ミイ
2024-10-23 21:29:02
5748文字
Public 静なつ
 

ハグの日

ハグの日、なんていう理由があれば、いつも自分の中で押し殺している「抱きしめたい」という想いを、表に出すことができるのかしら、と思いながら書いていました。

「なつき」
「静留。…………なんだその腕。私はおまえのいたずらには乗らないぞ」

 なつきはこの部屋の静留の定位置に座ったまま、ムッと眉を顰めて静留の紅い瞳を見つめている。いささかこちらを警戒しているように見えるのは……たぶん気のせいではないのだろう。

「なんやなつき、いけずやなぁ。ほら、来よし」
…………なんのつもりだ」

 立ち上がり、野良犬のようにぐるると唸って後退りながらも、じ、と伺うように見つめてくるのが愛らしい。怖がらせないように自分から歩み寄ることはせず、くすくすと笑いながら腕を広げて、静留はそのまま待つ。

「頑張りやさんななつきを、甘やかしてあげよ思て。みぃんな今日はハグの日や言うてハグハグしてましたさかい、うちもなつきとしたいわぁ思たんどす」

 二人以外誰もいない生徒会室で、静留はただ腕をほんの少し。人が一人入れそうなくらい広げて待っていた。あまり気乗りしない様子なら引くことも考えていたが、きっと嫌だったら、なつきはすでに部屋を出て行っているはず。一歩近づいてみてもなつきは動かなかったから、もう一歩だけ、進む。

……ええってこと、なんやろうか)

 手が、届きそうなところまで来た。来てしまった。
 
 触れても、ええんやろうか。抱きしめても、ええんやろうか。
 
 こんなのただの、うちのわがままやのに。こんな綺麗な子ぉを、うちが汚したりでもしたら。……うちはうちのこと、許されへん。
 
 貼り付けた笑顔は、もしかしたらもうとっくに崩れてしまっていただろう。

 こんな邪な自分の気持ちを純粋ななつきが知ってしまったら、ここに座っていてくれることは、もうなくなってしまうのかもしれない。そんなことを思ったら、急に怖くなってきてしまって。やり場のない手を、どうしようかと迷っていたら。

……っ!」

 とすっと突然、胸の辺りにかかった質量。さらりと揺れる長い髪とふわりと香る甘い匂い。それは静留が、今まで感じたことのないものだった。

…………余計な、お世話だ」

 そう口ではつぶやいているのに、なつきは静留から離れるそぶりを見せない。それどころかもぞもぞと姿勢を変えて、抱きついてくるような様子まで見せる。

 好きな人のそんな様子を見て仕舞えば、静留の心臓は強く暴れ出す。体温がこれ以上なく上がり、ぞくりと背筋に快感が駆け抜けて、膝から崩れ落ちそうになってしまう。

 ……あかん。こんな……

 体を預けてきてくれたなつきを抱き寄せることで、静留は顔を見られないように努めていた。……もしかしたら、心臓の音は伝わってしまっているかもしれない。不審に思われているかもしれないと別の意味でもドキドキと心臓を激しく動かしながら。

……なつき?」

 しばらくして、動かなくなった彼女。不思議に思ってそっと顔を覗き込んでみれば、ぎらぎらと輝く新緑は瞼の裏に隠されていて、穏やかな寝息が聞こえてきていた。きっと、眠れていなかったのだろう。目の下に刻まれたクマは、見ただけで分かってしまうほど深く刻まれていた。

 すうすうと寝息を立てるあどけない表情は年齢よりも少し、幼く見えてしまうくらい愛らしくて。

…………堪忍な、なつき」

 自分の前でこんなにも気を緩めてくれるのは、警戒されていないからだということはわかっている。ただの便利な友人ということで、そばにいてくれているだけなのだと。

 ……でも、だからこそ静留は、自分の中にある感情がどんなものなのか、それがどれだけ叶わないものであるかを一番、わかっていた。

 静留は「友人」という立場を利用して、なつきの心に入り込もうとしている。それに、なつきは全く気がついていないどころか、気を許してくれてさえいる。罪悪感が次第に募っていくのに、誰にも懐かないように見えた気高い獣が、自分にだけは懐いてくれているようで嬉しくなってしまって。そんなことを思う自分が、何より嫌いだった。

 こんな自分に、なつきを抱きしめる権利なんてない。そう思ってしまった静留は、だらりと力を抜いてしまった腕を、もう一度なつきの体に回すことなんてできるはずもなかった。それでも。自分が離れて仕舞えば、なつきの体が倒れてしまう。そんな言い訳にもならない言い訳を自分の中でいくつも並べ立てて。彼女が起きる前には、いつものように笑えるようにと。静留はただ、彼女を支えてそこに立っていた。