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つきのせ さぶろく
2024-09-07 23:39:54
4054文字
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Promise me.
【境目卓SS】デストルドーの使者自陣(🕊️🌤️)のプル夜妄想【ネタバレ】
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ビル風に煽られた前髪の向こうには、曇り空があった。22時の曇り空は、夜空よりも暗くて灰色だ。
たいして強くもないのに酒を飲んで、無理やり思考を鈍らせて今に至る。思考が鈍ったところで声が消えるわけでもなく、むしろ耳に届く数が格段に増えたような気さえする。馴染みの町中華の店員が酒ではなく水を出してくれていたのはわかったが、それを飲むことは許されなかった。焼けるように熱い喉と鳩尾。このまま生きて明日を迎えれば、きっと二日酔いに襲われるのだろうと、人伝にしか知らない不快感に少しだけ思いを馳せた。一端の社会人は、なぜその不快感を誇らしげに話すことがあるんだろうか。
テナント募集中のビルがたまたま不用心に鍵を閉めていなかった。革靴が簡素な階段を登る音。音は空間に響く、響く、響く。声は途絶えない。
今日は風の強い日だった。雨は降らない予報だったが、ずっと雲が日の光を遮っている。湿り気はそこまでないのに、顔をあげようと思えるものが何もなかった。神様が言っている、立ち止まってはいけない。
明日から新しい班に配属されることになっている。それはわかっていた。足が止まらない。最初は家路につくつもりでいたはずだった。通勤で利用する環状線、人が降りる波を見ていて不意に声がしたのだ。全く降りるつもりのなかった駅で降りて、ただ歩けとだけ命令されて、そこからどうしたらいいのかはわからない。神様が自分を見ている。見ている。見るな。見ないでくれ。止まらないように監視されているのだろうと思って走り出した。だんだんと曖昧になっていく意志、このまま従うのがきっと楽で、間違いなんかないんだろうとぼんやりと自己を消した。俺なんかいない方がいいのかと思ったのもこの瞬間だった。神様は俺が不出来だから指示をして、それでもうまくいかない俺を切り捨てるつもりなんだ。
そんなこと、前からわかっていたのに。
眼下の街並みは酷く遠い。細かい人間のようなものが歩道を歩いている。夜は夜で人々は活発になる。コンクリートに設置している足が少しずつ浮遊感を覚える。ジリジリと縁に近づいていく。フェンスに手をかけた。肩が重たい、足が動かない、頭も動かない。声だけが聞こえる。降りろ。嫌だ。降りろ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。それでも。
「おい、
……
そこのお前、こっちを見ろ」
勢いよく扉が開いて手が止まった。次いで聞こえた男の声。知らない声だ、神様のものじゃない。振り返ると確かに男がいた。上がった息を整えるように、ゆっくりとこちらへ歩み寄る彼は、唇をぎゅっと結んでいる。
「
……
帰ってください」
俺は、その彼の顔をどんな表情で見ていたのだろう。あまりにもまっすぐな視線が恐ろしくて、すぐに背を向けてしまった。
「帰らない。俺は、お前を連れ戻しに来た」
目だけじゃなくて、言葉もまっすぐだ。刃物ではないのに、鋭く刺さる。
「なんなんすかあんたは、俺のことなんか知らないだろ」
もちろん彼のことは知らないし、一方的に知られる要素も思い当たらない。今日で別れを告げた部署にも、あんな刑事はいなかったはずだ。今まで関わった合同捜査でも見ていない顔。じゃあ誰なんだ。俺はついに幻覚でも見ているのかと唇を噛んだ。神様は聞くなと声を荒げている。
「ああ、知らないな。でも、そんな死人見てぇな顔してるお前を放っておくつもりはない」
「下手に首突っ込んでいいもンじゃねえんだよ! いいから、帰ってくれ!」
思い切り振り返り、乾いた喉から振り絞った声を叩きつけた。これは本心だ。俺と神様の問題であって、見ず知らずの男が手を出していいものじゃない。神様が叫んでいる。
「いいや、絶対に帰らない」
強い語気で殴り返されると共に胸ぐらを掴まれた。男の顔が嫌でも目に入る。
「俺はお前の上司で、班長なんだよ。このまま見過ごすわけにはいかねえ」
喉に言葉が張り付いて息もできなかった。
「
……
なんなんだよ、あんた。どうにか、どうにかできるってンなら、できンならやってくれよ。なあ、少しでもいいからこの声消してくれ!」
「声?
……
そんなもんは聞こえない」
「わかってんだよ! 俺にしか、あれは俺にしか聞こえてねェんだ。あいつは俺を、俺を見てる! 今も! ずっと聞こえる、止まるな、止まるなって」
口にすると嫌でもわかってしまう神様の声。神様が俺に何を求めているのか、聞こえている自分なら痛いほどわかるのだが、聞こえることを口に出すだけでこんなにも胸が痛くなるのか。無理やり心臓を握られたような感覚だ。これは誰かの怒り、神様の怒りだろうか。俺は今まさに、神様の道から外れようとしているのだろう。
雑音、神様の声に飲み込まれる思考。脳が溶けるような、消えて行くような。そんな気さえしていたのに、聞こえた舌打ちで全てが一瞬透明になった。
「だから、ここには俺とお前しかいないんだよ! 俺の話を聞きやがれ!」
透明になって固まっていた時間という概念が砕けた。掴まれた胸ぐらはそのまま引き寄せられ、深い色をした瞳に吸い込まれるように息を飲む他なかった。
「
……
今更、何聞けってンだよ」
飲み込んでから絞り出されたのは、その程度だった。聞けと言われて聞こえるのは神様の誹りだけだ。俺が道を外れたのがもう明確になった。
「俺は警視庁刑事部捜査第一課、一ノ瀬白宇だ。明日からお前が所属するとこの班長だよ」
耳を疑った。今まで神様の声に従順だった耳が、久しぶりに人の言葉を疑ったのだ。それは、幻聴でもなんでもない、存在する声だ。
「だから、部下であるお前の命を預かる責任が俺にはある。それだけだ」
それだけと言い切られて、肩の力が抜けてしまった。何度か瞬きをして、やっと一ノ瀬という男の睨みに怯んでいる自分に気がついた。
「なんで、それだけで
……
。あんた、次の班長だってンなら俺の経歴知ってるだろ。取り柄なんかなんもない、班にいたって意味ないと思っただろ」
「経歴?
……
残念ながら俺はお前の過去には一つも興味がない。必要性についても俺が判断する」
だったら、と声を振り絞った。興味もないのにどうしてこんなところまで来てるんだ。
「今の俺にだって、興味示さなくっていいだろ」
震える声に心がじんわりと痛い。ざらついた自分の言葉が、もともとあった傷を広げるように擦っていく。そうか、とつぶやく声が聞こえた。
「お前ってそういうやつだったんだな、遥灯」
これは落胆ではない。聞いてすぐわかった、神様とは違う意味の、同じ言葉。神様はすぐ落胆する。失望して、貶し、罵り、それならばとさらに課題を科す。そしてだんだん、命令に雁字搦めになっていく。そんな言葉と同じはずなのに、一ノ瀬白宇のものはまた別のなにかだ。
胸ぐらから男の手が離れた。前を向くのが怖い、アスファルトと自分の靴を見つめて次の言葉を待った。
「話すと長いからこれだけ言っておく。お前は俺に必要だ」
決して大声ではないのに、その瞬間から彼の言葉しか聞こえなかった。足の力がゆらりと抜けて、背中に金網が当たる。そのまま体重を預けてズルズルと座り込むと、もはや腕すら上がらないほどの脱力が襲う。神様の声は聞こえないのに、いや、聞こえないことの不安だろうか、喜ばしいことなのだろうがどうもざわつく思考はまとまってはくれない。
「
……
なんで、今日会ったばっかの奴にンなこと言えるんだよ」
掠れた声が聞こえたのだろうか。一ノ瀬白宇はフェンスを背に腰を下ろす。
「俺だって正直分かんねえよ」
笑ってそう言った彼。耳元では低い風の音がする。
「でも、体が動いちまったんだよ。お前を死なせるなって」
横目に見た顔は、うっすらとした微笑みを浮かべていた。風はだんだんと柔らかくなっている。
「分かんねえのに、な」
つられるように俺も笑っていたのだと思う。神様が黙り込んで透明になった心がゆっくりと溶けている。外気温は涼しいのに、指先が熱い。ゆっくりと息を吐いて、この透明度を逃さないように耳を塞いだ。諦めていたのに、今になって俺は神様以外の声を信じたくなったのだ。
「
……
さっきまで、あんたの声なんか聞くなって言われてた。ついて行くべきはあんたじゃないんだとさ」
「そうか、じゃあその声が聞こえないように伝えていかないといけないな」
一ノ瀬は徐に立ち上がった。その深い瞳は月のように俺を見下ろしてニヤリと細まった。風で前髪が踊る。俺はもう、それに目を奪われてしまっている。何もないアスファルトの屋上を握るように、全身の力を取り戻す。彼の肺が深い呼吸で膨らむのがわかった。
「聞け! 改めていうが俺は明日からお前の相棒となる一ノ瀬だ。うちに所属するとなったらこれだけは約束しろ、人を殺すな。どんな理由があろうと、それはこの世の悪だ。
……
そして、人の中には勿論自分自身を含むものとする!」
神様に隙を与えない、真っ直ぐで強かな音だ。彼は俺の知らない部分までもう見通しているのだろうか。
「お前がそれを忘れそうになったら、何度だって聞かせてやるよ」
あまりの眩しさに、もはや彼の前では月も霞むくらいだ。また力が抜けた、かくりと項垂れて見えるのは、アスファルトとそれを濡らした丸い跡。大風に襟がはためいているが、それが雑音だとは思えなかった。
曇天は続いている。それでも、雨は降らない。今日はそんな予報じゃないから。雲のずっと向こうには星の瞬く夜があるように、この人の目には俺の夜空が見えている。そんな気がした。
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