薙屋のと
2024-05-06 23:22:01
4356文字
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寓話◆人魚姫

あなたの為なら魔物も食べます宣言

 人魚の肉、というものが最近出回っているらしい。
 元々はワ島の辺りにある伝承が由来だそうだが、海を渡り多人種による伝言ゲームを重ねた結果、どうやら噂に尾鰭が生えて泳ぎ回っているそうだ。
 曰く、人魚の肉を食べると不老不死になれる。
 永遠の若さが手に入る。
 美声と美貌が手に入る。
 ありとあらゆる病が治る。
 東方には人魚を食べ、千年生きた女が居るらしい。
 等々。荒唐無稽な御伽噺、と一概に断じられていないのは他ならないこの新生メリニ国が『悪魔を喰らった王にかけられた呪いで護られている国』だからに他ならない。とんだ前例があったものだ。そのせいもあって一部の人間は本気で信じている様で、その魔物の肉は港付近の闇市で密かに取引されているらしい。報告書を読んだカブルーは頭を抱えた。魔物食だけでもどうかと思っているのに、人魚と言えば亜人である。オークやコボルトのように意思疎通が出来るわけではないし、上半身が人間のそれなので便宜上亜人と呼んでは居るが基本的にはラミアなどと同様ヒトではなく魔物として認知されている――とはいえ完全にアウトだ。マルシルとヤアドと共にその話を聞いたカブルーは、すぐさま城中に緘口令を出し、特に絶対に何があってもライオス王その人の耳に入れてはいけないと厳命した。隣のマルシルも青ざめた顔でかくかくと頷く。
 同じ事を危惧した城の人間、料理人、ついでに顔を見せたイヅツミやセンシに至るまで、嫌な想像はあっという間に全員共通の認識となり、暗黙の了解としてこの件は最重要機密となった。
 いやはや、王への信頼の成せる業である。悪い意味で。



◆◆◆



 その日の夜、カブルーはミスルンの邸宅に呼ばれて夕食を振る舞われる約束をしていた。
 彼は街外れの小高い丘に居を構えていて、彼の兄が中央から寄越した数人の使用人が彼の身の回りの世話をしている。建物の基礎は千年前の黄金郷時代のものをそのままにエルフ式建築で改築と補強を施していて、まだ建国して日の浅いメリニにしては豪華だが、エルフの大貴族としては随分小ぶりで清貧な屋敷だ。最も家主の彼はそんな事にほとんど拘らない、拘ることができない人間なのだが。
 エルフからしたら頻繁に、トールマンからしてもそこそこの頻度で訪れているカブルーは屋敷の使用人とも既に顔見知りで、今日も案内されながら「今日は珍しい食材が入ったんですよ!」「へえ、それは楽しみだ」なんて会話をした。
 それから家主のミスルンにいつも通り挨拶をして土産を渡して、席に着いた。カブルーは余りエルフ料理を好まないのだが、此処の料理人は腕が良く研究熱心かつ他種族の料理を知る事に意欲的で、他民族が入り混じるメリニの文化に非常に興味を持っているらしい。他に類を見ない程多彩で美味しい料理が出るわけだが、家主のミスルンはそれらを全て黙って無感動に平らげてしまうので、食卓が賑やかになるとカブルーの来訪は歓迎されていた。カブルー自身、余り食に興味がある方とは言えないが、料理も他民族の文化の一つと思えば楽しいし、何よりあのミスルンが招待してくれるというのが嬉しいのでついのこのこと訪れてしまうのだった。



◆◆◆



 エルフの貴族の食事と言えば一品ずつ順番に出てくるコース制が基本だ(彼曰くそれもここ百年で出来た流行りらしい)が、この屋敷ではメリニの食卓同様、メインディッシュとデザートを除いた皿が同じタイミングで並ぶ。透き通ったアオウミガメのスープに、小海老のサラダ、サーモンのマリネ、どうやら今日は海の幸のフルコーラスらしい。漁業権についてはカーカブルードと目下折衝中ではあるが、海に囲まれたメリニにとって、海産物は重要な資源の一つだ。
 出される料理に舌鼓を打ち、ミスルンと近況の話をする。最近のメリニでの流行や、新しい趣味の話。他愛もない内容ばかりだけれど、ミスルンと話をするのは楽しい。
 そんな中で、『それ』はメインディッシュとして運ばれてきた。
 まず銀のゴブレットに注がれる赤葡萄酒に、あれ、とカブルーは思った。その後、眼前にことりと置かれた白い皿。
(ステーキ?)
 それは見慣れないステーキだった。付け合わせの香草やグリルされた野菜と共に、食べやすいようにかすでにカットされた状態で、彩り鮮やかに盛り付けられている。
 そのレアに焼かれた断面が見た事もない程の赤黒さで、カブルーはぎょっとした。今にも血が滲みだしそうな程赤黒いのに、その様子はない。血抜きされてこの色なのか。それにしても何の肉だろう。そう言えば使用人が「珍しい食材が手に入った」と言っていたが、きっとこれのことなのだろう。どう見ても牛や豚ではない、何だかカツオのタタキっぽさもあるが明らかに魚ではない生き物の肉である『それ』に、ふと今日城であった出来事と、ある幼い日の養母との問答が頭をよぎった。

『いいかいカブルー。もしエルフに見知らぬ肉料理を出されたら、必ずこれは何の肉かと訊ねるんだ。もし「二本脚の羊」と言われたら、絶対に食べてはいけないよ』
『どうして? ミルシリル』

 魚介中心のコースで出てくる、肉料理。
 この場合は二本脚の羊ではなく二本腕の魚になるのだろうか、ああでもそれだと魚人の方になるな、なんて思考の一部が現実逃避をしだす。向かいで食事をするミスルンはこの事を知っているのだろうか。
 もし、知っていて、出したのなら。
……これは、何の肉ですか?」
 声が震えないよう、動揺を悟られないよう、細心の注意を払って問いかける。ミスルンの光を灯さない黒い瞳が、今日ばかりは何故か異質なものに見えた。彼と初めて会った時の事を思い出す。島主の屋敷にて自分と対峙した彼は、自分よりずっと小柄であったのに凛とした威圧感を放っていて、異彩を放つエルフの集団の中でも一際特別だった。
 彼はゆっくりと口を開き――
「これは鯨肉だな」
「くじら」
 先に肉を食べたミスルンが、もごもごと舌の上で転がしてから答える。此方では馴染みがないか? と不思議そうな顔をするのでエルフの国に居た時も食べたことがないです、と返す。ミスルンはふむ、と一つ頷いて続けた。
「ミルシリルは内陸の出身だから馴染みが無いかもしれない。中央の海岸部では割とよく食べられている。高タンパクで鉄分も多く、身体に良い」
 最近お前の顔色が良くなかったから、気を遣った使用人が用意したのだろう。そう言いながらぱくぱくと食べている。ミスルンにとっては食べ慣れた食材なのか、全く意に介していない様子に――そもそも彼は魔物食に特に抵抗はないけれど――思わず深いため息を吐いた。
「どうした」
「いえ、ちょっと色々ありまして……
 勝手に深読みして気負っていた自分が悪い。カブルーは頬を掻きながらミスルンに今日城であった事を話した。
――それで、夕食に見た事ない肉が出てきたからびっくりしたんですよ」
 そう言って笑って、目の前にある肉を小さめに切り分けて口に運ぶ。赤黒い断面はやはり見慣れないけれど、なるほど食べてみれば思ったよりクセもなくほんのりと甘みがあって美味しい。なんとなく昔食べた馬の肉に似ている気がするが、赤身の魚の風味もある気がする。
 ふと視線を感じるので正面を見ると、先に食べ終わったミスルンが食後の紅茶を飲みながら、カブルーの咀嚼する口元をじっと凝視していた。あまりにじっと見つめるものだから、そのまま穴が空いてしまいそうだ。カブルーは口の中の肉を飲み込んで「どうかしましたか」と尋ねた。
「私が嘘を吐いていたらどうするつもりなんだ」
「えっ」
 じ、と真正面から見つめてくる黒い瞳は底が見えなくて、感情が読めない。まるで深い海の底みたいだ、とカブルーは頭の片隅で思った。
「私が嘘を吐いて、鯨肉と偽って人魚の肉を食べさせる可能性には思い至らなかったのか」
 ミスルンは他人と違って欲求が極めて薄いか、もしくはまだ戻っていない。だが、嘘を吐かない訳ではない。
 子どもの駄々のように分かりやすい嘘を吐く事もあれば、必要な場面では此方が吃驚するほど大胆に相手を罠に嵌める事もある。元から表情が判りづらいが故に、嘘か真か判別がつかないのだ――ちょうど、今のように。
……そうですね、」
 カブルーは少し考えるそぶりをする。答えなんて、最初に何の肉かと訊ねた時にもう決まっていた。ナイフを引き、フォークで赤黒い肉を口に運ぶ。
「その時は、気付かなかったフリをして食べますよ」
 そう言って、悪戯っぽく笑ってやった。ミスルンが目を丸くして、ぽかんとした顔をしている。思いもよらない返答に虚を突かれたようだった。
「だって、貴方が用意してくれたものですから」
 哺乳類のような、魚類のような、不思議な肉。カブルーは鯨を食べた事が無いので、これが本物か判別がつかない。鯨は魚では無く海に棲む哺乳類なのだそうだから、海に棲む亜人である人魚も似たような肉なのだろうか。なんだかライオスのような事を思ってしまった、とは言え人魚の肉が食べたいとは思わない。食べたくない、けれど。
「ミスルンさんも同じものを食べていたでしょう?」
 あの王の傍にいる以上、これからの人生で魔物を食べないことは不可能なのだ。カブルーはそれを出来るだけ回避してその回数を一回でも減らす事を目標としているが、もしこの人がそれを自分に食べさせたいという欲求を持ったのなら――叶えたい、そう思ってしまった。
 だからカブルーは、もし先ほど何の肉かと問うた時に『これは人魚の肉だ』と返されていたら。その時言おうと思っていた事をウインク付きで堂々と答えてやった。
「だからもしこれが本物の人魚の肉だったら、あと千年付き合ってくださいね」
 ぱちりと決めたそれを受けて、目を瞬かせたミスルンがふっと口元を綻ばせる。分かりやすく左側が笑っていた。
「その場合、お前にはあと百五十年分食べさせないといけないな」
 うわ俺にまだ魔物を食べさせる気なんですか、貴方が望むなら食べますけど。そう戯けると、ミスルンはくすくすと笑いながら「冗談だ」と小さく言った。
 それは追加で魔物を食べる方ですか、それとも人魚の肉がですか、とはカブルーは聞かなかった。



◆◆◆



「ウミガメのスープという話があるだろう」
「ああ、あの有名な」
「アカウミガメとアオウミガメでは味が違う」
「へえ」
「なので『あの時食べたスープと違う』からと言って人肉だと思うのは早計だ」
「なるほど?」
「ちなみにクジラも違う」
……さては揶揄ってるでしょう」
「うん」