稲尾
2024-05-09 23:36:53
7626文字
Public 一次創作
 

【冒頭サンプル】リコとカシャロ

<あらすじ>
「桃色の毛髪」だけを残す透明人間の犯人が、連続殺人事件を起こしている街——
そんな街に住んでいるカシャロは、孤独な日々を過ごしていたが、ある時謎の少女「リコ」と出会う。
鮮やかな桃色の髪を持つ彼女は、聞けば今まで誰にも認識してもらえたことがなかったというが——?



出会い

 カシャロは、耳に付いている補聴器のスイッチに手をやった。しかし、その手は彼の目の前に立つ同い年ぐらいの、けれど性根の悪そうな少年にその手を掴まれて止められてしまう。
「お前、俺たちの話を聞きたくなくなったらそうするよな。こっちだって流石に気づくぜ」
……
 何も答えない。何を答えたところで、相手が突っかかってくるのは目に見えているからだ。
「黙ってないで喋ってみろよ、のカシャロ! ほ~ら、そのお綺麗な高い声で俺たちになんか言ってみろよ!」
……うるさい)
 席を立つ。カシャロが何処かへ行こうとするのに気づけば、ニタニタと厭らしい笑みを浮かべる三人組はその行き先を塞いだ。

「またやってるよ、あの三馬鹿……
「カシャロも可哀想にね、目ぇつけられちゃって」
「まあ、やられても仕方ないところはあるけど……
 教室内に居合わせたクラスメイトは、ヒソヒソと仲間内でそう会話するだけ。カシャロに救いの手を差し伸べようとは、絶対にしない。
 そもそも、こんな状況に陥ったカシャロを助けてくれるような人間など存在しないといっても過言ではない。何せ、カシャロには友人と呼べる存在がいないのだから。「カシャロちゃ~ん、な~んで何もお話してくれないのぉ~?」
「アタシ達寂しいわァ~」
 わざわざ声を裏返して、身長の高い少年の横に付いている二人がそうからかう。
……いい加減にしてくれ……
 痺れを切らしたカシャロがそう呟くと、三人組はわっと騒ぎ出す。やれ可愛らしい声だの、態度に見合わないいい声だの、そういう言葉ばかりを並べて。
 それら全てがカシャロの癪に障る言葉であることを理解した上で、彼らはそう言っている。それに気づいてしまっているカシャロは、より一層内心で腹を立てた。
 けれどどうしようもないのだ。反抗してもこうして相手を盛り上げてしまうだけだから、彼らが飽きるまでは付き合うしかない。
(早く、どっかに消えてくれ……
 カシャロの黒い瞳は、ぼんやりと遠くを見つめていた。

 ――カシャロ・レネは、生まれつき聴力が著しく低い。原因はハッキリしないが、治療できるものではないというのが医者の見解だった。
 それともう1つ、障がいとまでは言えないがカシャロの自尊心に良い影響を与えない、生まれ持った特徴があった。それが「第二次性徴期を過ぎても起きない声変わり」だ。十七歳――高校二年生という、この国における義務教育の期間を過ぎた年齢になっても、彼の声は子供のような高音のままだった。
 それらの2つはカシャロ本人にとっても多大なコンプレックスであったし、また周囲から見ても〝絶好の話題の種〟であったから、そのことで意地の悪い三人組に目をつけられるのも必然だったのかもしれない。
 更に不運なことがあるとするなら、それはカシャロ自身が他人に友好的な態度を取るのが苦手なことと、自分を馬鹿にしてくる相手へ強く出ることができずに受け入れてしまいがちなところがある点、だろう。これまで挙げた全ての点が悪い方向に作用して、カシャロの人生というのはあまり幸せとは呼べないものになってしまっていた。
 友人や親友と呼べる存在はいない。
 学校に行く度、性格の悪い三人組に弄られるだけの日々。
 それなら学校に行くのをやめればいい、というような意見もあるかもしれない。けれど、この学校には両親の善意で通わせてもらっているのだから……と思うと、カシャロにはその選択はできなかった。
 カシャロの両親は、いい人だ。息子が難聴を抱えて生まれてきたことを自分たちのせいだと考え、息子が幸せになるための支援なら何も惜しまない、という姿勢で生きている人間。学歴社会であるこの国ではある程度の学歴がないと幸せになるのは難しい、という考えから、義務教育が終わった後もカシャロを高校に通わせている。おそらく、大学にも通わせるつもりではあるだろう。
 ……両親がそういう考えで自分を学校へ送り出している、ということがよくわかる聡いカシャロであったからこそ、全てが噛み合わずに不幸な日々を過ごすことになっているのだが。

「はぁ……
 鬱陶しく絡んでくる三人組も、気が済んだらさっさと消えてしまった。
 一応、彼らは金を取ったり殴ったりはそうそうしてこない(カシャロがあまりにも反抗的な態度を取らない限りは)。それをやれば証拠が残ってしまい、自分たちが悪であることを確定させてしまうというのを理解しているからだろう。だから、彼らは基本的に言葉で弄ってくるだけなのだ。
(それが、余計に鬱陶しいんだ……
 カシャロは、今日何度目かの盛大なため息をつく。このまま素直に家に帰って、両親の愛を受けるのも嫌になるぐらい、彼は精神的に参っていた。
 どこか人気のない静かな場所で、ただ一人でじっとしていたかった。なんなら、この前父親の棚からそっと拝借してきた〝あれ〟を使いたい、という欲求もあった。
…………
 ふらり、とカシャロは立ち上がる。日が落ち始める世界の中、一瞬だけでも自分の居座れる場所はどこだろう、と考えながら歩いた。
 店、と名前のつく場所は全部駄目だ。必ず店員がいるから、完全に一人にはなれない。寂れた喫茶店を横目に、歩き続ける。
 公園は開けすぎている。やはり壁や天井がないと落ち着かない。あまり整備されていない公園を尻目にあるき続けた。
 そうして、家からも学校からも少し離れたところに来た。いわゆる工場跡地、と言うべき場所だ。危険表示のテープも貼られず、解体も全く進んでいない、ただ放置されているだけの場所。
……ここなら良いかもしれない)
 テープが貼ってあれば入るのに罪悪感を感じたかもしれないが、それがなければ何も感じる必要はない。それでも足音は極力殺しながら、中へと入っていく。
 中はボロボロだった。長く放置されたせいで錆だらけになっている用途不明の物体がゴロゴロと転がっている。 それら全てはカシャロにとってどうでもいいことだ。彼は今、一人で静寂に呑まれたいだけなのだから。
 適当な場所に腰掛け、ポケットから手のひらに収まるぐらいの箱を取り出す。煙草の箱と安っぽいライターだった。
「喫煙は人を殺す」
「喫煙は癌の原因」
 そんな強い口調のフレーズと、あまり見ていたくないようなショッキングな写真の載った煙草のパッケージ。そんな工夫をしても買うやつは買うのに、と思いながら一本だけ取り出した。フィルター側を口に咥え、ライターで火を点けようとしたその瞬間――

 ――近くから、男性の絶叫が聞こえてきた。

 この建物の中ではなく、外からだった。……しかし、カシャロが入ってきた方向からでもなさそうだ。もっと向こう側の方に、悲鳴の主はいるようだ。
 逃げるべきだ、と普段のカシャロなら思っただろう。だが今のカシャロは、ようやく見つけ出した自分一人の時間を邪魔されたことに僅かながら苛立ちを感じ、理性的な判断が出来ていなかった。
 声の通り具合からして距離はある。遠目に見て、大事であれば後で警察に通報しよう。何故かそこだけは冷静な頭で、カシャロは建物の中から出て声のした方にゆっくりと近寄った。

 遠目に見た先では、男性が倒れている。
 ……目を凝らして見れば、背中から血を流しているようだ。
 だがそれより先に、カシャロの視線を奪うものがあった。ナイフが、浮いている。空中に……
 思わずカシャロは目を擦った。すると、浮いているナイフを持つ手が少しだけ浮かび上がってくる。
 そのおかしな光景が信じられなくて、何度も瞬きをする。瞬きをする度に、ぼんやりと浮かび上がってくる姿があった。
 ……少女だ。派手な、長い桃色の髪をした少女。三度も瞬きをすれば、その前まで一切見えなかったその姿はくっきりと現れていた。
 笑えば可愛らしいであろうその顔には表情が一切宿っておらず、ただ無表情でナイフを持っていた。
 状況から見て彼女に刺されたであろう男性は、そうでありながらもキョロキョロと辺りを見回している。まるで、自分が何に刺されたかを理解していないような――
 「――――
 少女の口元が動く。見間違いでなければ「死んじゃえ」と呟いたように思えた。それと同時に、少女は躊躇なくナイフを男性の首へと振り下ろした。
 少女のその動作は、ひどく緩慢だった。振り下ろすその場面が見えているのなら、たとえ傷を負っていたとしても避けられる可能性はあっただろう。
 だが、男性は一向に避ける気配を見せず、その場から動かなかった。ナイフは首へと深く突き刺さり、その身体が大きく痙攣する。近くにいれば、断末魔の短い悲鳴も聞こえたかもしれない。
 少女はナイフから手を離さない。それどころか、憎しみの篭った手付きで、グリグリとナイフをかき回すような動作をしている。
 ……今更出て行ってももう全てが手遅れなのはわかっていた。なんなら、次は自分が彼女の標的になるかもしれない。それがわかっているから、カシャロはそっとその場を去ろうとした。
 けれど、惨状を目撃してしまったせいか、脳の「逃げろ」という指令を身体がうまく実行できない。視界も狭まっているのか、足元に転がっている鉄くずにも気づけなかった。
 ガシャン、と確実に向こうまで聞こえるような音を立ててカシャロは転ぶ。……起き上がると、向こう側であの少女が黙ってこちらを見ていた。
 その目のあまりの鋭さに、カシャロは血の気が引いていくのを感じた。どうしてあの時すぐに逃げなかったんだ、どうして確認などしに行ってしまったんだ、どうして……
 腰が抜けて、立ち上がろうにも立ち上がれない。自分の愚かな行動すべてを呪いながら、最後の抵抗で後退りするカシャロに向かって少女は近寄ってくる。
 悲鳴も上がらなかった。人間、本当の恐怖に陥ったときは声も出せないとどこかで聞いた気もするが、それが本当のことだと知りたくなどなかった。
 ぺた、ぺたと足音が近づいてくる。
…………
 ついに、座り込むカシャロを見下ろせる位置に彼女は立つ。その手にナイフは持っていなかったが、カシャロの恐怖はこれ以上ないほど張り詰めていた。
 少女がしゃがみこんで、カシャロと目を合わせる。首でも絞めるつもりなのか、と消え入りそうな意識の中で思うカシャロの身体を、少女は叩いたりぺたぺたと触り始めた。
「ひッ」
 少女に触れられて、思わず息を吸うよう小さな悲鳴が溢れる。その様子を見て、少女は不思議そうな顔をした。
…………見えてる?」
 それが何への問いか一瞬理解できなかったが、カシャロの脳裏にはすぐに瞬きする前の空中に浮いたナイフが浮かぶ。この少女は、幽霊か何かなのか……
 カシャロは首を縦に振った。喉が固まってしまって声が出せないから、肯定の意味を示すために。
 少女がそれを見た瞬間、鋭く冷たかった瞳が大きく見開かれる。閉じていた花が開くように、彼女の表情は急速に綻んでいった。
「見えてる! 私が見えてるんだ! すごい!」
 立ち上がり両手を広げ、全身全霊で喜ぶ少女。それは先ほどまでの少女とは全く違う存在だった。
 ひとしきり喜び終えると、少女はまたカシャロの前に座り込む。
「どうして? どうして私が見えるの? 君!」
「わ……分からな、」
「私はリコ! みんなの女神様なんだよ! 君は誰?」
 リコと名乗った少女は、カシャロの頬をむにむにと触る。「そうされたら喋れない」と崩れた言葉で言うと、リコは「そっかあ」と手を離した。
……僕は……カシャロ。カシャロ・レネ」
「カシャロ! いい名前だね、かっこいい! ねえ、カシャロはなんで私が見えるの? 他の誰も私のことなんて全く見えなかったのに! 研究所の人たちも!」
「ちょ、ちょっと待って……何がなんだか、まだ……君は、幽霊?」
「幽霊じゃないよ! 女神様だよ!」
 ……恐怖こそだいぶ薄れてきたが、今度は頭が痛くなってきた。話のところどころは通じているが、通じていない点も多くある。
「女神様って……どういうこと」
「どういうこと? うーん、そういうことだよ!」
…………
 話していて気づく。この少女は思ったより精神年齢が幼いのではないか? 見目は自分と同じぐらい……高校生ほどに見えるが、その内面は子供なのでは……
 ……思考を巡らせるのもほどほどにしなければ、とカシャロは気づく。たとえ子供のように無邪気であろうとも、この子は、人を殺しているのだ。
……あの人、どうして殺したの」
「ん? どの人?」
「君が……さっき刺した人のこと」
 そう言うと、リコは「ああ!」と手を叩く。
「声をかけても何も言ってくれなかったから。祝詞も唱えてくれなかったから」
 そう言い放つ瞬間の彼女の目は、また先ほどの冷たい光を宿していた。けれどすぐにそれは立ち消え、リコはカシャロに抱きついた。
「カシャロ! カシャロは私の友達第一号だね!」
 友達、という言葉にカシャロの心には小さな喜びが浮かび上がる。
 ……喜んでいる場合じゃない、と頭の中で叫ぶもう一人の自分に呼び戻されて頭を振る。
 とにかくここを去らなくては。通報もせずに去ればリコのやったことに加担することになるが、こんな人気のない場所で目撃者などそういるわけもない。そう言い聞かせて、カシャロ立ち上がってはリコの手を掴んだ。
……とにかくここから離れないと」
「離れる? どうして?」
「君はいいかもしれないけど、このままここに居たら君の代わりに僕が犯人になってしまうから」
「え!? それはダメだね! カシャロは友達だから、無事でいてもらわないと!」
 カシャロの言葉を聞くなり、リコも立ち上がる。そして、カシャロより先に手を引いて走り出した。
「ちょっと待って、君……リコはどこに行けばいいのかわかってるの!?」
「わかんない! でも遠くに行くんでしょ?」
「遠くに……って、ちょっと! 待って!」
 その細い手足からは想像もつかないほど強い力で、リコはカシャロの手を引っ張っていく。待って、とカシャロが言っても、リコの足は止まらない。
 走る。
 走っていく。
 息が切れても、止まらない。止まれない。

 ……どれだけ走っただろう。カシャロの息は完全に上がって、ぜーはーぜーはーと荒い呼吸を繰り返している。対してリコは息ひとつ切らしていない。が、それを不思議に思う余裕も今のカシャロにはなかった。
「ここなら大丈夫! 誰も来ないよ」
 そう言われて顔を上げれば、そこには小さい湖が広がっていた。
 ふと、湖面に視線が行く。片目を隠す黒い髪に黒い瞳の少年は、確かにそこに映っている。
 けれど――、横に立って自分の手を握っているはずの桃色の髪の少女の姿は、どこにも映っていない。
……手の感触は、確かにあるのに)
 彼女は一体何なのだろう。自分を〝友達〟と呼んでくれる存在ではあるが、こんな……湖面にも、自分以外の人の目にも映らない奇妙な存在を、友達と呼んでいいのだろうか?
「カシャロ、どうしたの?」
 どこにも映らない少女が、こちらを見て笑っていた。