嘘ドラロナ まとめ

過去作 まとめ
全年齢。




 君への愛を言い訳にして



『少し休んだら? 予定より随分進んでるだろ? ほら、あそこにあるビル、無事そう』
「さっき休んだばっかりだろ」
『君のさっきって六時間三十四分前まで遡るの? 君が動いてるってことは私もめっちゃ頑張らなきゃならないんだからさぁ。休ませてよ』
……わぁったよ」
 慎重に足を踏み入れたビルは所々が崩れて鉄骨が剥き出しにはなっているものの、床は大きく傾いたりもせず、奇跡的にビルの体を成していた。けれどドラルクは少し後悔してしまう。ここでは暖が取れない。壁の塗装も何もかもが剥がされたむき出しのコンクリートはその内に冷気を溜め込んでいて、ロナルドの分厚い革製のブーツ越しでも底冷えを伝えてくる有様だった。
……元はなんだったんだろうな」
 一方のロナルドは特段気にすることなく、入ってすぐの二階への階段を見上げている。恐らくは単なる雑居ビルだろう。かつてロナルドが構えていた退治事務所の入っていた、何の変哲もないビルに作りが似ていた。
 ダンピールほどではなくとも強力な高等吸血鬼のものであれば、今やロナルドの心臓と化したドラルクであっても幾らかは気配を察知できた。まして同じ血族ならばその精度はより高くなる。しかし少なくともこの殆ど荒廃した街中にそんな気配は無い。やがてロナルドは懐のグリップを掴んでいた手を降ろし、壁伝いに階段を登っていった。
 何とはなしにロナルドの足は三階まで登っていき、そのままそのフロアにつま先が向けられた。真っ直ぐ伸びる短い廊下。見れば、左手に何かの会社事務所でもあったのであろうドアが見える。ロナルドは特段歩調を変えることも無く、そのドアの前まで行き、そっとドアノブを捻った。
 中は雑然として、埃っぽい。やはり何かの会社の事務所だったのか。半壊したデスクと、引き出しが床に散らばっている。真ん中には足の折れた来客ソファー、壁にはこの崩壊した街のかつての姿を写した写真と地図、そして数年前のカレンダーが貼り付けられていた。事務所そのものはこの一室で終わっているらしく、手狭な印象を与えてくる。
 ふぅとロナルドは息を吐いて、部屋に足を踏み入れ中程まで進んだところでぐるりと頭を巡らせて隅々まで観察する。幸い何か隠すような、或いは隠れられるような場所もない。入口は先程入ってきた場所だけで、窓にはベニヤ板が打ち付けられてあった。
 ロナルドは一通り安全を確認したところで漸く肩の力を抜き、背負っていた荷物を床に落とした。他のところを探索する気は無いようで、ナイフ、ロングジャケットの下に背負った斧、懐中電灯や殺鬼剤入煙幕弾の入ったポーチなどが次々床に下ろされていく。
「歩く武器庫だねぇ」
「はぁ、軽くなった」
 ドラルクが心臓になってからというもの、ロナルド自身も以前より吸血鬼の気配に敏感になっているからなのか、それともあの「円卓」を相手取ってきた経験によるものなのか。ともかくこの建物はこれ以上神経を尖らせて見て回る必要はないと判断されたようだった。それでも、ガンホルダーだけは外されなかったが。
 しかし、やはり底冷えが酷い。カラーボックスやらタンスやらがあれば壊して薪の材料にできたものを、この部屋からそれらは持っていかれた後のようだ。
『何か燃やせるもの、探さないと』
「いい、火種も切らしちまってるから」
 そう言ってロナルドはソファーに掛かっていたソファーカバーを掴む。ぶわりと埃が舞って、更に無遠慮にばさばさと振り回すとロナルドはそれを自分の肩にかけ、足が折れて傾いたソファーに腰を下ろした。
 荷物の中から乾物の食料が取り出される。ロナルドは水筒からほんの一口だけ水を飲んでゆっくりと口内を潤したあと、袋の中で中身を二つに折ってから封を切る。一欠片、味気ないそれをゆっくりと咀嚼しながら、ロナルドはもう一度部屋の中を一瞥した。
……なんか似てるから……帰ってきたみたいだ」
 その一言が口にされると、ロナルドの表情から張り詰めたものが抜けて落ちていく。ドラルクはそれに言葉では応えず、自身の塵をふわりと宙に浮かせてロナルドの周囲に漂わせた。
……食べたら少し寝なよ』
「なぁドラ公」
『なんだね』
「唐揚げ、食いたい」
……無茶言わないでおくれ』
 出会った頃、かつてほんのわずかな間、ロナルドの事務所で過ごした時に、たった一度奇跡的に手に入った鶏肉をロナルドはただ火にかけて焼いて食べようとしたのを慌てて止めた事があった。あるもので、なんとか唐揚げらしいものを作ってやって以来、ロナルドは時々それを食べたがる。ドラルクの前でだけ。
「また肉が手に入ったら食えるのか?」
『材料があって、私の言う手順の通りに君が作れるなら』
「できる気がしねぇし、お前が作った方が美味いんだろうな」
 唐揚げとは似ても似つかない食感と味を、ロナルドはごちそうでも食べるかのように味わい、飲み込んだ。
 水をもう一口飲んで、口の中を濯いだロナルドが、ふと思いついたように漂う塵を見上げる。
「そういやさ……お前、俺が寝てる間何考えてるんだ?」
……何も?』
「嘘つけ」
 なんでもない事のように言いながら、ロナルドはソファーカバーを体に巻き直し、ボロボロの革のソファーに身体を横たえた。ドラルクに視界は無いが、ロナルドの青い目が浮かぶ塵を追いかけているのが何故か分かる。寝物語を求めるように、ロナルドがまばたきをした。
 ロナルドの睡眠時間は短い。長くても、この敵地のど真ん中では三時間と眠っていられないことが多い。
 それでも、睡眠を必要としなくなったドラルクはいくらかでもロナルドが速やかに、深く、安らかに眠れるようにと、心臓の脈動を穏やかにしようと心がけていた。悪夢で起こされてしまうことだけは止められなかったが。
 そんな中で考えていることなど、たった一つ、とは言いがたかったが、全てはひとつに帰結していく。
…………
 ドラルクが結局答えられずにいると、ロナルドが何かを勝手に察したようにふはっと笑った。
「ホントお前って、俺の事好きだな」
『は?』
 唐突な言葉に動揺して、思わず穏やかに動かしていた心臓を跳ねさせてしまう。ロナルドがうぉ、と驚いて胸を抑えたので、ドラルクは慌てて平静を取り戻そうと努めた。
『き、君、さては相当眠いんだろ、早く寝なさいよ』
「当ててやるよ。自分の家族や師匠のこと考えてるだろ」
……なんでそう思うの?』
「俺も、兄貴のこと考えるから」
 ドラルクに喉があれば唾のひとつでも飲みこんでいたかもしれない。ロナルドは帽子を取ると形が崩れるのも気にせず、枕代わりに顔の下に敷いて、先まで規則的に動いていた塵が落ち着きなく散り散りに動き回るのをくすくすと笑って眺めた。
……きっと、数日以内に兄貴が来る」
 こんな話をしたのはその予感からのようだった。予感と言うよりも、ロナルドは確信しているようだったが。
……分かるの?』
「うん。お前の心臓だからかな? 兄弟だから?」
『後者なんじゃない』
「そうかな、そうなら嬉しいな」
 取り留めのないロナルドの話が続いていく。しんと鎮まったビルの一室の中の、たった一つの熱。ロナルドが手を伸ばすので、ドラルクは塵を集めて指先に纏わせた。その指の先まで血潮が通っている。ドラルクが、そうしているから。
「多分、兄貴は真っ先にお前を殺しにくるぜ」
『え、怖……私どんだけ嫌われてるの?』
「兄貴がお前のこと嫌いなのは、前に兄貴が言ってたと思うけど」
……挨拶にも来ないでとか、あれ……?』
「それ」
 何度かの邂逅と戦闘の中で、確かにヒヨシはドラルクに対して敵意を剥き出しにしてそんなことを言っていた。思い出して、ドラルクはあまりの恐怖に与えた心臓が止まるような思いになる。それを察してかロナルドはまた笑ったが、口調を真面目なものに戻してドラルクに聞くように促した。
「だからこれは、真面目な話な。絶対にお前を一番に狙いに来るんだ、兄貴は。だから、どうしたらいいかちゃんと考えろ」
……うん』
「よしよし」
 胸の上から撫でられる感触は不思議なもので、この男とは一度も抱き合ったことなどないのに、ドラルクの中にある家族たちとのかつての記憶から、勝手に、さながら夢想でもするようにロナルドに変換させる。
 思わず求めようとして、塵がロナルドの身体を包むことを止められない。かつてあった五感も体も、血族も捨て、このたったひとつの生命を永らえさせると、選択したくせに。
『ロナルド君』
「ん」
……その、触ってみても、いい?』
……エロ砂」
『っぐ……
「触るってどうすんだよ」
 やってみろよ、とまるでロナルドは組み敷かれることを許すように、身体を仰向けにして見せた。
 見えるはずもないその光景を、脳も眼球もない自分がもはやどこで思い描いているのか、ドラルクには実の所分からない。
 これがただの想像上のものだったら。今でもあの古城でジョンと共に全てを諦観しながら終末の時を迎えようとしていたドラルクの夢ならば、もしかするとその方がずっとよかったかもしれない、と思う。
 ドラルクはそれでも、目の前で自分にその身を晒すロナルドに手を伸ばさずにはいられなかった。服裾から塵を滑り込ませていく。
「っ、くすぐった……
 今はただ肌を撫でることしか出来ず、ロナルドはこそばゆさに笑った。塵のままではその滑らかさも、弾力も、熱も知り得ない。分かっていたことだ。
「っはは、脇腹、やめろって」
……この辺は?』
「ふはっ、ばか」
 それでもこんな戯れに付き合って、ロナルドが笑ってくれているのが嬉しかった。年の頃を思い出させるこの笑い声や表情を、あの兄は覚えていないのだろうかなどと傲慢な考えが過ぎる。自分もそれを奪い続ける側だというのに。
……終わり?」
 ロナルドの身体が戯れによってほんの少し温まった頃合いを見て、ドラルクは塵を引かせた。名残惜しそうなロナルドの唇に、塵を掠めさせる。
『ありがとう、もう、おやすみ』
……ん、おやすみ」
 銀縁が落ち空色が隠され、その薄い瞼をもう一度塵で撫でた。ドラルクはロナルドの身体を巡る血液をなるたけ温めたいと思って、その日は冷たい氷のこと、大きな優しい手のことを考えまいとしたが、結局は難しい事だった。
 本当は、かつてのあの事務所とは似ても似つかない酷く冷たい部屋の中。眠るロナルドを覆うように、塵はいつまでも部屋の中を子守唄のように漂い続けていた。






🌊WB