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薙屋のと
2024-06-03 12:25:35
2799文字
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5/27→5/28
カブルー誕生日前日→当日真夜中の話
もしかしてその為に部屋から出てきたんですか?とは聞けなかった
ああ、今日もよく働いたな。
大きく息を吐いて、カブルーは夜道を一人歩いていた。時刻は日付が変わる少し前くらい。ヤアドから譲り受けた政治学の本が面白くて、夕食の後も王の側近の一人と討論していたらついうっかりと普段より長居をしてしまった。政治に直接関わるにはまだまだ素人だが、王の付き人兼通訳兼友人として、持ち前の人懐っこさと観察眼を生かした城内での立ち位置は悪くない。故郷を無くし迷宮の謎へ挑む事を決めた自分が、まさか王宮勤めになる人生は想像していなかったが、忙しくとも今の生活はなかなか気に入っている。これであとは魔物を食べる機会さえなければ完璧なんだけどな。人生は上手くいかないものである。
コツコツと石畳に一人分の足音が響き、魔術の灯りが長い影を描く。まだまだ地盤が不安定なこの国だが、この辺りは治安も良くトールマンの男が深夜一人で歩いていても安全だ。芽吹きの春はとうに過ぎ去り、ここ最近急に気温が上がったために昼間は暑いが、日の沈んだ夜は涼しくて快適だ。言っている間に夏が来て、この涼しさが恋しくなるのだろう。夏が来る前に、国として何が必要だったかな。水源
……
は、ユニコーンの角を用意してあるから、後は工事する業者を手配しないと。幸いなことに上下水施設については元からあるものが使えるという。他にも浴場や井戸や、王城もそうだ。千年地底に沈んでいた王国は全てが時代遅れかと思いきや、かつて滅んだとされる古代文明の遺産で溢れていた。この地を調べたい長命種はたくさん居て、おかげで新参者のこの国は何とか周囲に食い潰される事なく王国の体裁を保てている。
明日は確か朝からサデナの使者が来る筈だ。ライオスはまた途中で話が分からなくなるだろうから隣にいてサポートしてやらないと。それからチルチャックが斡旋したハーフフット達に出土した古代アイテムの鑑定を依頼して、午後からはオークと元冒険者による自警団からの報告を聞いて、それから
――
明日は誕生日だから、ライオスとマルシルが軽くお茶会のようなものを開いてくれると言っていたっけ。
そう、明日はカブルーの誕生日である。
とはいえ普通に仕事はあるし、もはやこの歳になるとはしゃぐ事もわざわざ吹聴する事もないのだが、身近な人間が祝ってくれるのは普通に嬉しい。去年はパーティーメンバーが祝ってくれたが、彼らもこの環境に慣れるのに忙しく、今年は会う事すらできそうにない事だけは少し寂しいかもしれない。
生憎気心知れた仲間とは会えないが、明日は仕事が終わった後、ミスルンと夕食を一緒にとる約束をしている。先日彼の誕生日だった際にそんな話をして、もしかしたら忘れられているかもなと思っていたのだが数日前に城で会った時に「何のケーキが食べたい?」と確認された。ミスルンとの関係性は自分の中でもよく分からない位置にあって、友人とも恩人とも言い難いのが現状だが、覚えていてくれたのが素直に嬉しい。それに
――
え?
ふっと視界の一部が翳り、突然上から月に煌めく白と銀が降ってきた。見開かれた黒い瞳と、一瞬目が合った気がする。声より先に手が伸びたのは反射神経以外の何ものでもなく、落ちてきたそれを咄嗟に抱き止めたカブルーはバランスを崩し、思いっきり尻餅をついた。
「外した
……
」
「ッなん、でここに!? いや転移術でしょうけど! 不用意な転移術禁止! ダメ! 絶対!!!!」
空から降ってきたのは、偶然にも先ほど脳裏に思い描いていたミスルンその人だった。カブルーの腕と足の間にすっぽり収まった体が、抱き止めた時の体勢で猫のように丸くなっている。寝支度を済ませていたのだろう、身に纏うのはエルフが好んで着る薄布と革のサンダルのみで、普段晒される事のない傷だらけの白い四肢が夜の闇に浮いて見える。良かった、これ以上傷が増えなくて。カブルーはほっと溜め息を吐いた。
「それで? どうしてこんなところにいるんです?」
「
…………
」
おっ無視か。
先に立ち上がったミスルンの手を借り、立ち上がると強かにぶつけた尻を摩る。危うく腰を痛めるところだった。下は石畳なので、打ち身くらいはできているかもしれない。そう思っていると、気付いたらしいミスルンがぼそぼそと治療術を掛けてくれた。
「ありがとうございます」
「うん。じゃあ部屋に戻る」
「あっ待って下さい!」
くるりと背を向け、すたすたと歩き出すミスルンの手を慌てて掴む。確かにこの辺りに、彼ら西方エルフが宿舎として使用している建物がある。彼はそこから出てきたのだろう。
「何だ?」
「宿舎なら、反対方向です」
「
…………
」
方向音痴は相変わらずらしい。「送りますよ」と苦笑すれば「うん」と素直に頷かれた。どうせ帰る方向と一緒なので、然したる手間でもない。なんだかんだで、自分はこの人の世話を焼くのが結構好きなのかもしれないなと思った。
「そういえば、一昨日養母から手紙がきたんですよ。俺が王宮で働く事を喜んでいました。迷宮に潜るよりはずっと良いって」
「そうだろうな」
「養母のつけてくれた知識のおかげで他人種との通訳もできますし、有り難い限りです」
コツコツ、ぺたぺたと二人分の足音が夜に響く。他愛もない話をしながら、宿舎までの短い距離を並んで歩いた。涼しく心地良い夜だが、薄着のミスルンは寒くないだろうか。此処で出会ったのは偶然で対処のできない問題であるのに、上着を持っていない事を歯痒く思った。
目的の建物にはすぐに到着した。ほとんどの窓は閉まり住民達は眠りについているようだが、いくつかまだ灯りが溢れている。そのうちの一つが彼の部屋なのだろう。
「それじゃあ、おやすみなさい。ミスルンさん」
「うん」
笑顔で眠る前の挨拶を告げて、今度こそ自分の家に帰ろうとミスルンに背を向けた。そうして歩き出そうとした時、後ろから聞き慣れた静かな声が、珍しく自分の名前を呼んだ。
「カブルー」
「はい、なんですか?」
呼ばれて振り返ると、彼とまっすぐ目が合った。
その瞳に銀の煌めきが見えたのは、恐らく月明かりが反射したからだ、そうに決まっている。
薄い唇が緩く弧を描き、左目が笑みの形に細められる。まるで悪戯が成功した子どものような無邪気な顔に、目が離せなくなった。光を纏った銀の髪が風でさらりと靡く、その髪から、夜に咲く白い花の匂いが届いた気がする。
月明かりに照らされた、美しく完璧なエルフがそこに立っていた。
「誕生日、おめでとう」
ではまた今日の夜に。
そう言ってスンとすましたいつもの顔に戻った彼はくるりと背を向け、言いたいことはそれだけだとばかりにすたすたと建物の中に入っていく。銀の髪と白い四肢が闇に完全に溶けて見えなくなってしまうまで、カブルーは茫然と見送ることしかできなかった。
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