中也は、ずっと適温だったはずの車内がだんだんと冷え込んできているのを感じた。太宰との任務を終え、拠点へ戻る途中だった。横目でちらりと助手席の太宰の様子を窺う。
黙々と次の仕事のものだろう資料を読み込む太宰の顔に感情は乗っていない。1年中、暑さも寒さも感じさせないので、読み取るのは初めから無理だったのかもしれない。何か声を掛けるべきかと少しだけ迷って、結局何も言わずに暖房の設定温度を2度上げた。
今回の任務は少しばかり遠出していて、高速道路を1時間以上走っている。地域差か、それとも日が落ちたことによるものか。運転席から見える外気温表示は、出発時から5度以上下がっている。
そういえば、今夜は12月下旬並みの冷え込みだと朝の天気予報で言っていたような気がする。その予報を聞いていたにも関わらず、「動くなら暑くなるだろう」と結局昨日までと変わらない服装で出てきてしまった。任務中はその通りであったし、もう外に出るのは駐車場から自宅までの短い間だけなので、耐えられない程ではないだろう。
中也はそこまで考えて、もう1度太宰の様子を窺った。先程と何も変わっていない。強いていえば、読んでいる資料の頁がいくらか進んでいるぐらいか。
昨年の冬を思い出す。あまり厚着している印象も寒そうにしている印象もない。だが今より行動を共にすることが少なかったから、覚えていないだけかもしれない。拠点の外で会ったことがあったかと言われると自信もない。あったかもしれないが、なかったかもしれない。
太宰の筋肉も脂肪もない薄い身体が、十分に熱を生み出せるとはとても思えない。何度か入ったあの簡素なコンテナの壁は薄い。断熱材など当然のように入っていないあの壁は、夏の暑さも冬の寒さもダイレクトに伝えてくる。
暖房器具の類はあるのだろうか。あったとして、今夜の冷え込みに耐えられる程だろうか。冬の最も寒い時期はまだ先だ。昨年乗り切ったのだから、何か手はあるのだろう。それでも、1度気になり始めると、とてもじゃないがそのままにしておく気にはなれなかった。
「手前、この後どうすんの?」
口を開いたのは数十分振りだったが、太宰は資料に視線を落としたまま答えた。
「帰って寝る」
「コンテナで?」
「そうだけど」
「あの部屋、暖房とかあんの?」
「……何が言いたいの?」
そこで初めて太宰が剣呑な表情をこちらへ向けた。あからさまに拒絶の色を滲ませた声色に怯みそうになる。
「いや、今日、寒いだろ」
「もう冬だしね」
「うちなら暖房あるし、あの部屋よりはましだと思うけど」
太宰は一瞬ぴしりと固まって、それから呆れたように大袈裟なため息を吐いた。何かおかしなことを言っただろうかと考えるが、それより先に太宰の嫌味が飛んできた。
「君、誘うならもっと上手くやりなよ。そんなので着いていく程尻軽なつもりはないよ」
「はぁっ!? 誰もんな話っ!」
「違うならもっと言い方考えなよ。セクハラだと思われるよ」
ついカッとなって言い返したが、続く言葉にぐうの音も出なくなってしまった。確かに誤解を与える言い回しだったかもしれない。自宅に誘っているのだから、誤解でもなんでもないともいえるのだが。
太宰はもうこの話は終わりとばかりに資料へ視線を戻している。視界に現れた道路案内表示が、もうすぐ降り口が近いことを示していた。
記憶にある太宰の身体は、いつも冷たい。中也が触れるのは、太宰が自力で動けない程の怪我を負っている場合がほとんどであるので、当然といえば当然である。太宰が元気な時となると汚辱を使った後か、殴り合いの喧嘩の時などか。どちらにせよ、その時の太宰の体温など覚えていない。
だから本当は必要ないのかもしれない。だけれど、あの冷たい手足を思うと温めてやりたいと思う。
「温めてやるから、うち、来いよ」
意図してそういう言い回しを選んだ。中也の家には布団は1組しかない。ソファはあるが、それでは寒いだろう。もし太宰が来るのであれば、必然的に同じ寝台で眠ることになる。家まで来て、直前で拒否されては面倒だ。嫌なら今のうちに断ってくれた方がいい。正直なところ、返事はどちらでも良かった。
太宰はぴくりと小さく身体を揺らしただけで、返事はしなかった。
無視されたか、聞こえなかったか。中也を揶揄うことが至上の喜びとでも言わんばかりの太宰だ。ただ無視をするとは思えない。なら聞こえなかったのか。だがなかったことにしたいのであれば、もう1度言うのは憚られる。悩んだまま何も言えずに高速道路を降りた。
いくつ目かの交差点で停車した時だった。
「いいよ、行っても」
小さく聞こえたその言葉が、先程の返事だとわかるのにしばらくかかった。何の返事だったかと頭を巡らせながら様子を窺っていたが、続く言葉も動きもなかった。
太宰が手に持っていた資料は、少し前から全く進んでいないようだった。まさか、今までずっと返事を考えていたのか。
太宰と中也の家のちょうど分岐点となる交差点だった。直進なら太宰の家、左折なら中也の家。中也は返事の代わりに左折の指示器を点灯させた。
中也の家に着いてからの太宰はいつも通りだった。着替えを持っていないから貸せだのちびっ子の服は丈が短いだのと文句を言って、当然のように中也が準備した一番風呂に入った。
だけれど、中也が風呂を終えて出てくると、おそらく車内で読んでいた続きだろう資料をいそいそと鞄へ仕舞い、雛鳥のように中也の後を着いてくる。同じ布団に入ることに対しても、文句のひとつも言わなかった。黙って中也の隣に滑り込む。
「電気消すぞ」
念のため声を掛けたが、返事はなかった。灯りを消すと、遮光カーテンで外界と遮断された室内は真っ暗だ。
すぐ隣で触れそうな距離にある太宰の身体は、温かいという程ではないが、危惧していた程冷たくはなかった。中也の記憶にある太宰の体温は常ではなかったからで、普段はちゃんと温かいのだ。中也の取り越し苦労だったのだろう。そうするとなんだか馬鹿馬鹿しい気持ちになってきて、布団の中で太宰へ背を向けた。
2人の体温を包む布団はすぐに温かくなってくる。任務の疲れもあって、目を閉じるとすぐにでも意識が落ちそうだった。
しかし、太宰が中也の背中に遠慮がちに擦り寄り、おずおずと腹へ片腕を回してきたことでそれは遮られた。
「離れろよ」
「温めてくれるんじゃなかったの」
首筋に吐息がかかる。あえてああいう言い回しを選んだ時点で、こうなるかもしれないと予測はしていた。ここまで積極的に行動を起こされるとは思っていなかったけれど。
太宰の腕の中で向きを変える。腰に右腕を回すと、薄い布地越しに太宰の骨張った腰のラインを感じとって、どきりとした。それに追い討ちを掛けるように、甘えた仕草で首筋に頭を預けられた。ふわりと中也のと同じシャンプーの香りが鼻腔を擽る。その後頭部を左手で撫でると、戯れのように鎖骨をちろりと舐められた。
それで、太宰が本当にそのつもりなのだと知れた。それを誤魔化すように布団の中で脚を絡める。記憶にある氷のような冷たさではなかったけれど、温かいとはとても言えなかった。風呂で温められた熱を失い始めているのか。
なんだ、やっぱり今夜、あの家に帰さなくて良かった。安堵すると同時に、当初の目的を思い出した。
「おやすみ」
その気になりかけていた身体を引き戻すように、できるだけ優しく告げる。太宰の困惑がはっきりと伝わってくる。それを、抱き締める腕に力を込めることで制した。
やがて諦めたのだろう。太宰は中也の腕の中でそっと身体の力を抜いて、代わりに冷たい足を押し付けた。それに熱を分け与えてやっているうちにまただんだんと眠気が這い寄ってくる。温かくて適度な厚みと重みのある身体が心地良い。意識がとろりと崩れ落ちた。
次に意識が戻ってきた時、布団の中は中也1人だった。慌てて飛び起きたが太宰はもう部屋から姿を消していた。あんなにしっかりと抱きしめていたはずなのに、布団から出ていった気配すら感じられなかったことには落胆せざるを得ない。
いっそあれは夢だったのかと思うが、太宰に貸してやった寝巻きが洗濯籠に乱雑に入れられていて、夢ではなかったと確信する。
ただ、それだけだった。
拠点で会った太宰は昨夜のことなど綺麗さっぱり忘れ去ったかのような振る舞いだった。話題に出すことはもちろん性的な接触をされることもない。自然、中也も触れないように振る舞った。何もなかった。そうしたいのだと思っていたのに。
数日後、任務開始を待つ、短い空き時間だった。
「ねえ、中也。今晩、温めてよ」
中也の左手にそっと太宰の右手が絡む。咄嗟に人の手だとわからない程冷たくなった手と封印していたはずの言葉に驚く。俯きがちの太宰の表情はわからない。
「別に、嫌なら無理にとは言わないけど」
太宰の意図を掴みかねる。逡巡しているうちに絡められた指が離れていこうとして、慌てて掴み直した。
「嫌とは言ってねぇだろ」
咄嗟にそれしか言えなくて、自分の気の利かなさに辟易する。せめて変温動物のように冷たくなってしまっている手を温めてやりたくて、伸ばしたもう片方の手はやんわりと拒絶された。代わりのように掴んだ右手に緩く力が込められて、中也もそれに応えて握り返してやった。
中也と太宰、2人だけの空間で、任務開始数秒前までそうしていた。それでも太宰の手が十分に熱を取り戻すには足りなかった。
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