薙屋のと
2024-05-02 11:13:47
3578文字
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銀の揺籠

付き合ってないしお互い恋愛感情ZEROなのにいちゃついてるシスヒスさんと隊長の話。
【鳥籠は開け放たれた】の翌日くらいの温度。

 それは少しの気まぐれだった。

「あら、隊長。もしかして眠いですか?」
「問題ない」
 飴色の机の上、報告書を書き上げていた白銀の頭が一瞬かくりと揺れた。パッタドルに代わり書類の整理を手伝っていたシスヒスがミスルンの顔を見ると、いつもより左の瞼がとろんと下がっている。
「最近忙しいでしょう?お疲れなのでは」
「疲労感も眠気もない」
「あら、でも身体は休養が必要みたいですよ。ほら、インクが」
「ん」
 白い紙にぱたぱたと落ちる黒い染みに、ミスルンが瞬きをした。
 ここ数日、本国とのやりとりと書類の作成、メリニ国王との打ち合わせや議会への介入と慌ただしい日々を送っていた。彼は自分の世話はできないくせに仕事に関しては有能で、書類の上を踊る筆跡も滑らかで美しい。シスヒスの知らない頃、昔のミスルンがそうだったのだろう。彼の行動の節々に、そういった美しく完璧なエルフの所作が表れている。
 決して嫌味や見栄ではなく自然に溢れてくる程に彼に馴染んでいる、本物の貴族のそれ。
 シスヒスは貴族が嫌いだった。
 傲慢で高慢、己自身に秀でたところの一つもない癖に、ただ家名と血統だけで思い上がる愚鈍な人間。こちらが少ししおらしく、艶やかに微笑み首を傾けるだけでころりと落ちるくせに、やれ卑しい売女だ媚を売る事しか能がない女狐だと吐き棄てられた事も一度や二度ではない。それはカナリアの看守でも変わらず、むしろ家から放逐された身の上であるが故の劣等感と猜疑心からか、囚人に対し必要以上に横柄な態度をとるものも多い。プライドの高さ以外でこちらに勝るものなど何一つない、魔術など使わずとも話術だけで籠絡できる間抜けばかりの癖に。
 だがそんな馬鹿で間抜けな看守達の中で、唯一このミスルンだけは例外で、少しの敬意くらいは払っても良いと思う程度に気に入っていた。
「隊長こちらへ。少し休みましょう、目を閉じて身体を横にするだけで、ずいぶん違いますから」
「うん」
 長椅子へ誘導すると素直にとことことついてくる。ずっと歳上の男なのに、まるで鳥の雛のようで可愛い。愚直と素直は別物だ、彼は素直で、可愛らしい。可愛らしいと思う程度には気に入っている。遊ぶには素直すぎて、少し物足りないけれど。
「さあどうぞ」
 この国は元々トールマンの国だ。家具もその体型に合わせて作られていて、自分たちエルフにはやや大きい。部屋に置かれたそこそこ上等な長椅子は、エルフとしては平均身長なミスルンが充分足を伸ばして横になれる。
 それはほんの少しの気まぐれで、シスヒスは椅子の端に腰掛けると自分の腿をぽんぽんと示しもう一度「どうぞ」と言った。にっこり、絵に描いたように笑う。ミスルンは不思議そうに首を傾げた後、指示された通りにころんと横になった。つまりは膝枕。大抵の男ならシスヒスのような美女にこんなことをされれば狼狽えるか興奮するかのいずれかだろうが、彼の表情は完全な無で、何故か兎を彷彿とさせた。黒い瞳がじ、とシスヒスの顔を見ている。
「そうだ、マッサージでもしましょうか」
「必要ない」
「まあまあ、たまには良いでしょう?」
 さあ手を。そう言うと彼は素直に右手を預けてきた。肘下から手首、手のひらに掛けてゆっくりと丁寧に揉み込んでいく。ミスルンは特定の武器を扱うわけではないので目立ったマメやタコはない。白くてカサついていて、骨張った男の手だ。
 ……別に、彼に対抗しているわけではないのだけれど。と心の中でひっそりと嘯いた。世話を言いつけたのは他でもない自分だが、マッサージなんかで安眠できるとは盲点だった。任された業務はきちんとこなしていたはずなのに、世話不足と言われたようで納得がいかない。この人がそんな事を言うわけがない、言うとしたら何も分かって居ないあの生意気な小娘くらいだ。パッタドルはミスルンに感謝すべきだと思う。あれはこんな不毛の地に残ると決めたこの人の世話を焼くだろうから、その為に仕方なしに生かしておいてやるのだ。
 ミスルンの顔を見ると瞼がおりて、今にも眠りに落ちそうだ。凝りが解れて温かくなった指先に指を絡めると反射で握り込んできて、恋人同士の戯れのようで少しおかしかった。爽やかな風が吹き込む、暖かな昼下がり。視界の端で、白いレースのカーテンが揺れている。
 だから少し変な気持ちになって、魔が差したのだろうか。
 脇に置いた鈴がチリンと音を立てた。彼に幻覚術は通じない。彼には自尊心を守る為の欲求も抵抗欲も存在しないのだから、術に罹っていようと罹っていまいと大抵のことは言われた通りにこなしてしまう。彼が抵抗するのは大体、当時彼に唯一残っていた復讐心に関する事くらいだった。そう、彼は抵抗しようと思えばきちんと抵抗できる、精神の強い人間なのだ。彼は中身が空っぽなお人形なんかではない、それは一番側にいた自分が誰よりも知っている。
 膝の上に広がる細くて柔らかな癖毛に指を絡め、緩やかな頬をするりと撫でた。他人種から見れば、彼は華奢で女性的に見えるらしい。どこがだろう、こんなにも逞しく男らしいエルフなんてそう居ない。手入れが行き届いておらず多少草臥れていたとして、彼は充分にハンサムだ。
 しなやかな筋肉のついた分厚い身体も、通った鼻筋も、皮膚の下の頬骨も――彼がこうなる前を知っている者たちは皆一様に彼のことをとても美しい青年だったと形容するが、その面影が残っている。誰よりも完璧で美しい男、その頃の彼に逢っていれば、自分も恋に堕ちたのだろうか? まるで少女のように。
「ねえ隊長」
 シスヒスは甘えるような、強請るような声でミスルンに話しかける。
「私も、お役に立っていたでしょう?」
「うん」
 フレキなんかより、ずっと。ずっと。
 その言葉は辛うじて飲み込んだ。この感情が子供じみた嫉妬だなんて分かっている。彼が自ら誰かをそばになんて望むわけがないこと、選べるわけがないということ。彼に何かを求めるのなら、此方から欲さないといけないこと。待ち続けたところで叶わないということ。
 だからこそ、自分の願望の為に靴まで舐めれる彼女が羨ましくもあった。まあ、そこまでやりたいかと言われたら、絶対に死んでもやりたくない。それとこれとは話が別だ。それでも彼女が羨ましかった。
「私、恩赦で刑期が随分短くなったんですの。生きている間に出られるくらいには」
「うん」
 知っていて当然だ。囚人達に一律で与えられた女王からの恩赦に、第一班だけはさらに追加で刑期の短縮があったとパッタドルから聞いている。お前達のために隊長が女王陛下に直接掛け合った、充分に感謝するように。この人は自分のした事をあの小娘のように偉そうに吹聴したりしない、聞いたら素直に答えるけれど、それだけ。何も欲しない彼が何を思ってそんなことをしたのかなんて、聞かない限り私たちに分かるはずがない。
「それでもしばらくかかりますから、出る頃にはもう行き遅れなんですよ」
「うん」
「釈放されたら会いにきますから、その時はお嫁に貰っていただけません?」
「うん」
 是の返事が返ってくると思わなかった。シスヒスはぴたりと手を止め、ミスルンの顔を見る。緩く両の瞼を閉じた彼の幾分幼く見えて穏やかで、実はずっと前から、その顔が可愛くて、結構好きだなと思っていた。
 淡い眠りの淵にいる彼のかさついた唇から「お前には特に世話になったから、」と声がする。半分夢に浸された舌っ足らずな声は、不思議と甘く柔らかかった。
「お前が生きていくのに、充分な遺産くらいは遺してやれる」
 エルフであればその名を知らない者はいない名家の出で、女王直轄の部隊の隊長。それはもう、彼の持っている資産は凄い額であろう。下手な短命種の国の国家予算なんかより上かもしれない。彼は興味も欲もないからその資産を増やそうとしないし、減らすこともない。
 そして自分は、お前は金目的の女だと言われたわけでないという事を理解している。
 他の男に言われたらそうとしか思われてないだろう、実際自分も目的はそうだと言い切る自信があるが、彼に限っては違う。そう言い切れるだけの何かが、此処にはちゃんと芽生えている。
 嗚呼、なんて真面目な人なのかしら。
 急に全部が馬鹿馬鹿しくなって、シスヒスは思わず笑ってしまった。
「嫌ですわ隊長。私、こう見えても寂しがり屋なんですの」
 くすくすと笑いながらミスルンの髪を撫でる。
「だからもし本当にそうなったら、ちゃあんと長生きして、ずっと一緒にいて下さいな」
 うん、と返事をしてそれっきり。やがて彼の呼吸が深くなり柔らかな寝息に変わるのを眺めながら、シスヒスは穏やかな気持ちで彼の髪を梳き続けていた。