薙屋のと
2024-05-02 11:15:26
4371文字
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涙記念日SS
本編後パーティーメンバーのところに戻って角煮を作りながらもょもょとしているカブルーくんの話

 あちらこちらから、美味しそうな匂いが漂ってくる。
 カブルーは木箱を椅子と机代わりにしながら、山のように積まれた人参を片っ端から切り落とす作業に勤しんでいた。隣ではホルムがじゃが芋の皮を剥き、ダイアが肉を切り分け、リンシャが大鍋で調味料を合わせたものをかき回している。クロとミックベルは台車を使って、大量の食材を他のチームに配る作業を手伝いに向かった。
 料理なんてつい二週間ほど前まで、全くした事が無かった身だ。必要に駆られて迷宮深層という極限状態の中でいくつかの料理を作ったが、果たしてアレは料理と呼んで良いものだったのか。未だ芋の皮さえ剥けず「人参はよく洗えば皮を剥かなくても良いから」とのリンシャの言葉に従って、適当な大きさに切り分けていく。大鍋で時間をかけて煮込むから、大きい方が美味しいそうだ。量産されていく人参の蔕に、これも水に浸しておけば芽が出るのかと考えた。それか集めて煮込めば出汁が取れる、ついさっき覚えたばかりの豆知識だ。最もカブルーは出汁の取り方なんて知らないけれど。ただ切り落とした蔕をそのままポイと捨ててしまう事がどうにもできなくて、なんとなくその辺にあった空き箱にまとめて入れている。野菜屑にも使い道がある。センシならばあとでまとめて使うかもしれない、なんて他人任せに思いながら。
「リン、できたよ」
「別のグループから米のとぎ汁もらってきたぞー」
「ミック、そこに置いておいて。カブルーはダイアの切ったお肉をミックの持ってきた鍋に入れてくれる?下茹でするから」
「わかった」
 ダイアから肉を受け取り、ミックベルの用意した大鍋に放り込んでいく。ミックベルはまだまだ作業があるらしく、置いてすぐにまたクロと駆けて行った。赤と白が見事な層になっているアバラ肉を、白く濁った水の中に入れていく。これは竜の肉であって決してライオスの妹の肉ではない、いや竜の肉も全然食べたくない。どちらか選べと言われたらどっちも嫌だ。彼に協力してやりたいという気持ちはある、それは本当だ。大切な家族を生き返らせたい、その願いを叶える方法ならば手伝ってやりたい。だがしかし。そんな葛藤が腕から背中へぞわぞわと駆け巡る。リンシャは下茹でと言っていたからここから火にかけるのだろうが、この工程が料理においてどういう意味なのかは知らない。あの人が涙を流しながら切り分けていた肉が、どうすれば美味しい料理になるのか。そんなことカブルーは一つも分からなかった。何故あの時見た彼の顔が頭から離れないのかさえ。
 ただ、あの時自分が声を掛けなければ。
 そうしたら、あの人はたったひとりで、泣きながら竜の解体を終えていたのだろうか。誰にも心の内を明かさないまま。
 そう思うと心がざわざわとして、何とも言えない気持ちになる。もしかしたら、あの場に居たのが自分じゃなくても。彼の部下達が声を掛けていたのかもしれない、そうすれば彼の涙を見るのは彼女たちだった筈だ。それはそれで今度は心はもやもやとして、カブルーは靄を払うように首を左右に振った。たった二週間ほど、ごく僅かな期間を一緒に過ごしただけの相手が何故こんなに気になっているのだろう。相手は自分よりずっと歳上のエルフで――そしてずっと、強くてすごい人だ。
 それでもあの時彼を振り向かせる為に掴んだ肩が細かった事を、自分の存在が無意味になったと嘆きながら、それでも誰かの為に力を貸す事ができるかもしれないと言う横顔を。カブルーは忘れられず、こうして出口のない自問自答を続けている。
「カブルー、お肉を入れ終わったら火を入れてくれる?それから次は……そうね、生姜……は難しいか」
「よく洗えば皮ごとでもいいんじゃない?」
「そうね、じゃあそこにある生姜をよく洗ってきてくれる?どうせ切るから、泥が取れないようなら折ったり切ったりしてもいいから」
「うん、わかった」
 ホルムとリンシャに言われて、生姜の入った小箱を抱えて水場へと向かう。自炊のできるリンシャやダイア、ホルムと違って料理となるとさっぱり自分は役立たずだ。ざぶざぶと水で洗い流しながら、親指で土をこそげ落としていく。リンシャはよく洗えば良いと言っていたけれど、よく洗うとははたしてどれくらいだろう? 泥が落ちれば? それとももっと丁寧に? 生姜の皮なのか土なのか見分けがつかない。自分はそんなことも知らないのだと、今までは気付くこともなかった。
 もしも、自分にもっと料理の知識があれば。
 そうすれば、あの時気の利いたこと一つでも、あの人に言うことができたのだろうか。野菜屑にも使い道があるのかと、良いことを聞いたと何かから解き放たれたように笑うあの人の顔が頭から離れない。事実、彼はセンシのあの言葉でこれまでのしがらみからようやく解放されたのだろう。燃え尽きていた彼を叱咤し、再び立ち上がらせたのは自分なのに。
 人間観察や対人スキルに長けているつもりだった、あらゆる人種の文化も学んできたし、相手の心理を把握することも得意だと思っていた。それがどうだろう、ライオスを説得するときはとんでもなく滅茶苦茶だったし――まあ彼を引き合いに出すのはどうかと思うし、最終的にはうまくいったから不問とするが――涙を流すあの人にかける気の利いた言葉一つ、思い浮かばなかった。
 今の自分の心すらどうなっているのかよく分からない。生涯の目標と定めていた迷宮の謎、それは解き明かされた。悪魔は消えた、ライオスが食べてしまった。つい昨日には滅びるかと思われた世界は無事救われて、迷宮が無くなった今、この宴が終わったらどう生きるか、自分の身のふりを考えなくてはならない。陸地にも魔物はいるが、そもそも自分は魔物を倒すのに向いていない、冒険者は続けられない。まあ目的を果たした以上、続ける理由ももう見当たらない――嗚呼。ライオスがこの国の王になるというのであれば、そばで手伝うのも良いかもしれない。政治学には明るくないが、それはこれから学べば良い。彼は人間関係が苦手だから、きっと支えになれるだろう。彼は深く狭くの人なので仲間にはまだまだ遠いだろうが、それでもここ数日で友人の枠には入れてもらえた筈だ。彼は王になんてなりたがらないだろうが、どう考えてもあの島主より遥かに良い。彼のありとあらゆるものをフラットに見渡せる視点は、ほかに類を見ない多種族の国になるだろうメリニにおいて非常に重要だ。周りがきちんとサポートさえすれば、彼はきっと良い王になる。
 そこまで考えて、ふと自分より幾分背の低い、銀髪の頭が脳裏にちらついた。この二週間で何度も見た旋毛と、小柄な割に広い背中。彼はこれからどうするのだろう。
 彼はああ見えて、随分周りに慕われていた。きっと本国である北中央に帰っても、支えてくれる誰かがいるだろう。新しい欲求を見つけて、趣味なんかも、エルフの人生は長いから。きっと。
 ……もう二度と、会うこともないのだろうな。
 そう思うと一抹の寂しさを覚える。たった二週間、さまざまな事情と思惑の結果そばにいて、大袈裟に言えば一緒に世界を救った仲だ。あの時あの迷宮にいた誰が、何が欠けていても、きっとこの結果には辿り着けなかった。せっかく名前を覚えてもらえたのに。最初の頃、シェイプシフターが作り出した自分の偽物を思い出す。今思い出しても相当腹の立つ出来だった、いくら彼から見てたかだか一介のトールマン、所謂モブとはいえ、もう少しマシな出来栄えにはならなかったのか。いつの間にか足に嵌っていた歩きキノコまで再現していたのが余計にムカつく。そこは記憶しているのかよ。でもきっと、今ならもう少しはマシな代物ができるだろう。その機会は訪れないけれど。
 そう、彼と出会ってからのこの日々はとても濃密で、きっとこれからの人生でも忘れない二週間だった。
 でも、彼にとってはどうだろう。トールマンの自分にとってさえ、二週間は大して長い期間ではない。約五倍の寿命があるエルフにとっては、まさに過ぎれば瞬きの間だろう。でも、彼にとっては、長い間囚われていたものからようやく解放された出来事だ。これからの長い人生でも、忘れられない日に違いない。この怒涛の日々を、時折は思い返すことがあるかもしれない。
 その中に、自分はいるだろうか。
 ああ、そうか。
 自分はどうやら、自分で思っている以上にあの人に入れ込んでいて、忘れ去られることが寂しいらしい。一緒に不味い魔物を食べた、魔物に追いかけられた、冒険をした、慣れないなりに世話もした、色んな話をした、世界の崩壊に立ち向かった。ようやく名前を呼んでもらえたのに、そこでお終いがどうしても寂しいのだ。
 もし、自分に料理の知識があって、あの時自分があの言葉を紡げたら。
 そうすれば、あの人の記憶に少しでも残れただろうか。泣きながら笑うあの人に寄り添う言葉を投げかけたのが隣にいた自分じゃなかったことで、こんなにも悩んでいる。人をひとり救いたかったなんて、そうする事で彼の中に残りたかっただなんて、烏滸がましいにも程がある。馴れ馴れしい、少し関わった程度で理解者ぶるな。彼の部下に言われたことを思い出す。本当にそうだ。たった二週間、一緒に過ごしただけのトールマンの若い男が、何を。
 それでもあの人は自分の言葉に上を向いて、手を取って、立ち上がってくれた。たった少しの期間そばにいた、彼らからすれば幼児みたいな年齢の人間の、彼の本当の絶望なんて知りもしない若くて青くて甘っちょろい言葉を、聞く耳に足ると、思ってくれた。
 きっと自分はまだ、彼と関わって居たいのだ。今までたくさんの人間を見てきたつもりだけれど、あんなに凄くて強くて、足掻いて藻搔いて――まるで泥の中の宝石のように美しい人間なんて、他に知らない。彼の行く先を、これから望むものを、もっと見てみたいなんて。
 自分の思考の糸口が見えはじめて、カブルーはだんだんと愉快な気持ちになってきた。世界が救われたという高揚もあるのだろうか。まだ何もない真っ新な未来のことを考えるのは楽しい。
 とりあえずこの饗宴がはじまったら、人一倍食べると約束したあの人に、うちのチームで作った角煮でも持っていこう。それから先は――また後で考えればいい。自分はこの島の、外交官になってエルフの地に赴いても良い。エルフ語も扱える、あちらに貴族籍の養母のいる自分は随分重宝されるだろう。
 そこまで考えたところで一旦区切りを付けて。カブルーは洗い終わった生姜の山を箱に戻すと、足早に仲間の元に戻る事にした。



 その後、ミスルンから彼がメリニに残ると告げられるのは、また別の話。