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「イサミ
……このまま2人で、どこかに逃げないか」
「
……どこにだ?」
イサミはおかしそうに、あるいは馬鹿にでもしているかのように、そんなものは夢物語に過ぎないと一笑に付した。
「分からない、けど
……」
「スミス。もう、俺たちに逃げ道なんか残されてない。ただ終わりに向かうだけだ
……違うか?」
諦念に満ちた言葉だ。いっそ投げやりですらあった。だが、それは紛れもない真実だった。
***
なぜ俺を助けたんだ、と血を吐くような声で責められた。目覚めた彼の第一声がそれだ。なぜ、と問われて、明確に理由を返せる者がいるだろうか。目の前に失われそうな命があって、それを救い出せるのが自分だけだとして、手を延ばさないでいられる人間が果たしてどれだけいる?
少なくともスミスは、そんな真似ができる男ではなかった。
ずっとヒーローになりたかったのだから。
突如宇宙から舞い降りた正体不明の、悍ましい姿をした敵性存在。その攻撃が止んだ隙をついて、スミスは走り出す。視界に入った、まだ動いている人間──すなわち生存者を無我夢中で抱え、かろうじてAPUの生きているTSに飛び込んで一目散に離脱した。そのほんの数秒後、それまで彼らがいた場所はまるで切り取られたかのように何もかも粉微塵に吹き飛んでいた。舞い降りた塔のような建物から、大地をえぐり焼き尽くす光線が放たれたのだ。もう少し判断が遅ければ、自分たちもこの世から消し飛ばされていただろう。
そのとき抱え込んだ生存者が、Japanから演習のためやってきたSelf-Defense Forces──自衛隊所属の男、イサミ・アオだった。前日の演習で出会い、ワイキキのバーでしばしの歓談を楽しんだ相手だ。クールで凛々しく気が強い、黒豹のような男、というのが抱いた印象だった。だが今はどうだろう、親からはぐれた子猫のように不安そうに震えている。そうして、スミスに小さな牙をむき出しにして噛みついてきたのだった。
「俺が引っ張って逃げなきゃ、君は死んでいた」
「みんな死んじまった
……俺だけ、生き残って、いったい何の意味が
……」
「馬鹿を言うな! じゃあ後を追うとでも? それなら勝手にすればいい、イサミ・アオ。戦う気のない奴がいても、これからの戦いには邪魔になるだけだ」
膝をつき、肩を落として悔恨する男に、スミスは厳しく吐き捨てた。仲間を失ったのは彼だけではない。すでに数えきれないほどの犠牲が出ていて、その中にはスミスの上官兼友人も含まれていた。それでもスミスは膝を折ろうとは思わない。まだ戦いは続いているのだ、動かせる機体に今すぐにでも乗り込んで、前線へと加勢に出ねばならない。戦意を失い弱音を吐くばかりの男に構っている時間も心の余裕もなかった。
だが、このまま彼を1人残して出撃することが、スミスにはどうしてもできなかった。
「
……イサミ・アオ、1人は怖いか?」
「
……怖い」
昨日演習で見せた、エースパイロットの姿はそこにはない。どれだけ実力があり、持て囃されていたとしても、彼には実戦経験がないのだ。守ることを課せられている彼は命の尊さは知っていても、己に迫る命の危機の恐ろしさは知らない。
「みんな
……」
ぽた、とむき出しの地面に雫が落ちてしみを作った。硝煙や土埃で周囲はかすんでいるが、空は晴れ渡っている。雨、ではない。遠くでまた爆発音が響く中、スミスは屈み、彼の顔を覗き込んだ。
「アオ3尉
……」
彼は涙を流し、それが頬を伝っては地面に落ちている。迷子のいたいけな子供のように、静かに泣き、仲間たちの死を悼んでいた。
「
……俺は戦う。君は
……もうTSに乗らなくていい。だがせめて、自分にできることをやるんだ」
「
……」
「俺は生き残った皆を守る。そのために行かなくてはいけない」
「
……ルイス・スミス
……」
涙で潤んだ目がスミスを不安そうに、そして悲しそうに見つめてくる。厳しい言葉を放ってしまったが、スミスは彼を嫌っているわけでは決してない。こんな予想外の事態が起きなければ勝負を楽しんでいただろうし、きっと良い友人になれただろう──
スミスは立ち上がった。まだ格納庫にTSの予備機が何台かあったはずだ。この際旧式の木偶の坊でも構わないから、すぐにでも前線へ戻らなくては。
「じゃあ、俺は行くよ。アオ3尉、残った皆を頼む」
「あ
……」
彼が何か言いかけたのを振り切って、スミスは駆けだした。
***
急場は凌いだが、エアコンの効いた部屋でモニターを眺めていたお偉方はあらかたKIA、管制塔も大半が破壊されてしまった。指揮系統は混乱の最中にあり、英語という共通言語はあれど多国籍の軍がすんなり協力し合えるはずもない。今は四の五の言わず手を取り合わなくてはならない事態だが、そもそもあの化け物の正体は何なのか、あるいはどこかの国が極秘に開発した破壊兵器なのではないか、隣にいる人間は本当に信じられるのか?等々、基地内には疑念が渦巻いている。中には、すぐにでもハワイ諸島を放棄して本国へ帰還すべきという声も上がっていた。
自然、人々は各国ごとに固まっていく。スミスの所属する米国海兵隊も、多くの人員やTSを失ったため、臨時で再編成された。
ちら、と横目で見た日本のTS部隊に、イサミ・アオの姿は見えなかった。
すっかり心が折れてしまったのだろう。初めての戦場で『そう』なってしまう兵士は多いと聞く。今は敵前逃亡を咎める上官もいない。ならば彼も非戦闘員の1人で、スミスにとって庇護すべき対象である。
難を逃れた空母に部屋を一室与えられ、スミスはそこでこれまでのこと、そして今後のことを考えていた。
哨戒、および暖機運転しているTSに搭乗しての待機を交代で務めることになったが、話をまとめるまでも紆余曲折あった。
敵が沈黙を保っている今、ほっと胸をなでおろす者は誰1人としていない。あの塔のようなものは鎮座したままであり、またいつ奴らが襲い掛かってくるのか戦々恐々としているのだった。
深くため息をつき、少しでも眠ろうかとベッドに横になった時。乱暴なノックの音が室内に響いた。狸寝入りをして無視を決めこみたい、というのが本音だったが、今は状況が状況であり、緊急の用でないとも限らない。鋭く舌打ちをして苛立ちを吐き出し、ベッドから飛び降りた。
「who is it?」
小さくドアを開けて問いかけると、顔を見せたのは海兵隊の男だった。所属中隊が異なるため、何度か会話を交わしたことがある程度の相手だ。つまり、少なくとも深夜に尋ねてくるような間柄ではない。
「何か用か? 寝るところだったんだが」
「あんたにお客さんだよ。部屋の前でうろうろしてたんで、見かねてな」
「お客さん?」
タトゥーの覗く逞しい腕に引き寄せられて姿を現したのは、まったく予想外の人物だった。
「驚いたな。どうしたんだ、イサミ・アオ3尉」
「
……ちょっと、話があって」
うつむきがちな青年は、ぼそぼそとはっきりしない態度だった。親しくもない他人と会話する気分にはとてもなれないが、ずいぶん勇気を振り絞って足を運んできたのであろう彼を素気無く追い返す気にもなれない。そもそも、みな気が立っている中こんなところに1人でやってくるとは。鍛えられた体をしているし、自衛の手段も当然持っているだろうが、集団で襲われたら手も足も出まい。
「
……少しなら構わないよ。中、入って」
多少話を聞いてやったら、彼の部屋まで送ってやろう。そう決めて、スミスは顎を動かし、彼を室内へと促した。おずおずと彼はドアをくぐり、所在なさそうな様子で壁に貼ってあるヒーローのポスターを眺め始めた。
「ルイス・スミス、よかったら1つ分けてやろうか」
イサミを連れてきた男が、粘っこい目つきでちらと室内の彼を見やった後、耳打ちしてきた。かかる息が不快だった。
「何の話だ」
「わかってんだろ、これだよ」
「
……Shut up. くだらないことを言うな」
笑いながら男が取り出したのは、スキンのパッケージだった。スミスは不快感もあらわに男をにらみつけ、吐き捨てる。
「へへ、まぁ楽しみなよ。いつ死ぬかわからねぇんだからさ」
「さっさと行け」
スミスは男の手を振り払う。パッケージが床に落ちて滑り、男は面倒そうにそれを拾い上げてまた笑った。
「へっ。もったないことをしちまったな。そのへんに連れ込んどけば」
「いいから行けと言ってる!」
ついに激昂して怒鳴ったスミスに、男はへらりとしたままようやく去って行った。足取りがまるで薬物中毒者だ。胸にたまった不快感や淀みを吐き出すかのように、スミスは大きく深呼吸した。
振り返ると、彼が戸惑いを隠せない顔でこちらを見ていた。この距離だ、男との言い争いが耳に入ってしまったのだろう。
「あー
……アオ3尉。そんな顔をしないで。俺は君に、何かするつもりは」
「何かって、なんだ? よく分からなかったんだ、早口だったし」
彼は単純に、スミスが大声を出したことに驚いただけのようだった。イサミの英語は堪能だし発音も美しいが、ネイティブスピーカーの早口や汚いスラングの聞き取りまではできないらしい。おそらくそのくらいの方が、真面目な日本人はこの場において生きやすいだろう。
「とにかく、話ってなんだい?」
スミスが部屋唯一の椅子に腰かけると、彼は辺りを見回した後に壁に背を預けた。
「ああ
……急に、すまない。押し掛けたりして」
「それは構わない。どうせ眠れないしな」
少しでもいいから眠って、あるいは眠らずとも横になって体力をつけておくべき時だろう。だが目が冴えて、頭の中は混沌としていて、睡魔が寄ってくる気配は全くない。そうしてまんじりもしないでいるうちに、歩哨の交代の時間がやってくるに違いなかった。
「その、俺も
……戦おうと思って」
彼は意外な決意を口にした。黒い目が、不安げながらもスミスをまっすぐ捉えていた。
「
……いいのか? 怖いんだろう?」
「怖いが、あんたが戦うなら、俺も
……」
見た目は筋肉質な男なのに、どこか彼が幼いひな鳥のように見えた。命を救われ、厳しい言葉をかけられた相手──スミスを頼り、まるでインプリンティングでもされたみたいにじっと見つめてくる。なんだかとても、彼が哀れっぽく見えて仕方がなかった。
「戦場じゃ、守ってやる余裕はないぞ」
「わかって、る
……。だけど、みんなの仇を討ちたいんだ」
「悔しいのは分かる。だが、復讐で目が曇っていては危険だぜ、アオ3尉」
「うん
……」
己の言葉に従順にうなずく彼が哀れで、そして不思議とかわいらしく見えた。演習のとき見せた強気の態度はどこへいったのやら。本当によく、1人きりで無事にここまでこれたものだ。
くだらないことだとあの男には吐き捨てたが、もしかしたら、という想いがあった。彼ならば女のように抱けるかもしれない。あるいは、命の危機が迫っているための本能なのだろうか。
「俺の話は、それだけだ。邪魔して悪かったな」
言うだけ言って満足したのか、イサミは壁から背を離して立ち去ろうとした。スミスは立ち上がって彼の右手を取り、それを引き留める。
「
……待ってくれ、アオ3尉。戻って、ちゃんと眠れそう?」
「
……分からない。眠くはないけど、それでも今は眠らないといけない」
そう強く握ったつもりはないが、咄嗟に振り払われなかったのは幸いだった。しっかりと締まって、硬い、男の腕だ。触ったことでそれがよりよく分かったのに、どうしてか腰のあたりが熱くなる。
「
……疲れたら、眠くなるかも」
「疲れるって
……なんだ? 今から運動でもするのか?」
「そうだね、運動だ。お互いきっと、よく眠れる
……」
きょとんとする彼の手をそっと持ち上げ、指先に唇を寄せる。彼は反射的に手を引き抜こうとしたようだが、強く力を込めてそれを許さなかった。そうして、指のあとが残ってしまいそうなほどに握りしめる。逃がすつもりはなかった。のこのこ狼の巣穴にやってきた方が悪いのだ──自分勝手に責任を押し付け、スミスはぎらついた目でイサミを見つめる。
「あんた
……」
彼は自身が、そういう意味での欲望をぶつけられているのだと気が付いたようだった。驚愕に目を見開き、口元を震わせる。
「いいだろう? 優しくするよ、とびきりね。
……何も、考えられなくしてやる」
「
……」
それは彼にとって、甘美な誘いだったのだろうか。しばらく目をそらして何もないところを見ていたようだったが、やがて視線をスミスに戻すと、小さくつぶやいた。
「本当、か?」
慎重に確かめるような声音だった。相手が本当に信用できるのか、伺っているような。しかしセックスの誘いと理解しているにも関わらず無理やりにでも振り払って逃げない時点で、彼はもうスミスを信じきっているし、受け入れているも同然だった。
「本当だ。
……おいで」
握った手をぐっと引き寄せた。彼はたたらを踏み、やがておそるおそる体重を預けてくる。その重みが心地よく、背中に手を回して存在を確かめるように撫で、裾から手を入れた。彼の体がびくんとわななき、耳元で吐息が漏れた。
癪だがやはりスキンをもらっておくのだった、あるいは引き出しに1つくらい転がっていないだろうかと考えながら、彼をゆっくりとベッドへ導いた。
***
敵は断続的に襲ってきて、集った多国籍の軍人たちは残されたTSや航空機、戦車等の兵器を駆使して戦い続ける。手を取り合って、というより、誰もが己自身の身を守るために必死になっている、という状況だった。
だが次々と破壊されていき、それはすなわち人員が減ることも意味している。もともと演習が目的で集ったものであり、機体が完膚なきまでに破壊されることなど想定されていない。当然、ろくな修理はできず、戦力が今以上に増えることはない。ただただ櫛の歯が欠けるようにぽろぽろと減っていくだけだった。
そんな中、日米のメカニックたちが苦し紛れに持ち出してきたのが、今回の演習でテストする予定だったという大型のTSである。日米合同で極秘に開発されていたそれは、TS初の複座型『XM3 ライジング・オルトス』。各機のセンサーや管制機のリンクなどを必要とせず、戦場の脅威判定を行うことができるシステムが搭載されているのだ、と若いメカニックが難しい顔をして語っていた。ようするに、管制なしで戦場の様子が分かる、ということだろう。非常に強力なようだが、どうやら汎用性はそう高くないらしかった。
「適合者がいない?」
「今のところは。システムにはコー・パイロットの脳波を利用します。そしてその適合者は限られている、というのが現状です。まだ試験段階ですので」
「それにしても不完全な機体だ。それでも使わざるを得ない状況、か
……」
コー・パイロットなしでも、稼働させることだけはできるらしい。その場合は他のTSと同様の働きしかできないようだが、それでもないよりは余程ましだろう。スミスは己が駆るTSより図体の大きいそれを見上げ、ため息をついた。
「念のため、ここでも志願者を募ってテストを実施します。スミス少尉、あなたも是非」
「分かった。だが俺は、できればメインパイロットがいいね」
TSの操縦技術ならそうそう負けはしない、という自負がある。いつかはイサミ・アオに出し抜かれたが、それでもC中隊では屈指の腕前なのだ。
名乗り出た志願者の中には、彼もいた。彼は敵におびえつつも戦い続け、一定の戦果をあげて生き残っている。
精神的にだいぶ落ち着いたようだが、彼とは時間さえ合えば肌を合わせていた。下世話な言い方だが、彼はTSパイロットとしてだけでなく、ボトムとしても非常に優秀だった。スミスの長大な性器を柔軟に飲み込み、胎内をこすられ、奥を突かれるだけで射精に至ることができる。うねる腸壁は、スミスが我を忘れるほどに快感を与えてくれた。何より、彼のあえかで子猫のような喘ぎ声は、スミスの腰を重くしてやまない。まっとうに友人になっていたら、きっと知ることのなかった感覚だ。
疲れ切って泥のように眠る彼は、時々寝言で人の名前を口にする。あえて確認はしていないが、おそらく亡くなった仲間たちのものだろう。やがて涙が頬を伝うから、スミスはそれをいつも優しく拭ってやるのだ。
襲撃がなければ、今夜も彼と夜を共にできるだろうか。そんなことを考えていると、聞きなれぬ重い電子音が耳に飛び込んできた。
「起動した!?」
「Oh my God!!」
メカニックたちが口々に何か叫んでいる。物思いにふけっていたスミスが顔を上げると、先ほどまで沈黙を保っていたライジング・オルトスのバイザー部分が光り輝いていた。APUが起動しているのだ。
「適合者が出たっていうのか」
メカニックや他の志願者たちの集まりに駆け寄ると、ざわめきの中でオルトスの光が消え、沈黙する。適合者がメットを外したのだろう。メカニックの1人がステップを駆けあがり、操縦席を覗き込んでなにがしか話し始めていた。
「お前の子猫ちゃんだぜ、適合者ってやつ」
「え?」
声をかけてきたのは、あのときイサミを連れてきた別中隊の男だった。彼も志願していたことを意外に思いつつ、それよりも発言の方が気にかかった。
「だから、イサミ・アオ。今乗ってるのはあいつだ」
「なんだって、彼が?」
スミスは機体を見上げる。なおも操縦席の人間──イサミとメカニックの会話は続いているようだったが、割り込んでいく権利も筋合いもない。だが気になって仕方がない──もしイサミがコー・パイロットの任につくとして、メインパイロットは誰が務めることになるのだろう。そちらにも適性があるのか? あるいは操縦技術が優れていればいいのか? そのあたりも確認しておくべきだった。あの怖がりを見知らぬ他者に委ねるのはどうにも不安だし、想像すると苛立ちのようなものがちりっとうずく。
「今にも人を殺しそうな顔をしてるな、スミス少尉」
「うるさいな。1つ言っておくが、彼に妙なことをしたらただじゃおかない」
ひゅう、と口笛を吹かれて心底不快だった。思わず舌打ちをしてその場を離れようとしたとき、
「──ルイス・スミス少尉!」
イサミと会話していたメカニックが、ステップの上から大きな声で呼んでくる。その名、その階級の人間はおそらくこの場には自分1人しかいない。足を止めて顔を向けると、手招きをされていた。
小走りに寄っていくと、ようやく後部座席の様子が見える。やはりそこにはイサミが座っていて、外したメットを膝の上にのせ、メカニックを見上げていた。
「ご指名ですよ、少尉」
「ご指名、って
……?」
「アオ3尉から。自分がコーパイなら、メインパイロットはあなたがいいと。
……3尉は想定以上の適合率です。ぜひ彼にお任せしたいので、希望はなるべく聞き入れたいと思っています」
思わずイサミを見下ろした。彼は遠慮がちにスミスを見上げ、そして小さく頷いて見せる。
「俺が
……? どうして」
「
……無理なら、いいんだが」
そうじゃない、と舌打ちしそうになる。コー・パイロットの務めは主に情報収集や武器管制であり、TSを動かすのはメインパイロットだ。ほとんど命を預けるにも等しい相手になぜ自分を選んだのか気になった──いや、知りたかった。
「そんなことは言ってない。ただ、理由が気になったんだ」
「
……一緒に戦うなら、あんたがいいと思ったから」
それは理由になっているようでなっていないような、どこか曖昧な言葉だった。横でメカニックが首をかしげ、仲がよろしいんですね、と不思議そうにつぶやいている。
だがスミスには何よりの言葉だ。操縦技術が優れていると誉めそやされるより、ずっと胸をうたれた気がした。
「
……わかった。とても光栄に思うよ」
「ありがとう
……一緒に戦ってくれ、スミス少尉」
「Rogerだ、アオ3尉」
差し出された右手を固く握った。その手がほんの少し震えていたのは、気のせいだろうか。
その時だ、基地内に警報が鳴り響いた。襲撃の合図である。格納庫には俄かにざわめきが広がり、それは『出撃だ』『もたもたするな』という怒声に変わっていく。
「おいおい、まさかぶっつけ本番か?」
もう聞き飽きたと言っていい警報音に片耳をふさぎながら、スミスは呆れて肩をすくめた。メカニックは額に汗をにじませながら、やむを得ないと頷いた。
「いずれにしろ呑気に練習している暇などないでしょう。操縦はライノスとそう変わりません。いけますか?」
「体で覚えるしかないな」
メットを受け取り、前部座席に乗り込む。マニュアルなどないが、ざっと見回した限りでは確かに普段の愛機であるM2や旧型の24式等と変わりないように見えた。ただ、前部モニターが驚くほど大きい。
APUを起動すると、視界が開ける。なんとかやれそうな気がした。
「アオ3尉、いけるか?」
「ああ。やってみよう」
「よし。すぐに出る! 早くステップをどけてくれ!」
スミスは叫んで、ハッチを閉じた。後ろから大きく深呼吸する音が聞こえる。TS乗りはいつだって1人だ。モニターやヘッドスピーカーを介して外部の人間と会話はできるが、それはあくまで間接的なもの。すぐそばに生身の人間がいる状況で戦場に赴くというのは、なかなか不思議な感覚だった。
ぐっとレバーを押し、足元のペダルを操作して機体を動かす。格納庫の扉は既に開いており、すでに敵影が迫っていた。戦闘機が飛び、旧型の戦車が重い音を立てて走っていく。傷だらけのTSたちがエンジンをふかす。
「行くぞ。
……イサミ」
「
……ああ、スミス」
そうするのが自然だったかのように名前を呼ぶ。初めてのことだった。ベッドではお互い、相手の存在を確かめるのに必死でそんな余裕もなかったのだと気が付いた。
戦場に躍り出たスミスは、機体の性能に早速驚くことになった。本当に管制なしに、膨大な量のデータがモニターに整然と映し出されていく。半径数kmにわたって味方の位置、そして敵の位置も手に取るようにわかった。AI音声のサポートも極めて的確だ。
「これはすごいな、これでまだ実験段階とは」
敵の攻撃を巧みによけながら、スミスは口笛を吹いた。近距離の敵はスミスの近接武器が直接叩き、中・遠距離の敵は後部座席のイサミが素早くロックオンしてミサイルを発射する。
「スミス、十時の方向だ」
「了解だ」
「六時の方向、俺が撃つ。それから
……」
背後から淡々とした声が聞こえる。まさしく後ろに目が付いているような感覚。時には味方機を手助けする余裕すらあった。
(これならいけるかもしれない)
一機のみで形勢を覆せると信じられるほどスミスは楽観的ではないが、これまでより犠牲を少なくすることは可能なのでは、と思えるくらいには優れた機体だった。
その後も縦横無尽に戦場を駆けまわり、敵方を撤退まで追い込むことに成功した。これまでで最も戦果があがったと言っていい。犠牲を一切出さずに、とはいかなかったが、戦闘時間の圧倒的な短縮に成功した。スミスは確かな手ごたえを感じながら、基地へと帰投する。
格納庫に機体を戻すと、スミスは汗を振り払いながらメットを脱ぎ捨てた。大きく息を吐いてから、背後を振り返る。
「イサミ、助かった、君のおかげで
……」
スミスはそこで口を閉ざした。イサミはメットをかぶったまま俯き、荒く息をしているようだった。
「イサミ
……? どうした」
「
……いや、なんでも
……」
スミスはハッチを開ける。すぐさまステップが横付けされ、メカニックが数人駆けあがってきた。
「ご無事でよかったです。戦果も上々なようで」
「その話は後だ。イサミ、具合が悪いのか?」
イサミは首を振ると、ようやくメットを頭から外す。酷い汗をかいているのはスミスも同様だったため、それよりも気になったのはその顔色だ。血の気が引いていて、青白い。思わず手を伸ばすと、イサミはそれを拒絶するように力なく振り払う。
「
……大丈夫だ。初めてだから、疲れただけで
……」
「すぐに医務室に」
「平気だ。
……部屋に戻って、寝る」
イサミは立ち上がり、ふらつきながら機体を下りた。引き留めたメカニックに何か耳打ちされていたが、彼は何も反応を示さず、そしてスミスを振り返ることもなく行ってしまう。スミスも続けて機体を降りると、早速整備の手が入る。
先ほど見送ってくれたメカニックがいたので、イサミの去った方を見やりながら声をかけた。
「なぁ、イサミは大丈夫なのか?」
「
……脳波を利用しますので、多少の負担はかかります。まだ実験段階ということもありますし」
「それは
……問題ないのか?」
「彼ならば問題ないでしょう。非常に優れた能力を持っていますから」
「
……」
果たして優れた能力を持っていることが、『問題ない』ことにどうつながるのか、スミスには疑問に思えて仕方なかった。しかしTSを操る技術には優れていても、その仕組みに精通しているわけではない。それ以上詰め寄ることは今の段階ではできそうもなかったが、とにかくスミスはイサミのことが気にかかって仕方なかった。
しかしそうも言っていられない状況が続く。断続的に襲撃が行われ、オルトスとそれを駆る2人はそのたびに出撃して最前線で戦う。いつしか作戦──というほどもない防衛線──の中心に据えられることが多くなってきていた。生存能力の高いものがそうなっていくのは、自然の理と言えた。
そして帰投するたびイサミはふらふらとどこかに消え、その後はほとんど姿を現さない。スミスの部屋にも訪れないため、体を重ねることもなくなっていた。
2人がどれだけ奮闘しても、1機では限界がある。日に日に味方機は減り、つい昨日までいたはずの人間が物言わぬ死体となって帰ってくる。帰ってくるのならばまだいい方で、TSの爆発によってドックタグごと焼けこげたり、腕や足のみが回収されたり、あるいは光線に焼かれて肉片ひとつ残らないこともあった。
形ばかりでも追悼ができていたのは襲撃からしばらくの間だけ。格納するTSがなくなり空っぽになった格納庫や、物資がなくなり無用の長物となった倉庫に、遺体が日々積みあがっていく。それも長くはもたないので、神に祈りながら火をかけるのだ──
スキンを分けてやろうかと下卑た笑いを浮かべていたあの男も、つい先日亡くなったと聞く。特に心が動かなかったのが悲しかった。人の死というものが、軽くなってしまったような気がして。
頭が痛んで仕方ない。このところ眠りが浅く、スミスはひどく疲れていた。薬を分けてもらいたいが、医務室は常に怪我人や精神に異常をきたしたもので溢れていて近寄りがたい。眠ってごまかしたいが、痛むのでなかなか寝付けない悪循環だった。
彼と抱き合いたい、と思った。精神的な疲労ではなく、肉体的な疲労があれば、どうにか睡魔に身を預けることができるのでは。いつも部屋に連れ込んでいたので、彼の部屋に赴く、というのは初めてだ。スミスはこめかみを押さえながら立ち上がった。
日本の舞台は基地内に部屋を与えられている。皮肉にも人員が減ったことで、それぞれ個室を得るに至っているようだった。用事があるからと適当に捕まえた自衛官に部屋を聞けば、すんなりと教えてくれる。複座の機体に乗る相棒同士ということで誰もが認知しているので、変に疑われるようなことはなかった。
案内された部屋の前でドアを2、3度と叩く。かすかに人の気配はあったが、返事があったのはたっぷり10秒ほど待ってからだった。
「
……誰だ?」
ドアに阻まれて声がくぐもっているが、酷く緊張しているような硬い色をしていることははっきりと分かった。安心させるように、頭痛をこらえて出来る限り優しい声を出す。
「俺だ、スミスだ。いま話せるか?」
「
……悪い、少し待ってもらえるか。散らかってるから」
Sure、と応えて、ドアがあちらから開かれるのを待つ。彼が部屋を散らかしている、というのを意外に思った。なんとなくだが、彼はあまり私物を持ち込んでいないイメージを持っていたのだ。
ドアがそっと遠慮がちに開かれるまで、おそらく数分もなかっただろう。彼は横になっていたのか、いつも整えられている髪が乱れ、前髪が額に張り付いている。顔色は決して良いとは言えないようだった。
「大丈夫? 寝ていたなら帰るけど」
「いや、平気だ。話があるんだろう? 入ってくれ」
イサミがドアを大きく開け、中に招いてくれる。彼が良いと言うなら遠慮する必要はないだろう、それにここで引き下がると、彼はかえって気にしてしまう気がする。
散らかっていた、という割に、部屋の中はスミスが持っていたイメージ通り、物がほとんどなかった。畳まれた制服と、それから水の入ったグラスがテーブルに置いてあるくらいのものだ。
「すっきりしてるな」
「数日で帰る予定だったし、そんなに持ってくるものもなかったから」
それで何が散らかっていた、というのだろう。彼は嘘が下手だ。だが追及するのはやめておいた──機嫌を損ねたくなかったし、問い質すのはなんとなく怖かった。おそらく彼は、何かを隠したのだ。
「あんたの部屋はすごいよな」
「元々こっち駐留だから、私物の持ち込みも簡単だったんだ」
「私物、ね
……」
彼はうっすら笑いながら、おそらく壁に貼られた何枚ものポスターや、積み上げられたプラモデルを思い出しているようだった。
「そう、見ただろう? 俺はヒーローに憧れているんだ」
「
……あんたはヒーローだよ、スミス」
「イサミ?」
「俺を、助けてくれた」
なぜ俺を助けたんだ、と悲鳴を上げていた彼を思い出す。放っておけずほとんど本能で助けた彼と命を共にすることになるとは、あの時は想像すらしていなかった。
「あの時のことは」
「あれもだけど、ずっと一緒に戦ってくれてるだろ?
……ありがとな、スミス」
あんたがいるから戦える、と囁いた彼は、スミスの肩にとん、と額を寄せた。この戦況に在って柔らかく温かな言葉に、スミスは胸が温かくなるのを感じる。それと同時に、頭痛が消失していることにも気が付いた。
「イサミ
……」
背中に手を回す。引き寄せると、そのぬくもりがスミスの心を安らがせてくれる。だが心なしか、いつか抱いた時よりもずっと体が軽くなっているような気がした。
体の調子が思わしくないのは、誰もがそうだった。ろくに眠れず、まともな食事もとれず、神経をすり減らしてかろうじて息をしている。
だが、それでも、彼はこんなに細かっただろうか?
この体を激しく抱いて、欲望を迸らせて、気絶でもするみたいに眠るつもりだった。だがその気はとうに失せている。何もしないのか、という彼の悪魔のような囁きから意識をそらし、狭いベッドで2人、身を寄せ合うようにして眠った。
***
その後もしばらく、2人は決死の戦いによって最後の砦たる基地を防衛し続けていた。1回1回の戦闘による死者がいくら減ったとて、それは勝利につながるものではない。戦える者はいやでも減っていく。時に敵の攻撃が基地まで届き、非戦闘員にも被害が出始めていた。なぜあの化け物たちは、執拗に人間をつけ狙うのか! 嘆いても、人間の言葉が通じる相手ではない。
ここで自分たちが折れてはおしまいだ、とスミスはいっそう奮起した。イサミもよく応えてくれたが、酷使され続けるオルトスの方は悲鳴を上げ始めている。スミスは機体を操るものとして本能的にそう感じていた。時々、本当に時々だが、こちらの操作を上手く受け取ってくれないことがあるのだ。
「整備が間に合っていないんだな」
イサミが額の汗をぬぐいながら言った。彼はここのところ、調子がよさそうに見える。顔色は悪くないし、帰投した後ふらつくこともなくなった。脳波を利用するシステムに、体が慣れた
……とでも言うべきか。整備班は常に忙しなく動いていて、メカニックを捕まえてゆっくり話を聞く、というわけにはいかなかった。
「出来る限りカバーするが、あとはあんたの腕次第だ、スミス」
「プレッシャーをかけてくれるね、darling」
「誰がdarlingだ。ふざけてないで行くぞ」
出撃前とは思えないほど呑気な会話を交わせて、スミスは場違いににやりと笑った。緊張感は大事だが、リラックスして挑めるのならそれに越したことはない。視野を狭くして周りが見えなくなっては一巻の終わりだ。
「さて行くか、相棒」
後ろを向き、拳を突き出す。イサミは少しばかり頬を赤くすると、己のそれをぶつけて応えてくれた。今日も悪くない戦果を挙げられるような気がした。
悪い予感ほど当たって、良い予感ほど当たらないのはまったくフィクションのようだと思った。深く抉られて痛みすら感じにくい左腕には幾重にも包帯が巻かれ、腹は乱暴に縫われている。それでも現在のこの基地内においては『軽傷』の部類に入るのだった。
オルトスの操作をわずかに誤った──というより、レバーを倒した方向への動きがほんの数瞬遅れたのだ。それが命取りとなって、敵の攻撃を機体に受けてしまった。イサミが咄嗟にミサイルの発射口を操作してガードしてくれなかったら、大破していたかもしれない。
(イサミ
……)
彼は今ごろ、医務室の片隅で治療を受けているはずだった。彼はスミスを優先して守ったために、受けた攻撃の当たりどころが悪かったのだ。気を失い声を発さなくなった彼に懸命に呼びかけながら、スミスはオルトスに鞭打ってかろうじて帰投した。
しかし意識がなくとも脳は働き続けているのだろう、戦場の様子はモニターに伝わり続けていた。なぜだかそれを、スミスは恐ろしく、そして不気味に感じてしまった。まるで、イサミの意思がなくとも、脳さえあれば事足りるとでもいうかのようだったのだ──
スミスは医務室へと足を運ぶ。スミス自身は帰投したその場で乱雑に手当てされたが、イサミの方は医務官の手が必要ということで運ばれていったのである。だから、無事な様子をまだ見ることができていない。
通路にも怪我人がひしめき、うめき声をあげている。その隙間を医務官が切羽詰まった顔で駆け回っていて、イサミは無事かと聞けるような状況ではなかった。直接出向くしかない。邪魔をするなと医務官には邪険にされるかもしれないが、せめて一目だけでも。
医務室の中も当然、満員だ。ベッドはすべて埋まり、腕や足の欠けたものが包帯から血をにじませ、横たわっている。このところは薬のやりくりにも頭を悩ませていると聞いていた。痛み止めもろくに投与されず、眠りが訪れるのを待つしかないのはどんなに苦しいことだろう。
(イサミは
……)
怪我人たちを見回しながら歩く。気づいた医務官が、くいっと顎で奥を指し示してくれた。Thank you、と口の動きだけで伝えて、スミスは示された方向に早足で赴く。
カーテンで遮られたスペース。果たして彼は、そこにいた。横たわっている彼は、特に右半身をひどくやられているようだった。頭と右目と、そして検査着から除く右腕、そして右足に包帯が巻かれている。この様子だと、隠れている部分もひどいものだろう。まるで怪我を左右分けあったようだ、とスミスは思う。
てっきり意識を手放したままと思っていた彼の左目は開いていて、突然の訪問者をしっかりと捉えた。
「スミスか
……大丈夫か、それ」
目が動いて、スミスの左腕を見た。なんだか無性に可笑しくなって、スミスは肩を震わせた。
「君に、心配されたくないよ
……よっぽど重傷じゃないか」
「見た目ほどじゃない。大げさなんだよ、こんなの」
まるでそれを証明するかのように、イサミはゆっくりとではあるが起き上がって見せた。驚いて押しとどめようとするが、彼は左手を延べてそれを制する。
「馬鹿、寝てろよ」
「本当に、なんともないんだ。
……なぁ、あんたが平気なら、少し歩かないか」
「君は本当に
……馬鹿なのか? 歩く? そんな体で?」
crazyだ、とスミスは吐き捨てた。彼が何を考えているのか、全くわからない。
「言うほどじゃないって証明してやるよ」
イサミは少々億劫そうに体を動かすと、そばに立てかけてあった杖をもってベッドを下り、まっすぐ立って見せた。
「イサミ
……」
「
……なぁ、いいだろ。ここにいたくないんだ
……連れ出してくれないか」
「
……分かった。けど、無理はしないと約束してくれ。辛くなったらすぐにここに戻ると」
スミスの言葉にしばらく逡巡したのち、イサミは頷く。あまりに無茶な懇願を容れたのは、彼の『ここにいたくない』という気持ちが分かってしまったからだ。ここには苦痛が渦巻いていて、いっそ殺してくれという嘆きの声が息苦しい。そうしてやれないことが哀れで、悲しく、涙が出そうだった。
スミスは医務官に、彼を手洗いに連れていくので介助する、と声をかけた。手の足りない状況下で、その申し出はありがたいと思ってもらえたようだ。相棒のあなたなら安心と、あっさり許可が下りてしまった。
「イサミ。それは多分邪魔になるから置いていって。それと、一旦座ってくれるかい?」
「? わかった」
それ、とは彼の持つ杖のことだ。それがなくては歩行が難しいだろうに、イサミは素直にベッドに腰を下ろし、杖を立てかける。スミスをすっかり信じきっている顔をしていた。
「痛かったら言ってくれよ」
「え
……うわっ」
痛むであろう右半身に注意を払いつつ、スミスは膝裏に手を入れ、肩に手を回して彼を抱き上げた。軽い、とその瞬間思った。スミスとて左腕を怪我しているのに、それでも容易く持ち上がるほどに彼の体はやつれてしまっている。
「おい馬鹿やめろ、おろせ! あんた、腕
……」
「全然痛くない。君、痩せすぎだ
……無理もないけど」
「
……」
まるで羽のようとまではいかずとも、おおよそ成人男性を抱えているとは思えない。いつだったか、体を鍛えるのが趣味だと言っていた。筋肉がすっかり落ちてしまった体は多分、見る影もないのだろう。
「
……行こうか。いい場所を知ってるんだ」
どうか今はなんの邪魔も入らないでくれ、と神にすら祈りながら、スミスは腕の中の存在を大切に、太古の貴重な宝のごとく運んだ。
いい場所ってここかよ、とイサミは苦笑した。彼を連れてやってきたのは、基地に程近い場所にある──正確には『あった』1軒のモーテルである。破壊の爪痕が色濃いが、かろうじて雨のしのげそうな部屋がいくつか残っていた。当然人の姿はとうになく、カウンターがあったであろう場所には何枚かの紙幣や硬貨が転がっている。
スミスは屋根の残っている部屋にイサミを運んでやり、足で乱暴に瓦礫を退かすとベッドにそうっと体を下ろした。シーツは汚れて砂埃でざらざらしていたが、柔らかく受け止めてくれるだけでも、傷ついた彼の体には良いだろう。
「平気か、イサミ」
隣に腰掛けて、イサミの体を労った。下手に触れないから、言葉だけ。
「ああ。痛み止めを打ってもらってるから」
「少しでも痛み始めたら言ってくれ。すぐにまた担いで戻ってやるから」
「いずれにしろ長居はできないだろ? いつ次の襲撃が来るか分からない」
彼は厳しくそう言い放った。また馬鹿なことを、とスミスは苛立ちを覚える。自分はともかく、イサミは明らかに安静が必要な重傷者だ。戦えるはずがないし、戦いに出すべきではない。だがそれは、あくまで平時のこと。今現在の非日常において、動ける人間を遊ばせておける余裕はなく、スミスもそれをわかっているからこそ、ひどく苛立つのだ。ここは俺に任せて休んでおけ、と格好つけて言い放てないことに。
「
……だがオルトスは中破状態だ。おそらくしばらくは
……」
「動かせる。いや、動かさないといけないんだ」
「だが、またあんなことがあったら」
一瞬の反応の遅れが命取りとなることは、先の戦闘でイサミにも嫌というほどわかったはずだ。修理にはおそらく時間を要するだろう。必要な部品についてはスクラップとなったTSから剥ぎ取って用立てているらしいが、とにかく足りないのは人手だ。
「俺が、よくなかったんだ。次はもう少し、上手くやるから
……」
「イサミ
……?」
「なぁ、知ってるか? __大佐がいなくなったってさ。逃げたんだよ」
イサミの独り言のような言葉に、スミスは微かに違和感を覚えて首を傾げた。しかし彼は何事もなかったように、話を逸らすのだった。
「
……」
「馬鹿だよな、どこに逃げるっつーんだよ
……今頃きっと、海の藻屑だ」
馬鹿らしい、とイサミは喉の奥でくつくつ笑う。彼はこんな風に、投げやりに笑う男ではなかったはず、と考えたところでスミスは愕然とした。笑顔など見たことがないと気づいてしまったからだった。怯えている顔、悲しげな顔、それから感情を削ぎ落とされたかのような無表情、スミスの脳裏によぎるのは、彼のそんな顔ばかりだ。
笑ってほしいのに、その手段を今の自分は持ち得ない。
「俺たち、どうなるんだろうな
……」
イサミが何か、遠くを見るような目で虚空を見つめながら呟いた。もはや己が救われ、無事故国へ帰ることなど考えられない、そんな昏い目をしている。
「イサミ、俺は
……俺は、君が
……」
どうかそんな顔はしないでくれと、叫ぶ代わりに彼の唇を強引に塞いだ。思えば、片手の指には数えられないほど体を重ねてきたのに、そこが触れ合うのは初めてだった。好きな人のために取っておきな、なんて気障ったらしいことを考えていたわけではないが、なんとなく、そこは不可侵の領域だった。踏み込んだら戻れないような気がしていた。
イサミは目を見開いたようだったが、スミスを押し退けたり、振り払おうとする素振りは見せず、あろうことか左目をゆっくりと閉じる。
(許されている)
スミスは角度を変えてより深く交わり、舌を入れてざらつく上顎を舐めた。わずかに血の味が、生の味がして、イサミの体がびくりと跳ねた。時折もれる吐息がたまらなくスミスの体を熱くする。
「す、みす
……」
苦しげな声が途切れ途切れに、名を呼んだ。愛おしい、と心から思う。彼を愛しているのだと、スミスはその時にようやく気がついた。
「イサミ、イサミ
……!」
絡みあった唾液が糸をひき、やがて途切れる。スミスは夢中になって彼を抱きしめた。彼が重い怪我人であることが、その時だけ頭から飛んでしまっていた。
イサミの左腕が、スミスの腰に回った。そこに込められた力の愛おしさといったら、言葉にできない。もっと彼に近づきたい、1つになって溶け合いたい──
「
……ありがとな、スミス。あんたがいるから、俺は逃げずに戦えるんだ」
耳元でイサミが声を震わせる。
「そんなの、そんなの
……俺だって
……」
それはずっと、スミスが彼に伝えたかった言葉だった。絶望的な戦況の中、歯を食いしばって最前線に立ち続けられるのは、後ろに彼がいて、彼がいるから大丈夫だと、そう思えるからだ。『いけるよな、cowboy。俺の相棒』と背中を押してくれるからだ。
イサミと一緒でなければ戦えない。戦いたくない。スミスは自身が軍人であることを一時忘れ、そんなことを心から思う。
あのときイサミが、パイロットはルイス・スミスが良いと、己の名を呼んでくれてよかった。彼を他のパイロットに委ねるなど、想像するだけで寒気がする。
俺のものだ、全部。j
「最後まで、一緒にいさせてくれ
……スミス
……」
目元を押し付けられた肩に、じわりと広がる水気と温もり。
「ああ、約束する。
……死ぬ時は、一緒だ」
おそらく『その時』は近いだろう、イサミもそう思っているに違いない。
今すぐ彼と抱き合いたかったが、お互い体の自由は効かず、不衛生な環境でなんの準備もない。ならばせめて、と何物も入り込めないほどに抱きしめ合い、そのまま静かな時を過ごした。
ひどく静かな夜だ。星の瞬く音さえ聞こえてきそうなくらいに。このまま時が止まればいい、と陳腐なラブストーリーのようなことをスミスは本気で考えた。
それからどのくらいの時が経ったのか分からない。静けさの中にノイズが混じり始めたことにスミスが気づいた時には、月は中天に差し掛かっていた。
「
……っ、あ
……」
「
……イサミ?」
イサミはぎりぎりと歯を食いしばり、隙間から苦しげな息が漏れ出していた。呼応するように、抱いた体が熱を持ち始めている。痛み止めを打たれているから平気だと彼は言っていた、ならば。
「痛むのか、イサミ。薬が切れたんだな
……すぐに戻ろう。気づかなくてごめん、本当に
……」
「い、いい
……もう少し、このまま
……」
かたかたと小刻みに震える手で、イサミはスミスに取り縋る。その手をできうる限り、最大の優しさを持って取った。手のひらは汗ばみ、まるで火のように熱い。
「No way! それは聞けない。痛いだろうけど我慢して、すぐに医務室に」
「嫌だ、戻りたくない
……!」
「イサミ
……」
彼は涙を滲ませ、鼻を啜り上げながら必死に首を振った。スミス、と潤んだ声で呼ばれると、彼の言うことをなんでも聞いてしまいたくなる──だが、この場においてはそうはいかなかった。ダメだ、と強く言い放ち、スミスは彼の体を強引に抱き上げる。抵抗する力もないのだろう、イサミは嫌だ嫌だと首を振るばかりだった。
「イサミ
…‥お願いだ、じっとしていて。傷に障る」
「嫌だ、スミス
……俺は
……あいつらが」
彼が何か言いかけたその時だ。突然、複数の足音が鳴り響いてこちらに近づいてくるのをスミスは察知した。抱き上げている彼も気づいたようで、はっと肩を震わせる。敵ではない、これは人間の足が立てる音だ。
「誰か、俺たちの他にも物好きがいたのか?」
「違う
……」
複数の足音は真っ直ぐこちらへ向かってきているようだ。足取りに迷いが一切ない。何者かはわからないが、イサミに何かしようものなら容赦する気はなかった。彼を再度ベッドに座らせてやり、庇うように前に立って懐から銃を抜いた。
足音たちがやがて2人のいる部屋まで辿り着き、ライトで照らされる。慣れぬ眩しさにスミスは目を眇めながらも、銃を真正面に構えた。
「
……ルイス・スミス少尉?」
現れたのはオルトスの整備を担当するメカニックが複数人、それから医務官が1人だ。素性の知らぬものではないとわかり、スミスは銃を下ろす。
「イサミ・アオ3尉は
……ああ、そちらにいましたか。薬が切れる頃なのにいらっしゃらないから、捜しに」
「それはちょうどよかった。さっきからとても苦しそう、で
……」
道を明け渡しながら、スミスは強烈な違和感に襲われた。なぜ彼らはこの場所が分かり、そして真っ直ぐに迷いなく2人の元へたどり着くことができたのだ? まるで初めから、ここに2人が──イサミがいることを知っていたかのように。
スミスは振り返る。イサミはなおも苦しげに呼吸しながら、目に諦念のようなものを浮かべて近づいてくる人間たちを見ている。
「
……ちょっと、待ってくれないか」
「時間がありません。これ以上彼の苦しむところを見たいと?」
素早く簡易的な担架を拡げながら、メカニックの1人が言う。あの時──コー・パイロットのテストの時、イサミと会話していたのがこの人物だったとよく覚えている。
担架に彼が横たえられる。額には脂汗が滲み、目は固く閉じられ、そして鼻に赤い色の何かが見えた。
「イサミ?」
まさかと思い手を伸ばして拭うと、それは間違いなく血だった。それはだらりと垂れ、頬を伝って落ちる。明らかに尋常でない様子に、スミスは顔を歪めた。
「大丈夫、なのか、イサミは」
「
……失礼します。少尉も早く戻ってくださいね」
それだけ言い残し、イサミを乗せた担架は早々と運ばれていった。残されたのは、痛む腕と足を抱え、手を血で汚したスミスだけ。先ほどまで体に満ち満ちていた幸福感は、もう一欠片だって残されていなかった。
***
スミスが焦燥感に苛まれながら基地に戻った後、個室で処置を受けているというイサミに会わせてもらうことはできなかった。あなたも休むように、とドアの前に立つ兵に追い返され、情けなくもとぼとぼと自室を目指している。
違和感や疑念が少しずつ降り積もっている。イサミはどう見たって普通ではなかった。何かに、敵ではない何かに強く怯えているように見えたのだ。次の敵襲までに、なんとしても話を聞かねばと思うのだが、彼が外へ出られるのはいつになるだろう。それまでは、かろうじて形を保っているいずれかのTSを駆り、1人で戦うしかない。オルトスは、おそらくまだ動かせないだろう。
イサミの態度、苦痛に耐える姿、彼を迎えにきたメカニックたち。さまざまな要素が点として散らばるばかりで、線としてつながってくれなかった。
ベッドに寝転がるが、眠気など到底訪れるはずもない。大好きなプラモデルやスタチューにだって、とても触る気にはなれなかった。
壁に貼られたポスターの中で、特撮ヒーローが気取ったポーズを決めている。あの世界ではいつも正義が勝つし、悪は根絶やしにされる、あるいは手を取り合うことだって。そんなのは夢物語で、現実は残酷なものなのだと今のスミスはもうよく分かっていた。それでも、ヒーローになりたかった。ただ1人、『彼』にとってのヒーローに。
きっと正常ではないのだろう。共依存にも等しい関係だ。そう自覚してもなお、スミスはイサミが愛おしく、大切で仕方がない。どうしたら彼を守れるのか、そればかりを考えてしまっている。共に死ぬと誓ったのに、もし己を犠牲にして彼を助けることができるのなら、迷わずその手段を選び取ってしまいそうなくらいには。
(やはり、イサミに会おう)
見張りの兵士など、この腕で叩きのめせばいい。負傷していたとて、己はTSだけでなく格闘術でも上位の成績だったのだ。遅れをとるつもりは毛頭なかった。どうせ軍規だって機能していないのだ、恐ろしいものなど何もない。
そう鼻息も荒く立ち上がったところで、遠慮がちなノックの音が狭い室内に響いた。出鼻をくじかれたような気持になったスミスは不機嫌もあらわに、鉄の扉1枚隔てた向こうへwho?を投げつける。
「
……ごめん、俺だけど」
「い、イサミ!? ちょっと待て、すぐ開ける」
ぼそ、と聞こえたのは求めてやまない男の声だった。ほとんど飛び上がるようにしてドアノブに手をかけて勢いのまま開けてやると、果たして彼はそこに立っていた。杖を持ち、ぼろぼろの体を引きずって。
「イサミ、どうして
……まだ起きちゃだめだろう」
「もう落ち着いたんだ。ちょうど誰もいなかったし、前にいた見張りのやつは
……」
「
……伸しちゃった?」
こくり、とイサミはうなずいた。これだから彼が好きだと喉の奥から笑いがこみ上げてくる。どうしたって構わないだろう、彼の自由を奪う人間など。
スミスは薄い枕をクッション代わりに椅子に置いて、そこを彼の特等席としてやった。ベッドは低くて、負傷している彼が座るには少々辛いだろう。ありがとう、とはにかみながら言われて、天にも昇る気持ちだった。
「さっきは悪かった。取り乱して」
「いいんだ、そんなのは。
……君が何か隠しているのは分かっている。けど無理に話すことは」
「いや、話すよ。そのために来たんだ」
イサミは片目だけでスミスを見据えた。どうか聞いてほしいとその目が強く訴えている。ならば耳をふさぐという選択肢は、スミスにはない。
「あんたに隠し事はしたくない
……だから、聞いてくれ。胸糞悪い話かもしれないが」
「聞くよ。君の話ならなんだって」
スミスはそう彼を促す。どんな事実であれ、彼の言葉ならばすべて信じるし、受け入れる努力をするつもりだった。
彼からもたらされた事実は、なるほど確かに胸が悪くなるものだった。彼の語り口が淡々としているので、まるで趣味の悪いおとぎ話でも聞いてしまった気分だ。
コー・パイロットになることが決まったあの日、脳波を利用するから多少疲れがでるかもしれない、とメカニックから聞かされていた。その程度は、イサミの想定内だったという。しかし帰投後には気分が悪く、吐き気をもよおし、頭が殴られているかのようにきつく痛んだ。ふらつきながら部屋に戻った後、かのメカニックと医務官が現れて告げたのだ。まだ試験段階にある機体には適切な制限がかけられておらず、コー・パイロットの脳波を際限なく利用し、重い負担をかけると。搭乗し続ける限り、それは寿命を削っていくも同然なのだと。
「お前はそれを、受け入れたと?」
「そうするしか、なかったから」
「
……」
気力だけで耐えるのにも限界があり、後部座席搭乗者のために開発された薬を服薬されるようになった。それは脳と内臓を少しずつ蝕むが、体を半ば麻痺させて楽にする作用があった。このところ調子がよさそうに見えたのは、その効果が表れていたためだった。システムに慣れたのか、なんて呑気なことを考えていた己にスミスは怒りを覚える。
「頭が、ぼんやりするから
……嫌なんだ、本当は。それに俺のこと、まるで実験動物を見るみたいな目で見てくる。それが気持ち悪くて、俺は
……」
「イサミ
……」
「いや、本当に動物みたいなものなんだろう。
……ここ、発信機入ってる。俺が逃げても、すぐ居場所がわかるように」
イサミはこめかみを人差し指でとんとんと叩いた。馬鹿な、とスミスは思わずここにはいない誰かを罵倒した。そんなことをして、何になるというのか。
彼が逃げようが逃げまいが、遅かれ早かれ自分たちは未知の脅威の前に膝を屈するのだ。それはもはや既定路線といえた。やっていることは延命措置に過ぎず、ただ死ぬのが恐ろしいから戦っている──それだけだった。
いくら彼から貴重な実験データを得られても、このままでは活かす場も未来もないというのに。
「イサミ
……このまま2人で、どこかに逃げないか」
「
……どこにだ?」
イサミはおかしそうに、あるいは馬鹿にでもしているかのように、そんなものは夢物語に過ぎないと一笑に付した。
「分からない、けど
……」
「スミス。もう、俺たちに逃げ道なんか残されてない。ただ終わりに向かうだけだ
……違うか?」
諦念に満ちた言葉だ。いっそ投げやりですらあった。だが、それは紛れもない真実だった。
「俺は最後まで戦う。あんたと一緒に。
……だから全部話したんだ。未練を残したくなかったからな」
「
……本当に、いいのか」
「何が?」
心底分からない、というようにイサミは笑って首を傾げた。スミス自身にも、彼に何を問いたかったかよくわからなかった。体を蝕む薬を飲み続けること? 動物のように扱われること? あるいは、共に死ぬこと?
「
……来た」
イサミがぼそ、とつぶやき、部屋の壁を──その向こうを見た。
「え?」
「お客さんだ。行こう、スミス。あいつは、オルトスは動くよ。
……俺が動かす」
静かな、だが闘志に燃えた声でイサミが低くつぶやいた。その言葉から遅れること数秒、基地内の警報がけたたましく鳴りはじめる。続けて、TS部隊の招集が。スミスが呆然とイサミを見つめると、彼はもう、1人の兵士の顔をしていた。
彼の言う通り、半壊したオルトスはスミスの操縦によく応えてくれた。出撃の直前に打ち込まれた痛み止めが効くにつれ、スミスの腕も不自由なく動くようになる。
俺が動かす、その意味をスミスは体感した。彼がオルトスとつながり、まるで機体そのものとなってスミスのすべてを受け入れているような、言葉にできない感覚があった。そして、きっとイサミの体、脳には多大なる負荷がかかっているだろうことも、伝わってくる。
これでいいのか、と自問する声、そしてこうするしかないんだと自答する声。正確に機体を操りながらも、スミスの頭の中は混乱のさなかにあった。
「スミス!」
「分かってる!」
心と体を切り離すようにスミスはレバーを巧みに動かし、光線を避ける。そのまま脇に回り、バリアを避けるようにしてバルカンを叩き込んだ。他のTSも遠くで奮闘している。まばらながらも艦砲の支援があり、少しずつではあるが敵の数が減っていく。
「う、ぅ
……」
背後からのうめき声に、スミスははっとなるが止まるわけにもいかない。オルトスの動きがにわかに鈍くなる。このままでは格好の的だと、スミスはいったん機体を後方に下げようとした。しかし、バーニアが言うことを聞かない。オルトスが、ひいてはイサミが手の中から離れていくような、例えるなら寂しさにも似た何かが胸をよぎった。
目の前の敵機を、スミスは肉眼で見据える。レーダーが不要なほどの至近距離。
「
……イサミ、俺を恨んでくれていい」
「ぅ
……、う、すみ、す
……何を
……?」
こんな量産型の雑魚を1体倒したところで、きっと状況は何も変わらない。ほんの少しだけ命が延びるだけだ。
それでもスミスは手を伸ばす。中央に位置する、赤く大きなスイッチに。
「
……それは
……やめろ、スミス!」
叩きつけるようにして押し込んだ。後部座席のハッチが開き、コー・パイロット、すなわちイサミの体が射出される。
「スミス! 一緒に死ぬって、約束
……!!」
悲痛な声が遠ざかっていき、やがては途絶えた。この距離ならば問題なく、彼は基地内に降り立つことができるだろう。
しかしスミスとて、みすみす死ぬつもりはなかった。機体が思うように動かない今、取れる手段は1つしかなく、そうするには後部座席に彼がいてはいけなかったのだ。
外装をパージし、敵機に取りつく。そして、どうか使うことがなければいいと思っていた機能をオンにした。それは搭載されたすべての火器を一気に展開する、捨て身の攻撃だ。しかしスミスは同時に、ejectのスイッチも押下する。彼との約束を簡単に破るつもりなど、スミスには毛頭なかった。
前面モニターの前がカっと真っ赤に染まる。体が火のように熱くなった後、スミスの意識は遠のいていった。
***
もしかしたらもう目が覚めることはないかもしれない、そう思わなかったといえば嘘になる。この地で、命はそのあたりに転がっている石などよりも余程軽かった。埃でも払うかのように刈り取られていく命を前に、ひと1人の力はあまりに無力だった。それでも、スミスは、そしてイサミは懸命に歯を食いしばって戦ってきたのだ。
スミスはゆっくりと瞼を引き上げた。人工的なLEDの明かりが目に入る。一瞬耳鳴りがして、すべての音が遠ざかり──そして帰ってきた。痛い、痛いとうめく兵士たちの声が鼓膜を揺らす。
「
……生きて、るのか
……」
最後の瞬間をスミスはまったく覚えていない。しかし生きてこの場にいるということは、オルトスが健気に前部座席のパイロットも逃がしてくれたのだ、己を犠牲にして。共に戦場をかけてきた愛機は、今頃どこかで哀れな鉄塊になっているか、あるいは粉微塵に吹き飛んでいる。整備班に渋い顔をされそうだった。
目が覚めましたか、と医官が覗き込んできた。
「奇跡的な軽傷です。大変申し訳ないのですが、起きられるようならベッドを空けて頂いても?」
「
……イサミは? コー・パイロットの彼は、どこに? 彼も怪我をしている、はずだ
……」
そもそも彼は重傷を押して後部座席に乗っていた。無事帰投できたのなら、どうか安静にしていてほしい──オルトスは、もうないのだから。
「
……アオ3尉は
……」
医官はどこか気まずそうな顔で、その名を口にした。
「ここには、いないのか
……? なら、個室で治療を受けているのかな。見舞いに行きたいから、場所を」
「──スミス少尉、どうか落ち着いて聞いてください」
医官はスミスの言葉を遮り、神妙な面持ちを見せた。
そして、スミスがもっとも恐れていた事実を口にしたのだった。
馬鹿な、そうスミスは亡羊とした声を漏らすと、この上ないほどに目を見開いた。
(ありえない、そんなことは!)
スミスは心の中で叫びながら、通路をひた走った。怪我の痛みなどどこかに飛んで消えていた。悪い夢か、あるいはあの医官が勘違いしているだけに違いない。目指すのは、もう何も収容するものがなくがらんどうになり、遺体置き場となっている格納庫だった。
女性の泣き叫ぶ声が聞こえる。格納庫の、薄汚れて冷たい床には、昨日今日で命を落とした者たちの遺体が袋に包まれて並んでいた。その無数に並ぶ遺体袋の中の1つに、女性が取りすがって泣きわめいている。発される言葉はおそらく日本語で、スミスには聞き取れなかった。
(あれは、イサミの元バディの
……)
生きていたのか、とぼんやり思った。このところ見かけなかったのだ──航空管制など最早ものの役に立たないから、おそらく後方支援に回っているのだろうか。
「____!! アオ__!!」
ひとつだけはっきり、耳がとらえた単語がある。アオ、碧、それはイサミのラストネームだ。ハワイの海のような緑がかった青色をあらわしているのだと、いつか聞いたことがある。なんて美しく、彼に相応しい名前なのかと心を打たれたことを昨日のことのようによく覚えていた。
ありえない、そんなことは、そうぶつぶつ呟きながら遺体袋に歩み寄る。周りには他にも数人人がいて、中には整備班、医療班の面々もいる。
袋は半分だけ閉じられていて、収容されている人間の顔が覗いていた。
(嘘だろう)
オルトスが壊れていて射出距離が足りなかったのだ、そうして敵の只中に落ちてしまったのだろう、そんな風に冷静に会話している人々の言葉が耳を素通りしていく。
(嘘だろ、イサミ)
頽れそうになる体を必死に支えながら、袋を覗き込む。右半身を無残に潰され、絶命した彼の姿がそこにはあった。
あ、あぁあぁあぁぁぁぁ! 悲鳴が聞こえる。これは誰の声だ?
気が遠くなる。これはきっと、全てが悪い夢なのだ。
***
???
「
……ミス、スミス! おい、ルイス!」
誰かが肩を揺さぶっている。脳まで揺れるようなその力強さに、スミスは辟易しながら目を開けた。誰だ、起こそうとしているのは。もう目覚めたくなどないのに。
「ルイス? しっかりしろってば!」
「
……え?」
心配そうに眉をひそめて見下ろしているのは、求めてやまない男の顔だった。記憶よりもほんの少し長い髪が、彼を実年齢より若く、そして愛らしく見せている。
「
……い、さみ
……?」
「そうだよ。お前、すげぇ魘されてたから
……気になって起こしちまった」
男は──イサミはほっと息を吐くと、スミスの額にそっと手のひらを押し当てた。
「具合悪いのかと思ったけど、熱はなさそうだな。大丈夫か?」
「ここ、は
……どこだ
……?」
「寝ぼけてんなよ。船の上に決まってるだろ。次の寄港はええと、五日後かな。
……待ってろ、水持ってきてやる」
イサミは手を離すと、早足で部屋を出て行ってしまった。
深呼吸をしてから、スミスは周囲を見渡した。大きなベッドルームだ。一角は大きな窓になっていて、その向こうは見事なオーシャンビューだ。広々としたバルコニーにはカラフルなパラソルが立てられていて、風ではためいている様子が見える。
「船の、上
……?」
スミスがおそるおそるベッドを下りると、毛足の長いカーペットが、優しく受け止めてくれた。こんなものが、あの地獄の基地に存在するわけがない。
(夢
……?)
窓へと歩み寄り、押し開ける。海面が月明かりをはじいていて美しい。あたりは静まり返っていて、聞こえるものといえば銃声や悲鳴ではなく。穏やかな波の音だけだった。
「スミス!」
鈴を転がすような、愛らしい声がした。聞き覚えのないそれに弾かれたように振り向くと、銀色の髪と不思議な色の目をした少女が、水の入ったグラスを手に立っていた。
「き、みは
……?」
「スミス! はい、水!」
「え、ああ
……ありがとう
……」
差し出されたそれを受け取ると、よく冷えたそれは美味そうに見えた。一息に飲み干すと、いくらか頭がはっきりしてきたような気がする。だが、それでもやはり、この場所にも、少女にも見覚えがない。
イサミが戻ってきて、こいつも起きちまったから、と苦笑いした。
「大丈夫か? スミス。顔色が悪い」
そっと差し伸べられた手が、労わるように頬を撫でる。血の通った、生きている人間の持つ温かさだった。
「
……おかしいんだ、俺。ここがどこかなのか、分からない
……」
「スミス?」
「君は、君は誰なんだ
……?」
娘を名乗る少女がどこか恐ろしく、だが、なぜだろう、自分にとってとても大切な存在であると感じる自分もいた。見ず知らずでもあるにも関わらず、目の前の存在が愛しいと、心のどこかから訴えかけてきている。
「どうしたの? スミス、__、__だよ!」
「本当にどうしちまったんだ? __に決まってるだろ、お前の娘の」
彼女の名前だろうか、まるで耳でもふさがれてしまったかのように上手く聞き取れない。
「娘
……俺の
……。君が、俺の?」
見たところ14、15歳といったところだった。どう低く見積もっても、スミスの娘というには年かさに見えた。それに、まるで己に似ていない。髪の色も目の色も肌の色も。
「むー! イサミ、スミスどうしちゃったの?」
「悪い夢を見てねぼけてんだよ。仕方のない父親だな。これは水じゃ駄目だ
……よし、ピーマンだな」
「ピーマン! りょうかい! すぐ持ってくるね!」
少女はぴしっと幼い仕草で海兵隊式に敬礼して見せると、部屋から駆け出して行ってしまった。
残されたイサミは呆れたようにため息を吐くと、こつんとスミスの額を小突く。
「__にあんな顔させんなよ。どうしちまったんだ?」
「俺は
……どうしてここに?」
「しっかりしろよ。家族で旅行でも楽しんで来いって、皆が送り出してくれただろ? お前だって大喜びしてたのに」
「そう、だったかな
……そうかも、しれない
……」
あれはすべて、やはり悪い夢だったのだ。そのリアリティと残酷さに引きずられて脳が混乱し、記憶が乱れてしまっているのかもしれなかった。
「どんな夢を見てたんだ?」
イサミがスミスの手を優しく引いて、ベッドへといざなってくれる。スミスがすとんと腰を下ろすと、スプリングのきいたベッドが大きな体を受け止めてくれた。埃に塗れた、あの汚れたシーツなどではない、清潔で太陽の匂いがする。
スミスは頭を抱え、血なまぐさく、恐ろしい夢を回顧した。目覚めればすぐに消えてしまうはずのそれが、なぜか記憶にはっきりと焼き付いている。
「ひどい、本当にひどい夢だ
……君が、死んでしまう
……」
惨く潰された右半身を、焦げた肉から除く骨の色を、もう二度と開かない左目を、スミスははっきりと脳裏に描くことができる。思わず嘔吐いて口に手をやると、寄り添うようにして座ったイサミの手が背中をさすってくれた。
「馬鹿だな
……。その時は
……死ぬ時は俺たち、一緒だろ。そう約束したじゃないか」
「約束
……」
そうだ、約束した。
『最後まで、一緒にいさせてくれ
……スミス
……』
『ああ、約束する。
……死ぬ時は、一緒だ』
あれは、『彼』と交わした約束だっただろうか。そしてそれは果たされることなく、2人は共に生き残り、こんなふうに穏やかなひと時を過ごすことができている、と?
眩暈がした。ここが現実か、夢か、もう何もかも分からない。
「
……顔色、ほんとに悪いぞ。もう少し寝たらどうだ?」
「怖いんだ、眠るのが
……」
「大丈夫、俺がついててやるから。
……ほら、ここに」
イサミが自身の足を叩いて見せた。どういうことか分からずぼんやりしていると、肩をつかんできた彼が強引に体を引き倒す。筋肉の良くしまった大腿部が、頭を受け止めてくれた。枕にするには硬すぎるが、そのぬくもりがこの上なく心地よく、ぐちゃぐちゃになったスミスの心を解きほぐしてくれるようだった。
「もう悪い夢は見ないよ、ルイス。大丈夫だ、目を閉じて
……」
言われるままに瞼を下ろす。するとイサミが何かを小さく口ずさみ始める。聞きなれない、だがとても優しい響きの歌だった。きっと日本の子守唄だ──
よかった、彼はここにいる。無残に命を刈り取られてなどいないのだ。
スミスの頬を、一筋の涙が伝った。