夜明 奈央
2024-05-05 10:34:42
9787文字
Public 中太小説
 

7年越しの想いを添えて/想いのその先

7年越しの想いを添えて:バレンタインに贈り物をし続ける太宰さんの話(2022年2月15日初出)
想いのその先:続きのホワイトデーの話 うっすらモブ太要素あり(2022年3月13日初出)


 バレンタインデーの夜、中也は太宰との関係を変えるつもりで家に行った。有体に言えば、太宰を抱くつもりだった。だが、付き返したチョコレートを中也に渡し直した太宰は、それ以上何も言わなかった。
 それで、太宰が中也を好きだというのは中也が都合良く解釈した結果であって、太宰にはそんなつもりはなかったのではという気持ちが湧きあがってきて、結局好きだとか、付き合おうだとか言い出せなくなってしまった。それどころか次の約束も今の連絡先の交換すらできなかった。
「中也に好意がある」以外に、裏切った後も律儀にバレンタインにチョコレートを送ってくる理由なんて今でも思いつきもしないが、世の中には信じられない考えの持ち主がいるものだし、太宰はその中でも最たるものだ。だからあそこで口を滑らせでもしようものなら一生お笑い種にされるのではという考えが咄嗟に過ぎってしまったのだ。
 長年ただの相棒で憎まれ口を叩きあってきたような仲だ。仮に太宰が自分から言いたくなくて中也に言わせようと仕向けてきたのだとしても、今更関係を変えるのはそれなりに勇気がいる。それだけでも二の足を踏むというのに、これで玉砕などしようものなら今後どんな顔をして会えば良いのかわからない。普通に生活していれば会う機会などない立場の人間ではあるのだが、それでもこの狭い横浜で今後2度と顔を合わせないなんてことはないだろうし、あの男は中也を揶揄うことに並々ならぬ執念を注いでいるので、機会などなくても作ってしまうのが容易に想像できる。
 そういう今までの苦い思い出が中也の口を貝のように閉ざしてしまったのだった。
 そんなことで怯まずにちゃんと言葉にしていれば、こんなもやもやを抱えずに済んだのに、と悔いても後の祭り。期間にしてみれば短いが、それでも随分と濃密な日々を過ごした太宰との時間の中で、そんな雰囲気になったのはおそらくあの日が初めてだった。努めて、相棒としての枠からはみ出ないようにしていたので。
 中也の方は、昔から満更でもなかった。あれで顔は好みだったし、情報収集だのなんだので色仕掛けをする太宰ははっきり言ってそそるものがあった。おかずにしたことは1度や2度ではないし、気持ち悪いおじさん相手でも平気で股を開いて媚を売る太宰を見て、頼めば抱かせてくれるんじゃないか? と考えたことだってある。
 それをしなかったのは、太宰が相棒としての中也を信頼してくれていたからだった。本人は決して認めないだろうが。中也は、それを裏切りたくなかった。恋人でなくても、相棒として特別な立ち位置にいられるなら、それでいいと思っていた。太宰が裏切るまでは。
 相棒でなくなって4年。裏切り者として再会して数ヶ月。ずっと手を伸ばしたいと思っていた相手に、手を伸ばす絶好の機会を無下にしたのは、自分だった。
 なんて馬鹿なことをしてしまったんだろう。
 あれから数日。1人になると考えるのはそんなことばかりだ。
「中也さん、大丈夫ですか?」
 部下の1人が心配そうに覗き込んできて、はっとした。
「悪い、ちょっと考え事してた」
「構いませんけど、あまり根を詰めすぎないでくださいね?」
 部下の言葉を聞いて漏れるのは苦笑いだ。きっと仕事の話だと思っている。確かに最近はそれなりに面倒な案件をいくつか抱えている。だからこんなプライベートなことで悩んでいる余裕は実のところあまりないのだ。時間が空くとつい考え込んでしまうのはやめられないが。
「お忙しいところ申し訳ないんですけど、バレンタイデーに贈り物をくれた方々のリストを作成しましたので、お手隙の際にご確認いただけますか? 発注の問題があるので1週間程度でお返事いただきたいです。」
「ああ、わかった」
「それでは失礼しますね」
 何事もなかったように去っていく部下を見送って、まるで天啓を得たような気持ちになった。
 そうか、ホワイトデー。世の中には都合の良いイベントがあるではないか。機会がないなら自分で作れば良い。
 まだ3週間は先になるが、前回は数ヶ月振りだったし、その前は4年だ。不本意ではあるが取り立てて長いとは思えない。
 なんだかもう、それに縋るしかないような気がしてきた。

 そうして、中也は初めて太宰にバレンタインの返礼をすることにしたのだった。

 実のところ、今まで1度も考えなかったわけではない。最初の年は深く考えていなかったが、2年目に差出人不明の贈り物が届き、それが太宰からじゃないかと思ったときには、一応用意していたのだ。ただ、匿名の贈り物にわざわざ返礼を送るというのはどうなんだ? と考えてしまうと結局渡せなかったのだ。そんなことをすれば、絶妙な均衡の上に成り立っている関係が崩れてしまうような気がして。
 だが、その均衡は既に崩れた。今更何を遠慮することもないだろう。

 そして3月14日。ホワイトデー当日。

 最初はまた夜に家に行こうかとも思ったが、やめにした。仮にも敵組織の社員寮にそう何度も上がり込むものではないだろう。見られた時のリスクが高すぎる。なので3日程前にポストに呼び出しの手紙を投函した。場所は中也のセーフハウスの1つだ。ここなら見られる心配はほぼない。太宰にその気があるなら来るだろう。来ない可能性もあるが、来なければ流石に諦めもつくし、昔馴染みの悪友に告白して振られるなんていう失態も犯さずに済む。逃げ腰だなとは思うが、バレンタインの反応で自信は一気に消え去ったし、太宰の考えることなんてわかるわけがないという考えが一層強まってしまったので、勘弁してほしいと誰にともなく言い訳をした。
 一方的な呼び出しのため、時間は指定せず、“夜”とだけ書いた。だから太宰が来るつもりだったとしても、それが1分後なのか、はたまた夜明け間近なのかはわからない。そもそも夜がどこから始まるかも、どこで終わるかも、はっきりと示し合わせたことはなかった。インターホンが鳴れば気付くだろうが、それでも寝てしまうわけにはいかないから、どうやって時間を潰すべきだろう。まだ明るい夕暮れ時の空を眺めながら途方に暮れた。
 だが、太宰は存外早くやってきた。日が落ちてすぐだった。とりあえず夕食でもと思っている頃に間延びしたチャイムの音が鳴り響いて、はっと顔を上げた。慌ててインターホンを覗きこむと画面に太宰が写り込んでいる。1階のエントランスだった。逸る気持ちを抑えるために深呼吸をし、なるべく平静を装って「上がれよ」と告げ、鍵を開けた。太宰は何も言わなかった。
 あとは数分もしないうちにここに来る。途端に何を言えばいいかわからなくなって、心がざわつく。早く来てほしい、でもこのまま来ないでほしいという相反する気持ちを抱えて自嘲する。ああそうさ、笑えばいい。付き合った女は数知れないが、こんな、改まって始めるなんて初めてなのだ。
 そうして待つことしばし。中也の気持ちなんて知ったことかとばかりに太宰は素知らぬ顔で中也の部屋の前に立っていた。
「やあ、中也。こんばんは」
「おう、入れよ」
 なんだからしくもなく穏やかな言葉を交わして奥のリビングに向かう。だが、その後はなんともいつも通りで、歩きながら外が寒かっただの、呼び出すなら迎えぐらい寄越せだのと文句を垂れる。なんだか緊張しているのがバカバカしく思えてくる程だった。
「適当に座れよ。茶でも淹れてくる」
 どうやって話を切り出すべきか悩んで逃避を図ってから、太宰相手に茶でもてなしたことなんてなかったなと気付いて後悔した。だが、太宰が普段と同じように減らず口を叩き続けるのをどうにか止めなければ、とてもじゃないがそんな空気に持っていける気はしなかった。
 そうしてできる限り時間を掛けて準備してもいつかは終わってしまうわけで。2人分の茶を目の前に置き終わったところで、ついに太宰が口を開いた。
「それで?わざわざ呼び出して、何のつもり?」
 それまでぽんぽんと飛び交っていた会話がぱたりと途絶えた。途絶えさせたのは中也なのだが。
「あー、それは、その……
 中也が口ごもるのを見て、太宰が片眉を吊り上げるのがわかった。訝しんでいる。そこには僅かの期待すら感じられなかった。
 そこで、まさか今日がホワイトデーだと知らないのか? と頭を過ぎるが、すぐにその考えを否定する。あの太宰が、突然呼び出されて何の予測もせずにほいほいやってくるわけがない。相棒だったあの頃ですら、そうだったのだ。当然、可能性の1つにホワイトデーだって上がっているだろう。それでも期待していないのは、中也がホワイトデーに乗っかる可能性が限りなく低いと思っているのだ。バレンタインにあんなことがあったというのに。
 そこまで気付いて、なんだか悔しい気持ちになって口からは自然と大きなため息が零れ落ちた。
「人の顔見て溜め息吐かないでほしいのだけど」
 悪態にもいつものようなキレがない。困惑しているのだ。
「これ、やるよ。バレンタインのお返し」
 覚悟を決めて傍らに置いてあった包みを机に置くと、太宰は中也の真意を探るようにじっと見つめてきた。視線を逸らさないで見つめ返してやると、しばらくして納得したのか、「君、相変わらず律儀だね」と呟いて包みに手を伸ばした。
 素直に礼ぐらい言えないのか、と思うが、こいつはそういう男だ。他の誰に礼を言おうと中也には死んでも言いたくないと思っている。
 だが、注がれる視線に、本題がこれからだということはバレているんだろうなと思った。こういうところをいちいち説明しなくていいのはありがたい。
 だが、ここまできても場の雰囲気には甘さの欠片もなくて、この状況で好きだの付き合えだの言うのは随分滑稽に思える。いっそ逃げ出したいぐらいに。前回逃げ出した所為でこんなことになっているのでそういうわけにはいかないのだが。
 大きく息を吸って吐き出す。深呼吸なのか溜め息なのか、自分でもよくわからなかった。口の中がやたらと乾くのを、冷め始めたお茶で潤した。
「手前、バレンタインにチョコ渡したんならもちっと期待してもいいんじゃねえの?」
 できるだけ場の空気を和ませようとしたのが伝わったのか、太宰は張り詰めた空気を少しだけ緩めてくれた。
「別に、期待してなかったし」
「誰かさんが差出人隠してなきゃ、俺は毎年返してたぜ」
……君、いつから気付いてたの」
「さあ、いつからだろうな」
 中也が笑うと、太宰は罰が悪そうに下を向いた。普段とはまるっきり立場が逆だ。ちょっと予想外ではあるが、気分はいい。
「確信があったわけじゃない。てめえがそんなことするとも思わなかったし、てめえが本気で隠せば俺にわかるわけもねえ。だから、俺の都合の良い妄想なんじゃないかってずっと思ってた」
 太宰の反応を待ってみるが、ぴくりともしないし、相変わらず下を向いたままなので、表情は窺えなかった。
「俺はずっと、手前が俺のことを好きで、それであんなもの渡してきてるんだとしたらいいのにって思ってた」
「君、私のこと嫌いなんじゃなかったの」
 俯いたまま視線だけがこちらを覗いている。迷子の子供のような表情で、見当外れではなかったと確信して、ほっとする。
「嫌いだよ。何もかも。それでも俺は、手前が欲しいとずっと思ってた」
「君のそういうとこが嫌いだよ」
 そう言った太宰は仄かに目元を赤く染めて笑っている。素直じゃねえ奴、と思いながら、今度こそ手を伸ばした。
 漸く手中に捉えた瞬間だった。


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