氷紀
2024-04-28 00:12:29
8583文字
Public 雨の日はきみを待つ
 

雨の日はきみを待つ 01

高沢。高くんの世界へ訪ねてくる沢くんの話。
5期・6期の泥田坊回のネタバレがあります。
例によって設定等は公式ではありませんのでご留意ください。

 僕はひとつ、隠れ家を持っている。
 場所は横丁の通りから歩いて十五分くらい、森の中を流れる川の縁。
 広さは僕の家の三倍くらいあるけど、生活する為の場所じゃない。うっかり触られるとまずい品を置いておく場所だ。

 家は暗い灰色の石造りで、窓は一カ所にぽかりと空いているだけ。もう家というより箱と行った方が正しいかもしれない。全体に術の仕掛けが幾重にも巡らされていて、内と外を隔てる強い結界になっている。
 壁は一面本棚で、そこに納められている品々のうち、一番多いのは蒼兄さんから預かった封印道具の類、次に多いのは、父さんが古い知り合いから託されたものだ。砂かけ婆の砂の調合材料を預かったこともあるけど、それはまあ、十年に一度あるかないかの珍事だろう。
 その隠れ家には、基本的には誰も近づかない。みんなそこに置いてあるものがどれだけ危険か知っているし、そもそも蒼兄さんの手による結界をくぐれるのが、僕と父さんしかいないからだ。だからたまに虫干しをしたり、ホコリを掃除したりするのも僕だけ。
 それをいいことに、僕はここに大きな長椅子とマットを持ち込んだ。こっそり昼寝をするため、という理由で。僕だって誰にも邪魔されずに休みたいときがある。父さんは何となく気づいているみたいだったけど、この隠れ家に置いてある品々を考えると、僕が時々様子を見に行っているくらいがちょうどいいと思ったんだろう。咎められたことはない。
 だからここは僕だけの場所。
 年月が経つうちに、毛布と薬缶と湯のみと、小さなランプと、野草を摘んで作った茶と急須と、いつかの事件解決の礼にもらったお菓子と、掃除用に持ち込んだ小さめのタライと、タライと同時に持ち込んだものの結局使わなかった手ぬぐいと――という具合に、預かり物以外に置いてあるものが増えて、本格的に隠れ家じみてきた。でも僕だけの秘密だから、他に誰も知らない。

 ……そのはず、だったんだけど。

 僕が彼に初めて会ったのは、とある夜、帰る途中で雨に降られて、雨宿りの為に隠れ家へ駆け込んだときだった。僕そっくりの背格好で、着ている服もちゃんちゃんこも下駄も同じ。蒼兄さんの封印道具を詰めた棚のすぐ側、窓枠にもたれて外を見ていた――僕に向かって振り向く顔の、片目を隠す髪型までもほぼ一緒だった。
 ただ、髪の色だけがはっきりと違う。
 僕より暗い栗色の髪、闇夜の雷光の中に幾筋か、金色が浮かぶのを見た。

「きみは、」
……見つかっちゃいましたね、先輩」

 静かで小さい声なのに、雨音を薄紙のように蹴破って、彼の言葉は僕の耳に届いてきた。姿を映す類の知らない妖怪だろうかと疑ったけど、気配がソレを思い切り裏切っていた。僕と父さんと同質の、幽霊族の気配がしたからだ。
 幽霊族は人間から見れば妖怪のようなもの、しかし本当は『妖怪でも人間でもない、幽霊族という独立した種だ』と――昔、父さんに教わった記憶がある。だから分かる、今僕の目の前にいるのは、新手の人間や妖怪じゃない。幽霊族だ。僕と父さん以外に生き残りがいたのか、それにしては僕に似過ぎている。
「先輩、って……きみは僕を知っているのかい」
「はい。僕の一つ隣で、少しだけ前から存在している、五番目の鬼太郎……他の先輩方は、あなたを高山と呼んでいました」
 高山。初めて聞く名前だった。
 でも、何故かそれが自分を指すものだと分かってしまった。
「じゃあ、……きみは?」
「僕も鬼太郎です。紛らわしいので、沢城と呼んでください。僕は六番目です」
「五番目と六番目……僕が先だから先輩、ってこと? よく分からないけど」
 その認識で構いません、と彼は一つ頷いた。
 外の雨はまだ続いている。
 砂嵐に似た雨音の中、何から聞き出すべきだろうと迷ううちに、彼は話し始めた。
「勝手に入り込んじゃって、ごめんなさい。……でも、少しだけ雨宿りをさせて欲しいんです。ここのものを壊したり、取ったりはしませんから」
「それは……構わない、けど。きみはどうやってここに」

 そうして沢城くんが教えてくれたのは、概ね以下のような内容だった。
 この宇宙を流れる時間軸はいくつもあって、それぞれの時間軸には一人ずつ『鬼太郎』という名の幽霊族がいること。その時間軸同士が交わることは基本的にはないけれど、近い時間軸同士だと、たまに何かの偶然で重なりあうことがあるらしい。そして近い時間軸同士なら、やり方さえ知っていたら、一時的に渡ることが可能なのだと――沢城くんはそうしてこの、石の隠れ家の中にやってきたそうだ。
 といっても無制限に行き来できるのではなく、渡るにしろ留まるにしろ、それなりの条件が必要とのことだった。その点、この石の隠れ家は結界が頑丈で、渡ってくるのには一番都合が良かったのだそうだ。

「僕のところからは、他の先輩方の時間軸より、高山先輩の時間軸の方が近いんです。だから実は今まで、何回も来てて……ここなら渡りやすいし、見つかりにくいし。こっそりこっちの世界を、見せてもらってました」
「そうだったんだ……
 呟いて返しながら、思い返す。今まで一度でも、彼の気配を感じたことはあっただろうか? 記憶をひっくり返しても、僕と父さん以外の幽霊族なんて、影も形も出てこない。
 僕の沈黙をどう取ったのか、彼はうつむいて言葉を続ける。
「ごめんなさい。この世界の邪魔をするつもりはありませんから、少しだけ、許してくれませんか」
 許して、という一言が引っかかった。
 話し方に嘘の気配はない、……けど、彼はここに来た理由について、何も語っていない。何か後ろめたいことがあるのかもと直感が囁いた。
「きみが何者かは、分かったよ。でも、どうしてここに来たんだい? それも何度も……一体、何を目当てに」
「僕の世界では絶対に望めない風景が、ここにあるから」
 片方だけの目が、はっきりと僕を見すえた。僕とよく似た四白眼に、とても悲しげな苦笑が浮かんでいる。
 その後ろにある悲痛な何かが伝わってきて、息を呑んだ。
「きっと高山先輩がいるから実現している、この世界を……少しだけ眺めていたくて。それだけです」
 数秒の無音を雨音が埋める。微かに遠雷が響いて、雷が去って行くのを感じた。
 でも雨は去らない。僕もここを去れない、気がする。彼のことを知っておかなきゃいけない、そう感じてしまった。
 一歩踏み出す。窓際、彼の隣に立ったら、その言葉は自然と口を突いて出た。
「そういうことなら、いくらでも来ていいよ。……あと良かったら、きみのことも聞かせてくれないかな。別の世界の『鬼太郎』の話なんて、他に聞く機会もないだろうから」

 そうして僕が知ったのは、沢城くんの生きる世界のことだった。
 人間と妖怪が入り交じるのは一緒だけど、彼の世界は僕の世界よりも明らかに残酷……と、言っていいんだろうか。沢城くんがそう感じていそうな理由は多分、彼が人間に育てられたことが大きな原因だろうと思った。
 妖怪と人間は交わりすぎない方がいいと、僕は知っている。少なくともお互い、その方が遥かに楽だ。でも、人間に育てられた沢城くんは、人間と妖怪を『別』にしてはいけないと考えているようだった。
 線を引いて上手くやるのではなく、互いに互いを分かちあって歩みたいと――それが不可能でないことは、人間に育てられたこの自分が証明だ、と。
 口には出さなかったけれど、……それは茨の道だろう、と僕は思った。それでも沢城くんがそう望んでしまうのは、きっと、水木さんという名の人間の養父が、彼を本当に深く愛したからだろう。その愛を疑うことも、手放すことも、沢城くんはきっとできないんだ。

 夜明けと共に去って行った彼のことを、僕は誰にも話さなかった。
 父さんにも、ねこ娘たちにも、横丁のみんなにも。
 理由も分からないまま、ただ秘密にしておきたいと思ったからだ。

 妖怪と人間がある程度の距離を保ちつつそこそこ上手くやっている、今の僕の世界を見て、彼は何を思っていたんだろう――それを聞く機会は、意外と早く訪れた。