つきのせ さぶろく
2024-06-07 23:23:02
2409文字
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陰、日向に差す夢

【境目卓SS】帰依紳太朗(🍥|🗝️)と桂悠飛(🐰|🚢)のふたり。全年齢正統派恋愛。【ネタバレなし】


 茹だるような昼間。電気をつけていても、もはや外の方が明るいような気さえしてくる夏真っ盛りのコントラスト。紳太朗は額に浮く汗を拭った。
 昨日部屋のエアコンが壊れたせいで、今日は窓を開けて過ごしている。しかし無情にも天気は変わらず真夏日で、遠くで揺れる蜃気楼を恨めしく思うほどだ。風鈴は鳴らないし、扇風機は熱気を送るだけ。氷を浮かべた麦茶だけが冷感を与えてくれるが、この暑さは到底耐え切れるものではない。
 夏休みは長すぎる。暑くて明るくて、ただでさえ日の長い夏が、何もない休みで埋め尽くされるとさらに冗長になる。夏こそ青春、夏こそ思い出をなんてSNSでは謳われているが、そんなものはアクティブな人間向けの文句であり、どちらかと言えばインドア寄りの自分にはどうにも乗り切れない波だ。かろうじて部活の大会なるものはあったが、まあそこそこの力量のチームで汗の輝くなんとやらというものもなく、3回線あたりで敗退してその晩の懇親会で飲み明かす。そんななんとも大学生らしいイベントで幕を閉じた。
『この夏、君の視線を独り占め』
 動画サイトをぼんやり眺めていたら差し込まれたCMで、アイドル系の女優が海を背景に笑っている。白くて青い、眩しい瞬間。部屋がより暗くなったように感じるほどだ。ふと、耳の遠くの方で漣が聞こえた。CMのような弾ける白波と言うよりは、穏やかに揺れる寄せ波と引き波の音。白くぼやける古民家と、無音を満たす風鈴の冷たい音。そして。
 携帯が震えてはっと画面に意識が戻って、桂悠飛の文字が見えた。
……も、もしもし」
『あ、しんたろー』
 波の音と一緒に聞こえたような気がした声が、スピーカーから本当に聞こえている。
『嫌だったら別に良いんだけど……温水プール、いく?』
 思わずすぐに頷いてしまった。



「おまたせ」
 人工の波打ち際で待っていたら、おずおずと水着姿の悠飛が現れた。ろくに外に出ていないが故の肌の白さが一段と眩しい。神様には感謝してもしきれないだろう。しかしなぜインドア派の彼女が突然温水プールに誘ってきたのか、それはたまたまもらった割引のペア券だった。
「その、ごめん。……暑いのに」
「いや、いいんだよ! むしろ嬉しい!」
 これじゃあ言葉足らずだと、紳太朗は慌てて「暇だったからね」と言って気持ちを誤魔化した。温水プールに水着の美少女、ここで下心が少しでもバレれば呆れられることは間違いない。浮かれる心の手綱は離すまいと、紳太朗は水面の方へ視線を遣る。
「紳太朗って、泳げる?」
「へ?」
「あ、いや。その、高校の時ってもうプールの授業とか、ないじゃん」
「あー、そうだね……。まあ、人並みには、くらい」
……そっか」
 伏した目と水面の煌めきが映る頬。そうか、夏は眩しいから目を奪われるんだなどという詩人的な感性が生まれる感情を説明していく。簡単に言ってしまえば、悠飛は今紳太朗の視線を独り占めしているのだ。それも無自覚に。紳太朗自身は、自分の目が彼女に奪われていると分かっていながら、それを隠すことも難しいまま目を細めている。
「あの、笑わないでね」
「え、何が?」
 悠飛の手が口元を隠した。
……浮き輪、借りて、いい?」
「う、うん。いいよ」
 質問の意図がうまく掬えなくて首を傾げた。悠飛は小さく「ありがと」と言うと、そそくさとスタッフカウンターまで行ってしまった。またしても一人、人工の波を眺めるだけとなってしまった紳太朗は、とりあえず楽しそうな声の方へ視線をずらした。夏休み真っ盛りの今、ここは子どもの声で溢れていた。飛び交う飛沫とビーチボールは、大きな窓から差し込む光を透かして広げて、外に負けないくらいの明るさを見せている。ここは、ちっとも暗くならないのだ。
「ごめん、おまたせ」
 半透明の浮き輪を抱えた悠飛が紳太朗の背中に声をかけた。
「おかえり。……とりあえず、広いところに行ってみようか」
 比較的広いプールにゆっくりと浮き輪を浮かべた。浮き輪越しにはっきり見える水底に魚はいない。見えるのは自分の足だけだ。
「悠飛、ほら。そんなに深くないよ」
「しんたろーは、背高い……から……
 なんとかプールサイドに座って足を浸してみたものの、それ以上深みには入れないでいる悠飛は、まるで未知と遭遇した子犬のようだ。浮き輪が流されないよう紳太朗が支えているが、それ以上に、悠飛も浮き輪を離したがらない。
「大丈夫だって」
 ほら、と紳太朗がゆっくりと悠飛の手を引いた。ゆるりと浮き輪が流れて、少しずつ悠飛の体が水に浸かっていく。彼女の手はこんなにも小さかっただろうか。ちゃぷちゃぷと沈みゆく音に、去年の夏が思い出された。
「し、しんたろー」
「どうしたの」
「離さないで、ね」
 紳太朗の手を、夕陽が力強く握った。あまりの弱々しさについ失笑した紳太朗は、応えるように手を握り直した。
「去年のことを考えると、意外だね」
「あ、あの時は必死だったもん……
「ふふ、そうだねえ」
 つい緩んだ口元を、悠飛が睨む。しかし睨むと言っても、怒り慣れていないのが丸わかりの睨みだ。そんな視線に、より目を細めてしまう紳太朗がいた。
「しんたろー」
「ん?」
「しんたろーも、離しちゃだめ、だよ」
「うん」
 浮き輪の上で、二つの手が重なった。ゆっくりと進み始める二人の耳には、ちゃぷちゃぷ心地よい水の音が届いている。ここは潮ではなく塩素の匂いがする場所だ。荒さも深さも、人が耐えられる程度に抑えられている。二人でいる時はこのくらい穏やかでありたいと願うのは、わがままになるのだろうか。