【あしゅやよ】隠れても攫いに行く

扉一枚隔たれた彼方側にいるのはだぁれ?あしゅやよ🖍️💀編。

埃と朽ち果てた木材の生臭い匂いが充満する所々落とし穴を化している板張りの廊下。散乱する嘗て人がいた形跡が横たわる廊下を軽く小柄な体格を活かし駆け抜け、身軽な動きで廊下を踏み締め軋む音を頼りに抜けそうな箇所を巧みに躱しては、とっくに電気が通っていない暗い廊下を迷わず突き進む。
光源の一切ない暗闇。例え暗順応しても普通の人間であれば手探り状態で動くのが関の山。その暗がりをまるで真昼のように見えているのは偏に夜宵の重瞳を以てしての事、もし普通の人間で懐中電灯をかざしたところで同じ動きは到底出来まい。

「おね、おねえちゃあああんっ……

首だけ捻り視線を後方に投げ掛ける。
暗闇よりも深い漆黒が曲がり角から悲痛な声で夜宵を呼び、生者の理から外れた年端のいかない少年の相貌が黒い涙を流しては泣いていた。幽かに浮かぶ黒を纏った無数の子供の手が遠のく小さな背中に追い縋る。

「まってぇぇえええぇぇぇ、おいていかない、でよぉぉぉ……

やせ細った指先が初エンカウント時と同じく夜宵の猫耳付きフードを掠め掴んだ。
俄かに感じる伸ばした手の持ち主が小さく安堵する気配。掴んだ手を離さず引き寄せ、自らも歩み寄る黒い影。スケッチブックを抱えていない両手を伸ばして喜色満面に溢れた表情が、夜宵がフードを掴んでいた仄かに光る手を鬼子母神の分霊が宿る人差し人形で拘束を解くや間髪入れずに激情と慟哭に彩られた。
耳を劈く少年の絶叫が建物を震わせ、小さな傷だらけの汚れた裸足の影から無数の手が生え夜宵を捉えんと伸び迫り来る。

「やだ、やだやだやだ、やだあああああっっっ」

夜宵を捕まえるため一心不乱になり廊下を覆い尽くし蠢く手たちを人差し人形で捕まる前に全て切り裂く夜宵に少年は益々癇癪を起こした。色素の薄い少年の肌に染みつき落ちない赤い川の上に透明な涙が新たな川を作る。
掴んでは切り裂かれ、切り裂かれては掴む攻防戦。その戦いの行方は二の轍を踏まず巧みに廊下と廊下に面した部屋を行き来して撒いた夜宵の勝利に終わった。
白目と黒目が反転した視界から外れ、物陰に身を潜めた夜宵が追跡者が通り過ぎるのを見送り、逆方面へと物音を極力立てず静かに移動する。気配が遠ざかっても油断禁物。本来廃れ朽ちた時点で生涯解放感しかない窓という窓は黒一色に塗りつぶされ、外の様子を窺い知ることが出来ない。
趣深い古い木造二階建て建物内は想像以上に隠れる場所が乏しく、浮浪者対策かはたまた建物内にいる何かを閉じ込めるためか、戸という戸に板が釘で打ちつけられ新たなる侵入者を拒んでいた。
中に入るべく例に漏れず朽ちている板を隠し持っているバールで引き剝がすのは造作もない。ただし、錆びついた釘が断末魔を上げようものなら追跡者の声と足音が真っすぐ距離を詰めてくる。

「そっちにいるの?」

ひたりひたり。板張りの床が軋む音に混じり聞こえる子供の足音。程なくして立ち入り禁止の役目を半ば終えた板の亡骸を一瞥した反転目が微かに開いている戸に視線が止まる。戸に掛けた手に力を徐々に込め建付けの悪くなった戸を開け長い間換気がされていない部屋を隈なく見渡す。

……お姉ちゃん?」

無垢な少年の声に驚き物陰に隠れていた鼠が血と泥に塗れた足元をすり抜けて行った。それを目で追い落胆するのも束の間、滞留していた空気が弱々しく舞い少年の反転目が瞠られる。鼻を掠める匂いの出所を探し求め、やおら部屋の隅にひっそり壁と同化しては佇んでいる一枚の扉を見付けた。



「(スマホは圏外。外にいる螢多朗と詠子に連絡をする手段や脱出経路の確保は思っていた以上に難しい)」
アンテナの立っていない画面の光が漏れぬよう隠し覗いていたスマホの明かりを落とし上着のポケットにしまう。袋小路に自ら入ってしまったといえばそれまで。だが、この危機的状況を打破すべく夜宵は思考を止めやしなかった。
友好関係を築いていたからこそ起きた弊害といっても過言ではない。強制的に封じようにも一式入っているポシェットそのものが手元にない現状が脱出難易度をさらに上げていた。

「(あの子自身が形代に戻れば万事解決。でも、望みは薄い)」

何が彼の引き金を引いたのか。夜宵と共に敷居を跨いだその時、夜宵のポシェットの紐を引き千切り数歩後方にいた螢多朗と詠子に投げつけ、分断するように建物と外の世界を彼は切り離した。
暗がりで怪しく光る夜宵の重瞳が彼の真意を探り身構える。条件反射でポシェットから人差し人形だけは取り出せたので指に嵌め、足の爪先に力を込め何時でも距離を取れるよう態勢を整える夜宵の姿を少年の反転目が捉える。
白い満月に浮かび上がる母親ではない変わった瞳を持つ少女。両手に抱えていたスケッチブックを虚空へ片付け伸ばされる少年の両手から発せられる威圧感にパッと飛び退いた夜宵はそのまま駆け出していた。
単純明快。濃厚で濃密な数々の修羅場を潜り培った経験則により捕まってはいけないと咄嗟に判断した夜宵の後方、おどろおどろしいまでに建物内を盈たす純真な黒い衝動を叫ぶ少年に正しい判断を下せたと彼女は胸中呟いた。

「(何が狙い? 私だけを引き離して何がしたい?)」

扉一枚隔てた向こう側。爪が扉を引っ掻く音が聞こえ胸が締め付けられるような切ない声音で呼ぶ幼い彼に夜宵は顔色を一切変えず扉から離れた場所で様子を窺う。
されど、不安は彼女の胸に抱いた形代をぎゅっと抱き締めるのに表れ、そして予想していた扉が破れる瞬間を静かに見詰めていた。
扉だったのを踏みつけ立ち込める埃を掻き分け現れる痛々しい刺し傷が上半身に刻まれた少年が、夜宵を部屋の隅へと追い込んでいく。
仄かに光を帯びる無数の手は薄汚れた足元へと吸い込まれ、描いたものを肉団子へと変換させるスケッチブックを持っていない少年から目を逸らさず夜宵が後退る。さながら敵意や攻撃する意思はありません、そう捉えたいものの黒く変色した血がべっとり張り付いた衣服に身を包む少年から漂う強い感情が常時夜宵の肌をピリつかせる。
一歩、また一歩後退り背中に固い感触が当たるなり夜宵は抱きかかえていたライオン人形を抱きしめる力を強めた。自分よりやや背の高い相手を見上げる重瞳に映り込む、くしゃりと今にも泣きだしそうな拙い笑顔が胸に鈍い痛みが走った。

「(──そっか)」

真直ぐだからこそ伝わる少年の想いに夜宵の身体からフッと力が抜けライオン人形を大事に大切に抱き締める。
伸ばされる少年のやせ細った腕。身体に巻き付く蔓へなり果てる前に払い除け、空いた脇からすり抜けるのも可能だったが、特徴的な瞳を伏せ夜宵自身痛々しい少年の懐に潜り込んだ。噎せ返る褪せた血の香りを肺いっぱいに吸い込み汚れるのも厭わず顔を摺り寄せた。
まさかの行動に少年の身体が硬直するも、胸に飛び込んできてくれた事実に思考が追いつくにつれ空に浮いていた両手を折りたたみ閉ざした檻の中、小さな小さな鳥に想いを告げる。

「お姉ちゃん、もう僕を置いて行っちゃ、やだよ?」
「うん」

置いて行かない。あどけない唇が紡ぐ言の葉が月蝕尽絶黒阿修羅の夜闇に浮かぶ満月を柔らかく照らす。
骨と皮だけの黒阿修羅の腕が小柄な夜宵を抱きかかえ、首元に顔を埋め彼女の匂いを舌先でも味わい飲み下した。満ち足りた黒い息を吐き、逃げることそのものを放棄してくれた少女に喜びが降り積もる。
それに比例して黒い霧が夜宵の意識を曖昧にさせ隠し引きずり込んでいく。恐ろしく重い瞼が何度か閉じかけた矢先、頭蓋の奥にまで響く純然たる幼い嘆き。昏く深い夜の川底に引きずり込もうとする黒阿修羅の声音。幾つもの手が夜宵の身体を掴み巻き付きしがみ付き離さない離れない。

「お姉ちゃんが僕を置いて行っちゃうなら、……僕がお姉ちゃんを連れてく」

それならずっと一緒。
小さな手を繋いだ光景を最後に夜宵はそこで途切れた。



そして、月蝕尽絶黒阿修羅が寳月夜宵の手中に収めたのと同時に古びた旅館に下りていた帳が晴れ、如何にかして中に入ろうとしていた幻燈河螢多朗と寳月詠子が意を決し夜宵を救出するべく足を踏み入れた二人と入れ替わるように黒阿修羅は気を失った夜宵を抱きかかえ深い緑が生い茂る夜の山へと姿を消したのだった。