氷紀
2024-09-09 14:00:54
5391文字
Public 迷い込んだ彼らの話 番外
 

迷い込んだ彼らの話 番外03

本編に入れきれなかった話。ゲタくんの過去。



 煙草とライターと灰皿を持って、縁側に出る。
 できるだけ静かに縁側へ腰を下ろして、煙草に火を付けた。甘くて苦い香り、元の世界にあった水木さんの煙草と全く同じもの。この煙草だけが、違う時間軸の中で見いだした、僕の過去とつながる細い糸だ。
 記憶の中にある水木さんの仕草を思い出しながら、煙を吐いた。満月の明かりの下、紫煙は微かな風に溶けて消えていく。

 幾度も考えたことを、胸の内で繰り返す。
 今もまだ生き残っている可能性があるのは、ぬりかべとねずみ男、一反木綿。人間と妖怪がひたすら殺し合うあの世界で、生き延びられるのか。ねずみ男だけはどこまでも生きていそうな気がする、半妖がバレさえしなければ。ああでも、それが一番難しいことかもしれないナ、何しろねずみ男だし……
 さらさらと流れるように、頭が勝手に虚しい希望的観測を並べ立てる。
 そう、分かってるんだ。
 ぬりかべも、ねずみ男も、一反木綿も、『死んだのを直接確認してはいない』だけだ、と。厳重に守っていたゲゲゲの森に、草木も人も妖怪も蝕む黒い雨が降り、僕と父さんを殺す為だけに街一つ吹き飛ばす、――そんな世界に、僕の居場所も、僕の仲間の居場所も、あるわけがない。

 とりとめのない考えをそのままに、灰皿へ煙草の灰を落とす。
 指先に灯る温もりは、まだ変わらない。

 元の世界のことは、墓のに話しただけだ。他の三人、高山と沢城とちいさいのには、詳しいことは一切話していない。話すつもりもない。特に、危ういくらい僕と近い時間軸を生きる、沢城には。……知れば、否応なく引きずられるから。いずれ帰るあいつに、僕と同じ道を歩ませるのは絶対に駄目だ。

 半分くらいになった煙草を再びくわえて、甘い苦味を舌先に転がす。
 水木さんがいた。人間の友だちがいた。僕の育った森があって、妖怪と人間の狭間を生きて、辛いことも苦しいこともたくさんあった。……でも、あんな風に壊れなきゃいけなかったのか。全部ぜんぶ、何もかも失わなくちゃいけないほど、僕は酷い間違いを犯したんだろうか。僕はただ、水木さんのくれた愛を守りたかっただけ。父さんや仲間たちと一緒に、生きていたかっただけ――

……父さん、水木さん」

 繰り返す。何度でも。
 僕は時間軸に背を向けた、つまり、この身一つ以外の全てを失った。
 でも、心と記憶はここに在る。
 父さんと水木さんが僕に注いでくれた愛は、魂の奥底に刻まれている。この命が消えない限り、父さんと水木さんの愛も消えない。

 ただ、……時々、さみしくてたまらなくなる。

 元の世界の記憶のうち、ちいさいのと一緒なのは生まれてから五年まで、沢城と完全に一緒なのは、バックベアードの一回目まで。それ以降のことは――もう、僕しか知らない、夢みたいなもの。でも、それが夢でないことは、この体が証明してくれる。

 煙草を持たない左手を、月にかざす。
 指の長い手。関節の比率も、筋の張り方も、父さんそっくりの。
 あとは、白い髪。赤い目。
 ほぼ生き写しのこの体が、僕の中にある父さんの記憶が真実だって証拠だ。
……会いたい、なァ」
 誰にも聞こえていないから言える、本音。
 墓のにもちいさいのにも、沢城にも高山にも、聞かれたくない。
 僕は本当は、気が狂いそうなくらい苦しくて悲しくて、逃げ出して良かったのかと何度も自問した。あのミサイルの下、父さんと二人で終わっていた方が、ずっと幸せだったんじゃないか、って。

 ……でも。
 焦げ始めたフィルターを、僕は灰皿に押しつける。

 あのとき、墓のが僕を拾わなかったら、僕はどうしていただろう。そのへんで野垂れ死のうとして失敗し続けていたかもしれない。墓のが黙って側にいてくれただけで、僕は馬鹿な真似をせずに済んだ。

 そうして時を過ごして、……ちいさいのが来て。
 ちいさいのは父さんと水木さんを同時に失って、自分の生きる世界の全てを拒絶した。それくらいちいさいのの絶望は深かった。暴れて壊して、しまいには自分自身すら破壊しようとしたちいさいのの所業を、そりゃそうだろう当たり前だ、と思えたのは――多分、僕も同じ気持ち、だったから。

 だから、僕はちいさいのを抱きしめた。
 かつて水木さんが、墓から這い出た僕を抱きしめたのと同じように。
 だから、僕はちいさいのと生きると決めた。
 心のままに生きろと、父さんが望んでくれたから。

 紫煙の残りが、空気の中に溶けて消えていく。
 二本目に火をつけようか、と迷っていると、不意に背後の障子が開く音。
……ちいさいの。起きちゃったか」
「うん……
 結局僕は、煙草を置いた。ちいさいのが背中から抱きついてきたので。
 思い切り体重をかけられている……が、元々小さい体だ。全く重くない。
「となり、……いな、い、どこ、かな、って」
「ごめん。ちょっと変な夢見てサ……気分転換」
 肩の上に顎が載せられる。小さな重みが愛しい。
「つらい、ゆめ、みた?」
「うん……久しぶりに見ちゃったナ。最近は全然、見てなかったんだけど」
「ゲタ吉にいさん、」
 相変わらず、ちいさいのの言葉はつたないし、しゃべり方もたどたどしい。なのにどういう訳か、僕の名前を呼ぶときだけはなめらかなのだ。きっと、声が出せずにいる間も、心の中でずっと呼んでいてくれたから、だろう。
 僕の左胸に回されたちいさいのの左腕から、微かに波打つ様な気配がした。その源は、ちいさいのの左手首にある組紐だ。ソレは僕の髪と、ご先祖様の霊毛の黒いものを合わせて編んで、一本に仕立てたもの。
 霊毛の本来の持ち主は僕で、黒の霊毛は怒りや悲しみによく反応する。だから、今の僕の気持ちにも、少しだけ反応したらしかった。
 それは否応なく、ちいさいのにも伝わってしまう。
……かな、しいの?」
「ちょっとだけネ」
 庭を照らす月の光、ため池の上を雲の影がゆっくり動いていくのが見える。
 その池のすぐ側には、風雨にさらされて色褪せた、素焼きの破片がある。喋れなかった頃のちいさいのが、気持ちを持てあまして壊した、あの植木鉢の残骸だ。月の光の下だと、元の世界で飽きるほど見た、コンクリートの破片そっくりに見える。黒くわだかまる苔と土汚れも、まるで血の汚れのように。

 壊れてしまったもの。取り返しのつかないこと。
 刻まれた愛の裏側にある、血まみれの、真っ黒な記憶。
 どちらも僕だ。……僕のもの、だ。

……、」
 耳元の吐息がくすぐったい。それをただただ愛しいと思えるから、大丈夫。あらざるの地へ逃げ出す訳にはいかない、だってちいさいのがいる。
 沈黙の中、ちいさいのの左手が、僕の心臓の上をするりと撫でる。二度、三度。明らかに意図を持った動きだった。
「どう、……したんだ?」
「もうすこ、し、……ぼくのて、おおきかった、らな」
 ちいさいのの腕の力が、ほんの少し強くなる。
「あの、ね、……ぼく、かなし、くて、いきがつまって、たとき、……ゲタ吉にいさんのて、……らくに、なった、から。おなじ、……ように、できたら、いいのに」
 視界が歪む。
 僕の鼓動の真上、ちいさいのの手はあんまりにも温かかった。
……ちいさいの、」
 なんとか押し出した声はみっともなく掠れていたけど、ちいさいのが気にした風はなかった。ありがとう、と絞り出した音は、何とか言葉になっていただろうか。
「お前、あったかいナ」
「くっつい、てたら、ずっと……あったかい。あたらしい、ふとん……も、いいけど、ちょっと、つめたい、ことある……
「そうだなァ。……布団、もう冷えちゃってるよナ。今夜はもう、朝まで一緒に寝よっか?」
 本当は僕がちいさいのを抱きしめて寝たいだけ、なんだけど、何となくささやかな意地を張りたくなってしまった。
……うん」
 耳元で一つ頷く声。
 もしかするとちいさいのは、僕の気持ちなんかお見通しなのかもしれなかった。

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