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きう
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薄明、涙も、水波の隔て
ワンズオ(禾⇄左)
これ(
https://privatter.me/page/66f41eba9ca73
)の逆視点。
「ワンチィンにバーに誘われなかったか?」
執務室でドクターにそう問われた時、私は表情を取り繕えていただろうか。引き攣るようにして上がった口角に力を入れて、唇を笑みの形に変える。
「いえ、彼とは個人的な連絡を取りませんから」
私の返事にドクターは「そうか」と短く答えた。フェイスシールドを付けた顔を再び液晶へ向けたドクターの意図は読めない。返答の仕方を間違えただろうかと首を捻った後で、まとめていた書類へ視線を戻す。
シャオホーの連絡先は知っている。しかし知っているだけだ。たまに重なる任務のミーティング時間だとか、人からの言付、そういうものを細々と連絡するだけ。プライベートで使用したことは一度もない。業務以外でどう連絡を入れたらいいのか分からなかったし、そもそも彼と自分にはそれ以外に話すことがない。
シャオマンさんからは時折、本当に何でもないような出先で食べた美味しいものの名前や、珍しい花の写真が共有されることがある。私に送っているのだから、シャオホーにも送られているだろう。恐らくそういうことを話題にすればいいのだと検討はついている。けれど私が似たことを彼にしてもきっと嫌がられて終わりだ。薄らと彼に作られている壁に気付けないほど私は鈍感ではない。
出会った当初の、疎ましく思われているものとは違う。こちらに向けられる視線は監視ではないはずなのに、視線を向けるとあからさまに逸らされた。他愛のない、例えば訓練室で世話になっている人の話や、興味がありそうなロドス内の自然菜園の話題、そういうものを振っても彼は煩わしそうにする。彼はロドスに長期滞在することがあまりない。話している内容自体が不要な可能性もある。嫌われているわけではない、と思いたい。それでも日に日に、思いたいだけの気がしてきている。だから何でもないような、それこそひとつも彼の利にならなさそうな話を振ることはできなかった。
シャオホーに嫌われたくない。私には彼のように物怖じせず厳しい言葉を掛けてくれる友人はいなかったし、軽口を叩けるような間柄の人もいない。将軍の子ではなく、最年少の持燭人でもない、無知で世間知らずの私を助けてくれたのは二重の意味で彼だった。憧憬や仰望、もしくは吊り橋効果による勘違いかもしれないと思いながらも、私は彼に焦がれていた。
「今、バーにはワンチィンが手配した酒が入っているんだが、飲みに行ってみるか?」
業務終わりに告げられた、突飛なドクターの提案に慌てて首を縦に振る。ドクターは背後のキャビネットから無造作にファイルを引き抜いて、中の書類を私に差し出した。艦内設備在庫管理記録の一部、大荒城で作った酒のようだ。
「彼の試験田から作られたものらしい。とはいえ熟成されているから近々のものではないが」
「ロドスは大荒城からの仕入れもあるのですね」
「直接仕入れている物はほとんどないし、今回はワンチィンの口利きあってのことだな」
彼の作ったものが口にできるのは嬉しい。一瞬、シャオホー本人を誘えればという想いが過ぎるが、すぐに打ち消した。続く話題もないのに高望みだ。それに私が大荒城にいたことをドクターが気にかけてくれているだけで充分有難い。
夕食の後でドクターと合流しバーへと足を運ぶ。ロドスのバーは炎国の酒場とは雰囲気が違った。チェロの旋律響くミドルテンポの曲が静かに流れていて落ち着かない。ドクターが頼んだ琥珀色の酒がグラスに注がれる。口に含むと柔らかく舌の上で溶けて、芳醇な香りを鼻腔へと運ぶ。甘い、今まで飲んだどの酒よりも。しかし甘味とは違い体内を熱するようにして腹の底へと落ちる。脳裏にホーシェンの顔が浮かんだ。甘いとうもろこしを作っていたと言っていた。けれどその夢が甘いだけではないことを、私はもちろん知っている。
「美味しい?」
ドクターが楽しそうに聞いてくるのに頷く。よく考えてみれば任務から離れた場所でアルコールを嗜むことは過去になかった。あまり硬く構えるべき場ではないのかもしれない。それにアルコールの味に慣れることができれば、シャオホーを誘うこともできる。彼との壁がなくなって、何気ない話ができるようになれば、今は難しくても、いつか。この動悸が何によるものなのか判断するより先に、祈るようにグラスの残りを煽った。
「ズオ・ラウ、起きられるか?」
肩を揺すられて目が覚めた。どうやら眠っていたらしい。ドクターがこちらを覗き込んでいる。視界の端が歪んで見えて、一度きつく目を閉じた。
「すまない、飲ませすぎたみたいだ」
「いえ、私の方こそ加減を誤ってしまい
……
」
「ドクターに迷惑をかけるのは感心しませんね」
背筋が冷えるような声だった。顔を上げるとホーシェンが苛立ちを隠さない表情でこちらを見つめている。
「シャオホー
……
」
どうして彼がここにいるのだろう。そもそもいつ艦に戻ったのか。私が言い訳を口にするより早く、ドクターが口を挟んだ。ドクターに視線を移せば、さりげなく水の入ったグラスが手渡される。素直に水を口へと運ぶ。水が火照った身体に染み渡るよりも早く、シャオホーの声色に意識が覚醒する。
「それと彼が飲み過ぎたことに関係がありますか?」
不快を隠さない声だった。情けなく酔い潰れていたのを咎められているようで羞恥が募る。彼の方を見るがこちらを一瞥すらしない。呆れているのかもしれない。
「すまないが私はこの後巡回点検がある。ワンチィンに送ってもらってくれ」
「宿舎にくらい、一人で戻れます」
今、二人にされるのは嫌だった。シャオホーに迷惑をかけることも、あの視線に晒されるのも耐え難い。だと言うのにドクターは何でもないような顔でこの場を去った。心配を全面に出されれば断ることは難しい。
「
……
立てますか」
差し出された手から、嗅ぎ慣れない匂いがした。土と陽とハーブの匂い。すぐに艦内の療養庭園だと分かった。
「すみません、仕事の途中だったのでしょう」
「仕事? いえ、今日はここに戻ってきただけなので、特に何もしていません」
仕事ではない。ならばどうして療養庭園に? いや、療養庭園にはシャオマンさんも出入りしているのではなかったか。送られてくる写真の中に、今の時期には咲かないハーブがあったことを覚えている。幼馴染に会いに行く、何も悪いことではない、羨ましいと言える立場でもない。
何もかもを結び付けてしまいそうな思考を打ち切って立ち上がる。まだ脚にアルコールが残っていた。けれど差し出された手を取ることはできない。彼の厚意を今の私が受け取ってはいけない。シャオホーは酔っているからに手を貸そうとしているだけなのに、都合よく取ってしまいそうになる。
宿舎に戻りながらぽつぽつと言葉を交わす。酔客に説教する無意味さを理解しているのか、先程とは違いシャオホーは普段と変わらない調子だった。彼と話をするのは随分久々だ。醜態を見せたとはいえ、彼を呼んだであろうドクターに感謝しなければ。
エレベーターの浮遊感に酔いが回る感覚がして、壁に背を預けた。思考が上手く回らず唇の動きが鈍い。水をもう一杯もらっておくべきだった。閉じた目蓋の向こうからシャオホーが話し掛けてくる。こんな時、自然に彼の肩を借りることができるなら、そんなことを思わずにはいられない。だけど現実にはならないことも分かっていた。エレベーターが止まり、足元に特有の揺れが伝わる。宿舎エリアへとまっすぐ進んだ。
「ここまでありがとうございました、シャオホー」
「
……
一人で歩いてたじゃないですか」
何故呼ばれたのか分からないと言いたげな言葉に曖昧な笑顔を返す。ここで謝るのは彼の優しさも、ドクターの気遣いも無に帰す行為だろう。
「そうだとしても。
……
では、」
部屋に戻ろうとした手が引かれた。私の手をシャオホーが掴んでいる。何が起きたのか判断が遅れた。
「君さえ良ければ、僕の部屋で何か少し食べませんか? その
……
酒醸をもらってきていて」
「ああ、それならシャオマンさんにも」
「あ、いや、時間も時間ですし、それほど量はないので」
シャオホーの言葉に悲喜が入り混じる。遅い時間だと分かっているのに部屋に呼ぶ、親しい間柄であるということ。二人きりでも構わないと思われていること。多くない量の酒醸を私に振る舞おうとしていること。きっと相手が幼馴染であれば、この時間に部屋に呼ばないであろうこと。
「
…………
それを、私に?」
私は彼の友人で、それ以上でも以下でもない。事実を突き付けられた場所が、酷く痛んだ。喜ばしいはずなのに。
「
……
無理にとは、言いませんが
……
」
私の反応に少々落胆した様子で手が離れる。彼の体温が離れてしまうのは寂しいのに、部屋に誘われるのがつらいなんて矛盾している。苦く広がる感情を飲み下す。友人という立場を利用する気はないが、彼を悲しませたくもない。
「
……
折角なのでいただいてもいいですか」
部屋に入ってすぐ、シャオホーがグラスを手渡してくれた。注がれた水を口に運んでため息をつく。友人という間柄を頭では理解していても、彼の部屋にいる緊張は収まってはくれない。古い本と柔軟剤の匂い。土の匂いはあまり残っておらず、この部屋を丁寧に清潔に使っていることが知れる。視線を移すと机上をあけるために積まれた本のタイトルが読めた。炎国の書籍と、アーツの関連書はロドスのものだろうか。部屋の奥に視線を向けると目が合った。
「シャオホーは、友人と甘いものを囲むことはありますか?」
「たまに
……
であれば、ありますね」
やはり友人同士であれば何もおかしくない。私にはあまり機会も馴染みもないことだが、そうしている人たちを見掛けることはあった。それを羨ましいと思わなかったと言えば嘘になる。しかしこんな形で我が身に起こるのを待っていたわけでもなかった。
「お待たせしました」
差し出された白い陶器から予想と違う甘い匂いがした。見ると桂花の砂糖漬けが入っている。大荒城を離れる時にシュウが持たせてくれたものの中にも同じ砂糖漬けが入っていた。かなり前に使い終わってしまっていたので懐かしく、彼が故郷で作るものを振る舞ってくれることも純粋に嬉しい。
「それで、友人がどうかしたんですか?」
予想外に続いた問いに返答に詰まる。あなたは私を友人だと思っているのですね、などと言うべきではない。白玉を必要以上に噛んでゆっくりと飲み込んだ。
「私にも学友はいるのですが、恥ずかしながらあなたのように気が置けない友人はいたことがなくて」
嘘ではない。しかしそれが全てでもなかった。飲み込んだものが咽喉につかえているかのようだ。
「なので、こうして部屋に呼んでいただけて嬉しいです」
意識して笑顔を作る。如才なく笑えただろうか。友人とはこういうもので合っているのだろうか。分からない。嬉しいはずの酒醸の味さえ曖昧になる。食べたことのある砂糖漬けの味さえも。
「君も、僕を呼んでくれたらいいじゃないですか」
言いながらシャオホーが匙を掻き込むように動かした。
「それは
……
少し難しいかもしれません」
本当に、友人同士で卓を囲むように、あなたを部屋に呼べればよかった。今あなたがしてくれているように。部屋に足を運んでくれる厚意に期待せず、くだらない話で笑っていられるのなら良かった。
「な、何故ですか?」
あなたが幼馴染に向ける感情に嫉妬せず、もうひとりの恩人である彼女に感謝だけを抱くことができたならよかった。私がただ、あなたが望むような友人であれたなら。
「あなたが戻っていること、知りませんでした」
本当は知っていたかった。嫌われるのではないかという怯懦を追い出して、何でもない話をしたかった。そうすればいつ艦に戻るのかという話も聞けたかもしれない。よりよい友人関係というものが構築できたかもしれない。でも、全部今更だ。ホーシェンは何も言わないまま私の話を聞いている。
「今、こんな風に話が出来るのは不思議で
……
有難いと思っています。それで、満足すべきなことも」
この話をしたら、友人でもいられなくなる。分かっていても口は話すのを止めてくれない。意識されずにいるのは苦しく、シャオホーの厚意を都合よく曲げてしまうことも本意ではなかった。でも、たぶんどれもこれも言い訳で、もう友人で居続けることが難しいだけだ。
「そう自戒しても、嫉妬する自分も期待する自分もいて
……
駄目なんです。だから、私はあなたを部屋に呼べない」
この関係に甘んじながら必死にしがみついていたのに、手放すのは言葉ひとつで済んでしまう。自制がきかないことに我ながら落胆する。それでも後悔はなかった。もう友情という名で彼を、自分を、騙さなくていい。嫌われることに怯える必要もなくなる。友人でもなくなってしまったから。
立ち上がり部屋を出ようとすると、先程と同じことが起きた。今度は手ではなく外套が引かれている。
「僕も、満足できそうにないです」
シャオホーは私を見ていた。こちらを見つめてくる目が、真っ直ぐに向けられる視線が眩しい。
「それは
……
どういう
……
」
「君のことが好きなんです」
言われたことを理解するのに、数秒かかった。彼がこの手の冗談を言ってくるとは思えない。返答に迷っていると段々とシャオホーの頬が赤く染まっていくのが見てとれた。その変化にたじろぐ。彼もこんな顔をするのだ、まるで恋をしているみたいな。いや、事実告白ならば、恋をしているということになるのだろうか? 私と同じように? 外套を握る手は荒れている。マメが何度も潰れた跡のある指が、どうしようもなく好きだと思った。
「
……
シャオホーのお酒は、本当に美味しかったです」
この手が毎日世話をしている田畑。その労力を、辛苦を、とても私は全て理解しているとは言えない。それでも。
「あなたの夢の一部はこんな味がするのだと思いました」
甘く、熱い。でもその道が平坦じゃないことを知っている。祈りが叶わない日もあることも。シャオホーはじっと私の手を見ている。
「でも、この酒醸の味は、緊張でよく分からなかった
……
」
触れた彼の手は指先まで熱くて、それが分かることが不思議だった。隣にいるだけで緊張してやまず、物の味すら分からないのに、触れた温度は分かるなんて矛盾している気がする。
私の言葉の続きを待つように、彼がこちらを見た。
「ホーシェン」
気を抜くと声が震えてしまいそうだった。
「あなたもそうなのだと、思ってもいいのでしょうか?」
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