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2024-08-01 13:01:03
25867文字
Public お話
 

晴夜

吸血鬼弔くんと薬屋のひとり息子出久くん/死出
✽トガ茶要素もあり

弔は夜に生きる吸血鬼である。
ただし人の血を好まず、現在にいたるまでそれを口にしたのはただ一度きりだった。

「血を吸わないなら“吸血”鬼ってのは正しくないんじゃねえの」
生地が裂け中身がむきだしになったソファに我が物顔で腰かけた男からそう投げかけられた弔は、不快感をあらわに眉をひそめた。
「知るかよ。だいたい吸血鬼なんて呼称は世間の奴らが勝手につけたもので、こっちが名乗ったわけじゃない」
「まあ、そりゃな」
あくびをしながら男は気のない返事をする。
ひらいた口中になめらかな真珠色の牙がのぞいた。
彼は弔とおなじ吸血鬼で、荼毘という。
弔が忘れかけたころにふらりと訪ねてくる荼毘は同朋の気配や痕跡をたどることに長けており、これまで何度か住み家を移ったにもかかわらず難なく居所を探り当ててくる彼に、弔はいいかげん辟易していた。
荼毘はあからさまに歓迎していない弔のようすに頓着することなく、悠々と足を組んだ。
「じゃあお前、これからも人の血を飲む気はないのか」
「だったら何だよ」
とげとげしい弔の返答に荼毘は肩をすくめる。
「別に。破滅願望を否定する気はねェが」
「俺は単に、あんな不味いもの二度と口にする気にならないだけだ」
弔は瞼にかぶさる髪をうっとうしげにかき上げる。
外見はまだ青年といっていい年頃だが、その髪は老人のように白く、傷みきって艶を失っていた。
干上がったように乾いた皮膚は病的なまでに青白い。
かたかたと窓が鳴った。
民家というよりは小屋といったほうが適切な住み家にはすきま風が入り放題に入りこみ、甘く湿った夜の匂いを運んでくる。
ひび割れたガラスを透かして細く銀色の月光が射した。
そちらへ顔を向けた荼毘の蒼い瞳のおもてを、月あかりが白々と濡らす。
薄汚れた天井を仰ぐ弔の耳に、淡々とした荼毘の声が流れこんでくる。
「どうせ元には戻れないなら、どっかで割り切らねえとなァ。闇の眷属たる吸血鬼が血を拒みつづけりゃ、いつか夜からも弾かれちまうぜ」
「黙れ」
弔は低く唸る。険しい視線を向けた先に、しかしすでに荼毘のすがたはなかった。
盛大な舌打ちとともに立ち上がり、弔は外へ向かう。
扉を開ければ慣れ親しんだ夜の気配が全身を包んだ。

闇にまぎれ人の生き血を啜ることでいにしえから永らえてきた怪物。
それが多くの人々のなかにある、伝承や物語の影響により形づくられてきた吸血鬼のすがただろう。
好むと好まざるとにかかわらず、吸血鬼にとって人間の血が生命線であることは間違いないようだと、弔は近ごろとみに感じていた。
吸血鬼は本来、人の血を飲む以外で食事を必要としないが、弔はふつうの人間とおなじようなものを食べている。しかし何を食べても味気なく、ためしに動物の血を飲んでみたこともあるが気休めにしかならなかった。
弔は常に空腹だった。そしてこの飢えを満たすには、人間の血を飲む以外にないのだと本能が告げていた。
……誰があんなクソ不味いもの」
かさついた唇から憎々しげな言葉がこぼれる。
遠い昔に一度だけ口にしたその味が蘇り、喉の奥に苦いものがこみ上げた。
弔は鬱蒼とした森のなかを音も立てずに歩いていく。
森を抜けた先には町があった。
陽の光に弱く、太陽の下に出ればたちまちひどい火傷を負う吸血鬼は、基本的に夜間にしか出歩かない。
弔も例にもれず、森のなかの住み家を出るのは日が落ちてからだ。
石畳の道の両脇には店や家が立ちならんでいる。
気候が良い時期ということもあり、特に食事や酒を出す店の入口はどこも解放的に開け放たれていた。
軒先や路上に置かれたテーブルにはランプで淡く光が灯され、年代も性別もさまざまな人々が集って食事を楽しんでいる。
誰もかれも、まさか吸血鬼という異質な存在がすぐ近くをうろついているなどとは夢にも思っていないだろう。
弔は彼らに無感動な一瞥を投げかけ、一軒の店へ入った。
店内には上から下まで所せましと瓶がならんでいる。奥で帳面を繰っていた酒屋の店主は、弔に気づくと気安げに片手を上げた。
「おお、兄ちゃんか」
「よぉ。なんか仕事ない?」
「悪いが、今日はこれから用があるもんで、もう店閉めるんだよ。注文してあった分は昼のうちに配達済ませちまったし、今夜は頼める仕事はねぇな」
太い眉をすまなそうに垂らす店主に見送られ、弔は酒屋をあとにした。
再び通りに出ると、わずかながら顔見知りのいる酒場や露店をのぞき今夜の仕事を探す。
たいして腹の足しにはならずとも、人とおなじような食事を摂ろうと思うなら食料を調達せねばならない。そのためには金が要る。金を稼ぐには働くことだ。
奪う、盗むという選択肢もないではないが、いたずらに騒ぎを起こせば最悪住み家を失うことになるかもしれない。いまの弔にとっては新たな住み家を見つけることのほうが面倒だった。
それに動いていたほうが気がまぎれる部分もあるのだ。
これまで荷運びに皿洗い、物の修繕や不寝番、時には墓地で埋葬のための穴を掘るなどいろいろとやってきたが、今夜はなかなか仕事が見つからない。
五軒目に立ち寄った店も空振りに終わり、弔はため息を吐きながら表へ出た。
向かいの露店では果物が売られている。
店主はなじみの客と話しこんでおり、横合いから商品をかすめ取るのは造作もなさそうに見えた。
しばらくそちらを眺めていた弔だったが、やがてふいと顔をそむけた。石畳の道を下り、淡いあかりに包まれた空間と喧騒から遠ざかっていく。
「あー……クソ、腹減った」
苦虫を噛みつぶしたような顔でぼやき、薄っぺらい腹を擦る。
満たされない食欲を抱えたまま弔は暗い木立の向こう、住み家のある森のなかへと引きかえした。
下草を踏みどんどん森の奥へ進んでいく。
ふつうの人間ならあかりも無しに夜の森はまず歩けないが、夜目が利く弔はたとえ真夜中であろうと道を見失うことはない。しかしいま弔はまっすぐ住み家へはもどらず、でたらめに歩いていた。
木々のすき間から射す月光が、夢遊病者のような足取りで森を行く弔のすがたを照らす。
ひと呼吸ごとに生気を失っていくかのような青白い顔の真ん中で、紅い瞳だけが静かに熱を放っていた。
どれくらい彷徨っていただろう。
踏みだした足が何かにぶつかり、弔は立ち止まった。
……あ?」
見ればほの明るい光を放つランプが足下に転がっている。
何気なく視線を転じれば、すぐ側にあるブナの木の根元にうずくまる人影があった。
「ん……
気配を感じたのか人影が身じろぎ、下敷きになっていた枯れ葉がかさりと音を立てた。
月にかかっていた雲が流れ銀色の光が地上へ届く。
瞼をこすりながらぼんやりと弔を見上げたのは、深緑の髪をした少年だった。
「あれ、僕……?」
寝ぼけているのか緩慢に周囲へ視線をめぐらせる少年を、弔は呆れ顔で見下ろした。
「こんなところで昼寝でもしてたのか?ガキはとっくに家へ帰る時間だろ」
弔の言葉に少年はぱちぱちと目を瞬く。
するとようやく眠気が覚めてきたようで、そばかすの浮く頬を照れくさそうに掻いた。
「ちょっとひと休みのつもりだったんですけど、いつの間にか寝ちゃってました」
……
脳天気なそのようすに弔は閉口する。
ふと投げだされた少年の右足に目が行った。
片足だけズボンがたくし上げられ、足首に白い布が巻かれている。どうやら添え木もされているようだった。
弔の視線に気づいた少年は「転んで足をくじいちゃって」と苦笑する。
「腫れが引いたら痛みもましになると思うので、もうすこしここで休んでます。……あの、ところでお兄さんはどうして森に?」
「別に、散歩」
そっけない弔の答えに少年は戸惑ったように首をかしげる。
膝上まで捲られたズボンのすそから擦りむいた膝頭が見えた。汚れはあらかた拭われているようだが、傷口にはまだうっすらと血がにじんでいる。
月光に鮮やかな赤色が照り映えて、弔の目はそこへ釘づけになった。
どくりとひとつ心臓が脈打つ。急激に喉の渇きをおぼえ思わず唾を飲んだとき、耐えかねたように腹の虫がわめいた。
その音に大きな緑の目をまるく見ひらき、少年は弔をじっと見つめる。
……なんだよ」
「いえあの、お腹すいてるなら」
少年は近くに転がっていたランプを引き寄せると、肩から提げていた鞄を急いで探り、茶色い厚手の紙に包んだものを取りだした。
「夜食にと思って持ってきたんです。よかったらどうぞ」
差し出されたそれを弔は訝りながら受け取った。
包みをひらけばなかにはサンドイッチが二切れ入っている。
ひとつを手に取ったとたんまた腹の虫が鳴き、弔は衝動的にサンドイッチにかぶりついていた。
あっという間に二切れとも平らげてしまってから深く息を吐く。擬似的な食事をしたことで、つかの間の満足感がじわりと胃の腑を温めていた。
「すこし落ち着きました?」
柔らかな声に弔は我にかえる。
ぎこちなくうなずくと少年は安堵したように微笑んだ。
「よかった。そうだ、飲み物もありますよ」
少年は再び鞄へ手をのばした。しかし体勢を変えたひょうしに足が痛んだのか、すこし顔をゆがめる。
そのようすを見ていた弔は数秒思案し、それから身を屈めた。
「仕方ない。手を貸してやるよ」
「え?」
「サンドイッチの礼だ」
そう言うと弔は少年の背と膝裏に腕を回し、ひょいとその体を抱きあげた。
「えっ、わ、わっ!?」
「おい、暴れんな」
面食らった少年はとっさに身をよじろうとしたが、弔に睨まれ大人しくなった。
「お、お兄さん見かけによらず力持ちですね……
「見かけによらずは余計だ。じっとしてろ、ジタバタしやがったらすぐ捨てるからな」
その言葉に少年はあわてて何度もうなずく。
弔は静かに走りだした。徐々に速度を上げ、あかりひとつない闇のなかを滑るように移動していく。
夜半の月が頭上で煌々と光る。
影絵めいて黒く浮かび上がる木立のすきまを縫い、弔は少年を抱えたまま苦もなく闇を駆けた。
鞄とランプを胸のまえに抱えた少年が驚嘆の声を上げる。
「すごいや、風に運ばれてるみたい……!」
「怪我して野宿する羽目になりかけてたってのに、お気楽な奴だな」
弔が鼻を鳴らすと、腕のなかの少年は無防備な顔で笑った。
「救けてくれて本当にありがとうございます。えっと」
……弔だ」
「弔さん。僕、出久っていいます」
ランプに照らされちいさな星屑を散らしたように輝く緑の瞳。
まっすぐ自分を見上げてくるそれが妙にまぶしくて、弔は口を引き結んだ。



それから一週間ほどが経ったある日のこと。
弔は夜の森で再び偶然出久を見つけた。
出久は今度も一人きりで、ランプ片手にうろうろと歩き回っていた。岩陰や木の根元をのぞきこみ、目印代わりなのか時おり手近な枝にせっせと紐を結びつけている。
そのようすは熱心に何かを探しているふうだった。
「何してる」
「うわあぁ!?」
背後から弔が声をかけると、出久は飛び上がって悲鳴を上げた。
全身を強ばらせてふりむき、声をかけた相手が弔だと気づいてほっとした顔になる。
「弔さん!こんばんは」
「足、もういいのか」
「はい。おかげさまですっかり良くなりました。弔さんは今日も散歩ですか?」
弔はかるくうなずき、出久に胡乱な目を向ける。
「おまえはなんでまた、わざわざ夜にこんなところ来てんだよ。懲りねぇな」
弔の問いかけに出久はちょっと言葉に詰まり、どこか遠慮がちに答えた。
「それは、その……キノコを探してて」
「は?」
「ひ、光るキノコを」
「光るキノコ?」
ますます不審げな顔つきになる弔を見て、出久はあわてて言葉を継いだ。
「このあいだ手に入れた本に載ってたんです。春の終わりから夏のはじめにかけて……ちょうどいまぐらいの時期に温暖な地域の森で見られるそうで、そのキノコを粉末にして飲めば医者いらずの体になるだとか、一説では万病に効くともいわれてるそうです。だけど見た目はそこらに生えてるキノコと変わらないらしくて、唯一見分ける方法が夜になったら光る傘の部分で」
「わかった、もういい」
怒涛の勢いに若干頭痛すらしてきた弔は、片手を振って出久の話をさえぎった。
「で?そのへんてこなキノコを見つけるために、おまえは夜な夜な森をうろついてるってわけか」
「はい。僕の家、町で薬屋をやってるんです。それで僕もいろいろ薬のこと勉強したり研究してて……でも店や市場でぜんぶ素材をそろえようと思うとお金がかかるし、そもそも市場ではなかなかお目にかかれないものもあったりして、そういうの、自分で探してみればいいんだって思ったんです」
柔らかな輪郭を持つその頬にかすかに赤みがさしていた。
「まだまだ未熟だけど、僕もいつか多くのひとの役に立つような薬をつくりたいんです。そのためにいろんなものを見て試して、そこからたくさん学びたい」
出久はまっすぐな瞳でそんな夢を語った。
夜の森を恐れ気もなくうろつく者はそういない。闇にひそむ危険や脅威を、皆小さいころから親や教師にくり返し教えられるためだ。
しかし出久は青臭い夢と探究心に突き動かされ、危険も顧みず森に入ってきた。
一見大人しそうな風貌に似合わぬその無鉄砲さが弔にはどこかしら愉快に思え、だからなのだろう。
「手伝ってやろうか、キノコ探し」
必要以上に関わりを持つつもりなどなかったというのに、気づけば弔はそう口にしていた。
「へっ。ほ、ほんとですか?」
「ああ。どうせ暇だしな」
弔は答えながら、このあいだ出久を抱えて森を駆けた夜のことを思いだす。
あのとき出久に手を貸すきっかけとなった、二切れのサンドイッチ。その味はなんとも忘れがたく、あの夜腕のなかできらめいていた緑の瞳と同様、弔の頭に鮮明な記憶を残していた。
「その光るキノコとやらが見つかるまで付き合ってやる。代わりにおまえは俺の分まで“夜食”を持ってこい」
弔の出した交換条件に、出久はきょとんと瞬いた。
「それはぜんぜん、かまいませんけど……
「よし、決まりだ」
出久の表情がぱっとあかるくなる。もさもさした緑頭を下げ、よろしくお願いしますと声をはずませた。

それから二人は毎晩のように「光るキノコ」を探して森中を歩き回った。
出久が本から得た情報によれば、そのキノコが生える時期は春の終わりから夏のはじめと限定的だ。
徐々に日は長くなり、季節は夏へと傾きはじめている。あまり悠長にしている暇はないようだった。

「なかなか見つからないなあ」
数日後の夜。
この日も手分けして広大な森を散策したあと、休憩のために大きな切り株へ腰を下ろした出久がため息を吐いた。
「そう易々とは見つからないだろ。光る植物なんて、そんなもんが地面からボコボコ生えてたら気味が悪くて仕方ない」
「でも、なんだか弔さんに申し訳なくて。こんなに毎晩手伝ってもらってるのに」
出久は捨てられた犬のようにしおれている。耳と尻尾が生えていたら、それもきっと力なくうなだれているにちがいない。
弔は出久のつくってきた夜食(うすくもちもちした生地で肉や野菜などの具材を巻いたものだ)を食べながら言った。
「どのみち本格的な夏が来るまえにこの森すべてを調べて回るのは不可能だ。運が味方してくれるよう祈るしかないな。光るキノコなんてものが、もし本当に存在するならの話だが」
弔がわざと意地悪く言うと、出久はキッと顔を上げた。
……ありますよ、ぜったいあります!僕が見つけてみせますから!」
そう宣言し、気を取りなおしたようすで出久は夜食を頬張った。
塩鶏の旨味と野菜のみずみずしさ、シンプルな味わいが口内にひろがり、出久は満足げにうなずく。
「今日の夜食はどうですか?」
「まぁ悪くない」
いつもおざなりな返答しかよこさない弔だが、それでも出久はうれしそうに笑う。
切り株にならんで腰かけ自分とおなじ食べ物をぱくついている出久の横顔を、弔はなんとなしに見つめた。
吸血鬼である弔にとって、人間の血以外は本当の意味での食事とはなり得ない。
これまで食べてきたものはおしなべて紙のように味気なく、だから弔にとっての食事とは一時しのぎであり単なる人間の真似事であり、そしてささやかな抵抗にすぎなかった。
そこに喜びや楽しさなどあろうはずもない。
けれど出久のつくる“夜食”はこれまで食べてきたものとはちがった。
言うなればちゃんと「味がする」のだ。
ひと口食べ進めるごとに新鮮な驚きと感動が弔の胸にあふれる。
底なしの空腹感を忘れることはできなくとも、なにかひどく温かいものが食道を通り胃を満たし、巨大な虚の片隅へひっそり積もってゆくような。それはなんとも不思議な感覚だった。
使われる食材はごくありふれたもので、べつだん凝った料理だというわけでもない。それなのにどうして出久のつくったものだけが特別なように思えるのか。
どれほど考えても答えは見つからなかった。
それでも出久と食事をするこのひとときが、弔にとって単調な日々の彩りになりつつあることは疑いようのない事実だ。
「今度は何が食べたいですか?」
別れぎわ、出久は弔にたずねた。
瞬く弔に面映そうな笑顔が向けられる。
「といっても、あんまり手が凝んだのはつくれませんけど……。弔さんいつも綺麗に食べてくれるし、薬材探しのついでとはいえ夜の森でピクニックするの、僕すごく楽しくて。料理は正直あまり得意じゃなかったんですけど、最近はわくわくしながらつくってるんです」
「ふーん」
「それでその、弔さんからも何か夜食のリクエストがあれば」
弔はしばらく考えてから、素直に自身の希望を述べた。
「おまえがつくるものならなんでもいい」
その言葉を聞いた出久はまんまるく目を見ひらき、一瞬すべての動きを停止させた。
二人のあいだに沈黙が流れる。
するといきなり出久が動いた。ばっと両腕を上げたかと思うと、顔のまえですばやく交差させる。
顔を隠したまま細いうめき声を上げる彼に弔は首をかしげた。
「どういう反応だよそれ」
「い、いまぜったい人に見せられない顔してるので……。すみませんけどちょっと放っといてください」
「わかった」
「いやちょっ、ぜんぜんわかってない!やめてください見せられないって言ってるじゃないですか!」
出久の大声に驚いたのか近くの木の枝から鳥が一斉に飛び立ち、森はにわかに騒がしくなる。
どうやら盛大に照れているらしい出久をからかっていると腹の底から心地よい愉悦がこみ上げてきて、弔はずいぶん久しぶりに声を立てて笑った。

真夜中近く、住み家へもどってきた弔は入口の戸を開けかけた手をふと止めた。
わずかばかり鼻にしわを寄せ無言で扉をにらむ。
数秒その場に佇んでから、乱暴に扉を開けなかへ踏みこんだ。
「あっ弔くん!お久しぶりなのです!」
場違いなほどあかるく間延びした声に出迎えられた弔は、開けた扉を音立てて閉めた。
留守中に忍びこんでいた不届きな侵入者へ、鋭い視線を向ける。
「トガ。人んちへ勝手に入るな」
「えー。だって弔くんがいつ帰るか分からないのに、お外で待ってるの嫌です」
そう言って唇をとがらせるのは、淡いはちみつ色の髪を頭の両側で彼岸花に似たかたちに結った少女である。彼女の悪びれない態度に弔は長いため息を吐いた。
「ったく。おまえといい荼毘といい、居所を教えた覚えもないのに突然押しかけてきやがって。こっちの都合はお構いなしか?」
壊れかけたソファへ腰を下ろし、嫌味をたっぷり込めた声音で弔は言う。
しかしトガという名の少女はひるむどころか、頬をふくらませずいっと詰め寄った。
「弔くんなんにも言わずに、急にお引越ししちゃうんだもん。運良く荼毘くんが引越し先を知ってて教えてくれたから、こうして会いに来れたんですよ」
「別に会いに来てほしいなんて頼んでねぇよ」
「もー、素直じゃないですねぇ。にしてもボロボロでステキなおうち!いつもこのソファで寝てるんですか?ここお風呂とかあります?」
「うるさいな……。騒ぐなら出てけ」
かしましく喋る少女に対し、弔は煩わしげにソファの背へもたれた。
すると冴えた金色の瞳が上からのぞきこんでくる。
「弔くん、また痩せた気がします」
切りそろえた前髪がさらりと揺れる。
その下からのぞく目は硬質に光っていた。
血色の良い唇からひそやかに言葉が紡がれる。
「血、やっぱり飲んでないのですか」
自分とおなじ、夜の眷属である少女の目を弔は静かに見かえした。
それを首肯と受け取ったトガは黙って弔からはなれ、窓辺へ歩み寄る。そうしてくるりとふりむき、弔へ問いかけた。
「森でいっしょにいた男の子はお友だちですか?」
そう言われて思い当たる人物など一人しかいない。
「見てたのか」
「ここへ来る途中で見かけたんです。カァイイ子だったなぁ。私もお友だちになりたいです」
鋭い牙をのぞかせながらトガは無邪気に笑う。
「別に友だちじゃないけど」
トガにそう返しながらふと、出久のほうはどう思っているだろうという考えが頭をよぎった。
しかしすぐに馬鹿らしいと思いなおし、弔はトガに話を振る。
「友だちといえば、おまえあの子とはどうなった」
「あの子って、お茶子ちゃん?」
「あー……たしかそんな名前の」
室内の空気がふっと揺らいだ。
瞬きのうちにトガのすがたが消えたと思えば、代わりにそこには茶色の目をした優しげな顔つきの少女が立っている。
「お出かけしてくるって言ったら、途中でお腹がすくといけないからってお茶子ちゃん ・・・・・・がくれました」
少女は右手に持った小瓶を振った。
底にほんのすこし残った赤い液体が窓から射す月の光を受け、艷やかに揺れる。
それを見つめるうっとりとしたまなざしは、トガが見せる表情とそっくりだ。
それもそのはずで、トガは血を飲んだ人間に変身できるという能力を持っていた。
吸血鬼たちのあいだでは「個性」とも呼ばれることのあるその力は、さまざまなかたちで顕現する。
たとえば荼毘は人間の血を摂取することで、高威力の蒼い炎を体から放出することができる。
弔にも一応「個性」が宿っているのだが、血を飲まないために弱体化しほとんど使いものにはならない。
弔とちがって「個性」を上手く使いこなし、別人の――お茶子という少女のすがたになったトガは、血の入った小瓶を大事そうにしまう。
「お茶子ちゃんたら今日だって私がここまで来るのに、ひとりじゃ危ないから自分もついてくるって聞かなかったんです。そういう心配性で優しいところもだぁい好き」
めろめろと惚気けるトガに、弔は話を振ったことをかるく後悔した。
……ああ、そう。仲が良くて結構なことだな」
「うふふ。吸血鬼の私を受け入れてくれたひと、お茶子ちゃんがハジメテです」
トガはここからさらに南へ下った場所にある、ちいさな町に住んでいる。そこで知り合ったのがお茶子だ。
ふとしたきっかけで友人となった彼女に対し、トガは悩み抜いた末に自身が吸血鬼だということ、生きていくために人間の血が必要であることを打ち明けた。嘘いつわりのない関係を築きたい一心だったが、こころのどこかでは諦めてもいた。
吸血鬼である自分を受け入れてくれるはずはない。きっとこの告白が友情を壊してしまうだろうと。
「嫌われちゃうかもって思ってたから、あのときお茶子ちゃんが言ってくれた言葉、本当にうれしかった」
――血が必要なら私があげる。吸血鬼だってなんだって、ヒミコちゃんはヒミコちゃんやろ。私は大事な友だちと、これからもずっといっしょにいたいよ。
「はぁ……お茶子ちゃん、強くてカァイくて優しくて、世界一かっこいいです……。ね、弔くん」
「あ?……あー、ハイハイ、そうだな」
弔の適当な相づちにもトガはうれしそうににっこり笑う。
「やっぱりお話するなら弔くんですね。これが荼毘くんなら私の話の途中で「その話は何度も聞いた」とか「惚気なら聞かねェぞ」とかぜったい言うもん」
「何度もおなじ話してる自覚あるなら改めろよ」
「だから、ねぇ弔くん」
話を聞かないトガにうんざりした顔を向ければ、彼女はほんのすこし瞳を陰らせていた。
「いなくなってほしくないです」
切実な響きに、弔はとっさに言葉に詰まる。
トガはじっと弔を見据えた。
――あの子には何も話さないんですか」
……出久に?話すって何を。自分は吸血鬼で、ヒトの血を飲まなきゃ腹が減って仕方ないから、血をくれって?」
弔は嘲るような調子で言った。
「受け入れられるわけがない。俺の正体を知った出久がもし町で騒ぎ立てれば、町中の人間から追い回される羽目になるのは目に見えてる」
この世界にいったいどれだけの数の吸血鬼が存在するのか、正確なところは弔も知らない。
とはいえこれまで数十人とは邂逅した経験があり、そのなかには正体が露見し、人間から迫害された吸血鬼も少なからずいた。
吸血鬼の身体能力は人間のそれより優れており、血を飲むことでさらに強化され「個性」も発揮できるようになる。
しかし不死というわけではないし、人間たちが束になってかかってくればさすがに苦戦を強いられる。
何より最大の弱点である日光を浴びればひとたまりもないのだ。
必要以上に人間と関わった吸血鬼はたいていが悲惨な末路をたどり、トガのように人間と友好関係を結べる例などめったにない。
半分背を向けかけている弔に対し、トガは熱をこめて訴える。
「でも、だって。このままずっと誰の血も飲まなかったら、弔くん死んじゃいます」
「それがどうした。俺が死のうが生きようが、おまえに関係ないだろ」
突き放すような物言いにトガは息を飲む。
沈黙が室内に流れ、弔はため息を吐いて外へ出ようとした。
「帰ります」
静かな声で、けれどきっぱりとトガが言う。
「だけどまた来るから」
「来なくていい」
「弔くんと恋バナしに、また来ます。何回でも来ますから」
「はぁ?しねぇよそんなの。おいトガ」
意固地に言い張り、弔の声を振りきってトガは外へ飛びだした。
扉が閉まり足音が遠ざかっていく。
家を出る間際一瞬だけ見えた少女の横顔には、悲しみとも怒りともつかない表情が浮かんでいた。
その表情が妙に引っかかり、弔は再びため息を吐いて髪をぐしゃぐしゃと掻き乱した。