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2024-08-01 13:01:03
25867文字
Public お話
 

晴夜

吸血鬼弔くんと薬屋のひとり息子出久くん/死出
✽トガ茶要素もあり

その後も森の探索はつづいた。
あいかわらず「光るキノコ」は見つけられないでいたものの時々珍しい植物を発見することがあり、そうすると出久は大喜びでますます張りきるのだった。
ある日の夜、いつものように森を歩いていると途中で小雨が降りだした。
すぐ止むかと思われた雨はしだいに本降りになってきて、不穏な雷鳴も聞こえだす。
こうなれば探索は断念せざるをえない。
運良く弔の住み家からそう遠くない場所にいた二人は、雨やどりのため建物のなかへと駆けこんだ。
「降ってきちゃいましたね。困ったなぁ」
睫毛のうえに滴り落ちた雫を出久は指先ではらう。
外はすっかり荒れた天気となっていた。
風が唸りを上げて木々を揺さぶり、横なぐりの雨が地面を打ちつける。粗末な荒屋にも時おり冷たい雨が、どこからともなく降りこんできた。
電燈の無い室内は暗い。たったひとつの光源であるランプが心もとなく周囲を照らすのみだ。
「雨やどりさせてもらって助かりました。弔さんの家、森のなかにあったんですね」
ソファに掛けた出久は興味深そうに室内をながめる。そうして隅に寄せられた机のうえに、三十センチくらいの高さのオブジェのようなものが置いてあるのに気づいた。
なめらかな光沢を持つ真鍮の台座のうえに、おなじく真鍮でできた円盤が何重にも重なりあっている。その中心には立体の球が浮かんでいた。
「あれって天球儀、ですか?」
指さしてたずねる出久に弔はうなずく。
「ああ、元々この家にあったんだ」
「そうなんですか。古い物みたいだけど、すごく綺麗ですね」
もっと近くで見ようと机に近づいた出久は目をみはった。
そこには天球儀だけでなく、さまざまな物が雑多に並べられていたのだ。
精巧な帆船の模型、民族調の置物、水晶に似た鋭利な石、アンティークランプ、鮮やかな細工の施された小箱、手足がちぎれかけた人形に、ひびの入った青い脚付きグラス。それらはところどころ欠けたり薄汚れていたりしていたけれど、それがかえって不思議な魅力を放っていた。
「宝箱みたいだ」
出久は興奮を隠しきれないようすだ。
弔も机の側に歩み寄った。
「ここにある物はぜんぶ、まえの住人が集めてた物らしい」
以前ここに住んでいた男について、弔は町ですこしだけ話を聞いたことがあった。
急な病に倒れほどなくして世を去ったその男は、墓守りを生業としていた。独り身で、町の住人たちともほとんど交流を持っていなかったという。
弔自身も森を歩いていて時に捨てられたさまざまな物に出くわすことがあるが、男はどうやらそういった物を拾い集め家に置いていたようだ。
単なる蒐集癖か、それとも別に目的があったのか。独りきり暮らす彼が捨てられた物たちを集めつづけた理由は、いまとなっては知る由もない。
弔が伝え聞いた男のことを話して聞かせると出久はすこしのあいだ押し黙り、何かを考えていたようだった。
ややあって、ひとりごとのようにぽつりとこぼす。
「つながっていたかったのかな。物をとおして、誰かと」
壊れ物に触れるように人形を撫でた出久のしろい指先を、弔は何も言わず見つめていた。
意識の底にまで染みこんでくる雨音が時間の感覚を麻痺させる。
くしゃみをして身ぶるいした出久に、弔はひとつきりあった毛布を手渡した。
「あ、ありがとうございます。でも弔さんが寒いんじゃ」
「俺は寒くな、」
言葉は途中でくしゃみにさえぎられる。
出久が可笑しそうに口元を綻ばせた。
……近くに座ってもいいですか?きっとそのほうがあったかいから」
おぼろなあかりのもと、二人でひとつのソファにおさまり身を寄せあった。
弔は出久の体温の高いのに驚き、出久は出久で弔の体があんまりにも冷たいのにあわてていた。
天井から雨が染みだしてくる箇所を見つけたり、気分を盛り上げようと出久が意味もなく鼻歌を歌いだしたり、とりとめもない会話をしたり。
そんなことをしながら雨止みを待っているうちに、いつしか出久は船をこぎだした。
緑の瞳が瞼に隠れたかと思えば、弔の肩に出久がゆるりともたれてくる。
肩口から伝わる呼吸と馴染みはじめた体温。
首筋に触れるふわふわ頭の感触にふと笑いだしそうな気になって、弔は窓の外を見やる。
雨音は先ほどよりもちいさくなっているようだ。
雨が止むまであとどれくらいだろう。
朝が来るまで、あとどれくらい猶予が残されているだろう。
昼の世界に焦がれる気持ちなどとうに失くしたはずなのに、弔は今さら太陽が憎くて仕方なかった。

結局雨が止んだのは明け方近くになってからだ。
間近に忍び寄る朝の気配に息苦しいような感覚をおぼえながら、弔は出久を揺り起こした。
――泊めてもらっちゃってすみません。ありがとうございました」
身じたくを整えた出久は弔の家を出たところで、恐縮しながら頭を下げた。
あたりには濡れた土と緑の匂いが立ちこめ、そこかしこから鳥のさえずる声がする。
「それじゃあまた」
出久はもう一度頭を下げ小径を歩きだした。かと思えばいくらも行かないうちに足を止め、小走りにもどってくる。
「言い忘れてました。明日、町でお祭りがあるんです」
「祭り?」
「はい。毎年五月に開催されるんですけど、弔さん行ったことありますか?」
弔が首を横に振れば、出久は期待をこめた目を向ける。
「それなら、もしよければいっしょに行きませんか」
思わぬ誘いに弔は一瞬戸惑った。
出久はうきうきとつづける。
「屋台がたくさん出るんです。おいしいものもいっぱい食べられますよ。楽隊が演奏したり、町の広場に舞台が出て、そこで劇をやったりもして。あ、サーカスも来るんですよ!お祭りは朝のうちからはじまって日が沈むころまでやってるので、どこかで時間が空いてたら――
「俺は行けない。……行かない」
弔は言った。硬い声になったのが自身でも分かった。
「祭りって、町中から人が集まるんだろ。人が大勢集まるようなところは苦手なんだ」
……そ、っか、それは仕方ないですよね」
出久はうなずいたが、声にはわずかに落胆がにじんでいる。
肩を落とすそのようすを見ていると、弔の胸はどうしようもなくざわついた。
――いっそ本当のことを言ってみようか。
そんな考えが頭をかすめ弔は愕然とする。
これまでずっと、闇に身をひそめて生きてきた。
吸血鬼であることを知られないように。己を守るために。
人間の血を啜って生きる怪物を、恐れることなく受け入れる者などいるはずがないと思っていたから。
けれど吸血鬼のトガと友人になったお茶子のように、もしかしたら出久も。
そんな儚い希望が勝手に口をひらかせる。
「出久。俺は」
そのとき、視界いっぱいに強烈な光が弾けた。
無数の針が一斉に眼球へつき刺さるような痛みから逃れようと、弔は反射的に顔をそむける。
昇りはじめた太陽が、すべてを照らしだすまばゆい朝日が深い森の奥まで射しこみ、弔の居場所を侵しはじめていた。
「弔さん?どうかしましたか」
弔の異変を感じとった出久が声をかけてくるが、それに応える余裕すらない。
たたらを踏むように数歩退がった弔は、ものも言わずに家のなかへと逃げこんだ。
外から呼びかける出久の声が聞こえてきたが「なんでもない」とはねつける。
「立ちくらみがしただけだ。すぐ治まる」
出久はそれでもしばらくその場に留まっていたが弔が再度なんともないと伝えると、不安げにふり返りつつ帰っていった。
「最悪だ」
弔は閉ざした扉を背にうずくまり、目元を乱暴に擦りながら吐き捨てた。

弔がねぐらとしている家は廃屋じみたボロ家だが、それでも地下室があるというのは陽光を嫌う吸血鬼にとって利点である。
日中の大半を弔はその部屋に閉じこもってやりすごし日が沈めば外に出るのが常だったが、今日は日没が訪れても地下室を出ることはなかった。
朝日を浴びた目はまだ時おりじりじりと痛み、心なしか頭痛もする。
今晩は出久のキノコ探しにも付き合えそうにない。
“夜食”が食べられないのは残念だが、と思いながら弔は冷えた地下室の床に転がっていた。
いつも待ちあわせをする場所に自分が現れなかったら、出久は心配するだろうか。ふとそんなことを考える。
「なんであいつに、本当のこと話そうなんて……
自嘲じみた思いで弔はつぶやく。
瞼を閉じ横たわっているといつの間にか眠っていて、やけに鮮明な昼の世界の夢を見た。

青く晴れあがった空に太陽が輝いている。
往来には人があふれ、屋台の呼びこみの声や楽しそうな笑い声があちこちから響いてくる。
町は建物の外壁から街路樹にいたるまで華やかに飾りたてられ、通りを歩くだけでこころが浮きたつような眺めだった。
傍らには出久がいる。
色とりどりの紙吹雪を髪にくっつけたまま子どものようにはしゃいで笑い、「あれを食べよう」「これをやろう」と次々に弔の手を引いてまわる。
せわしないことこのうえない。すこしは落ち着けとたしなめながらも、弔自身も笑っていた。
出久の言っていたとおり広場には舞台が設置され、そこでは劇が上演されている。
広場からすこしはなれた川岸には赤と白の縞模様の巨大なサーカステントが張られていた。
テントの入口から長蛇の列がのびている。付近で道化の格好をした長身の男が子どもたちに風船を配っていた。
弔は出久とともに一日中、心ゆくまで食べて飲んで遊びまわった。
夕暮れが近づくと風に乗って流れてくる音楽が、ゆったりとした美しい旋律に変わる。
――踊りましょう、弔さん。
川べりに腰を下ろしこがね色にきらめく水面を眺めていたとき、出久がふいに立ち上がり片手を差しだしてきた。
見回せば周囲の人々も近くのひとと手を取りあい、音楽にあわせて楽しそうに踊っている。
穏やかな、平和を絵に描いたような景色。
弔はゆっくりと腰を上げた。差しだされた手に手を重ねれば、出久が幸福そうに微笑む。

かすかに上階から戸を叩く音が聞こえた気がして弔は目を覚ました。
眼球の痛みも頭痛もようやく治まってくれたようだ。
地下室を出た弔は階段を上る。
外に出るとあたりはすっかり闇に沈み、中天にかかった細い三日月がふるえるように輝いていた。
外の空気を吸って再び室内にもどろうとしたとき、戸口のところに包みが置いてあるのに気づく。
あけてみると、なかにはベーコンと野菜をたっぷり使って焼きあげたケークサレが入っていた。
……出久か」
先ほど弔が聞いたノックの音は彼のものだったのだろう。
弔が留守だと思い“夜食”だけを置いていったにちがいない。
その場に立ったまま、弔は出久のつくった食事を口に運んだ。
すこし塩気が強すぎる気もしたがそれでもやはり美味しかった。
食事を終えた弔は一人で森へくり出した。
明け方近くまで降っていた雨の名残か、あおく湿った草の匂いがいつもより強く漂っていた。
出久とはじめて会った夜のように、行き先もなくただ歩く。先ほど食べたばかりなのに、空腹で胃が痛むほどだった。
雨に濡れて身を寄せあった出久の体温がふと蘇る。
すべらかな皮膚の下に流れる、赤い血の甘さを思って舌がしびれた。
弔は知らず息を荒げていた。
前ぶれもなく膝から力が抜ける。崩れるようにその場へ座りこむと、目眩とひどい耳鳴りが襲ってきた。
うめきながら体を折り、額を地に叩きつける。
ふるえる手でもがくように地面を掻いたとき、視界のはしにぼんやりと淡い光が映りこんだ。
朦朧として巡らせた視線の先、朽ちかけた倒木の陰に弔はそれを見つけた。
……本当に光ってら」
親指ほどの大きさのキノコだ。
かたちはありきたりだがただ一つ、傘の部分が青白く発光しているところが、ふつうのキノコとは明らかにちがっている。
弔は片手をのばし、根本から折りとった。手のなかに転がり込んできたそれはひやりとして、はりぼてのようにかるい。
「あいつに渡さなきゃあな」
これを出久に渡して、それで。
土に汚れた指先を弔はそっと握りこんだ。



翌朝、盛大に鳴りわたった空砲が町中に祭りのはじまりを知らせた。
その音で弔は珍しく午前のうちに目を覚まし、しかし地下室から出ることはせずじっと日没を待っていた。
昼になり、陽射しがすこしずつ橙色を帯びてきて、やがてようやく太陽が沈んでいく。
弔は念のため分厚いコートを着てフードを目深にかぶり、家を出た。
町に近づくにつれいくつもの人声が聞こえ、ざわめく気配を感じる。
もう祭りは終わったころだろうが、まだ外で過ごしているひとが多いのかもしれない。
弔が森の入口へとつづく細い小径に差しかかったとき、向こう側でかすかに光が揺れた気がした。
「出久?」
「あ、弔さん!」
肩からななめに鞄を下げた出久が、ランプをかざして駆け寄ってきた。
「ここで待ってようか、家までようすを見に行こうか迷ってたんです。すれちがいにならなくてよかった。もう出歩いて大丈夫ですか?」
……出久、手を出せ」
「手?」
不思議そうな顔をしながらも出久が素直に手を差しだす。
その手に弔は昨晩手に入れたキノコを乗せた。
暗がりに淡く光を放つ傘を目にした出久はええっ、と叫び弾かれたように顔を上げる。
「こっ、これ!光るキノコ、どこで見つけたんですか!?」
「さぁ。適当に歩いてたから、どのへんだったか」
「うわぁ、すごいです。本物だあ」
出久は興奮しきりで頬を赤くしている。
「じゃあ、俺はこれでお役御免だな」
「え?」
「探してたものが見つかったんだ。もう手伝いは必要ないだろ」
「それは……でも僕、まだ」
弔は物言いたげな出久を置いて踵をかえした。
黒いコートを体にきつく巻きつけ、足早に森の奥へと引きかえす。
――はやくここからはなれねぇと。
焦燥が胸を焼いた。
一歩ごとに視界がぶれる。冷や汗が背中を伝い、制御を失ったように鼓動が異常に速くなる。
頭が割れそうに痛くて吐き気がこみ上げた。
そのとき木の根に足を取られ弔の体がぐらりと傾ぐ。
体勢を立て直すこともできず倒れかけた体は、温かな両腕に抱きとめられた。
「だ、大丈夫ですか!」
目を上げれば出久が心配そうな顔でのぞきこんでいる。
「いったん僕の家で休みましょう。ここからならすぐですから。もうすこし歩けますか?」
……いずく」
熱のこもった息を吐き、弔は無言でじっと出久を見つめた。
「弔さん?」
燃え盛る紅い瞳に射られた出久がおそるおそる名前を呼ぶ。
弔はいきなりその腕をつかむと、出久を地面へ引き倒した。
「ッ、痛っ
体を打ちつけうめく出久に弔は覆いかぶさる。
見ひらかれた緑色の目に映る己の顔は、まるで獲物をまえにして狂喜する獣のようだった。
「とむら、さ……?」
「いずく、俺は」
呼吸が荒くなり自然と口端が吊り上がる。
金縛りにあったかのごとく動けない出久の喉がヒクリとうごめいた。
そのしろい喉元に指を這わせ、弔はささやく。
「俺は、吸血鬼だ」
見下ろした出久は呆然としていた。
理解が追いつかないかのように「きゅうけつき」とかすれた声で弔の言葉をくりかえす。
弔は出久の喉元へ置いていた指をずらした。
首筋に触れ指先にすこし力を込めれば、うすい皮膚一枚隔ててたしかな脈動が伝わる。
「吸血鬼はヒトの生き血を啜って永らえる。言いかえれば、ヒトの血がなけりゃ生きられないってことだ。俺はあんな不味いもの二度とご免なんだが、まぁ……仕方ないよな。そういうふうになっちまったんだから」
弔は乾いた笑いをこぼした。
身のうちに荒れ狂う衝動をねじ伏せ、澄んだ出久の目を見つめてつづける。
「明日にもあの家からは出てくよ。だからおまえもこれ以上、俺に関わるな」
弔はそう言い残し出久からはなれた。
力の入らない手足を叱咤して立ちあがり、ふらつきながら歩みを進める。
「出てく、って……待って、弔さん!」
固まっていた出久が身を起こし、弔を必死に呼び止めようとする。
その声に何かが風を切る音が重なった。
「!?危ないっ!」
はっとして駆けだした出久が、ほとんど身を投げ出すようにして弔を突き飛ばす。
闇のなかにドスッ、とにぶい音が響き、出久の体が宙を舞った。
易々と吹き飛ばされた体が数メートル先の地面へ叩きつけられる。
「出久!」
叫んで出久のもとへ駆け寄ろうとした弔は頭上に気配を感じ、反射的に後ろへ飛び退った。
その瞬間、いまのいままで弔がいた場所に巨大な「何か」が落下してきた。
もうもうと立ちこめる土煙の向こうから、禍々しい赤色の双眸が弔を捉える。
「トムラ……“あの方”を裏切った、出来損ないの吸血鬼……オマエがそうだナ?」
温度の感じられない機械的な声が言う。
土煙が晴れて露わになった全身は、闇と同化する黒色だった。
樽のような形状の胴体から無数に突き出た不気味なモノが手なのか足なのか判然としないが、剛毛に覆われたそれは一本一本がひと抱えもありそうなほど太く、長さが優に身の丈の二倍以上はある。
――ひとに物をたずねるときは名乗れよ。礼儀を知らない奴だな」
「コレカラ殺ス奴に名乗る必要はないだろウ」
蜘蛛によく似たすがたの襲撃者は、そう言うと数本の肢を振り上げた。
鈍重な見た目に反し素早い動きを見せるそれらが、鞭のようにしなって次々弔に襲いかかる。
弔が身をかわすたび、背後の木や岩が轟音を上げ砕け散った。あたりの木々を手当たりしだい薙ぎ払いながら、蜘蛛は執拗に弔を狙う。
「“あの方”からじかに ・・・血を頂き眷属となる誉れを得ておきながラ、恩義に報イズ逃げ出した。裏切り者は、見つけしだい全員殺ス」
「ハッ……恩義?裏切り者だと?笑わせんなよ」
弔は蜘蛛の言葉を鼻で笑い飛ばした。
感覚のにぶくなる足を動かし危うく攻撃を避けながら、弔はあたりに視線を走らせる。
はなれた場所に転がる出久はぴくりともしない。
気を失っているのか、それとも。
「ただのエサがそんなに大事カ」
すぐ近くで聞こえた嘲笑に意識をもどした瞬間。強烈な一打をまともに胴へ喰らい、弔は背中から木の幹に叩きつけられた。
「がっ……
衝撃で一瞬息ができなくなる。骨が軋み内臓が圧迫され、体中に激痛が走る。
「オマエが死んだら、あのエサは私が代わりにもらってヤル」
赤い目が怖気のするような笑みのかたちに歪む。
動けない弔めがけ、蜘蛛は容赦なく打撃を浴びせた。
「吸血鬼のクセに血を拒絶する、だから脆い。だから死ヌ。ヒトにも吸血鬼にも交じることが叶わなイ、愚かで弱い存在。それがオマエだ」
ぼろきれのように嬲られうすれゆく意識のなかで、弔はぼんやりと自身の過去を思いだしていた。

――弔が生まれたのはここよりずっと北の国だった。
父と母と姉とに囲まれ、一見何不自由のない暮らしを送っていた。
しかし父は厳格で、すこしでも彼の意に沿わないことをすれば叱責される。弔にとって父のいる「家」は、しだいに息苦しい場所となっていった。
五歳になったある日のこと。
ささいなことが原因で父に叱られた弔は、うっ積した思いを爆発させ家を飛びだしてしまった。
すでに日は沈み、夜空は星で埋めつくされていた。その星々すらも凍り落ちてきそうな寒さのなか、一人きりであてもなく町をさまよう。
やがて疲れと寒さで路地裏に座りこみ、そこから一歩も動けなくなった。
涙ぐみ膝を抱えたそのとき、誰かが弔のまえで足を止めた。
――こんなところに一人きりでどうしたんだい。迷子にでもなったのかな。
びくつきながら顔を上げると、そこには一人の紳士が温和な笑みを浮かべ立っている。
――ここは寒いだろう。いっしょにおいで。温かいお茶でもごちそうするよ。
彼は親しげに片手を差しだし、弔は迷いながらもかじかんだ手でその手を取った。
男は弔を立派な屋敷へ連れていった。
そしていい香りのするお茶とたくさんのお菓子でもてなし、見たこともない玩具やゲームを弔に与え、今夜はもう遅いからと泊まっていくように勧めた。
男の屋敷には数人の使用人と何人かの子どもがいて、子どもたちはみな何らかの事情があって一人ぼっちになり、男に拾われてこの屋敷へ来たのだということだった。彼らを相手に夢中になって遊んでいたら、ますます家になど帰りたくなくなった。
男は弔のそんな気持ちを見抜いたように「好きなだけここにいていい」と優しく言うのだった。
弔はひろい屋敷のなかで毎日楽しく過ごした。
屋敷には窓がほとんどなく、数少ない窓辺にも分厚いカーテンがかかっていて外のようすは分からなかった。しかしどのみち雪の季節はあまり外で遊べないし、本も遊び道具も望めばいくらでも男が用意してくれたので、外に出なくとも退屈することなどなかった。
けれど一週間経ちひと月経ち、弔の胸にはすこしずつ不安がふくらんでいく。
突然いなくなった自分のことを、家族は心配しているのではないか。
そう思うといてもたってもいられず、弔は屋敷の主人である男にはじめて「帰りたい」と申し出た。
――そうか、残念だが仕方ないね。僕はもう君のことを、家族同然に思っていたんだけど。
男は寂しそうに笑い、帰るまえに一つだけプレゼントしたいものがあると弔を地下室へ誘った。
そこで男はゴブレットに注がれた深紅の液体を弔へ手渡し、飲みほすように言った。
弔がそれを口にすると喉が焼けつくように熱くなり、強い酩酊感に立っていられなくなった。
床に這いつくばる弔のうえに愉しげな声が降ってくる。
――これで君も晴れて吸血鬼の仲間入りだ。はなれていても僕らが「家族」でいられるように、僕の血を分け与えたのさ。プレゼントは気に入ってもらえたかな?
その言葉に弔はぞっとした。
わけも分からぬままただ目の前の男から逃げだしたくて、屋敷を飛びだした。
息が切れるのもかまわず走りつづけ見慣れた我が家が見えたとき、弔は心底からほっとした。
家に駆けこむと家族みんなが驚いた顔をして、それから母が涙ながらに抱きしめてきた。
温かな体温と甘い母の匂いに包まれ、弔は首筋に擦り寄った。
屋敷での一件は悪い夢だったのだ。吸血鬼なんて存在するわけがない。弔は自分に言い聞かせる。
自身の帰還を涙を流して喜ぶ家族に、一言「ごめんなさい」と伝えようとして口をひらいた。
その瞬間、姉の甲高い悲鳴が響きわたった。
口中にあふれる生暖かい液体が、陶然とするような甘美さをともない喉を潤していく。
柔らかな肌に牙を突き立てた瞬間の感触が、身ぶるいするほどのその心地よさが、弔にひとつの残酷な真実を突きつけていた。
父が血相を変えて弔から母親を引きはがす。
首筋から血を流し、蒼白な顔でぐったりとした母。
口周りを真っ赤に汚した弔のすがたに父が息を飲む。
弔の理性はすでに、男が与えた呪いの血によって失われていた。
お母さん。金切り声を上げ取りすがろうとする姉に弔は飛びかかる。
腕をつかんで床に押し倒し、細い首に噛みついた。
凄まじい悲鳴が鼓膜をつんざく。弔は抵抗をものともせず押さえこみ、吸血鬼の本能のまま獲物から血を啜ろうとした。
やめろ、と怒鳴り声が響く。
父に殴りつけられた弔は横ざまに倒れこんだ。
母と姉を背にかばった父は顔をひきつらせ、恐怖と憎悪をその目にありありと浮かべていた。
――人間を襲って血を飲むなんて狂ってる。化け物め。
浴びせられた言葉に弔の頭は真っ白になる。
父は椅子を引き寄せ持ち上げると、弔に向けて振りかぶった。
そこから先の記憶はひどくあいまいだ。
気がつけば弔は一人きり、吹雪のなかに立ち尽くしていた。
自身の住んでいた家は跡形もなく消え去り、家族も誰ひとり側にはいなかった。
あとから分かったことだが、家族もろとも家を葬り去ったのは人間の血を摂取したことで発動した弔の「個性」だった。
五指で触れることにより対象を崩壊させる――これも男からの「プレゼント」であり、弔にとっての呪いであった。
吸血鬼となった弔は故郷をはなれ、各地を転々として過ごした。
家族を襲い、殺してしまったあの日から、弔が人間の血を口にしたことは一度もない。
血を飲むほどに吸血鬼の肉体は強化され、不老不死に近づくのだと――そんな話を耳にしたこともあったが、弔には関わりのないことだった。
満たされることのない空腹を抱え死んだように生きることが、自らに課された罰なのだと思った。

「アア……そういえば、吸血鬼の血は飲んだことがなイな」
蜘蛛は弔にとどめをさそうと振り上げた肢をふと止めた。
二つの赤い目玉の下が裂け、大きく横にひろがる。
裂け目の奥、剣山のように生えそろった牙が見えた。
「人間ハ数えきれないほド殺してきたが、オマエを喰って血を取りこめバ、モットモット強くなれルかもしれなイ。そうすればモット“あの方”のお役ニ立テル」
蜘蛛の声がうっとりと毒をはらんだように揺れる。
……これ以上化け物じみたなりになって、どうしようってん、だ」
弔は口元に皮肉な笑みを刻んだ。
目が霞む。気を抜けば意識が途切れそうだ。
カチカチと獰猛に牙を鳴らしながら裂けた口が近づいてくる。
そして弔に喰らいつこうとした瞬間、蜘蛛は突然苦悶の悲鳴を上げた。
「何ダ、何ガッ!?」
「弔さんからはなれろっ!」
見れば四方にのびた蜘蛛の肢の一本に、出久が深々とナイフを突き立てていた。
逆上した蜘蛛が出久に向かって攻撃をしかける。
出久は素早くそれを避けて走り、肩から下げていた鞄を探る。
そしてつかみだした小瓶を、大きく裂けた蜘蛛の口めがけ力いっぱい投げつけた。
瓶は牙に当たって砕け、なかに入っていた液体が口内に飛び散る。
……!?ァ、アアッ!何ダこれハぁあ!?」
蜘蛛が再び悲鳴を上げ苦しみだす。その隙をついて出久は弔を連れ、急いでその場をはなれた。
足下もおぼつかないほどの闇に閉ざされた森のなかを、二人はがむしゃらに駆け抜ける。
清水の湧く泉があるひらけた場所に出たとき、ついに弔はがくりと膝を折った。
出久があわてて弔を支え、大きな岩の後ろへ身を隠し休ませる。
「しっかりしてください。いま手当てしますから」
……なぁ。さっき投げたあれ、なに」
「ただの香辛料です。激辛の」
「なんでそんなモン持ってんだ」
出久は応急処置をしながら汗みずくの顔で笑う。
「幼なじみが辛いもの好きで。食べると元気出るらしいから、弔さんにもあげて元気になってもらおうと、持ってきたんです」
「劇物食わせようとしてんなよ……
弔はぐたりと岩にもたれ、喘ぐように息を吸った。
ひと呼吸ごとに痛みが増していき、もう到底立ち上がれそうになかった。
ぼやけた視界に出久の顔が見える。
「血を……飲めば強くなれるって、さっきの奴が言ってましたよね。あいつも吸血鬼なんでしょうか」
「あぁ、だろうな。……どうやら俺を吸血鬼にした男以外にも、自らの血を他人に与えることで仲間を増やそうとする、ふざけた奴がいるみたいだ」
蜘蛛は弔に対し“あの男”から「じかに」血を頂いておきながら、と口にした。
だとすると蜘蛛は、弔を吸血鬼にした男から直接に血を分け与えられたわけではないのだろう。
屋敷にいたあの男がすべての根源、吸血鬼たちの生みの親だとすれば。
おなじ吸血鬼どうしであっても、男から直接血を受け吸血鬼になった弔のような者とそうでない者とのあいだには、血の濃さによる「格」というものが存在するのかもしれない。
“あの男”に認められるため、吸血鬼としての格を上げるために殺戮をくりかえし、血を浴びつづけた成れの果てがあの異形のすがたなのだろうか。
そう思えば弔の胸には、蜘蛛に対する憐れみの感情すら湧いてくる。
二人が逃げてきた方角から木々がへしゃげる音が響いた。同時に獣のような叫びが闇を貫いて届く。
月を映し静まりかえっていた銀色の水面にさざ波がたつ。
怒りと殺意で荒れ狂う怪物は、確実にこちらへ近づいていた。
耳をそばだてていた出久が緊張の面持ちでふりかえる。そしてまっすぐに弔へ向きあい、言った。
「弔さん。僕の血を飲んでください」
弔は目を見ひらき息を詰める。
「何言ってる」
「いま弔さんは血が足りなくて動けなくなってるんでしょう。血を飲んでパワーアップするなら、僕の血であいつに対抗できるかもしれないじゃないですか」
「必要ない。だいたい、奴が狙ってるのは俺なんだ。おまえはさっさとここから」
邪険な態度で出久を追いはらおうとした弔は、襟首をつかまれ言葉を止めた。
ぎゅっと眉根を寄せ、きつく口を結んだ出久はいまにも泣き出しそうに見えた。
僕は、と出久が絞りだす。
息を吸い、つづく言葉を大声でぶちまけた。
「僕は逃げたりしない!弔さんのことが好きなんです、ぜったい死なせたくないんです!」
…………は?」
出久は肩で息をしながら、唖然とする弔にもう一度くりかえした。
「血を、飲んでください」
……断る」
「どうして」
「歯止めが効かなくなるかもしれない。……欲求を抑えられなくて、おまえを殺す可能性だってある。そうなったら俺は」
弔の脳裏にあの日の惨たらしい光景が蘇る。
家族を殺した罪悪感。
人間の血を飲まねば生きられない怪物と成り果てた己への恐怖や嫌悪。
血を飲んで永らえたところで、寂しさからは逃れられない。
けれど出久と出会って、森を歩いていろいろな話をして。共にいる時間だけはこころが安らいだ。このまま朝が来なければいいと願ったこともある。
その体に流れる血を飲み干したいという渇欲を抱いていながら、死んでも傷つけたくないと思った。
温かな手がそっと弔の手を包む。
出久は深緑の瞳に星を宿らせ、晴れやかに笑った。
「僕はあなたに殺されたりしません。いざってときは殴ってでも蹴ってでも僕が弔さんを止めます。――だからおねがい。僕の血で弔さんを守らせて。それで弔さんが僕のこと、守ってください」
祈りをこめて紡がれる言葉に弔は深く息を吐いた。
右手を持ち上げ、のばしたその手で出久の頬へ触れる。
胸にはさまざまな思いが渦巻いていた。
恐れは消えない。後悔も不安も絶望も、あの日からずっと弔の影としてつきまとう。
けれど、それでも信じてみたかった。
弔の手をはなさないでいてくれる少年の言葉を。
――分かった」
弔は出久を引き寄せ、首筋に顔を寄せた。
月の光にあおく照らされた肌に唇を触れる。舌先を触れる。
そうして皮膚にやんわりと牙を当てたとき、出久の肩がわずかに跳ねた。
「怖いか」
……ほ、ほんのすこし。でも大丈夫です」
――弔さんのこと、信じてるから。
出久はそう言うと深呼吸して体の力を抜く。
「大丈夫だ」
出久に、そして自身に言い聞かせるように弔は言った。
血を求めて牙はにぶく疼いていたが、うらはらに頭は凛と澄んでいる。
弔はしろい首筋へ誓いのように口づけを落とし、そうしてそこへ牙を立てた。
出久が一瞬息を詰める。こわばった体を弔はできるだけやさしく抱きしめた。
尖った牙が皮膚を破りじわじわと血がにじみだす。
弔はそれを吸い上げ、舌のうえで味わった。
長く口にしていなかった血の味は甘く、脳髄がしびれ歓喜するほどに美味だった。
かすかな水音を立てながら弔は出久の血を丹念に舐めとり、自身のなかへ取りこんでいく。
抱きしめた出久の体が徐々に熱を帯びていくのを感じる。
時おりか細い吐息が耳元をくすぐり、それが弔をたまらない気持ちにさせた。
永遠にも一瞬にも思える時を経て、弔は理性を総動員し、自ら牙をおさめた。そのとたん出久の体がくにゃりと力をなくす。
「おい、平気か」
「うん……
出久はぼうっとうなずいた。
頬は上気し目は潤んでいたが、苦痛を感じているようすはなく弔はひそかに安堵する。
出久の血を摂取したことによる効果は劇的だった。
驚くほどに体がかるくなり、先ほど受けたダメージによる痛みもかなりましになっている。
手足の先まで力がみなぎり、五感が最大限まで研ぎ澄まされている感覚があった。
そのとき、鋭敏になった弔の耳が小枝の折れる音をとらえる。
とっさに出久を抱いて飛びだせば身を隠していた大岩が粉々になった。
「ようやく見つけタ」
赤い目を爛々とさせ、巨大蜘蛛が立ちはだかる。
正面から殺気をぶつけられた弔は挑発的に目を細めた。
蜘蛛は猛り狂った声を上げ、振り上げられた何本もの肢が弔へ一斉に襲いかかる。
弔はそれをかわしながら、体の側面をかすめた一本へおもむろに片手を触れた。
「アァアァァァッ!?」
弔が五指で触れた瞬間、そこからヒビのようなものがひろがり蜘蛛の肢を侵食していく。そしていくらも経たないうちに、表面が炭化したようにボロボロ崩れはじめた。
噴きだした赤黒い血が弔へ降りかかる。
口元に跳ねたそれを舐め、弔は苦い顔で舌を突きだした。
侵食する崩壊に恐慌をきたした蜘蛛は自ら肢を切断し、体勢を立て直そうともがく。
弔はそちらへ歩み寄りながら声をかける。
「たしか、俺を殺して血を奪うんだったよな?まだやる気なら付き合うけど、あんまり長引かせないでくれよ」
蜘蛛は巨体を波打たせながら素早く樹上へ逃れた。
起死回生の一撃を放つため、足を止めた弔に狙いを定める。
そして次の瞬間大きく肢をひろげ、上空から躍りかかった。
弔はその場に留まり両手足に力をこめる。
降ってくる巨大な影を仰ぎ、仏頂面で吐き捨てた。
「おまえの血、クッッソ不味くて苛ついてんだ」
激しい音と衝撃があたり一帯を揺るがした。
鳥や獣がいっとき鳴き騒いだが、すぐにまた森は安らかな静寂を取りもどした。



夏も盛りをすぎ、夕風が心地よく感じられるようになってきた秋のころ。
今夜、弔の家はかつてないほどにぎやかだった。
弔と出久、それにトガと、その友人であるお茶子。さらにトガが引っぱってきた荼毘もふくめ、五人でちょっとしたパーティーをひらくことになったのだ。
発案者はトガで、それに出久が賛同しみんなで料理や飲み物、お菓子を持ち寄った。
吸血鬼である弔、トガ、荼毘にとってはかたちばかりの「食事」だが、主目的は「みんなで楽しくすごすこと」だというのがトガの言い分である。
外へ運びだしたテーブルには真新しいクロスが掛けられ、キャンドルに火が灯される。
夜空には満天の星。頬に浴びる涼やかな風がこころを和ませる。
「はーっ、どれも美味しかったあ。幸せや……
「お茶子ちゃん、ほっぺにデザートのクリームついてますよ」
「えっうそ、どこ?」
「じっとしてて。私が取ってあげます」
きゃっきゃと楽しげなお茶子とトガを半眼で眺めながら、荼毘は思いだしたように弔に言った。
「そういやこないだ俺も会ったぜ。“あの男”の狂信者みてえな奴」
……本当か」
荼毘の言葉に、弔は初夏のころ自分を狙ってきた異形の蜘蛛を思い浮かべる。
「問答無用で殺そうとしてきたんで、勢いあまって燃やしちまったけど。ああいう奴らから見れば、俺やトガも裏切り者なんだろうな」
弔も、そして荼毘やトガも、あの屋敷で男から血を与えられ吸血鬼となった。
男のつくった偽物の「家族」から逃げ出したのは弔だけではない。
荼毘は己の目的を果たすため。
トガはまだ物語のなかでしか知らない「恋」をするため。
多くの不自由さのなかで、自らのこころにしたがい自由に生きる彼らに、弔は近ごろすこしだけ共感をおぼえはじめている。
「綺麗な虫の声。歌ってるみたいです」
「ほんとだね」
「うーん、いい音楽……。なんかこう、ゆったりダンスしたくなるかんじやね」
「わぁ、いいですねぇ!踊りましょう、みんなで!」
トガが意気揚々と立ちあがり、両側できょとんとしているお茶子と出久の腕をとる。
「えっ、ほんとに踊るん?」
「ぼ、僕、ダンスとかぜんぜんできないんだけど……!」
「大丈夫です、楽しければいいのです!」
満面の笑みを浮かべたトガは、二人と手をつないだままふわふわと体を揺らしはじめる。
楽しそうなようすに出久とお茶子もつられたのか、戸惑いつつもトガにあわせて踊りだした。
静かな森に笑い声が転がる。虫たちが奏でる透きとおった音色が、軽やかに夜を渡っていく。
「楽しければ、ねえ……。一理あるかもな」
輪になって踊る三人を見つめ、荼毘がちいさく笑ってこぼした。
弔と荼毘が腰を上げないのに目ざとく気づいたトガが、「二人もはやく来てくださいー!」と催促する。
無数のキャンドルの火がちらちらと揺れ、まるで地上へ降ってきた星が惑っているようだ。
そんな景色の向こうから出久が弔をふりかえる。
「踊りましょう!」
いつか夢で見た気のする笑顔が、すぐ手の届く距離にある。
差しだされた手を取れば出久は弔を見つめて笑う。
無垢な子どものように。
まるで弔の瞳をのぞけば、自分の喜びすべてがそこに見つかるとでもいうように。
ひどく温かな思いが胸を満たす。
仕方ねぇなと嘯いて、弔は緩む口元を隠した。



end.