mishiadd
2024-10-20 23:57:42
2080文字
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宮本伊織は生きにくい:オーバーイージー

【「ない話」Lv.100】「サニーサイドアップ」続き。「余分」の方の伊織さんが剣鬼さんに主導権を明け渡してしまった後の剣鬼さんとセイバー。剣鬼さん×余分さん+セイバー→剣鬼さん。
サニーサイドアップ:https://privatter.me/page/6714574eba629

『それ』が目覚めたとき、開口一番にあげたのは怒りに満ち満ちた唸り声だった。
鋭さと眼光の増した月夜の瞳を見開いて、それはセイバーを怒鳴りつけた。



「あいつに余計なことを言ったな。――あれほど言うなと言ったのに!」







それはまるで喪に服しているかのようだった。
表面上は、なんら変化は見られない。カヤの前では今まで通り、優しくて少しだけ生活面で抜けている、手のかかる兄であったし、助之進の前では、やはり頼れる気のいい兄貴分であり続けていた。

――それが、長屋に戻ってカヤを小笠原の屋敷へ帰した途端、がらりと表情が変わる。
セイバーの顔など見たくもないとばかりに顔を背けて畳の縁に座り、ひどく沈んだ様子でじっと壁を見つめている。

その様子を少し離れたところから見ていたセイバーが、やがて意を決したように彼の隣に腰を降ろした。それでも彼を振り向く様子のないそれの後頭部に、構わず声をかけた。

「もう、いないのか。……そこには」
「いない」

ぴしゃりと短く回答がある。やがて、セイバーを振り向いて、言った。

「もうこの肉体のどこにもあいつはいない。――あいつは、己を『余分』と定義した。その上で自らを削ぎ落したんだ。もうこの肉体には俺ひとりしかいない。……あいつに余計なことを言ったな、セイバー。何が『余分』だ。
俺のすべてを賭して、護り、慈しみ、この世の残酷のすべてから遠ざけてきたつもりだった。あれは俺の理想だったのに。理想の俺だった」
……きみを、なんと呼べばいい」
「ふざけているのか? それが今俺に訊くことか?」

それが凄む。――かつての伊織よりも殺気の増した、鋭さの増した、セイバーですら無視することのできない、その威圧感。

おまえがあいつに言ったんだぞ。あいつの剣には『余分』が多いと。それで――このざまだ。
あいつは、あいつの唯一の原風景に下された至上命令に突き動かされるまま、自分ではダメだと悟った。自分こそが宮本伊織の『余分』であると。剣の道を進むのならば自分ではない自分にすべてを明け渡すしかないと。
今の気分はどうだ、セイバー。これで満足か? おまえの好きだった『優しい』宮本伊織は塵となって消滅し、おまえは残り物の俺と一蓮托生だ」
「よくはないよ。決してよくはない」

実際、セイバーはあの伊織に懇願したのだ。捨てないでくれと。――聞き届けられることは、なかった。

「あいつはもういない。――この肉体には俺ひとりだ。すべての記憶と衝動を抱え込んだ俺が、今まで俺を押さえ込んでくれていたあいつなしに。……もう、歯止めは利かない。これが最後にどうなるか、おまえにだって想像くらいつくだろう、セイバー」
……イオリ

反応が遅れる。――ややあって、伊織が顔をあげて、呆けた顔でセイバーを見た。
夕陽の色をした瞳が、真っ直ぐに彼を見ていた。

「それでもやっぱり私は、きみもまたイオリなのだと――思う」
「やめろ」
「きみは、消えてしまったイオリを理想の自分だと言った。あれこそがなりたかった自分なのだと。……であるならば、きっとまだ、きみの中にいるのだと思う。彼は」
「やめろ。わかったような口を利くな」
「優しい自分を善しと思えたきみは、そうである自分を今まで護ってこれたきみは、今まで表舞台に出てこなかったきみは、やっぱり」
「やめろ。――俺は」
――優しいのだと、思う」
「俺は優しくなんかない!」

怒鳴りつけた後、伊織が両手で顔を覆う。弱々しい声で、「優しくなんかない」と繰り返した。
その横顔を、セイバーが眺めている。やがて、言った。

「きみは、イオリだよ。きみは宮本伊織だ。善くあろうとして――善い自分の陰にずっと隠れて何もかもを我慢してきた、小さなイオリだ」
――……
「きみの思うきみの本性がどうあろうと、それでも『善く』あろうとしたきみは、私にとってはやっぱりイオリなんだ」

セイバーが、伊織の肩に手を掛ける。振り払われることはなかった。やがて、ぽつりと伊織が言った。

「それでもやっぱり俺は、『優しい』のとは違うんだよ、セイバー」

セイバーは、否定も肯定もしなかった。ただ、静かに伊織に身を寄せて、その肩を抱いていた。







翌朝、炊事場に立つ伊織の顔は今までとなんら変わらない、ひどく優しい落ち着いた表情をしていた。
「イオリ」とセイバーが声を掛けると、炊き立ての米をよそっていた手を止めて、「おはよう、セイバー」と穏やかな声が返ってくる。かつての宮本伊織のように

――かつての伊織りそうのじぶんを必死に模すこと。それが、今の伊織の精一杯なのだということを、セイバーは理解していた。

膳を並べて、座る。午前中の眩いような日射しが、障子を透かして畳の上に伸び、膳の上の干物や梅干に当たっていた。

「では」



両手を合わせて、「いただきます」と――明るい日の光の中で、なんの変哲もない、昨日の続きが、始まる。






オーバーイージー・了