薙屋のと
2024-05-02 10:56:26
1797文字
Public
 

シチューの話②

×より+な飯食ってるだけのカブミスSS②
 鹿肉のシチューと白いパンとトマト

「シチューが好きなんですか?」
…………?」
 カブルーの問いにミスルンは不思議そうに瞬きをした。
 口の中に入っていたものをこくりと飲み込み、もう一度瞬きをする。
「普通だ」
「そうですか、いつも食べてるから好きなのかと」
 カブルーはそう言って、ミスルンの手元にある深皿を見た。濃い色のデミグラスソースの中に、ほろほろに煮込まれた鹿肉の塊が沈んでいる。
 彼の欲求を取り戻す作戦の一環で、一緒に食事に行く時はなるべく彼にメニューを見せて、一品だけでも選んでもらうようにしていた。欲求が無い中でも無意識の好みがあるのではないかと思ったが、彼曰く「普通」らしい。「わからない」ではなく普通、ね。ふむ、とカブルーは一つ頷いた。
「ミスルンさん、この店は焼きたての自家製パンが評判なんですよ。シチューと一緒にいかがですか」
「いただこう」
 まだ温かい白パンを籠ごと彼の前に差し出す。見るからにもっちりとして美味しそうなそれを白い指が二つに割いて、片方を口に運んでいく。開けた口から、小振りで薄い、陶器のような白い歯が見えた。
「美味しいですか?」
「柔らかい」
 あっという間に手の中からなくなったのを見て「もう一ついかがですか」と差し出してみる。無言で手が伸びてきて、今度は二つに割ったそれをシチューにつけて食べはじめた。その様子を観察していると黒い瞳と目が合った。さすがに不躾すぎたらしい。
「いや、白いパンは結構好きそうだなと思って」
 カブルーの言葉にミスルンは緩やかに首を傾げた。しばらく考えるそぶりをした後、口を開く。
「嫌いではない、気がする」
「そうですか。シチューとか、柔らかいパンとか、食べやすいからですかね。食の進みが良いなぁと思って。逆にビスケットとかパサパサしたものが嫌いですよね」
「そんな事はない」
「そうですか?じゃあこっちも一枚いかがですか」
 葡萄酒のアテにと頼んだ、チーズとクラッカーの盛られた皿を目の前に差し出してみる。クラッカーを一枚手に取った彼の薄い口元はきゅっと閉じていて、眉も平行になっている。
 明らかに乗り気で無い顔に、カブルーは思わず笑ってしまった。彼の手のそれをひょいと取り上げて、別の皿にあった燻製魚を適当に乗せて自分の口へと放り込む。
「すみません、意地悪をしてしまいました。でもあまり好きではなかったでしょう?」
……別に、今から食べるところだった」
「食べれる食べれないと好き嫌いは別ですよ」
 ここは迷宮じゃないんだから、魔物やパサパサの携帯食で我慢しなくても良いし、他に美味しいと思ったものを食べればいいんですよ。
 カブルーの言葉に、ミスルンはぱちりと瞬きをした。まるで思い至らなかった、というような顔だ。
 極端な野菜嫌いや偏食という事であれば、健康の為にも多少の矯正は必要だろうが、カブルーの見た限り彼は肉も野菜も割と満遍なく量を食べる。昼食はパッタドルと同じものを摂ることが多いと言うし、彼女は真面目だからミスルンに食べさせるものと言うことも考慮して、極端な偏食はしないだろう。であれば、自分といる時くらいなるべく彼が美味しいと、好きだと思うものを食べさせてやりたい。
「私自身でも分からない事を、お前はよく見ているな」
「俺はそれだけが取り柄ですからね。貴方を新しい欲求探しに焚き付けたのは俺ですから、それくらいお手伝いしますよ」
 これは本心だ。彼にはもっと、自分の人生というものを楽しんでもらいたい。食べるものだけではなく、趣味でも仕事でも人でも何でも良い、もっと興味のあるもの、好きなものを見つけて欲しい、笑って過ごして欲しい。
 それは単なる自己満足で感情の押し付けかもしれないが、きっと彼にだって欲しかったものやこれから得たいものがあるはずなのだ。それを見つける手伝いをしたい。見つけた時に、できれば隣で一緒に喜びを分かち合いたい。
 それは自分のエゴで、彼はそんな事を望んでいないかもしれないけれど。
……私も最近、一つだけ気付いたことがある」
「なんですか?」
「お前はトマトと魚介、特に白身の魚が好きだろう」
 その言葉に、思わず自分の目の前の皿を見た。葡萄酒とチーズ、魚介のトマトソースパスタに、白身魚の香草焼き。
「正解です」
 彼の左目が満足げに細められるのを見て、カブルーは笑った。