ななき
2024-07-08 03:06:56
2300文字
Public 吸死
 

鏡の人

(ドラロナ…?)
微ホラー風味の解決しない話。若干気持ち悪いタイプのロナルド君。
見ていたのは何でしょうね、本当に見えていたのかな、という話。趣味全振り。
尋ね人と同シリーズっぽいがつながってはいない。

 誓って、悪さをするつもりではなかった。

 その鏡は、退治道具店の隅に置いてあった。学生がポケットに入れて持ち歩くような、小さい折り畳み式の鏡。吸血鬼も写ると書いてあるその鏡を、買った。気まぐれだ。くだらないイタズラばかり仕掛けてくる同居吸血鬼への対抗策に使えないかという、その程度の。

 鏡の存在を思い出したのは退治人衣装から着替えた時。ポケットから滑り落ちた四角を拾い上げて、ふと、試してみる気になった。

 何食わぬ顔をしてソファへ戻り、プラスチックの蓋を開いた。後ろのダイニングテーブルを肩越しに写せば、最愛の丸と戯れているドラルクが、きちんと鏡面に現れた。吸血鬼も写るという触れ込みを疑っていたわけではないが、少し新鮮だ。
 鏡越しの光景を眺める。あっさりと手の中に収まった黒いエプロンの吸血鬼。まるでドラルク自身を閉じ込めてしまったようだった。

 あの吸血鬼をこうして小さな箱に閉じ込めて持ち歩けたらいいのに。
 箱の中のドラルクは、どこにもいかない。そっと手に、肩に、頬に触れても、崩れないし振り払いもしないし、俺を嫌いにもならない。……それはひどく甘美な空想だった。

 それから度々鏡を開くようになった。ドラルクの姿を捕らえるために。こっそりと触れるために。
 家の中なら、料理中やゲームをしているときに。外ではなかなかチャンスはないが、パトロールの合間や待機時間に。
 見た目は普通の地味な手鏡だ。俺が鏡を見たって気にする人もないだろうが、していることへの気恥ずかしさから誰にも気づかれないと確信のもてるタイミングにだけ、長方形の蓋を跳ね上げる。
 ジョンと遊んでいる姿。機嫌よく料理しているところ。ゲームに夢中な背中。全部、箱の中に収めた。

 箱の中のドラルクは俺を見ない。俺をからかいもしないし煽りもしないしイタズラもしてこない。俺を呼ぶこともないし、くだらない話を振ってもくれない。それでも、俺だけのものだった。

 そんなことをどれだけ繰り返していただろう。異変があったのは、ひとりで少し離れた街へ出張退治に行った日。
 新横浜行きの最終バスはガランとして、俺の他には離れた席にサラリーマンらしき姿があるだけ。俺の後ろには誰もいない。それを確かめて例の鏡を開いた。人目がないと鏡を見るのが、癖になっていた。

 鏡には、バスの車内と疲れた自分が写るだけのはずだった。
 見慣れた黒いマントの肩が見えた。鏡の中の自分の奥、ドラルクが、後ろの席に座っているかのように。
 そんなはずは。勢いよく振り返ったが、当然誰も居はしない。おそるおそる、もう一度鏡をのぞく。何も、写っていない。
 疲れで見間違えたのだろうか。

 ところが、それから度々そして徐々にはっきりと長い時間、見慣れた姿が鏡に写るようになった。初めは肩、マントの裾、後ろ姿。次に、白手袋の手。最後に、顔が写るようになった。初めて目があったときは、思わず蓋を閉じてしまったが。
 さすがに俺の疲れ目では説明ができないので、絶対にドラルクが写らない角度、なんなら目の前にいるときにこっそり鏡を開いてみたが、やはり写る。

 いないはずなのに鏡の中にいるドラルクは、いつもクラシカルなマントだ。ジョンはおらず、常に一人きり。
 そして、俺が見ていることに気づいていた。
 鏡に向かって俺が手を振ると、白手袋がやぁ、とでも言いたげに振られる。何をしてるんだね、と眉を上げる。コミュニケーションらしきものがとれるのだ。
 指で鏡の表面に振れると、身を捩って避けたり、逆にこちらに手を伸ばして応えるような素振りをしたり。す、と鏡の枠の外に視線を逸らして指さすものだから、そちらをみたらこちらのドラルクが顔をだした、なんてこともあった。

 俺は、この鏡の中のドラルクに夢中になった。
 こちらのドラルクと口論したとき。疲れた時。ただ顔がみたい時。宝箱を開けるように鏡の蓋を開ける。ドラルクが写らない時でも、冷たい表面を撫でるだけで気分が落ち着く気がした。

 鏡越しだから、やはり俺を呼ぶこともないし、くだらない話を振ってもくれない。小さく呼んでみても応えはない。それでも、俺を見てくれる、俺だけの。



 誰もいない事務所。
 今日もまた、鏡の中へ小さく手を振る。鏡のドラルクは椅子に座る俺の後ろに立っていた。こちらに気づいて、柔らかな表情で手を振り返してくれる。それだけで、俺は、
「何を見てるんだ」
 突然、手の中から鏡が奪われた。奪ったのは、同居人の方のドラルクだ。……気づかなかった。鏡に集中しすぎたか。
 鏡面をみたこちらのドラルクの目がすうっと細くなる。鏡の中のドラルクはうまく隠れられただろうか。
「返せよ」
 いつもなら拳の出番だが、鏡を落とされるのが怖くてそれができない。
「大事なもの?」
……
 言葉に詰まった俺に、そう、とつぶやいたドラルクは、意外にもすんなりと鏡を返してきた。手に戻った鏡の中で、ひら、とマントが翻る。……目の前のドラルクはエプロンだ。だからこれは鏡の向こうの。しかし、しっかり確かめるよりも早く。
「こっちを見たまえ」
 手袋のない、素手の指が俺の顎にかかって、あ、と思うまもなく防虫剤の香りが僅か濃くなった。口に柔らかいものが重ねられている、と理解するのには数秒かかった。
 ふ、と僅かな吐息を残して離れた温度の主は、俺の頬をなぞって言う。
「これでも『ソレ』は必要かね? ずっと私を覗き見していた鏡だろう?」

 パキリと、可哀想な鏡が割れる音がした。