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夜之 夢
2021-08-15 20:03:51
12828文字
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アズジェイの「6センス」パロが読みてぇ~~!
【注意!】フロくんが死んでる(幽霊)の世界線
※ダイジェストです
1
2
依頼者の名前は女性名だった。アズールが『事務所』を構えているこの国の、郊外に住んでいる主婦だという。アズールの元に送られてきたメールには「郊外に住んでいる」というぼかした情報しか書かれていなかったが、この国で郊外に住む主婦というならばそれなりに裕福で、なおかつ日々に退屈しているに違いない。
てっきりその層に度々ある『ヒステリー、あるいは日常化した精神的なストレスによる認識の歪み』による相談事かと思ったのだが、依頼者が相談したい内容とは、自分の息子についてだという。
これは話を聞いてみる価値がある、と判断し、アズールはすぐに返信のメールを打った。詳しいことをお聞きしたい、という旨の素っ気ない文面に対し、彼女がさらに返してくれたメールは挨拶から内容まで丁寧な文面で、ますますアズールの興味をひいた。
相談内容はこうだ
――
今年で7歳の息子の様子が、どうもおかしい。実は自分には双子の息子がいたのだが、8ヶ月前、その双子の兄の方が事故で死んでしまった。そのことを家族全員今でも嘆き悲しんでいるが、特に弟の方は事故現場に居合わせたせいでショックも大きく、しばらくはPTSDの症状も見られた。だが、最初はPTSDのせいだと思われたその様子が、どうもおかしい。というのも、物音に過敏に反応し、常に何かに怯えては、時折悲鳴をあげて地に伏せるようにして蹲ってしまう。そうなると自分や夫が宥めてもまったく効果は無く、そうして、嵐や何かの化け物をやりすごすかのように、息を殺してじぃっとしている。ようやく落ち着いたとみられる頃に何があったのか聞いても、青い顔で震えながら首を横に振り、決して口を開いてくれない。最近になって自分が涙ながらに「何がこわいのか教えて」と2時間かけて説得して、ようやっと息子がこぼした言葉が
――
死んだ人が見える、ということだった。
■
目的地であるはずのその建物を前に、アズールは二度も手元のメモと、目の前の建物を見比べた。それほどまでの豪邸だった。郊外としか聞いていなかったため油断していたが、なるほど、ひとくちに「郊外に住んでいる」と言っても、それだけ土地を広く使って大きな家に住みたい者、あるいは都市部の家賃など払いたくないと考える者など、住民の『層』は様々だ。
はたしてこれは「当たり」とみなすべきか、あるいはとんでもない「はずれ」か。
アズールが豪邸を見上げながらそんな事を考えているうちに、豪邸の、玄関と思しき扉が解錠の音を立てた。門から扉まで、5メートルは離れている。そのせいで解錠の音はどこか遠く聞こえた。
やがてそろりと開かれた扉から、気品のある女性が姿を現した。門の前に立つ
――
おそらくは「不審者」である
――
アズールの姿を見て、その顔が一瞬、すがるような安堵を見せる。
依頼者本人に違いない、とアズールは判断した。
■
子供は、『リビング』と呼ばれたバカ広い部屋にいた。本革張りのふかふかとした椅子で膝を抱え、頭から全身をすっぽりと毛布で覆ってじっとしていた。世界をすべて拒絶するかのような、あるいは見えるもの全てを恐れるかのような。
「ジェイド」
扉を開いた母親
――
依頼者がその名を呼んでも、返事すらしない。
「ときどき、こうなるんです
……
」
力無い声でアズールにそう説明した依頼者は、もう一度椅子の上のふくらみにむかって声をかけた。
「ジェイドさん。お客様ですよ」
その言葉に反応したように、椅子の上のふくらみがビクリと跳ねた。怯え、あるいは明確な拒絶。そうとわかる反応であったし、そうでしかないとわかる反応だった。
子供は、おそらく、その毛布の中でイヤイヤとするように首を横に振ったらしかった。すっぽりと覆った毛布が左右に揺れたので、アズールはそう判断した。『中身』が一切見れない状態では、子供の表情どころか外見もわからない。「ジェイドさん、」宥めるように呼び掛ける依頼者の横から一歩前に進み出て、アズールは一つ小さく息を吸った。
「こんにちは」
子供をこれ以上怯えさせないように意識して、できるかぎりやわらかな声で、ゆったりと発音する。
アズールの努力が実ったのか、その逆か。子供は途端に、びしりと体を固まらせたらしかった。毛布のかたまりが瞬間的に揺れて、以降、いっさい動かなくなる。
アズールが依頼者を振り向くと、依頼者はそれでアズールの意図を理解した。
「構いません」
どうぞ、と手のひらでリビングの先を促され、アズールは一歩、また一歩と、ゆっくりと歩みを進める。子供といきなり距離を縮めるようなことはせず、二歩進んだ時点ですぐに足を止めた。
「こんにちは」
二度目の挨拶をする。
「はじめまして。僕はアズール・アーシェングロットといいます。今日はきみの、お母様に呼ばれてここへ」
毛布のふくらみは反応しない。じっとしている。
気にせず、アズールは問いを重ねた。
「きみと話がしたいんです。
……
近くに行っても?」
子供は反応しなかった。
そのせいで、アズールはどうすれば良いかを悩んだ。ここで一歩進んだ瞬間に悲鳴をあげられるか、あるいは何も起こらないか。そのどちらかを考えたが、答えは予測できなかった。しかし、言ってしまえば子供の反応はそのどちらかに限られる、ということになる。ならばと意を決して、アズールは口を開いた。
「きみの、近くに、行きますね」
言葉を区切って、いまだ姿を見せていない子供へと言い聞かせる。ゆっくりと一歩を踏み出し、そっと、けれど足音と振動が伝わるようにして子供へと近付けば、子供はやはり、何も反応しなかった。
ぎりぎりの許容、とアズールは判断する。
■
(アズールの眼鏡について)
「それ」
それ、と子供が指さしたものが何であるか、アズールは一瞬わからなかった。子供の白く小さな指は、遠慮がちにアズールの顔に向けられていたからだ。おそらくだが、あの母親が『人を指さしてはいけない』と丁寧に教育したのだろう。彼は人を指さすことを躊躇っている様子だった。
「どれ?」
アズールが問い直すと、子供は、自らの顔の目のあたりに手を当てた。ちいさな手がぺたりと目の下のあたりに当てられ、そのオッドアイがじっとアズールを見つめる。
「目のやつ」
「あぁ、眼鏡ですか?」
答えながら、アズールはそれを外してやる。この眼鏡はアズールにとって特別なものではあったが、それを外すことに対してさほど躊躇いは無かった。
右手だけで眼鏡を持ち、少し持ち上げるようにして子供に見せてやれば、子供はその眼鏡を見つめ、そして不思議そうにアズールを見た。
「目が、わるいんですか?」
「いいえ」
「目がわるくないのに、めがねを?」
「
……
目が悪い、と言えば悪いのかもしれません。ただ、実際のところ視力に問題は無いんですよ。困るほどに」
子供が首を傾げる。無理も無いことだった。アズールは苦笑して、眼鏡をかけ直した。レンズに触れないようにしながらも、レンズごしに指先で自らの目を指し示す。
「見えすぎるんです」
アズールが子供に説明したことは全て事実だが、この事実をアズールが自分から他人に話すのは初めてだった。
■
(アズールとイデア・シュラウドの関係)
「だからさ、何ッ回も言ってるけど、僕はキミとは真逆の位置にいるし、その位置にいたいの」
「科学的な?」
「そう、科学的な! 超常現象、心霊現象なんてくだらない、有り得ない! あんなのは人間だけが「見えた」と思い込む幻覚で、記憶なり視界なり意識なりのバグみたいなものなんだってば!」
イデアはそう怒鳴るが、何を隠そう、アズールの特製メガネを設計・製作したのはこのイデア・シュラウドだ。今だってイデアは、霊的存在を否定しながらも、その手元ではアズールの眼鏡を検査し修理をすすめているというのだから、よくわからない状況だった。いつものことなのだが。
「大体さ、アズール氏わかってる? 拙者がこの眼鏡を作ったのだって、アズール氏が言うところの『視える』ってやつを否定するために作ったんですぞ?」
「ええ。おかげさまで助かっています。それがないと、相手が生きているのか死んでいるのかもわからない」
よほど形が崩れていれば一見してわかるが、今の世の中ではクリーチャーのような外見をしている死者のほうが珍しい。殺されたり事故で死んだ者などは特に「死んだ」という自覚がないため、ごく自然な感覚で「元の自分」の姿をとることが多く、アズールからすればそういった存在は特に厄介だった。
■
(アズールが来てから、ジェイドの初めての霊との接触)
ジェイドの甲高い悲鳴が窓ガラスを越えて室内にまで聞こえてきたのは、その時だった。
「ッ
……
ジェイド!」
持ち上げかけていたティーカップを叩き付けるようにして置き、椅子を蹴り飛ばして立ち上がる。傾いだ椅子が床に倒れ込むよりも早く、アズールはキッチンの扉へと向かって駆けた。それを勢いよく掴み開け、庭へと続く廊下を走る。
「ジェイド!」
叫んだのは、ジェイドに向かって「今自分がそちらに向かっている」と知らせるためだった。おそらくは恐慌状態であろうジェイドが、その声を聞き取れたかどうかは別として。
長い廊下を全速力で駆けながらも、アズールはジャケットの胸ポケットからペンを取り出す。それとなく魔法石がとりつけられた、万年筆を模している、アズールのためのマジカルペン。ゴーストに対しても、それ以外の霊的存在に対しても唯一有効な手段だ。それでいて決定的な解決にはならない手段。だが今は何でも良かった。とにかくアズールは、庭で泣き叫び蹲ってしまったであろう子供を、ジェイドを、助けなければならなかった。
だって、それが約束なのだから。
彼の母親と交わした契約とはまた別の、アズールとジェイドが結んだ契約だった。
廊下を滑るように駆け抜け、扉を撥ね飛ばす勢いで開け放つ。
庭一面の芝生が午後の日差しに照らされ、アズールの視界を一瞬だけカッと焼いた。瞬きとともにそれを捨て置き、アズールはただ、庭の中央、そこに蹲った小さな体へと手を伸ばし駆け寄る。
「ジェイド!」
あと数メートル、という地点まで駆け寄ったその瞬間。伸ばしていた手の指先が、不自然な冷気に触れた。
ハッとして息を飲む。
反射的に足が止まり、体がそれに追いつかずわずかにつんのめった。それを何とか踏みとどまって、アズールは周囲へと素早く視線を走らせた。
「
……
ジェイド」
息切れ混じりの声で呼びかければ、ジェイドはもう見てしまったのだろう
——
地に額を付けるように蹲った状態で、こくりと頷いた。指先から肩まで、小さな体躯ががたがたと震えている。
ペンを構え周囲を見回しながらも、アズールは一歩、横歩きでジェイドへと近付く。
「
……
『誰』だった?」
霊的存在に心の底から怯え、恐れている子供には酷な質問だろう。理解していたが、アズールはそう問うしかなかった。
案の定、ジェイドは答えない。否、答えられるような状態ではないのだ。ひ、と引き攣った声をあげ、ジェイドは顔を地に伏せたまま、か弱く頭を振った。
「み
……
見ちゃ、だめ、
……
だめ、見ないでください
……
」
「
……
誰を?」
「
……
ま、まだいる
……
」
「
……
ええ。どこに?」
問いながらも、アズールはあいた手で自らの眼鏡に手をかけた。
ジェイドが嗚咽を零し始める。
「
……
ジェイド、目を瞑っていてください」
「見ちゃダメ、だってすぐそこに、まだ、きっと」
「ええ」
そんなことわかっている
――
。アズールの指先に触れたと思われた冷気は、いまやアズールの全身をひたりひたりと撫で始めていた。4月の春、穏やかな昼下がりには明らかに異様な温度だ。
人ならざるものがそこに、すぐ近くにいるのだと全身が警告を発している。
青々ときらめく芝生、穏やかで明るい陽射し。裕福な家庭の、広大な庭。何もかもが『平和』を感じさせるような世界で、けれどアズールとジェイドだけが同じものを感じていた。同じ世界にいて、同じものに対峙していた。
ぐすぐすとジェイドが泣き声を漏らし始める。地に顔を伏せたまま。見えたものすべてを否定して。自らに触れようとする何か達を拒絶して。見えるものすべてを拒否して。世界から目を背けて。その小さな体躯で、傷付いた脆い心で、ただ嵐が過ぎ去るまで耐えようとして。
それを横目で見やり、直後、アズールは眼鏡を取り去った。
そして、
「
――――
」
目と鼻の先。まさしく眼前に。
首に青黒い痣をひとまわりつけた少女が、片方だけひどく腫れあがった目で、アズールを見つめ立っているのを見て。
「っ、」
ぐ、と息を詰めた。
■
(少女の霊をアズールが追い払ってから)
家の中に連れ戻したジェイドは、アズールのコートから手を離す気が無いらしかった。
一度裾を掴まれたそれは、アズールが引っ張ろうが脱ごうがジェイドの手から離されることはなく、ただアズールが「それがいいんですか?」と訊いたところ、こくりとした頷きが返ってきたので、アズールはそれを取り戻すことを諦めた。
ブルーグレーのトレンチコートは去年気に入って買ったもので、それなりに値が張ったのだが、こうなれば仕方ない。
ナントカの毛布、と自分を納得させて、アズールはただ、帰りに羽織るものを考えた。
4月の夜はまだ冷える。コートが無くて凍えることは無いが、身を竦めながら帰路を辿るのは確実だろう。
それでも子供の小さな手がぎゅうとブルーグレーの生地を掴んでいるのは、何だか悪い気はしなかった。
は、と息を吐いて高い天井を見上げれば、ジェイドは向かいの席に座った状態でアズールのコートをますます抱きしめ、その布地に顔を埋めた。
ずっ、と鼻をすする音が聞こえたので、多分涙と
……
鼻水はついたかもしれない。
どうせ着れなかったということだ、と改めてアズールがコートを諦めたところで、ジェイドがぼそぼそと何かを言った。その顔はコートに埋められたままであるので、言葉ははっきりとわからなかった。
「ジェイド? いま、何と?」
アズールが聞き直すと、また、ずっ、と鼻をすする音があり、その小さな肩が引き攣ったように震えた。
「
……
た、
……
」
「
……
た?」
「
……
たす、けて、くれて
……
ぁ、ありが、とう、ございまし、た
……
」
先程かより明瞭になった言葉を前に、アズールは目を見開いて唇を引き結んだ。
涙に塗れてぐずぐずの声だったが、それでもジェイドが口にしたのは確かにアズールに対する礼で、たぶん、アズールがこれまでに受け取ってきた御礼の中で、一番真摯な御礼だった。
なにせ『幽霊退治・心霊現象解決』という仕事はどこにいっても嫌がられる。依頼を遂行してやっと「どうも」と形ばかりの御礼を一言もらうくらいで、これで立ち去れと言わんばかりに料金が支払われるのだ。それでいいとアズールも思っていたし、だからこそ今までこの仕事をやってきたわけだが、それでもこれほど真摯で切実な御礼を言われると、何だか今までの仕事すべてがくだらなく感じられた。
「
……
べつに、いいんですよ」
ふ、と思わずこぼれた笑みをのせてそう返せば、ジェイドの手がますますぎゅう、とアズールのコートを抱きしめた。
■
(フロイドくんの幽霊がアズールのもとに現れる)
「
……
フロイド? フロイド・リーチ?」
『幽霊』が床に『名乗った』字に、アズールは目を剥いた。
「ジェイドの、双子の?」
視線を向ければ、床にしゃがみ込んでいる霊的存在はニヤリと笑ってアズールを見上げる。
悪意は感じられなかった。ただ、悪戯好きな少年を思わせるものがあった。
――
yes
床に綴られた文字が、それだけを端的に答える。
とはいえ、今は真夜中で、室内は真っ暗なままだ。
「待ってください、よく見えない
……
」
アズールが自らの目を擦ると、途端、パッと室内灯が『最大』の明るさでついた。突然の光に、思わずアズールの視界が眩む。うっ、と呻いて手で目を覆うと、けらけらと子供の笑い声が聞こえた気がした。
なるほど、いたずら好きだったとは聞いていたが、事実らしい。
はぁと溜息をつきながらも瞬きを繰り返して目を慣らし、落ち着いたところで床に再び視線を向ければ、そこには血のような赤黒い液体で「yes」が書かれていた。本当の血ではないのはわかるが、悪戯がすぎる。
その文字の隣でピースサインをしている幽霊少年
――
フロイド・リーチの姿を一瞥し、アズールはもう一度深い溜息を吐いた。いたずら小僧め。
「それ、夜が明ける前には消しておいてくださいね」
言いたいことはもう、それくらいだ。
■
(その翌日、一件、霊と遭遇し追い払ってから)
がたがたと震える小さな体を抱きしめ、その耳元に唇を近付け、告げる。
「よく聞いて
……
――
」
ジェイドが恐れているのはよくわかったが、それでもアズールはこの先のことを告げなければならなかった。たとえジェイドを混乱させても、泣かせてしまっても。
だって、そのためにフロイドはアズールの所にやって来たのだ。
大好きで大切な兄弟に、それだけは伝えようと。それだけは知っていてほしいと。
だから、それを託されたアズールは、それを遂行しなければならなかった。
その思いを飲み込むようにして、アズールは口を開いた。
「
……
ジェイドの、兄弟に
……
フロイドに、会いました。昨日の夜に」
瞬間。
ジェイドの体から一切の震えが落ちた。
ぴたりと動きを止めた体は、まるでその瞬間に魂を落っことしてしまったかのようだった。
は、と掠れた息が一つ、小さく小さく聞こえて
――
それきりしんと静かになる。
息すらしていないのではないかと心配になって、アズールは少し乱暴な手つきでジェイドの背をさすった。
まるでそれに促されるようにして、フロイド、と掠れきった呟きが落ちる。
のろりとその顔が持ち上げられ、真っ青な、悲愴な表情の子供が、いっぱいに涙をためた目で、アズールを見つめた。
「
……
フロイドが
……
?」
声はもう、泣き声のせいで歪んでほとんど消えかかっている。
「
……
ええ」
頷いて答えれば、それを合図にしたかのように、ジェイドの両目からほたほたと涙が溢れて落ちた。
それを自らの指で拭ってやりながら、アズールは続けた。
「ジェイド。よく
……
よく聞いてください。あなたの兄弟であるフロイドは、フロイド・リーチは、けっしてジェイドのことを恨んだり、憎んだりはしていません。彼はそのことだけはどうしても知ってほしいと、そのためだけに僕のもとに現れました。あの時のことをまったく後悔してないと。今もずっとジェイドのことが大切で、ジェイドのそばにいると。ジェイドを、悪いものたちから守ると」
夜、アズールの睡眠時間を容赦なく搾取しながら綴られた、フロイドからのたくさんの言葉。ジェイドとそっくりな外見をした子供は、ジェイドとは真逆の態度と表情で、よく笑い、ムッとしてみせ、一晩のうちに様々ないたずらをしかけてきた。ああ彼がジェイドの隣にいたのだ、と簡単に想像できる様子で。
――
オレはねぇ、ジェイドの前には出られないんだぁ。少なくとも今はね。
――
死んじゃってからすぐの頃、一度だけジェイドの所行ったの。ジェイドもオレのことちゃんと見えたみたいでさ。オレすっげー嬉しくて「ジェイド!」って笑ったんだけど。
――
ダメだったみたい
――
ジェイド倒れちゃってさ、熱とか出してうなされて。それからずーっと、自分が死ななかったことを自分で恨んでる。
――
言っとくけど、オレもそれから2回くらいは誤解とこうとしたから。でもジェイドはオレの姿が見えるともうダメでさ。もうオレがうらみごと言いに来たってパニックになって、死ななきゃ~って泣くんだもん。もーどうしようもねーって思って、とりあえず姿見せないようにしたけど。
――
おっさんもそうだけどさぁ、ジェイドって、オレらの姿は見えるけど、声は聞こえないタイプだから。誤解も解けなくて。
――
え、おっさんじゃねーの? あっそ、別にそれどうでもよくない?
いまだ二十代であるアズールのことを「おっさん」呼ばわりした彼はひどく失礼だったが、それでも確かに悪意など持っていなかった。その魂に抱いていたのは、遺してきた兄弟に対する慈しみと愛情で、それは彼にとって何よりも大事なものに違いない。
一晩だけ意思を交わした彼のことを思ってジェイドの体を抱きしめれば、アズールの腕の中で、幼い子供は「うそ、」と悲鳴をあげた。
「うそ、嘘です、嘘だ、だって、だって僕が、ぼくが」
「嘘じゃないし、ジェイドが何かをしたわけでもない」
「あず、アズールは、やさしいから、うそを。ぼくが、あんまりにもこわがるから」
「嘘じゃない、と」
「うそ
……
」
嘘じゃないと言っているでしょう、と返すころには、ジェイドはもう泣き崩れて、言葉らしい言葉も満足に言えないようになっていた。
その体を抱きしめ背を撫でさすりながら、アズールは目を閉じる。
子供は、その小さな体に耐え切れないほどの悲痛と苦しみを背負って、今まさに折れんとしているに違いなかった。暴風にさらされ、土を散らして倒れて折れる苗木のように。
アズールに出来るのは、ただその体が倒れてしまわぬように、抱きしめ支えることだけだった。
■
(2件ほど霊的案件を2人で解決した後。
出会いから1ヶ月くらいたっている)
手を繋ぎ、もう片方のあいた手でぬいぐるみと菓子を抱え持つ子供は、もうただの子供だった。
アズールと同じく、霊的存在が見えるだけの、ただそれだけの、まだ7歳の幼い子供。
アズールがそうであったように
――
『無難に』生きていくことは難しいだろうが、それでももう、世界の何もかもに怯え、見えるものの一切を遮断して拒絶するような恐怖を、彼はもう抱いていない。
「もう怖くない?」
問いかけながらも角を曲がれば、リーチ家の豪邸が姿を現した。このまま歩道を歩み続ければ、あと数十メートルでジェイドの家に着く。
アズールが依頼者と交わした契約は今日で完了とされるだろう。ジェイドとの交流はこれで終わりになる。彼は、これから一人できちんと、何とか生きていくだろう。
「
……
ジェイド。もう、何もかもが怖くはありませんよね?」
せめて「はい」という返事が聞きたくて、ジェイドにそう言ってほしくて、アズールはもう一度問い直した。右手でアズールと手を繋ぎ、左手にぬいぐるみと菓子を抱え持つ子供は、ちらとアズールを見上げたあと、「はい」と小さな声で答えた。
りこうな子供だった。きっと、アズールの願いを正しく受け止めてくれたに違いない。
「良かった」
アズールの呟きを、5月の風がさらっていく。
木々が揺れ、みずみずしい緑葉がささやきあった。葉の間から、夕焼け前のとろりとした陽射しが透けている。
「
……
あの、」
ふと、子供が口を開いた。言いにくそうに。
「どうしました?」
その先を促すつもりでアズールが問えば、子供はむっと黙り込んだ後、眉を下げた表情でアズールを見上げた。
「お別れ、ですよね
……
」
「
……
そうなります」
子供には言いにくい言葉だったが、はっきりさせておかねばならないことでもあった。きっぱりと言ったのち、アズールは微笑んで子供に告げた。
「ただ、『見える』ことに関して今後なにか困ることがあれば、相談にはのれるかもしれません。何とか出来る、とは断言できませんが
……
。何か困ったことがあれば、この連絡先に」
言いながら、アズールはポケットから自らの名刺を取り出し、子供の左手、菓子とぬいぐるみの間にそれを挟み込んだ。子供はハッとしたそぶりで、名刺が落ちないように左手に力をこめたらしかった。「待ってください」そう言って子供が足を止めたので、アズールも止まる。かと思えば子供はアズールから手を離し、あいたアズールの手に菓子とぬいぐるみを持たせると、残った名刺を両手で持ち、そろりと自らのズボンのポケットに入れ直した。「はい、返してください」自分で持たせておきながら、そう言ってぬいぐるみと菓子をアズールから回収し、再びそれを左手に持ち直す。右手はまた、アズールの手を躊躇いなく握った。
「
……
おりこうさんですね」
「名刺は、大事なものだって、父が言っていました」
「
……
ええ、まあ、そうですね
……
」
ぐったりすればいいのか、笑えばいいのかわからない。結局、アズールは苦笑のような曖昧な笑みを作った。少しばかり生意気な子供ではあるが、この子供は本来こういう子供で、これがより良いことには違いなかった。
再び歩き始めながら、ふと思いついてアズールは口を開いた。
「
……
これからのことに困るようであれば、僕の眼鏡を貸しましょうか。ああでも、サイズが違いすぎるか
……
」
子供の顔の小ささを確かめるつもりで改めて子供を見下ろしたが、子供は首を横に振った。
「たぶん、大丈夫だと思います」
「そうですか」
「
……
フロイドが、いてくれるから」
「
……
そうですね」
きっと、そうだろう。今は姿を見せていないようではあるが、そうに違いない。
涙をにじませながらも前を向き、小さく微笑む子供の横顔が、それを肯定している。
きっとこの子供はもう、大丈夫に違いなかった。
少し遠くに見えるリーチ家の豪邸では、たぶん、おそらく
――
アズールのお別れの準備がされている。玄関のあたりで依頼者と思しき女性が出てきて、アズール達に向かって手を振ってくれたのが見えた。
本当にありがとうございました、と涙を滲ませながら何度も頭を下げてくれた依頼者は、門の外にまで出てアズールを見送ろうとしてくれた。至れり尽くせりなことに、『お帰り用の』車まで用意してくれたのだという。黒塗りの立派な車を前に、アズールはリーチ一家と少数の使用人から見送られて去ることになった。
「ほら、アーシェングロットさんにご挨拶して。御礼、たくさんあるでしょう?」
微笑む依頼者にそう言われ、子供が前に出てくる。
既に車の扉は開けられアズールがその傍に立っている状態で、後はアズールが車に乗り込み扉が閉まれば終わり、という状況だった。
子供はその状況でアズールのすぐ前まで歩きやって来て、そうして、子供らしい、はにかんだような表情で笑った。
そのことが何よりもアズールを安堵させた。
「
……
お元気で」
大人に対して言うように、アズールはそれだけを告げた。言葉は端的だったが、その一言に万感の思いをつめたつもりだったのだ。
だが子供はアズールのその言葉を受けた途端にぱちりと瞬きをして、呆気にとられたように笑みを消した。
「え
……
」
聡明な子供ではあるが、まだ7歳だ。やはりここはもう少し「子供向け」に対応するべきだったか、とアズールが悩みかけたその時。
目の前の子供は、にや、と笑って口を開いた。
「アズール。僕、本当はあのお菓子、嫌いなんです」
「え」
子供の後ろで、口に両手を当て慌てて進み出ようとしたのは依頼者だ。それを視界の端でとらえながらも、アズールは目の前の子供から意識がそらせなかった。
子供もそれをわかっているかのように、アズールを見つめたまま言葉を続けた。
「なので、別のものが欲しいです」
まあ、と依頼者の悲鳴じみた声が聞こえ、アズールも思わず表情を忘れた。
だがそれも一瞬のことだ。
何となく、なんとなくこの感じには覚えがある
――
と察して、アズールはそれとなく依頼者に「お構いなく」というサインを送った後、目の前の子供に微笑み直した。口の端がちょっと引き攣りそうになったのは許されたい。
「そうですか。では代わりに何が欲しいんですか?」
「それを」
たぶん、子供は最初から「これを貰う」と決めていたのだ。
すぐさまアズールをびしりと指し、続けた。
「アズールのそのコートが欲しいです」
子供の後ろでは依頼者が倒れそうになっている。依頼者の隣にいるリーチ氏が、表情と手ぶりで「申し訳ない」と謝罪をくれた。
「
……
これを? この前、あなたが鼻水と涙をつけてくれたのでクリーニングに出して戻ってきたばかりのこれをですか」
揶揄いの言葉をつけて返してやれば、子供は少しムッとしたようだった。
だが、子供らしからぬ態度でその苛立ちを抑え込むと、すましなおして「はい」と答えた。
その様子が何だかおかしくて、アズールは怒る気も起きない。
ふは、とふきだすようにして笑って、頷いた。
「いいですよ」
言って、それなりに気に入っていたコートを躊躇いなく脱いだ。
――
本当は、最初から断る理由が無かったのだ。
コートの一着くらい、初めて出来た『小さな友人』にあげて何も惜しくなかった。
これからやっと一人で歩き始めるであろう子供が、それで時々暖を取れるなら、これほど嬉しい事は無い。
だからアズールは、躊躇いなくそれを子供に渡した。
簡単に畳まれ渡されたそれを、子供はしっかりと受け取り、いつかと同じように、ぎゅうと強く抱きしめた。それと同時にアズールを見上げたその目が潤んでいたことを、アズールは知っている。
「元気で」
子供の髪を少し撫でて、アズールは車に乗り込もうと身を屈めた。
子供が慌てたように声をあげたのはその時だ。
「あの、きっと、返しにいきます!」
その幼い約束に、思わず笑ってしまう。
「気にせずとも結構です。それは僕からジェイドに差し上げたものですから」
そう言って、アズールは今度こそ車へと乗り込んだ。
「最寄り駅までで結構です」
運転手へと告げれば、ドアは滑らかに閉じられる。
アズール、と車の外で子供が声をあげた気がしたが、アズールは振り返らなかった。
ただ満ち足りた気持ちで、来年のコートはどうしようか、と考えた。
依頼人からは約束の額を1割ほどはみ出た金額が振り込まれ、アズールが驚愕のあまり椅子からずり落ちるのはその翌日の話。
その後、アズールの『事務所』にリーチ家の子供から1年に1回ほど手紙が届くようになり
――
アズールの『事務所』にある日突然、見上げるような高身長の美青年がやって来て、真新しい高級なブルーグレーのコートを差し出すのは、それから13年後のことである。
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