薙屋のと
2024-08-12 00:39:43
4593文字
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タイトル未定

バカクソ暑い日に冷たくて美味しいポタージュを飲んだら気持ちが良いだろうなと思って書いた話
別名:同じことをされても人や状況や前提条件で抱く感情は変わるよね

 カブルーは魔物が嫌いだ。
 それは公然の、特に仲間内では有名な事実である。
 見るのも触れるのも嫌だ、食べるなんて以ての外――とはいえ、友であるライオスの傍らで支える道を選んだ以上、魔物食はもれなく付いてくる人生だ。しかし可能な限りの回避を企てる権利は存在しているので――である。迷宮によって故郷を滅ぼされ、死人が魔物に変化し人々を喰らう様を目撃し、瓦礫の中生き残ったカブルーにとって、魔物は憎く忌むべき存在だ。あの時の光景が、人々の悲鳴が、十五年経った今でも身体の内側にこびりついている。
 命は巡り連鎖し、他の生物の糧となる――そんなことは分かっていても、誰がわざわざ墓地に野菜を植えるだろうか。これはヒトを百人食い殺した獣だと言われて、誰がその肉を食いたいと思うだろうか。カブルーに言わせればマルシルの魔物食嫌いなどにわかも良いところだ。ヤダー! と大きな声で喚くものの、いつも最終的には美味しいと誰よりもにこやかに頬張っているではないか。こっちは筋金入りだ、一緒にしないでほしい。これからも命の危機以外では魔物なんて絶対食べたくない、できる限り回避してみせる。
 そう、カブルーは己に誓っていたのである。

――……すみません。もう一度、聞いていいですか?」
「うん」
「これの中身は?」
「ドライアドの冷製ポタージュだ」
 手の内にあるひんやりと冷たい小鍋に、カブルーはごくりと唾を飲んだ。蓋を開けるのが恐ろしい。大して重たくもない、小さな鍋だというのに指先が震えて背筋をダラダラと嫌な汗が伝う。そのカブルーの顔を、ミスルンの黒い瞳がじっと見つめている。
 真夏の昼下がり。窓の外では青い空に白い入道雲が映え、蝉たちがジージーと鳴いている。今日は一際暑い日だ。だというのに、目の前のエルフは汗一つかかず、見慣れたアリアドネの布鎧を身に纏っている。今日は早朝から城下町に最も近い小型の自然迷宮の定期調査に行くと聞いていた。そこは浅く小さな洞窟で、大した脅威もない。だからきっと、調査はすぐに終わったのだろう。そして恐らくそのまま、小鍋を持ってカブルーのところに直行したと。ふむ、なるほど――いや、なんでだ?
「調査の際にセンシに会って、早めの昼食を馳走になった」
「へえ。お元気そうでしたか?」
「うん」
 カブルーからしたら、魔物料理のプロフェッショナルであるセンシは現状最も天敵に近い相手だ。とはいえ彼本人は温厚で気の良いドワーフであるので、彼自身に対しては概ね好意的な感情を持っている。後はこちらの魔物食を忌避する感情を受け入れてさえくれれば何の文句もないのだが、その一点において、カブルーとセンシは一生相容れることはないのだろう。彼の魔物食は確かに美味しい。だがそれは魔物だからではなく、彼の料理の腕前が一流だからだ。彼が牛や豚を調理すれば、きっともっと美味しいものができるだろう。そもそもこちらは不味いから食べたくないわけではない、魔物だから食べたくないのだ。
「あの人あんまり城には来ないので、ライオスが寂しがっているんですよ。今度会ったら伝えておいてもらえませんか?」
「わかった」
 カブルーの言葉に、ミスルンがこくりと素直に頷く。その視線はずっと小鍋に注目していて、カブルーは居心地の悪さに身じろぎをした。
「昼食をまだ摂っていないと聞いた」
「えっ――ああ。そういえばそうですね」
 そういえば仕事にかまけて、食事がおざなりになっていた。カブルーは比較的暑さに強い方だったがそれでもここ数日は気の滅入る程で、とても食事を摂る気になれなかったのだ。
「王やリンシャが心配していた」
「あはは、どうもすみません」
 再びの沈黙。
 カブルーは会話が得意な方だという自負はあるが、それはあくまで双方がコミュニケーションを取りたいという意思をもってこそ成立するものだ。魔物食の話をこれ以上広げたくないカブルーと、上手に自分の意思を伝えたいという欲求のないミスルンでは話が進むわけもなく、どことなく気まずい空気が二人の間には漂っている。カブルーは必死に出来の良い筈の頭を回転させて、どうすれば当たり障りなくこの手にあるおぞましい小鍋を無かったことにできるかと視線を泳がせていた。
「以前に、」
 沈黙を破ったのは、ミスルンの方だった。
「美味しいと感じたものがあれば、教えて欲しいと言っていた」
 確かに言った気がする。欲求のない彼は好き嫌いにも無自覚で、未だに自分の食べるものすら選ぶことができない。でもミスルンの味覚は正常に機能しているのだから、好きな味や嫌いな味が当然あるはずなのだ。ただ好きなものを食べたい、嫌いなものを食べたくないという欲求がないだけで。だからこれから美味しいと感じるものがあれば教えてくださいと。美味しい、好きだと思うものを集めることからはじめましょう。そう言ったカブルーに彼は「うん」と頷いてくれた。
「今日はよく晴れた風のない日で、早朝でも蒸し暑かった」
「センシに振舞われたドライアドのスープは甘く花の香りがして、冷たくて、とても美味しいと感じた」
「暑さが続くと健常な者も食欲を失うが、暑い日に食事を摂らないのは身体に良くないらしい」
「だから、冷たくて美味しいこのスープなら、食べられるだろうと思い、分けてもらった」
 ぽつり、ぽつりとミスルンの口から言葉が溢れる。静かで抑揚の薄い声は本来聴き取りづらい筈なのに、いつだって真っ直ぐカブルーの耳に届いた。
――でも、お前は魔物食が嫌いだから。無理にこれを食べる必要はない」
 持って帰る。そう言ってミスルンの手が、カブルーの手元にある小鍋に伸ばされる。ほんの微かに下がった眉と、少し寂しそうな色を宿した瞳に、カブルーは言いようのない焦燥を感じた。狡い、とも思った。彼は無意識にそんな顔をしているのだ、彼には察して欲しいなんて欲求もない、だから見なかったふりをすれば良いだけなのに、それなのに、髪から僅かに覗いた、欠けた耳が下がっているのに気付いてしまって、もう駄目だった。
「食べます!」
 小鍋ごとミスルンの白い手を勢いよく掴んだ。ガチャリ、と大きな音を立てるそれと、まん丸になった黒い瞳。ぽかん、とした黒い月に自分の大慌てした顔が写っている。
「食べます…………けど、その、半分。半分食べてもらえますか。これから昼食にするので、一緒に」
……わかった」
 全然スマートじゃない、我ながら必死すぎる食事の誘い。
 それでも相手の口元がゆるりと笑みの形に綻ぶのを見て、カブルーはほっと胸を撫で下ろした。

 ハーブ塩でじっくり焼いた鶏肉と夏野菜のグリル、軽くあたためた塩パン、そしてふわりと甘い花の香りのするスープがカブルーの目の前に鎮座している。
向かいではミスルンが――彼は昼食を済ませているので、スープだけが置かれている――じっとカブルーの挙動を見つめている。
 昼食としては遅めの時間になるが、城の料理人が気を利かせて用意をしてくれた。美味しそうな焼き目のついた色鮮やかなトマトやナスにズッキーニ、パリパリの皮の鶏肉が忘れていた食欲を思い起こさせてくれる。夏の恵みの一皿に今すぐかぶりつきたい、これだけで腹がいっぱいになったということにしたいという衝動を堪え、カブルーはやや震える指先でスプーンを手に取った。
 小さめのカップに注がれた、玉蜀黍よりは濃く、南瓜よりはまろやかな向日葵色のスープ。とろりと濃厚なそれを掬い、最後の悪あがきとばかりにゆっくりゆっくりと口元に運ぶ。
 ――いいか、カブルー。ドライアドは植物だ。ちょっとばかり花が人の形に似ていて動いたり襲ってきたりするが、哺乳類に似た植物ならバロメッツだって似たようなものだ。バロメッツは植物だ魔力の多い土地に生えてちょっとだいぶ羊に似ていて上質なウールがとれてカニの味がする、それはもう珍しい植物だ。植物だと思うことにしている。ならばドライアドだって広義で植物といっても過言ではない。それに食べさせられた魔物を思い返してみろ、ハーピーの卵に、歩きキノコに、スライムに、ドラゴンになった女性〜しかも友人の妹〜だぞ。特に一番最後と比べたらどう考えても食べられる部類だろ!
 カッと目を見開き、決意とともにスプーンを口に入れた。勢いが良すぎて歯に当たりそこそこ大きな音を立てたが、マナーを気にする余裕はない。なるべく舌にのせず一気に喉まで流し込もうと――したところで、口の中に広がった濃い花の香りにカブルーはぱちりと瞬きをした。次いで感じた甘みを思わず舌の上で転がして、飲み込む。
 これは本当に不覚でしかなく、いっそ謎の理不尽さまで感じるのだが――美味しい。
 口当たりはカボチャのポタージュに似ている気がする。いやそれよりももっと濃厚で、それなのに滑らかで尖ったところのない舌触りだ。僅かに感じる塩気が甘味を引き立て、後味をすっとしたものにさせている。冷たくとろりとしたスープが胃に落ちる感触は心地良く、確かにこれならば暑い日にもいくらでも食べられる気がした。なによりも、口の中に入れた時に温められて展開する花の香りが、何ともいえず素晴らしい。
……美味しい、です」
「美味いという顔をしていないが……?」
 眉間には深い皺を刻み、顔のパーツが全部ぎゅっと中心に寄っている気がする。葛藤の末喉から搾り出した敗北宣言に、ミスルンが至極真っ当な突っ込みを入れた。
「受け入れたら負けだと思うんですけど不味いと嘘を吐くにはうますぎて困ってるんですよ」
 そう言ってカブルーはもう一度スープを口に運ぶ。どうせこの人に取り繕っても無駄なのだから、それならば全部話してしまえばいい。
 この冷たいポタージュは本当に美味しい。
 魔力の多い土地で育つ植物は、魔力を多分に含んでいるものが多い。きっとこのドライアドもそうなのだろう。芳醇な香りに、砂糖ではなく植物本来の甘み、濃い魔力。エルフであるミスルンが好むのも頷ける。
 魔物食なんて結局のところ牛や豚の代用品でしかないだろう派のカブルーにとっても、これは地上の食材では再現できないことは想像できた。悔しいがドライアドを使う意義のある料理で、唯一無二のものだ。
 ――それに、気付いてしまったミスルンの優しさを、見過ごすことはできなかった。この暑い日に、街外れから冷たいままの小鍋を持ってくるなんて。言わないけれど、相当急いだに違いない。彼は優秀な魔術師なので氷術なんかを駆使したのかもしれないが、それでも夏バテ気味のカブルーの事を思って、これを持ってきてくれたのは事実だ。美味しいと思うものを見つけたら教えて欲しい、その約束を、彼は確かに守ってくれた。
「いや、本当に――美味しいですよ」
 そう言って食事を続けるカブルーの姿をじっと見つめていたミスルンは、ややあってから「そうか」と頷いて、自分の目の前にあるカップをゆっくりと傾ける。
 その耳が上向きになっているのを、カブルーは確かに見たのだった。



 その後、カブルーが魔物食を食べたと聞きつけた王と一悶着あり、彼の魔物食忌避感情には更に拍車が掛かることとなるのだが――今は誰も知る由がなかった。