この後時間があったら少しどうかな、と言われて二つ返事で了承した。普段であれば手首の捻りで示された飲みの誘いに、レイシオは少しばかり気を悪くしたに違いない。この日の打ち合わせは前々から決まっていたのだから、事前に予定くらい押さえておけというニュアンスで。
アベンチュリンとのそれは仕事の後の会食と言うのもいささか肩肘張った言い回しに感じる、随分と砕けた時間ではあるのだ。しかし今回のこれにはいつもとは異なる目的があり、すげなく断ることに不要な意味が込められるともレイシオも理解している。
来るなら今日だろうと思ってはいたし、カンパニーの敷地外が選ばれたのはアベンチュリンからの温情と言ってもいい。だからレイシオは根回しが基本のギャンブラーの誘いとは思えないほど杜撰だ、とだけ文句を付けて彼が選んだ飲み屋に向かうことにした。
ファミリーがある種不可侵の中立者であるナナシビトの下に逃がしたピノコニーのアイコンの一つ。その暉長石号の中でスクリューガムが個人的な研究をしている。彼があの立地にどれほどのメッセージを込めているかをレイシオは知りたいとも思わないが、カンパニーからすれば放置し切るわけにはいかない状況だろう。
スクリューガムが協力者の名を有効活用したかどうか、結局レイシオは聞いていない。ただ、そもそもレイシオがあの研究に関わってる痕跡は隠蔽もしていないため、カンパニーがその気になればすぐに分かる話ではある。
少々安堵した雰囲気を見せたアベンチュリンに連れられて入ったのは、飲み屋と呼ぶのが適切そうな店の個室だった。これもまた彼にしては珍しいチョイスではあったが、ブランドイメージとして居酒屋を掲げているタイプの店らしい。そのため、品がない訳でもなく彼が作り上げようとするイメージを壊すほどではない。
店のチョイスも意外であれば、開口一番の注文もなかなかだった。生の中ジョッキで! と言う響きはたまに生徒に金づる扱いされて出席するゼミのコンパで聞くかもしれない。いや、あんなところで生ビールは出ないのでグレードは大分異なるだろうが。あと、規模が大きければピッチャーで届くのも珍しくはなかったか。
記憶をいくら掘り返しても、彼が嗜んでいたのはクラフトビールの類に留まっていたように思う。まあ別に強かに酔っ払ってひっくり返りでもしない限り、アベンチュリンが何を飲んだって構わないのだけれど。そんなことを考えながら、結局レイシオもグラスでビールを頼んだ。
事もあろうかレイシオの前で、届いたばかりのそれをアベンチュリンは一気に飲み干した。レイシオが言葉をなくしているうちにアベンチュリンは喉を鳴らしてぐいぐいとろくに味わいもせずアルコールを胃に詰め込んで、空っぽになったジョッキを勢いよく机に戻す。
その勢いにはちょっと合わないように思う決意を帯びた深い呼気からは、色々と良くない想定をしているのが見て取れる。一体どういうルートでレイシオの所業が彼の耳に入ったのか、少々気になってきてしまった。
「カンパニーはその手の悪習も守る必要があると考えているのか?」
それも医師免許の持ち主の前でと不快感を隠さず声を低くすれば、たっぷりアルコールを取り込んだアベンチュリンが少し笑った。僕にだって景気づけが必要な時もあるんだ、なんて言いながら。
「まあ、どこかの支部の伝統事業部なんかでは残ってるんじゃないかな」
星をまるごと食らおうとするのだから責任を持って一掃してもらいたいところだと医者の尺度で勝手に悪習と断じてから、レイシオは一つ溜め息を吐いてアベンチュリンの蛮行を許してやる。無意味な習慣にしようものなら見過ごしていられないが、明確な動機があるものであればそう繰り返されるものでもなかろう。
「――よし、今日は君の話を何でも聞こうと思って誘ったんだ。最近色々あったんだろう?」
「君にオフレコ権限があるなら喜んで全てを話そう」
煌びやかに振る舞っているものの死刑囚でもある彼の一挙一動はおそらくカンパニーのどこかにデータとして溜め込まれているはずで、アベンチュリンにはプライバシーというものは基本的に存在しないと考えた方が良い。アベンチュリンが見聞きした全ての事柄は常に解析されていて、必要とあれば人の目に晒されるもののはずである。
「何言ってるんだ教授、僕にそんなものあるはずないって分かってるくせに」
「全く……」
レイシオの指摘をアベンチュリンは否定するつもりなどさらさらないらしく、いつもの軽い調子で笑ってみせる。
元々どんな関係の相手に対しても知らせるべきでない事柄はというものは何一つ例外を持たず伝えるべきではない。その上で、アベンチュリンが口を封じる手段を持たないのであれば、無論レイシオはより慎重に彼に教えるべき情報を精査する必要がある。それは彼を警戒すると言うよりも、一種の気遣いであるとアベンチュリンも察しているはずだった。
たとえば、レイシオの研究室を尋ねた際に彼は無闇にあちこちを見て回ったりしようとしない。レイシオが自分から提供した情報だけを受け取ろうという姿勢を彼なりの誠意として受け取っている。
つまるところ、話せるラインで好きに話せということなのだろう。今回は洗いざらい話したところでレイシオにさして不利益があるわけではないが、アベンチュリンをはじめとしたカンパニーはあまりよろしくないケースも想定しているらしい。
「個人的にも心配してるんだよ。正直君は彼らから距離を取っていると思っていたし、何が弱味でも握られたんじゃないかって」
新しい酒を注文しながらいかにもそこまで深刻には捉えていませんとでも言いたげに、アベンチュリンはレイシオに告げる。視線から情報を取られたくないのかタブレットのメニューをすいすいと捲って、彼は視線を上げようとはしなかった。
彼は人に踏み込もうとする瞬間に、こういう仕草をすることがある。まるで、その態度からアベンチュリンの不誠実さを見つけ出して、それを不服として拒否してくれとでも言いたげに。
「不本意なら、カンパニーの名前を使えば上手いこと引き剥がせるかもしれないからさ。どう?」
最後の一言でようやく自分がちょっとした悪事を働いていて、それを当人に許してもらおうとするような視線が向けられた。どうやら彼がレイシオを案じていて、できることがあれば何とかしてやりたいと思っているのは本当らしい。レイシオの動向を探る意図を持つ一席には場違いとも思える視線に籠もる彼の躊躇を感じながらも、レイシオはそれを気にしないように振る舞おうと意識する。
「……弱味を握られたと言うより、僕が口を滑らせたんだ」
「ひょっとして、商人としての心得を君に教えてあげた方がいいかな? 商人からしたら致命的だよ」
「そうだな。彼がその手の仕事をしていたら危なかったかもしれない」
要するに、とレイシオが少々声を抑えた分、アベンチュリンが身を乗り出してくる。
「腹立たしい勧誘があったからここぞとばかりに好き放題言って蹴ったら、その中にあったコンセプトに沿ったプロジェクトを始めたいと打診をされて少々責任を感じて付き合っているだけだ。それ以上も以下もない」
「ああ……ちょっとそういうの僕も覚えがあるな」
やられたこともあるしやったこともあるかも、なんて言いながら、アベンチュリンがかすかに緊張を緩めたのが分かった。どうやらレイシオのへまを事実として受け取ることにしたらしい。
いや、こんな含みのある言い回しをしたところで、事実は事実でしかないのだが。技術開発部に働きかけて博識学会から通信ログを提出させればレイシオの返信内容は確認できるものなので、端末に残っている履歴を先んじてアベンチュリンに見せてやる。さっと目を通そうとしたアベンチュリンが一度視線を折り返して二行目に入った瞬間に、気の抜けた声を上げて口角を抑えきれないとばかりに上げて見せた。
「これを? ほんとに?」
本当に、と同意してから今度は後日届いたスクリューガムからのメールを見せると、すごいとアベンチュリンが愉快そうに漏らした。それから彼ってとんでもないひとだね、とぽろりとアベンチュリンが零すのにレイシオは頷く。
「自分で言った手前、無視するわけにもいかないだろう」
博識学会経由で来た連絡が今後はレイシオの研究室に直接届いて、助手は随分と泡を食ったらしい。慌てたらしくろくに説明もないままスクリューガムの名が記されているメールを転送された上に、通話で早く確認するようにと急かされたのを覚えている。
署名に眉を顰めてメールを開封して、レイシオは眉間の力を緩められないままに内容を読破した。内容は先ほどアベンチュリンに見せた通りである。
こんなものが返ってくると分かっていたら、レイシオだってあんな返事をしなかっただろう。それから彼が武装考古学派のプロジェクトに多少なりとも助力していると言う話を思い出して、ほんの少し納得してしまった。もう少し早くあの関係から導き出される彼の性質に気づくべきだったのだ。
レイシオはたっぷり時間をかけて懊悩して、結局はスクリューガムの要望を突っぱねることも、代役を立てることも諦めた。天才には判断付きかねる凡人の要素を埋められる人間など博識学会を頼れば掃いて捨てるほどいるはずだが、天才クラブに関わらせるのであればそれなりの人材を選ぶ必要があるだろう。
そしてそういう人間であればレイシオから事情を聞けば、自分で蒔いた種だろうと答えるに違いない。少なくともレイシオであればそう答える。
以降にやりとりした情報量を思えばほんのささやかな文面にそれなりの時間をかけて以来、レイシオはスクリューガムの趣味と呼んでも差し支えなさそうなプロジェクトに付き合っている。
その研究自体は正直なところ、カンパニーの気を引く類のものでもなかったように思う。それを裏付けるように、暉長石号にスクリューガムが現れるまで彼らはレイシオの関わりを検知していなかったのだ。
ただし、政治的な側面では大分温度感が変わってくるはずだ。暉長石号という立地はもちろん、凡人の世をシミュレートする研究を星の主が行っているのだ。穿った見方をしようとすればいくらでもできてしまうのはレイシオだって同意するところである。故にアベンチュリンは誰かからの指示でレイシオをこの店に連れてきて、あれやこれやと聞き出す義務があるわけで。
「じゃあ、どうしようもなくていやいやという感じではないのかな」
「…………」
実のところ、最近は随分と楽しくやっている自覚はあるものの、きっかけを思うとそう答えるのも少しばかり業腹だった。とはいえレイシオを案じてくれているらしいアベンチュリンを前に虚偽を告げるのも気が進まない。
「そっか」
これはそういう沈黙だと、アベンチュリンは正しく理解したらしい。ふふ、と先ほど飲み干したビールの勢いとは相反する穏やかさで、彼は小さく笑って見せる。
こつこつと戸が叩かれて、アベンチュリンが返事をすると頼んでいた料理の一部と彼が追加で頼んだ二杯目の酒が届く。店員を労ってからレイシオに視線を寄越した彼のネオンを思わせる虹彩の内から発せられる眼差しはもうほとんどいつも通りに戻っていた。
「じゃあここからはちょっと尋問になるんだけど、付き合ってもらって良いかな」
「もたつくようなら僕は帰るからな」
ようやく自分のビールに口を付けながらどこまで情報を渡してやろうかと考えようとして、話の流れに任せてしまうことにする。会話における情報の制御においてはレイシオよりも、アベンチュリンの方が本職とあって秀でている部分があるはずなので。
とまあ、そういうことがあったのだ。そんな話をつらつら共有しながら、レイシオは階差宇宙を駆け回っていたらしいナナシビトのログを眺めていた。
ちょうどナナシビトがレイシオに方程式の出に偏りがあるのではないか、とぶうぶう文句を言っている。大体抱いた通りの反論をログの中のレイシオの投影が述べているので、人格のシミュレーション機能は滞りなく動作しているらしい。それに、方程式周りの確率の計算も特に問題は生じていない。祝福の説明にバグを埋め込んでしまっていたとスクリューガムが言っていたが、今のところ万人に公開して金を取っているシステムでもないので些細な事と済ませて問題ないだろう。
「お手数をおかけしてしまいました。貴方にも、貴方のご友人にも。『尋問』の内容をお伺いしても?」
「階差宇宙の説明がほしいだの、実際のところどれくらい関わっているのかだの、そのせいでカンパニーとの仕事に支障が出ていないかだの、だ。元々僕は研究優先で契約しているはずだが?」
勘違いしてもらっては困ると苛立ち紛れに溜め息を吐けば、スクリューガムはレイシオの回答に満足したようだった。後の事は彼に任せておけば良いだろう。そもそも、火種を持ち込んだのはスクリューガムの方なのだから。
アベンチュリンには不要な気遣いをさせてしまっているので、どこかで埋め合わせをした方がいいように思う。彼経由で話がくるとは予測していたが、あれほど案じさせてしまうとは思ってもみなかったのだ。さすがに悪いことをしてしまったと、レイシオだって反省している。
ああ、ただ。
「随分と嬉しそうに見えます」
「……人の身体反応を過剰に読むな」
「否定:センサー精度は有機生命体の平均値を維持しています」
しれっと告げてくるスクリューガムに疑わしげな視線を向けてみるが、彼が気にする様子はない。事実、レイシオが分かりやすい表情や雰囲気をしていたのは確かなのだろう。
アベンチュリンはあの夜答えるのが億劫になるほどにあれやこれやと根掘り葉掘り尋ねてきたが、結局最後までカンパニー、すなわちアベンチュリンとの仕事から手を引く準備をしているのではないかと怪しむ様子をかけらも見せなかった。
いい加減彼との縁は短いと言えなくなってきているとレイシオは判断しているが、その時間に相応しい信頼関係を築けていないのは承知していた。もちろん、それなりに気安い関係にはなっているはずだし、互いに一定の信用を置いているのは間違いなかったが。
自身を取り巻く環境に阻害された人間関係の構築を、アベンチュリンはレイシオに一歩距離を詰めることで前進させようとしている。自身の変化をアベンチュリンが認識しているかはレイシオには分からないが、いつかその変化に気づく日が来れば良いと思う。
「生徒の成長を喜ばない教師はいないだろう」
そう独り言にも聞こえるだろう調子で口にしてから、目の前にいる星の王にもそういう時代があったのだろうかとふと気になってレイシオはログを読む手を止めて顔を上げる。その反応が気になったのかスクリューガムもレイシオに視線を寄せていた。
よくよく考えるまでもなく、今回の一連の出来事は彼への貸しと捉えても差し支えないだろう。であれば、彼の過去の一つくらい尋ねたところで嫌な顔をされる謂れはあるまい。
そうしてレイシオはとある星の統治者の、極々個人的で有用性もない情報をこの事態の最後の明確な報酬として受け取ったのである。
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