みんなの幸福
いせき
目を開けると、見知らぬ空間。辺りには人っ子ひとりおらず、少年の周りにあるのは金色に輝く花畑と折れた柱。そして、ひときわ目立つ大きな扉のみであった。
なぜここにいるのか。こんなところで何をしていたのか。それらを思い出そうとしたときだった。少年はある事実に気づく。それは、自分の名前以外何も思い出せないということ。
これは"記憶喪失"というものだろうか。経験したことのない(たとえ経験したことがあっても、それすらさっぱりと忘れてしまっているのかもしれないが)状況に、どっと汗が吹き出した。
何か、自分のことやこの状況がわかるものを持っていないだろうか。そう考えた少年は、慌てて体中を弄る。
——けれど、見つかったのは一切れの紙だけ。
不安と恐怖が、少年を襲う。心臓は大きく跳ね上がり、今にも口から飛び出してしまいそうだ。震える体から一気に力が抜けて、その場にしゃがみ込む。そんな少年の下で、金色の花が音を立てて潰れた。
大きな眼鏡の奥で、涙がじわりと滲む。何も覚えていない状況で、たったひとり、どこかも分からない場所にいるなんて。
突然聞こえた声に、少年は肩を揺らした。慌てて周りを見渡してみるけれど、声の主は見つからない。どこから聞こえてきたのだろう。まさか
……なんて、現実的に考えても居るはずがない存在のことまで考えてしまい、少年はさらに恐怖を覚えた。
少年は謎の声に言われた通り、目の前をじっと見つめた。けれどそこにあるのは、たくさんの金色の花だけ。声を発するような何かは見当たらない。
もう一度辺りを見渡してみる。けれど、何度見たところでこの空間に居るのは少年のみ。では、この声はどこから聞こえるのだろう。記憶を失うような何かが少年の身を襲った時に、一緒に幻聴まで聞こえるようになってしまったのだろうか。
突然何かに引っ張られ、少年の体はぐらりと前に傾いた。慌てて両手を地面について、顔を上げる。
——すると、金色の花と目が合った。
金色の花は、呆れたような表情でそう告げる。これは夢だろうか。記憶がない少年であっても"普通、花は喋らない"ということはわかる。どうにか夢から醒めようと頬を抓ってみるけれど、醒めるどころかただただ痛みが走るだけ。
混乱している少年のことを気にする素振りも見せず、花は「これなら、アイツの方がまだ
……」なんて呟いている。
花
……もとい、フラウィの言葉に天を見上げると、そこには大きな穴が開いていた。遠いはずなのにこれだけ大きく見えるのなら、きっととんでもない大きさなのだろう。そこからは太陽の光が降り注いでいて、この空間で唯一少年の足元だけに花が咲いている理由を理解した。
あんな高さから落ちてきて無事でいられたのは、今少年の足元で潰れてしまっている花たちのおかげなのだろう。フラウィの言葉に一つ頷けば、彼は「理解するのは早いんだね。ボクに気づくのは遅かったのに」と笑う。
ひとしきり語り終えたフラウィが、蔓を伸ばして少年の胸元を指す。それは、まるでニンゲンの腕のようであった。指された胸がじんわりと熱を持ち始めると、ポンと音を立てて黒いハートが飛び出す。
突如、フラウィの周りに小さな白い粒が浮かんだ。それは、ゆっくりと少年のタマシイに向かって動き出す。受け取れ、と言われても、少年はタマシイの動かし方が分からない。
困惑している少年に、フラウィが「ただ、動くようにイメージすればいいのさ!」と笑う。彼の言う通りに、なかよしカプセルへと近づいていくイメージをすると、タマシイがゆっくりと移動し始めた。
少しずつ。少しずつ。タマシイとなかよしカプセルの距離が縮まっていく。そうして、二つの距離があと数センチもないくらいまで近づいたときだった。
不意に、なかよしカプセルが消えてしまう。なぜ、と少年がフラウィに視線を向けると、当の本人はつまらなさそうにそっぽを向いてしまう。
顔を背けたまま、フラウィはそう言った。ならば何故、あのまま攻撃をして来なかったのか。少年はそんな疑問を素直に伝える。
すると、フラウィはほんの少しだけ考え込んで「別に」と呟いた。
じゃ。そう言い残して、彼はどこかへと消えてしまった。誰かさんとは一体誰なのだろう。彼の言うことを信用していいのだろうか。まだまだ少年の疑問は晴れない。
けれど、彼と話をしているうちに不安は少しだけ解消され、このままここにいても何も変わらないということだけは分かった。
フラウィの言葉通りに遺跡を抜けるため、立ち上がって扉へと視線を向けたそのとき。大きな扉がゆっくりと開いた。
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