つきのせ さぶろく
2024-06-25 18:22:35
2190文字
Public
 

【自探SS】天馬和狭(金糸雀の欠伸HO2|🪽)が考えていること、いたこと【ネタバレあり】


 疑う以前の問題だと認識した瞬間から、この世界は生きやすいのか生きづらいのかわからなくなった。今まで接してきた青少年たちにも、そのような感覚があったのだろうか。
 人を疑う前に、嘘がわかるようになった。これは多分、心理学に興味を持ってしまったからだろう。人の感情は体とリンクしているのだから、その変化に敏感であれば心の動きは手に取るようにわかってしまう。俗に言う第六感も、多分人間観察においてのセンサーになっているのだろう。たわいない話をしている中でも、頭頂部を通過するひらめきの光線が情報を突きつけてくる。わかること、知ることは素晴らしいことだが、この気づきはどうしても心が痛かった。嘘を知ることの恐ろしさは、裏切りへの怯えから始まっているのだ。
 きっと、性悪説にシフトすれば解決する問題なのだろう。しかし、元来の性格に嘘をつくことも難しかった。一度は悪を嫌おうとした。憎むべき悪、粛清すべき悪。この思いは確かに正義への燃料にはなるが、だんだんと心が削れているのが嫌でも感じられる。これは長続きしないと悟ってからは、やはり人を信じることしかできなかった。
「君は悪くない。僕は信じてるから」
 これに嘘はない。
 嘘はないんだ。

 刑事という仕事は葛藤だらけだ。信じても信じても、報われないことの方が多い。生活安全課の頃はまだ良かった。これからのある少年少女たちには、更生の余地がある。そう信じて真摯に向き合っていけば、明るい道を進む子供が多かった。その分大人の残酷さが際立ってしまった。人はなぜ殺人を犯すまでに至るのか。考えれば考えるほど、本当は人を疑うべきなんだろうと思わされてしまう。これは長い思考のトンネルだ。長く長く続くトンネル。これを抜けたら待っている雪原は、煌めいているのだろうか。

❖❖❖

 望まれない命なんて、それは大人が勝手にそうだと位置付けたものだ。
 彼は望まれていなかったと言うのは大人だけだ。望む望まれないは、本人以外が思うことだ。その価値観だけで彼を断罪していいのか? 彼の人生は彼のもののはずなのに、その人生を大人が勝手に選別していいのだろうか。
 しかしこれはもう、過ぎた話だ。
 ICUの変に柔らかいベッドの上で目覚めてしばらく、まるで夢を見ているような心地だった。視界ははっきりしているのに、朦朧とした意識がまだ続いているような感覚。ずっと脳内は曇り空で、雨が降ったり晴れ間が見えたりといった変化もなく、ただ心拍数の乱れない音を聞いていた。
 しかし、だんだんと雲は晴れて、脳が動き始める。自分の心拍が耳を刺すようになった。坂井は二度と姿を見せず、共に捜査をした班員も現れる者と現れない者といた。現れた誰かの口から聞いた事の顛末は、捏造されたものかと誤認しそうになったが、晴れた脳には事実だと理解できた。
 あの少年は選べなかったのだ。数奇な運命を背負ってしまって、それをどう見つめるかという選択肢も与えられないまま死んだのだ。治りかけの傷よりも酷く胸が痛かった。

 何故タバコを吸ってはいけないのか。これはある非行少年の素朴な疑問だった。未成年である彼は、家庭、学校、どこにも居場所がなく、唯一の居場所として選んだのが不良グループだった。そこで覚えたタバコは、嫌だと思っていたことを忘れさせてくれたと言っていた。
「なあ、なんで子供ってタバコ吸っちゃダメなの?」
 彼は誰にも迷惑はかけてないのに、と口を尖らせた。その言い分には共感できる部分がある。
「だってさ、ストレス発散つっていじめする奴だっているんだぜ。タバコは俺だけに作用するんだから迷惑にはならないじゃん」
 少しだけ考えてしまった。彼の言葉は間違っているが、間違っていない部分もある。きっと今の彼は単にタバコの有害性だとか、副流煙のさらなる有害性だとかを聞きたいわけじゃない。彼が選んだストレスの発散方法は適切か否かを聞きたいのだ。有害だから吸わなくなるのではなく、吸う必要がなくなったから吸わなくなるべきだから。
「そうだな。……吸ったらいけない理由は色々あるんだけども、僕自身の一番の考えを言ってもいいかな」
「うん」
「君にはできれば、長い人生の中で色々選んでもらいたいから」
 人生は選択の連続だ。選択して経験したことが積み重なって人間の一部になる。そしてその過程の中で、人間は生きる意味をさらに選んでいく。天馬和狭が非行少年を導くのは、彼らにその選択だけで終わって欲しくないと言う願いがあるからだ。
 子供の世界はどうしても大人から与えられたものが主になる。そうすると、関わる大人の影響で選択肢が多くも少なくもなる。今の彼らにとっての非行は、彼らなりの選択ではあるが、その選択しか知らないままでいて欲しくない。
 だから天馬は伝え続けているのだ。人生における選択の重要性を。

 未だ答えは出ない。伏見正弘は金糸雀と名付けられた殺人犯だが、どうすれば金糸雀ではなく伏見正弘として生きていられたのか。
 天馬の記憶には、初めての味に頬を染めていた彼の顔がずっと残っている。