るいざき
2024-09-06 02:35:00
6621文字
Public AC6_ラス6_銀環
 

狼はかごとなる

エピローグ



 グリッド中層を見下ろせるルーフトップに、621はいる。壁奪還の祝勝に湧く街にはランタンが再び掛かり、昼も夜もなく街路は明るく賑わっていた。人が生きる営みは眩く、美しく、ここに吹き付ける雪風にも負けないしたたかさを讃えていた。
──あなたにも見て欲しかった。きらきらと煌めくひとの気配を。
…………
 予後不良の右足は中々治らず、車椅子に座す生活に逆戻りした。かつて主人と、ラスティに助けられて得た──ひととして当たり前の──歩行能力は再び無に帰し。この身体は座面を撓ませるだけの肉袋に成り下がった。
──あなたと歩いてみたかった。あたたかな街並み、屋台というちいさなお店がひしめきあう景色を。わたしが破壊しなければそこにあるままの生きたあたたかさを。

 せめて、この目に焼き付ければ。あなたへとどくだろうか。
 よろ、と車椅子から立ち上がり、高台のフチにつま先を合わせる。
──飛び込んだら、もっと。
近くに。

「戦友!!」
 吹き抜ける雪風に踵が浮く気がした。浮遊感。そのままABを──?

 次に瞬きした時に映ったせかいには、灰色の空から降る雪を遮って見下ろすラスティの顔があった。
「危ないだろう、殆ど落ちかけていたんだぞ?!」
……ごめん、なさい』
 なにかを言い澱み、唇を引き結んで。ラスティはきつくレイヴンを抱き締めた。
……ひとりでこんな所まで登るのは大変だっただろう、次からは呼んでくれ」
……そんな、お手を煩わせることなど……
 術衣のままのレイヴンの肩を撫でさすり、ラスティは着ていたジャケットを脱いで肩に巻き付けてくる。遠い温度感がなんとなく和らぎ、そうしてようやく寒かったのだと自覚した。
「ひとに世話を焼くのが好きなんだ。今暫くは君の手足になるよ、戦友」
…………
 ここに来た時に、彼に告げた願いをそのまま返されてしまった。──これでは、何も役に立たないではないか。
「よく休んで、身体が元気になったら。そうしたらまた共に闘ってくれれば良い。……だから、戦友。ドクに会いに行こう」
……
「なにか理由があるのだろうとは思うが……、このままでは悪くなるばかりだろう。──ああ、ドクは別に怒っていないし、君の事を叱る気も無いと言っていた。だから安心してくれ」
『そう、ですか……

 ラスティに抱かれるまま、身体を預けるレイヴンは心ここに在らずといった様子で虚を見上げる。
……エアは……
「帥叔たちと今後の信仰のあり方について議論している。……会いたいかい?」
 以外にも、彼女は首を横に振った。これはどうしたことだろう。
……彼女には言えない事なんです。ラスティ、わたしは……ルビコンを、エアたちコーラルに火を放ち、アイビスの火の再来を画策する者のひとりでした』
…………
『オーバーシアー。かつての技研の失敗から生まれた観測者の秘密組織は……ザイレムの墜落とともに滅びました。わたしが、滅ぼしました』
 ぐ、と喉がつかえるかのようにして、レイヴンは口を噤む。
……君が良いと思うところまで、吐き出してくれて構わないよ」
……、』
 包帯巻きの口許から、弱々しく蒸気が昇る。言葉ひとつ、囁き一節も他へ逃すまいと、ラスティはレイヴンの顔を肩口に寄せる。震える身体、裸足のままのつま先すらも心配になり、ジャケットの裾に収まるように少女の肢体をちいさく抱え込むと、ラスティの胸元にたどたどしい指先が添えられた。
……可能性を信じて。ひととコーラルの共生を信じて……。でも、その可能性は不確かで……大火が、あるいは汚染が訪れるほうが、ずっと早いのかもしれません。確かな術もなく、ありもしない未来をゆめみて……わたしはウォルターの遺言を裏切りました』
 高所に吹く風が、羽毛のようなやわい雪を運んで彼女の頬に落す。低い体温では中々溶けず、次第に包帯にまで冠雪しかけて、それを指先で払うようにして輪郭を撫でた。
『エアの願いへの冒涜でしょう。かつての主人の意思を踏み躙る行為でしょう。わたしはただの生体パーツで……それ以外の何者でもなかった。……なのに、わたしはここにいる
 火傷に引き攣る目元が涙に歪む。
 あの協働で、あの空の上で。気高く舞う君はしかし、孤独であった。

 俯く項と背を掌で支え、ルーフトップ向こうに連なるグリッド群を眺める。
 同胞殺しの密偵には帰る場所は無い。勝利の為にとどんな趣向を凝らしたところで、殺めた者は帰ってこない。そう分かっていながら、血に塗れた手で背景を手に入れろと願った。生体パーツ……ただの猟犬道具に成り下がるだけでいて欲しくなかった。
──その絆に愛があろうとも、歪みは正さなければ、いずれ壊れる。
……ウォルターは言ったのです。「お前の感覚に従え」と』
 この子と父の絆が壊れてほしかった訳じゃない。そんな別れ方をさせたかった訳では無い。歪なりにも破綻せぬように。そのために覚悟を背負ってほしかった。この願いがただのエゴだと知りながら。
「ハンドラーは……愛情深いひとだったと思う」
『ラスティも、そう思ってくれますか?』
「ああ」
 見開かれた銀色が揺れる。つくづく、どうしてこんなにも穏やかなふたりが戦場にいるのか。──在りし日のハンドラーと猟犬の姿を思い起こす。満身創痍の少女を甲斐甲斐しく介抱する、不器用ながらも思慮深い父親の面差しがそこにはあった。──羨ましいとさえ、思った。
 組織のナイフを手渡されてなお、それを友人に振るうことはしなかった。それはきっと親譲りの誠実さなのだ。
 もうずいぶんと小さく身体を折らせているというのに。されるがまま身体を預ける存在に、ひとりぼっちの友に体温を分け与えたくて。無為に余る身体の大きさのままに、その子を抱きしめて深く息を吸った。生きた者からは程遠い消毒薬のにおいばかりの少女は、胸元に添えた手をきゅうと握る事で抱き返してくれる。

……選ぶには、必ず取り落とすものがあります。……分かってはいるんです。すべてを抱えて行くことはできない』
 ずき、と胸が疼く。
……わたしが取り落とされる側なら、よかった。そうしたら、ただのC4─621でいられた』

 エアから聞かされた、再教育センターでの顛末。ザイレム撃墜時に何があったのか。ラスティを撃ち落としたのは誰だったのか。
 その全ての不条理を、彼女は一身に背負い。尚もここに息づいてくれている。

「戦友」
『はい』
「どんな結果であれ、私は君の選択を尊重する。それが君自身の意思なのだから」
……!』
「だから、な。私のことをエアにも誰にも言えない事の捌け口にしてくれて構わない。──君は道具じゃない、れっきとした人間だ。だからこそ、今苦しんでいる。その苦しみ全てをひとりで背負う必要はないんだ」
 解かれた手網を追わず、追わせず、振り向かせ、迎え入れた。
 いま、父より託された種火を灰皿へ押し潰そうとさせている。
「君には、生きて欲しいよ……戦友」
 生きていて欲しいから、その首綱が君を苛むなら、代わりに断ち切る覚悟でいる。どうか、裏切りの共犯者でいさせて欲しい。
……色んな事があって……すぐに理解するのは難しくて……。まだ受け入れられない事の方が多くて』
 少しだけ迷いがちに、灰銀の瞳をこちらへ向ける。
……少し、疲れているのでしょう』
 くしゃりと目元を歪める微笑みに、つられてごく柔らかに笑みを浮かべた。
「疲れたなら休んで良いんだよ、戦友。」

──しばらく休め。
──今はそれがお前の仕事だ。
「ハンドラーもきっと、そう願っている」

…………すみません、声……きにしないで』
「ああ。気にしないよ、レイヴン」
「──ああ、ウォルター……、ごめん、なさい、……っ」

 か細い心からの声を抱き留めて。幼くしゃくり上げる友に。称賛を込めて背をあやした。

……ラスティ、おねがい、が、あります」
「なんだい?」
「おいのりの、しかたを、おしえてください」

 手と、手を、導いて、腕の内に聖母がうまれる。透明な涙とともに、ただ安らかな眠りを祈る姿がここにある。
 この涙はまだあたたかだ、きっと貴方の魂にも、いまにも祈りは届くだろう。



 いま私は止まり木となる。抜け落ちた羽を、雄大なる翼によみがえらせるまで、私は白鴉の巣籠となるだろう。

 ハンドラー、ひとり娘を置いて逝った父よ。貴方の愛だけはきっと、この子に繋ぎ止めてみせよう。
 貴方の凶弾から生き延びた命を以て、いま、ここに誓う。