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つきのせ さぶろく
2024-07-09 00:53:21
1965文字
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筐庭の焔に
【弊社卓SS】明日紅霞(📐|ドロマイ刑事)のSS【ネタバレあり】
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神は死んだと、人はなぜ言えるのか。それは恐れを捨てて神に立ち向かおうとする者がいるからだ。
人間における上下関係は、神とひれ伏す人の構図に似ている。しかしそれは似ているだけで、同じではない。そこを理解できなかったのが、あの女王の敗因の一つだろう。構造が似ているからと言う理由だけで同じにはできない。人類は恐れと畏れを以て神にひれ伏すが、恐れは捨てることができる。立ち向かうことができる。あの一連の事件は、その証明となっただろう。
結果だけを見れば、私という人間は殉職していった仲間を見捨て、酷い事件を起こすに至ってしまった少女一人の心も満足に救えず、決断できず大人数を殺している。この泥濘んだ道のりで、何度も足を止めようと思った。誰かが死ぬのが、誰かが苦しんだ先を見つめることが恐ろしかった。死んだのは彼らで、苦しいのも彼らで、どちらも私にはない。だから私が潰れる理由はありはしない。むしろ、ここで潰れてしまえば、彼らの苦しみにさらに泥を塗ることになってしまうとしか思えず、必死に泥濘から足を抜くことしかできなかった。たとえ私だけだとしても、足が動く限り走り続けなければならないと思ったのだ。
事件が終わってしばらくは、副産物である脱獄犯たちの捜索と逮捕に明け暮れていた。ただでさえ働き詰めだった体は悲鳴をあげていたが、明日紅霞はそれを黙殺することで乗り越えていた。しかしそれにも、いずれ限界が来る。
署内で人の悲鳴が上がった。薄暗い意識の中で同僚や上司が名前を呼んでいることだけが分かったが、起きあがろうとする精神とは裏腹に、体が強制的にその瞼を閉じて、鼓膜はそれ以上の音を拾わなくなった。
目を覚ますと、医務室にいた。顔見知り程度の職員が簡単に診察を行い、今日は休めと告げる。未だ翳っている思考は、それに反抗することができなかった。カーテン越しの景色が眩しい。
ふと、誰かの声がしたような気がして、誰も座っていないパイプ椅子に目が行った。無論誰もいないので、声もしないのだが。そこに誰かがいて、声をかけてきたような気がしたのだ。
「
……
」
空調と明日の呼吸の音だけがする。喉が締まっているせいか少し早いペースで、擦って吐いてを繰り返している。呼吸は無意識下で行われる生命活動の一つだが、今のそれは自発的でないと維持できないような気がしていた。呼吸はできているが、息苦しさは無くならないでいる。むしろ、呼吸に意識を向けるほどに、息苦しさが強くなっていく。生きることは、こんなにも重たいことだっただろうか。
愚鈍な脳は、もはや考えることを放棄しているのだろう。ただ重たい感覚だけを抱えて、答えのない問いをぐるぐると続けている。一ヶ月にも満たない期間に多くのことが変わってしまった。多くの人が死んで、変わって、変えられて。紅霞だけが変わらずにここにいる。それがおかしいような気がして、変わらない自分を殺したいような鳩尾の不快感をずっと有耶無耶にしていた。しかし、医務室の清涼な壁が、カーテンが、窓が、明日紅霞という人間をたった一人にさせていて、嫌でも内なる感覚を見つめるよう促してくるのだ。
見つめることは弱くなること。人間の思考は、生存本能の影響によりネガティブな部分をよく感じ取ってしまう。故に、見つめることで己の弱さを知ってしまうのだ。弱点ばかりを知れば、自分が弱いと自覚してしまう。そしてその自覚が、人間を弱くする。
紅霞の中に、未だかつてなかったであろう喪失感が漂っている。フラットな精神は逆境に強いが、肩の荷が降りると途端にバランスを崩してしまう。フラットな理由が、その重すぎる重荷だったからだ。連続した重大事件も、神殺しも、全てが終わった。その先に皆進んだ。では、取り残された明日紅霞の行先はどこだろう。後始末はすべきことだ。それよりももっと先の、未来の話。紅霞にはそれができなかった。
また同じ震えだ。死んだはずの仲間を殺すか選択を迫られた時の。いまもあれは、自分の責任だと思うほかはない。あの人に見抜かれた脆弱な覚悟も、本当だ。取り繕うことすらできないほどの痩せた覚悟だった。
人は、覚悟があるから恐れを捨てられる。きっと変わらなかった紅霞はまだ、恐れを捨て切ることはできない。彼女の持つ優秀さは、資格という書類上の情報と自然体が生み出す取り繕われたものだ。真に刑事に必要なものは兼ね備えていないのが現状だ。だったら、どうしてまだ歩こうとしているのだろう。
「明日さん、辞めないでくださいよ。刑事」
海辺の彼の声が聞こえた。
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