薙屋のと
2024-05-02 11:06:37
3191文字
Public
 

勘違いの恋心。

吊り橋効果だと自覚しているカブ→ミス独白

 くぅくぅと健やかな寝息をたて寝袋に包まる人物を焚き火越しに眺めながら、カブルーはそっと溜め息を吐いた。
 魔術もしくは薬が無いと眠れないとは彼の言だが、装備が不充分なままはじまった深層探索と寒さ、浅層よりも強力な魔物との戦闘。休みたいという欲求は無くとも、身体は疲労が溜まっているのだろう。今日も簡単なマッサージで筋肉の緊張を解してやるだけで、あっさりと彼は眠りについた。
 落下して四日目の夜。
 寝袋と防寒具が回収できて良かったな、と口元まで毛布に埋もれたミスルンを見ながら思う。雪の積もっていた広場と比べれば幾分かマシだが、迷宮は床も壁もひんやりとしていて夜は少し寒い。エルフの衣服は薄手のものが多く、カナリア隊の隊服も防寒に優れているとは言い難かった。
 冷えは安眠の天敵だ、世話ーーほとんど介護に近いがーーをしているのは自分だが、殊戦闘に関しては彼にほとんど任せっきりだ。休める時にはしっかり休んでほしい。
 そもそも今こうしてほぼ初対面の二人で急造パーティーを組むことになった事自体が、元はといえば自分のせいだ。あの時の選択を後悔はしていない、自分たち短命種の未来の為にできうる最善だったと思っている。だが巻き込まれた彼の視点で言えば、少なくとも協力関係にあると思われたトールマンに邪魔をされ、あそこで終わるはずだった簡単な仕事がややこしくなり、さらに言えば装備もないままこんな深層へ突き落とされたのだ。放置どころか殺されたり囮にされたりしても文句は言えない状況の筈だが、今のところ見捨てられる様子はない。犯人に対して処遇が随分と甘く感じる。まあ初っ端に投擲武器代わりにはされたが。
 向かいで眠るミスルンの顔は、初日に比べて隈は薄れてきているものの青白く、万全とは言い難い。魔術や薬を介さない睡眠は普段より質が良いようだが、魔力切れに関しては如何ともし難い。先程も大型魔物のグリフィンを転移術で飛ばしたところだ。この階層は余り魔物が出なければ良いが……魔物相手の戦闘が得意ではない上にまともな武器も持っていない自分では役に立ちそうもない。まあそもそも仮に武器を持っていたとしても、自分よりミスルンの方が格段に強いのだが。カナリア隊は迷宮攻略の為の戦闘部隊だと聞いてはいたが、その中でも隊長の彼は群を抜いている。純粋なエルフの身体は、トールマンである自分よりよっぽど華奢で脆いのに。彼を結界内に引き入れる為に掴んだ二の腕や、後ろから拘束した際の肩や首、背負った時の体重、魔力切れを起こした彼を診た時の細い手首、マッサージをする時に触れた冷たくて小さな白い足、食事の時に開いた口の中の小粒で綺麗な歯並び、咀嚼する時に膨れる頬、黒い瞳、乱れてはいるが柔らかな銀髪から時折覗く欠けた耳、
 そこまで考えて、カブルーはぶんぶんと強めに首を振った。頭の中に浮かんだ空想達を振り払うように。

 カブルーはミスルンに恋をしていた。

 そして、これが所謂勘違いであることも理解していた。

 迷宮内での人間関係は複雑だ。閉鎖空間に加えて、共に困難に立ち向かったりしたことにより育まれすぎた仲間意識。人間は3人以上集まると派閥ができる、二人以上では自分達は特別な関係なのだと認識しやすくなる。
 つまり今自分が彼に抱いている感情は、全て説明のつく勘違いなのだ。
 まず一つ目の吊り橋効果。彼と初めて会ったあの日、カブルーには色んなことが起きていた。トシローやライオスとの邂逅、キメラとの戦闘、迷宮から帰還後即島主の館に向かい西方エルフとの談合に割り込み、迷宮に戻り狂乱の魔術師と遭遇、そして落下ーー書き切れないほどに、とんでもなく濃厚でハードな一日だった。戦闘や騒乱を繰り返し、緊張感と心拍数はとんでもないことになっていた。そんなとんでもない状況の中で島主の館以降、ずっと隣にいたのがそこで眠るミスルンである。目まぐるしいこの状況に、身体のドキドキを心が勘違いするのも已む無しだろう。
 そして単純接触効果。元々関心が無かった物事や人物であっても、何度も繰り返し目に触れたりすることでだんだんと好印象を持つという現象。正直、これが厄介だ。ミスルンは欲求がない為人の世話がないと生きられない。世話をする為にはどうしても触れる必要がある。エルフという種族はトールマンから見て大概華奢で、そして美しい形をしている。それはミスルンとて例外ではなく、エルフの中では筋肉質で男性的な方だと思うがそれでも充分にたおやかだ。同じ身長のトールマンの女性と比べても全てのパーツが小さく繊細に出来ている。自分に同性愛の傾向は無いはずだが、エルフに対してはそれがアテにならないトールマンの男は多いと聞く。特に女性に飢えているわけでも無いのに、この効果は酷くカブルーを苛んでいた。
 そして接触だけではなく、彼の過去に纏わる一連の話を聞いたことも原因だろう。
 彼が欲求を、片方の目と両耳を失うことになった話。いずれ遭遇するであろうライオスを止める為、そして迷宮主になった者の末路を伝える為に、カブルーは彼から聞いた長い長い話を脳内で何度も繰り返し咀嚼してまとめあげた。
 他人の行動の原理を知る為、人と成りを探る為、必要なのは共感だ。カブルーは人間を観察すること、知ることが趣味と言っても差し支えない程度に好きだし、それが行きすぎて懐に入り込む為には手段を選ばないと仲間から評されたりもする。自分には理解の及ばない相手だとしても、まずは共感できる部分を探して歩み寄る姿勢が大事だと、カブルーは思っている。
 つまり自分は、ミスルンの一連の話に共感を覚え、それを繰り返し、同情すらしている。本当に同情なのかは怪しいところがあるが、自分をよく見せたい隠したい傷を抉りたく無いという欲求も失っている為に自分の出自の秘密からドロドロとした人間関係、叶わなかった恋、全て丸ごと話してしまう彼の事を心配する自分がいる。彼は自分の心を自分で守ることすらできないのだ。そう思うと庇護欲めいたものが湧いてしまって、気付けば率先して世話を焼く自分がいる。
 できるだけ美味いものを食わせてやりたい。
 あたたかくしてゆっくり眠らせてやりたい。
 ーーできれば、喜びや楽しさを感じて、笑って欲しい。
 焚き火の向こう、ぐっすりと眠る彼の呼吸も顔も穏やかだ。自分より100年以上歳上の、言ってしまえば養母と同じ年頃のエルフなのに、あどけない寝顔に頬が弛む。欲求の無い彼はどんな夢をみるのだろう、それとも夢も見ないほど深く眠っているのだろうか。できれば悪い夢は見ないで欲しい。

 勘違いからくる恋心と庇護欲、恐らく抱いているが認め難い少しの劣情。脱却しようと思考をずらしても結局ここに戻ってくる。悪循環だ。

 この迷宮から脱出さえすれば、彼と離れればきっとこの想いは忘れてしまえるだろう。
 迷宮と悪魔の話を聞いた以上、次は彼の邪魔をするつもりはない。この迷宮を出来れば短命種の手にという思いは今でも持ってはいるが、それで世界が終わってしまえば元も子もない。この迷宮を制圧して、彼は船に乗り西へ帰り、自分は目的のためにきっと別の手段を探すだろう。

 彼はいつか、悪魔を殺すことができるのだろうか。
 その時復讐を手放して、残るものはあるのだろうか。

 この恋は勘違いだけれど、彼にいつか幸せが訪れて欲しいと願うこの感情は偽りではない。それくらい、彼に情が移っている。欲求を失った彼に、何かあたたかくて優しいものが降りかかることを願っている。

 ーーそれを与えるのが、自分であればいいのに。

 ああ、駄目だまだ勘違いの恋心が邪魔をする。
 カブルーは自嘲気味に重たい息を吐き出して、焚き火にまた薪をひとつ放り込んだ。