薙屋のと
2024-05-24 17:23:28
2114文字
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トマトを育てる隊長の話。

カップリングなし
夢と小さな欲求の話

 トマトを育てる夢を見た。

 柔らかな土で満たした空色の植木鉢を日当たりの良い窓際に移動させて、小さな如雨露で水をやる。水滴が小さな虹を描き、土から小さな芽がひょこりと現れる。芽吹いたそれに水を与え続けるとぐんぐんと伸びて葉が茂り、やがてぽんぽんと赤い実を咲かせた。
 鈴生りに実った小さなトマトはとても艶やかで、丸く鮮やかな実はまるで赤い宝石のようだ。遠い昔、まだ彼が幼かった頃、兄が宝石を食べるドラゴンの話を読んで聞かせてくれたことを思い出す。宝石はおいしいのかな、どんな味がするんだろうねミスルン、そう言って笑う兄の顔は今も変わりがないように思う。純朴で柔らかく、優しい顔。かつて感じた妬み嫉みも失われて、今となってはそれを持ち続けられることが自分との決定的な違いで、兄の強さなのだとすら感じるようになった。そういえばそろそろ手紙の返事を出さなければいけない、そんなことを思いながら目の前の赤い実に手を伸ばした。
 指先でちょいと突くと、たわわに実らせて重たげな枝葉が揺れた。重なり揺れるその音がなんだか笑い声のように聞こえて、ミスルンは何度かその仕草を繰り返した。遠く、近く、身近にいる者たちの談笑する声は漣のようにミスルンの鼓膜を揺する。
 土の栄養と、日の光と、水をたっぷりと蓄えた赤い宝石。一つ摘み取って、口に入れた。嚙み締めればぷつりと薄い皮が弾け、飛び出した果肉が口の中を潤す。それは今まで食べたどんなトマトよりも甘くて瑞々しくて、渇いた地面に沁み渡るような、一粒食べただけで全てが満ち足りるような、そんな不思議な味だった。
 ミスルンは口の中のそれを飲み込むと、まだまだたくさんある赤い実を一つ一つ丁寧に摘まみ、籠に入れていく。一粒捥ぐ毎に、自分の周りにいる人々の顔を思い浮かべた。もし、これを彼らに与えることができたなら。彼女たちが口を開け、この赤い宝石を食べるところを想像する。あまりの瑞々しさに驚いて目を丸くして、そのあと「おいしい」と綻ぶ顔。
 ミスルンはこれが夢であると気付いている。この籠いっぱいの赤い実を持って出ることは叶わず、彼らにこれを渡す術はない。

――もし、これを、自分が育てる事ができたなら。

 自分が作ったものを見て、食べて、笑う皆の顔を見てみたいと思った。
 それは、ミスルンの内に芽吹いた、小さくも確かな欲求だった。

 柔らかな土で満たした空色の植木鉢を、日当たりの良い窓辺に置いた。
 見た目よりも重たいそれは彼の兄が送ってきたもので、手紙を送ってから僅か数週間後に高速船で届いたものだった。確かに植木鉢でトマトを育てようと思うと、未だ物資不足のメリニでは目当ての植木鉢が見つからないと書いたのも自分だが、それにしても反応速度が尋常じゃない。自分を応援して気を遣ってくれているのは有難いが、少々過保護すぎやしないだろうか。
 そんな事を思いながら、兄が植木鉢と共に送ってくれた小さな銀色の如雨露で水をやった。日の光がキラキラと反射して、小さな植木鉢の上に小さな虹を作る。あの日見た夢とそっくりな光景。
 夢と違うのは、水をやってもすぐに芽吹く事も実が生る事もなく、本当にそこまで育つのかも分からないところだろうか。
 自分の身の世話も未だ怪しい部分があるというのに、とは思うが枯れても所詮植物だ。それに連絡妖精ほど手が掛かるわけでもないだろう。ミスルンはセンシから貰ったメモをもう一度上から読み返した。先日自然迷宮を探索した際に会って、話の流れからトマトの育て方を教えて貰った。その時の彼の笑顔を思い出す。どこか兄と似たところのある、人の好いドワーフだと思った。
「隊長、何を育てるんですか?」
「プチトマトだ」
「わあ、私トマトが好きなんですよ」
「パッタドルも?偶然だな、俺もなんです」
「おいしいですよねトマト」
 後ろから覗き込んできたパッタドルに返事をすると、ぱっと笑顔が咲いた。若くて生真面目で融通が利かないところがあるが、優秀で素直な気質の娘だと思う。
 植木鉢を運んでいるときに偶々出会ってそのままついてきたカブルーも、何やら楽しそうにしている。彼は人好きで何かと世話焼きな面があるようで、迷宮以降もミスルンの事を何かと気にかけているらしい。
 うまく育つと良いですね、と言いながら植木鉢を覗き込む二人は種族は違えどすでに成人している筈だが、自分よりずっと若い二人の愛嬌のある仕草をミスルンは好ましいと思った。
……できたら、お前達にやる」
「わ、本当ですか?」
「楽しみですね」
 そう言って二人が本当に嬉しそうに笑うので、何だかあたたかな心持ちになる気がする。トマトは一度実がつくとたくさん出来るらしい、蕎麦にも使えるか今度センシにあったら聞いてみるのも良いかもしれない。兄への手紙に書くのはやめよう、大量のレシピ本が届くかもしれない。
 パッタドルとカブルーがこちらを見た。二対の青い瞳が少し驚いた顔をした後に満面の笑みを浮かべる様子に何事かと思ったが、右頬の筋肉が若干引き攣る感覚に、ミスルンはどうやら自分は笑っているらしいと気付いた。