mishiadd
2024-10-20 10:05:18
4688文字
Public
 

宮本伊織は生きにくい:サニーサイドアップ

【「ない話」Lv.100】宮本伊織の中の『剣鬼さん』がたまに表に出てきては主人格の宮本伊織を護ってあげている小噺。剣鬼さん×伊織さん+セイバー。

――それは、ほんの僅かな違和感に過ぎなかった。



伊織が、昨晩に起こったことを覚えていなかった。夕餉の内容を忘れているとかであればセイバーとて「ちょっとした物忘れだろう」と放念していたが、そういうレベルの話ではなかった。――暴漢に襲われかけたところを、伊織自身が撃退したのだ。いくらごろつきや怪異を日頃から相手にしているとはいえ、それが起こったこと自体をきれいさっぱり忘れている、というのは――別にセイバーでなくとも、少しは心配にもなる。

「イオリ。……ないとは思うのだが、頭でも打ったか?」

眉根を顰めて尋ねると、伊織がぽりぽりと頭を掻いた。洗いざらしのふわふわの癖毛が揺れた。

「いや。――この頃では指摘されることもなかったので忘れていたのだが」

伊織が、セイバーに向き直る。

「実は、こういったことは昔からたまに起こるのだ。――以前は、カヤにもよく指摘されていたので自分でも認識できていたのだが、ひとり暮らしを始めてからは四六時中俺が経験した事象を観測できる第三者もおらず、俺が何を忘れてしまっているのか――俺自身が忘れてしまっている以上、起こったことすら認識できない。
最近は起こらなくなったと誤認していたが、なんのことはなかったな」
「ほう……

ちいさな、ちいさな綻びだ。伊織自身がその記憶の欠如が原因で特に不利益を被ってもいない以上、大騒ぎをする程のことでもないのかもしれない。現に、あの暴漢のことを覚えていたからといって、伊織に別段得があるとも思えなかったし――あの、暴漢。伊織が、珍しく反射的に斬り殺したのだ。
事あるごとに殺すな殺すなと口を酸っぱくしてセイバーを叱りつける割には自分は随分あっさり手を下したものだと、ちくりと皮肉のひとつでも言ってやろうと思い話題に出した矢先のことだった。

だから、まあ――別段失われていても困らない記憶だ。まあ、いいか――とセイバーがぐるりと目を巡らせる。そんなことよりも夕餉のオミオツケだ、と意識を膳に戻しかけたときだった。
姿勢を正した伊織が、セイバーに頭を下げた。

「貴殿とこうして儀に参加している以上、こういった俺の不具合は貴殿にも迷惑がかかるだろう。――すまんな。不安要素を増やした」
「いや。……きみ自身にもどうしようもないことを責める気はない。というか、一旦儀のことは置いておいたとしてもだ。――きみ自身が不安ではないのか。……そのようでは」
「不安だよ。――ある朝目覚めて、枕元に身に覚えのない黄金の若旦那像などが鎮座していたらと思うと」
「きみ、冗句を言うならもっとそれらしい顔をしてくれ」

真顔でさらりと発せられた軽口に、「まあ当人は大して気にしてもいないのだろう」とセイバーは思う。――乗り掛かった舟だ。自分がここにいる間は、せいぜい彼の生活を見守ってやり、また起こるようならば指摘でもしてやろう、と思う。――かつてはカヤがしていた仕事だというのなら、今は代わりにセイバーがやってやらなくもない。これはあくまで彼女のためだ、そうだとも。

「まあ、そう案ずるな。――きみが呆けている間でも、せいぜいこの私がなんとかしてやるさ」
「恩に着る」

セイバーの口の悪さを意に介さず、素直に謝辞を述べて改めて頭を下げる伊織に、「ふん、」と毒気を抜かれたセイバーが肩を竦めた。







――夜道でのことだった。

幽霊長屋へと戻る道すがら、曲がり角を曲がると同時にならず者どもに襲われた。
いつもの調子で伊織が二刀を抜刀し、セイバーも蛇行剣を右手に顕す。「セイバー、くれぐれも殺すな」と伊織が厳しい口調で言い放つのを、「へいへい」といい加減に聞き流す。
流れるような――美しい軌跡を描きながら、剣術道場のお手本のような――まるで実戦経験のない演舞のような小綺麗な剣筋で、伊織が男どもを峰打ちにしていく。その隣で、技巧とは程遠い――小細工などを一切用いない、その絶対的な実力のみに物を言わせたただひたすらに圧倒的な力で、セイバーが男どもを――生死の判別の際どいところで、次々になぎ倒していく。

伊織が相手にしているよりもはるかに多くの男を斬り伏せた――無論言葉の綾である、斬ってはいない――セイバーが伊織を見遣る。ただでさえ実力不足のところを、やれ不殺だの相手の動きを理解だのと余分な思考を巡らせているせいで処理に手間取っているように見える。その身のこなしは優雅だが、敵を倒せなければ意味はない。

やれやれ、とセイバーが肩を竦める。「イオリ――」と、山積みになった夏休みの宿題にいつまでも生真面目に向き合っている要領の悪い友人を手伝う小学生のように、声を掛けようとしたときだった。
伊織と斬り結んでいたならず者のうちのひとりが、大声で言ったのだ。

「人殺しする度胸もねえ野郎が粋がりやがって! ――おいてめえら、こいつをふん縛って色街に売り飛ばせ! お高くとまってすましやがって、せいぜい可愛がられでもすればそのお綺麗なツラの皮も剥がれるだろ」



――「う」、と言い切ったと同時に男の首が飛ぶ



「ヒッ」と別の男の短い悲鳴が上がる。その男の喉を伊織の刀が貫き、引き抜くと同時にもう一方の刀が伊織の背後にいた男を袈裟斬りにする。ぐるりと身を翻し、まるで宙を舞ったかのように跳躍したかと思うと、着地すると同時にその場にいた男どもの腹を一様に横一文字に切り裂いていた。一拍遅れてようやく斬られたことに気付いた男どもが地面に崩れ落ち、やがて血を吐いて絶命する。

二刀についた血を一度大きく振って払い、伊織が納刀する。着物の袖にわずかに返り血がかかっているのを見つけて、「ん、」と顔を顰めた。――それから、その一連の様子を呆然と眺めていたセイバーがいたことに、ようやく気付く。

……ああ」

その姿を目に留めてからやや遅れて伊織が頷き、「セイバー」と声を掛けてきた。

「さあ、長屋に戻ろう。今から米を炊くから夕餉は遅くなってしまうが、大人しく待っていてくれ」
「きみは誰だ?」

セイバーの声が鋭く飛ぶ。
視界の悪い、月明かりだけに照らされた夜道の中、ぎらついたようなセイバーの夕陽の色をした瞳が、伊織を見つめている。
やがて、はあ、と伊織が溜息をつく。ぽりぽりと癖毛の頭を掻いた。それから、言った。

「ばかげた問いだな。俺が俺以外に見えるのか」
「ああ、見える。――きみの足元を見てみろ。これが『宮本伊織』の仕業だと言われて信じられるほど、私は彼のことを知らないわけではない」
「そうかな。貴殿の知らない『宮本伊織』の顔など、いくらでもたくさんあるだろう」

目を逸らしつつ、やがて観念したように「わかったよ」と伊織が大きく溜息をついた。

「貴殿は信用できそうだからな。それに、宮本伊織とは『運命共同体』というやつなのだろう? ――ならば、隠し事はなし、とした方が得策だな。お互いに

ふん、と眇められた月夜の瞳に皮肉めいたものを感じたが、セイバーはわずかに身動ぎをするだけで大きな反応を示さずに済んだ。――今は、それどころではない。
とん、と己の胸元を軽く指して、伊織が言った。

「貴殿は『これ』から『記憶がなくなる』話を聞いただろう。――時折、完全に記憶が欠落し、それが起こったことすら認識できないと」
「ああ」
「当然だ。あいつは経験していないからだ。あいつが経験していない記憶をあいつが保持しているわけがない。それは欠落でもなんでもない。最初からそんなものはそこにはないのだから」
――つまり」

既に自分でも辿り着こうとしている答えを、敢えてセイバーが相手に促す。白くぼんやりと月光に照らされた伊織が、いつもとなんら変わらぬ端正な顔で言った。

「あいつが『覚えていない』と言っている間、あいつの代わりに見て、聞いて、行動しているのは俺だ。――初めましてだな、セイバー」
「きみの、名は」
「特にないな。『宮本伊織』はこいつとこの肉体のことだろうし。――まあ、貴殿にとってはこんな違いは誤差だろう。俺のことも『イオリ』と呼んでくれて構わんぞ」
……
「嫌、みたいだな?」

はは、と皮肉げに片方の口の端を持ち上げる。常の伊織ならばしないようなその表情に、「確かに違うのだ」ということをセイバーは実感する。

「まあいいさ。――あいつは俺の存在を知らないが、俺はあいつの存在を知っているし、自分自身の記憶に加えてあいつの記憶のすべてを保持している。より正確に言うと、俺達の記憶のうち、あいつが耐えられないものを俺がすべて引き受けている」

「つまり、」と伊織が軽く手を振る。

「あいつは『月のような剣』の記憶はあっても、その直前に俺達が、俺達の家族が、俺達の友達が、俺達の村が、どんな目に遭ったのかは覚えていない。俺が引き受けた
師匠の目を盗んで手を出してきた大人に俺達がどんな目に遭わされたのかも覚えていないし、そいつがどうなったかも覚えていない。――そうやって、今日まで俺達に手を伸ばしてきたやつらが皆どうなったか、あいつは何も知らない。あいつはいまだに、自分の手はまだ人を殺したことがないと思っている」
……
「呑気でおめでたくて可愛いだろう」

露悪的に嗤い、伊織が腰に手を当ててセイバーを見る。口許を引き結んでいたセイバーが尋ねた。

――きみは、イオリを憎んでいるのか?」
「何故そう思う? まさか。あいつは俺の理想だよ。余人とうまくやっていけているし、俺達の衝動だって頑張って抑えているだろう。泰平の世にうまく溶け込んで、人々を理解しようとしている。俺ならば斬る目的のみにある衝動だが、あいつの場合はそれ一辺倒でもないのだろう。――このまま何事もなければ、善良なひとりの浪人として静かに生きて静かに死ねるだろうさ。
あいつは――俺とは違う。まだ引き返せる。俺にこの体を明け渡そうなどと、俺を切り替えようなどと莫迦なことさえ思わなければ、あいつは安泰だ」
切り替える――
「セイバー。あいつのことは、俺が護ってきたんだ」

伊織がふいに真剣な顔をした。――急に、いつもの伊織のように見えた。

「あいつの見たくないものはすべて俺が引き受けて、俺が斬ってきた。だから今、あいつはぎりぎり踏みとどまれている。このまま何事もなければ、あいつが心変わりをしてこのままではダメだなどとさえ思わなければ――『宮本伊織』は、『宮本伊織あいつ』のままでいられる。
だから、セイバー。――頼むぞ。頼むから、」



――「余計なことを言ってくれるなよ」、と。



その言葉と共に、ふっと伊織が目を閉じる。その月夜の色をした瞳が再び見開かれたとき、セイバーは悟った。――これは、『あれ』ではない。

……セイバー?」
「イオリ。――足元を見るな。長屋に帰ろう。そして、夕餉の支度をして――
「腹が減ったのか? まったく貴殿は仕方がないな」

軽く笑い、促されるままに伊織が歩き出す。その背中を押すようにしてついていきながら、ふと、セイバーが振り向いた。






暗がりに広がる血溜まりの中に、誰かが立っているように見えた。しぃ、と口許に人差し指を立てているのを幻視する。






セイバーが、再び目線を伊織の背中に戻す。再びぐっとその背中を押して、長屋へと帰路を急かした。










サニーサイドアップ・了