【カミ東】どうかとらわれて

原作者様のもじもじカミキリ様と東雲さんのやり取りに我慢できず何か色々出力されたものです。相変わらず脳焼かれています。🔪🍮のお話。後半匂わせありご注意。

いつ時からか。耳が熱を帯び、頬を朱色で染めているのを自覚したのはいつの時からだったか。



随分と身に染みこんだ動きで冷蔵庫の野菜室から取り出したごぼうとにんじんを流水で洗う。
大分和らいだ水温を肌で感じつつ綺麗に洗い終えたごぼうをバットの上で右掌の口から伸びる折れた刀身で一定のリズムで大きさが均等になるようささがき、水を張ったボールにごぼうを浸した。
横に置いていたにんじんを手に取り皮をむき終え隣に控えていた新しいバッドをセットするや否やにんじんを空に放る。
まさに目にも留まらぬ早業。空に放ったにんじんがバッドの上に落下する頃には綺麗にこれまた均等に細切りにされたにんじんがバッドの上に降り注ぎ小山を形成していた。
そんな綺麗にささがきにされたごぼうと細切りにされたにんじんをカミキリ宅に来てから一回も使用された形跡のない真新しいまな板が恨めしそうに眺めているのはいつもの光景である。

あとは慣れた動きで炒め味を調え白いりごまを塗したらきんぴらごぼうの出来上がり。

マンション入居当初より格段に腕をあげた料理の出来っぷり。カミキリがひとり満足げにむふーっと息を吐いた。
「久シぶりニ持ってく。食べてクれるかナ……
タッパーに粗熱を取ったきんぴらごぼうを入れているカミキリの脳裏に過る引っ越して間もない懐かしい記憶。よく味見してもらいがてら東雲に作った料理をお裾分けよろしく持って行っていた。
今ではツヅミが彼女の料理を作っているのと、カミキリ自身の料理のスキルがあがり味見しなくても大丈夫になったのもあり、とんとご無沙汰である。
ならば何故今になって東雲に手作り料理を持っていきたいのか。理由は極々シンプル。建前もなにもない東雲に手作り料理を食べてもらいたい、ただそれだけのこと。
徐に甚平のポケットからスマートフォンを取り出し保存した動画を再生させる。
果たして其処に映し出されていたのは、異国の給仕服を身に纏う可愛らしい女性が画面手前にあるオムライスに向かって美味しくなるおまじないをしているシーンだった。
「えっト」
カミキリはその動画内容を好きな人に食べてもらう料理に愛情を注ぐ儀式なのだと認識していた。そう認識してしまっていた。神社で崇め奉られた時には到底知り得ない事がこの世の中には満ちている、そう捉えてしまったのだ。
ぎこちない動きで動画内にいる女性の手の形を真似作ったハート。それをまたたどたどしい身振り手振りで模倣して愛情を注ぐ呪文を口ずさむ。
「──おイしくな~レ、もエもえキュン?」
刹那、周囲に満ちていた生活音を始めとした音という音が遠くの彼方へ吹き飛び、カミキリが手で象ったハートから放たれた眩い光がきんぴらごぼうはおろかカミキリの部屋一体を埋め尽くした。
すわスタングレネードでも放ったかの如き凶悪に視界を焼く閃光が掃き出し窓を筆頭に外部に勢いよく漏れ出した上に。
「HEY! 今日のダンス会場はココかい?」
と勘違いする陽気な人が現れたとか。

やった本人が一番吃驚し、恐る恐るカミキリはハートの形を解き両掌を見下ろした。
さながら「僕、こンな事出来たんダ」と云わんばかりの困惑と驚愕に彩られた面持ち。宵闇色の大きな目をさらに大きくさせ感嘆の溜息を零す傍ら、煌々と光るきんぴらごぼうが存在感を放っていた。
雅で厳か尊き輝き塗れ神気塗れのきんぴらごぼうを一先ず毒味を含めカミキリが菜箸で摘まみ頬張った。元々自分の神気を注いだ所為か、味に其処までの変化は見られない。甘じょっぱい味加減はご飯が進むの間違いなし。
だがしかし、これを一般人である東雲に食べさせていいものかどうか。暫し考えに考えた挙句、大部分を自分自身が消費するとして少しだけ──、丁度人ひとり分だけ小さめのタッパーに移し替え蓋を閉めた。
折角作って心を込めたのだから食べて欲しい、その気持ちをカミキリは目を逸らし胸の内に留める事は出来なかった。

多少緊張した面持ちで404号室のインターホンを鳴らす。
すると、扉向こうから「はいはーい」と部屋主の声と共にドタドタ近付く足音が聞こえたかと思いきや時間差で玄関扉が開けられた。
「お待たせっと。カミキリさんじゃん、どったの?」
カミキリの大きな瞳に映り込む東雲の姿に普段と変わらない表情なのに如何にも心臓が喧しくなる。
目線だけ見下ろした先にある小さなタッパーを持っている両手に思わず力が入り、目線を戻すのに合わせ東雲にも見えるよう彼女の前に差し出した。
「たクさん作リ過ぎた。──おすそ分ケ」
「マジ? あんがとなー」
感謝の言葉を述べつつタッパーを受け取った途端、東雲の目にありありと浮かぶ「たくさんって割には少なくね?」に体のいい言い訳まで考えていなかったカミキリが俄かに動揺す。
哀しいかな。頭の中は東雲に手料理を食べてもらいたいことと、神気入りだが少しなら大丈夫のふたつばかりが幅を広げていたがため一番大事なところがポロリ抜け落ちてしまっていた。
正直に何故少ないのか話した方がいい。胸中浮かぶ素直な気持ちを言葉にしようにも喉奥に突っかかり出て来ない。
以前のカミキリであれば東雲に事の顛末を伝えたところで拒まれるのはおろか笑って受け取ってくれる、そんなある種楽観的に渡せたが既に”もしも、正直に話して食べて欲しいのに受け取ってもらえなかったら? イヤだイヤだ、拒まれたくない嫌われたくない”のフェーズにまで来てしまった彼にとって本当の理由を打ち明けられないでいる。
それでも、如何にか東雲が納得して食べてくれる言い訳を探すが悉くカミキリの口から出るのは頼りなく要領を得ない短い一音ばかり。
情け容赦なくカミキリの身体の奥で育つ不安と焦燥感。足元から滲み這い上がる仄暗い何かに引きずり込まれる感覚は零落していた時と恐ろしいまでに酷似しており、穏やかさとは正反対のおどろおどろしい激情に駆られる寸前、カミキリの湿り重くなりかけた心を東雲はあっさり晴れ渡させた。

「ん~。私とツヅミ、有希で分けるにゃ少ないな……。こっそり私ひとりで食べっか」

片手で持ったタッパーと睨めっこを繰り広げている東雲が逆の手でやんわり握った手を添えている姿にカミキリの宵闇色の瞳が一段階明るくなった。
「それにカミキリさんがどれだけ料理上手くなったか楽しみだしよ」
特徴的な八重歯を覗かせ笑う東雲にようやくカミキリの舌が言葉らしい言葉を綴る。
「ソノ、食べタら感想教えテほしイ」
「感想、ねェ。んじゃ、ウチ上がっていきなよ。二人がいない内に内緒で食べっから」
親指で玄関扉の奥、部屋を差す東雲が二人が今いない理由を話しつつカミキリを部屋に上げたも、招かれたカミキリは若干浮かれていたお陰で何故二人がいないのかの部分は分からず仕舞いだった。
適当に座ってて。そう東雲に言われローテブルの所謂下座側に座ったカミキリを「ちょ、もうちょい奥行って」とやや邪険気味に箸を行儀悪く口に咥えた東雲に促されカミキリは彼女の隣に座り直した。
小鉢に移し替えずタッパーから直接食べる気満々の東雲にカミキリは何も言わないどころかはやく食べてとそわそわして仕方なかった。
「いただきます!」
手を合わせタッパーの蓋を開けきんぴらごぼうとご対面した東雲の表情が分かり易く綻んだ。
箸で摘まみ大きく開けた口の中に放り込んだ瞬間、東雲の夜明けを告げる瞳が瞬いた。
「んめ~! カミキリさん腕あがってんじゃん!」
称賛する言葉と共に箸が止まらず、パクパク食べる東雲にカミキリは知らず胸をなでおろす。味付けや火の通り加減に自信はあったものの、口に合わなかったら如何しようなんて思っていたがとんだ杞憂だった。
「くーっ、これで白飯があったら最高だってのによ」
口振りでは残念がっているが、箸が止まらない東雲の顔は終始嬉しそうに笑い、最後の一口を味わい飲み込んだ彼女は満足げに「うまかった~。ごちそうさまでした!」と勢いよく手を合わせた。
「そういや、このきんぴらごぼうなんかすっげー光ってたけど何入れたの」
……ヒミツ」
「おいそれと隠し味は教えてくれないかァ残念。うまさの秘訣な気はすんだけどなあ」
……



台所でタッパーを洗う東雲の背中をソファに腰掛けたカミキリは静かに眺めていた。
カミキリとしては東雲が食べ終わったタッパーをそのまま一応受け取り帰るつもりでいた。だが、東雲が流石にタッパー洗わずに返すのは失礼綺麗に洗ってから返すだから洗い終わるまで待ってて、そんな申し出を可能な限り彼女といたい気持ちがやんわりある彼にとっては都合の良い居座る口実に昇華する。
「そういえばさー」
振り返らずソファに座っているカミキリに東雲が話しかける。
「まだツヅミがいない時、よくカミキリさん味見してって持ってきてくれたじゃん? あれすっげー助かっててさ」
泡立てたスポンジでタッパーと箸を洗う東雲の目が懐かしむように半分瞼裏に隠れた。
「食べんのコンビニとかスーパーの値引きシール貼られたやつばっかで。誰かの手料理食べてー、ってなっても都合よく食えないじゃん? そん時にカミキリさんが持ってきてくれたの食べるとさ、しみじみ美味いなあって思ってよ」
それに食費節約出来たし。カミキリからの返答を気にせず冗談交じりに笑い語る東雲は、感激で胸がいっぱいになり無言になる他ない彼に気付いていない。
流水で泡を洗い流し水気を拭き取り綺麗になったタッパーを持ち踵を返した東雲がソファに座っているカミキリのもとへ歩み寄る。
「あんがとなっ」
照れ臭さを残しつつ笑いタッパーを渡す東雲から目を逸らさずカミキリはタッパーを受け取った。
「ウん」
渡されたタッパーを両手で持ち視線を落としたカミキリが渡した東雲を仰ぎ見る。
計らずも自分を鼓舞するため力が込められたのと同じなように。
「──また持っテきてイイ?」
神様が誰かに願うとは思わなんだ。されど、如何か叶えて欲しいと願わずにはいられない。
カミキリの秘めた想いを察してか知らずか、東雲は数回目を瞬かせ腰に手を置き重心を移動させニカリと笑う。
「勿っ論! 大歓迎だぜ! むしろいいの?」
東雲の素朴な疑問にゆっくり瞬き頷くカミキリに、「それならいっけど」と彼女は深く追求しなかった。
薄っすら漂い始めるお暇しなくてはという雰囲気から目を逸らしたカミキリは少しだけ我儘を口にする。
「まだ、いてイイ?」
「どーぞどーぞ。好きなだけいてくれや」
恐らく東雲はきんぴらごぼう分勝手して構わない認識だろう。
でも、カミキリにとってこれ以上ない機会に手に持っていたタッパーをさり気なくローテーブルの上に置いた。

「大家サん、あっちニ座っテ」
「ん~?」
少年の指が指す方向。掃き出し窓前にある空間を指差された東雲は首を傾げながらもカミキリに言われた通り腰を下ろした。特に指定がなかったので股を広げ上半身を支えるように両手をやや後ろ側に付いた態勢で座る東雲。
やおらソファから立ち上がったカミキリを目だけで追っていれば、背中を向けストンと股の間に座ったかと思いきや上半身を倒してきた。
見下ろす夜明け告げる瞳と見上げる宵闇色の瞳が交差する。
相手が何をしたいのかさっぱり分からない。とかく不快な感情が一切湧かないため、東雲は彼の好きなようにさせていた。
……ッ」
そして、カミキリは東雲が静観を保っているのをいい事に彼女に身を委ねるだけでは終わらず、両腕を万歳させ東雲の両腕を巻き込むかたちで腰元に巻き付けた。
本当は正面から抱き着きたい欲求を抑え込み、東雲にその気持ちがバレぬようカミキリ自身よく分からない動きで誤魔化すべく躍起になった。無意識に開いた口、両足を広げて上げもじもじ動かす様は東雲に「なんだあ?」と言わせるも不思議に見下ろすばかりでカミキリの行為を甘んじて受け入れている。
幸か不幸か。カミキリの耳が熱を帯び、頬にも朱が走っているのを東雲は認識していない。
……ッッ」
両腕を巻き込んで腰を抱き締めるのは少しでも退かされる確率を低くするため。何の理由もなく東雲の傍にいたいがため──。
「(……違ウ)」
あわよくば東雲に構ってもらいたいがための行為。
後頭部に薄っすら感じる柔らかさ。鼻腔を擽る匂いの近さ。仰ぎ続けていれば向こうも逸らさず見下ろし続けてくれる光景にカミキリの東雲を抱き締める力がじんわり籠る。
つと宵闇色の瞳に入り込む自分の神気を薄衣のように纏う東雲に得も言われぬ感情が込み上がった。
開けていた口を緩く閉じ、巻き付けていた蔦を自ら解く。宵闇色の瞳を夜明けを告げる瞳が見上げ続け、それは首を捻り態勢を変えても継続していた。四つん這いでグッと顔を近付けるカミキリの瞳が再び一段階明るく染まる。
東雲がぽかんとした表情で「なんか知らんが終わり?」と問いかける前にフローリングの床に着いていたカミキリの手が前に出るのに合わせ彼女は無意識に後退った。
「(あ、れ……? なんで私後ろに下がってんだ?)」
東雲自身何故そのような行動を取ったのか分からず困惑している内にカミキリが離れた距離の分だけ前に進む。
程なくして戻った近さが不意に東雲の心臓を大きく打ち鳴らす。全力疾走した時よりも激しい鼓動。その原因は何なのかを頭が理解したくないのか執拗に思考停止を促してくる。
今も尚、カミキリに詰め寄られる度に後ろへ逃げる東雲の顔は他の者が見ても分かる程に紅潮していた。
「(嗚呼、やっぱリ……)」
東雲程ではないにしろ同じく耳と頬に熱を帯びているカミキリの大きな目が眇められる。
「(取り込ンだ僕ノ神気に呼応シて、大家サんの心僕の心と同じにナっテル)」
じりじり追い詰め追い込み背中に壁の感触が当たり、これ以上後ろへ下がれないと悟った東雲が息を飲む姿にカミキリの宵闇色の瞳に高揚の色が混ざる。
膝立ちになり東雲に比べて小柄な身体で彼女に覆い被さるように壁に手をついた。殆ど同じ目線の高さで見詰めた先にいる普段接している時には到底想像できない東雲の様子にカミキリの中で仄暗い悦びが芽吹く。
人ではない悍ましい姿や魂を持つ者達を相手にしても物怖じせず接する彼女が種類は違えどたじろぐ姿にいけない背徳感を抱いてしまう。
「逃げなイの?」
「逃げって……
触れられてはいないものの、逃げられないよう退路を断たれている東雲が健気に背中を更に壁にくっ付けた。
無意味に足掻き床を蹴り手で突っ撥ねる音にカミキリの喉が鳴る。
「(──こノまま僕が抱いテイる気持ち伝染 うつらナいカな)」
瞳孔が開き浅く不規則な呼吸をくり返す東雲に胸が高鳴り、どうかどうか自分と同じ気持ちを同じ大きさ重さ深さの分だけ抱いて欲しいと少年の姿をした神様が希う。
触れないよう務めていたのを止め、東雲にしな垂れ首元に抱き着いた。抱き着いたことであからさまに強張る東雲が愛おしくてたまらず、カミキリは自分以上に熱を孕んだ頬に頬を合わせ大きな目を瞼裏に隠した。
「(意識シてクレてる……。いつもだっタら何テ事ないノニ……)」
いじらしく未だに背中は壁で塞がっているのに後退る東雲の波打った口から小さな言葉にならない声が漏れ続ける。カミキリがいくら抱き着いたところで顔色どころか何ひとつ変わらない東雲の怯え震えている奥の方、薄っすら香り立つ甘さをカミキリは決しては見逃さない。
……大家サん可愛イ」
薄目を開け赤く染まった東雲の耳元で囁けば、声にならない声を上げ女性らしい華奢な肩が跳ね上がった。
「耳の近くで喋んなって……ッ」
「どうシて?」
変わらず耳元で聞こえるカミキリの素朴な疑問に東雲が小さく唸り思いを口にする。
「なんか胸んとこざわざわ? ぞわぞわする。変な気分に、なる……
身に起こっている事を上手く言語化出来ない東雲にカミキリの嗜虐心が膨れ上がる。彼女の首に巻き付いていた腕の片方を解き、顔を寄せていない空いている耳に掌を被せ包み込む。
やにわ掌から開いた口に合わせ鼓膜を通り越し頭蓋奥まで届くよう囁き声を注ぎ込んだ。

「「ゾワゾワ、しちゃウ?」」
「~~~ッッッ」

両耳から同時に吹き込まれた湿っぽい声色に東雲の体温がカッと上がった。
「今日の、カミキリさんいつもと違うッ。なんで、こんな、ことす──」
「アナタの耳熱い、これデ涼しイ?」
意図的に東雲の耳殻に唇を押し付け吐息交じりに吹き込む。カミキリが喋る度、掠める唇の感触が東雲の額と頬におかしな汗が滲み、あれだけ後退ろうとしていた動きが停止して身体を固まらせた。
「(見えなイけど分かル。大家さん、目ぎゅって瞑っテ我慢しテル)」
僕だったらそうする。東雲の様子が手に取るように分かるカミキリが声を出さず唇をわざと動かして掠めれば悲鳴にも満たない短く詰まった東雲の声音がカミキリの鼓膜を擽る。掌からだらり伸ばした舌先を尖らせシンプルなピアスを突くと面白いくらいに東雲の肩が跳ね上がった。
「(可愛い大家サん可愛イ。胸ドキドキする、デモ嫌じゃナい。アナタもドキドキしてくレるの知ってルカら)」
カミキリが自分の薄い胸板を東雲の慎ましやかな胸に押し付けやわく潰す。重なり合う心音の速さ、震える吐息、逃げ切れず身体を縮こませるしか出来ない無力な 愛おしい人間。
マンションに引っ越してから好物になった菓子色の頭を撫で擦る少年の手は飽く事なく髪を弄ぶ。
カミキリの瞳は慈しみに彩られ──、緩慢な動きで瞼を下ろし再び開けるや否や微かな光すら飲み込む真っ暗で冷たい瞳が上方を見る。



畏怖宿る眼光でカミキリが見上げた先、403号室に住んでいる小椋有希が上半身を壁からすり抜けさせた状態で見下ろしていた。
縫われた口は真一文字に閉じられたまま一言も発しておらず、薄っすら細めた有希の目がカミキリの行為を値踏みする。
双方一言も発していないため東雲は隣部屋から有希が来ているのに気付く事は無かった。
無言の睨み合いは有希が何も言わず壁向こうの隣部屋に戻った事で瞬く間に終わりを迎える。だが、カミキリの重苦しい威圧感に慄き退散したわけではなく「(このマセ餓鬼)」と鼻で笑い諸々察した対応であった。
自室に戻った有希は膝を抱え空中にぷかぷか漂いカミキリの東雲に対する態度を彼女なりに噛み砕いた。
あれはそう。大事で大切な宝物を奪われまいと護る姿というより──。

「(……自分が仕留メた獲物に執着スル ケモノ)」

他の者に奪われたら匂いを追い何処までも追い掛け取り戻す執念の塊に近しいものがある。
「(油絵ノ続き描コ)」
惚れた腫れた好いたなんだは当人同士が如何にかするもの。別段男女の乳繰り合いなぞ興味薄な有希はツヅミが帰ってくるまで油絵の続きを描きはじめたのだった。



音もなく壁向こうに消えた有希を睨み追っていたが、此方に深く干渉しない有希の気配を察するやカミキリの視線と意識の全てが東雲に戻される。
睨みを利かせていた間、カミキリの動きが止まっていたお陰か東雲が健気に淡い抵抗をし始めていた。緩く頭を振い耳からカミキリの唇と覆われた掌をズラそうとするも逆に自ら擦り付けてしまい触れてしまう感触が際立ってしまっていた。
それでも、いやいやと動く東雲にカミキリの胸奥がざわつき、鼓膜を震わせるように熱を孕んだ吐息を吹きかけた。瞬時に反応して小さく声を上げ東雲の身体がビクつく。
「(かまっテあげてナくてゴメン)」
恍惚した表情で赤い東雲の耳輪をやわく食み、ぬとり舌を這わせた。邪気を吸い出すとは訳が違う、明確に別の意思を持ち溝に沿って舐め熱く湿り気を帯びた息を吹きかけ東雲の初心な反応を愉しむ。
いつの間にかカミキリをひっぺ返そうとしていた東雲の両手が変な力が入り彼にしがみ付くように甚平を握りしめていた。粘着質な音、湿った感触に東雲の戦慄いた唇から譫言の様に「変だって」「おかしくなる」「ンッ、ンゥ」とただひたすらに戸惑う想いがぽろぽろ零れていく。
涼しくなるどころか東雲の体温が上がっていくのを這わした舌で押し付けた唇で味わう。
抗い難い高揚感。普段自分ばかり意識してしまうのが今や一転して意識せざるを得ない状況に東雲を追い詰めた事実にカミキリの身体を優越感と多幸感が包み込む。
熱を帯びた頬同士を一度スリ、と擦り合わせ顔が見えるくらいまでカミキリが離れた。
大概カミキリ自身顰めた荒い息を零しているが、それ以上に東雲は薄っすら開いた口から絶えず震えた息遣いをしている。涙に濡れ揺れる夜明けを告げる瞳が纏う弱々しさに宵闇色の瞳がうっそり細められた。
「(……こンなに僕のコト意識してくレてる)」
林檎の様に真っ赤な東雲の頬を両手で優しく包み込み──、唇を寄せた。
緩やかにぼやける視界、唇をなぞる東雲の不規則な吐息に入り混じる困惑に彩られた微かな声でさえカミキリの胸の内に愛おしさで溢れる。
相手の熱が分かる程距離を詰め唇と唇が触れ合う直前、カミキリの甚平を掴んでいた東雲の両手が勢いよく離されるなり、彼の肩を思いきり掴み身体を離させた。
潤んでいる夜明けを告げる瞳がキッと宵闇色の瞳を睨みつける。
「もうダメ!! おしまいだっての!!」
東雲は小柄なカミキリの身体を持ち上げるや否や下の階の住人からクレーム待ったなしの足音をさせ玄関扉を開けるなり彼の身体をポーンっと廊下に放り投げた。
404号室に背を向けるかたちで放り投げたカミキリが軽い音をたて廊下に座り込む。
「きんぴらごぼうあんがと!! ごっそさん!!」
乱暴に玄関扉を閉め、もう一度開けたかと思いきやカミキリの履物とタッパーを投げずにそっと彼の傍に置き今度こそ豪快に玄関扉を東雲は閉めたのだった。
暫し呆然としていた所為か、すっかり火照っていた熱が収まったカミキリが履物を履き、廊下に直接座っていた尻を軽く叩きつつ立ち上がる。
廊下にぽつねんと置かれていたタッパーを持ち上げ、404号室の玄関扉に近付き額を押し付け目を瞑った。
「また作っテ持ってクる」
待ってて。小さく呟いたカミキリは玄関扉に背を預けずるずる腰を下ろし口元を手で覆い赤面している東雲の姿に微笑んだ。
怪我の功名か。カミキリの神気を取り込んでしまった東雲の感情や行動、果てに彼女の周りに誰がいるのかいないのかまで把握できるようになっていた。

──なんだってんだよ……

未だ自分の感情を理解できず項垂れる東雲の声がカミキリの頭蓋奥に直接流れ込む。
これ以上ない僥倖。廊下を歩きエレベーターに乗り、101号室に戻ってからもカミキリの口元は弧を描き続けていた。

そして、東雲が変に意識してその日眠れなかった事も、大家の立場ゆえ気まずくとも声を掛けられれば無視できないのも、違和感を抱いているが招かれれば断らず来てくれるのも全て分かり切った上でカミキリは東雲を部屋に上げた。

和室に通された東雲が胡坐を掻き座る。その顔は普段よく見る顔付であったが、カミキリが何食わぬ顔して胡坐の中に腰を下ろし、足を腰元に固く巻き付けられ漸く訝しげに眉間の皺を深くさせるも何もかもが遅かった。
今の今まで呼応していなかった取り込んだカミキリの神気が彼の気持ちと同調した途端、全てを悟った東雲の顔が一気に熱を帯びた。
それをさも待ちかねたぞと云わんばかりに見詰める宵闇色の瞳が愉悦に彩られる。伸ばされた幼くも男らしい両手が東雲の火照った頬を撫で包み込み、前回お預けを食らってしまった可哀想な程震えている彼女の唇に自身の薄い唇を重ねた。
触れ合うだけの口付け。唇から伝わる繊細な感触をずっと味わい続けたい気持ちを宥め静かに唇を離す。
ほうっと満ち足りた息を吐き、顔が見えるくらいまで距離を取ったカミキリの目に映ったのは、弱々しく重ねられた唇に指先を当て。
……私の、ファーストキス」
か弱い乙女のような声色で今起きた事を言葉にする東雲がいた。
刹那、カミキリは理解する。この者にとって自分は最初で最後の男になれるのだと、更なる僥倖が舞い込んだと、笑みを深めずにはいられなかった。