純情電波のラブレター

ノウム・カルデアで発足した『カルデアラジオ局』でパーソナリティを任されたガネーシャ神(ジナコ)のもとに、とある恋愛相談の投書が寄せられる話。

※ご本家ラジオ様とは一切関係ありません。カルデア内の設定をかなり改変しております。
※発行当時の情報に基づいた設定となっているので、最新の状況と齟齬が出ている部分もあります。

【side:J】

 流れてくるのは、思わず口ずさみたくなるような小粋なBGM。カルデアで所蔵されているさまざまな国の音源データ中から、スタッフが良さそうなものを選んで流してくれているらしい。
 本日流れているのは、日本の出身だという女性スタッフが選んだ曲だった。己にも日本の血が流れているからか、聞いたことはないはずなのに、何となく懐かしさを感じさせる曲。改めて全部聞いてみたいから、終わった後で曲名を教えてもらうとしよう。

 さて、そんなわけで。
 今日も今日とて、設置されたマイクの前。用意された椅子に腰かける。
 お世辞にも座り心地のいいとは言えない簡易式の折り畳み椅子。急に己にのしかかってきた重量に、関節部分がぎしりと非難がましい音を立てた。
 しかしそれには敢えて無視を決め込んで、スタッフの方へと視線をやる。ガラスを挟んだ向こう側で楽しそうに微笑むスタッフは、手のひらを開いた状態で自分に見えるように頭上の方へと持ち上げた。
 そうして始まるカウントとともに、指を一つ、また一つとテンポよく折りたたんでいく。

 5、4、3、2、1――

 さあ、今日も仕事の始まりだ。すうっと冷たい空気を肺に取り込み、今度はそれに音をのせて口から吐き出した。

「はぁい、どもー。カルデアの皆さん、こんばんは~。今日も今日とてやってきてしまいました。皆様お待ちかね、カルデアラジオ局のお時間ッスよ~」

 いつもどおりのぐうたらな調子の声で、手元に置かれた台本を読み上げる。
 台本と言っても一言一句ぎっちり固められたものではなく、最低限『ここでこういうことを言ってください』という内容が数行書かれている紙が数枚渡されているだけだ。台本と言うより指示書と言った方がしっくりくるかもしれない。
 けれど最初の挨拶なんかはもうすっかり慣れたもので、事前にきっちりと決められたものがなくてもすらすらと言葉が出てくるようになっていた。長年ネットの世界を彷徨いながら自然に培ってしまった、無駄に洗練された無駄のない無駄な語彙力は伊達ではない。

 こうして今夜も、カルデア内に彼女の――ガネーシャ神の疑似サーヴァントであるジナコの声が、手作りのラジオスタジオに響き渡るのだった。


        + + +


 事の発端は数週間前。
 カルデアベース内の一角で、スタッフが数人がかりで何やら作業をしているところへ、ジナコがたまたま居合わせたことだった。

 ジナコはその日、馴染みのゲーオタ仲間のサーヴァントたちと目下攻略中のゲームのクリアに向けた作戦会議(と言いつつ後半はほとんど女子会と化していた)を終え、マイルームに帰る途中だった。
 そこで何やら慌ただしく機材を整理しているスタッフたちに、もしよかったら手伝ってくれないかと声をかけられたのである。しかも何やらがたがたと作業を行っているスタッフの中には、何故か己のマスターである藤丸立香の姿も混ざっており。

「え、あの、ちょっと待って。マスター、そんなとこで何やってるんスか? どう考えてもキミの仕事じゃないと思うんスけど、それ」
「ん? ああ、ガネーシャさんか、お疲れ様。いやまあ、そう言われちゃうとそのとおりなんだけどさ。でもちょうど暇だったし、何もしないでいるのも落ち着かないから。それで何か手伝わせてもらえないかなって、自分から頼んだんだよ」
「へぇ、なるほど~。我らがマスターは本当に勤勉で偉いッスねえ。ふむ、ではガネーシャさんが褒めて進ぜよう」
「あはは、ありがと」

 そう言って楽しそうに笑う、未だにその相貌に幼さを残したジナコたちのマスター。
 こうして見ていると本当にただの子供にしか見えない。ジナコですらお姉さん心をくすぐられ、ヨスヨスと頭を撫でてあげたくなるような、ごくごく普通に善良な少年である。
 けれどそのまだ発展途上の体の両肩には、この世界の未来が、そしてカルデアに召喚された百を超えるサーヴァントたちの存在と契約が、今この瞬間にも重く乗せられている。世界を救い、そして同時に壊し、背負わされてきた命の数は計り知れない。
 それでもなお、こうして普通の人間の子供らしい無邪気さや感性を残したままでいられるのは、この少年の持つ魅力であり、ある意味特別な力でもあるのかもしれなかった。
 そんなマスターが自ら進んでせっせと働いており、その上で偶然とはいえジナコの力を必要としているのだ。嫌ですだなんてとても言えない。ジナコさんにだってプライドとか意地とか矜恃というものはある。だからあくまで渋々という体を取りつつ、ジナコは彼らの手伝いに混ざることにしたのだった。
 しかし、基本必要最低限しか働きたくないスタイルのジナコに自主的にここまでさせてしまうとは、この少年本当に恐ろしい。一番恐ろしいのは、ジナコ自身それが嫌だと本気で思えないことなのだけれど。

「よいせ、っと……ヒエ~重い! それにしても、これってそもそも何の作業をしてるんスか?」
「ん? ええっとね、カルデアベース内の館内放送システムをここに新しく設置するんだって。緊急時に警報を鳴らしてみんなに知らせるのとか、放送で呼び出しとか。そういうのができるようにするみたい」
「へえ~!」

 放送室と銘打たれた部屋の中に次々と持ち込まれ設置されていくのは、マイク、スピーカー、ミキサー。その他、よくわからないスイッチがたくさんついた機材などなど。なるほど言われてみれば、ジナコがまだ学校に通っていた頃に幾度か見た、校内の放送室に似ているような気がする。

「ふむふむ。何か、ここでラジオの放送とかもできちゃいそうな感じッスねえ」

 組み上がっていく音響機器を眺めながら、いつの間にかそんなことを独りごちていた。
 ジナコがかつてよく聞いていたのは、主にアニメやゲームに出演している声優たちが行っているラジオ番組である。声優として己の役についてそこらのオタクより深い解釈を熱く語ったりする人もいれば、もはや仕事であることをかなぐり捨てて己の萌えと欲望のままに発狂して叫び出す人もいたり。一言で声優ラジオと言っても、それはそれは色んな種類の人が出演していた。
 そして生粋の声フェチであるジナコにとって、自分の好みの声に長い時間耳を浸らせていられるのは、間違いなく癒しの時間だったのである。
 布団の中に潜り込み、そっと囁いてくれるイケメン声優の声をイヤホンで聞いている時間なんかは特に最高だ。耳のこそばゆさとじわりと胸の内に染み込むあたたかさで、もうなんというか口元が緩みまくって、どたばたとベッドの上で悶絶してしまうくらいである。そんなことをしている姿をうっかり人に見られたら、その人を殺して自分も死ぬしかないような、少々、いやかなり気持ち悪い状態であろうが。
 実際、先日そうやってにたにたしながら愉悦に浸っていたところ、何故か毎日のようにジナコのマイルームに入り浸ってくるかの英雄にそのザマをばっちり目撃されてしまい、散々「今見たモノは忘れろ」と半ば発狂しながら暴れてしまったばかりである。暴れた拍子にベッドを破壊してしまったのは申し訳なかった。修理と代替品の手配に際し、備品の管理をしているというネモシリーズの一人に会えたことで、ここ最近不足しがちだったショタ成分を存分に摂取できたのは僥倖であったが。
 というかそもそもの話、入室の際にノックも何もしないで、まるでそこが己の部屋であるような振る舞いで突然入ってきたカルナが悪いのだ、何もかも。ジナコさんはこれっぽっちも悪くない。自分の時間を好きなように享受していただけだ。一体誰が責められようか。
 それにいくら相手がジナコであるとはいえ、女性の部屋に入ってくるのにこういう対応はいかがなものかと本気で思う。お着替え中にばったりどっきゅんエンカウントしてキャー(高い声)なんてベタな展開、許されるのは二次元だけだ。そんなありきたりな古いラブコメ展開、使い回され過ぎて最近は逆に見ないくらいである。
 それに自分で言うのもなんだが、ジナコの裸なんか見せたら逆に訴えらそうな気がしてならなかった。アラサーでヒキニートのたるみきった裸なんて果たしてどこに需要があると言うのか。これは純然たる事実だから別に泣いてなんかない。
 しかし相手がジナコだからそんな自虐ネタで済ませられるが、他の女性にも同じようなことをしているのなら非常に問題である。カルナはただでさえ人に誤解を与えがちな言動が多い人なのだから、そんな致命的な大ポカをやらかした日には目も当てられない。責められても黙って受け入れそうな光景が容易に目に浮かぶ。少なくともジナコは、裁判にかけられ糾弾されている推しの姿なんか絶対に見たくなかった。
 
 ーーもう少し、相手が女であることを意識してくれ。
 
 先日、ついに我慢できなくなった勢いでカルナにそう説教したら、

……ガネーシャ神よ。つまりお前はオレに、オレとお前が男と女であるという認識を持って然るべきだと。そう言うのだな? 二言はないな?」

 などというたいそう失礼な言葉をいただいてしまったので、なるほど再教育には相当な時間がかかりそうだった。そんな神妙な顔で言うことではない。
 つまり何だ? 日々ジナコのことをトドだのマナティだのと失礼すぎるものに例えて言ってくる彼であったが、それは『雌』としてすら見られていなかったと。そう言いたいのか、この男は。
 彼がどこぞの英国紳士などがしているようなレディ扱いを彼が自分にしてくれるとは思っていない。思っていないが、それでも一人の女としてすら見られていないと改めて知らしめられるのは、なかなかどうしてショックな出来事であった。

 とまあ、そんな不愉快だった事件は頭の隅にしまっておくとして。
 マイクが置かれたテーブルを見ていたら、ふと毎週聞くのを楽しみにしていた声優ラジオ番組の存在を思い出したという話であった。
 地球のすべてが漂白されてしまった現在では、かつて放送されていたもののアーカイブを聞くことくらいしかできない。けれど、その放送時期の季節の出来事や社会の流れを加味した挨拶だったり話題運びだったり、そういうものを聞くのが好きだったジナコは、ちょっぴり寂しさも感じていたのである。
 そんなことを独り言のつもりで呟いたジナコだったが、すぐそばで聞いていた立香の耳にはばっちり入ってしまっていたらしい。

「おお、流石ガネーシャさん! ラジオか~、それってすっごくいいアイデアだ!」
「は?」

 彼はぱあっと顔を輝かせて立ち上がると、何やら突然明るい声を上げたのである。
 そうして目を白黒させるジナコを置いて、立香は少し離れた場所で作業をしていたスタッフたちに何やら話に行ってしまった。彼が一言二言話をすると、スタッフたちも目を見開き、何やら楽しそうに首肯している。
 何だか嫌な予感がした。ちなみにこういう時のジナコの予感は、実に悲しいことによく当たる。

「ガネーシャさん!」

 どうやら話は終わったらしく、一人取り残されたジナコの元へと慌ただしく戻ってくる立香。そして彼はジナコの手を取って立ち上がらせると、何故か先ほど設置したばかりのマイクの前の椅子に強引に座らせたのである。
 そしてそのまま、あとはよろしく、とジナコを残して出ていこうとさえし始めている。
「え、え、え? ちょ、待ってマスター、これは何事だってばよ!」
「ん~? だってほら、メンテナンスを作業が終わったら、ちゃんとできてるかどうかテストをしないとだろ? ついでに、ラジオっぽいことやったら楽しそうだなって!」
「は、はあああああ!? ちょ待って待って、何言ってんの! そんなこと許可も得ずにやっちゃったらマズイッスよ!」
「大丈夫! 今シオンさんとダヴィンチちゃんに確認の連絡を取ったけど、楽しそうだからオッケーだって! 新所長は、まあ、あとで言い訳しとく!」
「い、いつの間にそんな根回しを! てかボクが言うことじゃないかもだけど、ゴッちんの扱いそれでいいんスか?」

 ふと顔を上げて見れば、連絡用端末を片手にぐっと親指を立ててこちらを見ているスタッフと目が合った。白い歯が実に輝かしい笑顔で大変結構なのだが、何故そんなにも楽しそうなのか。

「でも、何でよりにもよってボクなんスか! ほら、ラジオっていうなら、マスターがやったほういいでしょ! ボクの声なんかどーでもいいッスけど、マスターの声を聞きたいって人はいっぱいいるでしょ! そういう人たちはマスターが館内放送でしゃべってくれたらめっちゃ喜んでくれると思うッス! ほらだからこっちは交代しよ! ね!」
「う~ん、喜んでもらえるのはもちろん有難いし、いいことなんだけどさ。ほら、ちょっと喜びすぎて何し始めるかわかんない人もいるから……
「あ、ああ、なるほど……?」

 一瞬遠い目をする立香に、ジナコは憐みの目を向けながらそっと内心で黙祷をささげた。この言葉だけでいろんなことが察せてしまうようになった自分がちょっと怖い。せっかくスタッフや立香が苦労してセッティングした放送室が、一時間と経たないうちに戦場と化すのはさすがに可哀想だ。自分の貴重な労働が無に帰すのも何となくもやもやするし。
 マスターがだめならスタッフの誰かに、と視線を向ける。しかしスタッフたちが各々楽しそうにラジオスタッフとしての仕事の役割分担を相談している光景を見て、それ以上は何も言えなくなってしまった。あんな子供みたいに目をキラキラさせているところに水をほどのKYがいるなら――否、これ以上はやめておこう。良くないものが湧いて出てきそうな気がする。

 ええい、こうなればもう自棄だ、どうにでもなりやがれ。

 ジナコは大きく深呼吸を繰り返すと、ノリノリでカウントの合図をするスタッフに導かれ、マイクに向かって口を開いたのだった。


          + + +


 こうしてカルデア内に突然放送された即席ラジオ番組は、ジナコの予想に反して何故かものすごい反響を受けたようだった。

 ノウム・カルデアという閉ざされた空間、以前ほど気軽にレイシフトをして出かけることもできなくなってしまった環境の中で新しく現れた娯楽というのが、予想以上にウケたらしい。あらゆる声優ラジオを聞いていたが故のジナコの手慣れたパーソナリティぶりも、どうやらそこそこの数のサーヴァントやスタッフたちに、面白いと好意的に受け入れられたらしい。
 今まではまともに話したこともなかったようなサーヴァントにも廊下ですれ違いざま「こないだのラジオ、とってもよかったよ!」と声を掛けられ、ジナコは羞恥で幾度も気絶しそうになったものだ。けれどああやってパーソナリティの役割を請け負い、マイクの前で話すというのも、案外悪くないと思ってしまっている己がおり。

 そういったカルデア内での反響や、パーソナリティを続けることも吝かではないというジナコ本人の意見を受け、カルデアラジオ局が正式に発足する運びとなったのである。

 というか、ジナコは最初そんなことを言うつもりはさらさらなかったのに、立香によってものの見事に本音を引っ張り出されてしまったのだ。あの少年、こういうところ本当に侮れない。
 立香の前で、彼の人懐こい笑顔を見ながら話をしていると、何故か心の中で秘めていたことをぽろりと零してしまいそうになるのだ。頑張って隠していたことが馬鹿らしくなって、全部吐き出して楽になってしまいたい衝動に駆られることがあるのだと、いつだったか誰かが零していた記憶がある。そんなことがあるのかと半信半疑だったジナコだったが、あのときは身をもって体感することになった。

 さて、こうして発足したカルデアラジオ局。
 パーソナリティであるジナコはもちろん、音響の調整や進行の台本を調整するスタッフのスケジュールの都合もあり、ときどき日時がずれることはあるものの、おおむね週に一回のペースで放送が行われていた。
 ちなみにラジオのスタッフは特別募集をかけた訳ではなく、発足の噂を聞き付け、是非やらせて欲しいと自ら名乗りを上げた者たちで構成されている。本職ではないなりに皆それぞれ知恵を持ち寄って、より円滑な運営を、と日々工夫を凝らしているようだ。皆で何かを作り上げていくのは楽しい、こんな状況だからこそ遊び心を忘れないでいたい。そんなスタッフたちと、そしてそういう気持ちを燻らせている者たちがいたことを知っていた立香の思いが、この小さな音響スタジオには集っているのである。
 最初の頃こそ、シオンから渡されたカルデアベース内の案内や新規施設の情報などをジナコが読み上げるだけというラジオ番組としては少々寂しいものだったが、ぜひともラジオで放送しみんなに周知してほしいという内容がカルデア内のサーヴァントたちから持ち込まれるようになってきた。

 ダヴィンチ工房のショップで販売されている新作の宣伝。
 食堂で提供予定の新メニューの告知。
 健康診断を受けていないサーヴァントに受診を促すお知らせ(来ないと命はないという半ば矛盾した脅迫の文言付き)。
 良妻賢母を目指す同好会の新規会員募集について。
 エトセトラ、エトセトラ。

 今まではカルデアの全体に広く広告できるような効率的な方法がなかったためか、当初想定していた以上にこの制度は有難がられているようだった。
 旧カルデア内にも全体に放送をするような機能は存在していたらしいが緊急とは言えないようなものをわざわざ持ち込み放送してもらうのは、いくら奔放な面が多い英霊たちとはいえ気が引けたのだろう。その点、比較的平和――明け透けに言ってしまえば暇な時を見計らって行われているこのラジオであれば、ある程度気軽にお願いが出来るというわけだった。

「新メニューの告知をするたびに注文してくれる者が増えたから、これから予定している新メニューの開発もやりがいがあるというものだよ」

 何だか楽しそうに言ったキッチン担当を名乗るサーヴァントからお礼のロールケーキの差し入れがあった日には、スタッフ皆で万歳三唱をしてしまった。
 そしてラジオ内でジナコが行ったあまりに興味をそそる食レポに感化され、食堂にロールケーキを求めて長蛇の列ができていたらしい。余計に忙しくさせてしまい申し訳ないとちょっと罪悪感を覚えなくもなかったが、先日食堂で見かけた当の本人が何だかツヤツヤしているような気がしたので、ジナコもほっと胸をなでおろしたものである。休む暇もなく働く羽目になるなんてジナコ自身は考えたくもない苦行だったが、本人がああして生き生きしているのならきっといい事なのだろう。

 そんな調子でラジオの放送が続き、カルデア内での評判も上々となってきたある日のこと。ラジオ運営担当のスタッフからとある提案があったのだ。世で放送されている通常のラジオのように、カルデア内のサーヴァントやスタッフからラジオの感想や質問などのお便りを別途募り、ラジオ内で読み上げるコーナーを設けるのはどうか、と。
 パーソナリティのジナコが答えるだけではなく、受け取った相談の手紙をあくまで代理という形で読み上げ、妥当な回答ができるサーヴァントやスタッフからの返事を待ち、届き次第それをまたそれを代理で読み上げるというものだった。
 直接言いづらいこともジナコが間に入って代弁することで気軽に伝えることができるし、今まで交流のなかった相手から思いもよらない解決法をしたためた返事が届くこともある。しかもこのカルデアに集っているのは、古今東西、ありとあらゆる方面に秀でた様々な英霊たち。その知恵を拝借できる機会なんてそうそうない。
 そんなスタッフの思い付きで始まったお便りコーナーも、あっという間に大好評となった。ラジオ局本部には次から次へと投書が舞い込み、ジナコも立香もスタッフも、みんな揃って嬉しい悲鳴を上げている日々である。
 新しいことを始めるというのはなかなかどうして勇気がいることだが、それを認められた瞬間というのは実に快感だ。
 届けられたたくさんの手紙を並べて整理しながら、ジナコは感じたことのない類の気持ちに戸惑いつつ、自分よりも高揚してはしゃぎまわる立香の姿を微笑ましく見つめるのだった。
 なお、顔を合わせると殺意が溢れまくって殺し合いになってしまうカップル二人による、読んでいるだけで大量の砂糖を吐きそうなラブレターのやり取りは、流石に数回で受付停止とさせていただいた。一番の原因は、読み上げるジナコの精神が保ちそうにないから。加えてラブレターを読み上げた日には、彼女のほうが抑えきれない殺意で廊下をふさぐほど巨大になった槍を振り回しながら彼氏の部屋に夜襲をかけてしまう事態が発生していたからだった。このままではカルデアベースが全損してしまうと、シオンやダヴィンチのほうからも緊急ストップがかかったのである。
 後日、嵐でも通り過ぎたのかと問いたくなるほど切り刻まれ破壊された廊下と、それを全部受け止めて医務室へ放り込まれたという彼氏のボロボロ具合を見て、なるほど止めて正解だったとジナコはぶるりと身を震わせたのだった。ちなみに二人はその後、仮想シミュレーションルームを使い、お互いの武器を以て日々愛を確かめあっているらしい。
 そんな二人に対し、ラジオパーソナリティとしてジナコから言えることはたった一つだ。
 爆ぜろ、リア充。

 そんなこんなで親しまれるようになったお便りコーナーであるが、読み上げ役であるジナコ本人に返事をしてほしいという投書もちらほら見えるようになってきた。ジナコが依代となっているガネーシャ神は学問の神でもあるから、その叡智に縋りたいという者が少なからず出てきたわけである。
 そういう場合はガネペディアーーガネーシャ神の知の権能を駆使して、ジナコなりに真摯に答えることにしている。ジナコ本人に対してではないとはいえ、自分が名指しで頼られているのも悪い気はしない。ジナコが答えることで誰かのためになれるのであれば、それは素直に嬉しいことであったから。

 さて本日も、カルデア内でのお知らせ事項をすべて済ませた後、ジナコはスタッフから手渡された投書を次々と読み上げていく。
 最初の頃こそ届いたものは番組内で全て読むことにしていたのだが、最近は数が増えたことで難しくなってきている。そこで当番担当がまとめて投書の受付を行い、ラジオ担当の中で投書をある程度選別する作業が行われることになった。
 公平性を保つため、基本的には抽選式である。ただ、ひたすら「ローマ」という文字が羅列されているような解読不可能な投書や、「メカクレ」なるものへの熱意を数百ページにも渡って書き連ねた怪文書などは、流石にラジオの進行に支障を来してしまうので予め除外させてもらっているが。
 そうしていくつかそんなお便りを読み上げ回答をした後、本日最後ですとスタッフが紙を手渡してきた。
 ああ、もうそんな時間だったか。ジナコはひらひらとスタッフに手を振って見せながら、渡された一枚の紙を静かに受け取った。マイクにぶつかったりしてノイズが入るといけない。静かに息を吸い込み、それに必要な音を乗せて吐き出していく。

「さぁて、こちらが本日の最後のお便りになるッスね。読んでくッスよ。え~、ラジオネーム『明日天気になぁれ』さんより! あー、確かにここ数日、外は曇りだの雨だのの日が続いてるらしいッスからね。ま、ボクは引きこもってるんで一切関係ないんスけど」

 くすくすと、壁向こうにいる音響担当のスタッフが肩を震わせているのが見える。引きこもりで何が悪いと鼻を鳴らすと、何やら意味深な苦笑が返ってきたが、肝心の意図はさっぱりわからなかった。単純にジナコの意見が笑われたわけではないようだが、果たして。
ジナコは怪訝な顔をしつつ、とりあえずは目の前の投書を読み上げるのに専念することにした。

「『本日は、パーソナリティであるガネーシャ神に相談があり、このお便りを送らせていただきました』……っと。おお~、嬉しいっすね。どうもありがとッス。ガネーシャさんの神のパゥアーにどんとお任せあれ!」

 ジナコはえへん、と胸を張って答えた。
 つい先週も、ジナコ宛に「最近、知人が特定のクラス全員死ねと日夜喚く奇怪なサーヴァントにべったりで困っています。もちろん心配してるわけでもないし、自分に構ってくれなくなってもやもやしてるなんてことはないです。でもなんかむかつきます」という相談の投書があり、ビシッとバシッと答えたばかりである。お悩み相談に答えるのにも随分慣れてきたし、今日もばっちり答えることができるだろう。もちろん、相当変な内容でなければであるが。
 ちなみに先週のその投書に対しては、そこはもう自分の方から素直になった方がいいッスよ~。意外と相手も同じこと思ってて、あなたに構ってほしくてわざとその人とつるんでるのかもしれないし?」と答えたのだが、さてその後投書主はどうなったのだろう。
 ラジオに届くものはすべて匿名での投稿なので、実際にその人がどこの誰かはわからない。悩みの解決に向けて動き出したかどうかも、残念ながらこの場にいるジナコには不明なのである。
 そういえば、この投書とは関係ないかもしれないが、件の放送があった次の日、ボイラー室の横であわや大火事という乱闘騒ぎがあったらしい。主犯と思しき二人が廊下で正座させられながら、お互いにああでもないこうでもないと文句を垂れまくっていたのを見かけた。しかしその文句の内容が件の放送の相談内容に関係があったとしてもなかったとしても、あくまで匿名として相談を受けたジナコがそれ以上突っ込むことはできないし、するつもりはない。ジナコだってパーソナリティの役割を負っている以上、匿名性はきっちり守るつもりでいるのだ。下手な身バレは誰だって怖い。

 さて、それはそれとして。
 ジナコは改めて投書に目を落とし、そんな迷える子羊がしたためた言葉を読み上げていった。

「ええっと……『私には今、とても恋しい人がいます。どうしようもなくこの心が惹かれているのです。どうしてここまで深くその人の事を想っているのか、自分でも正直不可解なのですが、とにかくその人が自分にとって大切な人だということは間違いありません。そしてこの気持ちに気付いてほしくて、一生懸命アピールしているつもりなのですが、なかなかうまくいかないのです。生来ネガティブな性質なのも手伝ってか、最近はアピールが空振るたびにとても落ち込んでしまいます』……ふむふむ、なるほど」

 したためられた投書の文面からは、この投書主相当苦労しているであろうことがひしひしと感じ取ることができた。
 こういう恋愛相談は普通、まず友人や家族といった自分に近しい人に相談するところではあるが、それでも解決しないくらい関係が進展していかないのだろう。というか、相手が気持ちに気付いてくれないとあるから、関係がどうこう以前の問題だ。そうして藁にもすがる思いでこのラジオに投書してきたに違いない。
 その胸中の苦しみが、ジナコにはよくわかった。わかってしまうようになった、と言うべきか。ともかく以前であれば「知らんがな」で終わったであろうこういう片恋の苦しさが、今のジナコには理解できてしまうのである。

「いや~でもいるッスよねえ~、そういう立てたフラグを片っ端から無意識にブチ折りまくる鈍感なヒロイン。昔からモテモテで、女は全員手に入れられると思ってるプライドの高いイケメン攻略キャラに『おもしれー女』って言われるタイプ」

 ーーごちん。

 やれやれとため息交じりに茶化したコメントを入れたところ、何故か音響室から突然机を強かに叩くような音が聞こえてきた。突然の鈍い音と衝撃にぎょっとしてしまう。
 ラジオ中は雑音が入らないように、と気を遣っているはずのスタッフが自らそんなことをするなんて、何かまずい事態でも起こったのだろうか。慌てて音がした方へ顔を向ける。音響スタッフのうちの一人が、机に突っ伏しながらも、ハンドサインで「続けてくれ」と指示を出している姿が目に入った。さっきの鈍い音は、どうやら机に額を打ち付けた音らしい。何だろう、お腹でも痛いのだろうか。
 心配ではあるが、続けろという指示が出ている以上ジナコは自分の仕事を全うせねばなるまい。眉をひそめつつも、ジナコは投書の続きを読み上げていく。

「え~、失礼しました、続けます。……『それでも、自分はその人を諦める気にはなれません。こんなにも心を惹かれているのに、見ないふりをすることはもうできないからです。必ずこの気持ちに気付いてもらいたい。受け入れて欲しい。あわよくばその相手からも同じ熱を返して欲しい。そのために効果的なアプローチ方法などがあれば、ぜひ教えていただきたいのです』……っかー! 熱い! 熱いねぇ! ガネーシャさんは胸焼けしちゃうそうッス!」

 今度はジナコが机に突っ伏したくなってきてしまった。
 こんなにもつよく、熱く、深く思われているその相手が羨ましくなるくらいである。というかここに書いたことをそのまま伝えればいいんじゃないかと思ったが、それをジナコが口にするのも無粋であろう。

「う~ん、そうだなあ。普段だったらリア充爆発しろと叫びたいところっスけど、ここまで本気ならガネーシャさんも本気で答えなきゃね。攻略してきたギャルゲー乙女ゲーは数知れず、古今東西ありとあらゆる二次元の攻略対象を落としてきたガネーシャさんに任せるといいッスよ!」

 胸を張って格好を付けると、何故かまた音響室から乾いた笑いと机に頭を叩きつける音が聞こえてきた。そんなにおかしなことを言ったつもりはないのだけれど。とはいえラジオの終了予定時刻も迫っているし、これ以上進行を止めてしまったらこの投書に答えることができなくなってしまう。
 とりあえずスタッフの奇行は気が付かなかったことにして、投書の答えに専念することにした。
 ジナコは腕を組み、ふむふむと投書をもう一度黙読する。

「う~ん、全然気づいてくれないどうしようもなく鈍感な相手ってことだから、察してくれアピールとかだといくらやってもうまくいかないと思うんスよね。そうだなぁ、言葉でだめなら今度は行動で示すッス! 例えばちょっと熱烈に手を握ってみるとか、並んで座ってるときにちょっと間を詰めてみるとか? とにかく自分を『異性』として相手に意識させる瞬間を作るんスよ!」

 乙女ゲームにおいて鈍感な主人公が相手の好意に気付く瞬間というのは、実は結構単純だったりするものだ。そしてそれは、攻略相手に『男』を感じた瞬間であることが多い。
 不意に触れた手が思った以上に硬くて厚くて、大きいこと。触れた肩ががっしりしていること。ふと目に入った背中がとても広くて、そしてそれが存外あたたかいことを自分が知っているのに気付いたこと。
 そういう些細なきっかけで、主人公が相手への認識を変えたときが攻略を進める上での重要なポイントである。
 つまり端的に言えば。相手の出方を窺うのではなく、自分が自然に持っているもので相手にドキッとしてもらう必要がある、ということである。逆に言えば少しでもドキリとさせられればもうこっちのものだ。

「うん、こんな感じッスかね。ぜひ実践して、ばっちり相手のハートをゲットするッスよ~! もしそれでもうまくいかなかった場合は、またラジオに投書してくれれば、ボクでよければ相談に乗るっスから」

 そんな言葉を最後に、ちょうどラジオの終了時刻となったようだ。進行担当のスタッフが、最後の挨拶をして締めるようハンドサインで指示を出してくる。
 相手の特徴とか、好みとか、人となりがもう少しわかれば具体的なアドバイスもできたかもしれないが、第三者であるジナコがこれ以上詳しく知りたいというのも何か違うような気がする。これが今のジナコが持つ情報で最大限できるアドバイスだろう。あとはお若い(サーヴァント同士だったとしたらこの表現は正しくないが)二人に任せるとしよう。

「はーい。というわけで、本日のカルデアラジオ局、間もなくお別れの時間ッス。今日もたくさんのお便りありがとうございました~。当ラジオ局では、番組内で取り上げてほしいお知らせ、お便りを随時募集してるッス。告知を希望の人は所定の申請書を提出、相談メールのあて先は……

 いつもの定型のお知らせを済ませれば、ジナコの本日の仕事は終了だ。
 エンディング曲が流れだすと同時にマイクが切られる。ジナコは思い切り伸びをして、硬い椅子から立ち上がった。

「ガネーシャ神、お疲れさまでした!」
「お疲れ様ッス~」

 番組の終了とともに、スタッフたちも各々が手早く片づけを開始していた。彼らはラジオスタッフとしての役割の前に、当然だがカルデアのスタッフとしての役割がそれぞれに任じられている。このスタジオを出れば、カルデアベース内のスタッフとしての通常業務が待っているのだ。
 慌ただしく机の上に散らばった台本類を片付ける手伝いをしていると、先ほど頭を机に打ち付けていたスタッフがたまたまジナコの近くにやってきた。相当強くぶつけたのだろう、額がうっすらと赤くなっている。

「あの、さっきは大丈夫だったんスか? お腹痛いとかなら、早めに医務室に行ったほうがいいッスよ。……あんまり言いたくないけど、ほら、おっかない婦長さんが追いかけてくることになるッスから」
「ああ、うん。それは一度、無理矢理徹夜仕事してたときに存分に味わったよ。いやぁ、本当に恐ろしかった……下手なホラーより怖いよねアレ……いやでも今日は本当に大丈夫、具合が悪いとかでないから。その、ええっと、なんていうのかな。思いを通じ合わせるのって難しいんだなって、よくよく痛感したというか?」
「?」

 煮え切らない返答にジナコは首をかしげたが、彼女はそれ以上のことを答える気はないようだった。手元にあった書類を手早くまとめ、また来週ね、と華麗にウインクをして去っていく。ジナコはそれをぼんやりと見送ることしかできなかった。
そして。

……まあ、そりゃね。思いを通じ合わせるのはなんだって、誰にだって難しいッスよ。ボクだってそんなのはわかってるッス」

 それこそ身をもってね、と。
 誰に言うでもなく、片付けの雑音で掻き消えるように、ぼそりと一人そう零したのだった。


        + + +


 さて、そんなラジオの放送があった日の翌日のことである。自室で積みゲーの消化に勤しんでいたジナコのもとに来客があった。
 来客というには少々、いや相当に不躾な男なのだけれど。

……本日は何の御用っスか、カルナさん」
「いや、特に用はない。オレが己の好きなようにふるまっているだけだからな。お前には関わりのないことだ、気にすることはない」
「関わりなくないから! そして気にするわ! ここはボクの部屋ッス! ディスイズマイルーム! わかる?」

 今日も今日とて、まるで己がこの部屋の主かのような足取りで入ってきたこの無礼な男は、またいつもどおり特に何かをするでもなく、熱心にゲームをプレイしているジナコをぼんやりと眺めている。
 そう、ただたた眺めているだけなのだ。
 一体何がしたいのかさっぱり分からない。見ていて楽しいものでもないだろうに。いつものことながら完全に理解不能だ。助けて、私の中のガネーシャ神。へんじがない、ただのしかばねのようだ。
 とにかくこういう風にしている間、カルナが自分を見つめている視線が背中をなぞっているのは酷くくすぐったいし、落ち着かない。かつて、或いはいつかの用務員室に二人でいたときは、こんな奇妙なむずがゆさを感じることはなかったはずなのだけれど。
 一体何が変わってしまったのかといえば、多分ジナコのほうの心の問題だった。あのころはただただ鬱陶しく感じていた視線の意味を、今のジナコは知ってしまっているから。そしてジナコがカルナに対して抱いている感情が、あのころとはすっかり色を変えてしまっているからだった。
 もちろんこの思いを伝えるつもりは毛頭なかった。彼の目の前にいるのは認識を阻害され、バグった情報しか見ることができない『ガネーシャ神』。ジナコ本人ではない。
 たとえ自分が思いを伝え、万が一にも彼が応えてくれたとしても、それはジナコに対してではない。あくまでジナコの皮を被った『ガネーシャ神』。或いは逆なのかもしれないが、疑似サーヴァントの仕組みには詳しくないので細かいことはよくわからない。
とにかくどうしたって、ジナコの気持ちがきちんとジナコのものとしてカルナに届くことはないのである。
 それがあまりにも哀しいから、彼と再会してからなおさら明確な形を取るようになったこの気持ちは、ジナコの中にだけにしまい込んでおくことを決めていた。
 そもそも突然こんな気持ちを告げて、彼をいたずらに困らせてしまうのは本意ではない。それにいつまで一緒にいられるか分からない以上、貴重な時間をそんな気まずさで埋めたくはなかった。彼がこのカルデアで存分に力を振るい、楽しく生活している。その様を眺めているだけで、ジナコは十分だったのだ。

 しかしそんな思いとは裏腹に、カルナはやたらめったらジナコに構いたがった。

 暇があればこうしてジナコの部屋で多くの時間を過ごしているし、廊下ですれ違っても絶対に呼び止められるし、食堂で食事を摂っていればバランスがどうのこうのとお小言とともに正面に座り、自分も食事を始める。まるでそれが当然だとでも言わんばかりの態度と顔で。
 その度にジナコは心臓を跳ねさせ、制御出来ずに上がる体温を持て余し、そしてそれをカルナに気取られないよう苦心する羽目になるのだった。
 迷惑だと、こんな風にそばにいて欲しくないと、ジナコがそう言い切ってしまえれば話は簡単だったのだろう。いくらカルナだって、全力で拒否する相手に対して無理矢理どうこうすることはないはずだ。強引なところこそあるものの、誰かが本気で願ったことを無下にするような人ではない。だからジナコが心の底から彼を拒めば、おそらく最終的には受け入れてくれる。
 けれどそんなことはできないから、ジナコはそんな彼の行為を受け入れるしかないのである。カルナという人に対してはどんなに虚言を弄したところで意味がないことはよく知っている。

 とはいえ、とはいえだ。
 それにしたって、今日は妙に距離が近くないだろうか。

 でろんと腹ばいに寝そべるジナコに寄り添うように、カルナもベッドの上に腰かけている。ほんの少し手を伸ばせば、ジナコの贅肉だらけの背中に触れられるような距離だ。
 そもそも腰かけている今の時点で、彼の体がジナコの体にくっついてしまっている。なるべく自然に見えるように体を移動させても、その分さらに距離を詰めてくるのだ。その動きは、カルナ自身が明確にジナコへ近付こうと意識していることが感じられた。
 いや本当に、全く意味が分からない。日々駄肉だなんだと罵りまくっている体に何故そんなにも一生懸命くっつきたがるのだろうか。

「あの~。カルナさん、さっきから何か近くありません? 暑いんでもうちょっと離れてほしいんスけど」
「そうだな」
「そうだな、じゃなくて! 離れてって言ってるんスよ、ボクは。別にそんなに狭い部屋じゃないんだから、わざわざ身を寄せ合ってる必要もないでしょ。てか椅子が空いてるんだからそっちに座ればいいッス。固くてイヤとかなら、なんかそこらへんのクッションをテキトーに使ってくれていいっスから」
……そうか。そうだな」

 しっしっと片手を振って追い払う仕草をすると、何故か大袈裟なくらいしょんぼりと肩を落としながら、カルナはおとなしくジナコから離れていった。
 太陽神の子だけあって、カルナは普段から体温が高い。触れ合っていた場所が汗ばんでしまっていたのは多分それだけではないのだろうけれど、とにかくカルナが離れてしまったおかげで、触れ合っていた場所が急にひゅうっと冷たくなったような気がした。
 そうしてがっくりと肩を落としながら椅子に腰かけるカルナの姿は、もはや幽鬼と表しても過言ではないようなレベルだった。一体何が彼をそんなに落ち込ませているのだろう。

「あ、あの~、カルナさん? 別に今すぐ部屋から出てけって言ったわけじゃないんスから、そんなに落ち込まなくても」
「いいや、違うんだガネーシャ神よ。これは完全にオレの力不足によるものに他ならない。オレは本当に情けない男だな。いつもそうだ、己の心を満足に伝えることすらままならないのだから……
「う、うん?」

 カルナにしては珍しいくらい、どよどよと暗いオーラがにじみ出ている。このまま放置していたら、足元からカビが生えてきそうなほどだ。
 はて、先ほどのやり取りの何がそんなに気に障ったのだろう。いつもカルナと会話しているときと何一つ変わらないテンションで話をしていたつもりなのだけれど。
 もしかしたら元々何か落ち込むことがあって、それでジナコに慰めて欲しかったのかもしれない。どう考えても甘え上手とは言い難い彼のことだ、それをどう自分に告げていいのか分からなかったのだろう。だからわざと構って欲しくて、いつも以上に距離を詰めてきていたのかも。

……も~、そういうことか。しょうがないなぁ、カルナさんは」
「ガネーシャ神?」

 やれやれと肩を竦めながら体を起こし、机の上に積まれた菓子類の残骸を何処か遠い目で眺めているカルナに近づいていく。
 近付いてくる気配に、カルナがおもむろに顔を上げる。ジナコはその白磁の髪へとそっと手を伸ばした。
 硬いように見えて意外とふわふわと柔らかい髪の感触を手のひらに受けながら、ジナコは優しくそれを梳くように撫でた。艶やかな流れに沿って手を滑らせ、下まで到達したらまた上に戻し、同じ動作を繰り返す。
 彼が何によって落ち込んでいるのかが分からなかったから、言葉で慰めてやることはできない。的確なアドバイスをしてあげることもできない。頑張れ元気を出せと月並みなセリフを吐くのは簡単だが、そんなことで頑張れるならば人間はみんな苦労していない。
 それに彼があえて言葉を発さないということは、彼なりに気を遣っているということの表れだ。本当はそれをこそ口に出すべきなのだが、それでも普段はカルナなりに努力しているようだし、ジナコの前でくらいは頑張らなくてもいいようにしてあげたかった。
 だからジナコは、かつて泣いていた自分に優しい母がしてくれていたように、頭を撫でてあげることにしたのだ。いい歳した大人の男にすべきことでは無いかもしれないが、どうもこのカルデアにきてからというもの、目の前にいるカルナが妙に幼く見えてしまう瞬間がある。それこそ、親に叱られて拗ねる少年みたいな。だからというわけではないが、自然とそうしてあげたくなったのだ。

「いい子いい子、カルナさんは今日もいっぱい頑張って偉いッスよ~。ボクはちゃーんと分かってるッス。それにカルナさんの頑張りは、きっとみんな知ってるッスから」
……そういう、ところだぞ、■■■」
「はーい今のは聞かなかったことにしまーす。ほらほら、慈悲深いガネーシャ神様が褒めてあげてるんだから、いつまでもめそめそしてないで、もっとテンアゲでいくっス! ね! はい、ガネーシャさんの慰めタイムおしまい!」

 ぽわぽわと頬を赤く染めて口元を綻ばせているカルナを見ているうちに、何だかジナコのほうまで恥ずかしくなってきた。
 というか、ほんのちょっぴり憂いを帯びた表情で目を伏せただけで、恐ろしいほどの色気だった。これはもはや暴力である。自分でなかったらあっという間にころりと落ちてしまっていたことだろう。まあジナコ自身はとっくにカルナという沼に沈みきっているから、もうこれ以上はどうしたって落ちようがないという話なのだけれど。 
 とにかくジナコは頭を撫でていた手を下ろし、努めて何でもないような顔をしながらベッドのほうへ向き直る。体温の高いカルナに触れていたせいか妙に熱い手のひらをもう片方の手でそっと擦ってから、そのまま憩いの場所へと戻っていった。
 ーー否。正確には『戻ろうとした』のだれど。

「ーー■■■」

 先程まで自らカルナに触れていた、ジナコの手のひら。役目を終えて身体の横でぶらぶらと所在なさげにしていたそれを、カルナが己のそれでそっと掴んだのだ。そしてまるで行かないでと言わんばかりに、軽く引っ張ってくるのである。

「■■■よ」

 そして自分のほうへ引き寄せたジナコの耳元に、相変わらずノイズ混じりの、けれどそれでも十分甘く優しいと感じる声で、再び「■■■」の名前を吹き込んできた。ひ、と思わず喉の奥から引きつったような音が漏れる。
 自分の手のひらとすっぽり覆い隠せるほどに大きな彼の手は、ジナコが何となく予想していたとおりとても熱くて、そして骨張っていて固かった。けれどただただ固いだけでなく、引き締まった滑らかさのようなものも感じられる。武器を振るう戦士であるが故にできあがった、培われてきたものが凝縮された手であると言えよう。
 それがジナコの手を包み込み、肌の感触を確かめるようにゆるゆると滑り、そうかと思えば長くしなやかな指がジナコのそれに絡んでくるのである。
 どうやら、何かまだ伝えたいことがあって無理矢理引き留めようとしたというわけではないらしい。まるで子犬がじゃれついてきているような、何だかそんな光景を彷彿とさせるような触れ方だった。

「え、な、何?」

 困惑して返した声は何故か思い切りひっくり返ってしまっていた。
 だって、こんな色を感じさせる触れられ方、ジナコは今まで誰にもされたことがない。そもそも手を繋いだことすら、すでに遙か遠い記憶の中での話だ。
 指の皺の一本一本を念入りに確かめるように滑っていく熱い指先の感触に、背中をぞわりと何かが駆け上がっていく。

 ーーこれは恐怖?

 否、違う。
 この身をどうしようもなく震わせているのは、おそらくもっと別の何かだ。しかし断言はできるものの、結局のところはっきりとした正体はわからないままで。
でも少なくとも、こんなのは嫌だ。これは自分とあなたの間にあるべきものではない。そう叫びたいのだ、本当は。
 けれど心はじりじりと、ジナコの理性が望んでいるのとは反対の方向へ傾いていく。もっと触って欲しいなどいう浅ましい欲望がちらちらと顔を覗かせていることに気付いたとき、ジナコは思わず悲鳴を上げそうになった。

 これ以上触られていたら、きっと私はおかしくなってしまう。

 ジナコが己の限界をそう訴えようと口を開きかけたとき、まるでそれが伝わったかのようにカルナの手がするりと離れて言ってしまったのだ。知らずしらずのうちに緊張していたのか、どっと全身から力が抜け、その場にへたりこみそうになる。変な汗で背中がじっとりしており、張り付く布の感触が何ともいえない心地だった。
 おそるおそる顔を上げてみると、そこにあったのは何故か一転変わって妙にご機嫌なカルナの顔。今にも鼻歌でも歌い出しそうな様子である。或いは、このまま廊下に出て軽やかにスキップでもし始めそうな。
 いっそ気味が悪いくらいの機嫌の良さに、そして相変わらず分からない彼の行動の意図に、ジナコはぽかんと惚けていることしか出来なかった。
 そんなジナコに対し、カルナはなにやら満足げに鼻を鳴らしながら言うのである。

「ガネーシャ神よ、お前の言葉はやはりオレに足りぬところを的確に言い当ててくれるようだ。オレはお前に与えられた言葉を胸に、今後も精進するとしよう」
「はい?」

 一体何の話だ?
 押し寄せた混乱の波が渦を巻き、その中で絶賛あっぷあっぷと溺れている最中である今の状態では、カルナの言葉をうまくかみ砕いて消化することができなかった。だって特別なことは何ひとつ言っていない。
 ぽかんとしている間に、カルナは部屋を去って行ってしまった。何かものすごく大きなことをやり遂げたような、達成感に充ち満ちた顔で。

「な、何だったんスかねぇ……?」

 空気が抜けるような軽い音と共に扉が閉まるのを呆然と見届けたのち、ジナコはベッドの上でちょろちょろしていたムシカくんに向かってぽつりと零した。
 こんなトンチキな存在になってしまった主に対しても従順であり、尚且つそのキュートさでジナコの日々の疲れを癒やしてくれる小さな従者。しかし何故か今回に関しては「私は何も知りません」という様子でそっぽを向かれてしまい、ジナコはますます途方に暮れるしかなかった。


         + + +


「はいはーい、毎日毎日素材狩りのための周回に連れまわされている人も、そうでない幸運な人も、みんな揃ってこんばんはー。今週もやって参りました、カルデアラジオ局の時間ッスよ~」

 さて、そんな奇妙な出来事があってから数日後。
 ジナコはいつもどおりのゆるいテンションでマイクの前に座り、いつもどおりの挨拶とともにラジオの開始を告げていた。

「ちなみにガネーシャさんも今日は宝物庫周回に駆り出されてきたところッス。マスターの国には『金は天下の回り物』って言葉があるらしいッスけど、ボクらは一体いつまでクエストを周り続ければいいのか……

 オープニングトークは軽快に進む。
 しかしジナコはというと、精一杯普段と同じ感じになるよう気を遣いながらの進行となって居た。内心は全く穏やかではないのである。

 何故かと言えば、先日のカルナの不可解な言動があの日だけのものではなく、その後もずっと続いていたからだった。

 理由自体は至極簡単に説明できるのだけれど、事象そのものは実に複雑怪奇である。
 カルナがジナコの部屋へ足繁くやってくること自体は、今までと大して変わらないのでいい。いや実際問題として決してよくはないのだけれど、今ここで重要視すべき点ではないので除外しておく。とにかくいつもと変わらないはずのジナコの日常の中で、カルナの行動に少し変化が生じてのだ。
 一番特筆すべき点は、やたらとジナコの手に触れたがるようになったことであろうか。しかもその触り方がやたらめったら、何というか、こんな言い方をするのは些か憚られるのだが、どうにもねちっこいのである。己の体温をすり込ませようとしているかのように、じっくりと、ゆっくりと指を滑らせ、手の平で包み込み。そうしてジナコが何事かとあわあわし始めると、何故か妙に満足そうな顔をして去って行くのである。意味がわからない。
 加えて、気のせいだと己に言い聞かせてきたのだが、もはやそう言い逃れできないレベルでカルナから距離を詰められていた。
 この間なんて、ぼけっと半分寝ているような状態で脳死周回ゲームに勤しんでいたとき、半ば強制的に膝枕なんてものをさせられる羽目になってしまった。膝の上置いていたコントローラーを強引に押しのけられたかと思ったら、まるで「そこはオレの場所だ」とでも言わんばかりの勢いでどすんと己の頭を乗っけてきたのである。ジナコに対して事前に許可を求める言葉もなかった。 
 いきなり膝に乗っかってきた決して軽くはない重量。そこから伝わってくる体温。太ももを布越しにくすぐる髪の感触。それから、じいっと熱心にこちらを見上げてくるアイスブルーの瞳。
 ジナコはこの瞬間、本気の本気で心臓が止まるかと思ったのだ。
 もしこの意味不明な行為のせいで自分が心停止して、そのまま死亡するようなことになったらどうするつもりだったのか。疑似とはいえサーヴァントという身である以上、そんなことはもちろん起こらないのだろうけれど。
 数秒の後に正気に戻ったジナコがカルナを突き飛ばして膝枕は終了したのだが、謎に備わっている筋力Bを遺憾なく発揮してしまった結果、ちょっとした惨事になってしまったのはジナコも申し訳なく思う。しかし元を正せば意味不明な行動を、しかも一言もなくやったカルナが悪いのだ。ふんがー!と鼻息荒く抗議するジナコに、周囲の人間は何故か生あたたかい視線を向けるばかりだったが。
 最初にカルナがおかしかったときは、もしかしたら慰めて欲しいのかとジナコは予想していた。けれどいくら深く落ち込むようなことがあったとしても、ここまで長く引きずるような性質の人でもないはずだ。
 となると当然別の理由が存在するはずなのだが、ジナコにはそれがさっぱりわからないのである。甘えたいと思っているらしいことは何となく感じとれるのだが、あのカルナがそれだけでこんなにあからさまな行動をするのだろうか。
 そんなこんなで、カルナの一挙手一投足に翻弄される日々を送っていたために、ジナコはすっかり疲弊しきってしまっていた。心臓がばくばくと早鐘を打ちすぎて、そろそろ穏やかに休ませてくれと悲鳴を上げているような気がする。
 しかしいくら疲れているとはいえ、これは完全に個人的な事情だ。しかも「カルナに構われすぎて疲れているので今日はラジオ出来ません」なんてことは口が裂けても言えない。寧ろカルナが絶対に入ってこないという確信がある空間にいるほうが、いくらか心穏やかに過ごせる気がした。

「え~、ゴキゲンなナンバーと共にお送りしております、今夜のカルデアラジオ局。続いてのお便りを紹介するッスよ~。ええと、ラジオネーム『明日天気になあれ』さん……って、こないだの恋愛相談の人!」

 スタッフから手渡された投書に印字されている見慣れた文字に、ジナコはぱっと明るい声を上げた。予想していたより随分と早いが、何か進捗があったのだろうか。出来れば良い方向に進んでいればよいのだけれど、果たして。
 ちょっぴりわくわくしながら、ジナコはしたためられた内容を読み上げていった。

「えーっと……『先日はためになるアドバイスをいただきありがとうございます。流石は智慧を司る神であると、ラジオを聞きながら本当に感心してしまいました』……うへへ、こちらこそどうもッス。そんなにたいしたこと言ったつもりはないんスけどね~」

 褒められた嬉しさでうっかりにやけそうになる顔を、どうにかこうにか引き締めるジナコである。こんなに褒められることなんてなかったからついつい浮かれてしまう。
 それはそうと、授けたアドバイスはきちんと活かされているのだろうか。ジナコは急く気持ちをちょっぴり持て余しつつ、手紙の続きを読んでいった。

「『早速ガネーシャ神のアドバイスに従い、行動で示してみることにしました。意識してくっついてみたり、手を握ってみたり。相手は自分のそんな行動に対して、自分が予想していた以上に照れて慌てたりしてくれているように見えました。ドキッとしている、というガネーシャ神の表現が当てはまる状態なのか断定はできないのですが、これは自分にも希望があると解釈してもいいものでしょうか? もしそうであれば、ここからさらに一押しできる方法を、何卒教えていただけませんか?』って、えっと、あれ……?」

 投書をそこまで読み上げたとき、不意にジナコの頭の中に蘇ってきたものがあった。
 それはここ最近ジナコを悩ませる奇行を繰り返し、そして赤面しながらあたふたしていると何故か妙に満足そうな顔をしている彼のことだった。

……え、えっと、その! 相手がときめいてくれてるって、見てて確信が持てるくらいなら、それは結構いい線いってるんじゃないッスかね! いや~よかったよかった、あはははは~!」

 取り繕って乾いた笑いを零しながら、ジナコは一瞬頭の隅っこを掠めていった予感を振り払うのに必死になっていた。
 確かにジナコのアドバイスをした次の日から、急に行動が変化した人がいる。色を感じさせる様子で手に触れてきたり、過剰なくらい距離を詰めてきたりしていた人が。

 ーーまさか、まさかとは思うが。この投書主を、自分は知っているのではないか?

 待ってくれ、いくらなんでもあり得ない。月に魅入られたというかのローマの皇帝が、急に流暢な口調でぺらぺらと話し始めるくらいにはあり得ない。
 しかもこの投書主が、本当にジナコの予想している人だったとして仮定してだ。最初のお便りに書いてあった前提がそもそも宛てはまらないだろう。好きで好きでたまらなくてアピりまくっているのに気付いてくれない、みたいな。そんな甘ったるい感情を、彼が自分に向けているはずがないのだから。
 けれどこの投書主は、自分の思いが相手に届いていないことを酷く嘆いていた。万が一、億がーそうだったとしたら、ジナコはあの人の心を蔑ろにし続けてきたのかもしれない。
正直に白状してしまえば、もしかしたらそうなんじゃないかと一瞬でも思ったことがないと言ったら、それは嘘になる。けれどその度に、うっかり浮き上がりかけた期待は念入りに沈め直してきた。きっと自分の都合のいい勘違いだ、彼にそんなつもりは無いはずだと。勝手に期待して、裏切られて、それで傷付くのが怖かったのだ。

 ーーけれどそんな、ただ自分を傷から守りたいという身勝手な理由で、何よりも大切に思っているあの人を、ずっと傷付け続けていたのだとしたら?

 すうっと、手足が先から冷えていくのを感じた。
 紙を握っている手が微かに震える。力を入れ過ぎているせいで握りつぶされたそれが、ぐしゃりと非難がましい音を立てていた。
 すっかり黙り込んでしまったジナコに、スタッフたちが怪訝そうな声を上げているのがうっすら聞こえてくる。慌てるのは当然のことだ。このままパーソナリティが何も話してくれなければ、このラジオはラジオとして成立しなくなってしまうのだから。
 ジナコはキッと顔を上げ、なるべく声が震えないよう深呼吸をしてから口を開いた。

「あーあー、げふん! 失礼しました、ちょっと音声の乱れが。ええと、それでは『明日天気になあれ』さんへ! ガネーシャさんから、次なるありがた~いアドバイスを授けるッス。心して聞くッスよ!」

 そうであってほしいという自分と、変な期待を抱く前にいっそ完膚なきまでに叩き潰して欲しいと願う自分が、心の中でせめぎ合う。拮抗する。ぐらぐら忙しなく揺れ動く天秤に、ジナコの心は翻弄される。目が回りそうだ。
 けれどここで引っ込むわけにはいかないと、辛うじて前者のジナコが勝ち鬨を上げる王道で結果となった。
 
 さあ、一か八かの勝負だ。
 
 一体何と戦っているのか自分でもよく理解できないまま、生唾を飲み下し、意を決して口を開いた。

「神は言っている、相手に自分を異性として意識させたことが確実になったら、次の段階へ駒を進めるべきであると! つまりガネーシャさんはこう言いたい。ぐらりと傾き崩落しかけたジェンガの塔にとどめを刺すがごとく! あなたの行動によって揺れたその心に! 今こそあなたの精一杯の愛をぶつけるべきだとぉ!」

 見えないとわかっていながらも、びしっとポーズを決めながらジナコはそう言い放った。
 スタジオの外にいたスタッフたちから、おお~っという歓声と拍手喝采が、ばらばらとジナコへ降り注ぐ。

「だからつまり! あなたがどれだけその人を想っているのか、全部洗いざらい話すといいッス! 前回のお便りで、あなたがその人をめちゃくちゃに想ってるってのは、その、第三者であるガネーシャさんにも伝わるほどだったッスから。それをそのまま口にすれば絶対に伝わるはずっす! そういうわけで、吉報をお待ちしてるッスよ~!」

 よし、ばっちり言った。言ってしまった。
 もう後戻りはできないという後悔の念と、やってやったぞという達成感。
わき上がったそれらはしかし完全に着地点を見失っており、ジナコの中でぐるぐると持て余され続けることとなる。結果的にジナコの中を満たしていたのは、何ともいえない奇妙な高揚感だった。
 もしこの投書主がジナコの思っているとおりの人であれば、そして今もこのラジオを聞いてくれているのであれば。その人は遅かれ早かれ間違いなく、間違えようがない行動に出てくるはずだ。そしてもしそうならなかったとしたら、この予感は単にジナコの勝手な勘違いという決着に終わるわけで。
 けれど逆に、そうならないという確信も今の時点では持ち合わせていないのである。可能性が全くの0であることと、たったの一パーセントでもあるのでは天と地ほどの差があるのだ。そもそもガチャに入っていないとされればどんなに回し続けても出るわけがないが、たとえ如何に0パーセントに近くとも「出る」とされているガチャであれば、きっといつかは出るのである。あとは物欲センサーというものが働くか否かという話になるわけで。

 ーーさあ、来るならかかってこい!

 ジナコは心の中でファイティングポーズと決めつつ、現実では手にしていたお便りの紙に皺が寄るほど力を込めていた。


        + + +


 結論から言うと。
 その後一週間に渡って待ってみたが、予想していた人物がジナコへ愛を囁きに来ることはなかった。

 どうしてという落胆ももちろんありつつ、しかしどこかほっとしている己もいたことに自分でもびっくりした。もっと露骨に傷付いて、再起不能になって、しばらくはべそべそ泣き暮らすことになるかと思っていたのに。
 とはいえよくよく考えてみれば、彼が自分などに対して熱っぽい視線で愛を囁く姿なんて、頓珍漢な光景過ぎてもはやギャグでしかない。ちょっと頭の隅で想像しただけで「あり得ない」と嘲笑が零れるレベルである。愛の言葉をすらすらと紡ぐカルナなんてもはや誰だお前はと思ってしまうに違いない。
 ラジオで啖呵を切るようなつもりで言い放ったときは、ちょっと混乱しすぎて頭の中身が沸騰していたのだ。きっとそうに違いない。だから有りもしない方向へと思考が転がり落ち、挙げ句うっかり深い穴に落っこちてそこから出てこられなくなってしまったのだろう。さもなくば、思考力を低下させる何かがあのスタジオ内にばらまかれていたとか。
 しかしそうなると、あの投書主には悪いことをしたかもしれない。ジナコの個人的な感情に任せて、とても冷静とは思えないアドバイスを投げつけてしまったのだから。
 それなりに有用なアドバイスであったことは確かであろうが、些か強引過ぎるやり方であることは否めない。この方法でうまいこといけばいいのだれど、もし勢いが良すぎて相手にドン引かれていたらかわいそうだ。己の恋が破綻した事による恨み辛みを並べ立てたお便りが近くジナコ宛てに届いたとしたら、それは甘んじて受け止めるとしよう。
 ちなみにここ一週間、カルナはジナコのところにきて思いを告白する以前に、その姿を見せてすらくれなかった。あんなにジナコのマイルームに入り浸っていたのに、ここ数日はそれすらめっきりなくなってしまったのである。あんまりにもぷっつりと訪問が途絶えてしまったものだから、何かあったんじゃないかと心配になったほどだった。
 しかしいくら広大な面積を誇り、今なお拡大を続けているらしいカルデアベース内であると言っても、一週間にわたって一度も顔を合わせないということはまず有り得ない。ここ一週間で彼の姿を見かけることは幾度があった。けれど彼は自分の存在に気が付くと、慌てたように踵を返してそそくさとどこかへ行ってしまうのである。明確に避けられているというのを理解できないほどジナコも愚かではなかったが、彼にそうさせている理由がわからないからどうしようもない。
 自分から直接彼の元へ赴いて理由を問いただそうかとも一瞬思ったのだが、それも何だか気が引けてしまった。だってそんなことをうっかり聞いてしまったら、それはもう「部屋に来て欲しいのに」と言っているようなものである。迷惑だ出て行けプライバシーの侵害だ、とやってくる度に辛辣な言葉を飛ばしていたのに、今更そんな甘えたことを言うなんて虫が良すぎるだろう。
 結局のところ、ジナコは何にも変わっていないのだ。自ら進んで何かをする勇気なんてなくて、強い言葉を浴びせてもなお側に居てくれる存在に甘えきっていて。

 けれどここは、かつて寄り添うというには些か遠く、けれど確かに隣にいてくれたあの用務員室とは違うのだ。
 互いが置かれている状況も、立場も、何もかも。

 今のジナコはカルナを繋ぎ止めておける正当な理由が何一つ持っていない。一応ガネーシャ神という『ガワ』において話であれば、同郷のサーヴァントであるという縁が存在するものの、良くも悪くもそれだけのものである。たとえば、マスターとサーヴァントという主従のように、常に側に居るものとする理由にはほど遠い。
 意識して寄り添わなければ成立しない関係なのだと、ジナコは今更ながらに思い知ることとなったのだった。彼が手を伸ばしてくれていたからこそ、自分は彼とともに在ることを許されている立場だったのだ。その上で「どうして会いに来てくれない、どうして自分を避けるのか」と聞くのはお門違いというものである。
 嫌いになったのなら、ジナコの何かが気に障って顔を見るのも嫌になったというのなら、いっそはっきりとそう言ってくれればいい。そしたらジナコだって、胸の内で蓄積し続けて居る気持ちをキッパリ諦められるのに。

「はいはーい、みなさまこんばんは~。今週もやってきてしまいました、カルデアラジオ局の時間ッスよ~。お相手は本日もこのボク、富の神様なら今すぐどうにかQPを都合してくれないかとマスターに泣きつかれたガネーシャさんッス」

 ジナコとしては至っていつもどおりのつもりで挨拶したのだが、進行係のスタッフから「何か暗いよ! 頑張って!」というカンペを出されてしまった。
 声音にまで出てしまっていたのだろうか。いけない、今は私情を持ち込むべき時間ではないのだ。『カルデアラジオ局のパーソナリティ・ガネーシャさん』の役割を全うせねば。
 小さく咳払いをして、改めてマイクに向き直る。

「え~と。さてそれでは、早速いつものカルデアお知らせのコーナーからいくッス。えー、諸事情により、シミュレーションルームBは現在使用不可とのこと。使用可能になるのは明日の昼頃の見込み……って、また誰かさんが中で遠慮なしに宝具ぶっ放して壊したりしたんスか? スタッフの皆さん、いつもお疲れ様ッス~」

 仮想空間であるとは言え、神霊クラスの超強力なサーヴァントが本気で宝具をぶっ放したりなどすると、空間を維持している装置の演算が間に合わず、オーバーヒートを起こしてしまうらしいのだ。つい先日、シミュレーションルーム担当の技術スタッフから届いた悲痛なお便りをこのコーナーで読み上げたばかりなのだが、未だに懲りない戦闘馬鹿がいるようだ。全く困ったものである。
 過負荷に耐えきれなくなった機械がどう考えても手遅れとわかる轟音を立て、やがておかしな色の煙を上げながら沈黙していく様を、ジナコも一度だけ見たことがある。シミュレーターの中でカルナが戦闘訓練をしていると聞いて、何となく顔を出してみたくなったことがあったのだ。中で縦横無尽に動き回る彼は生き生きとしていて、ああ楽しそうだなあなんてほっこりしていたその矢先、興が乗りすぎてしまったのかうっかり宝具と宝具のぶつかり合いに至ってしまったのである。その後に起こったことはすでに述べたとおりだ。
 日々多くの時間を費やしてあのシステムを構築し、管理し、運用している彼らの立場から見れば、ああいう風になってしまうのは確かに悲しいことなのだろう。
 ジナコはやれやれとため息をつきながら、次のお知らせが記載された紙を淡々と読み上げていった。
 なるべくいつも通りの調子で読むようにと肝に銘じつつ、ジナコは手渡されたお便りに目を通していく。本日届いていたお便りは、おっさんのにおいがすると娘(仮)に告げられ心に深い傷を負ったので是非慰めてという老紳士の嘆願、冷蔵庫にいつの間にか大量の沢庵がぶち込まれており匂いが取れないので解決法を教えてなど、まあ概ね平和な相談ばかりであった。
 いつもこういう感じなら、ジナコが番組終了後に疲弊感でぐったりしなくて済むのだけれど。

「それでは、本日最後のお便りを、っ!」

 今日は心穏やかに終われそうだと思った矢先のことだ。
 手渡された紙の上、目に飛び込んできたのはもはや随分見慣れてしまった文字列。ジナコは思わず息を詰まらせてしまった。

 本日最後ですという走り書きのメモが添付されたそれは、あの『明日天気になぁれ』さんからのものだったからだ。

 というか読み上げる投書については厳正な抽選をしているはずなのに、どうしてこうも毎週同じ人が繰り返し選ばれているのか。もしかして何かイカサマしているのでは。
 スタッフにじとりとした視線を投げかけるものの、誰一人として目を合わせようとしてくれない。まあ、つまりはそういうことである。
 スタッフが贔屓したくなるような、あるいはせざるを得ないような立場の人間からのものなのだろうか。成る程、比較的自由と言えるカルデア内にも、当然の如く逆らえない権力や上下関係というものは存在するというわけだ。
 少々腑に落ちないところはあるものの、ここでこのお便りをスタッフに突っ返すことはできない。あくまで公平に相談のお便りを読んでいるものとしている以上、ジナコ自身の意志で読む読まないと決めることはできないし、ましてや今は放送中だ。そんなやり取りを聞かせてしまったら、この番組に対しての今後の信頼にも関わってくる。
 ジナコは咳払いをして、とりあえずは受け取ったお便りを淡々と読み上げることにした。出来るだけ感情を揺らさないようにと、ある程度覚悟を決めながら。

「あー、てすてす、ただいまマイクのテスト中~……っと、どもども、失礼いたしました。ちょっと音声の乱れがあったみたいッス。そういや、先週もこんなことありましたねー、ちょっと近々調整し直しが必要かな? えー、それはともかくとして、本日最後のお便りッスよ~。ラジオネーム『明日天気になぁれ』さんより。おおっ、こないだアドバイスした人じゃないっスか。もしかしてなにか進展があったのかな?」

 なんとまあ白々しいことで、と自分でも笑ってしまうくらいだったが致し方ない。うっかり舌の上に乗りそうになった自分への嘲笑は、すんでのところで辛うじて口の中で無理矢理揉み消し、喉の奥へと押し戻した。

「えーと……『先日も的確な助言をいただき、重ねて感謝いたします。今回も大変ためになりました。ガネーシャ神のアドバイスを受けて、自分は彼女に己の心を伝える覚悟が決まりました。しかしせっかく伝えるのですから、それにふさわしい場をきちんと用意すべきだと友人らに口を揃えて言われ、私もなるほどと思ったわけです』……う、うん?」

 言っていることは分からなくもないが、どうも周りに煽られて余計な知恵をつけられている感じが否めないというか。それをそのまま聞き入れてしまっている辺り、この投書主は妙なところで天然で、素直で、意外に物を知らないということが何となくわかる。わかってしまう。ジナコはそういう人をよくよく知っているから。
 そしてそれを何となく感じ取ってしまったジナコの中で、この一週間を経てすっぱりと切り捨てたはずのありもしない悲しい期待が、またむくむくと膨らんで顔を覗かせ始めていた。だって、だって今予想できた投書主の人となりに、ジナコはあまりにも覚えがあり過ぎたものだから。
 しかし首をブンブンと横に振ってそれを必死に払い除けつつ、なるべく平静を装って手紙の続きを読み始めた。あれこれ考えるのは後だ、自分は今ここで次の言葉を話し続けなければならない。

「い、いやぁ~。それにしてもこのお手紙の主の想い人さんは、めちゃくちゃ好かれてて羨ましい限りッスね! ええと、『しかしガネーシャ神もご存知かと思いますが、現状そのような場所へ気軽に訪れることはできません。そこで何とかしてくれそうな者に相談したところ、シミュレーションルームの仮想空間構築機能を使ってはどうか、とアドバイスを貰いました。更にせっかくだからと、自分の要望に合わせてふさわしい空間を一から作り上げてくださったのです。自分ももちろん手伝いましたが、他にもたくさんの人が手を貸してくれました』」

 自分は本当に幸運と素晴らしい仲間に恵まれていると、そうしたためられている文は本当に嬉しそうだった。
 うんうんよかったね、多分手伝ってくれたその半数くらいは面白がっているだけのような気がしなくもないけどね。
 笑顔をひくつかせながら頷くジナコの脳内を、唇の両端を釣り上げてにんまりと笑う何騎かのサーヴァントたちがさっと駆け抜けていった。この手の面白そうな話に、他人の恋愛話に首を突っ込みたかがる輩が、この組織内にはたくさんいるので。
しかしまずい、これは本当にまずい。ジナコは頭を抱えて机の上に突っ伏したい衝動に駆られるのを必死で抑える。
 だって有り得ないと思いつつも、うっかり浮かんでしまったあの人と、この手紙を書いた『明日天気になぁれ』さんが、ジナコの中でどんどんひとつに重なっていってしまうのだ。もはや読み上げていく文章が勝手にその人の声で脳内再生されてしまう。甘く優しく囁いてきたあのときの彼の声が、今まさに己の耳を擽ってきているような錯覚にまで陥るレベルだった。これは重症だ。
 違う違う、と必死に首を横に振る。しかし振りまくりすぎて若干首が痛くなってきた。それにあんまりにもやりすぎると、伸ばしっぱなしの髪がマイクに当たってノイズが発生してしまいそうなので、これ以上は止めておくのが良さそうだ。どうせどんなに熱心にやったところでさほど効果がないことが分かってしまったし。
 落ち着けアタシ、と深呼吸を繰り返していたジナコは、しかし続けて書かれていた文に吸い込んだ吐息の行き先を見失ってしまった

『そうやって色々な人の協力を得て、ようやく今日の昼にすべての調整が完了しました。自分の曖昧な要望を明確な形にしてくれた人たちには、本当に頭が下がるばかりです。調整の手伝いに熱心になりすぎて、この一週間、彼女の元へ行くことが出来なかったのは少しばかり悲しかったですが』

 ーーああ、そうか。そういうことだったのか。

 有り得ないと未だに否定したがっている己を他所に、心のどこかですとんと綺麗に納得してしまっている自分がいた。
 ここに書かれているのは間違いなく、ジナコが思い描いている人が書いたメッセージなのだと。
 そういうところが一言足りないんだぞと、そう言ったら彼はどんな顔をするのだろう。そして彼は一体どんな顔で、どんな思いで、このカルデアラジオ局の電波にのせるラブレターをしたためてきたのだろうか。
 明らかに彼の普段の口調とはかけ離れているし、適当に取り繕えるような器用な人でもないから、文章自体は誰かに代筆してもらったのかもしれないけれど。


『ここから先に記述しているのは、その自分が恋しいと思っている人へ向けた個人的なメッセージです。そのようなことにこの場をお借りしてしまうこと、予め謝罪いたします』

『普段は全く何も考えていないように見えて、実は聡明なキミのことだから、この手紙の主が誰なのか、今頃はもうおおよそ見当がついていることでしょう』

『今夜、このラジオの放送が終わったあと、シミュレーションルームBに来てください。キミに伝えたい、大切なことがあるのです』


 そうして投書に書かれている文章を全て読み終えたジナコは、肺の中の空気を全部出し切るほどの大きなため息を吐いた。何だかさっきから頭の中と足下がふわふわしていて、そうでもしないとそのまま倒れてしまうか、さもなければそのままどこかへ浮いていってしまいそうだったからだ。

「え~……と、そういうことだそうなので、今日のラジオはここで終了とさせていただくッスよ~。今お伝えしたとおり、今か今かとシミュレーションルームで待ってる人と、急いでそこに行かなくちゃならない人がいるらしいので。あんまり待たせちゃうのも可哀想だし? ガネーシャさんはこう見えても気が利く女なのです」

 しかしこのスタジオ内でラジオを放送している間は、あくまでここにいるのは『カルデアラジオ局のパーソナリティであるガネーシャさん』だ。このメッセージを受け取った『■■■という個人』になれるのは、このマイクの電源が切られた後。せめてそこまではきっちりこなさなくては。
 いつものようにエンディング曲が流れ始めると、いつも「お疲れ様」と一番に声をかけてくれるスタッフが半ば転がり込むようにしてスタジオ内に入ってきた。突貫してくるような勢いに目を白黒させるジナコに向けられたのは、一片の曇りもない笑顔だった。逆に怖いくらいの。

「ガネーシャ神、お疲れ様です! 今日はもう片付けもしなくていいよ。早く行ってあげて?」
「え、え、え?」

 にこにこ、という擬音が目に見えそうなくらい楽しそうな笑顔。周りを見回せば、彼と同じような顔をしているスタッフ一同。あたたかな眼差しがこそばゆい。
 そしてジナコは瞬時に悟った。自分は彼らの策略にすっかり嵌められていたのだと。

「あの……もしかして、もしかしてだけど。最初っから全部、知ってたんスか?」
「あはは、やっぱりバレちゃいますよね~。藤丸くんに頼まれて、みんなでそれに乗っかったんですよ」
「は!?」

 思いもよらない発言に、ジナコはあんぐりと口を開けたまま固まってしまった。
 マスターが、何だって? どうして彼がそんなことを?
 カルナが直接スタッフたちに頼んだのならまだしも、彼がわざわざこんなことを計画するだなんて。誰ぞ、事態が呑み込めていない可哀想な私に説明キボンヌ。

「あー、うんうん、混乱するのは無理もないですよね。でもごめんなさい、詳しい話はまた後で! 待たせたら可哀想、なんでしょ?」

 訳が分からず目を回していたジナコは、しかし素晴らしく連携の取れたスタッフたちにぐいと背中を押され、あっという間にスタジオ内から強引に追い出されてしまった。頑張ってねというエールと、過剰なくらいの期待に満ち充ちた熱い眼差し付きで。
 そうして廊下に一人ぽつんと立ち尽くすことになったジナコは、その場によれよれとうずくまってしまった。
 だって、だってこんなのあんまりじゃないか。片付けながらゆっくり心の準備をしよう、大丈夫まだ余裕はあるし、と悠長なことを考えていたのに。これでは台無しだ。レベル上げもせず、対策も練らずにボスの前に放り出されたってどうしようもない。ゲームであればリトライがきくが、今回は駄目だ。残基はひとつ限り、ふっかつのじゅもんも用意されていないのだから。
 なお、何故戦いに行くような構えをしているのかなどと聞いてはいけない。ジナコ自身もさっぱりわかっていないのだから。
 ぐちぐちと心の中で意味のない単語を繰り返しながら、駄目元でスタジオの扉のドアノブに手をかけてみたが、知らん顔を決めるかのようにがっちりと閉め切られており、ちょっとやそっとの力では開きそうにもなかった。魔術でも使っているんだろうか。大袈裟なことである。
擬似とはいえサーヴァントとしての力を得ているこの身を本気でぶつければ、ドアを開けるどころかそれそのものを粉砕することもできるだろう。しかし、当然できはするだろうが、すっかり愛着の沸いてしまったスタジオを己の手で破壊することなどしたいはずがなかった。

「う、うう~……

 廊下の壁を背に、一人膝を抱えたまま唸る。
 どうしようと喚いたところで答えてくれる人はいないし、たとえ誰かがこの場にいたところで与えられる答えは一択だろう。
 たっぷり五分はその場で一人悶絶した後、ジナコの中でようやく指定されたシミュレーションルームへと向かう覚悟が決まった。決まったといっても、ちょっとでもつつかれたらたちまち溶けて消えてしまいそうなぺらぺらの覚悟だけれど、ないよりは遥かにマシだ。
 夢遊病患者のような覚束ない足取りで、ふらふらと廊下を進んでいくジナコ。はて、ここはこんなに暑さを感じる場所だっただろうか。滲んだ汗で背中がじっとりしている。握りしめた拳の中もべたべただ。
 なるほど、どうやら自分は緊張しているらしい。
 妙に俯瞰した冷静な思考でそう思った。自分の中で何か色んなものが乖離して、勝手気ままにふわふわどこかへいってしまいそうになっている。慌ててそれらの尻尾を掴んで自分の中へと引き戻しながら、のたのたと誰もいない深夜の廊下を歩んでいった。
 蛞蝓や海牛なんかと良い勝負が出来そうなほどの歩みではあるものの、それでも完全に足を止めることはしなかった。完全に停止させてしまったが最後、もうそこから一歩も動けなくなるような気がしたから。自分が引っ張り出してこられる勇気なんて、そんな吹けば飛ぶような小さく弱々しいものなのである。
 通常時の五倍以上は時間をかけてシミュレーションルームの前に到着すると、調整担当のスタッフが「待ってました」とばかりに椅子を蹴倒しながら飛び出してきた。ついこの間、シミュレーターを宝具ぶっぱによる過負荷破壊され、まるで死人のような生気のない顔でキーボードを叩いていたのとはまるで別人のような姿だ。反対に、ここに来るまでですでに体力と気力が枯れ果ててしまっているジナコは、さながら風に煽られ空で踊る凧のように手を引かれるまま流されていくことしか出来ない。
 シミュレーターに向かう途中ですれ違ったダヴィンチが盛大ににやにやしながら可憐なウインクなぞしてきたものだから、そのおかげでちょっとだけ正気に戻ることが出来た。やはりロリとショタは世界を救う。中身はおっさん? 知ったことか。
 そうしてあれよあれよという間にシミュレーション用の機器の中へと導かれたジナコは、そのまま彼らが一週間もの時間をかけて作ったという仮想空間へ飛び込んでいったのだった。

 機械たちが唸り声を上げ、全身を包むのは独特の浮遊感。そっと目を閉じる。

 やがて機械音が遠ざかると、何か強烈な光が瞼を突き抜けて刺さってきた。顔をしかめながらのろのろと目を開けたジナコは、そこに広がっていた光景にしきりに瞬きを繰り返すこととなった。

 見上げれば、そこにあるのは雲一つ無い蒼穹。突き刺してきた光は、そこに鎮座している太陽から降り注いできているものだったようだ。じりじりと照りつける陽光は、しかし思ったほど暴力的な暑さをもたらしてはこない。
 そして眼前に広がっていたのは、見渡す限り一面の向日葵の花畑だった。

「は、はえ~……

 あまりの絶景に言葉を失う。ここに再現されているのは、まさに写真や映像の中でしか見たことのないような絶景だった。
 空の青、向日葵の黄と緑。ぱりっとした色のコントラストの美しさに、思わず呼吸の仕方を忘れそうになる。
 時折吹き抜ける風に揺れる向日葵たちは、まるで楽しげに笑い、踊っているように見えた。

「えーっと……とりあえず、ボクはどこへ行けば……?」

 入ったらすぐに会えるだろうと想像していた人の姿は、しかしどこにも見当たらなかった。この光景の中であればあの色はかなり目立ちそうなものだが。
 そのまま辺りを注意深く見回していると、所狭しと立ち並んでいると思われた向日葵たちの間に、ほんの少しだけ道のようなものがあることに気がついた。ジナコの身長を優に超える高さにある花たちが、こっちへおいでよと葉っぱを揺らして誘っている。
 あの先に居るという確証はないが、とにかく行ってみるしかない。ここでぼーっと突っ立っていても何も変わらないのだし、それ以外に手がかりになりそうなものはなにもないし。ここに足を踏み入れてもなおぺらぺらのままであるとはいえ、渾身の勇気を振り絞って固めた決意が無駄になってしまう。
 それにここが本当に彼とジナコのために作られた空間であるのならば、最終的には然るべき形になるように設計されているはずだ。誘われていると感じた己の直感を今は信じるしかない。
 覆い被さる葉を手でそっとかき分けながら、ジナコは細い道を相変わらずよれよれしながら進んでいく。体力と気力のゲージはすでに余裕で赤ゾーンだった。これが終わったらしばらくお休みを貰おう。ここ最近は本当に働き過ぎていたと思うし。
 とりとめのないことに思考を割きつつ、ぜいぜいと肩を上下させながらしばらく歩いていると、やがてふと周りの景色とは明らかに違う色が目に刺さってきた。

「あ……

 ジナコの目に飛び込んできたのは、強烈なまでの赤と黒の色彩。
 揺れる白磁のような髪は、彼の力の起源でもある天からの光を受けてきらきらと輝いていた。

「ーー来たか」

 そう呟きながら振り返った彼は、何だか見たこともないような類の顔をしていた。今にも決闘でも申し込んできそうなくらい真剣な雰囲気なのに、何処か甘い色を隠しきれていないような感じで、そのちぐはぐさが何だか可笑しかった。もしかしたら彼も結構緊張しているのかもしれない。

「はいはい、ご指名に預かったので渋々やってきてあげた慈悲深い神、ガネーシャさんッスよ~。で、何の用?」
……ここまで来て聞くのか、それを」
「聞くよ。だって自分でそう言ったじゃないッスか」
「それは、そうだが」

 平気な顔で茶化しているように見えるかもしれないが、内心は到底穏やかなものではなかった。心臓は胸を突き破って外へ飛び出すんじゃないかというくらい暴れ回っているし、顔どころか全身が熱いし、握りしめた拳は相変わらず緊張のし過ぎで汗ばんでいるし。
 カルナは何かに思いを馳せるように一瞬目を閉じて、そして再びゆっくりとそれを開いた。眼前に広がる空よりも深い青色の瞳が、真っすぐにジナコを貫いてくる。
 以前はあれに射貫かれるのが恐ろしくてたまらなかったし、今だって全く怖くないと言ったら嘘になるのだけれど。それでもわずかな痛みすら感じてしまうほどに強い瞳が、ジナコは決して嫌いではなかった。彼が何故そうやって人を見つめるのか、もう知っているから。
 やがておもむろに、彼の薄い唇が動く。
 まるでスローモーションで映像を再生しているかのように、二人の間の時間がゆっくりと動いていた。

「ーー■■■」

「ッ……

ああ、とため息が零れた。鼻の奥がつんと痛くなって、視界が歪んで。

 カルナが呼んだのは、求めたのは、間違いなく自分だ。
 インドの神霊の「ガネーシャ神」じゃない。その疑似サーヴァントとしてこのカルデアに存在している「ガネーシャさん」でもない。カルナは真っ直ぐにこちらを見て、他の誰でもない「ジナコ」を呼んだのだ。

 それがジナコにはちゃんとわかった。理解するより先にそうだと心が納得してしまった。
伸ばされた手の先に居るのは、かつて、或いはいつか、ほんの少しだけ行く道を重ねた「ジナコ=カリギリ」であるのだと。
 今はちゃんと聞こえないけれど、言えないけれど、彼と自分の二人の間ではちゃんとそれが成立するのだ。

「ーーカルナ」

 だから応えるために、ジナコも彼の名前を呼んだ。
 先日いたずらに触れてきたこの指に、今度は己の意志で自分のそれを絡める。触れあった先からぽかぽかと伝わってくる彼の熱い体温に、頭の芯から融かされていくようだった。何だかぼうっとしてしまう。
 だって今立っている場所が、置かれている状況が、あんまりにも幸せで、あたたかくて。現実味を帯びていないそれらが、まるで夢の中で見ているみたいだと思ったから。

「キミの笑顔が、よく似合う場所を想像していた」

 どこかへ飛んで行っていまいそうなジナコの意識を、カルナの淡々とした声が引き戻した。心なしかいつもより上ずっているように聞こえるが、やっぱりいい声をしているなあと思う。

「とはいえ、オレの力だけでもここまでしっかりと形にすることはできなかった。曖昧な要望をここまで再現してくれた面々には頭が下がるばかりだ。こうしてここに立つキミを見ると、やはり素晴らしい出来だと改めて感心する」
……そ、ッスか」
「そうだ。だから……だからどうか、泣かないでくれ。オレは此所で咲くキミの笑顔が見たかったんだ」

 ちょっぴり眉尻を下げながらそう言われて、ジナコはようやく自分が泣いていることに気がついた。妙に視界が歪んでいると思ったらそのせいか。全部頭がふわふわしているせいだと思っていた。
 繋いでいない方の手が、ジナコの濡れた頬の上を撫でていく。指先に力が入りすぎていてちょっと痛い。けれど彼のこんな不器用さがどうしようもなく愛おしかった。

「にひひ、カルナさんってばほんと物好きッスよね~。こんなのでいいの?」
「ああ、これがいい。オレは、これがいいんだ」
「そっか」

 じゃあしょうがないね、とジナコは笑った。ほっと安堵の息が降ってくる。
 繋いだ手を引かれて、閉じ込められたのは彼の腕の中。触れ合う胸板があつくて、あたたかくて、どこか懐かしいお日様の香りがした。おずおずと硬い背中に腕を回す。ますます強く、痛いくらいに抱きしめられて。

「改めて、口にしよう。キミに聞いて欲しいことがあるんだーー」

 心地よいというにはちょっと高すぎる温度に、それでも心地よく身を委ねながら、ジナコはこくりと頷いたのだった。



       +  +  +



 今回の件に関して、本当は最初から仕組まれていたのではないか。

 シミュレーターでの出来事から数週間ほど経ったある日、ジナコは立香にそう問いながら詰め寄っていた。
 場所は食堂、時間は昼時である。タマモキャット特製の月見うどんに舌鼓を打っていた立香の向かいの席にどすんと座り、探偵ドラマで容疑者を詰問する刑事役の気分でそう問いかけたのである。
 ちゅるちゅるとコシの良さそうな麺を啜りながら、立香は「なんの事?」と言いたげに首を傾げた。

「だぁから! その、あれッスよ、ラジオ局が立ち上げられてたこととか、『明日天気になぁれ』さんからのお便りとか、諸々一連のことッス!」

 さすがに全てを己の口から語るのは恥ずかしくて、ジナコはぼそぼそとそれだけ告げた。一番の関係者というかそもそもの首謀者なのだから、これだけ言えば伝わるだろう。

「確かに、むぐ、今回のことを計画したのは俺だよ。それは、もぐ、事実だから認める、もぐ、けど」
「いや、口の中のものなくなってからでいいッスよ」
「もぐ……うん、ありがと。で、まあ最初に話があったのはカルナからなんだけどね」

 要約すると、つまりはこういうことだ。
 最近どうにも物思いに耽っていることが多いように見えるカルナに、立香のほうから声をかけたのが始まりらしい。何か困っていることがあるなら相談に乗るよと。なるほど、我らがマスターはたいそう慈悲深くあらせられる。仕える身としては涙が出る思いだ。
 そこでカルナが立香にぽつりぽつりと漏らしたのは、己が想いを寄せる相手にそれがちっとも届かないことに対する嘆きだったそうだ。己が考えうる全てを既に尽くしてしまった、これ以上はどうしたらいいの分からない。彼はそう言って肩を落としていたらしい。

「だから言ったんだ。『どうやったら気持ちが伝わるのか、まずはそこから本人に聞いてみたらどうかな?』って」
「なんて?」
「えっと、つまりね」

 立香はジナコが非常に自己評価の低い性格をしていることを知っていた。たとえ率直に想いをぶつけたところで、ジナコがそれをそのままの意味で受け取ってくれることは考えにくい。きっと勘違いだとか、そんなことあるわけないと言って受け取らないか、受け取っても自分の中で変な風に曲解する可能性が高いはず。だからどうしたら伝えた気持ちを素直に受け取ってくれるのか、まずはそれを聞くべきだと考えたのだそうで。
なるほど、おっしゃる通りすぎてぐうの音も出ない。実際そういう思考に陥りつつあったことは事実だし。
 さてそこで立香が考えた方法というのが、ラジオ局のお便りコーナーにこの相談の投稿をすることだった。パーソナリティであるジナコにそれを読み上げてもらい、ジナコにアドバイスを乞うという形で、ジナコが自身一番納得して想いを受け取ってくれる伝え方を探ろうと。

「ほら、ガネーシャさん、真っ向から聞いたらなんか上手いこと誤魔化しちゃいそうだったからさ。もしカルナが直接聞いたりなんかしたら、尚更頑なになっちゃいそうだし」
「う、うぐぐ」

 そのとおり過ぎて何一つ反論できない。ジナコは本日の昼食であるハンバーグ定食の主役を口に運びながら呻いた。うむ、こんな状況でも、ここの食堂のご飯は大変に美味である。引きこもりを解いて通う価値があるというものだ。

「で、それをラジオ局やってくれてるスタッフさんに相談したら、みんなめちゃくちゃやる気出してくれてさ。全力サポートするぞって、ラジオ局以外の色んな人達にも声掛けてくれて、みんなで色々と協力してくれることになったんだ」
「あー、シミュレーションルームの担当さんとか?」
「そうそう! だから、ガネーシャさんの言う『最初から』っていうのは多分違う。ラジオ局が立ち上がったのはほんとにガネーシャさんの一言からだし、ラジオ自体がこのカルデアでたくさんの人たちに愛されてるのも本当だし」

 相変わらず、というか前にも増して届くお便りの数を見ていればわかるだろう、と立香はにやりと笑ってみせた。格好つけようとしたのかもしれないが、月見うどんのトッピングである卵が口の端に着いているのでいろいろと台無しである。しかしふうんとそれなりの相槌を打つだけで、敢えて指摘はしてやらない。ちょっとした意趣返しというか、まあほぼ八つ当たりに近い気持ちだ。
 ちなみにあれ以降も、カルデアラジオ局は何事も無かったかのように運営を続けられている。あの日シミュレーターの中であったことについて誰も深くは追求してこないが、おおよそ察しはついているのだろう。自らべらべら吹聴するような話でもないし、聞かれていないからと、ジナコも口を閉ざしたままでいた。できればあの中での思い出は、あのときの二人だけのものにしておきたくて。
 そして立香の言ったとおり、ラジオ局にはその後もサーヴァントたちからのお便りが届き続けている。藁にもすがる思いで投稿したものもあればちょっとした思いつきのものもあり、その種類は本当に様々だ。よくもまぁこんなに相談事があるものだと感心するほどだった。
けれど今回の件の顛末に思いを馳せてみると、悩み事なんてものは無限に湧き出るものなのだろうなという気がしてくるのだ。
 だってあのカルナですらどうしようもなくて悩むことがあるというのだからだから、あの精神性には遠く及ばない凡人など悩んでばかりに違いない。実際ジナコも、日々あれこれと頭を悩ませてばかりだし。つい先ほども、今日の定食をハンバーグにするかコロッケにするかでたっぷり十分は悩んだばかりである。

「えーと、ところでさ。その……カルナとは、最近どうなのかな?」

 いつの間にか月見うどんを無事完食していた立香は、ジナコの方へ顔を寄せながらひそひそと問いかけてきた。
 やはりというかなんというか、直接相談を受けた身としては結果が気になるところなのだろう。それは単純に好奇心からではなく、あくまで解決策を提案した者の責任として。当然、多かれ少なかれ単純な興味の感情から聞いている部分はあると思うが。
ジナコはしばし固まったのち、ぼそぼそと口を開いた。

……まあ、うん。悪くはない、かな」

 正直なところ、今のところそう答えることしか出来なかった。求められる答えとしては大いに不足しているのだろうが、ジナコとしては精いっぱいである。
 あれから二人の間にあったことをつまびらかに語って聞かせることもできるが、それはジナコの精神が最後まで保てないだろう。そもそもそんな話を聞かされたところでどう反応すればいいのかという話だし。ジナコがもし逆の立場だったが、リア充爆発しろと吐き捨てるのが精々だ。
 しかし立香はどうやらそんな拙い返答でも十分満足したらしく、そうかそうかと深く頷いていた。そして自分の盆にあった昼食とセットで提供されるデザートのプリンを、ジナコの前へと差し出したのである。

「え、え、な、何?」
「これからもラジオ局よろしく、ってことで!」

 そう言うが早いか、立香は空になった食器を下げに盆を持ってさっさと立ち上がって去っていってしまう。食堂で走るな、とエミヤからぴしゃりと鋭い声が飛んでいた。ジナコはそんな彼をぽかんと見送るしかできない。
 そしてそんな己の向かいの席に、今度は別の人が定食の乗った盆と共にやってきた。

「ガネーシャ神」
「あ、カルナさん、お疲れ様」
「ああ」

 いただきます、と手を合わせて静かに食事を始めるカルナ。彼の故郷であるインドにはない文化だろうが、ここではマスターである立香に倣ってこれを行うサーヴァントは多かった。彼も例に漏れず、いつも「いただきます」で食事を始め、「ごちそうさま」で終えている。

「カルナさん、今日はどっか行ってたんスか?」
「ああ、シミュレーターで戦闘訓練をしていた。先日大規模な書き換え作業を行ったものを復元したから、そのテストも兼ねてだ」
「えーと……それって、もしかしなくても、アレ?」
「『アレ』だけではさすがに内容を測りかねる」
「わ、分かってる癖にィ~!」

 きぃぃっ、と歯を剥いて威嚇のような真似をするジナコ。対するカルナは、山盛りの白米を次から次へと口の中へ運びながら涼しい顔をしていた。何だか自分ばっかりこうなっているような気がして、妙に悔しくなってしまう。

「ところでガネーシャ神よ、今日の午後はどのような予定だ?」
「え? うーんと、おっきー達とゲームする約束があるッスね。いや聞いてよ、こないだやっと必須アイテムがドロップしたんで、ようやくストーリーが進められるようになったんス! 今日はそのまま出来うる限りガンガン進めるッスよ! 全クリはもう目前! 神は言っている、ここが勝負のときだと!」
「そうか。早めに切り上げて帰ってこい」
「あの、すみませんボクの話聞いてました? 会話をしよう? 言葉が足りない以前の問題デスヨ?」
「お前がいない部屋で一人待つのは、些か寂しい」
「ンゴブフッ」

 明らかに年頃の乙女が出してはいけない類いの異音と共に、危うく口に含んでいた茶を全て前方へ噴出させてしまうところだった。
 無理矢理推しとどめようとした結果、本来通るべき道から逸れてしまった温い液体の侵入に、ジナコの気管が勘弁してくれと悲鳴を上げる。ゲホゲホと激しくむせていると、大丈夫かとティッシュを突き出して寄越された。涼しい顔をしやがって、誰のせいだと思っているのか。涙が浮かびかけた目で睨みつけながらも、一応有難く受け取ることにする。
 咳と共にうっかり噴き出しかけた鼻水を拭いながら、ジナコはもう一度カルナを睨みつけながら口を開いた。

「おかしい! なんでさも当然のようにボクの部屋に待ってる気でいるんスか!」
「何故も何も、それが当然だろう」
「当然じゃなーい! アンタにはアンタのマイルームがちゃんとあるでしょーッ!」
甲高い声と共に思わず立ち上がりながら叫ぶジナコ。対するカルナはきょとんと目を丸くするばかりだ。
数秒の沈黙の後、こてりと軽く首を傾げて、一言。
「嫌なのか」
………………嫌、ではない、デスケド」
 
 そう、ジナコが一番困っているのは、こうやってカルナがぐいぐいやってくるのを本気で嫌だと思えないことだった。
 カルナの言動に対してガミガミ文句と批判を言うは言うもの、実際のところはほとんどポーズである。周りからすれば照れ隠しにしか見えないのだろう。違うのに。だがもしかしたらジナコが一人で納得していないだけで、実際にこれは一般的に照れ隠しと分類される行為なのか? わからない。ジナコはもう何もわからない。
 結局、今だってそれ以上は何も言えなくなって、しおしおと花が急速に萎れるように椅子の上へと戻ってしまった。何だか悔しいと思いつつ、さっき立香が置いていってくれたプリンの味に集中することにする。こんなことで偉大なる甘味の味が損なわれたりなどはすまい。その絶対不変の事実をゆっくりと噛みしめながら、精々冷静さを取り戻す一助とすることにしよう。

「それでガネーシャ神よ、お前の返答を聞いていない」
…………………………ゼンショシマース」
「その言葉、マスターの国では否定の意に等しいと聞いたのが」
「一体何余計なことを吹き込まれてんスか、アンタは。日付が変わる前までには流石に戻るから、それまで待ってられるんだったら、勝手に待ってればいいんじゃない」
「承知した」

 カルナは淡々と頷いて、いつの間にか空になっていた椀を盆の上に戻し、ごちそうさまでしたと手を合わせた。しかし彼の盆の上には、未だ手つかずのまま残されているものが一つだけある。

「えっカルナさんってば、ちょっと待って。まだデザート残ってるッスよ。カルナさんって、なんか甘い物嫌いとかだったっけ?」
「いいや」

 プリンの入った小皿を手に取ると、それをジナコのおもむろに目の前に置くカルナ。意図がわからず顔をしかめていると、普段自分の身の丈ほどもある武器を軽々振り回しとは思えない細い指が伸びてきて、ジナコの鼻を戯れにむにゅっとつまんできた。戯れだとわかる力加減と、緩く微笑むその顔で、どうやらじゃれついてきているのだなというのはわかる。

「んが」
「これはお前にだ、ガネーシャ神よ。脳を酷使する作業の際には甘味が良いと聞いたものでな。お前が肥えていくことに貢献するのは些か不本意ではあるが、これで糖分を摂取して精々励むと良い」
ではまた後でと、カルナは言うだけ言い残して食器を下げるカウンターへと去って行ってしまった。

 ひゅーひゅー、という軽快な口笛が食堂内の何処かから飛んでくるが、ジナコの耳にはもちろん入っていなかった。もし仮に聞こえていたとしたら、発狂して宝具である『肉弾よ、翌日から本気であれ』を発動させ、全体重を以て相手をぷちっとやってしまっていたかもしれない。食堂出禁の刑の処されるのはさすがにちょっと御免である。ここで提供される食事は、出不精極まりないジナコをして見逃すのは惜しいと思わせるほどのものばかりだから。
 食器を下げ、食堂を出ていったカルナの背中が完全に見えなくなってから、ジナコは再び机の上へと突っ伏した。ごつん、と額がぶつかって鈍い音を立てる。

……そんなこと言われたら、早く帰ってあげたくなっちゃうじゃん、ばか……

 このあと刑部姫たちに相談して、せめて自分だけでも適当なところで切り上げさせてもらうための算段を頭の中で走らせている自分に後から気が付いて、何だかほとほと呆れて果ててしまった。

……まあ、もう、いいや。美味しいプリンに免じて、ってことで……うん」

 これ以上深く考えたらますます沈んでいって、うっかり戻ってこられなくなりそうだ。ジナコはひとまず目の前に置かれた三つのプリンを平らげることにする。
 いつもであれば、とろりと簡単に喉を滑り落ちていく柔らかな甘み。いくらでも食べられるくらい大好きなはずなのに、今日はどうしてか妙に胸焼けしてしまいそうだなと思った。