俺は腕を失くした左肩を抱えて、覚束ない足取りで歩いた。その肩を押さえる指先すら黒炭と化しており、力を籠めようとする端から崩れていく。
そんな俺の前に現れた人物……“彼ら”を見て、思わず笑った。
「最強二人で詰むとはね。……最高の幕引きだな。徳を積みすぎたみたいだ」
「こんなときまで口が減らないんだね、任兄さん」
複雑そうな表情を浮かべた弟が、朝日の中に立っていた。その隣には、彼の親友も居る。
薄ら暗い影の中に居る俺は、震えそうになる息を整えた。――あぁ、うん。これでいい。いいんだ。
壁に凭れかかって座りこみ、二人のことを見上げる。なけなしの気力と記憶を振り絞って、言葉を紡ぐ。
「あの二人のことを死ぬ前提で送りこんだな、乙骨憂太の起爆剤として。俺が殺すとは思わなかったのか?」
「そこは信用した。無闇に殺しをするタイプでもないだろ」
「それに私の兄さんは、大切な人の大切なものも大切にする人だからね」
「ははっ、よく言う」
大切な人たちの前から逃げ出して、世界をめちゃくちゃにしようとしたヤツに言うことじゃない。
それでも五条悟 は、俺に尋ねる。
「何か、言い残すことはあるか」
「……別にこの世界のことが嫌いだったわけじゃない、この世界のことは大好きだ。本当の本当に大好きで、だけど、どうしても許せないことだってある。だから壊して、めちゃくちゃにして……それが叶わないのなら歪ませてやりたかった」
いつも心に過ぎるのは救いのない未来。
死が救いだと言うのであればあったのかもしれない。だけどそこに未来はない。
「この世界で心から笑いたかった」
変えられず、変えようと藻掻いたところで人が傷つき、心が曇った。
その最中で思ったのは、せめて、弟だけでも生きていて欲しいということだった。
夏油傑 の存在を認識した時に、『俺』は目覚めた。
それより前の記憶はほとんどなく、前世なんてオマケだ。なのに、この世界についての記憶だけは鮮明に存在していた。
この世界に覚えがあることに俺は気がついて、それからずっと、ずっと、どうにかできないのか考えて、探して、足掻いて、押し殺してきた。……それももう終わりだ。
弟の名を呼ぶ。
「傑、」
因果に囚われし者
「某、夏油 任 と申す。平伏せ、世界と運命 共」
俺は仰々しく名乗りを上げた。それを見た悟は……「ウゲェ」と嫌そうに舌を出す。
「今更そういうのいらねーから」
「あっ、そう?」
俺もそう言われて、アッサリ広げていた両腕を下ろす。
パーカーで好青年な見た目じゃキマんないしなぁ。
伏黒は呆気に取られた顔をしている。さっきまで「あの呪詛師の方の夏油!?」って反応してたのに。
ご期待に添えずゴメンね~? 教祖っぽくなくて。
「じゃ、そうだなー……悟ぅ。お菓子買ってる暇なんてないだろぉ? 俺が居なかったら、お前のキャワイイ教え子ちゃんがどうなってたか分からんぞ」
手をワキワキさせながら、悟にからかい混じりの小言を言っておく。
まぁでもわかるよ? 普通に考えると、伏黒恵がやられるなんてあり得ない。宿儺が受肉するのも例外中の例外 。
伏黒って優秀だし、余裕ぶっこいて土産くらい買っちゃうよね~。
「ま。俺が殺さない保証もないケドさ」
「ははは。お望み通り、もう一回殺してやるよ」
悟のお綺麗な顔に一瞬で青筋が浮かぶ。
軽口叩いただけでそんなキレることある!?
「ワーッ、待て待て! この子も死んじゃうって!」
「五条先生! 夏油任 はどうだっていいですけど、肉体の持ち主である虎杖悠仁は一般人です!」
俺の抗議に乗っかる形で、今まで喋らなかった伏黒が口を挟んだ。……今、俺のことソイツって言った?
悟はアイマスクをしていない顔で至極真剣な表情をした。
「それが殺さない理由になる? 偽物なら殺す。本物でも殺す。“夏油任”を名乗るんならそれくらいの覚悟あんだろ」
「ヒェ……」
この感じ、悟は割と本気モードらしい。ガチで怒らせたことは数回しかないけど、その度にシャレにならないことになったのは確かだ。
俺が生前持っていた術式は、『夏油傑』と同じ呪霊操術。もちろん、俺の弟である傑も全く同じ術式だ。
しかし、同じ術式であっても、扱う人間のスペックによって降伏できる呪霊の質は変わる。
残念ながら、俺は呪詛師になるまで特級の位に就くことはなかった。と言えば、どれくらいの実力かは分かって頂けることだろう。
そして今の感覚から察するに、呪霊どころか呪霊操術 を持ってない。
さっき祓っちゃった呪霊も取りこむどころか勢い余ってぶっ殺しちゃったわけだし、あってもしょうがないけど。
生得領域で宿儺ぶん殴ったと思ったら『表』に出ちゃったんだもん、しゃーない。
パンッと乾いた音と共に印を組まれ、悟の姿が視界から消える。咄嗟に裏拳で背後に向かって殴りかかるも避けられた気配。
再び悟に背後を取られ、実に楽しげな声で囁かれる。
「俺の前に現れたこと後悔させてやるよ」
こんな状態でガチギレ悟と一騎打ちなんて、最悪また死ぬじゃん! ってか、術式と呪霊を持ってたところであんま変わんねーわ。ハイ詰んだ、オワタ。
すまんな、虎杖少年。これならまだ宿儺のほうが生きられたかもしれん。生き地獄だけど。お互い来世で頑張ろうな。
そんなことを考えても、今生の苦しみはまだまだ終わらない。
俺が悟に掴みかかれば、原作と同じムーブで腕を取られ、顔を殴る軌道に悟の拳が乗る。思わず避けようとするも、無下限呪術 蒼の応用によって吸い寄せられ、容赦なく顔をぶん殴られた。
「おま、かわゆい十代の御身ぞ!?」
「そーかよ! 教祖が出てるぞ、狸野郎!!」
苦し紛れに殴りかかるも、軽々と避けられる。
狸っつーか、傑似の狐顔なんですけど、ね! ……って、そんなんだから狐狗狸 さん!?!? 狗要素は……運命 の奴隷 ってか!?
死ね、世界!! 俺が呪言師だったら、とっくの昔に喉が潰れてる。
「負け戦に殉ずるのはもうやってるんだよなぁ!」
「そんじゃあキッチリ沈んどけェ!」
呪力を伴う打撃。それを避けきれずガードするが易々と吹き飛ばされる。壁にめり込みながら舌打ちをした。
肉体スペックは足りてるってか、もはやヤバイ。それなのに圧し負けるのは単純に、呪力出力が足りてなくてガードしきれてないからだ!
あーもう! やってらんねー!!
瓦礫を退かして立ち上がり、頭から被った埃やら破片やらを払い落とす。
そんな俺とは逆に、埃一つ付けることなく悠々と立つ悟が不思議そうにこちらを見てくる。
「なんか弱っちくなってない?」
「当然だろ。術式ないんだからよ。せめて火器くれ」
「へぇ。呪霊じゃなくて、術式をなんだ」
俺が負け惜しみを吐き捨てても、悟は意に介さない。ま、そういうヤツだけどさ。
虎杖悠仁は呪いの王をもってしても『器』を越えた『檻』だ。俺も肉体にほとんど影響を与えていないはず。俺程度じゃ術式だって持ち得ていないわけだ。
それどころか、呪力出力も生前より格段に落ちている。器に抑制されているのか、元の肉体と比べて上がったのはシンプルな身体能力だけだ。
おそらく、虎杖悠仁に降ろされたのが…というより、今意識を持っている“俺自身”は『肉体の情報』ではなく『魂の情報』だけなのだろう。宿儺のことを念頭に置くと魂の情報だけでも術式は使えるのかもしれないけど、とりあえず俺には無理。
前世っぽい記憶があるのも、それが『魂の情報』に含まれるのかもしれない。知らんけど。
そんなちょっとした“ズル”が俺にあったとて、普通に考えれば、VS五条悟なんて“負け戦”だ。でも、流れは俺に向いてる。――これは“負けイベント”だ。
今まで辛酸を舐めさせられた“この世界の仕組み”によって、俺は『この場で虎杖悠仁は死なない』という確信を得る。……それなら遠慮はいらない。
ボロボロで邪魔になってきたパーカーを破り捨て、駆け出す。驚異的な速力でもって、五条悟に肉薄する。
「今の俺は受肉じゃなくて降霊に近い“憑依”。それも予想外な形で、だな」
俺は悟と高速で拳を打ち合いながら話を続けていく。
「術式は肉体に刻まれる。肉体の情報を下ろせていれば術式も使えたんだろうけど、そもそも下ろされたのが肉体の情報じゃなくて魂の方だから」
「お前とその肉体 は術式を持ってない」
「その通りぃッ」
ガァン!と硬い音を立てて、鉄柵に胸からぶち当たった。さらに後ろ手に腕を掴まれ、肩が持ってかれそうになる。
そのまま鉄柵に押しつけられ、さらに体重もかけられる。テメッ、何キロあるか自覚しろ!
空いた片手でタップしつつ「重い重い!」と悲鳴をあげてみせるが、「いーや、軽いね」と流された。雑ゥ!
「それで? 術師は?」
「いないよ、そんなん」
「ふざけんなよ」
「ふざけてねーっつーの。言っただろ、予想外だって」
「じゃあ媒体は」
「コックリさん。ふざけてねーぞッ」
俺は言い切ると同時に、押さえられた胸と片腕を支点にして身体を浮かせ、悟の胴体に脚を回しホールドする。ハンドスプリングの要領で、前方に向かって力任せに巨体を放り投げた。
腕が放され、あっさり拘束が外れる。
中空に放り出された悟は、俺の脚が完全に離れた地点でピタリと止まる。逆さになった顔が目の前にあった。
「相変わらず良い術式だよ」
「そっちこそ器械体操の選手になれそう」
褒め合いに見せかけた貶し合いに、懐かしくて涙がちょちょぎれそうだ。
俺はエビ反りの体勢から戻って脚を下ろせば、身体に軽く違和感が走る。
肉体の違いがある中で、元の身体の動きをしたせいだな。
悟は相変わらず逆さで止まったまま、俺のことを怪訝そうに見て、その唇を尖らせた。
「コックリさんってただのお遊びだろ? それでこんなことがポンポン起こってたまるっかってーの」
「でも簡易的とはいえ降霊術で、その場に封印が解けかけた宿儺の指があったとすれば? 不可能に近い確率でも、成立したから夏油任 が居るんだろ」
「こじつけじゃん」
「こじつけでも、それ以外に原因がないのなら、それが真実だ」
悟からケッと毒づかれ、「嫌味なホームズだな」と、それこそ嫌味を言われる。
「それか俺が徳を積み過ぎちゃったせいかも」
「賽の河原で石でも積んでろ」
「賽は賽でも、賽が投げられたんだよ」
「うるさい」
「さいですか」
軽口を叩きまくっても術式を撃って くる気配はなし。
悟の気が済んだのか、尋問も終わったらしい。彼は反転した姿勢を戻し、柵の上に降り立った。
それを確認してから、俺は痛めかけた筋 に軽く反転術式を使って治してみる。……よし、効いた。
俺は身体の動きを確かめ終わり、手ごろな位置にあった大きな瓦礫の上に腰掛ける。
「両面宿儺は受肉した。この子は『器』だ」
悟は訝しげな表情を深めて、柵の上でしゃがみこんだ。
「じゃあどこにいんだよ、両面宿儺は」
「お前の眼でも分からないか?」
「三種類が気持ち悪い感じで混ざってんのはわかってんだよ。でも、両面宿儺が受肉したなら、その身体はタダじゃ済まないはずだ」
「それはまぁ、宿儺は俺が殴り倒しておいたし」
「はあ? どうやって」
「この子が宿儺を取りこむ前に、俺が喚ばれた上に憑依しちゃってたっぽくて。その力関係で的な?」
通常、虎杖悠仁が宿儺の指以外の呪物を取りこんだ場合、呪物の意識はなく、呪物が肉体を奪う事はできない。虎杖悠仁の『器』としての“強度”に負けるからだ。
そして、宿儺の指を取りこんだ後であっても、その他の呪物が肉体に宿ることはない。先に受肉していた宿儺に負けるからだ。アカシックレコード にそう書いてあった。
俺の場合も、それと同じ事が起こったのだろう。
俺が憑依した時も『器』に負けて、ほとんど影響を与えることはできなかった。俺にできたのは、とり憑いた時の肉体の操作。それも短時間で指一本分だけだ。
その後のことも変わらない。端的に言えば、宿儺の指一本分より、俺の魂の方が強かった。
殴り勝ち、逆に俺が宿儺の力を取りこんだ。それでやっと表に出て、肉体を扱えるまでになったわけだ。宿儺様様ってカンジ。
「宿儺の指一本分より、俺の方がギリ強かったってわけ。それで主導権を俺が握ってる状態なんだよ」
「えぇ? うーん……そこはともかく、憑依された肉体に受肉なんて何が起こってもおかしくないし、話自体は信じてもいい。信用できないのはお前の人格だし」
「ワハハ」
思わず、笑ってごまかす。
ここまで色々と理屈をつけて悟を言いくるめたものの、詳しくは俺にも分からん。なんで虎杖悠仁に憑依できたのかも、なんで勝てたのかも分からん。
分からん尽くしのままだが、――“未来”のことを考えるのであれば、言っておくべきことがあった。
「俺の存在は表沙汰にするな。両面宿儺の方を全面的に出せ」
「今さら死にたくないって?」
刺すような言葉に、俺は軽く肩をすくめてみせた。
「俺にも事態が掴めてない。だけど、これだけは言える」
タイムリミットが近づき、意識が遠のき始めた。それでも、呪い をこめて吐き捨てる。
「天元はそれをお望みだろうよ」
悟は目を見開き、そして苛立ちで顔が歪んだ。
「どういう意味だ」
「本人に聞けばいい。話さないだろうがな」
「お前はッ、何があったんだよ!」
虎杖の胸倉を掴む悟。肉体の隔たりすらお構いなしに、青い瞳がこちらを射貫こうとしていた。その眼を睨み返す。
何も分からない少年を間に挟んで、感情をぶつけ合う。
「俺は許さない。こんな世界、ぶっ壊してやる」
夏油任
原作も、弟たちが生きるこの世界も大好き。可愛さ余って憎さが百倍。
天元さまは嫌い。
悟をブチギレさせた一回は、ゲームのセーブデータを消しちゃった時。他のも大体、発端がしょうもない。
夏油傑
兄のやらかしを幼い頃から見てきた弟。そんな兄のことを嫌いにはなれなかった。
九十九由基のことは苦手。
五条悟
夏油兄のことがキライ。
夏油兄とは、しょうもない代わりに対等な争いを繰り広げていた。
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