思い描いていた通りにならなかったことで、忸怩たる思いがあるのは事実だ。
 くわえて、俺の性欲が多分薄いというのもある。しなけりゃしないで、特に困るということもない。実際苗字と再会するまで、決まった相手をつくることもなければ、一夜限りの関係を誰かと持つこともなかった。自分で抜く頻度だって、ほかのやつらに比べりゃ少ない。三年間も寮生活をすれば、そういうことは嫌でも分かってくる。
 それでも、単純な性欲を解消したいと望むことと、好きな女を抱きたいと思う気持ちは、イコールでつながるものじゃない。苗字と再会した晩に感じた、今までの人生で一度も女に対して感じたことのなかったかつえのようなもの。飢え、求めるというのはこういうことなのかと、そら恐ろしくすらなった。
 怖がらせたくない。嫌がることはしたくない。置いていかず、ちゃんと待つ。せめて向こうがそういう気分になるまでは、余裕のあるところを見せておきたい。もちろんそれは本音だ。だからこそ、悶々とした気分が拭えない。
 目を閉じたまま、隣で眠る苗字の顔を思い描く。
 ようやく手元に取り返した、自分でもなんでこんなのを取り返そうとしてたのか時々分からなくなるような、パッとしない女。危機意識が薄いわりに、踏み込もうとするとガードがかたい。そのくせ一端に煽りはするからたちが悪い。
 大体において、苗字の俺に対する態度は矛盾に満ちている。そんなことは今に始まったことじゃないが、頭がおかしいとしか思えない。
「ムカつく女だな、クソ」
 罵声を吐かれた女は、俺の隣で何も知らずに眠っている。

 ★

 珍しくはやく仕事が片付いたその日、俺は苗字を職場まで迎えに行くことにした。
 懐事情はかなり厳しかったものの、ジーパンからの後押しとさまざまな好条件が重なって、少し前に俺は独立して自分の事務所をかまえた。今のところはサイドキックは置かず、俺がほとんどひとりで事務所内業務のすべてを回している。
 そういう事情があって、普段は帰りが遅い日も多いのだが、今日はいつになく暇だった。形ばかりの定時で上がることができたので、たまには苗字を迎えに行くかと思い立ったのだ。
 エッジショットからおさがりで譲ってもらった車を駆って、苗字の職場に向かう。ちょうど帰宅ラッシュの時間で道は混んでいた。そこまで急いでいるわけでもないから、気楽な気分でハンドルを握る。目的地はそれほど遠くなかった。
 苗字の勤める「ライトリーラボ」は、サポートアイテム業界では新参ではあるものの、抜群の存在感を放つ今もっとも注目されるアイテムデザイン事務所だ。俺が世話になっているわけではないが、そういう話はどこからともなく話が聞こえてくる。ジーパンの事務所にいたころ、何度か営業を受けたこともあった。
 苗字がいるのは、そのなかでもやや特殊な部門らしい。以前のこと、
「爆豪くんと仕事で絡むことがあったら嫌だから、あんまり仕事の話はしたくないかも。言霊とか信じてるわけじゃないけど、やっぱねぇ……
 そう根暗が話していたことがあるが、言わんとすることは俺にもわかる。苗字が仕事でかかわるのは、大抵は何らかのケガを負って活動の継続が困難、あるいは不可能になったヒーローだ。俺としても、できることなら生涯かかわりたくない。
 事務所に到着すると、駐車場に車をとめ、苗字に連絡をいれる。迎えに行くことは事前に伝えてあったから、すぐに既読が付いた。
 ほどなく、何人かの同僚と一緒に根暗がやってくる。「じゃあ、また月曜に。おつかれさまです」と薄く開いた窓の隙間から、車外の声が聞こえてくる。
 苗字の同僚たちは、運転席に座る俺をちらりと見て、笑顔で頭を下げてからそれぞれの通勤用車に乗り込んでいった。苗字の結婚相手が俺であることは、当然ながらすでに知られているらしい。
 助手席のドアが開き、苗字が乗り込んでくる。コートを着ている以外に防寒具をまともに身に着けていないのは、すぐに車に乗り込むことが分かっていたからだろう。シートベルトを装着すると、苗字は寒そうに、顔の前で両手をこすり合わせた。
「おまたせ、爆豪くん。おつかれさま」
「ん」
「迎えに来てくれるなんて、どうしたの?」
「別に。仕事早めに切りあがっただけ」
「へえ、珍しいこともあるんだねぇ」
 話しながら、俺はシートを後ろに下げる。後部座席に置いていたひざ掛けに手を伸ばすと、それを苗字の方に放った。車の中は空調であたたまっているものの、私服の下にヒーロースーツのインナーを着ている俺にあわせた温度設定だ。苗字には冷えるかもしれない。
「ありがとう、助かる」
 そう言ってひざ掛けを広げる苗字は、手までひざ掛けのなかに突っ込んだ。準備がととのったのを確認してから、俺は車を出した。
 相変わらず流れの悪い道を運転し、だらだらとした速度で帰路に就く。エッジショットから車を譲ってもらって以来、通勤に車を使うようになった。運転は嫌いじゃないから、サイドキック時代にはジーパンのバカ高い外車の運転役を買って出ていたこともある。
 苗字を横に乗せて運転するのは、バカ高い外車を転がすのとは違う緊張感がある。
「せっかくだし、どっかでご飯食べて帰る? 爆豪くん夕飯何食べたい気分?」
 助手席の苗字に、
「肉か魚なら肉。飯か麺なら飯」
 短く答える。帰って作ってもいい時刻ではあるものの、わざわざ外にふたりでいるのだから、どこかで夕飯を済ませてから帰りたい気持ちは分かる。
「肉かぁ。じゃあ、焼肉かステーキハウス」
「ステーキ」
「了解。ナビ入れるね」
 苗字がチェーンのステーキハウスをナビで呼び出す。高校生の頃だったら、飯にいくにも候補に挙げすらしなかったような価格帯の店だ。それでも、社会人の食事としてはリーズナブルといえる。
 高校生じゃなくて、でも完全に懐に余裕のある大人でもない。社会人一年目の苗字と、独立したばかりの今の俺が結婚しているというだけでも、経済的には結構な無理をしている。
 それでも結婚を待たなかったのは、どうせいずれ入籍するのなら、それが今だろうが一年後だろうが五年後だろうが大差ないだろうと思ったから。そしてそれ以上に、苗字の首根っこを捕まえておきたかったからだった。
 こいつのなかでの俺の優先順位は、おそらくだが一位ではない。仕事の状況によっては、こいつはまた、この先何度でも、俺と仕事を天秤にかけて、そのうえで仕事を選びやがるだろう。もちろんそれは、俺にも同じことが言える。
 それならば、さっさと籍を入れておいた方がいい。苗字はクソがつくほど真面目だから、首輪さえつけておけばちゃんと戻ってくることを、俺は高校時代から知っていた。基本的に根が陰だから、帰巣本能も強い。
「そういえば」
 と、ぼんやり窓の外を眺めていた苗字が、ふいに思い出したように口を開いた。視線を前に向けたまま、聞いているポーズだけとる。
「中学のときの学級委員から、この間また連絡きてたよ。同窓会、もう出欠締切はしたんだけど、今からでも出席にならないかって」
「誰が」
「爆豪くん」
「行くわきゃねえだろ」
「だよね。そう言っといた」
 あはは、と苗字が笑う。聞く限り事後報告らしいが、特にこれという問題はない。そのあたり、苗字が俺の考えを読み外すことは少ない。
 信号が赤になる。ブレーキを踏む。
 また口をつぐんだ苗字に、俺は尋ねた。
「おまえは行かなくていいのかよ」
「行かないよ」
 ほとんど即答で答えられ、俺は「だろうな」と応じた。
 苗字が同窓会に不参加の回答をしていることは、もとから聞いて知っていた。回答をしたのは俺と別れていた期間のことだが、詮索されるのもおもちゃにされるのも御免こうむるというのは、いかにも根暗らしい考えかただ。
 しかしこうして結婚してしまった以上、別れ話をいじられたり、腫れ物に触れるように扱われる理由はなくなった。であれば、もしかすると翻意した可能性もある。それで聞いてみたのだが、依然として根暗にその気はないようだった。
「中学のときの友達も、行かないって子のほうが多いみたいだし。それに多分、行ってもそんなに楽しめないと思う。そもそも今行ったら、『爆豪くんの奥さん』としか扱われないだろうしなぁ」
「嫌なんかよ」
「嫌じゃないけど、率先してそんな扱われ方をされにいくつもりもないかな」
 苗字の言わんとするところは分かった。幹事が俺の出欠について苗字に連絡をとったことからも、すでに苗字が同窓会の場でどういう扱いを受けることになるのか、その片鱗が見えている。
 高校時代、別れ話をするときに苗字が言っていた言葉を思い出す。「爆豪くんの彼女としてどうすべきなのか、最初にそれを考えてしまう」。
 苗字はあれから、自分の好きな進路に進んで、俺と関係ない場所でやりたいことをやって、実績を打ち立てて人脈をつくった。その経験があるから、今こうして苗字は俺の隣に座っている。俺の付属品にならないだけの自信と足場ができたから。俺と正しい距離をとれるようになったから。
 他人の声などろくすっぽ聞いていない苗字だから、同窓会に出向いたところで今更モブの意見に心を乱されることはないだろう。が、だからといって面白いもんでもないだろう。
 俺のパートナーとしてのふるまいを求められる場は今後あるだろうし、実際にそういう場にのぞめば、苗字はちゃんと適応するとも思う。逆に、やむを得ず連れていかなければならないとき以外は、そういうふるまいを強いる場には、顔を出させたくないとも思う。過保護でもなんでもなく、これは俺のエゴであり、いまだに抜けない棘のようなものだった。