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えのうえ
2023-11-19 10:41:41
7099文字
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ロスト・マイ・ウェイ!
トンチキチャイマとトンチキヤの話。
1
2
一
「どうする? 伸るか、反るか」
回転テーブルを挟んだ向かいで、若い男が詰め襟から伸びた首を傾げた。指を組み、挑戦的な眼差しだった。前のめりになったはずみに、小突いただけで割れそうな薄い銀縁眼鏡がキラリと光った。
「お前、田舎のヤクザ舐めてんだろ。そんなもんを初対面の奴からふっかけられて、ひょいひょい首を縦に振るばかがいるか。
自分
てめぇ
等だけでよろしくやんな」
親父
おやじ
が面倒くさそうに言う。
男の持ちかけてきた話はこうだ。
『五日以内に本物の金庫番を見つけ出せ』
至ってシンプル。だが、男の属する組織は中国系マフィアの中でも一二を争う大きさであるのに対し、こちらは都心から逃げてきた負け犬の寄り合いのようなもの。全ての労力を費やしても、せいぜいが噂を掠める程度だ。いや、それすらも難しいかもしれない。
「我々は、アナタの言う
自分
てめぇ
等の一員になってほしいというお願いをしているんですよ」
「たかが人攫い、されど人攫い。勘弁してくれ、こっちにも生活ってもんがあんだよ」と親父が言った。薄らと軽蔑の音が滲んでいるように思えた。
「アナタ方、こういうの得意でしょう。いっぱいそういう専門家がいるのを知ってますよ。アナタもソッチのアナタも元警察官。しかも皆には内緒にしないといけないようなところにいた。違いますか?」
「
……
報酬は」
「まずは手付金として即金で五百。我々ののぞみを叶えていただければ、それにカンマ一つ追加した額をお渡しましょう」
まるでくそったれの椅子取りゲームだ、と俺は思った。
いつだって選択の提示権は強者にあって、それが俺達のもとに届くのは誰か特定の人物が得をするよう繊細に作り込まれたあと。配られた椅子に座るだの、座らないだの、無意味な問答だろうが。
「さあ。伸るか、反るか。どうする?」と男が再度問いかけてくる。
「
公平
きみひら
」
「はい」
「すまんな」
「いえ」
俺は親父と入れ替わるようにして席についた。背後で親父の出ていく音がした。
「
太棒了
タイバンラ
! わかってくれると思ってました!」
わざとらしく喜びを表するように、男が両手を広げ天を仰いだ。
「さっさと詳細を話せ。なにせ、あまり時間がない」俺は男を睨みつけた。詰め襟を締め上げ、頬にビンタをくらわしてやりたいくらいにはイライラしていた。
「とは言ってもね、あらかた目星はついているんですよ。歴代の金庫番と最近の死人を遡行して、残ったのがこれだけ」
男が自身の前に茶封筒をいくつか積んだ。それぞれがそれなりに膨らみをもっているのがわかった。テーブルを回し引き寄せようとしたが、男の抵抗によって止まる。「どれか一つですよ」と男が指を立てた。
「あ?」
「リスクヘッジとでも言いましょうか。アナタ方がどれだけ優秀だとしても、さすがに初対面の相手にオールインするほど愚かじゃない」
「なるほど」
俺が頷いたのに合わせて男の手が離れた。遠心力によって少し崩れた封筒のなかから一つを引き抜く。糊付けされているわけもなく、封筒の両端を軽く押せば簡単に中身が取り出せた。
住所の書かれたメモ用紙が一枚と、明らかに隠し撮りとわかる写真が三枚。どれも少しずつブレている。
「ああ、引きが良い。実は彼女が大本命でね」
「彼女?」
「彼、と呼ぶ人間もいる」
名前も年齢も性別も不詳。必要以上の情報を寄越す気がないことは問わずともわかる。俺も、深いところまで知りたいとは思わなかった。
「とにかく、〝彼女〟が金庫番だと証明すりゃいいんだな」
「できれば穏便にね。お話の準備もしておいてほしい。なにせ、あまり時間がないので」
男はまだ若い。おそらくは俺よりも。それなのに即金でざっと三千万はぽいと出せるだけの財力を持っており、身なりからは組織内での地位もそう悪くないことが窺える。「その先はどうするつもりだ」単純な興味が、口をついて出た。
男がニヤリと笑う。銀縁眼鏡のレンズが楽しそうに揺れた。
「
頭
トップ
を落として首を挿げ替えるんですよ。アナタ方がしたのと同じように」
二
一日目。〝彼女〟の自宅付近を散策する。本人の姿は見えない。外出中か。
二日目。セールスを装い、一気に〝彼女〟と距離をつめる。築数十年は経っていそうな、ボロい三階建てアパートの階段を一つ上がる。電気のメーターは動いていた。扉を目視で確認するも、糸くずや木片のような古典的な仕掛けはなかった。少なくとも家が生きていることはわかったが、それだけだった。
三日目。近くの河川敷を歩いていると、男から状況確認のメールが入った。未だ接触できていない旨を報告しようとしたところで、視界の端で人影が揺らいだ。あっと息が漏れそうになる。〝彼女〟だ。
空気を多く含んでいそうな髪だった。柔らかく渦巻いたのを、うまいこと一つに纏めてある。
背は、女にしては大きく、男にしては小さかった。がっしり逆三角の肩と、そこにぶら下がった両腕は常人より長く見えた。無意識に、リーチ差を計算する。長物を使われれば苦戦するだろう。
草むらに立つ〝彼女〟が予備動作もなくこちらを向いた。
ぎくりとする。と、同時に男への報告内容が変わったことに少し安堵した。
「兄ちゃん、犬見んかったか」
あまりにも流暢な関西弁で、一瞬耳をすり抜けそうになった。中国系マフィアの金庫番じゃないのかよ、と内心毒づきもした。男はこの性別不詳の人物を大本命だと言っていたが、それがもし本当なら俺は腎臓一つくらい差し出してもいいとさえ思った。
「犬種は?」俺は聞いた。どちらにせよ、もう少し様子を見たかった。
「プードルや。あいつ、散歩好きなくせにすぐ迷子になりよんねん。困ったちゃんやで、ホンマ」
ぶつぶつ言いながら、草をかき分けたりバケツをひっくり返したりする。見ていられない。気がつけば「犬には帰巣本能があるから、もしかすると家に帰ってるんじゃないか」と零していた。
〝彼女〟がガバリと顔を上げる。
「確かにそうかもな」そう手を打ち、俺に背を向ける形で歩き出した。「待て」と俺は叫ぶ。そうかもと同意するなら、進むべくはそっちじゃない。「あんたどこに行くつもりだ」
「どこって、家に帰ってるかも言うたん兄ちゃんやろ」
「あんたの家はどっちだよ」
「こっちや」〝彼女〟が指をさす。全然違う! 俺は眉間が谷折りになるのではと思うくらい、顔を顰めた。
そして気づく。もしかして、迷子なのはお前じゃないのか。
三
「コツがいるんよ」と笑いながら〝彼女〟がノブを回す。俺は鍵もかかっていないだなんて、と頭が痛くなった。こんなのが本命候補? 家にも真っ直ぐ帰れないような奴が?
〝彼女〟の背中越しに中を覗き込む。物はほとんどなく、綺麗というより無に近い印象を受けた。
俺があとに続くのを、止めようともしない。後ろ手に鍵を閉め、土足のまま廊下へと進む。〝彼女〟は「くれー」と恐らくは犬の名を連呼し、リビングと廊下を隔てるのれんをくぐった。
「お、ホンマにおった」喜ぶ声を聞きつつ、俺は脛にくくりつけた警棒を手に取った。真っ向から勝負すれば負ける。先程までの不快感は、そういう確信に変わっていた。やるならば不意をつけ。互いの被害を最小限にするためにも。
久しぶりの緊迫感に心臓が激しく波打っていた。
のれんに手をかける。赤と白のパンダ模様が、俺の動きに合わせて歪む。そして視界が開けた瞬間、鼻先に鋭い痛みが走った。刃物を投げつけられたのだ。もう少し反応が遅ければこめかみを貫かれていた。
「お前
何者
なにもん
や」
「ただの親切な通行人だ」
「はっ、おもんな」
〝彼女〟の長い腕が俺の顔面目掛けてとんでくる。思わずガードの姿勢をとるも、そのまま袖を掴まれ重心をずらされた。半ば振り回されるようにしてリビングへとなだれ込む。部屋の隅に、白くて大きい犬がいるのが見えた。やっぱり迷子になったのは
人間
おまえ
のほうじゃないか、と舌打ちをする。
「最近こういうの多いねん。テンドンて言うんか? いい加減もう飽きたわ」
「知るか。こっちは人に頼まれて来たんだよ。少しは己の行いを見直してみたらどうだ」
打撃をいなしつつ、リビング入口から距離をとる。とにかく刃物から遠ざけたかった。警棒で〝彼女〟の脚を
叩
はた
く。バランスを崩して膝をつけ。
狙い通り均衡を失った〝彼女〟がよろめいた。すかさず首と腕をとり、腿でそれらを絞め上げた。
「お前が金庫番か」
〝彼女〟の形の良い眉が険しい山をつくった。ギロリと音のつきそうな目で俺を射抜いてきて、一瞬気圧される。
「やったらなんやねん」
「できれば穏便に済ませたい。何も聞かず、俺に誘拐されてくれ」
抵抗のために立てられた爪が、力を失っていく。あと少し、あと少し。カウントをとる俺の耳に、窓が割れる音と、次いで花瓶の砕け散る音が飛び込んできた。
犬が外に向かってワンワン吠えた。狙撃と気づいたのは二発目が打たれてからだった。〝彼女〟が俺を押しのけ立ち上がる。リビング入口の壁に刺さった刃物を抜きとって腰に収めるのを、俺はただただ眺めていた。
「最悪や、私ん
家
ち
ちゃうのに。絶対怒られる」
「え、お前の家じゃないのか」
「ちゃうちゃう、私の先輩。今はどこにおんのか知らんけどな。犬の面倒まで押し付けよって」
銃弾が、俺と〝彼女〟の間に何発も打ち込まれていた。遮蔽物のお陰か、それとも単なる狙撃手の腕の問題か、ともかく当たりそうになかった。七ミリ強の穴ばかりが増え、それに比例するように〝彼女〟の機嫌も悪くなっていった。
玄関からバタバタ足音がする。
「自分の行いを見直しても、なんでこうなってんのか見当もつかんわ」
〝彼女〟が苛立ったように壁を殴る。ドン、と軽い衝撃とともに床に穴が空いて、俺の身体は為す術もなく滑り落ちた。
四
短い滑り台だった。それもそのはずで、階下に落ちたようだった。勢い余って壁に打ち付けた全身が痛い。
「ちんたらしてんな。行くで」と〝彼女〟が言う。あの白いプードルも毛糸玉のような尻尾を振って俺を見ていた。
「どこに」
「わからん。靴でも飛ばすか?」
「外にはさっきの奴らがいるんじゃないのか」
「せやろな。でも出なしゃあないやんけ」
天井からキィ、キィと音がした。足音を殺し、静かに侵入を試みている姿が目に浮かぶ。
このままここにいても仕方がないのは俺もわかっていた。どこに、と聞いたのは〝彼女〟の目的地を知りたかったからだ。扉を出て右に行くのか、左に行くのか、前もって知るべきだと思った。多分、俺は〝彼女〟よりこの辺りに詳しい。
「なら、俺に案がある」
「誘拐てか」
「そうだ」
納得したように頷いて身を翻した〝彼女〟の腕をとる。数十分前の己の行動を思い出してくれと俺は思った。お前に逃げる気があろうとなかろうと、あれだけの方向音痴を見せつけられたんだ。自由に歩かせるばかがどこにいる。
念の為忍ばせておいた手錠で俺と〝彼女〟を繋いだ。迷子防止、逃走防止。お互い動きづらいが、これが一番シンプルで良い策だ。
「兄ちゃん、もしかして駐在さんか」
「厳密には違うが、もうそれでいいよ」
ドアスコープを覗く。特に人影はない。ゆっくり扉を開け、周囲を見渡した。大丈夫そうだ。犬を先頭に、俺と〝彼女〟も外に出た。案の定進行方向の真逆に引っ張られたが、想定内だ。
「こっちだ」
「こっちやろ」
「俺に誘拐されるんじゃなかったのか」
「アホ、わかっとるわ。やから大人しく付いてっとるやろ」
「ああそうかもな。こっちだ。車がある」
「ここはアンタん家かい」ぶつくさツッコミともつかない小言を漏らす〝彼女〟の腕を引く。抵抗感のない足取りに安堵した。
俺はあらかじめ考えておいた逃走ルートを辿った。それが、この二日間辺りを散策した成果だった。
敷地を仕切る錆びたネットフェンスを焼き切る。十秒と経たずにちょうどプードル一匹分、大人が這って進める程度の穴ができた。左右を確認し、小道へ出る。あとは真っ直ぐ四十メートル進んで、角を左折すればいい。そこには今朝停めた車が俺を待っているはずで、そう時間も経っていないから手持ちの小銭だけで事足りるだろう。「モータープールに停めとんかい!」〝彼女〟が言う。俺は、この口調はどこで誰に教わったんだと、改めて不思議に思った。
ジャケットの内ポケットで携帯が震えた。男からのメールだと察する。そういえば、まだ何の報告も入れていなかったことに気づいたが、今そんな余裕はないので無視をした。〝彼女〟の鋭い視線が頬に突き刺さっていた。
通常の倍、時間をかけ車にたどり着いた。手錠を外し、とりあえず〝彼女〟とその愛犬を乗車させる。鍵をかけ、精算機へと向かった。番号を押し、表示された金額を入れる。領収書のボタンに指が触れたとき、背中に激痛がはしった。刺された、と認識し、思わず声が漏れる。横目で確認した〝彼女〟はグローブボックスに夢中で、こちらの様子には気づいていない。
一歩、前にふらついたが踏みとどまった。右腕を思い切り背後に回し、ぶつかったものを強く握りしめた。「お前、さっきの奴か」
返答はあったが、何と言っているのか微塵もわからなかった。中国語かもしれないと思ったのは状況のせいだ。
相手が俺の手を振り払い、後ずさった。狼狽えているわけではなく、攻撃の準備だと予測する。間合いから察するに、得物使いではない。これが〝彼女〟であれば俺は一刺しで内臓を抉られていただろう。
俺の肉を浅く裂いたナイフを抜くのは簡単だった。
向かい合い、覆面のせいでよく見えない相手の顔を思い切り蹴る。よろけ、身体が左に流れた。その弾みに少し下がった顎に拳を叩き込めば、ガードなどないに等しい。無防備になった鳩尾を力一杯突く。あとはさっき〝彼女〟にしたのと同じように絞め上げて終わりだった。
立ち上がり、車へと一歩踏み出す。どくどく痛みが伝達されていくのを感じた。まだ昼間だというのに、視界に星が瞬いた。散々だ。〝彼女〟をあの男に引き渡したら、もう金輪際中国系マフィアなどとは関わりたくない。いっそ五十億を独り占めして、どこか遠くにとんずらしてやろうか。
運転席のドアを開け、車に乗り込んだ。
ワン、と鳴き声が響く。〝彼女〟は助手席シートのリクライニングを目一杯倒し、寝転んでいる。目にはどこから発掘したのかホットアイマスクをつけていた。
ロック板が再び上がる前に出発しなければ。俺は短くため息をついて、ギアに手をかけた。
五
ありがとうございます、と電話口で男が言った。「メールでお伝えした住所まで彼女を配送してください」
「わかった。それで俺の仕事は終了ってことでいいんだな」
ちょうど信号が赤になったので、受信状況を確認する。ピザ屋、花屋、ネットショッピングサイトからのセールス案内と男からのメールが一件。無論、男からのもののみを開封する。
指定された場所はそう遠くはなく、もし全ての信号に引っかかったとしても半時間とかからない。
「報酬は」と聞く。
「彼女と引き換えです」
ふと、領収書を取り忘れていたことに気づく。今頃あの精算機では、四百円と記載された短い感熱紙が外界の広さに打ち震えていることだろう。俺はまたため息をついた。
「ずいぶんお疲れみたいですね。紹介状でも付けましょうか」
「心配には及ばん。こっちにも腕の良いかかりつけ医がいるからな」
「そうですか」
「着いたらまた連絡する」そう言って、俺は電話を切った。
車内では、〝彼女〟の規則正しいイビキと時折口にする中国語らしき言葉だけが響いていた。
件の組織の金庫番が死んだと耳にしたのは、あれからひと月後のことだ。その詳細は、都内のことは何でもござれと豪語する情報屋ですら掴みきれなかったという。判明しているのは、その金庫番が、口にするだけでも身悶えするような拷問を受けたらしいことと、見つかった死体の性別が男だったことだ。
情報料と称して買わされた白い菊のブーケが、俺の腕の中で明るく咲き誇っていた。
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