井見
2022-05-29 22:17:23
6737文字
Public その他二次
 

ブルーアワーは遠く

KH3Dやったときの衝撃と幻覚を整えたやつです

 いつまでも夕暮れの海を、俺たちは見つめていた。‪
 ——‬いや、ここには俺しかいないはずだ。そのはずなのに、髪が風に揺らされるたび、波が砂を巻き込むたびに、他にも誰かいるような感覚がする。
 海に囲まれた小さな島なのだから、誰かいたらすぐにわかるはずだ。しかし島をぐるりとまわってみても、やっぱり誰もいない。気のせいか、と俺はいつものように諦めて、オレンジ色の砂浜に寝そべった。沈みそうで沈まない太陽にあたためられたその砂浜はちょうどいいぬるさで、まるで毛布のようだった。
「眠いな……
 ふわ、とあくびが漏れる。目が覚めたばかりな気がするのに、また眠くなってきた。それも仕方がない、と思う。だってここは、気持ちがいい。
 眠気に抗うべく、俺は体を砂浜から起こして、両腕を空に向かって思いっきり伸ばした。
 目の前には、藍色の海がどこまでも広がっている。波のゆらめきが、夕陽に照らされて黄金のように輝いている。目を見張るほど綺麗だけど、それだけじゃない。
 今にも水平線の奥に飲み込まれそうなのに、ずっとゆらゆらこの世界を照らし続けるこの太陽を見ていると、俺はあの街を思わずにはいられなかった。朝も夜も無い、永遠に続く夕暮れの世界。それが俺にとって、俺たちにとって当たり前の世界だった。
 でもこの場所の夕暮れは、あの赤と金色の空とは少し違う。眠くなってくるような紫がすぐそこまで滲んでいて、夜の存在を感じさせる。本当はもうすぐ日も落ちて、月が昇って来るんだろう。しかし目の前の景色は、ずっと夕暮れのままだった。
 あの街が俺の故郷なら、きっとこの景色はソラの故郷だ。
 綺麗で眩しくて、ちょっとさみしい海辺の夕暮れ。
 それが、ソラの心の夢。
 俺はたまにこうしてソラの心の中でこっそりと目覚めて、ソラの心の夢を見る。理由はわからない。多分これは初めてではないだろうけれど、はっきりとは何も思い出せない。眠ったらまた忘れるんだろう。でもせっかくだし、もう少し夢を見ていたい。
 夢を見たいから起きようとするってちょっとおかしいな、なんて考えながら俺は両頬を手で叩く。ぱちんと小気味いい音がした。

 
 この夢の中は、すごくリアルだ。あのデータの世界に似ている。あれも、ある意味では夢と言えるのかもしれない。
 砂は手の中でさらさらと柔らかいし、風は頬を優しく撫でる。
 夕陽の熱が、瞳の奥を刺す感覚すらある。あたたかい、いや熱い色だ。
 それは痛いくらいに眩しいのに、目をそらせない。まるで星の力が心臓を掴んでしまったようで、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。苦しいとも、悲しいとも違う、不思議な感覚だ。俺はその光から目を逸らして、また見つめる。そんなことを何度も繰り返している。
 ここにいるといっても、何かができるわけじゃない。再び眠りに落ちるまで、こうして景色を見ているだけ。考えることも、結局は毎回同じだ。
 ‪——‬もし、この海の向こうへ渡れたら。
 海にざぶざぶと入って、ひたすら泳いでみるのもいいかもしれない。そこらに生えている木を組んで、いかだを作ってみるのもいいかもしれない。
 そうやって水平線まで進むんだ。陽の光の側、夢の淵まで。
 きっとそうしたら、
「おまえにもう一度会えるかな」
 そんなわけないか。
 俺はごろりと寝返りを打って横向きになった。砂浜に触れる右頬が温かくもむず痒い。左手の指先で砂を一掴みして、目の前ではらはらと落とせば、まるで砂時計のように右目の前に積もっていく。
 閉じ込められているとは思わないけれど、ここから出られないだろうなとは思う。そもそも俺がこうしてここにいられることが、奇跡的なことだともわかっている。
 いや、奇跡なんかじゃない。きっとこの島の持ち主が‪——‬この心の持ち主が、俺を俺として思ってくれているから、俺は溶けてしまわずに俺として存在できている。
 それがあいつの優しさで、あいつがあいつである理由。
 だから、もう十分すぎるくらいなんだ。
 でも。
 本当は、やってみたいことがたくさんあるんだ。
 一緒に話をしてみたい。隣に座って、夕陽を見てみたい。アイスだって食べたい。
 おまえとも。
「ソラ……
 俺はここにいるよ、なんて。



 そんな取り留めのない考えごとを打ち破ったのは、ある唐突な音だった。
 ロクサス、と聞こえた。
 いや、呼ばれた。
 風の音でも波の音でもない。確かに俺の名を、誰かが呼んだ。誰かが? ここには誰もいないはずだった。例え誰かいたのだとしても、この音だけは、いや、この声だけは、この場所で聞こえるはずがないものだ。
 忘れるはずもない、たった一人の声。
……ソラ……?」
 俺は身体を起こしながら、恐る恐るその名を呼んだ。返事はなかったが、代わりに俺の隣に、いつの間にか何かがあることに気づいた。
 ソラだ。
 あの終わりの日、のんびりとした顔で眠っていたソラ。その時と、そっくり同じ表情で、やっぱりすやすやと眠っている。
 何が起きたのかわからない。こんなことは今まで一度だってなかった。ソラの心の中のこんな奥深くに、ソラ自身が落ちてくるなんて。
 俺はソラのほっぺたに手を伸ばした。
 指先をそっと落とす。
 あたたかい。眠っている人の温度がする。
 力をほんの少しだけ込めると、ふに、と頬がへこむ。
「ソラ、なのか。本当に」
 このソラの温度も、感触も、俺が知らないものだ。だってこんな風に触れたことは一度もない。だからこの感覚が本物かどうかなんてわからないのに、俺は確かにソラだと感じる。
 なら、俺は、ソラにさわっている。俺が?
 ここはソラの心の夢で、俺の夢でもある。だから‪——‬俺が夢見たから、ソラが現れたのだろうか。
 俺の考えがぐるぐると巡る隣で、ソラは気持ち良さそうに眠り続けている。その顔を見て、俺は思った。一人で悩んでいても仕方がない。きっと直接ソラに聞くのが一番はやい。
 俺はソラの肩を掴んで、思いっきり揺らした。
「ソラ、起きろよ。ソラってば」
 少し乱暴すぎるかな、と思うけれど、どうせこれくらいしないと起きないのだ。
 そんな誰かへの言い訳を頭の中で並べ立てていると、んむ、と小さい唸り声を上げてから、ソラはようやくゆるゆると目を開いた。それは、俺と同じ色だ。
「あれ……ロクサスだ……。おはよう、ロクサス……
 寝起きの目と声は、いつもより輪をかけてぼんやりとしていて、目を逸らしたらまたすぐに眠ってしまいそうだった。
「おはよう、ってそうじゃないだろ。俺だよ。ロクサスだよ」
 ソラののんきな挨拶に対して、俺は自分に胸に手を当てて、強調するように自分の名前を繰り返す。
「うん、ロクサスだ……ってロクサス?」
 にわかにソラの目が大きく開かれた。ようやく気づいてくれたらしい。
 肉体を共有する俺たちは隣り合うことはできない。でも、それが許される場所が一つだけある。
 頭の中にクエスチョンマークを並べているだろうソラの手をつかんで、そのまま体を起こさせた。
 あたたかい砂浜と、空の色と海の色。それだけあれば、説明はいらなかった。
「俺、夢見てる……?」
 ソラは目をぱちくりさせながら、俺と景色を交互に見た。そして自分の頬をつねると、同じ指で俺の頬もつねった。俺は、やめろよ、とゆるく手を払う。
「ごめんって。でも……なんか……不思議な感じだ。ロクサスが島にいる」
「なんだよ。悪いか?」
「ううん。嬉しい」
 ソラはへらりと笑う。気の抜けた笑顔は優しくて、あたたかいこの島の空気と同じだった。
 俺は頭を振った。考えなくちゃいけないことがある。
「何か覚えてないのか? ここに来るまでのこと」
 ソラが俺のいる場所までやってくるなんて、俺が覚えている限りでは初めての出来事だ。ソラを帰してやりたいけど、来た方法がわからないんじゃ、帰す方法もわからない。
「ん〜、多分昼寝してたのは覚えてるんだけど」
 隣でソラはあぐらをかき、腕を組んで考え込むような格好をする。
「ただの昼寝でこんな所まで来れないだろ」
「そうかなぁ」
 ソラは左右に揺れながら、うんうんと唸る。答えは望めそうにない。振り子のようになるソラを、俺は半分諦めながら眺める。
 するとソラは予想に反し、突然ぱっと笑顔になって立ち上がった。
「何かわかったのか?」
「ううん。全然わかんない!」
 それだけ言い残して、ソラはパオプの木の方へと走っていった。屈んで、ごそごそと何かを探す。
「やっぱりあった」
 ロクサス、とソラは笑顔で振り返って、再び俺の名を呼んだ。そして何かを投げよこしてきた。
 小ぶりの木の剣が、手の中に収まる。こんなものがあったのか。
「とりあえずさ。せっかくだし、遊ぼ!」
 考えるのは後、と言いたいらしい。
 ソラは剣を構えて、すっかりやる気だ。
「よし……三本勝負だ」
 俺も乗せられる。ソラとほとんど同じ持ち方をして、ソラに答える。こんなの断れるわけがない。


 最初の三本は、二対一で俺が勝った。だけどソラの「もう一回!」の声に応じたら、負けた。それからお互いにもう一回をし続けて、もう勝ち負けがわからなくなってきた頃、俺たちは同時に砂浜に倒れた。もう体力の限界だった。
 ソラは本当に楽しそうに笑った。俺もそんなソラを見て、声を上げて笑う。
 それから疲れが引くまで、二人で寝そべっていた。波はずっと打ち寄せていて、いつまでたっても夜は来なかった。
「初めて見た」
 ソラが突然口を開いた。何が、と尋ねると、ソラは身体を起こして、寝そべったままの俺を見下ろしながら言う。
「ロクサスが、そんな風に笑うところをさ」
 ソラの笑顔は、不思議だ。勝負に勝って、やったと喜んでいた時も笑顔だったけど、それとは全然違って見える。
 ——‬なんでそんなに、嬉しそうに微笑むんだろう。
……俺だって、初めて見た。ソラが、そうやって笑うの」
 優しい。たぶんそんな言葉が似合う。
……そうだよな。うん、そうだ」
 ソラは何度も頷いて、それから黙って、俺をじっと見つめる。
 ソラの目に、夕陽が横から差し込んで、青色の中で光っている。ソラにも、俺の目はそんな風に見えているんだろうか。わからない。
 俺がそんなことを考えていると、ソラは、
「ああ……そっか。わかった」
 と言う。また俺は、何が、と尋ねる。
「俺、会いたかったんだ。ロクサスに。
 ロクサスとこうやって遊んでみたかった。
 ロクサスともっと話をしたかった。
 ロクサスのことを、もっと知りたかった。
 夢なら、また会えるのかなって……。そう思って、眠ったんだ」
「また?」
「うん。また」
 続きの代わりに、ソラは再び微笑みで答える。
「今日、一息ついた時、ちょうど夕方でさ。
 こうやって夕陽を見てると、胸がぎゅってなるんだ。あったかくて、熱くて。夕陽から目が離せなくなる。悲しいわけじゃないのに、なんだか涙まで出てきて。
 ……その度、ロクサスのこと考えてた」
……ソラ」
 俺は、息を飲み込んだ。
 同じだった。同じことを思っていた。
「俺も、おまえのこと考えてたよ」
「ロクサスも?」
 ああ、と答える。なんだか照れくさいようにも思って、俺はソラから目を逸らす。
 夕陽は目の前で輝き続けている。この胸の感覚。それはやっぱり今もあって、俺は理解した。
……よく、目が覚めるんだ。前はもっと深く眠っていたのに。目が覚めて、こうしてここで夕陽を見ててさ。その度、息ができなくなるくらい、居ても立っても居られなくなって……。ソラがここに来る時もそうだった。
 多分、俺たちは互いを感じてたんだ。ソラが俺を感じている時、きっと俺もソラを感じてた」
「だから……熱いんだな。胸の奥が」
 ソラは目を伏せながら、胸の真ん中を手のひらで確かめるように押さえた。まつげが光をためこんで、夕陽に負けないくらいにきらきらとしている。
 こんなにも静かに、ソラを見つめていられるのも初めてだった。俺はソラを全然知らない。初めてのソラばかりだ。
 この一瞬の光景を、たとえ目覚めたら忘れてしまうとしても。俺の心は、きっと覚えている。
「ロ……ロクサス?
 どうかしたのか? どこか痛い?」
 驚いたような声とともに、ソラの指先が俺の頬に触れた。触れられていない方の頬に触ると、濡れていた。これは、たぶん涙だ。
 気恥ずかしいような、情けないような、いろんなものが混ざり合った気持ちがして、俺は目元を強く擦る。そうすれば止まってくれる、そんな風に願って。
「あ、駄目だって……こすったら赤くなっちゃうぞ」
 ソラは俺の右手を優しく退けて、それから、握った。
「こうすれば、こすらないですむよな」
 なんだか言い訳みたいだな、と思う。
 俺は、涙を堪える代わりに、ソラの手を握り返した。
 たぶんきっと、ソラの手は俺の手とほとんど同じで、それなのにソラの手は熱く感じる。これがソラの熱なんだ。ソラを、俺は確かめている。
 するとソラは、くしゃりと顔を歪めた。
「なんか、うつったな」
 ソラの目から水が溢れて、頬をつうと伝っていく。
 俺は左手で、ソラの右手を取って、握りこむ。
……おそろいだ」
「あは……なんだよ、それ」
 向かい合って手を握り合いながら、俺たちの涙は流れ落ちていく。砂浜は律儀に染みを作った。
 やっぱり、夢の中はすごくリアルだ。
 ソラが笑うのを、ソラが泣くのを、俺が見るなんて。
 これがソラにとっての夢なのか、俺のとっての夢なのか、わからない。
……ありがとう、ソラ」
 合っているのかはわからないけれど、俺はそう言いたくなった。
「会えて嬉しい。夢の中でも」
 本当は、もう少しだけ、こうしていたい。
「でも、もうおまえは起きなくちゃ」
 ソラの旅は、きっとまだ続いている。俺のせいで、その足を止めさせたくない。
 俺はソラの手を離す。ソラも、俺の手を離す。
 すると俺の気持ちに応えるように、なにかの音がゆっくりと鳴り響いた。
 この島には無いものの音。
 鐘の音だ。あの街の鐘の音が、目覚めの時間を知らせている。
「俺も、ありがとう、ロクサス。
 だから……起きるよ」
 ソラは俺をじっと見つめてくる。そして、両手を広げて、俺に近づいた。
 ‪——‬あたたかい。
 少し遅れて気づいた。
 ソラが俺を抱きしめたんだ。
 俺もソラの背に腕を回して、一度ぎゅっと力を込めた。
……またな、ロクサス」
 また。ソラはその言葉を、優しく繰り返した。
 ソラは優しい。
 たとえ、その「また」が無かったとしても、ソラがそう思ってくれるだけで、俺は本当に嬉しいんだ。
「ああ。……またな、ソラ」
 ありがとう。
 もう一度そう言って、俺の意識は沈んでいく。


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